2018/01/17

稀勢の里は「気の毒」だが引退! 白鵬は「自業自得」で引退! これが〝ぶざま横綱〟2人の進む道だ!


〝地獄の選択〟のときが迫っている!

 稀勢の里は、大ケガをなめ、自分の力を過信したツケが回ってきた。
 琴奨菊にぶん投げられるようでは、前途多難を通り越して「アウト!」というしかない。
 自分では回復したと思っているのかもしれないが、本来の力が出なくなっている。
 横綱昇進前の、あのパワーが感じられなくなったのは、致命的だ。

 勝負勘も戻っていないが、従来の力強さが完全に失われている。
 中途半端な体の状態で、
 「出ては負け、負けては途中休場」
 という、ぶざまな失態を繰り返すのは、もう限界だ。

 なぜ、思い切って何場所も休んで、「ケガを負った箇所が完全回復して臨む」という道を選ばなかったのか!?

 ここまで来て、これから何場所も休むということが許されかどうか。
 稀勢の里は、「背水の陣」をさらに後退して、もはや水の中にまで追い込まれてしまった。
 
 久しぶりの日本人横綱という国民的期待を背負ってはいたにしろ、ここまでぶざまな相撲を取らせた親方や医師、相撲協会の責任も大きい。


プロレス技を使えなくなった白鵬は、まるで別人のようだ

 白鵬は、40回も優勝したうちの10回? いやそれ以上か? 
 プロレス技まがいの取り口の恩恵をこうむっているのかもしれない。
 そう思えるような、ぶざまな負け方が今場所は続いている。

 ここらあたりでやめた方が、本人のためにもいいのではないか。

(城島明彦)

2018/01/14

13歳の少年西郷と16歳下の後の妻が会っていた!――NHK「西郷どん」は歴史と視聴者をなめているのか!? 


そこまでやるなら、「西郷も龍馬も死なず、どちらも女だった」としたらどうか

 先週の日曜日に「西郷どん」の第1回放送を視聴したが、気になるところがあったので週末の再放送も見た。
その結果、最初見たときには気づかなかった誤りや矛盾点に気づくことになった。
 少々の誤りや矛盾は構わないが、でたらめすぎることは許しがたい。
 今回は、その話である。

 「ドラマを面白くするためなら、何をやってもいいのか!」
 という古典的かつ素朴な疑問があるが、NHK大河ドラマは、過去の「江 ~姫たちの戦国」(2011年)でも、少女を大人の女優に演じさせて、NHKは抗議・ひんしゅく・罵倒の嵐に見舞われたが、少しも懲りていないようだ。
 バラエティ難組で、おばさん女優にセーラー服を着せるのとはわけが違うのだ!


島津斉彬と少年西郷の出会いはない

 NHK大河ドラマ「西郷どん」第1回放送では、西郷隆盛の成人後のドラマを盛り上げるための伏線として、後日、彼を大抜擢することになる薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)と少年西郷が二度も会って、したしく言葉を交わす設定になっていた。

 島津斉彬と西郷隆盛の年齢差は20歳近い。
 江戸藩邸で生まれ育った薩摩藩の世子島津斉彬(なりあきら)が藩主になるのは42歳と遅く、初めてお国入りするのは1851(嘉永5)年春のことで、それ以前に、ずっと鹿児島に住んでいた西郷隆盛と顔を合わす機会は皆無だが、鹿児島へ赴任してからは、家臣に「意見書」を出せと命じ、一介の下級武士にすぎなかった青年西郷隆盛も、自身が関わっていた郡奉行所の下っ端役人として感じた「農政」に対する意見書をたびたび島津斉彬に提出していた。

 その文書を読んで斉彬は西郷青年の非凡さを見抜き、江戸へ向かう参勤交代の要員に大抜擢するのである。
 大名行列が最初に小休止した場所で、島津斉彬が、
 「西郷隆盛というのはどの男であるか」
 と側近の者に尋ね、
 「あの男でございます」
 と教えられたというエピソードが残されている。

 顔を見知っていたら、そういう質問はしない。
 このエピソードから考えられるのは、もし斉彬が「西郷どん」で二度も少年西郷に会った後、家臣に命じて、その少年がどういう氏素性のものか、調べさせたのではないかということだ。
 島津斉彬という殿様は、そういう人物だったのである。

 ひときわ大きな体で巨眼の威風堂々とした青年西郷の姿を見て、島津斉彬は自分の目に狂いがなかったと思ったのではなかったか。
 そして江戸藩邸に着くと、西郷をそば近くに自由に出入りできる「庭番役」(秘書兼密偵)に大抜擢するのだ。

 ――そんな風に考え、発想するのが、歴史考証に対する一般的かつ常識的な姿勢である。

 そういう考え方からすると、ドラマのように「西郷が少年時代に島津斉彬と会話」をし、「武士でありながら腕を切られ、剣を握れなくなった」と訴える場面はまずありえないが、そこはNHKもしっかり意識していて、
 「この時期に島津斉彬が鹿児島にいたという歴史的事実はないが、会ったのは天狗か影武者だったかもしれない」
 とナレーションで語らせており、こういう描き方はうまいと思った。
 そういう解釈なら、いろいろ矛盾はあっても、誰も文句はいわないが、そのレベルではすまない嘘八百が次々と出てきたのだ。


嘘八百は朝ドラでやれ

 ここ数年のドラマに比べ、話の展開も早く、その点には好感を持ったし、評価もするが、あまりに白々しい嘘八百を日曜夜のNHK大河ドラマでやるというのは、いかがなものか。
 やりたければ、朝ドラでやれ!

 他にも、ひどいウソがいっぱい出てくる。
 冒頭のナレーションで「皆が『西郷どん』と呼んだ」という西田敏行のナレーションが流れ
たが、「西郷どん」という呼称を今回、初めて耳にした人が圧倒的多数である。

 私も、NHK大河ドラマが発表されたときに、そいう呼び方があったということを初めて知った一人だったので、昨年『西郷隆盛の正体』という本を書くにあたっては、鹿児島県や鹿児島市の図書館や観光課、西郷隆盛関係の資料館などに問い合わせて、いろいろ丁重に教えてもらったが、「西郷どん」は鹿児島を中心とする九州地方の方言なのである。

 誰もがいう全国区の呼び方は「西郷さん」だ。


事実無根はどこまで許されるか?

 ドラマであるから、その程度のホラ話は許されるが、のちに西郷の後妻となる少女時代の岩山糸が少年西郷と言葉を交わしたりする場面も出てくるが、これはどう考えてもありえない話である。
 ところが、「西郷どん」には、目をつむれないような事実無根の描き方がいくつもあり、前途が思いやられると、私は感じた。

 具体的にいうと、「西郷どん」第1回では、少女の岩山糸が男しか参加できない行事に男の格好をして加わり、女であることを見破られて、ひと騒動起きる場面が出てくる。
 この描き方でおかしいのは2点だ。以下に説明する。


「西郷どん」第1回の「ここがヘン!」――その1

 まず、当時の鹿児島(薩摩藩)は「きわめつきの男尊女卑」社会で、ドラマで描かれたような「少女が男の格好をして少年だけで競う荒々しい行事に参加する」などということは、どう逆立ちしてもあり得ない。いってみれば、江戸時代の東海道に車を走らせるような信じがたい発想である。

 西郷少年が、「女を差別するのはおかしい」と抗議する場面もあるが、そういうことで「西郷隆盛は少年時代から正義感が強かった」「女性に対してやさしかった」と描こうとしたのなら、邪道も甚だしい。

 「1人ぐらいそういう先進的な女性がいてもいいのではないか、いや、1人ぐらいいたはずだ」
 と脚本家やNHKは考えたのかもしれないが、そんなことはありえず、岩山糸という女性がそんな無茶をする人でないことは、ちょっと調べたらわかるはずだ。


「西郷どん」第1回の「ここがヘン!」――その2

 NHKの犯した致命的なミスは、当時「小吉」と呼ばれていた13歳(数え)の西郷少年とまだ生まれていない少女糸が出会っていたという無茶な設定である。

 なぜ13歳当時と断定できるかといえば、第1回で描かれた「西郷隆盛が喧嘩をした相手に腕を切られる事件」が起きたのは、その年齢だったからである。

 糸が生まれるのは、その事件の3年後である。つまり、16歳もの年齢差があったのだ。
 ドラマで描かれる少女糸は、演じる子役の姿から推察して「5~7歳ぐらい」の設定になっていると思われるが、少女が5~7歳に成長したときには西郷隆盛は21~23歳の青年でないと辻褄が合わない。

 それなのに、ドラマでは同世代の少年少女として描かれている。
 糸という女性の生涯がよくわからないなら、そういう描き方も許されるが、彼女の場合、生没年はわかっているのだから、ただドラマを面白くするために年齢を極端にごまかしたというのは、NHKがつくる大河ドラマでは許されないのではないか。

 これは原作にあるのか? もし原作でそういう風に描かれていたとしたら、作品そのもの評価に×印がつくが、林真理子ほどの作家がそのような初歩的ミスを犯すはずもないと思うから、脚本家の創作なのか? あるいは、NHKのプロデューサーあたりがそういうアイデアを出したのか?
 もしそうなら、NHKがやっていることは、「江 ~姫たちの戦国」よりもっとひどい。
 
 そういうやり方が許されるなら、(極論すれば)聖徳太子が平安時代とか鎌倉時代に登場してもいいという理屈になる。
 NHK大河ドラマは、SFなのか!? 孫悟空や猪八戒のような者が跋扈し、戊辰戦争では上空をドローンが飛びまわるのか!?


時代考証の学者は何をしているのか

 NHK大河ドラマには、「時代考証」担当の複数の歴史学者がついているが、この人たちは何をやっているのか!

 近年、低視聴率にあえいでいるNHK大河ドラマを成功させたいという制作陣の焦り思い、話を面白くしたいという脚本家の気持ちはわからなくもないが、13歳の少年西郷と16歳下の後の妻が会っていたとする設定は、ドラマの内容そのものへに対する「?」を招き、かえって視聴率の低下を招く大きな要因になりかねないのではないか。

私の意見・主張に興味を持った人なら、拙著も面白く読んでもらえるのではないか。
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(城島明彦)

2018/01/12

〝千年に1人の逸材〟西郷隆盛の「遺徳17条」に学べ!


どこがどう凄かったのか

 聖徳太子の「17条の憲法」にならって、「西郷隆盛の遺徳17条」をつくってみた。

 第1条 「真心(至誠)をつくせば、道は開ける」と信じた。

 第2条 私心を排し、克己心を磨き続けた。。

 第3条 耐えに耐えたが、怒るときは怒った。

 第4条 大きな視点・大所高所から物事を捉えようとした。

 第5条 弱者に対する憐れみの心があった。

 第6条 衣食住のすべてに「ぜいたくは敵」を貫いた。

 第7条 「理」より「情」を大事にした。

 第8条 人を老若男女で差別しなかった。

 第9条 誰も見ていなくても「天が見ている」と考えた。

 第10条 努力を怠らなかった。

 第11条 どんな相手の言い分にも耳を傾けた。

 第12条 どんな難題も「話せばわかる」と信じていた。

 第13条 物事の切り替えが早かった。

 第14条 素直になろうと努力した。

 第15条 逆境を糧として人格を磨いた。

 第16条 同じ失敗を二度とやらないようにした。

 第17条 やるときゃやった。


○読んでみなはれ! 山のようにあふれかえる他の西郷本とは違うぞよ(と自画自賛)。
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(城島明彦)

2018/01/10

「西郷どん」初回視聴率の大河史上ワースト2は、「林真理子(原作者)、No!」を意味するのか!?


〝国民的英雄〟西郷隆盛でコケたら、NHK制作陣は腹を斬れ!

 私は西郷隆盛の本も書いているので、「どういう演出にするのか」と初回の大河ドラマに大きな関心を寄せていた。
 初回に限っていえば、近年の大河ドラマの中で最も巧みに描けていると思い、どれくらいの視聴率が出るのか、興味があった。

 ところが、発表された関東地区の視聴率(ビデオリサーチ調べ)を見て目を疑った。
 15.4%!
 大河ドラマ史上、尻から2番目の低さだったのだ。

 う~ん、先が思いやられる。
 「最悪」といわれたあの「平清盛」ですら17.3%。
 それより2%近くも低いのである。
 明治の元勲№1だった西郷隆盛という人気者を主人公にして、このていたらく。
 想像を絶する情けない数字に、NHKの制作陣の顔は青ざめ、原作者の林真理子も激しいショックを受けたのではないか。


NHKはなぜ海音寺潮五郎ではなく、林真理子を選んだのか!?

〝文壇の女帝〟林真理子は女性に人気がある一流の作家で、彼女の作品を一冊も読んだことがないという女性は極めて少ないが、林真理子原作と聞いて、失望した男性の西郷ファンは山のようにいる。男性で彼女の作品を読んだ人は極めてまれである。

 林真理子は、極端なミーハーでハンサムな俳優に目がないことを公言し、文章にもしてきたことが、雑誌「アンアン」をはじめとする女性読者層には共感を得ても、男性からは反感を買っている。
 
 林真理子のほかに西郷を主人公にした原作がないわけではない。司馬遼太郎はドラマ化しても視聴率がとれなくなっているが、もう一人、「西郷隆盛」をライフワークとした大物作家がいた
 海音寺潮五郎。しかも、西郷と同じ鹿児島出身である。

 それなのに、NHKは海音寺潮五郎作品ではなく、林真理子作品を選んだ。
 その結果、多くの男性が、
 「NHKは、なぜ彼女の作品を原作として選んだのか。家族や女を描こうとしたからではないか」
 と考え、大河ドラマにそっぽを向いたのではなかろうか。


ここ10年で最低視聴率が「国民の声」か!?

 「西郷どん」の地域別の初回視聴率は、スポニチによれば、
 関西地区19.8%、九州北部地区18.7%、名古屋地区16.1%。
 完全な〝西高東低〟である。

 ここ10年(2008~2018年)のNHK大河ドラマの初回視聴率を比較してみると、以下のようになっている。
  2018年「西郷どん」 15.4% 
  2017年「おんな城主 直虎」 16.9%
  2016年「真田丸」 19.9%
  2015年「花燃ゆ」 16.7%
  2014年「軍師官兵衛」 18.9%
  2013年「八重の桜」 21.4%
  2012年「平清盛」 17.3%
  2011年「江~姫たちの戦国」 21.7%
  2010年「龍馬伝」 23.2%
  2009年「天地人」 24.7% 
  2008年「篤姫」 24.7%

 今後、「西郷どん」が回を重ねたとき、男っぽい世界ではなく、「女が必要以上に出てくる世界」を描こうとしているということになると、男性の視聴者はもっと離れていくだろう。

 西郷隆盛は、数ある明治の元勲の中で実績ナンバーワンで、しかも国民的人気がある。
 そういう人物を描いて視聴率が振るわなかったら、だれが責任を取るのか!?


テレビ局は「自分さえよければいい」という腐った体質の〝吸血鬼〟だ!

 私も、1月11日夜9時から放送のBS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史検証」(西郷隆盛)に出演しているが、先方が拙著を読んで関心をもち、声をかけてくれたので、「本の宣伝になれば」と思って出演を承知したのである。
 ところが、番組の写真は宣伝には一切使ってはならぬという。
 ギブ&テイクではなく、「使ってやっている」という上から目線なのか。

 当初の話では出演時間は30分ほどということで、収録時間は1時間だったが、ナレーション用の最終台本をみたら、メインゲストでありながら私の登場時間はわずか数分に削り倒され、〝電波芸者〟のような連中のコメントが増えていた。
 文句をいったところ、台本作家が何人も変えたのと、ロケ撮影分などが増えて10分ばかりハミ出したので私の登場場面だけでなく、ほかの人のところも削って短くしたとのことだった。
 テレビ業界人によくある「千三つ」(千に三つしか本当のことをいわない)で、以前にもTBSやフジテレビでそういう目に遭ったことがあり、けったくそ悪いので、私は番組は見ない。興味ある人はどうぞ。
 
(蛇足)NHK大河ドラマを面白くないと思う人は、こちらを読んでくださいな。失望させません。
 Photo ※「正体」という言葉から、西郷隆盛の裏の顔を暴き立てた本のように思う人が多くて困っているが、私が希望した書名は、本の帯に近い「西郷隆盛はなぜ誰からも愛されるのか」で、そういうテーマで西郷隆盛の人となりをあらゆる角度から独自の視点で検証した本である。

(城島明彦)

2018/01/09

メディアよ、池坊保子の昔の醜悪なヌード写真を再公開してくれないか!


相撲を知らない池坊保子が、なぜ相撲界に関わるのか!?

 池坊保子がかつてヌード写真を公開したことを高齢者連中は、よく知っている。
 亭主の池坊専永が浮気したことへの腹いせなのではないか、といわれたりしたが、ペッタンコな胸で、よく堂々とそういうことをしたもんだと、当時、あきれ返った人が多かった。
 
 ふんどしを締めたことも、まわしを着けて相撲を取ったこともないバカ女が、なぜか、角界の各界の要職に就いていて、トンチンカンなことばかりいっている。

 「貴乃花は親方は礼を欠いた」発言はまだしも、「白鵬の張り手のどこが悪い。張り手というルールがある」というに至っては、横綱という地位を利用して連日にわたって張り手を連発することで「横綱の品格」「パワハラ」であることが欠落しているし、〝並みの張り手〟ではなく、プロレス技もどきの「かち上げ」も併せて考えないと話にならない。

 そういうことすら知らない女がなぜ相撲協会の議長にいるのか!?
 うがった見方をすれば、相撲協会の八角理事長一派の「傀儡」(かいらい)」なのかもしれない。

 だが、池坊が言葉足らずでピントはずれな発言をすればするほど、相撲協会や八角理事長に対する世間の風当たりは強くなる。
 
 いっそのこと、〝でくの坊安子〟と名を改め、赤フン着けて、〝後期高齢者ヌード〟にでも挑戦するか?
 ゲテモノ好きには受けるかもしれない。
 
 それはさておき、毒をまき散らし、ヒンシュクを買いまくる、この女を誰か早く何とかしてくれ!

(城島明彦)

2017/12/24

貴乃花親方自身の〝診断書〟――取材陣に黙礼してから部屋に入れ!


相撲協会理事長としての資質、ありやなしや

 風邪をひいて、ブログから遠ざかっている間に、「貴ノ岩騒動」も変化し、加害者の日馬富士は引退、日馬富士の親方は理事辞任ということになったが、被害者側の貴ノ岩や貴ノ岩の親方である貴乃花親方の情報はきわまて少なく、何が何やらさっぱりわからない状況が続いている。
 
 貴乃花親方が「相撲協会という組織の理事の1人」でありながら、「ゴーイング・マイウェイ」を貫くという、組織を軽視した行動に走ったために批判も増している。


 「近い将来の理事長」を目指すのであれば、リーダーシップ(指導力)、統率力、求心力、先見性、情報発信力、カリスマ性といった資質が欠かせない。
 しかし、今回の騒動で見せた貴乃花親方の一連の行動からは、それらのすべてに合格点をだすわけにはいかない、と多くの人は思っている。


協調性のなさが問題

 独裁者ではないのだから、たとえ少数派でも他者の意見に真摯に耳を傾ける「包容力」や、多数決には歩調を合わせるという「協調性」も、組織のトップに立つ人間には必要不可欠だが、今回の貴乃花親方の言動には、残念ながらそれが感じられなかった。

 協調性のない者が組織のトップに立った途端、部下に「協調性」を求めても誰も協力せず、好き勝手なことをするだろう。

 「横綱はただ勝てばいいのではなく、正々堂々とした横綱相撲をとらなければならない。土俵の外でも、人として尊敬される立派な言動をとらねばならない
 というのが、貴乃花親方の考える「相撲道」「横綱としてのあり方」だが、この考え方は私のそれと完全に一致している。

 だが、親方、理事としての貴乃花の考え方や行動には問題がある。
 貴乃花親方が人の上に立とうと思う気持ちがあるのなら、もっと大きな人間にならないといけない。


西郷隆盛から「日本人としての礼儀作法」を学べ

 日頃、どれだけ立派なことをいっていても、それが実際の行動に礼反映されていないと、「口先だけ」と受け取られてしまう。
 現役時代の横綱貴乃花は「いっていることと実際の行動が一致」していたが、親方貴乃花の礼儀作法はなっていない。
 部屋の入り口前に待ち構えるメディアの連中を完全に無視し、無表情で入って行く。
 取材を受ける必要はないが、入り口のドアの前で記者たちの方を向いて、申し訳ないという表情で一礼し、それからドアを開け、中に入るだけで、どれだけ印象が違ってくることか。

 人気商売をやっている以上、そうするのは当然のことである。

 もっと人としての礼を尽くしたいなら、
 「申し訳ないが、取材には応じられません」
 というだけでもいい。

 西郷隆盛は、敵の大将・武将に対しても、相手がたとえ年少者であっても、きちんと正座して挨拶し、その姿勢をずっと崩さず、礼儀正しく接した。
 貴乃花親方が、日本の真の相撲道のあり方を追い求めているのであれば、それぐらいのことはしないと、人としての生き方を疑われることになる。

(著書のPR)
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Photo_2 Photo_3 _cover Photo_4 Photo_6 ※こちらの5冊は現代語訳と解説本。

(城島明彦)
 

2017/12/09

東宝助監督OB会の忘年会に出席した


高齢化の波は、いずこも同じ

 4年ぶりに「東宝助監督OB会」に出席した。
 会長は御年84歳(1933年1月生まれ)の恩地日出夫監督で、幹事は2つ下(1935年12月生まれ)の小谷承靖監督ほか。

 恩地さんは、27歳のときに監督に昇進したそうで、私が中学生の頃だ。当時から映画に関心をもっていた私は、恩地日出夫という名前をその頃から知っていた。

 小谷さんは、1970年(昭和45年)に加山雄三主演の若大将シリーズで監督に昇進。私は、その年に大学を卒業して東宝に入社、助監督になり、1972年に撮影された小谷承靖監督作品「夕日くん・サラリーマン仁義」(人気漫画家サトウ・サンペイが「週刊朝日」に連載した漫画が原作)に助監督としてついた。
 そのとき、夕日くんのマドンナ役を演じたのは、園まりだった。
 私は、この作品が公開された翌年、堀川弘通監督の「王将」の助監督を最後に東宝を辞めてソニーへ転職した。

 藤井四段の活躍で将棋が人気化しているが、実在した〝天才棋士〟坂田三吉を描いた「王将」は村田英雄の同名の曲(船村徹作曲・西条八十作詞/♪吹けば飛ぶよな将棋の駒に 賭けた命を笑わば笑え……)が大ヒットしているので、若者の中にも知っているはいるはずだ。

 東宝作品「王将」では、坂田三吉を勝新太郎、女房の小春を中村玉緒という実際の夫婦が演じ、話題を呼んだ。
 チーフ助監督を務めた河崎義祐さんは、その後、監督に昇進し、松田聖子主演の「プルメリアの伝説 天国のキッス」(相手役は中井貴一)を撮るなどしたが、本日のOB会は欠席だった。
 
 OB会は年々高齢化しており、今年、渡辺邦彦、伴野義光両監督が死去したが、昨年は私と同世代の山下賢章監督が急逝している。
 山下監督の死去は、一緒に映画をつくろうという約束をした直後だったので、1周忌が過ぎた今も、いいようのない喪失感にしばしば襲われる。
 渡辺邦彦監督の父は〝早撮り〟で有名だった渡辺邦夫監督。私は、邦彦作品の「恋人って呼ばせて」(吉沢京子主演)、「白鳥の歌なんか聞こえない」(岡田祐介主演)の2本に助監督としてついた。

 私は、成城学園にあった東宝独身寮の1階に3年間住んでいたが、2階には黒澤明の信奉者の助監督井上英之さんが住んでいて、毎朝、黒澤明監督作品のテーマ音楽を大音量で流し、たたき起こされた。 彼は、黒澤明の「影武者」に助監督でついたが、その後、突然、片足が動かなくなり、手術したが完治せず、助監督の激しい仕事は難しくなったので、制作部門に移ったが、「ゴジラ」の本を書くなどした。
 
 そういったことが私の青春の思い出の何ページかを占めている。 
 私は、今年は5月に拙訳『中江藤樹「翁問答」』、11月に『考証・西郷隆盛の正体』の2冊を上梓。西郷本の方は、BS日テレの「片岡愛之助の解明!歴史検証」からゲストとしてお呼びがかかり、2日前(12月7日)の夜、収録を終えた。
 放送日は、来年1月11日(木)午後9時から1時間。
 不思議な話で、放送日は111で1並び、番組回数は99回で午後9時から出9並びである。

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(城島明彦)
 

2017/12/06

闇の深層を探れ! 〝被害者〟貴ノ岩はなぜ、翌朝、〝加害者〟日馬富士に謝罪したのか!?


「誰が貴ノ岩に謝罪するよう指示したのか」が、事件の真相のカギを握る

 「説教に耳を傾けず、スマホをいじるとは何事か」「態度が悪い」「目つきが悪い」「注意されても謝らない」といった理由で、日馬富士にボコボコにされ、頭部に裂傷を生じた貴ノ岩は、どう見ても被害者。

 しかし、貴ノ岩は、警察の事情聴取に「自分は睨み返してはいない。目を見ていただけ」と供述したというが、その翌朝、日馬富士に謝罪したと伝えられている。

 被害者が加害者に謝罪することなど、常識的に考えたらありえないことだ。
 貴ノ岩に圧力をかけた者がいる――としか考えられないではないか。

 それが誰であるかを警察は、公表しないといけない。
 
 もう一つの問題点は、陰では、、いまだに「鉄拳制裁」が行われていたという事実だ。
 面に現れない鉄拳制裁は、どの程度行われていたのか!?
 このことを相撲協会が徹底調査して公表しない限り、「日馬富士事件」の全貌を明らかにしたことにはならない。
 
(城島明彦)

2017/12/04

「外来種」が「在来種」を駆逐する大相撲界は「日本の縮図」だ!


モンゴルの「カミツキガメ」が日本の「ウミガメ」を滅ぼすの図

 相撲には、柔道と違って、体重差による階級制がない。
 極論すれば、大人と子どもが同じ土俵で勝負しているのだ。

 「モンゴル出身の力士が強いのは、日本人に比べてハングリーさが違うからだ」
 という声はよく聞く。
 間違ってはいないが、それだけではない。
 一つは、民族差だ。
 日本人が強い競技は、オリンピックや世界選手権で金メダルを多くとっている種目である。柔道、水泳、体操、フィギュアスケートなどだ。

 だが、人種の違いによって大きな体力差があるので、日本選手がどんなに頑張っても、絶対に勝てない種目がいっぱいある。
 人種で見ると、短距離は黒人がダントツだ。
 もし足の速い黒人が大挙して日本に押し寄せ、国内大会に出場し続けたとしたらどうなる!?
 考えるまでもない。1位から6位まで黒人が独占することが、ごく当たり前になるだろう。

 大相撲も、それと同じような現象が起きているのだが、モンゴル人と日本人は顔つきが似ているし、体格も似たような感じなので、黒人と日本人のような力(地力)の差があることに気づかないだけなのだ。

 モンゴルにはモンゴル相撲があるから、他の諸外国と比べて、日本の大相撲に対して圧倒的なアドバンテージがある。
 しかも、相撲協会が一向に注意をしないから、図に乗って、白鵬や日馬富士らはプロレス技まがいの「張り差し」「かちあげ」などの荒っぽい技を連用することに味をしめてしまった。

 カメにたとえると、モンゴルの力士は「どうもうなカミツキガメ」であるのに対し、日本の力士は、浦島太郎を背中に乗せたような「おとなしいアオウミガメ」である。
 日本人とモンゴル人は、同じ黄色人種でも、ブラックバスやブルーギルと鯉や鮒ほどの違いがある。
 モンゴル由来の外来種は、最初のうちこそ数は少なかったものの、次第に増殖して勢いを増し、在来種を駆逐するようになったのである。

 こんな大相撲に誰がした!?

(城島明彦)
 

2017/11/29

日馬富士の貴ノ岩への暴行はパワハラ! 白鵬の得意技「張り差し」もパワハラ!


〝勘違い横綱〟白鵬は、〝相撲界に君臨する帝王〟か? 

 大相撲秋場所が昨日で終わり、今日は白鵬が警察の事情聴取を受け、相撲協会は八角親方が十両以上の関取を集めて、「二度と暴力沙汰を起さないようにする」といった内容の「講和」を行ったという報道がなされたが、まずは、替え歌と行きますか。

 日馬富士の暴行事件の最大の特徴は、力士の最高位に君臨する横綱が、下位力士の貴ノ岩の態度が生意気だという理由で、鉄拳制裁を加えたということ。
しかも、貴ノ岩は、殴られている間、ほとんど無抵抗状態だったとされている。
 つまり、「究極のパワハラ」だったのである。
 
 これは土俵外の出来事だったが、土俵上では連日のように横綱白鵬が、下位力士に対して「張り差し」というパワハラを見舞い続けていた。


アマチュア相撲で「危険として禁じられている技」を白鵬はなぜ連発するのか!?

 相撲協会は、白鵬が連日のように「張り差し」をしてきたことに対しては、一言も触れていないが、アマチュア相撲では、「張り差し」は「危険だ」という理由で禁止されている技である。
 中学や高校だけでなく、大学相撲でも禁じ手になっている。

 大相撲の力士が対戦相手に立ち合いざま見舞う「張り手」のパワーはすさまじいものがあり、過去、何人もの力士が脳震とうを起して、ぶざまにその場に崩れ落ちている。ふらふらしながら土俵を降りた力士も一人二人ではない。

 相撲協会は、白鵬の得意技「張り差し」によって、どれくらいの横G(横にかかる重力)が相手力士にかかるのか、きちんと調べる必要がある。

 大相撲の「張り差し」に問題があるのは、上位力士が下位力士に行うことが圧倒的に多い技だからだ。
 日馬富士も、白鵬ほどではないが、しばしば「張り差し」を行ってきた。

 それに対し、下位力士の中でも横綱や大関相手に「張り差し」を行う者もいるにはいるが、その比率は白鵬に比べたら微々たるものである。
 その理由は、横綱の顔をひっぱたくことに対する遠慮があるからだ。
 つまり、「張り差し」は、立派なパワハラの一種なのだ。日馬富士が貴ノ岩に加えた暴力的パワハラと、根っこは同じなのだ。


両耳を同時に張るのは禁止で、片耳ならOKというのも妙だ

 アマチュア相撲に限らず、大相撲でも「両耳を同時に左右の手で張ることは禁止」れているのに、「片耳の上を張ることを許している」のは納得がいかない。
 テレビのワイドショーも、
 「白鵬の張り差しが相手力士に与える衝撃度(横G)」
 を実験して公開したらどうなのか!?
 そういう実験をやろうともしない民放各社にも罪がある。

 「頭髪を掴む」と反則負けになるのは、時折あるから比較的よく知られているが、これは以前は「故意に掴む」という文言になっていたが、2014年以降は「故意に」が削除された。
 したがって、「張り差し」を「禁じ手」にすることも可能なのだが、相撲協会がそれをやらないだけだ。つまり、相撲協会は、どれぐらいの横Gが相手の顔面にかかり、その衝撃で耳や脳にどのような問題が起きるかということを調べようとしないのである。

 相撲はプロレスとは違うのだ。アマチュア相撲で「危険」とみなされて「禁じ手」になっているものが、なぜ大相撲にだけ許されるのか!?


白鵬は〝空前絶後の勘違い横綱〟だ

 白鵬が「自分は、最多優勝横綱で、現役最強だ」と自負し、誇りに思うのは構わないが、「相撲界に君臨する帝王」であると錯覚している節が見られるところに問題がある。

 そうでなければ、優勝インタビューでの〝迷言〟「日馬富士や貴ノ岩を土俵に上げてあげたいと思っている」という趣旨の発言は出てこない。
 そういうことをいうから、「横綱の品格」に欠けるといわれるのだ。
 白鵬の目に余る行き過ぎた態度は、昨日今日に始まったわけではなく、これまでの優勝インタビューでもしばしば垣間見られた。
 それがなぜ改まらなかったかといえば、相撲協会や横審が苦言を呈したり、親方が二度とするなと厳重に注意したりしてこなかったからである。注意しても言動に現れなければ、何もしていないのと同じだ。
 その結果、白鵬はどんどん増長してしまったのだ。


横綱の品格とは何ぞや!?

 横綱の品格とは何か。
 「心技体がいずれも充実し、全力士の鑑(見本・手本)となるような相撲を取る最高位の地位を張る力士が横綱で、土俵上では姑息な取り口をせず、堂々たる取り口で対戦相手を圧倒する強さを見せながらも、その態度はどこまでも謙虚で、土俵外でも常に人としての品位を保ち、誰からも尊敬される存在であり続けること。それが横綱の品格だ」
 もっと別の、さまざまな言い方もあるだろうが、私はそう思っているのだ。。

 このようなことと日馬富士の行った暴力行為を重ね合わせると、日馬富士のどこが横綱の品格を汚したのか、白鵬の11日目の勝負に対する抗議あるいは千秋楽の言動のどこが横綱の品位にそぐわないのかが、おのずと理解できるはずだ。

 横審や相撲協会は、今度の事件を教訓として、「横綱の品格」とは何かということを具体例を列記するなどして、誰にもわかるように改めて定義する時期に来ているのではないか。


前代未聞の「横綱が音頭を取って、万歳三唱」

 「優勝した横綱が音頭を取って、万歳三唱」
 などという、ありえない横暴が国技で公然と行われたこと自体、大相撲がおかしくなっている証拠ではないのか!?

 白鵬自身の性格に問題があっただけでなく、親方や相撲協会に監督責任に落ち度、ないしは力士教育に問題があったとしか思えない。
 そうでなければ、白鵬が、
 「優勝インタビューでは、好きなことができる」
 「自分は偉いんだ」
 と思い込んだりはしないだろうし、「万歳三唱」を観客に促すなどという言動はとらないだろう。


朝青龍にならったのか!?

 伝統的なインタビュースタイルを破って、観客に語りかけた最初の力士は、朝青龍である。
 朝青竜は、優勝を重ねるうちに優勝インタービューに慣れて、つまり「場慣れ」し、好き勝手な言動が許されると思い込み、いいたい放題になっていった。
 そうした不遜な態度が、土俵外での暴力につながり、引退という結末を招いた。

 白鵬は、そういう悪い先輩を見習ってしまい、優勝回数を重ねるごとに、「自分は偉い。何を語っても構わない」という思い上りの気持ちを生んだのである。
 繰り返し声を大にしていうが、そういう育て方をした親方の罪も重い。
 親方が「余計なことはいうな、するな」と釘を刺していたら、横綱の品格を汚すようなことはいわなかったのではないか。


キジも鳴かずば撃たれまい

 白鵬の「膿を出し切って」云々に発言も、
 「何様のつもりか」
 と思えるような、ひどいものである。

 いわずもがなのことをいった感も強い。
 白鵬のいう「膿」とは、
 「相撲協会には腐敗、ただれた部分があり、モンゴル力士間には八百長相撲が存在し、白鵬がそれを認識していた」
 といった類いの〝モンゴル力士会〟にまつわる闇を意味するなのか!?
 もしそうなら、大変なことになる。

 そういうことがもしあったとしても、一横綱が口にすべきことではない。
 思い上がりの「越権行為」である。

 11日目の嘉風との一番では、勝負がついた後、白鵬は手を挙げて長い時間、抗議し続けたが、そのような挙動は、行司、審判をないがしろにし、横綱の品格を自ら汚すものであり、「正しいのは自分」という思い込みがないとできない。
 そのときも相撲協会の八角親方は注意はしたが、厳罰ではなかった。
 そういう大甘な対応姿勢だから、白鵬がますます増長し、千秋楽の万歳三唱やら「膿」発言をやらかしたのである。


NHKにも大罪がある

 白鵬に優勝インタビューを行ったNHKアナウンサーの罪、プロデューサーやディレクターの罪も厳しく問われなければならない。

 NHKは、民放と違って、場内が盛り上がり、視聴者が喜びそうなら何をやってもいいというわけではない。白鵬が危ないことをいいかけたら中断させるぐらいの臨機応変さはあってしかるべきだったが、NHKはそうせず、白鵬を自由気ままにさせてしまった。
 それなのに、優勝インタビューがどんどんエスカレートしてきていた。


貴乃花親方はなぜ相撲協会に報告せず、警察に届け出たのか

 今回の騒動では、貴乃花親方の動きに対しても批判が噴出している。
 彼はなぜ相撲協会に報告せず、警察に被害届を出したのか!?

 その疑問に対する答えは、
 「協会が事件をもみ消す」
 「日馬富士と貴ノ岩を陰で手打ちさせ、なかったことにする可能性が高い」
 と読んだからではないのか。

 なぜそう思ったのかといえば、過去に何度も煮え湯を飲まされた経験があって、疑心暗鬼になったからではないのか。
 それが、貴乃花部屋に関することなのか、部屋とは直接関係ないことだったのかはわからないが、もしそうであれば〝日本相撲協会の闇〟という話に発展する。

 ただ、貴乃花親方の正義感が強く、融通の利かない頑固な性格がそうさせているのか、〝貴乃花の考える正義〟と「世間一般の考える正義」とが必ずしも合致しておらず、自身が巡業部長を務める相撲協会への冷淡な接し方に相撲ファンやメディアは面食らい、非難も少なくない。

(城島明彦)

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