2019/10/13

内容陳腐、意味不明、むやみに長いのありの「ほん怖20周年スペシャル」

祟(たた)る女は「長髪で白いワンピース」ってか――「スペシャル」という割には視聴者をなめたワンパターン

 

 超大型台風直撃で、NHKなどは台風情報一色。「命を守れ」と繰り返す中、フジテレビ系列は台風情報を文字枠にしながら、午後9時から2時間にわたって「ほん怖(ほんとに怖い話)20周年スペシャル」を放送した。

 

 私は、昔からこの手の番組が好きで、よく見てきたが、マンネリ化してきたので「欠かさず観る」ということはなくなっていた。

 ところが、番宣で「20周年スペシャル」などと盛んにやるし、〝史上最大級〟の大型台風襲撃で「終日、台風情報ばかり見続けてきた息抜きにはもってこい」と期待しながら観たが、おおまかな感想をいうと、

「新鮮味に欠ける」

「マンネリを脱しえなかった」

 

 ほん怖2019では、長短あわせて5話からなっていたが、主人公に迫ってくる死者の女の霊は、「髪が長く」「着物と見間違うような白いワンピースを着ている」。

 江戸時代の画家丸山応挙が描いた女の幽霊にに始まった女の幽霊の定番が、

 「うらめし気で恐ろしい目、やせ衰えた顔、ザンバラ髪、両手を体の前へだらりと垂らしている、足が泣く宙に浮いている……」

 となったのと、よく似た設定だ。

 

 ショートカットでカラフルな衣装、明るい顔をして出てきたら、お化けにならないのかもしれないが、いくら何でも、毎度毎度、顔を覆う長い髪、白い衣装は、工夫が足りない

 

 スケルトンに髪だけがこびりついている女

 肉が溶け、眼球がどろりと垂れ下がった遺骸が風に揺れている

 人の格好はしているが、半透明状になっている

 人か獣(けもの)かわからない得体のしれないものが迫ってくる

 ――といったように、見かけだけでもさまざまな恐怖の描き方がある。

 そういう工夫をしたうえで、さらにCGを駆使し、視聴者を

「すごい!」

 と思わせてこそ、20周年記念といえるのではないか。それなのに、CGなんて、どこに使っているの?

 やっていることといえば、チープ予算を言い訳にしてマンネリ化したチープ作品を並べ立ててお茶を濁しているのは情けない

 スポンサーに失礼ではないか

 

 このドラマでは、本編に限らず、まず「ほんとにあった怖い話」というのがインチキである。「こんなことがっ実際にあるくわけがない」という話ばかりだ。もし仮に本当にあった話なら、映像としての見せ方に難があり、嘘っぽく感じされる作り方になっている。視聴者を異次元の世界へとぐいぐい引き込む魅力に欠ける。露骨な言い方をするなら、演出が下手なのだ。

 

 

第1話は「赤い執着(主演は中条あゆみ)

 

 全身赤ずくめの女が主人公に迫ってくるという、ありえない話。

 炎に包まれ、そのなかで焼け焦げ、悶えている女の姿が、ふと見えるときがあるいうような設定にでもするなら、視聴者は「どういうことなのか」と興味を抱き、話の展開に期待するが、全身が赤っぽい女と聞いた時点で視聴者は、「赤鬼じゃあるまいし、そんな女が世の中にいるわけがない」とシラケてしまい、その時点で、この話はアウトだ。

 CMを入れて30分近いドラマに仕立てられていたが、無駄なシーンが多すぎ、間延びしている感を与える結果となった。

 

「赤い執着」は、両親が半年前に事故で他界、幼い妹と2人で古い団地に住んでおり、妹を育てるために昼はクリーニング屋、夜は居酒屋で懸命に働いている健気な女性という設定。

 何度か目撃後、部屋へ帰るエレベーターが動かなくなり、最上階で止まった後、廊下ににその女がいて追いかけてくる。

 こういうのもワンパターンである。

 しかし、実際に霊が本物の人間の姿をして追いかけてくるというのをも目撃した人はいない。スマホで写真にとれば済む話だ。

 写っているかいないか。写っていれば、その人物を特定することができる。写っていなければ、目の錯覚だったのかということになる。人魂のようなものが写っていれば、そのときこそ「ほん怖」の世界だ。

 

 ストーリーでは、居酒屋で神主の家に生まれたという若い客からもらったお守りで、難を逃れることができたという結末だが、その例に腕を掴まれたとき、手に握りしめていたお守りが赤く焼け焦げていたところを見せる。

 

 世間でよくいわれるのは、「夢の中で出てきた霊に腕を握られ、朝、目を覚ますとその個所に指の跡がついていた」という話だが、医学的に診て、それが人の手であるかどうかまで確かめた人などいない。

悪夢を見て、自分で自分の手を握っていることだってあるのだ。そういう場合でも、指の跡がはっきりわかるほど握るというケースは、まずない。

 要するに、「ほん怖い」は、話を面白くするために誇張を通り越し、でたらめなウソを描いたのだ。「ほんとうにあった」というタイトルがついていなければ、何を描いても許されるが、「ほんとうにあった」を売り物にする以上、こういうインチキは視聴者を愚弄しているとみなされる。

 

 歴史を繙くと、 赤という色は、古代中国や日本では、そもそも「悪魔払いの色」である。痘瘡(天然痘)から身を守るために、赤い色の玩具(ダルマや赤べこのたぐい)やお守りを部屋のなかに置いたり、張ったりした。赤い装束を身にまとい、剣を手に持った鐘馗(しょうき)も、守り神として人形を飾った。 治天皇や父の孝明天皇は痘瘡で死んだが、そのときも部屋中を真っ赤にした。布団も枕も壁紙も赤くしただけでなく、女官らや医師まで着る服は赤にした。 

 そのころまだ子どもだった明治天皇は、おびえて、毎晩、鐘馗が現れ、自分を差しに来るといったことが、当時の日記に記されている。

 こういう歴史的な事実を知っていたら、「赤い服を着た女」が呪ってくるという発想はまず浮かばない。

 悪霊を退散させる服なのだ、赤は!

 つまり、霊に狙われた者が赤ずくしの格好をして魔除け対策とするのならわかるが、「ほん怖」の設定はその逆。となると、話がまるでアベコベ。「ありない、笑止」ということになるわけだ。 

 どうしても赤が使いたいのであれば、「火炎に包まれた女」(たとえば焼身自殺した女)のような設定にすべきだろう。

 

 

第2話は「誰にも言えない(主演は鈴木保奈美)

 

 学校の怪談、教室の怪談という話になっているが、極端に短く、中途半端で意味不明な話。フジテレビの敏腕プロヂューサーで鳴らした役員の昔の女(鈴木保奈美)を出演させるためにつくったのか。

 自分はこの小学校の卒業生と語る女教師がプリントを配ると、風もないのに舞い上がる。「この教室では、自分が子供のころから、こういう不思議なことがよく怒った教室」と話すところから始まり、期待させたが、あとの展開がデタラメ。

 

 掃除道具を収納する教室の後ろのドアが突然開いて、掃除道具が飛び出すなどの出来事が何度か描かれ、最後に窓の外を生首のようなものがさかさまになって落下していくシーンでオシマイ。なんのこっちゃ! 近代的な学校でも、こういうことが起きているといいたいのか。 

 あまりの短さに「マンネリを打破しようとして、今回は極端に短い話をいっぱい集めたのか」と好意的な考え方もしてみたが、極端に短いのはこれのみだった。

 何がいいたいのか、何が怖いのか、よくわからない作品だった。となると、「迷走」という評価になる。

 

 

第3話は「肩の女」(主演は佐々木蔵之介)

 

 肩が凝る、肩が重いのは、悪霊が乗っているからだという話だが、上半身、下半身が別々に現れるという発想は斬新だ。

 

 昔、ソニーに勤めていた頃、

 私が「最近、肩が凝る」というと、霊を信じているちょっと変わった女子社員が、

 「霊が乗っている。除霊した方がいいわよ」

 といって、「手かざし」(頭の上に彼女が手を置き、念を送ること)してくれたことがある。

 そんなことで治れば何の苦労もないが、ものは試しとやってもらったことがある。

 第3話はそれに似たような話だ。中華料理店を営む主人公の肩が重くなる。鏡を見ると、髪の毛の長い女の上半身がしがみつくようにして肩に乗っている。

 この女の服装は、白いワンピースではなく、下半身は短いスカートをはいた腰から下なので斬新な感じはしたが、話そのものが荒唐無形でバカバカしい。荒唐無稽でぶっ飛んでいれば面白いが、中途半端なのはダメだ。

 

 主人公が営む店には客が寄り付かず、閑古鳥が鳴いているが、その霊がわるさをしているせいだと思い、パソコンで除霊方法を調べ、自分で塩など調合する。そして、それを肩の霊に投げつけると、途端に店が繁盛しだした。だが、店主の肩を離れた霊は消滅したのではなく、店員の肩に移ったと知って、そのままにしておくという展開だ。

 この話も、なんのこっちゃという感想になる。

 

「ほんこわ」でやるべき話

 

 第3話は「肩の女」を見た視聴者は、上半身と下半身がスパッときれいにに分割されているのは何なのかということに興味も持つだろうが、ドラマではそちらは追及していないが、そちらの方こそ面白いのではないか。

 私が高校生だった夏、ラジオの番組で、実話に基づくという怪談の朗読があった。

 細かい内容は忘れたが、踏切のところで列車(当時は汽車)にひかれた男の首のない死体が、立ち上がって、こちらへ2、3歩、歩いてきたのだという。爬虫類や魚が頭を切断されても動くのはごく普通だが、人がそうなるというのは驚きであり恐ろしくもある。

 

 踏み切りで死んだ人は、自殺ではなく、誤って引かれたとすれば、生きることへの執念を感じさせるし、自殺した人だとすれば誰かに祟ってやろうという死後への執念ともとれ、すさまじい話だと思い、その朗読を聞いてから50年以上たった今も、記憶に強く刻まれている。

 「ほんこわ」に期待するのは、そういう話だ。

 

 こんな話もある。過日亡くなった私の友人の映画監督(ゴジラ映画も撮ったことがある)から直接聞いた話によると、飼い猫がベランダから隣のベランダへ侵入し、そこの雌の飼い猫をはらませ、その後、その雌に遭いに行ったところ、飼い主のババアに捕まり、マンションの高層階から地面に放り落とされたということだった。

 気づいた監督が地面に行き、猫のそばに近寄って声をかけると、動かなかった猫が一声「ギャーッ」と泣き叫んで息絶えたそうである。

 それ以上のことは云わなかったし、私も聞かなかったし、その後、その監督があの世へ行ってしまったので詳細については確かめようがないが、その後、そのババアの周辺でどんなことが起こったかを知りたいと思うことがよくある。

「ほんこわ」で取り上げてほしいのは、こういうリアリティが感じられながら、どこか不気味で恐ろし気な話である。

 

 

第4話は「机と海」(主演は松本穂香)

 題名が奇抜で、興味を引いた。一人暮らしを始めた若い女が、アンティークな机を買った。その引き出しが夜中にゴー、ゴーという奇妙な音を出す。髪の長い女の霊が出てきて、足首を掴まれる。翌朝見ると、くっきりと指の跡がついていた。

 「午前3時に九十九里浜で燃やすといい」といわれ、車に乗せてそうするという話で、話しかけられても振り向くな、その声の主と視線を合わすな、という制約付き。話の展開が大げさすぎて、訳が分からず、リアリティに欠けるという印象。

 

 アンティークには、いつの時代に、どこの誰が使い、どういう理由で誰から誰の手に渡り、どういうエピソードがあったかという、知られざる幾多の物語を秘めている。

 そういう素材を選んだのだから、もっと恐ろし気な話はいくらでもあるだろうし、いくらでも作れる。そう考えると、本作品は、あまりにもチャチイといわざるを得ない。

 

 

第5話は「汲怨(きゅうえん)のまなざし」(主演は佐藤健)

 

「汲」を「きゅう」と読ませるのは音読で、訓読では「く(む)」だ、

 昭和世代の私の時代では、汲むといえば「井戸水」を連想したり、昔のポットン便所の「汲み取り口」を連想したりするが、題名に「汲」という字を使って「汲怨」としたのは斬新で、「どういう話なのか」と興味をいだかせる点では成功している。

 しかし、よく考えると、「怨みを汲み取る」とはどういう意味なのかとの疑問も浮かぶが、今の子たちは「ポットン便所って何」という世代なのかもしれない。

 

 余計な話だが、私が学んだ地方都市の三重県四日市市立の中部中学という学校では、昭和30年代前半に、外に簡易式浄化槽があったがすでに水洗便所だったし、県立四日市高校でも3年時の校舎は水洗便所だった。かなり進んでいたのだ。

 小学5年頃から学校帰りに立ち寄る四日市駅前のジャスコ(現イオン発祥の地の店)の水洗便所で用をすまし、ときには近鉄百貨店の水洗便所を使っていた。

 しかし、そういうきれいな〝ウンコ環境〟になじんでしまったのがよくなかった。家ではずっとポットン便所(大小別々)だし、友だちのうちも同様、親戚の家も同じだったが、そういうポットン系へは行くのが次第に行くのが嫌になり、家では夜中などは外に出て用を足した。大の方はさすがに無理だったが、小の方は隣近所に見つからないように、こっそりと家の前の溝や近くの畑にしていた。

 大学進学で上京後も、友人が住んでいた西武新宿線沿線の下宿に遊びに行くと、ポットン便所で驚いたが、東京でも東京五輪が開かれることになり、ポットン便所では世界にみっともないというので、山手線の内側だけを水洗にしたという話を大学入学後に知った。

 

 余計な話が長くなったが、ここから本題に入る。

 幼稚園児がいる夫が主人公。子どもがバスに乗る停留所に女の霊が現れたり、身近に出現するようになるが、その女のことが記憶には刻まれておらず、正体がわからずにいた。

 だが実は昔の知り合いで、女に片思いされており、女が死後、ストーカーのように現れたという、これまた「ありそうでない、なさげ」な、あるいは「なさそうで、ありげ」なインパクトに欠ける話で、見終わった後、「ああ、そうですか」と思うレベルの作品。

 視聴率稼ぎの目的で若い女性に人気がある佐藤武を起用したことで、必要事情に話を長引かせたと勘ぐらせる点が失敗だ。 

 

 

誰を主な視聴者と設定しているのか

 

 全体の構成では、話の幕間に稲垣吾郎が進行役となって、幼児を相手に「こわかったね」と話すのが定番となっており、このスペシャルでもそうしていたが、ちょっと待て!

 放送時間は午後9時~11時だ。この時間帯は、番組に出ている幼児は既にネンネしているぞ。

 なのに、そんなガキンチョをひっぱりだして、「怖い、怖かった」といわせてどうする!

 観ているのは大人だけじゃないのか

 おまけに、ドラマの話に信ぴょう性を持たせるために、霊能家の下(しも)ヨシ子に「これこれこういうわけで、霊が憑依したんだよ」と説明させている。ドラマの後の説明など不要だ。ドラマのなかで、一言二言、誰かのセリフで語らせればすむ話じゃないか

 

 ――というのが、私の感想と意見。あれこれと毒づき、何のかんのいいながら、それでもしっかり見ているのだから困ったものだよね、私も。

(城島明彦)

2019/10/11

「超大型台風だ。ビーチク、ビーチク」とテレビが煽りまくり、スーパーから食品が消えた

恐怖を煽り立てる「テレビのビーチク報道」と「消費者の買い占め」と「スーパーの無計画」に腹が立つ

 

ビーチク、ビーチク

 と刺激的なことをいうので、とうとうNHKまでエロ番組を放送するようになったのかと思ってテレビ画面を凝視すると、なんのこっちゃ、

「乳首のビーチクではなく、食品やら飲料水やらのビチク(備蓄)」

 を煽り立てているのだった。

 

 出不精なので家でじっとしていたが、気象庁の発表を受けて、テレビが

「想像を絶する規模の暴風が明日は関東にもやってくるので、対策せよ、食品を備蓄せよ」

 などと、繰り返し報道しまくるので、恐怖に駆られ、重い腰を上げて、午後5時にスーパーのライフまで買い物に出かけた

 

 ところが、パンやら豚肉やら卵やらお茶(安いボトル)などの棚は軒並み空っぽ。

 第1次オイルショックのときに、主婦が「トイレットペーパー」を買い占めに走ったパニック事件を思い出した。

 スーパーやコンビニは、そういう出来事を何十回、何百回となく経験し、客が買いに走ることを十分知っていながら、手当てしていない。 

「ビーチク、ビーチク」

 とテレビがバンバン煽っているのだから、商品展示を増やしたらどうなのか。

 

 品不足が予想されるときは数を増やさず、災害とは無縁の平穏な日々には売れもしないナマモノを大量に展示し、売れ残ることがわかる時点でも値引きせず、大量に廃棄処分している。

 

 売れ残ったら、安売りするよりは廃棄を選んで「食品ロス」を増やしまくっている。

 売れ残るのを承知で展示し続けるのは、どういう経営センスなのか。

 学習能力というものが、スーパーやコンビニにはないのか。

(城島明彦)

 

 

2019/10/10

ノーベル賞受賞者数――日本人27名、韓国人1名(平和賞のみ)。この大差は何を意味する?

吉野彰氏のノーベル化学賞受賞で、日本中に喜びがあふれた

 

 吉野氏の受賞を韓国の人たちはどう見たのか?

 これで日本人のノーベル賞授受賞賞者総数は27人になった。

 それに対して、韓国人はわずか1人。それも平和賞だ。

  韓国人の頭は悪くないし、大学受験の激しさは日本の比ではない。

 その努力をもってすれば、ノーベル化学賞、物理学賞、生理学・医学賞に値する研究成果を上げられるはず。

  なのにそうなっていないのは、なぜか?

 どこに大差の原因があるのか、この機会に、韓国人は真剣に考えたらどうか!

 

 国の教育方針に問題があるからだ。

 過去をほじくり起こし、約束を反古にして平然としている。

  児童の頃から「歪んだ日本敵視教育」を叩き込んだり、大統領が変わると前の大統領を犯罪人に仕立てることを繰り返している。

 その姿のどこにも「未来志向」は感じられない。

 慰安婦像の例でわかるように、露骨に日本人が嫌がることをしたり、あからさまに日本の足を引っ張ることで、自身や自国の地位を挙げようとする姑息なやり方ばかりしている。

 そこには「創造性」のかけらもない。

 考えが狭すぎる、情けない、根性が腐っている。 

 そうではなく、自身や自国が頑張ることで他人や他国を追い抜くというやり方をするように、「抜本的な意識改革」をしない限り、韓国人が次々とノーベル賞を受賞する国に飛躍することはできないだろう。

 遠い昔、韓国から日本へ亡命して帰化した人たちは優秀で、日本に先進技術や斬新な文化芸術をもたらした。そのとき、日本人が彼らを敵視したり排除していたら、その後の日本の発展や飛躍はなかった。

 

 日本人は、遣隋使や遣唐使を派遣して進んだ中国の制度や学問などを学び、それを日本風にアレンジしながら、独自の形に発展させてきた。

 明治維新では、外国人の学者、技術者、芸術家などを招聘し、進んだ西欧文明をどん欲に吸収したが、そのとき最も力を注いだのは教育だった。

 「国家百年の計は教育にあり」なのだ。

  他人や他国をリスペクトし、良いところを学ぼうとする愚直な気概がなければ、発展や飛躍はない。 

 

 日本敵視教育からは、何も生まれないどころか、害悪を産むだけだ。

 慰安婦像をつくって喜んでいるうちは、韓国の躍進はないと思え!

 韓国の若者よ、目覚めよ!

(城島明彦)

 

2019/10/08

前澤友作(元社長)の〝あざとい売名行為〟が、ZOZOの客離れを加速している!

こいつは底抜けのバカなのか?

 

 この男、自分でボランティアをしたとPRしたり、台風被害地に義援金を渡したと、わざわざツィートしている。

 「千葉県出身の前澤さんは、930日のツイートで、台風15号の被害を受けた館山市、南房総市、鋸南町、鴨川市の各首長に義援金を渡していたことを公表。」(108日のJ-CASTニュース)

  

 そういう行為は、誰にも知られないように、ひそかにやるものではないのか。

 前澤の言動は、何でもかんでも宣伝やPRに利用しているように映る。

 品性下劣とは、こんな奴をいうのではないか。

 

 もし誰かに知られても、表ざたにはしないでほしいと頼み込むのが、真の慈善家・義援者の姿。

 私の友人の中には、大震災以降、いまだに匿名で福島に寄付し続けている者もいる。

 前澤友作は、そういう人の爪の垢でも煎じて飲んだらどうか。 

(城島明彦)

 

2019/10/07

関電の利用者へのお詫びは「電気料金キックバック+パンツ&パンティ仕立券」で、どや

巷にあふれる「背広のお仕立券、ちょうだい」の声、声、声!

 

 辞任を否定した関電首脳陣の記者会見に対し、大阪市長の松井一郎はんがいいはった。

 「全く納得がいかない。役所でやれば、全員懲戒免職

 よういうた! ええこというやないか!

 と一瞬思ったが、よく考えると、

 「大阪市は関電の筆頭株主やないか。不正にまったく気づかなかったって、そんなあほな! あんたらの責任はどうなっているんや? 談合やら不正金品授受を通じて稼いだ関電の利益の一部を、配当金として受け取ってたやないか! 被害者ぶったらあかんでぇ。本気になって情報開示を迫ったり、2人や3人の凄腕のGメンを雇って、調べようとしたら簡単に調べられたたんとちゃうのん? 株主総会で暴れまわることかて、できたんちゃいまんの? 橋下徹かてそうや。後出しじゃんけんで、テレビに出てペラペラしゃべって稼ぎまくるだけが能やないでぇ。口先で荒稼ぎした金の一部を使って、関電の裏を調べようと思ったらできたんとちゃうの? 関電が陰でこそこそしていることや、〝関電の原発のけったいなドン〟の存在ぐらい耳に入ってたんとちゃいまんの? きれいごというたらアカンで! 新聞社もテレビ局も、何してきたんや!」 

 ボーッと生きてたらアカンでェ。もっと嗅覚を働かせんかいな。 

(城島明彦)

2019/10/04

のん(能年玲奈)は、人権を蹂躙されまくって〝令和の貞子〟になった! NHK大河「いだてん~オリムピック話」の〝空前絶後の超低視聴率(5・0%)は能年玲奈の怨みか?

 朝ドラ「あまちゃん」と同じ脚本家クドカンなのに、なぜ視聴率が「月とスッポン」なのか?

 

 能年玲奈(のうねんれな)は、2013年のNHK朝ドラ(連続テレビ小説)「あまちゃん」のヒロインに大抜擢され、その天性の明るさとはつらつとした動きで、たちまち人気者となり、前途を嘱望された。

 彼女の魅力のなかでも、もっとも輝いていたのは「キラキラ輝き、クルクル動く瞳」だった。

 「あまちゃん」は、〝クドカン〟こと宮藤官九郎の軽妙で荒唐無稽な脚本が受けて、「じぇじぇじぇ」という方言が大ヒットし、彼女の人気だけでなく、同番組に出演していた小泉今日子ら脇を固めた女優や男優も人気が出た。

 

 だが、能年玲奈は、周知のように、番組終了後、前の事務所を強引に独立したことから、あの手この手の嫌がらせをされることになった。

 具体的には、能年玲奈の芸名を使えず、テレビ界から干され、「のん」というわけのわからない名に改名した。

 その間のイジメ、嫌がらせは、陰湿そのもので、人権を完全に蹂躙された。国会で討議されてもおかしくないのに、議員や法律家は、ジャニーズを退社した3人は救済したが、彼女の事件は問題視することもなく、救済しようともしないできた。

 そこにあるのは、人買い「山椒大夫」にさらわれて、強制労働をさせられた安寿と厨子王のような世界だ。

 

誰も見ない大河ドラマに大金投入のNHK――クドカンの神通力、通じず 

 

 「あまちゃん」から6年後の今年、NHKは、人気が長期低落傾向にある夜の大河ドラマをテコ入れしようとして、来年のオリンピックに便乗したテーマを選ぶという奇策を用い、〝奇才〟クドカンを起用。朝ドラ感覚のドラマ「いだてん~オリムピック話」の脚本を書かせたが、これが大コケ。

 「いだてん~オリムピック話」の視聴率は、初回(1月6日)の155%をピークに、回を追うにつれてジリ貧となり、ヒトケタが定位置となり果て、8月25日には〝大河史上空前絶後〟の超最低視聴率5%を記録。その後も、「どこまで続くぬかるみぞ状態」で、完全に視聴者からそっぽを向かれた。

 

 

「平成の安寿」から「令和の貞子」へ――恨みは呪いに変った!

「のん」は「能年」からの連想と思ってはいけない。

「のん」はフランス語で、英語の「no」だ。

 否定語である。

 単なる「ノン」ではない。呪いを込めた「ノン」だ。

 自分をスポイルした者たちへ発する強烈なノンだ。

 能年玲奈の「復讐」が始まったのだ。

 

 見るがいい! ユニクロのCMに出ている彼女の瞳を!

 その瞳は、あんなに輝いていた6年前の瞳とは別人としか思えない暗鬱な光をたたえていることに気づくだろう。

 その瞳は、古井戸の深い底に沈んでいた貞子の果てしない怨念の色になっている!

 

 のんよ、〝令和の貞子〟となって、かつて自身をいじめまくった連中を地獄に送ってやるのだ!

 「あまちゃん」では、明るく楽しげだった「じぇじぇじぇ」は、あれから6年を経た今、恐ろしい呪いの言葉となったのだ。

 DAIGO流にいうと、NHKは「のんにホラーで苦しめられる」ってか?

 

 能年玲奈よ、のんよ、呪え! 祟(たた)れ! 陰湿なイジメヲした奴らに生霊となって仕返しするのだ!

 天は自らを助くる者を助く!

 「あまちゃん」でカッポレ、 ♪のうねん、のうねん、のうねん、ローハイド! (ジジババしか、わからん歌ではあるな)

 ん? わし、妙なこといってる?

(城島明彦)

2019/10/02

アシカの赤ちゃん「キュッキュ」発見で、頭に浮かんだ北島三郎の放送禁止歌「ブンガチャ節」

北島サブちゃんの歌は「金太の大冒険」だったのか?

 

 行方不明だった天王寺動物園のアシカの赤ちゃん「キュッキュ」ちゃんが、下水に逃げていたのを無事発見したというニュースを聞いて、オイラは北島三郎が若い頃歌っていた〝妙ちくりん〟なコミカルソング「ブンガチャ節」を思い出した。

 

 ♬あの娘(こ) いい娘(こ)だ こっち向いておくれ

  キュッキュキュー キュッキュキュー

  すねて横むきゃ なおかわい

  ブンガチャッチャ ブンガチャッチャ 

 

 作詞は、何と、北島三郎の大ヒット曲「函館の女(ひと)」など数々の大ヒット曲を作詞した、あの有名な星野哲郎だ。

 なのに、歌詞が卑猥だという理由で、放送禁止にされてしまった。

 この「ブンガチャッチャ節」(1962年リリース)は、当時、ラジオから頻繁に流れていたのですぐに覚えたが、その後、いつの間にか流れてこなくなったと思ったら、放送禁止にされたという。

 

 作曲はこれまた有名な船村徹なのに、その歌詞のどこが一体? 

 「ねえ金太、まだァ(=金玉だァ)?」

 「金太待つ神田(=キンタマ掴んだ)と書いてある」

 「金太マカオに着く(=キンタマ顔につく)」云々の、

 あの有名な放送禁止歌「金太の大冒険」と同じってこと? 信じられん。

 「表現の自由」とやらで、「愛知トリエンナーレ」で「慰安婦像」をあれこれするなら、つぼイノリオの〝せいきの大傑作〟「金太の大冒険」の歌詞でも大書して会場に掲出したらどうなのか。

(城島明彦)

2019/09/29

「コンプライアンス違反の〝悪徳〟企業」(幹部が金品を不正受領した関電、日産ほか)に「詐欺罪」を適用せよ

コンプライアンスが聞いてあきれる。「上場禁止」にするなど、違反企業を厳罰化せよ

 

 どの企業も、HPを見ると、そうするのがごく当たり前のように「コンプライアンス遵守」などと書いてある。

 にもかかわらず、日産のゴーン、西川両トップらの「企業の私物化による私腹肥やし」に続いて、関電の幹部多数が関わっていた「不正金品授受」が表ざたになった。

 これが「コンプライアンス違反」でなくて何なのか。

 

 ここで警鐘を鳴らしたいのは、

 「コンプライアンスという言葉が空文化・死文化していないか」

 ということだ。

 

 コンプライアンスに反する行為をしたトップが謝罪・退任して、それで終わりにしている上場企業がなんと多いことか。

 詫びておしまい。それでいいのか!

 コンプライアンスを「なめている」いや「なめきっている」としか思えない。

 なめていないなら、

 「違反したときは、トップ退任などの責任をとります」

 「上場廃止にされても構いません」

 などと、堂々と書き添えて宣言したらどうだ。 

 

 企業トップはその企業の代表者だ。

 企業トップの言動は、その企業を象徴している。

 その象徴が、HPで謳った「コンプライアンス宣言」に反するような犯罪や犯罪まがいの行為に走ったことが露見したら、その企業の社風や企業行動そのものへの責任が問われることになる。

 

 トップがコンプライアンス違反を犯した上場企業は「上場廃止」にするくらいに厳罰化せよ。

 そうでもしないと、コンプライアンスという言葉や概念に対する認識を甘くみる企業が今後も絶えないのではないか。

 正義感を失っていない弁護士や法律学者たちよ、立ち上げれ!

(城島明彦)

2019/09/28

〝市原の強突くババア〟(ゴルフ場オーナー)「鉄柱倒壊は天災だから補償しない」だと! 手抜き工事を徹底チェックし、ババアに鉄槌(てっつい)だ! 

先の台風15号で民家を押しつぶしたゴルフ場の鉄柱倒壊は、天災のせいとどうしていえる?

ババアの言い分は、東京電力の弁明と同じだ。

 

 万全の備えをしたが、それでも台風にやられたのであれば、「天災のせい」といえるが、「以前の台風襲来時にはネットを外していたが、今回ははずさなかった」という近隣住民の証言も、すでに報道されている。

 となると、「天災への(万全の)備えを軽く見ていた」「危機管理を怠った」ということになる。

 

 事前に何らかの対策を打っていたら、対策を風速がどんなに強くなっても、工事の仕方次第では、びくともしなかったかもしれないではないか。

 

 台風予報はされていたのに、「そんな大きな台風が来ることなどない」と、勝手に高をくくって、何の対策・備えもしなかったのだ。

 安全対策を軽く見た落ち度は当然負うべきだ。

 手抜き工事なら「未必の故意」で法的な天罰が下る可能性もある。

 

 民家にしても、一律に屋根が吹き飛ばされたというのは、おかしい。

 被害を受けた家には気の毒だが、すべての家の屋根が吹き飛ばされたわけではない。

 築年数の違い、工法の違い、建築材料(木造か鉄筋か)の違い、立地条件の違い(隣に風をさえぎる背の高い家屋があるかないか、林やビルがあるかなど)といった、さまざまな条件で、被害の度合いは当然異なる。

 

 保険会社の調査と国や県や市区町村の調査とでは、被害度の見立ても異なってくる。それらを突き合わせて、総合的に判断する必要がある。 

 まずは科学的検証をスピーディに行い、しかる後に人道的な面も加えた補償を考えるべきではないか。

 「強突く」(ごうつく)とは「強欲」のことだ。 

 

  ※以下は追記 (10月10日に記す)

 「未必の故意」がわからないという人がいるので、わかりやすくいうと、本件であれば、

 「強烈な台風が来たら、鉄柱が倒れるかもしれない」

 と思いながら、何の対策も講じず、そのままにしておいたら、矢張り鉄柱が倒れたことをいう。

 この法律用語は、私が早稲田大学政経学部1年生のときに「民法」の試験に出たので、以来、頭にこびりついている。

(城島明彦)

2019/09/27

貴景勝の相次ぐケガは河野景子(元親方夫人)の呪いか

稀勢の里と同じ「大胸筋断裂」は、〝大凶禁〟を暗示か?

 

しこ名の断裂

 貴景勝というしこ名は、

  師匠だった貴乃花の貴 自身の本名である貴信の貴

  師匠夫人だった景子の景  ※戦国武将上杉景勝に因むだけではなかろう

  勝利の勝

 と解釈できる。

 要するに、貴景勝は二子山部屋の親方貴乃花(花田光司)と景子(旧姓河野)夫婦の夢と希望と愛情から生まれたしこ名(四股名)だったのである。

 だが、貴と景は夫婦別れした。つまり、親方夫婦の間に「亀裂」(=断裂)が入ったのだ。

 日馬富士事件(貴乃花の弟子の貴ノ岩に同じモンゴル出身の横綱日馬富士が暴行、引退に追い込まれた事件)で、貴乃花は相撲界を引退20181月、貴乃花の二子山部屋は消滅。次代の相撲協会理事長の目は消えた。

 退職が正式に決まった201810月、貴乃花は長年連れ添ってきた景子夫人との離婚も公になった。結婚したのは1995年だから23年間の結婚生活ということになる。

 

ちゃらちゃらした家系(貴乃花一族 )

 河野景子は元フジテレビの人気女子アナだったが、貴乃花の父で親方でもあった貴ノ花(初代)は、女優藤田憲子と結婚したが離婚。

 スッチーと結婚した貴ノ花の長男〝お兄ちゃん〟こと若乃花(2代目若乃花。初代は叔父で名横綱若ノ花)も離婚している。

 どことなく〝派手でチャラチャラした家系〟のような印象を受ける。

 

相撲部屋消滅で「はい、さようなら」と離婚

 貴乃花は、相撲は強かったし、相撲道も共感を呼ぶが、いっていること、やっていることは〝どこかヘン〟だ。

 そうです、貴乃花は〝ヘンなおじさんです

 へんといえば、最近時々テレビに出る貴乃花の長男(優一)も、どこかヘンだ。

 

 河野景子は、元女子アナだけに、一見、まともで立派なことをいっていたように思えるが、貴乃花を陰で支えてきたように演技していただけ。もとはといえば「できちゃった婚」に「ブチ切れ離婚」の適当な女。日馬富士事件という肝腎なところでは、体を張ってでも夫の暴走を諌止(かんし)できなかった。

 もっとも離婚に至るまでには、さまざまな問題・要因があっただろうが、そういう深いところまで理解ができない第三者の目には、そう映る。そもそも河野景子は、今日のようにタレント化した女子アナの元祖的存在だったのだ。

 

 となると、河野景子も、やはり打算まみれの〝ヘンなおばさん〟の範疇に入るのだ。

 部屋が消滅したら、「はい、さようなら」では、相撲ファンや世間が許さぬ。

 それを平然とやってのけたのが、河野景子という魔女だ。

 ――というのが、私の考えである。

 

大胸筋断裂という爆弾

 さて、ここからが貴景勝の前途に関する本題だ。

 貴景勝は、稀勢の里に次ぐ日本人横綱として期待されてきたが、関脇に転落した夏場所で10勝以上(123敗)の好成績を残し、大関復帰を決めた。

 その根性は見上げたもの。だが、あとがいけない。

 その代償として、全治6週間とされる「大胸筋断裂」という大けがを負い、来場所は欠場見込みなのだ。

 思い浮かべるのは、稀勢の里。

 稀勢の里は、大胸筋断裂が完治せずに引退に追い込まれた。

 それくらい大変な負傷が大胸筋断裂だ。

 

 大胸筋は、その名が示すように胸にあり、腕をうごかす大きくて広い重要な筋肉である。

 立ち合いで、相手の力士の頭や手や体がそこにぶち当たれば、それだけでも大きな負担がかかる。組んでも押しても投げても、大胸筋を使う。

 そういう部位の筋肉は、完治しにくい。騙しだまし使うという小細工がきかない

 

 稀勢の里は、横綱だったから何場所でも休場できたが、貴景勝はそうはいかない。

 2場所休んだら大関から陥落する。

 そうならないように、無理に出場するしかない。

 厄介なことになったものだが、貴景勝には力士としての魅力がある。

 何とか完治させてあげたい。

 

貴景勝の最近の5場所の成績

平成3011月場所 小結 132

平成311月場所  関脇 114

令和元年5月場所  大関 348

令和元年7月場所  大関 全休

令和元年9月場所  関脇 123

 令和元年11月場所  大関 ?

 

(城島明彦)

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