2008/07/16

文庫本のカバーと帯は、どうつくる?(『怪奇がたり』の例)

 7月新刊の城島明彦『怪奇がたり』(扶桑社文庫)の表紙(カバー)です。クリックすると拡大できます。

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 本の表紙の絵やイラスト、タイトルを決めるのは、出版社の編集者の仕事です。

 本文の見出しの大きさ、一行あたりの文字数、一ページの行数、活字の大きさも、編集者が決めます。

 本に巻かれる帯の文章も、編集者が書きます。

 本のカバーの裏表紙には、編集者が作品のなかで一番印象的と思った個所が、次のように抜粋してあります。

  …ある夜、何かが顔面に触れた。髪の毛だった。
  覆いかぶさるようにして、岡野を頭のほうから覗きこんでいたのだ。
  髪は生き物のように蠢(うごめ)き、指に絡みついてきた。
  岡野が手を引くと髪がごそっと抜け、佳乃子の姿はかき消えた。
  (夢だったのか)と思ったが、佳乃子のものとしか考えられない数十本の
  毛髪が右手にしっかりと握られ、髪の根元に血にまみれた頭皮までくっついていた……
  岡野は全身に鳥肌が立つのを感じた。      (「顔」より)

 『怪奇がたり』の帯は、「怪奇」という色と同じ紫色で、そこには次のように書かれています。

  読んでしまったら
  一人では
  眠れない!
  あなたのすぐ
  近くにある
  怖い話。

 文字の色は、「怖い話。」のところだけが黒で文字サイズも大きくなっていますが、それ以外は白抜きです。

 帯の裏表紙のところの色は白で、そこには、同じ扶桑社から去年出た『恐怖がたり42夜』の帯つきの写真が載っています。

 「『怪奇がたり』を読んだら、これもぜひ」というPRですね。

 ついでに、『恐怖がたり42夜』のカバーの裏表紙に載っている文章を紹介しましょう。

  …黄泉比良坂(よもつひらさか)に静けさが戻ると、点滅する淡い黄緑色のイルミネーションが暗闇のなかに浮かび上がった。
   おびただしい数の源氏ボタルが群がって創り出した神秘的な〝人形(ひとがた)をしたイルミネーション〟は、秋吉と夏帆の半焼けの死体のほかに、もう一体あった。
   二人の間に横たわる、首にへその緒を巻きつけた小さな肉塊であった。 (「第1夜 「黄泉比良坂」より)

 まだ読んでいない人で、 「もしかしたら、面白いかもしれない」と思った方は、ぜひどうぞ。

(城島明彦)

2008/07/11

小説家を目指す方は、ぜひお読みください

 怪奇短編小説集『怪奇がたり』(扶桑社文庫)が、発売になりました。

 小説家志望の方は、ぜひご一読ください。

 短編小説の書き方がよくわかるのではないでしょうか。

 昨年出版された『恐怖がたり』(扶桑社文庫)が、掌編(ショートショート)を42話集めたものだったのに対し、今回の本は、短編9話です。

 日本推理作家協会賞を受賞されている文芸評論家の長谷部史親(はせべふみちか)さんが、解説を書いてくださっています。

 本に収載された短編は、次の9編です。

  首塚

  骨

  記憶

  鈴

  呪殺(じゅさつ)

  髑髏盃(どくろはい)

  手毬(てまり)

  顔

  人形

 極言すると、小説のテーマは、恋愛物にしろ、推理物にしろ、ほとんど書きつくされています。 

 「首塚」「鈴」「人形」といった怪奇物のテーマも同様です。

 そういうテーマで、どうやったら独自色が出せるか、それまでにない話に仕立て上げられるかが、勝負です。

 小説家を目指している人、新人賞を取りたい人が心がけるべき第一の点は、オリジナリティ(独創性)です。

 ごくありふれたテーマであっても、オリジナリティがあれば、注目されます。

 意外なストーリー展開や意外な結末も必要です。
 
 小説の基本は、「掌編」づくりや「短編」づくりにあります。

 どんな分野にもいえることですが、「基本」をないがしろにしたものに、ろくなものはありません。

 大リーガーのイチロウの変則打法も、基本がきっちりできているからこそ可能なのです。

 ピカソの少年時代の絵を見たことがありますか。そのデッサン力の確かさ、色使いの巧みさ、構成力のすごさに驚いてしまいます。

 昨夏出た『怪奇がたり』の掌編42話は、そういうことを意識しながら書きましたので、掌編を書こうとする方には、テーマの処理の仕方、文体、ストーリー展開の仕方、結末をどうするかといったことなどで、参考になろうかと思います。

(城島明彦)

2008/06/30

角川いつかさんの本

 作家の角川いつかさんから写真が何枚か送られてきた。

 去る18日に、彼女の出版記念会パーティーで開かれたが、その会が終わった後、角川さんを含めた9人で同じ建物にある喫茶店へ行き、長時間、だべった。

 メンバーは、彼女の本『ハッピィールール-出逢いの星があなたを変える』を出版した菊池夏樹さん(文藝春秋を定年退職し、今はジュリアン出版の会長)、同じく、『わしづかみにする交渉術』を出版したリーダーズノートの社長ほかである。

 角川さんの本は、タイトルがいい。

 『非情な男ほど、なぜもてる?』(主婦の友社)、『成功する男はみな、非情である』(だいわ文庫)、『出逢いのバイブル 運命の五人』(ぶんか社文庫)、『別れたほうがイイ男、手放してはいけないイイ男』(PHP研究所)など。

 これらのタイトルを見て、

 「あひゃっ、俺はお呼びじゃないんだね」

 などと嘆く男もたくさんいるはず。そういう女運の悪い男に、(自分のことは棚上げして)オススメするのは、

 『男を上げる とびっきりのイイ女 男を下げる とんでもナイ女』(ぶんか社)

 いわゆる、「あげまん」「さげまん」というやつですな。

 石原裕次郎が主演した映画に「嵐を呼ぶ男」というのがあるが、「幸運を呼ぶ女」「幸福を呼ぶ女」というのは確かにいる。しかし、その逆の女も、またいる。

 勉強になりますぞ、ご同輩! 
 
(城島明彦)

2008/06/27

ものを知らない編集者の増殖を嘆く

 「何枚で書けばいいのか」

 と尋ねると、怪訝な顔をする〝ものを知らない編集者〟が近年増殖傾向にある。

 かれらは「枚数」ではなく、「字数」でいうのが当たり前、と錯覚しているようで、

 「5万字」
 
 と答え、なぜ枚数でいうのか、と不審そうな顔をする。

 ビジネス文書の延長で、小説や随筆の原稿を考えているらしい。

 400字とか1000字といったような少ない枚数ならわからなくもないが、何万字、何十万字などという言い方を平気でする神経はまともではない、としかいいようがない。

 「枚数と字数の両方をいう」のならわかるが、「小説を字数だけでカウントする」のはおかしい。

 「1000字小説」などと銘打っているようなケースは例外。

 原稿用紙の基本は「20字×20行=400字」の400字詰め原稿用紙。(映画の場合は、200字詰めが基本)

 原稿用紙は、元来、枚数で数えるもの。原稿の数え方は、「一枚、二枚……」だ。
 
 「3万字でお願いします」といわれたら、作家は面食らう。

 頭のなかで、割り算をすることになる。

 (3万÷400=75枚か)

 二度手間(にどでま)になる。

 枚数でいわれると、どれくらいの長さのものを書けばいいのか即座にわかるが、10万字だの30万字だのという大きな数字を口にされても、ピンとこない。

 いきなり大きな字数を口にする編集者は、そのあたりの基本的なことが抜けているということになる。
 
 字数計算を軽んじていいというのではない。

 雑誌や本を編集するときのことを考えて、いきなり字数をいうのかもしれないが、そういう計算は、自分たちがやればいいのであって、原稿を依頼した相手に、そういう言い方はすべきではない。

 原稿をパソコンで書き、原稿用紙のマス目が必要なくなった時代であっても、編集者は、そういった基本的なことをわきまえていないといけない。

 私がワープロを初めて使ったのは、今から25年も前だ。現在はパソコンのワード原稿で書いているが、1ページ400字で書くと、スカスカになるし、全体を眺めづらいことから、「一ページにつき、40字×40行=400字詰め原稿用紙にすると4枚」で書いている。

 たとえば、5ページめの原稿を書いているとすると、その数字に4を掛けたらいいわけで、

 「今、20枚だな。あと残り4枚か。そろそろ、結末に入らないといけないな」

 と計算できる。

 広告業界では、デザインやレイアウトを重視するために、早い時期から「何字」といってきたが、それはそれ。

 新聞や雑誌のように、一行の字数が決まっている場合、その字数を告げて「何枚でお願いします」という言い方はある。

 そうしたことをわきまえた上で、字数をいうのならいいが、そういうことすら知らず、大きな字数をいきなり口にするのは、まともな編集者ではない。

 邪道がまかり通り、それをおかしいと思わない神経の者が増殖しているのは、嘆かわしいことだ。

 (PR) 城島明彦著 短編小説集『怪奇がたり』(扶桑社文庫)7月半ば発売

(城島明彦)

2007/08/28

ないようでありそうな怖い話

 「ないようでありそうな怖い話」という見出しで、「週刊ポスト」(9月7日号)に、カバー写真入で『恐怖がたり42夜』の紹介記事が載りましたので、引用します。
 「ブックレビュー」の「時間を忘れる文庫ガイド」のところです。

 ある作家のもとに届いた手紙。そこには106歳で亡くなった男が母から伝え聞いた曾祖母の不思議な話が記されていた。
 曾祖母はなんと1000年以上生きた小野小町であり、その「不老不死」には衝撃的な秘密が隠されている、と……(第7夜 小野小町)。
 携帯サイトで人気を博した短編怪奇小説42話を収録。(芸)

(城島明彦)  

2007/08/24

夕刊フジに書評が載りました

 8月23日売りの夕刊フジに拙著『恐怖がたり42夜』の書評が掲載されました。

 とても好意的に書いてもらっており、「感謝」の一言です。

 『恐怖がたり42夜』は、昨年夏から秋にかけて、ケータイライブドアで連載したショートショート(掌編小説)に加筆したものです。

 今年は9月6日夜から、また、ライブドアのケータイ小説として新しい怪奇物を連載しますので、ご期待ください。

 今回は、ケータイ小説初のスポンサーがつきました。

 詳細については、また本ページで紹介します。 

(城島明彦)

2007/08/08

文庫本『恐怖がたり42夜』のPR

 最近は「本当にあった怖い話」が受けているようですが、小説(フィクション)の怖い話はいかがでしょうか。

 7月末発売の『恐怖がたり42夜』(扶桑社文庫)には、掌編小説のジャンルに入る怖い話が42話はいっています。

 怖いといえば、それらの話は昨年、ライブドアのケータイ小説として発表されましたが、連載が終わってその数を数えたら、42話になっていたので、ぞっとまではしませんでしたが、「不思議なことがあるもんだ」と思ったものです。
 
 こういうことって、気づいていないだけで、誰にもあるはずです。

 私の場合、大学受験のときの第一志望の大学の受験番号は、忘れもしない「444」でした。
 
 郵送されてきた受験票を見て、「落ちる。番号を変えてほしい」と抗議をしようと思ったほど落ち込みました。
 
 試験場では、そのことばかりが頭をかすめ、集中できませんでした。

 模試などのデータから考えると受かって当たり前でしたが、結果はみごとに不合格。一浪しました。
 
 別の大学の教授だった叔父が受験校にいる友人の教授に成績を調べてもらったら、合格者の最低点に50点も足らないとのことで、ダブルショックでした。

 今も、受験番号にこんな不吉で不気味な番号があるのでしょうか。

(城島明彦)
 
  

怖い話はいかが?

 
 真夏の定番といえば、怪談、ホラー映画……。

 ライブドアのケータイ小説として城島明彦が発表した怖い話、不気味な話、不思議な話が『恐怖がたり42夜』(扶桑社文庫)という本になって7月末に出ました。

 掌編小説で、どこから読んでもOKの42話です。ぜひ読んでください。

 (ところで、本ブログ、長らく開店休業状態ですが、秋口には内容を一新する予定。小説家を目指す人たちが書いた掌編小説を発表する場にしようと思っています。乞う、ご期待。)
 
 

2006/10/12

小説家志望者は、ぜひご一読を(掌編小説、ケータイサイトで再開)

 ライブドアのケータイサイトで、10月10日から再開された城島明彦の『怪し不思議の物語』は、小説のジャンルでいうと「掌編小説」に属します。別の言い方をすると、ショートショート。小説の一番短いスタイルです。

 小説の種類を原稿(400字詰め)の長さで分類すると、人によって多少の違いはありますが、短編は30枚~80枚、中編が100枚~200枚、長編は250枚以上で、掌編は10枚以下になります。

 知り合いの複数の元文芸誌の編集者からは、「掌編小説は4の倍数の原稿枚数で書くとよい」とアドバイスされたことがあります。

 掌編小説は、たくさんのアイデアを考えないといけないし、無駄な説明をカットする必要があるので、しんどいです。

 同じ掌編であっても、短めのものと、やや長めのものを混在させました。ご賞味ください。 (城島明彦)

 

2006/08/19

怪奇ケータイ小説、スタート

 
 8月18日から「ケータイ小説」で「怪し不思議の物語」を連載しています。
 
 無料ですから、気軽にご一読ください。
 
 27日まで毎日更新します。

 今の季節にふさわしい「怪奇小説」で、一話完結です。
 
 掌編(ショートショート)なので、すぐに読了できます。
 
 「ケータイlivedoor小説」へのアクセスは、以下の手順です。

 (1)http://mobile.livedoor.com/novel/

 (2)そのページの一番下を見ていただくと、ケータイでの見方がいくつか載っています。

 (3)ケータイから「nv@ld.tv」 宛に空メールを送ると、折り返しURLがメールで送られてきます。

 (4)そのURLにアクセスするのが一番確実です。

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