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<title>城島明彦（作家）の『ちょっとあぶない雑記帳』</title>
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<description>「メビウスの迷宮」へようこそ</description>
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<title>森繁久彌作詞・作曲の「知床旅情」には、共作者がいた</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/11/post-faaf.html</link>
<description>　北海道旅行がちょっとしたブームになっていた1968年夏、早稲田大学の3年生だっ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　北海道旅行がちょっとしたブームになっていた1968年夏、早稲田大学の3年生だった私は、友人2人を誘って「北海道一周旅行」をし、知床半島へも行った。&lt;br /&gt;
　北海道を旅行する若者たちの格好は一様で、誰もがリュックサックを背負っていたことから〝カニ族〟といわれた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　金がない旅行なので、宿泊はユースホステルを選んだ。食事つきで一泊500円。値段が安いだけに食事は質素で、ザリガニが出たときにはさすがに食べられなかった。&lt;br /&gt;
　夜になると、キャンプファイヤーを囲んで、みんなで歌を歌った。そのときユースホステルのペアレンツから教えてもらった歌の一つが「しれとこ旅情」だった。&lt;br /&gt;
　とても覚えやすい曲で、歌詞が旅をしている者の心に訴えかけるような感傷的な内容なので、心に残った。そのとき、「しれとこ旅情」ができたときの話も聞いたはずだが、忘れてしまった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　私は1970年春に大学を卒業し、東宝に入社して映画の助監督になった。深夜ラジオから懐かしいメロディーが流れてきたのは、その年の11月のことだった。加藤登紀子が歌う「知床旅情」だった。&lt;br /&gt;
　この曲は翌71年になるとさらにヒットし、テレビやラジオの歌番組で何週間もトップになり、誰もが知るところとなった。&lt;br /&gt;
　この曲は、加藤登紀子が最初に歌ったのではなく、作詞・作曲者の森繁久彌自身がすでに1962年のＮＨＫ紅白歌合戦で歌っていたことを知ったのは、その頃のことだった。&lt;br /&gt;
　加藤登紀子の歌がヒットしたので、御本家の森繁久彌の歌もリリースされてヒットしたが、こちらのタイトルは平仮名の「しれとこ旅情」。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　「しれとこ旅情」も「知床旅情」も森繁久彌作詞・作曲となっているが、そうではなく、最初は「さらば羅臼（らうす）よ」というタイトルで、「共作者がいる」という話は、何人もの東宝の先輩スタッフから聞いた。&lt;br /&gt;
　この歌がつくられたのは、1960年製作の東宝映画「地の涯（はて）に生きるもの」の撮影時だったという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この映画の原作は戸川幸夫の小説「オホーツクの老人」で、これを読んで感激した森繁久彌が映画化を提案、森繁プロと東宝が共同制作し、久松静児が監督、1960年10月に公開された。&lt;br /&gt;
　出稼ぎの漁師たちが去って寂しくなった冬、オホーツク海に突き出た知床半島の浜にある番屋（漁師小屋）で、魚網を食い荒らしに来る鼠の番をしながら猫と暮らしている孤独な老漁師が、往時を振り返る映画である。森繁久彌が主役の老人を演じ、司葉子、草笛光子、西村晃らが共演した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「地の涯に生まれたもの」は1960年3月から現地で撮影され、現地の人が協力した。撮影が終わり、ロケ隊が引き上げる前の晩に、ロケ隊が宿泊していた旅館で、地元の人たちとのお別れ会が開かれ、そのとき、ギターの伴奏で森繁久彌が歌ったのが、後日「しれとこ旅情」と改題される「さらば羅臼よ」だったという。そしてその歌をみんなで一緒に歌い、翌朝、ロケ隊は東京に帰ったのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「さらば羅臼よ」は昔から地元で歌われてきた曲だったが、うろ覚えの人もが多く、詞も曲も不確かだった。それらを取材し、採譜し、採詞したのは吉松安弘という東大出の助監督であった。&lt;br /&gt;
　彼は、1973年に「さえてるやつら」で監督に昇進、「陽の当たる坂道」（三浦友和、壇ふみ主演）も監督し、著作に『東条英機の夏』がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この話は、「地の涯に生まれたもの」についたスタッフの間では有名な話で、加藤登紀子の「知床旅情」が大ヒットしたとき、吉松さんは、&lt;br /&gt;
　「印税、いくら入った？」&lt;br /&gt;
　とか、&lt;br /&gt;
　「印税のわけぶん、もらった？」&lt;br /&gt;
　などと、よくいわれていた。&lt;br /&gt;
　共作した話は、吉松さんがチーフ助監督を務めた映画で一緒になったときに、直接本人からも聞いた。本人は、&lt;br /&gt;
「少しぐらいはもらってもいいかもね」&lt;br /&gt;
　と笑っていた。&lt;br /&gt;
　しかし、森繁久彌がそういう話をしたのを聞いたことはない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　以上の話は、不世出の大俳優である森繁久彌の評価を下げる目的で書いたのではない。東宝関係者が表立っては誰も書かないので、歴史的事実として残すために書いた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-11-11T16:58:29+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-c850.html">
<title>南田洋子と「智恵子抄」</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-c850.html</link>
<description>　認知症の南田洋子（女優なので、敬称略）が死去する何週間か前に正常な感覚を取り戻...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　認知症の南田洋子（女優なので、敬称略）が死去する何週間か前に正常な感覚を取り戻した時期があったことから、高村光太郎の詩「「レモン哀歌」を想起する人もいたようだ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　彼女のことを伝えたテレビ番組のなかには、南田洋子の代表作の一つとして、1967年公開の松竹映画「智恵子抄」（中村昇監督）をリストアップしているところがいくつかがあったが、その映画で主演したのは岩下志麻で、南田洋子はそれほど重要ではない脇役にすぎなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　南田洋子の代表作は、大映のニューフェースだった彼女を一躍有名にした「十代の性典」（1953年）であり、その後、日活に移って主演した「太陽の季節」（古川卓巳監督）であると私は思う。どちらも社会的に大きな影響を与えた作品である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「太陽の季節」は、石原慎太郎の原作で、「太陽族」なる若者まで生んだ。この映画のもう一人の主演が長門裕之だった。長門の代表作は、「太陽の季節」と今村昌平監督の「豚と軍艦」だろう。南田洋子もこの作品に出ており、彼女の代表作の一つにあげてもいいかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　南田洋子は76歳で死に、高村智惠子は56歳で死んだ。死因は南田が「くもまく下出血」で、智惠子は「肺結核」。&lt;br /&gt;
　高村光太郎は、智惠子と結婚する以前は、不羈奔放（ふきほんぽう）な生き方をしていた。長門は、結婚後も、好き勝手な生き方をしていた。&lt;br /&gt;
　高村光太郎は、彫刻家にして詩人、智惠子は画家だったのに対し、長門と南田は役者だが、広い意味では、いずれも芸術家。&lt;br /&gt;
　高村光太郎は智惠子が逝くのを枕辺で見送ったが、長門は南田洋子の死に目には会えなかった。&lt;br /&gt;
　智惠子は精神に異常をきたしていたが、時折、正気に返ることがあった点は、認知症で脳の機能が正常に働かなくなった南田洋子と共通している。。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　私が以前、高村光太郎と智惠子のことを「です・ます調」で書いた「せつなくも悲しい愛」と題した一文があるので、以下に引用する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　愛する伴侶（はんりょ）がある日を境に狂人になったら、人は嘆き、悲しみ、途方に暮れます。&lt;br /&gt;
　詩人の高村光太郎（たかむらこうたろう）がそうでした。愛妻の智恵子は、家庭の主婦としての仕事に追われ、画家としての仕事に没頭できなくなったことで、葛藤（かっとう）し続け、結婚十七年目にとうとう精神に異常をきたしたのです。&lt;br /&gt;
　気がふれる前の智恵子が書いた以下のような詩が残っており、彼女の心の葛藤（かっとう）をうかがい知ることができます。それは次のようなものです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　我をすてさえしたら&lt;br /&gt;
　　お互いに自分をおし通すことさえすてたら&lt;br /&gt;
　　自分をすてきって&lt;br /&gt;
　　もし人々が愛する事さえ出来たら&lt;br /&gt;
　　はじめておだやかな&lt;br /&gt;
　　幸福な世界になるのでせう&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　若い人にはピンとこないでしょうが、昔、広沢虎三（とらぞう）という浪曲師（ろうきょくし）がいました。&lt;br /&gt;
　彼の得意とする演題の一つに「壺坂霊験記（つぼさかれいげんき）」という浪花節（なにわぶし）がありました。&lt;br /&gt;
　光太郎と智恵子の関係は、そのなかの一節「妻は夫を慕いつつ　夫は妻をいたわりつ」に近いものがあったと著者は思っています。&lt;br /&gt;
　光太郎との生活のために彼女は自分の夢を捨てようとしたのです。つまり、自己を犠牲にしたのです。&lt;br /&gt;
　死の直前、智恵子はレモンをかじり、そのことで一瞬正気に戻ります。そのときの様子を描いたのが「レモン哀歌」という有名な詩です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　そんなにもあなたはレモンを待ってゐた&lt;br /&gt;
　　かなしく白くあかるい死の床で&lt;br /&gt;
　　わたしの手からとった一つのレモンを&lt;br /&gt;
　　あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ&lt;br /&gt;
　　トパアズいろの香気が立つ&lt;br /&gt;
　　その数滴の天のものなるレモンの汁は&lt;br /&gt;
　　ぱっとあなたの意識を正常にした&lt;br /&gt;
　　あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ&lt;br /&gt;
　　わたしの手を握るあなたの健康さよ&lt;br /&gt;
　　あなたの咽喉に嵐はあるが&lt;br /&gt;
　　かふいう命の瀬戸ぎはに&lt;br /&gt;
　　智恵子はもとの智恵子となり&lt;br /&gt;
　　生涯の愛を一瞬にかたむけた&lt;br /&gt;
　　それからひと時&lt;br /&gt;
　　昔山巓（さんてん）でしたやうな深呼吸を一つして&lt;br /&gt;
　　あなたの機関はそれなり止まった&lt;br /&gt;
　　写真の前に挿（さ）した桜の花かげに&lt;br /&gt;
　　すずしく光るレモンを今日も置かう&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-10-23T06:39:01+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-c711.html">
<title>南田洋子の死を報告する長門裕之の耐える姿には共感できた</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-c711.html</link>
<description>　本日(10月21日）午前10時56分に入院先の病院で死去した女優の南田洋子につ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　本日(10月21日）午前10時56分に入院先の病院で死去した女優の南田洋子について、彼女の夫である長門裕之が、午後7時前から10数分間、記者会見する模様をＴＢＳがライブ中継した。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　長門は、明治座で10月3日から始まった演歌歌手の「川中美幸特別公演」の午前11時からの「昼の部」に出演していて、妻の死に目には会えなかった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　長門は、午後6時からの「夜の部」の出番を終えて会見に応じた。&lt;br /&gt;
　「いとしい、大好きな洋子が永眠しました」&lt;br /&gt;
　といって彼は会見を始め、「いつ南田洋子の死を知ったか」との質問に、&lt;br /&gt;
　「午前中の公演後、風のように耳に入ってきた。ああ、逝ったんだな」&lt;br /&gt;
　と淡々と語る姿は、胸を打つものがあった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今日の長門は、それ以前の彼と違って感情をかなりコントロールしているようだった。共演者に迷惑はかけられないからという理由で、通夜は公演が終わってから行うといい、それまでは妻の遺体を氷漬けにしておくとも語った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　公演の楽日（最終日）は10月29日だが、その前に出番のない日があるとのことで、その日までの「6日間を氷漬けにする」と、そうすることが当然であるかのように冷静にいうのを聞いて、長門の役者魂を見る思いがした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　長門は、昨晩の妻の容態に接して、覚悟を決めていたようだ。&lt;br /&gt;
　彼は、髯が伸びていたが、まだ生きている妻に何度も何度も頬ずりしたり、キスしたと話した。&lt;br /&gt;
　普通の人は、そんなことをあけすけに話しはしない。自分の胸に秘めて誰にも話さないものである。&lt;br /&gt;
　芸能人としての性（さが）・サービス精神がそうさせるのか、あるいは単なる世間知らずなのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「植物人間になった洋子は洋子ではない」という見方も示した。&lt;br /&gt;
　この考え方には異論も多かろうが、私はよく理解できた。&lt;br /&gt;
　また彼は、「死んだ洋子は好きじゃない」「死んで冷たくなった遺骸（むくろ）は洋子とは思えない」「手を合わせるのは、思い出のなかだけ」とも語った。これが彼の死生感なのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　取材記者もテレビの前の視聴者も、今回は、南田洋子の映像を見ることなく、長門裕之の口を通して語られる彼女の姿を想像したことで、気の毒さがよけい伝わってきたように思う。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　南田洋子の意識がまだ残っていた昨日、彼女が長門の手を白くなるまでぎゅっと握っていた、という話も長門はしたが、南田洋子のそういう行為は本能的なものかも知れず、聞く者の胸を打った。&lt;br /&gt;
　このことを考えると、南田洋子の闘病の映像など公開せずに、闘病の様子を長門が語るだけにしておいた方がよかったと思えてくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　長門が南田洋子を心底から愛していることは、これまでのテレビ番組を通じて多くの視聴者に伝わってはいたが、認知症になって正常な判断力を喪失した女優を、テレビ画面を通じて、不特定多数の人の目にさらすという行為を私は許しがたいと感じてきた。&lt;br /&gt;
　そういう経緯はあったが、今日の会見では、長門がぐっと耐えたり淡々と語る場面が多く、そこは共感できた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　長門裕之と南田洋子は、「老老介護」という大きな問題を提起したというプラス面と、彼自身の不思慮から、テレビ局や出版社に利用されて、本来なら浴びなくてすんだ批判を受けることになったマイナス面があった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●以上は、21日夜8時半ごろ書いたが、22日の午前2時過ぎに一部を書き換え、さらに以下の文章を新たに加えた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　21日の夜11時過ぎにテレ各局が、南田洋子の死去と長門裕之の会見の模様をニュースで流した。どの局も、時間的制約もあっただろうが、長門が顔をゆがめて嗚咽する場面の映像を使っていた。&lt;br /&gt;
　実際の会見では、そういう場面は極めて少なく、ほとんどはじっと耐えたり、淡々として語ったりしていたのだが、テレビを見た人は、彼がずっと嗚咽したり、涙ぐんだりしていたと思うような「演出」になっていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　どの局かは忘れたが、通夜は29日で葬儀・告別式は30日と報道していたが、そうであれば、南田洋子の遺骸は8日間も氷漬けされることになる。犯罪や事件でなく、普通の死でもそんなに長く遺骸を置いておいていいのだろか、と気になった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　彼が泣く姿を見ていて、私はあることに気づいた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　女性たちは、長門裕之がやたらと泣く映像を見て、&lt;br /&gt;
　「あんなに愛されて南田洋子は幸せ」&lt;br /&gt;
　と思うだろうが、男は違う。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　彼は1934年生まれの戦前派である。彼や、彼より一回り下の私の世代は、子供の頃から、&lt;br /&gt;
　「男は、人前では涙を見せるな。どんないつらく、悲しいときでも、人前で泣くようなことはするな。泣きたかったら、あとで、ひとりになってから、思いっきり泣け」&lt;br /&gt;
　といわれて育った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「人前で、女といちゃいちゃするな」&lt;br /&gt;
　ともいわれた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　たとえ悲しい映画、感動的な映画を観て涙を流したとしても、劇場の明かりがついたら、その涙を人に観られたくないと思うのが、一般的な男ではないのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　本来なら「妻」とか「家内」とかいうべきところを、彼はずっと「洋子」「洋子」といっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　名前でいうのは、家族内であるとか、近所の人や親友や友人たちに対してであって、まったく見も知らぬ不特定多数の相手に向かって、「洋子」「洋子」」と名前を連呼するというのは、どうにも理解しがたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　彼はそういうことを普通と思っているようだが、世間の感覚とはかなり違っている、と私は思った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　（城島明彦）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-10-21T20:39:37+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-c9bb.html">
<title>南田洋子さんが亡くなった</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-c9bb.html</link>
<description>　くもまく下出血で入院していた南田洋子さんが、本日（10月21日）、亡くなった。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　くもまく下出血で入院していた南田洋子さんが、本日（10月21日）、亡くなった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　ご冥福をお祈りしたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-10-21T14:26:31+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-975a.html">
<title>女優大原麗子さんのこと</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-975a.html</link>
<description>　大原麗子（女優なので、敬称略）が自宅で孤独死していたというニュースが流れたとき...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　大原麗子（女優なので、敬称略）が自宅で孤独死していたというニュースが流れたときには、驚いた。2009年8月6日のことだった。&lt;br /&gt;
　当初は、「死亡日時は不明」と報じられたが、行政解剖の結果、3日前に亡くなっていたことが判明した。&lt;br /&gt;
　あんなに明るく、誰にも好かれていた人が、誰にもみとられることなく、孤独死し、しかも真夏に3日間も発見されなかったということを知って、つらいいものを感じた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　（最近、テレビで見かけないが、劇場の芝居にでも出ているのだろう）&lt;br /&gt;
　と勝手に推測していたが、そうではなく、「ギラン・バレー症」というあまり耳にしたことのない難病を患い、歩行等が困難で、芸能活動を休止せざるを得ない状況だったことも、報道で知った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　彼女は私より何歳か年上だと思っていたが、同い年（彼女は1946年11月13日で、私は7月10日の生まれ）だったということも、報道で知った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　生前の彼女と、私は何回か、仕事場で言葉を交わしたことがあった。もう何十年も前の話だ。正確にいうと、1970年の夏のことになる。&lt;br /&gt;
　当時、私は東宝撮影所にいた。「奇妙な仲間　おいろけ道中」(1970年夏製作)という軽妙な喜劇映画に彼女は出演し、私は駆け出しの助監督だったのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私はその年の4月に東宝本社に入社し、7月31日までの研修期間（当時は試用期間といっていた）を経理部門の「出納係」として過ごし、8月1日に希望した東宝撮影所製作部の「演出助手係」に配属されたのだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　当時、映画監督になるには助監督を経るしか道がなかったが、映画産業は斜陽化の一途をたどっており、東宝は本社の定期採用では「演出助手」（助監督）という職種での採用を9年間もしてこなかったので、助監督になるには、まず配属先未定の正社員として入社し、本社での試用期間を経て、東宝撮影所の助監督に配属してもらうという方法を選ぶしかなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私は、先輩の助監督から「10年ぶりの本社採用助監督。金の卵」などと半ば揶揄（やゆ）されつつ期待されたが、わずか3年で挫折し、ソニーに転職してしまうのだから、申し訳ないことをしてしまったことになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私が入社した年の大卒採用は6名だったが、私以外にもう一人、上級国家公務員試験に合格して入社翌年には退職している者がいるから、人事は嘆いたろう。&lt;br /&gt;
　その男も私も早稲田（私は政経学部で、その男は理工学部）の卒業だったから、会社もそれに懲（こ）りて、以後の採用では早稲田卒を色眼鏡で見るようになったかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　東宝撮影所は、現在と同じ成城学園前の砧（きぬた）にあった。私が入居していた独身寮（今はもうない）から、歩いて5分ぐらいの場所だった。&lt;br /&gt;
　撮影所へ初出社する日は、どんな服装をしていけばよいのかわからず、有楽町にあった東宝本社に通っていたときと同じ背広姿でいった。&lt;br /&gt;
　ところが、製作部にいる社員はネクタイをしている者など一人もおらず、自分だけが浮いているような感じがしたものだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　製作部の課長やスタッフには挨拶をすませたが、部長は用事があって不在で、課長から、&lt;br /&gt;
　「戻るまで、食堂の前に向かい合わせに置いてあるベンチに座って待っているように」&lt;br /&gt;
　といわれた。&lt;br /&gt;
　その部長は、私の保証人になってくれた3人のうちの一人で、そのお礼もいわなければならなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私が東宝に入ったのは、大学のゼミの先輩（当時、演劇部課長で、のちに東宝副社長になる平尾辰夫さん）という人の紹介があったからで、保証人にもなってもらっただけでなく、平尾さんは、同期入社の映画監督森谷司郎さんと製作部長にも保証人になるよう声をかけてくれていたのだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　話が脱線するが、私は、森谷司郎が保証人になってくれているとは知らず、所内で顔を合わせても挨拶することをしなかった。&lt;br /&gt;
　入社2年後の夏、森谷司郎が監督した映画「初めての旅」（主演は、現東映社長の岡田裕介、志垣太郎、島田陽子。まだ無名だった小椋佳の「屋根のない車」ほか多数の曲を劇中歌として使った）に助監督としてついたときに、森谷司郎自身の口から「保証人に挨拶にもこないとは」といわれて初めて知ったことだった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　撮影所の食堂前のベンチで待っているように、といわれた話の続きであるが、私がベンチの方へ行くと、先客が一人いた。派手なストライプ柄のスーツを着たおじさんだった。&lt;br /&gt;
　そのとき私も細いストライプの紺の背広を着ていたのだが、そのおじさんのスーツは、ストライプ幅がやたら広くて、超ド派手だった。&lt;br /&gt;
　顔を見ると、植木等だった。付き人もおらず、たった一人でぽつんと座って、出番待ちしているようだった。&lt;br /&gt;
　あとで知ったことだが、彼は、そのとき撮影中だったサラリーマン物の喜劇「日本一のワルノリ男」（坪島孝監督）に主演していたのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私は、座るときに彼に会釈したかどうかよく覚えていないが、着席後はどちらも黙っていたことだけははっきりと記憶している。&lt;br /&gt;
　おそらく彼は、青白い顔をした私を、新入りの助監督とは思わず、ほかの組に出ている〝ちょい役〟か、〝仕出し〟と呼ばれるその他大勢の通行人役の一人かと思ったかもしれないし、ほかの俳優の若いマネージャーと思ったかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　植木等が私と同じ三重県の出身であることは知っていたので、挨拶の一つもして、同県人であることを話せばよかったと今になって思うが、当時はそんなこともできず、ただ黙って彼と向き合っていた。&lt;br /&gt;
　ほとんど膝を突き合わすような感じだったので、とても気詰まりだったが、私はその場を離れることもせず、結構長い時間、そうやって座っていた。&lt;br /&gt;
　そのやって時間をつぶしていると、製作部長が戻ってきたので、私は挨拶をすませ、そのあと、助監督会の委員をしていた年長の助監督に引率されて、撮影部、照明部、大道具部、小道具部、衣装部、結髪などの各部門を挨拶して回った。&lt;br /&gt;
　私を案内してくれたのは、久松静児監督の息子の久松正明という人で、彼がチーフを務めている映画に翌日から〝助監督見習い〟（フォース）として就（つ）くようにと言い渡された。&lt;br /&gt;
　それが、「奇妙な仲間」だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「奇妙な仲間」の監督は、児玉進。当時43歳だった。&lt;br /&gt;
　児玉進の曾祖父は、明治時代の陸軍大将児玉源太郎である。&lt;br /&gt;
　児玉源太郎は、日露戦争のとき、乃木希典大将が攻略にさんざん手間取ったロシアの要塞「203高地」を、28サンチ砲などの兵器を大量動員してあっという間に陥落させたことで知られる英雄だ。&lt;br /&gt;
　児玉進は、テレビドラマの｢青春とは何だ｣「これが青春だ」を演出し、人気を博したことから、その手腕を評価されて、映画の演出機会を与えられたのだった。&lt;br /&gt;
　映画監督昇進第1作は、「おいろけコミック　不思議な仲間」で、それが比較的好評だったことから、続編の「奇妙な仲間　おいろけ道中」を監督することになった。&lt;br /&gt;
　第一作および続編の主演は、夏木陽介と林与一で、これに女優が絡んだ。第一作がジュディ・オングで、続編が大原麗子であった。&lt;br /&gt;
　脚本は、当時新進の鎌田敏夫と「青い山脈」ほかを手がけたベテランの井出俊郎の共作。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私の助監督初日は、いきなり、朝6時頃の早朝出発で、ロケバスに揺られて芦ノ湖畔方面に出かけた。&lt;br /&gt;
　夏木陽介、林与一、大原麗子が絡む場面のロケ撮影で、そのあと移動してどこかの砂浜（静岡の浜岡砂丘あたり）でも撮影したように思うが、そのあたりの記憶はあいまいである。&lt;br /&gt;
　覚えているのは、前日に「明日は、砂浜での撮影があるから、それにふさわしい格好で来い」とチーフ助監督にいわれ、わざわざビーチサンダルを履いていったら、そんな格好をしていたのは私だけで、慶應大卒のダンディな児玉監督から、「早稲田は、これだからイヤだ」と呆（あき）れ顔でいわれたことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大原麗子は、1960年代半ばに東映映画に何本か出演し、当時すでに売れっ子のスターになっていたが、そういうそぶりは少しも見せず、休憩時間や待機時間に、監督やスタッフに舌っ足らずな甘えるような口調できさくに話す姿に好感がもてた。&lt;br /&gt;
　そのときの感触から、てっきり年上だと思ったのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　仕事の場で彼女と直接口をきいたのは、アフレコルームでだった。&lt;br /&gt;
　ロケ撮影では、街の音や車の音などの騒音を拾ってしまってセリフがキレイに聞こえないので、撮影後に静かな録音スタジオで、同じセリフを録音しなおすのが、アフター・レコーディング、略してアフレコだ。&lt;br /&gt;
　俳優は、スクリーンに映し出されるロケ撮影で自身が演じた映像を見ながら、そのときを思い出して自分のセリフをしゃべるのだが、口の動きに合わなかったりするとNGとなり、何度もやり直さなければならない。&lt;br /&gt;
　そのチェックをするのが、新米助監督である私の役目だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　アフレコが始まる前に、学生時代柔道部だったという久松チーフ助監督から、&lt;br /&gt;
　「彼女はアフレコがあまり得意ではないから、厳しく判定するだぞ。少しでも口の動きがずれていたら、ＮＧを出せ。お前は、口の動きとセリフが合うかどうかだけチェックしろ。あとは監督が判断する」&lt;br /&gt;
　と念を押されていたので、私は、大原麗子が「これでよし」という表情を見せたときも、&lt;br /&gt;
　「（どこそこが）ちょっとズレているので、もう1回、お願いします」&lt;br /&gt;
　などと平然と口にしていた。&lt;br /&gt;
　そういうことを繰り返すうちに、彼女の表情が次第に険しく、不機嫌になっていくのが見てとれた。&lt;br /&gt;
　そして彼女は、&lt;br /&gt;
　「どこが悪いの？　麗子、これ以上は無理」&lt;br /&gt;
　と、唇をとがらせた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　スクリーンの映像をはっきりさせるために、アフレコルームの照明は消してあるが、出演者が脚本のセリフを読めるように脚本を置く台には電気スタンドが取り付けてあった。&lt;br /&gt;
　その明かりが、私に苦言を呈する大原麗子の顔を下から照らしていた。&lt;br /&gt;
　そのときの光のあたり具合が、ちょうど怪談映画のようで、あの美しい大原麗子の顔がとても怖く見えた。&lt;br /&gt;
　今考えると、向かい合った私の顔にも下からライトが当たっていたわけで、彼女も「怖い!」と思ったに違いなかった。&lt;br /&gt;
　当時コンタクトレンズをしていた私の目は、仕事が終わったあと、寮に戻って夜中の2時、3時までシナリオを書いたり、読書をしたりしていたので、寝不足が重なって白目が充血していたに違いなく、その恐ろしさは彼女の比ではなかったろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　チーフ助監督は、それ以上、彼女の機嫌を損ねてはいけないと思ったのか、金魚鉢と呼ばれるブースの向こうから、&lt;br /&gt;
　「今のはキープしますから、もう1回、お願いします」&lt;br /&gt;
　と助け舟を出したので、大原麗子は表情をふっとゆるめて、もう1回トライする気になった。&lt;br /&gt;
　そのときもセリフとスクリーンの口の動きが少しズレていたが、私は彼女が気の毒になって、両腕を頭上で丸の字にした。&lt;br /&gt;
　ややあって、金魚鉢から、&lt;br /&gt;
「ＯＫです」&lt;br /&gt;
　という返事が返ってきた。&lt;br /&gt;
　彼女は、顔に美しい笑みを浮かべ、&lt;br /&gt;
　「お疲れさまでした」&lt;br /&gt;
　と私に礼儀ただしく挨拶してアフレコルームを出、金魚鉢にいる監督に挨拶してから帰っていった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　彼女が亡くなったと聞いたとき、私は、このようなことを思いだしたのだった。&lt;br /&gt;
　39年も前の出来事だが、ついこの間のように思える。&lt;br /&gt;
　彼女の冥福を祈りたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-10-21T08:40:50+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-8f5c.html">
<title>金スマＳＰ（南田洋子の認知症恢復）は、巧妙に計算された番組だった</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-8f5c.html</link>
<description>　TBSテレビが、昨晩（2009年10月9日午後9時～）「金スマＳＰ(スペシャル...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　TBSテレビが、昨晩（2009年10月9日午後9時～）「金スマＳＰ(スペシャル)」で、南田洋子の認知症(＝痴呆症)に改善が見られるという話を、夫である長門裕之の〝極道人生〟を彼女がいかに健気（けなげ）に支え続けてきたかという〝お涙ちょうだいストーリー〟と重ねて、再現ドラマを交えながら紹介した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この番組を放送する3日前に、長門裕之から、南田洋子が正気を取り戻しているとＴＢＳに連絡があったので、急遽（きゅうきょ）、その映像を撮影して、番組に入れ、これが全編のコア(核)となっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その映像で見ると、半年近く前にテレ朝が映し出した「正視にたえないほど老（ふ）けて、変わり果てた南田洋子」というイメージとはまるで別人の「生き生きとした南田洋子」であった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　今年の4月20日にテレ朝が「ドキュメンタリ宣言」という番組で見せた南田洋子は、髪ふり乱し、自分が誰であるかさえわからない症状に陥っていた。この番組は、その半年前の2008年11月3日に同枠で流した南田洋子の認知症をテーマにした「第２弾」というか、「続編」として制作された。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　なぜ続編を作ったのかといえば、第１弾が22％を超える高視聴率をあげたからである。&lt;br /&gt;
　しかし、テレ朝の撮影クルーは、第2弾では、痴呆状態で意思の疎通を欠く南田洋子と彼女を介護する長門裕之を追いかけて、美しさを売り物にする「女優」という職業にあった女性が、本来、人様には見せるべきではない衝撃的な姿を放映し、視聴者から激しい非難を浴びた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その放送で問われるべきは、&lt;br /&gt;
「彼女が正気であったなら、そんな状態になった時の姿が全国放送されることを認めたかどうか」&lt;br /&gt;
　という判断・配慮が抜け落ちていた点である。&lt;br /&gt;
　彼女が元気だった頃に出演した映画やＤＶＤを見て、数多くの人々がその映画や彼女に抱いていた心情や思いを無残に踏みにじったという点への配慮のなさもあった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　私も、当ブログで、&lt;br /&gt;
　「女優という夢を売る商売をしている女性の、気の毒で残酷な姿・醜態を他人の好奇の目にさらすな」&lt;br /&gt;
　と非難した。&lt;br /&gt;
　「女優であっても人間」&lt;br /&gt;
　という人もいるだろう。だが、女優という職業を選んだ以上、そのイメージを崩すようなことはしてはならないのだ。&lt;br /&gt;
　わかりやすい例を出そう。たとえば、晩年の石原裕次郎や美空ひばりが、認知症になったと仮定した場合、その姿を見たいと思う人がいると思うか。もしそうなったとしても、そういう姿は見せないでほしいと願うはずだ。&lt;br /&gt;
　石原裕次郎は「タフガイ」というニックネームやテレビドラマ「西部警察」で「ボス」と呼ばれていた役どころどおり、死ぬまでタフな男でいてほしいと人々は願ったし、美空ひばりに対しても、大病から復帰した直後のコンサートで、苦痛を感じさせない歌いっぷりを見せたから、「永遠の裕次郎」「永遠のひばり」として、今も人々の心のなかに生き続けているのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そういうイメージを南田洋子の夫である長門裕之は、まったく理解していなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　さて、今回のＴＢＳの金スマＳＰ(スペシャル)で映し出された南田洋子についてだが、3日前の彼女として映し出された映像は、テレ朝の第2弾でのイメージとあまりに違うので、番組を見た人は、例外なく、びっくりしたはずである。髪はきちんと整えられ、表情も引き締まり、目が生き生きとして、言葉づかいもはっきりし、ジョークまで口にしたていたのだから。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そのとき私の頭をかすめたのは、「まだらボケ」という言葉だった。認知症には、「ずっとボケっぱなし」の場合と、「ときどきボケる」場合と、「ときどき正気に返る」場合の3通りあるが、「南田洋子は3日前に正気に返ったのではないのか」ということだった。&lt;br /&gt;
　番組中では、「長門裕之から連絡があって、自宅を訪ねることになった｣という意味のナレーションが〝さらっと〟語られる。&lt;br /&gt;
　それを聞いて、私は、「たまたま3日前に正気づいただけなのではないのか」と疑った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　認知症の看病のしんどさ、老人介護で家族にかかる負担の想像以上の大きさ・重さは、実際に体験した人だけでなく、そういう話を聞いたり、本で読んだりして、かなりの人が知っている。&lt;br /&gt;
　私自身も、父の介護で母や妹が倒れたので、その大変さはわかっているつもりだが、父の存命中に、もしどこかのテレビ局が「家族に迷惑をかけている父の姿をテレビで放送したい」と申し入れてきたとしても、私や母や妹は断っていただろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　（父は認知症ではなかったが、要介護4であった。要介護度は5段階あり、一番重いのが5で、父はその次だった）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私の父は教師だったから、たくさんの教え子がいる。&lt;br /&gt;
　もし仮に父が認知症に陥っていたとしても、教師だった人間には尊厳というものがあるし、教え子たちの思い出のなかにある父の元気な頃のイメージを私は壊したくはないし、父もそう願うであろうから、父の老いさらばえた姿を他人に公開したいとは絶対に思わない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　南田洋子は、演技派というよりは、美しさや聡明さを売り物にしていた大女優である。そのイメージを壊したり、覆すようなことを、家族はしてはならないのではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今回の「金スマＳＰ」のスポンサーは、トヨタ、ＮＴＴドコモ、資生堂、ロッテ、Ｐ＆Ｇなど、そうそうたる一流企業群である。&lt;br /&gt;
　これらの大企業は、半年前のテレ朝番組への批判の声を知っていて、番組に注文を出しているはずである。内容次第では、企業イメージに傷がつくだけでなく、下手をすると企業批判までされかねないからだ。&lt;br /&gt;
　その点、ＴＢＳは、これらの大スポンサー様のご機嫌を損なわないよう最大限の注意を払い、その結果、番組は、用意周到、批判が起きないように、実に巧みに作られていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「医者は、彼女の恢復ぶりについて、どう診断しているのか。知りたい」&lt;br /&gt;
　と思いながら私はテレビを見ていたが、なかなか医師が登場しなかった。&lt;br /&gt;
　医師は、最後の方にちょっとだけ登場し、「肝臓が原因の認知症は、肝臓が治っていくと症状が改善される」というだけであり、それに続いて、&lt;br /&gt;
　「認知症は、進行する」&lt;br /&gt;
　というニュアンスのナレーションを、番組の終わり間際に、申し訳程度に付けたしていた。&lt;br /&gt;
　要するに、ＴＢＳは、番組全編を通して、夫婦愛を強調し、元気になっている姿を巧み随所に挿入することで、&lt;br /&gt;
　「南田洋子は、ちょうど3日前に偶然、正気づいただけじゃないのか」&lt;br /&gt;
　と疑わせないように演出する一方で、&lt;br /&gt;
　「南田洋子は、治ったんだ、恢復したんだ」&lt;br /&gt;
　と思わせるような演出をしていながら、「認知症は、進行する」と逃げを打っているのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「テレ朝のような失敗・愚はおかすまい」&lt;br /&gt;
　とのＴＢＳの思惑に、どれだけの視聴者が気づいたろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　3日前以前の元気な姿の映像が、なぜないのか!?&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今回の番組は、視聴者の反応（同情・反論など)をすべて予想し、再現ドラマを多用するなど、計算しつくした構成・演出がなされており、その点では、(多少の皮肉を込めて）非常によくできたドキュメンタリー番組だったということができる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;(城島明彦)&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-10-10T02:27:09+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-411b.html">
<title>「五輪選考は政治的」と石原都知事、当たり前のことをいうな！</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/post-411b.html</link>
<description>　 「五輪選考には、目に見えない政治的な動きがある」 　と、石原慎太郎都知事が帰...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　 「五輪選考には、目に見えない政治的な動きがある」&lt;br /&gt;
 　と、石原慎太郎都知事が帰国会見でいったとさ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　何をトボケたことをいっている。&lt;br /&gt;
　きれいごとでオリンピックを誘致できると思っている人間が、何人いるのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　スペインが「マドリッド」に誘致しようとしたことを例に引かなくても、オリンピックに政治が絡むのは常識。&lt;br /&gt;
　「1992年にバルセロナで開催しておきながら、またスペイン？」&lt;br /&gt;
　と考えるのが、常識人の発想。&lt;br /&gt;
　マドリッド誘致の中心人物は、サマランチ。1980～2001年までＩＯＣ（国際オリンピック委員会）の会長を務めた〝妖怪人間〟である。&lt;br /&gt;
　ＩＯＣには、まだまだ彼の子分や息のかかった者が大勢いる。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　ベテラン政治家の石原都知事が、そんなことを知らないわけがない。&lt;br /&gt;
　戦況も読まず、敵（ライバル国）の手のうちも知らずに、徒手空拳（としゅくうけん）で戦（いくさ）に臨んだということか。&lt;br /&gt;
　そういうのを「戦費の無駄づかい」といい、敗れたことを「犬死」という。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　沈黙は「金」。誘致失敗の醜い弁解は、みっともないし、聞きたくもない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-10-04T19:20:19+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/2016-03fc.html">
<title>2016年夏季五輪落選は〝ひとり相撲〟で、税金の無駄づかい！</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/10/2016-03fc.html</link>
<description>　2016年夏季五輪は、ブラジルのリオデジャネイロに決まったが、下馬評どおり、日...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　2016年夏季五輪は、ブラジルのリオデジャネイロに決まったが、下馬評どおり、日本は最下位票しか獲得できなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　個人的には、オリンピックを東京へ誘致すること自体には賛成だが、開催時期というものがある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　東京オリンピックが開かれたのが1964年で、それから半世紀以上経つのだから、十分開催資格はあると単純に考えたのだろうが、日本の隣の北京でやったオリンピックの印象が世界中の人たちの記憶のなかにまだ鮮明に残っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　北京五輪は2008年、その前の韓国のソウル五輪は1988年。同じアジアの近隣国での開催は、20年間がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　とすれば、東京で開催できる可能性があると思えるのは、北京五輪から20年後の2028年以降。まだまだ先の話である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　候補地として名乗り出ていた「マドリッド」を、どう思ったか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　バルセロナ五輪は、1992年。今年はそれから17年経つが、それでも世界の人は、&lt;br /&gt;
「バルセロナでついこの間、開かれたばかりじゃないか。おまえら、どういう感覚をしているのか」&lt;br /&gt;
　と思ったはず。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　2016年はバルセロナ五輪から24年後ということになるが、感覚的には、「つい、この間」という印象が強く、しかも「同じ国で」ということになると、もっと期間をおかないといけないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　しかし、当事者は、そういうことすら見えていなかったのだから、ピエロだ。裸の王様だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　東京都が、日本が、今回やったことは、それと同じ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「状況判断」などという大げさな言葉を使わなくても、そういう常識的なことを考えれば、立候補しても、選ばれる可能性はきわめて低いということはわかったはず。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　日本の誘致委員たちが、どう見てもダサイとしかいいようのない〝ドブねずみ色〟の制服を着て、パッとしない演説をしても、下馬評を覆す可能性などなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　無謀。誘致運動のために、一体、いくらかけたのか。「税金の無駄づかい」の一言につきる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　この始末、どうつける!?&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-10-03T15:51:43+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/09/post-171c.html">
<title>力士は全員、朝青龍にならって、勝ったら、土俵上で万歳やらガッツポーズしよう！</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/09/post-171c.html</link>
<description>　大相撲秋場所千秋楽で、白鵬が朝青龍をぶん投げて、ともに14勝1敗となり、優勝決...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　大相撲秋場所千秋楽で、白鵬が朝青龍をぶん投げて、ともに14勝1敗となり、優勝決定戦にもつれこんだが、今度は朝青龍が底力を見せて、白鵬を土俵に転がし、優勝した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「なんのかんのいっても、朝青龍は強いな」&lt;br /&gt;
　と思っていると、朝青龍、土俵上で、観客に向かって両手を上げた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　テレビ観戦していた相撲をよく知るファンの多くは、その姿を見て、不快感を抱いたはずだ。&lt;br /&gt;
「プロレスじゃないぞ」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　かつて、貴乃花が大けがをしながら、武蔵丸を下して優勝を決めたとき、鬼のような形相をしたが、彼はガッツポーズも、バンザイもしなかったし、観客に両手をあげて観客の歓呼の声に応えるようなこともしなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それが、勝利した力士のあるべき姿なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　朝青龍が両手をあげたとき、ＮＨＫのアナウンサーが、「勝負は強かったですが、その後が……」と言葉尻を濁し、解説者の北の富士も「あれはよくないね」と申し訳程度に付け加えた。&lt;br /&gt;
　それで終わり。アナウンサーも北の富士も、なぜもっと激しく叱りつけないのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　力士が土俵上でガッツポーズをしたり、両手をあげたり、何か発言したりすることは「禁止」されているはず。&lt;br /&gt;
　罰金とか処分とかはないのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　したい放題やって、日本の国技・伝統をコケにし続ける朝青龍。&lt;br /&gt;
　そういう奴を倒せない日本人力士も、情けない。&lt;br /&gt;
　だが、こんな奴は、いくら強くても、まともな相撲ファンは認めないぞ！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　相撲協会が朝青龍に何のお咎めもしないのであれば、他の力士も、これからどしどしガッツポーズをし、両手をあげたり、バンザイしたらどうか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-09-27T21:35:49+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/09/post-ec28.html">
<title>ボクサーの亀田興毅は、スポーツ選手にあらず！</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/09/post-ec28.html</link>
<description>　ボクシングの世界フライ級チャンピオン内藤大助の次回戦（2000年11月29日）...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　ボクシングの世界フライ級チャンピオン内藤大助の次回戦（2000年11月29日）の対戦相手が亀田興毅に決まって、24日に記者発表があった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　その模様がテレビニュースでも流れたが、興毅は、まったく成長が見られず、相変わらず、言葉づかいがなっていなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　興毅はもうじき23歳になるというが、内藤はちょうど一回り上で35歳。&lt;br /&gt;
　内藤が23歳のとき、興毅は11歳で小学生という計算になる。&lt;br /&gt;
　内藤から見たら、完全なガキである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　にもかかわらず、興毅は、世界チャンピオンである内藤に対し、年下に使うような乱暴な言葉づかいを散々した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　スポーツの世界で、後輩が先輩にそんな口を聞く選手がどこにいる？&lt;br /&gt;
　街のチンピラでも、先輩には敬語を使う。ましてや、興毅はスポーツマンの端くれだ。&lt;br /&gt;
　先輩や年長者に対しては、敬語を使え！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そういう姿をテレビで見て、「彼のようになりたい」とあこがれる少年がいると思うか?&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　興毅が、もし一回り年齢が下の小学生から同じような言い方をされたら、どう思うのか。&lt;br /&gt;
　そういうところまで考えが及ばない、そのレベルの人間としか思えない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　興毅は、ボクシングというスポーツの評価を確実に落とした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　周囲のものが注意して直すようにしていけば、聞いている第三者が不快になるような口の聞き方などしないのだろうが、父親をはじめ、彼の周囲にいる人間が非常識極まりない連中ばかりなのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　興毅は、完璧に人間失格、スポーツマン失格だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　興毅が35歳になっったとき、万が一にもボクシングを続けていられたと仮定して、そのとき、一回りも下のガキから、年長者を年長者とも思わぬ言葉づかいをさせたら、どう思うか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　いや、そうことすらわからないオツムの程度だから、世界チャンピオンに対してすら、キチンとした言葉づかいができないのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　こういう選手は、一刻も早く、ボクシング界から抹殺されることを願うのみだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-09-26T19:23:09+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/09/post-5515.html">
<title>雅山の右耳に張り手で勝った〝史上最低品格横綱〟朝青龍</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/09/post-5515.html</link>
<description>　朝青龍の品格のなさは、横綱として史上最低。 　朝青龍は、性根が腐っている。 　...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　朝青龍の品格のなさは、横綱として史上最低。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　朝青龍は、性根が腐っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もし対戦相手が、連日、朝青龍に張り手をかましたら、朝青龍は怒って相手をにらみつけるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　常識的にいって、下位力士は、最高位の横綱に対して遠慮して張り手をかまさない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それをいいことに朝青龍は、対戦相手に張り手を連発する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　こんな卑怯な横綱がどこにいる？　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　横綱の張り手は一種のパワーハラスメントなのだ！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　相手構わず張り手を連発した横綱が過去にいたか？　いたら教えてほしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大相撲秋場所3日目。朝青龍は、前頭筆頭の雅山相手に、立ち合いざま、左手で顔面に張り手を一発かました。と、その直後、雅山の体が前に落ちた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　耳を殴られ、一種の脳震盪（のうしんとう）のような感じになったのではないか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　こういうことをしなければ勝てないのか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　朝青龍と対戦する力士は、同じ負けるにせよ、今後、張られる前に朝青龍の耳に張り手を食らわせてやったらどうか！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）、&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-09-16T01:27:55+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/08/150-5533.html">
<title>横浜開港150周年記念本『横濱幻想奇譚』(ぶんか社文庫）</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/08/150-5533.html</link>
<description>　横浜開港150周年を記念して書き下ろした『横濱幻想奇譚』(ぶんか社文庫）、好評...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　横浜開港150周年を記念して書き下ろした『横濱幻想奇譚』(ぶんか社文庫）、好評発売中。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　開港150周年・横濱……この場所には幻想奇譚（ファンタジックミステリー）がよく似合う！(帯のコピーより）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;img alt=&quot;Photo_7&quot; title=&quot;Photo_7&quot; src=&quot;http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/08/19/photo_7.jpg&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;(城島明彦）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-08-19T18:19:33+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/08/post-3c4a.html">
<title>『横濱幻想奇譚』（ぶんか社文庫）が本日発売になりました</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/08/post-3c4a.html</link>
<description>　今年が横浜開港150周年に当たり、私も東京から横浜に移り住んで25年ほどになる...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　今年が横浜開港150周年に当たり、私も東京から横浜に移り住んで25年ほどになるので、それを記念して、横浜を舞台にした小説を書きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　当初は、怪奇小説にするつもりでしたが、編集者の小川将司さんの要請もあって、恐怖色を排し、ファンタジックでロマンチックなものにしました。タイトルは、彼がつけました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「たそがれホテル」は、伊勢佐木町にあった古いホテルの通称という設定ですが、これは架空のホテル。&lt;br /&gt;
　サンフランシスコでシーフードレストランを営む日系二世が、生まれ故郷の横浜にやってきて、自身の出生の秘密や父母の秘密を知っていく話に、恋愛が絡み、謎が謎を呼んでいきます。さて、ラストは？　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「外国人墓地の首」は、雑誌社で働く若い男女が、外国人墓地に埋められた首のない謎の人物を特定する話です。彼らが証明した墓の埋葬者は、意外も意外、日本史上に残る大人物であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「封印」は、知り合いのオートバイレーサーが行方不明になり、彼の恋人の依頼で、夕刊紙の横浜支局に勤める若手記者が、謎のメッセージを解明していく話。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「横濱ステーションの陸蒸気（おかじょうき）」は、不思議な赤い糸で結ばれた、明治と平成の恋人たちをめぐるロマンチックでミステリアスなラブストーリー。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　定価は、税込み630円。ご一読ください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/08/14/photo_2.jpg&quot; onclick=&quot;window.open(this.href, &#39;_blank&#39;, &#39;width=240,height=240,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0&#39;); return false&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;Photo_2&quot; title=&quot;Photo_2&quot; src=&quot;http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/images/2009/08/14/photo_2.jpg&quot; width=&quot;100&quot; height=&quot;100&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;※写真をクリックすると、少し大きな画面でご覧いただけます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）&lt;br /&gt;
　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-08-05T15:04:15+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/07/post-78b8.html">
<title>「張り手連発」の朝青龍は、横綱の資格なし！　早期引退を望む</title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/07/post-78b8.html</link>
<description>　「横綱の品格」 　という言葉とは縁遠い存在。 　それが朝青龍だ。 　誰が何回い...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　「横綱の品格」&lt;br /&gt;
　という言葉とは縁遠い存在。&lt;br /&gt;
　それが朝青龍だ。&lt;br /&gt;
　誰が何回いっても、わからないようだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大相撲名古屋場所14日目(7月25日)。優勝争いから早々と脱落している朝青龍は、琴欧州と対戦した。&lt;br /&gt;
　琴欧州は大関、しかも横綱白鵬と優勝争いをしている。&lt;br /&gt;
　（そういう相手に、まさか張り手はしないだろう）&lt;br /&gt;
　そう思っていたら、案に相違して、右手で強烈な張り手を放った。&lt;br /&gt;
　テレビカメラのマイクはそのときの音を拾っていた。&lt;br /&gt;
　バシッではなく、ガシッというような、すごい音がし、琴欧州のでかい顔が大きく横を向いた。&lt;br /&gt;
　激しい衝撃があったはずだが、琴欧州は、それをものともせず、いとも簡単に朝青龍を土俵外に葬り去った。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　朝青龍は、志が低い。低すぎる。&lt;br /&gt;
　張り手をしなかった取り組みのほうが少ないのではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「張り手｣を使わないと勝てないのかもしれない。&lt;br /&gt;
　これだけ頻繁に使うと、そう思えてくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「横綱相撲」&lt;br /&gt;
　という言葉を朝青龍は知らないようだ。&lt;br /&gt;
　連日連夜の「張り手」をしても、横綱として恥ずかしいと思っていないのだろう。&lt;br /&gt;
　見ているこちらが恥ずかしくなってくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　何のつもりで、相手かまわず、連日の取り組みで、張り手をかますのか？&lt;br /&gt;
　まともにやっては勝てないと思っているなら、サッサと引退せよ。&lt;br /&gt;
　日本の国技を汚す人間は、相撲界から一刻も早く去れ、といいたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　朝青龍は強いのだから、張り手など使うな。&lt;br /&gt;
　封印せよ！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　張り手は、れっきとした相撲の技の一つではあるが、毎日毎日、立ち合いで張り手を繰り出す横綱が、どこにいる！&lt;br /&gt;
　もはや、「くせ」「習慣」になってしまっている。情けない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　勝つために何をやってもいいのは、下位の力士だけだ。&lt;br /&gt;
　たとえ立ち遅れても、堂々と受けて立ち、相手を一蹴する。&lt;br /&gt;
　それが横綱というものだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　張り手のどこが悪い、と朝青龍が開き直るなら、こう尋ねたい。&lt;br /&gt;
　「連日、立ち合いで変わったり、引き落としを連発したり、けたぐりばかり繰り出す横綱がいたら、どう思うか」と。&lt;br /&gt;
　張り手は、それと同レベルの、横綱が連発してはいけない技だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　それくらいことを、横綱なら理解しなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　NHKの相撲解説者やアナウンサーも、そのことをもっと厳しくいうべきだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花といった名横綱の誰が、相手かまわず張り手を連発した？ &lt;br /&gt;
　日本の大相撲史を飾った歴代の横綱のなかで、誰がいる？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt; (城島明彦)&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-07-26T16:17:56+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/07/cm-66ff.html">
<title>草彅剛は、なぜ簡単に「地デジCM」のキャラクターに復帰できたのか？　裏で何があった？ </title>
<link>http://ohkowa-omosiro.cocolog-nifty.com/kotyabannba/2009/07/cm-66ff.html</link>
<description>　芸能界は甘い。甘すぎる。 　逮捕されはしたが不起訴となったものの、草彅剛は「チ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　芸能界は甘い。甘すぎる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　逮捕されはしたが不起訴となったものの、草彅剛は「チン出し」というハレンチなことをやらかして、あれだけ世間を騒がせておきながら、再び「同じイメージキャラクター」として復帰できるとは、一般人の感覚では理解しがたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一度、事件を起こし、企業イメージを傷つけて、CMキャラクターから降ろされたら、二度と復帰はありえない。&lt;br /&gt;
　それが広告業界の掟であり、常識ではなかったのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　草彅が無償で出演するという話になっているが、「タダだから、いいだろう」という理屈にはならない。&lt;br /&gt;
　「恩返し」「おわび」&lt;br /&gt;
　というのは当事者間だけの問題であって、第三者たる一般人の感覚ではない。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　私は、個人的には、タレントとしての草彅剛を嫌いではないが、それとこれとは別。ケジメはケジメとして、きちんとつけないと、「前例」となってしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そういう悪例を、NHKおよび民放各社は、つくってしまったのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　NHK単独なら、おそらく、こういうことはしなかっただろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　民放一社だけでも、同様だったろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　そこに、「みんなで渡れば怖くない」的な、怖さが潜んでいるといえはしまいか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「草彅が許されたのだから、今度の誰それだって、ほとぼりが冷めたら、また出せばいい」&lt;br /&gt;
　そういうことになっていく危険性をはらんでいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　「たとえ不祥事を犯しても、人柄がよくて、反省しさえすれば許され、いとも簡単に復帰できるのか」&lt;br /&gt;
　という問題も浮上する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もし彼が群小芸能プロダクションに所属していたなら、復帰などありえない話だったろう。&lt;br /&gt;
　彼がNHKはじめテレビ各局に多大な影響力を持つ「ジャニーズ事務所」に所属しているからだと疑わざるをえない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　企業のCMに起用されていた芸能人で、何か事件や騒ぎを起こして、そのCMを降ろされた者が再び同じ企業の同じ商品のCMキャラクターとして、事件からそう遠くない日に再び採用されたことは、過去に例がないのではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　もし誰かいたなら、その芸能人の名前と起用した企業・商品名を教えていただきたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（城島明彦）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>城島明彦</dc:creator>
<dc:date>2009-07-23T17:25:15+09:00</dc:date>
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