2009/11/11

森繁久彌作詞・作曲の「知床旅情」には、共作者がいた

 北海道旅行がちょっとしたブームになっていた1968年夏、早稲田大学の3年生だった私は、友人2人を誘って「北海道一周旅行」をし、知床半島へも行った。
 北海道を旅行する若者たちの格好は一様で、誰もがリュックサックを背負っていたことから〝カニ族〟といわれた。

 金がない旅行なので、宿泊はユースホステルを選んだ。食事つきで一泊500円。値段が安いだけに食事は質素で、ザリガニが出たときにはさすがに食べられなかった。
 夜になると、キャンプファイヤーを囲んで、みんなで歌を歌った。そのときユースホステルのペアレンツから教えてもらった歌の一つが「しれとこ旅情」だった。
 とても覚えやすい曲で、歌詞が旅をしている者の心に訴えかけるような感傷的な内容なので、心に残った。そのとき、「しれとこ旅情」ができたときの話も聞いたはずだが、忘れてしまった。
 
 私は1970年春に大学を卒業し、東宝に入社して映画の助監督になった。深夜ラジオから懐かしいメロディーが流れてきたのは、その年の11月のことだった。加藤登紀子が歌う「知床旅情」だった。
 この曲は翌71年になるとさらにヒットし、テレビやラジオの歌番組で何週間もトップになり、誰もが知るところとなった。
 この曲は、加藤登紀子が最初に歌ったのではなく、作詞・作曲者の森繁久彌自身がすでに1962年のNHK紅白歌合戦で歌っていたことを知ったのは、その頃のことだった。
 加藤登紀子の歌がヒットしたので、御本家の森繁久彌の歌もリリースされてヒットしたが、こちらのタイトルは平仮名の「しれとこ旅情」。
 
 「しれとこ旅情」も「知床旅情」も森繁久彌作詞・作曲となっているが、そうではなく、最初は「さらば羅臼(らうす)よ」というタイトルで、「共作者がいる」という話は、何人もの東宝の先輩スタッフから聞いた。
 この歌がつくられたのは、1960年製作の東宝映画「地の涯(はて)に生きるもの」の撮影時だったという。

 この映画の原作は戸川幸夫の小説「オホーツクの老人」で、これを読んで感激した森繁久彌が映画化を提案、森繁プロと東宝が共同制作し、久松静児が監督、1960年10月に公開された。
 出稼ぎの漁師たちが去って寂しくなった冬、オホーツク海に突き出た知床半島の浜にある番屋(漁師小屋)で、魚網を食い荒らしに来る鼠の番をしながら猫と暮らしている孤独な老漁師が、往時を振り返る映画である。森繁久彌が主役の老人を演じ、司葉子、草笛光子、西村晃らが共演した。

 「地の涯に生まれたもの」は1960年3月から現地で撮影され、現地の人が協力した。撮影が終わり、ロケ隊が引き上げる前の晩に、ロケ隊が宿泊していた旅館で、地元の人たちとのお別れ会が開かれ、そのとき、ギターの伴奏で森繁久彌が歌ったのが、後日「しれとこ旅情」と改題される「さらば羅臼よ」だったという。そしてその歌をみんなで一緒に歌い、翌朝、ロケ隊は東京に帰ったのだ。

 「さらば羅臼よ」は昔から地元で歌われてきた曲だったが、うろ覚えの人もが多く、詞も曲も不確かだった。それらを取材し、採譜し、採詞したのは吉松安弘という東大出の助監督であった。
 彼は、1973年に「さえてるやつら」で監督に昇進、「陽の当たる坂道」(三浦友和、壇ふみ主演)も監督し、著作に『東条英機の夏』がある。

 この話は、「地の涯に生まれたもの」についたスタッフの間では有名な話で、加藤登紀子の「知床旅情」が大ヒットしたとき、吉松さんは、
 「印税、いくら入った?」
 とか、
 「印税のわけぶん、もらった?」
 などと、よくいわれていた。
 共作した話は、吉松さんがチーフ助監督を務めた映画で一緒になったときに、直接本人からも聞いた。本人は、
「少しぐらいはもらってもいいかもね」
 と笑っていた。
 しかし、森繁久彌がそういう話をしたのを聞いたことはない。

 以上の話は、不世出の大俳優である森繁久彌の評価を下げる目的で書いたのではない。東宝関係者が表立っては誰も書かないので、歴史的事実として残すために書いた。

(城島明彦)

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2009/10/23

南田洋子と「智恵子抄」

 認知症の南田洋子(女優なので、敬称略)が死去する何週間か前に正常な感覚を取り戻した時期があったことから、高村光太郎の詩「「レモン哀歌」を想起する人もいたようだ。
 
 彼女のことを伝えたテレビ番組のなかには、南田洋子の代表作の一つとして、1967年公開の松竹映画「智恵子抄」(中村昇監督)をリストアップしているところがいくつかがあったが、その映画で主演したのは岩下志麻で、南田洋子はそれほど重要ではない脇役にすぎなかった。

 南田洋子の代表作は、大映のニューフェースだった彼女を一躍有名にした「十代の性典」(1953年)であり、その後、日活に移って主演した「太陽の季節」(古川卓巳監督)であると私は思う。どちらも社会的に大きな影響を与えた作品である。

 「太陽の季節」は、石原慎太郎の原作で、「太陽族」なる若者まで生んだ。この映画のもう一人の主演が長門裕之だった。長門の代表作は、「太陽の季節」と今村昌平監督の「豚と軍艦」だろう。南田洋子もこの作品に出ており、彼女の代表作の一つにあげてもいいかもしれない。

 南田洋子は76歳で死に、高村智惠子は56歳で死んだ。死因は南田が「くもまく下出血」で、智惠子は「肺結核」。
 高村光太郎は、智惠子と結婚する以前は、不羈奔放(ふきほんぽう)な生き方をしていた。長門は、結婚後も、好き勝手な生き方をしていた。
 高村光太郎は、彫刻家にして詩人、智惠子は画家だったのに対し、長門と南田は役者だが、広い意味では、いずれも芸術家。
 高村光太郎は智惠子が逝くのを枕辺で見送ったが、長門は南田洋子の死に目には会えなかった。
 智惠子は精神に異常をきたしていたが、時折、正気に返ることがあった点は、認知症で脳の機能が正常に働かなくなった南田洋子と共通している。。
 
 私が以前、高村光太郎と智惠子のことを「です・ます調」で書いた「せつなくも悲しい愛」と題した一文があるので、以下に引用する。

 愛する伴侶(はんりょ)がある日を境に狂人になったら、人は嘆き、悲しみ、途方に暮れます。
 詩人の高村光太郎(たかむらこうたろう)がそうでした。愛妻の智恵子は、家庭の主婦としての仕事に追われ、画家としての仕事に没頭できなくなったことで、葛藤(かっとう)し続け、結婚十七年目にとうとう精神に異常をきたしたのです。
 気がふれる前の智恵子が書いた以下のような詩が残っており、彼女の心の葛藤(かっとう)をうかがい知ることができます。それは次のようなものです。

  我をすてさえしたら
  お互いに自分をおし通すことさえすてたら
  自分をすてきって
  もし人々が愛する事さえ出来たら
  はじめておだやかな
  幸福な世界になるのでせう

 若い人にはピンとこないでしょうが、昔、広沢虎三(とらぞう)という浪曲師(ろうきょくし)がいました。
 彼の得意とする演題の一つに「壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)」という浪花節(なにわぶし)がありました。
 光太郎と智恵子の関係は、そのなかの一節「妻は夫を慕いつつ 夫は妻をいたわりつ」に近いものがあったと著者は思っています。
 光太郎との生活のために彼女は自分の夢を捨てようとしたのです。つまり、自己を犠牲にしたのです。
 死の直前、智恵子はレモンをかじり、そのことで一瞬正気に戻ります。そのときの様子を描いたのが「レモン哀歌」という有名な詩です。

  そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
  かなしく白くあかるい死の床で
  わたしの手からとった一つのレモンを
  あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
  トパアズいろの香気が立つ
  その数滴の天のものなるレモンの汁は
  ぱっとあなたの意識を正常にした
  あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
  わたしの手を握るあなたの健康さよ
  あなたの咽喉に嵐はあるが
  かふいう命の瀬戸ぎはに
  智恵子はもとの智恵子となり
  生涯の愛を一瞬にかたむけた
  それからひと時
  昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
  あなたの機関はそれなり止まった
  写真の前に挿(さ)した桜の花かげに
  すずしく光るレモンを今日も置かう

(城島明彦)

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2009/10/21

南田洋子の死を報告する長門裕之の耐える姿には共感できた

 本日(10月21日)午前10時56分に入院先の病院で死去した女優の南田洋子について、彼女の夫である長門裕之が、午後7時前から10数分間、記者会見する模様をTBSがライブ中継した。
 
 長門は、明治座で10月3日から始まった演歌歌手の「川中美幸特別公演」の午前11時からの「昼の部」に出演していて、妻の死に目には会えなかった。
 
 長門は、午後6時からの「夜の部」の出番を終えて会見に応じた。
 「いとしい、大好きな洋子が永眠しました」
 といって彼は会見を始め、「いつ南田洋子の死を知ったか」との質問に、
 「午前中の公演後、風のように耳に入ってきた。ああ、逝ったんだな」
 と淡々と語る姿は、胸を打つものがあった。

 今日の長門は、それ以前の彼と違って感情をかなりコントロールしているようだった。共演者に迷惑はかけられないからという理由で、通夜は公演が終わってから行うといい、それまでは妻の遺体を氷漬けにしておくとも語った。

 公演の楽日(最終日)は10月29日だが、その前に出番のない日があるとのことで、その日までの「6日間を氷漬けにする」と、そうすることが当然であるかのように冷静にいうのを聞いて、長門の役者魂を見る思いがした。

 長門は、昨晩の妻の容態に接して、覚悟を決めていたようだ。
 彼は、髯が伸びていたが、まだ生きている妻に何度も何度も頬ずりしたり、キスしたと話した。
 普通の人は、そんなことをあけすけに話しはしない。自分の胸に秘めて誰にも話さないものである。
 芸能人としての性(さが)・サービス精神がそうさせるのか、あるいは単なる世間知らずなのか。

 「植物人間になった洋子は洋子ではない」という見方も示した。
 この考え方には異論も多かろうが、私はよく理解できた。
 また彼は、「死んだ洋子は好きじゃない」「死んで冷たくなった遺骸(むくろ)は洋子とは思えない」「手を合わせるのは、思い出のなかだけ」とも語った。これが彼の死生感なのだろう。

 取材記者もテレビの前の視聴者も、今回は、南田洋子の映像を見ることなく、長門裕之の口を通して語られる彼女の姿を想像したことで、気の毒さがよけい伝わってきたように思う。
 
 南田洋子の意識がまだ残っていた昨日、彼女が長門の手を白くなるまでぎゅっと握っていた、という話も長門はしたが、南田洋子のそういう行為は本能的なものかも知れず、聞く者の胸を打った。
 このことを考えると、南田洋子の闘病の映像など公開せずに、闘病の様子を長門が語るだけにしておいた方がよかったと思えてくる。

 長門が南田洋子を心底から愛していることは、これまでのテレビ番組を通じて多くの視聴者に伝わってはいたが、認知症になって正常な判断力を喪失した女優を、テレビ画面を通じて、不特定多数の人の目にさらすという行為を私は許しがたいと感じてきた。
 そういう経緯はあったが、今日の会見では、長門がぐっと耐えたり淡々と語る場面が多く、そこは共感できた。
 
 長門裕之と南田洋子は、「老老介護」という大きな問題を提起したというプラス面と、彼自身の不思慮から、テレビ局や出版社に利用されて、本来なら浴びなくてすんだ批判を受けることになったマイナス面があった。

●以上は、21日夜8時半ごろ書いたが、22日の午前2時過ぎに一部を書き換え、さらに以下の文章を新たに加えた。

 21日の夜11時過ぎにテレ各局が、南田洋子の死去と長門裕之の会見の模様をニュースで流した。どの局も、時間的制約もあっただろうが、長門が顔をゆがめて嗚咽する場面の映像を使っていた。
 実際の会見では、そういう場面は極めて少なく、ほとんどはじっと耐えたり、淡々として語ったりしていたのだが、テレビを見た人は、彼がずっと嗚咽したり、涙ぐんだりしていたと思うような「演出」になっていた。

 どの局かは忘れたが、通夜は29日で葬儀・告別式は30日と報道していたが、そうであれば、南田洋子の遺骸は8日間も氷漬けされることになる。犯罪や事件でなく、普通の死でもそんなに長く遺骸を置いておいていいのだろか、と気になった。

 彼が泣く姿を見ていて、私はあることに気づいた。

 女性たちは、長門裕之がやたらと泣く映像を見て、
 「あんなに愛されて南田洋子は幸せ」
 と思うだろうが、男は違う。
 
 彼は1934年生まれの戦前派である。彼や、彼より一回り下の私の世代は、子供の頃から、
 「男は、人前では涙を見せるな。どんないつらく、悲しいときでも、人前で泣くようなことはするな。泣きたかったら、あとで、ひとりになってから、思いっきり泣け」
 といわれて育った。

 「人前で、女といちゃいちゃするな」
 ともいわれた。

 たとえ悲しい映画、感動的な映画を観て涙を流したとしても、劇場の明かりがついたら、その涙を人に観られたくないと思うのが、一般的な男ではないのか。

 本来なら「妻」とか「家内」とかいうべきところを、彼はずっと「洋子」「洋子」といっている。

 名前でいうのは、家族内であるとか、近所の人や親友や友人たちに対してであって、まったく見も知らぬ不特定多数の相手に向かって、「洋子」「洋子」」と名前を連呼するというのは、どうにも理解しがたい。

 彼はそういうことを普通と思っているようだが、世間の感覚とはかなり違っている、と私は思った。

 (城島明彦)

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南田洋子さんが亡くなった

 くもまく下出血で入院していた南田洋子さんが、本日(10月21日)、亡くなった。

 ご冥福をお祈りしたい。

(城島明彦)

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女優大原麗子さんのこと

 大原麗子(女優なので、敬称略)が自宅で孤独死していたというニュースが流れたときには、驚いた。2009年8月6日のことだった。
 当初は、「死亡日時は不明」と報じられたが、行政解剖の結果、3日前に亡くなっていたことが判明した。
 あんなに明るく、誰にも好かれていた人が、誰にもみとられることなく、孤独死し、しかも真夏に3日間も発見されなかったということを知って、つらいいものを感じた。

 (最近、テレビで見かけないが、劇場の芝居にでも出ているのだろう)
 と勝手に推測していたが、そうではなく、「ギラン・バレー症」というあまり耳にしたことのない難病を患い、歩行等が困難で、芸能活動を休止せざるを得ない状況だったことも、報道で知った。

 彼女は私より何歳か年上だと思っていたが、同い年(彼女は1946年11月13日で、私は7月10日の生まれ)だったということも、報道で知った。

 生前の彼女と、私は何回か、仕事場で言葉を交わしたことがあった。もう何十年も前の話だ。正確にいうと、1970年の夏のことになる。
 当時、私は東宝撮影所にいた。「奇妙な仲間 おいろけ道中」(1970年夏製作)という軽妙な喜劇映画に彼女は出演し、私は駆け出しの助監督だったのである。

 私はその年の4月に東宝本社に入社し、7月31日までの研修期間(当時は試用期間といっていた)を経理部門の「出納係」として過ごし、8月1日に希望した東宝撮影所製作部の「演出助手係」に配属されたのだった。

 当時、映画監督になるには助監督を経るしか道がなかったが、映画産業は斜陽化の一途をたどっており、東宝は本社の定期採用では「演出助手」(助監督)という職種での採用を9年間もしてこなかったので、助監督になるには、まず配属先未定の正社員として入社し、本社での試用期間を経て、東宝撮影所の助監督に配属してもらうという方法を選ぶしかなかった。

 私は、先輩の助監督から「10年ぶりの本社採用助監督。金の卵」などと半ば揶揄(やゆ)されつつ期待されたが、わずか3年で挫折し、ソニーに転職してしまうのだから、申し訳ないことをしてしまったことになる。

 私が入社した年の大卒採用は6名だったが、私以外にもう一人、上級国家公務員試験に合格して入社翌年には退職している者がいるから、人事は嘆いたろう。
 その男も私も早稲田(私は政経学部で、その男は理工学部)の卒業だったから、会社もそれに懲(こ)りて、以後の採用では早稲田卒を色眼鏡で見るようになったかもしれない。

 東宝撮影所は、現在と同じ成城学園前の砧(きぬた)にあった。私が入居していた独身寮(今はもうない)から、歩いて5分ぐらいの場所だった。
 撮影所へ初出社する日は、どんな服装をしていけばよいのかわからず、有楽町にあった東宝本社に通っていたときと同じ背広姿でいった。
 ところが、製作部にいる社員はネクタイをしている者など一人もおらず、自分だけが浮いているような感じがしたものだった。

 製作部の課長やスタッフには挨拶をすませたが、部長は用事があって不在で、課長から、
 「戻るまで、食堂の前に向かい合わせに置いてあるベンチに座って待っているように」
 といわれた。
 その部長は、私の保証人になってくれた3人のうちの一人で、そのお礼もいわなければならなかった。

 私が東宝に入ったのは、大学のゼミの先輩(当時、演劇部課長で、のちに東宝副社長になる平尾辰夫さん)という人の紹介があったからで、保証人にもなってもらっただけでなく、平尾さんは、同期入社の映画監督森谷司郎さんと製作部長にも保証人になるよう声をかけてくれていたのだった。

 話が脱線するが、私は、森谷司郎が保証人になってくれているとは知らず、所内で顔を合わせても挨拶することをしなかった。
 入社2年後の夏、森谷司郎が監督した映画「初めての旅」(主演は、現東映社長の岡田裕介、志垣太郎、島田陽子。まだ無名だった小椋佳の「屋根のない車」ほか多数の曲を劇中歌として使った)に助監督としてついたときに、森谷司郎自身の口から「保証人に挨拶にもこないとは」といわれて初めて知ったことだった。
 
 撮影所の食堂前のベンチで待っているように、といわれた話の続きであるが、私がベンチの方へ行くと、先客が一人いた。派手なストライプ柄のスーツを着たおじさんだった。
 そのとき私も細いストライプの紺の背広を着ていたのだが、そのおじさんのスーツは、ストライプ幅がやたら広くて、超ド派手だった。
 顔を見ると、植木等だった。付き人もおらず、たった一人でぽつんと座って、出番待ちしているようだった。
 あとで知ったことだが、彼は、そのとき撮影中だったサラリーマン物の喜劇「日本一のワルノリ男」(坪島孝監督)に主演していたのである。

 私は、座るときに彼に会釈したかどうかよく覚えていないが、着席後はどちらも黙っていたことだけははっきりと記憶している。
 おそらく彼は、青白い顔をした私を、新入りの助監督とは思わず、ほかの組に出ている〝ちょい役〟か、〝仕出し〟と呼ばれるその他大勢の通行人役の一人かと思ったかもしれないし、ほかの俳優の若いマネージャーと思ったかもしれない。

 植木等が私と同じ三重県の出身であることは知っていたので、挨拶の一つもして、同県人であることを話せばよかったと今になって思うが、当時はそんなこともできず、ただ黙って彼と向き合っていた。
 ほとんど膝を突き合わすような感じだったので、とても気詰まりだったが、私はその場を離れることもせず、結構長い時間、そうやって座っていた。
 そのやって時間をつぶしていると、製作部長が戻ってきたので、私は挨拶をすませ、そのあと、助監督会の委員をしていた年長の助監督に引率されて、撮影部、照明部、大道具部、小道具部、衣装部、結髪などの各部門を挨拶して回った。
 私を案内してくれたのは、久松静児監督の息子の久松正明という人で、彼がチーフを務めている映画に翌日から〝助監督見習い〟(フォース)として就(つ)くようにと言い渡された。
 それが、「奇妙な仲間」だった。

 「奇妙な仲間」の監督は、児玉進。当時43歳だった。
 児玉進の曾祖父は、明治時代の陸軍大将児玉源太郎である。
 児玉源太郎は、日露戦争のとき、乃木希典大将が攻略にさんざん手間取ったロシアの要塞「203高地」を、28サンチ砲などの兵器を大量動員してあっという間に陥落させたことで知られる英雄だ。
 児玉進は、テレビドラマの「青春とは何だ」「これが青春だ」を演出し、人気を博したことから、その手腕を評価されて、映画の演出機会を与えられたのだった。
 映画監督昇進第1作は、「おいろけコミック 不思議な仲間」で、それが比較的好評だったことから、続編の「奇妙な仲間 おいろけ道中」を監督することになった。
 第一作および続編の主演は、夏木陽介と林与一で、これに女優が絡んだ。第一作がジュディ・オングで、続編が大原麗子であった。
 脚本は、当時新進の鎌田敏夫と「青い山脈」ほかを手がけたベテランの井出俊郎の共作。

 私の助監督初日は、いきなり、朝6時頃の早朝出発で、ロケバスに揺られて芦ノ湖畔方面に出かけた。
 夏木陽介、林与一、大原麗子が絡む場面のロケ撮影で、そのあと移動してどこかの砂浜(静岡の浜岡砂丘あたり)でも撮影したように思うが、そのあたりの記憶はあいまいである。
 覚えているのは、前日に「明日は、砂浜での撮影があるから、それにふさわしい格好で来い」とチーフ助監督にいわれ、わざわざビーチサンダルを履いていったら、そんな格好をしていたのは私だけで、慶應大卒のダンディな児玉監督から、「早稲田は、これだからイヤだ」と呆(あき)れ顔でいわれたことだ。

 大原麗子は、1960年代半ばに東映映画に何本か出演し、当時すでに売れっ子のスターになっていたが、そういうそぶりは少しも見せず、休憩時間や待機時間に、監督やスタッフに舌っ足らずな甘えるような口調できさくに話す姿に好感がもてた。
 そのときの感触から、てっきり年上だと思ったのである。

 仕事の場で彼女と直接口をきいたのは、アフレコルームでだった。
 ロケ撮影では、街の音や車の音などの騒音を拾ってしまってセリフがキレイに聞こえないので、撮影後に静かな録音スタジオで、同じセリフを録音しなおすのが、アフター・レコーディング、略してアフレコだ。
 俳優は、スクリーンに映し出されるロケ撮影で自身が演じた映像を見ながら、そのときを思い出して自分のセリフをしゃべるのだが、口の動きに合わなかったりするとNGとなり、何度もやり直さなければならない。
 そのチェックをするのが、新米助監督である私の役目だった。

 アフレコが始まる前に、学生時代柔道部だったという久松チーフ助監督から、
 「彼女はアフレコがあまり得意ではないから、厳しく判定するだぞ。少しでも口の動きがずれていたら、NGを出せ。お前は、口の動きとセリフが合うかどうかだけチェックしろ。あとは監督が判断する」
 と念を押されていたので、私は、大原麗子が「これでよし」という表情を見せたときも、
 「(どこそこが)ちょっとズレているので、もう1回、お願いします」
 などと平然と口にしていた。
 そういうことを繰り返すうちに、彼女の表情が次第に険しく、不機嫌になっていくのが見てとれた。
 そして彼女は、
 「どこが悪いの? 麗子、これ以上は無理」
 と、唇をとがらせた。

 スクリーンの映像をはっきりさせるために、アフレコルームの照明は消してあるが、出演者が脚本のセリフを読めるように脚本を置く台には電気スタンドが取り付けてあった。
 その明かりが、私に苦言を呈する大原麗子の顔を下から照らしていた。
 そのときの光のあたり具合が、ちょうど怪談映画のようで、あの美しい大原麗子の顔がとても怖く見えた。
 今考えると、向かい合った私の顔にも下からライトが当たっていたわけで、彼女も「怖い!」と思ったに違いなかった。
 当時コンタクトレンズをしていた私の目は、仕事が終わったあと、寮に戻って夜中の2時、3時までシナリオを書いたり、読書をしたりしていたので、寝不足が重なって白目が充血していたに違いなく、その恐ろしさは彼女の比ではなかったろう。

 チーフ助監督は、それ以上、彼女の機嫌を損ねてはいけないと思ったのか、金魚鉢と呼ばれるブースの向こうから、
 「今のはキープしますから、もう1回、お願いします」
 と助け舟を出したので、大原麗子は表情をふっとゆるめて、もう1回トライする気になった。
 そのときもセリフとスクリーンの口の動きが少しズレていたが、私は彼女が気の毒になって、両腕を頭上で丸の字にした。
 ややあって、金魚鉢から、
「OKです」
 という返事が返ってきた。
 彼女は、顔に美しい笑みを浮かべ、
 「お疲れさまでした」
 と私に礼儀ただしく挨拶してアフレコルームを出、金魚鉢にいる監督に挨拶してから帰っていった。

 彼女が亡くなったと聞いたとき、私は、このようなことを思いだしたのだった。
 39年も前の出来事だが、ついこの間のように思える。
 彼女の冥福を祈りたい。

(城島明彦)

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2009/10/10

金スマSP(南田洋子の認知症恢復)は、巧妙に計算された番組だった

 TBSテレビが、昨晩(2009年10月9日午後9時~)「金スマSP(スペシャル)」で、南田洋子の認知症(=痴呆症)に改善が見られるという話を、夫である長門裕之の〝極道人生〟を彼女がいかに健気(けなげ)に支え続けてきたかという〝お涙ちょうだいストーリー〟と重ねて、再現ドラマを交えながら紹介した。

 この番組を放送する3日前に、長門裕之から、南田洋子が正気を取り戻しているとTBSに連絡があったので、急遽(きゅうきょ)、その映像を撮影して、番組に入れ、これが全編のコア(核)となっている。

 その映像で見ると、半年近く前にテレ朝が映し出した「正視にたえないほど老(ふ)けて、変わり果てた南田洋子」というイメージとはまるで別人の「生き生きとした南田洋子」であった。
 
 今年の4月20日にテレ朝が「ドキュメンタリ宣言」という番組で見せた南田洋子は、髪ふり乱し、自分が誰であるかさえわからない症状に陥っていた。この番組は、その半年前の2008年11月3日に同枠で流した南田洋子の認知症をテーマにした「第2弾」というか、「続編」として制作された。

 なぜ続編を作ったのかといえば、第1弾が22%を超える高視聴率をあげたからである。
 しかし、テレ朝の撮影クルーは、第2弾では、痴呆状態で意思の疎通を欠く南田洋子と彼女を介護する長門裕之を追いかけて、美しさを売り物にする「女優」という職業にあった女性が、本来、人様には見せるべきではない衝撃的な姿を放映し、視聴者から激しい非難を浴びた。

 その放送で問われるべきは、
「彼女が正気であったなら、そんな状態になった時の姿が全国放送されることを認めたかどうか」
 という判断・配慮が抜け落ちていた点である。
 彼女が元気だった頃に出演した映画やDVDを見て、数多くの人々がその映画や彼女に抱いていた心情や思いを無残に踏みにじったという点への配慮のなさもあった。
 
 私も、当ブログで、
 「女優という夢を売る商売をしている女性の、気の毒で残酷な姿・醜態を他人の好奇の目にさらすな」
 と非難した。
 「女優であっても人間」
 という人もいるだろう。だが、女優という職業を選んだ以上、そのイメージを崩すようなことはしてはならないのだ。
 わかりやすい例を出そう。たとえば、晩年の石原裕次郎や美空ひばりが、認知症になったと仮定した場合、その姿を見たいと思う人がいると思うか。もしそうなったとしても、そういう姿は見せないでほしいと願うはずだ。
 石原裕次郎は「タフガイ」というニックネームやテレビドラマ「西部警察」で「ボス」と呼ばれていた役どころどおり、死ぬまでタフな男でいてほしいと人々は願ったし、美空ひばりに対しても、大病から復帰した直後のコンサートで、苦痛を感じさせない歌いっぷりを見せたから、「永遠の裕次郎」「永遠のひばり」として、今も人々の心のなかに生き続けているのだ。

 そういうイメージを南田洋子の夫である長門裕之は、まったく理解していなかった。

 さて、今回のTBSの金スマSP(スペシャル)で映し出された南田洋子についてだが、3日前の彼女として映し出された映像は、テレ朝の第2弾でのイメージとあまりに違うので、番組を見た人は、例外なく、びっくりしたはずである。髪はきちんと整えられ、表情も引き締まり、目が生き生きとして、言葉づかいもはっきりし、ジョークまで口にしたていたのだから。

 そのとき私の頭をかすめたのは、「まだらボケ」という言葉だった。認知症には、「ずっとボケっぱなし」の場合と、「ときどきボケる」場合と、「ときどき正気に返る」場合の3通りあるが、「南田洋子は3日前に正気に返ったのではないのか」ということだった。
 番組中では、「長門裕之から連絡があって、自宅を訪ねることになった」という意味のナレーションが〝さらっと〟語られる。
 それを聞いて、私は、「たまたま3日前に正気づいただけなのではないのか」と疑った。

 認知症の看病のしんどさ、老人介護で家族にかかる負担の想像以上の大きさ・重さは、実際に体験した人だけでなく、そういう話を聞いたり、本で読んだりして、かなりの人が知っている。
 私自身も、父の介護で母や妹が倒れたので、その大変さはわかっているつもりだが、父の存命中に、もしどこかのテレビ局が「家族に迷惑をかけている父の姿をテレビで放送したい」と申し入れてきたとしても、私や母や妹は断っていただろう。

 (父は認知症ではなかったが、要介護4であった。要介護度は5段階あり、一番重いのが5で、父はその次だった)

 私の父は教師だったから、たくさんの教え子がいる。
 もし仮に父が認知症に陥っていたとしても、教師だった人間には尊厳というものがあるし、教え子たちの思い出のなかにある父の元気な頃のイメージを私は壊したくはないし、父もそう願うであろうから、父の老いさらばえた姿を他人に公開したいとは絶対に思わない。

 南田洋子は、演技派というよりは、美しさや聡明さを売り物にしていた大女優である。そのイメージを壊したり、覆すようなことを、家族はしてはならないのではないか。

 今回の「金スマSP」のスポンサーは、トヨタ、NTTドコモ、資生堂、ロッテ、P&Gなど、そうそうたる一流企業群である。
 これらの大企業は、半年前のテレ朝番組への批判の声を知っていて、番組に注文を出しているはずである。内容次第では、企業イメージに傷がつくだけでなく、下手をすると企業批判までされかねないからだ。
 その点、TBSは、これらの大スポンサー様のご機嫌を損なわないよう最大限の注意を払い、その結果、番組は、用意周到、批判が起きないように、実に巧みに作られていた。

 「医者は、彼女の恢復ぶりについて、どう診断しているのか。知りたい」
 と思いながら私はテレビを見ていたが、なかなか医師が登場しなかった。
 医師は、最後の方にちょっとだけ登場し、「肝臓が原因の認知症は、肝臓が治っていくと症状が改善される」というだけであり、それに続いて、
 「認知症は、進行する」
 というニュアンスのナレーションを、番組の終わり間際に、申し訳程度に付けたしていた。
 要するに、TBSは、番組全編を通して、夫婦愛を強調し、元気になっている姿を巧み随所に挿入することで、
 「南田洋子は、ちょうど3日前に偶然、正気づいただけじゃないのか」
 と疑わせないように演出する一方で、
 「南田洋子は、治ったんだ、恢復したんだ」
 と思わせるような演出をしていながら、「認知症は、進行する」と逃げを打っているのである。

 「テレ朝のような失敗・愚はおかすまい」
 とのTBSの思惑に、どれだけの視聴者が気づいたろうか。

 3日前以前の元気な姿の映像が、なぜないのか!?

 今回の番組は、視聴者の反応(同情・反論など)をすべて予想し、再現ドラマを多用するなど、計算しつくした構成・演出がなされており、その点では、(多少の皮肉を込めて)非常によくできたドキュメンタリー番組だったということができる。

(城島明彦)

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2009/10/04

「五輪選考は政治的」と石原都知事、当たり前のことをいうな!

  「五輪選考には、目に見えない政治的な動きがある」
 と、石原慎太郎都知事が帰国会見でいったとさ。

 何をトボケたことをいっている。
 きれいごとでオリンピックを誘致できると思っている人間が、何人いるのか。

 スペインが「マドリッド」に誘致しようとしたことを例に引かなくても、オリンピックに政治が絡むのは常識。
 「1992年にバルセロナで開催しておきながら、またスペイン?」
 と考えるのが、常識人の発想。
 マドリッド誘致の中心人物は、サマランチ。1980~2001年までIOC(国際オリンピック委員会)の会長を務めた〝妖怪人間〟である。
 IOCには、まだまだ彼の子分や息のかかった者が大勢いる。
 
 ベテラン政治家の石原都知事が、そんなことを知らないわけがない。
 戦況も読まず、敵(ライバル国)の手のうちも知らずに、徒手空拳(としゅくうけん)で戦(いくさ)に臨んだということか。
 そういうのを「戦費の無駄づかい」といい、敗れたことを「犬死」という。

 沈黙は「金」。誘致失敗の醜い弁解は、みっともないし、聞きたくもない。

(城島明彦)

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2009/10/03

2016年夏季五輪落選は〝ひとり相撲〟で、税金の無駄づかい!

 2016年夏季五輪は、ブラジルのリオデジャネイロに決まったが、下馬評どおり、日本は最下位票しか獲得できなかった。

 個人的には、オリンピックを東京へ誘致すること自体には賛成だが、開催時期というものがある。

 東京オリンピックが開かれたのが1964年で、それから半世紀以上経つのだから、十分開催資格はあると単純に考えたのだろうが、日本の隣の北京でやったオリンピックの印象が世界中の人たちの記憶のなかにまだ鮮明に残っている。

 北京五輪は2008年、その前の韓国のソウル五輪は1988年。同じアジアの近隣国での開催は、20年間がある。

 とすれば、東京で開催できる可能性があると思えるのは、北京五輪から20年後の2028年以降。まだまだ先の話である。

 候補地として名乗り出ていた「マドリッド」を、どう思ったか。

 バルセロナ五輪は、1992年。今年はそれから17年経つが、それでも世界の人は、
「バルセロナでついこの間、開かれたばかりじゃないか。おまえら、どういう感覚をしているのか」
 と思ったはず。

 2016年はバルセロナ五輪から24年後ということになるが、感覚的には、「つい、この間」という印象が強く、しかも「同じ国で」ということになると、もっと期間をおかないといけないだろう。

 しかし、当事者は、そういうことすら見えていなかったのだから、ピエロだ。裸の王様だ。

 東京都が、日本が、今回やったことは、それと同じ。

 「状況判断」などという大げさな言葉を使わなくても、そういう常識的なことを考えれば、立候補しても、選ばれる可能性はきわめて低いということはわかったはず。

 日本の誘致委員たちが、どう見てもダサイとしかいいようのない〝ドブねずみ色〟の制服を着て、パッとしない演説をしても、下馬評を覆す可能性などなかった。

 無謀。誘致運動のために、一体、いくらかけたのか。「税金の無駄づかい」の一言につきる。

 この始末、どうつける!?

(城島明彦)

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2009/09/27

力士は全員、朝青龍にならって、勝ったら、土俵上で万歳やらガッツポーズしよう!

 大相撲秋場所千秋楽で、白鵬が朝青龍をぶん投げて、ともに14勝1敗となり、優勝決定戦にもつれこんだが、今度は朝青龍が底力を見せて、白鵬を土俵に転がし、優勝した。

 「なんのかんのいっても、朝青龍は強いな」
 と思っていると、朝青龍、土俵上で、観客に向かって両手を上げた。

 テレビ観戦していた相撲をよく知るファンの多くは、その姿を見て、不快感を抱いたはずだ。
「プロレスじゃないぞ」

 かつて、貴乃花が大けがをしながら、武蔵丸を下して優勝を決めたとき、鬼のような形相をしたが、彼はガッツポーズも、バンザイもしなかったし、観客に両手をあげて観客の歓呼の声に応えるようなこともしなかった。

 それが、勝利した力士のあるべき姿なのである。

 朝青龍が両手をあげたとき、NHKのアナウンサーが、「勝負は強かったですが、その後が……」と言葉尻を濁し、解説者の北の富士も「あれはよくないね」と申し訳程度に付け加えた。
 それで終わり。アナウンサーも北の富士も、なぜもっと激しく叱りつけないのか。

 力士が土俵上でガッツポーズをしたり、両手をあげたり、何か発言したりすることは「禁止」されているはず。
 罰金とか処分とかはないのか。

 したい放題やって、日本の国技・伝統をコケにし続ける朝青龍。
 そういう奴を倒せない日本人力士も、情けない。
 だが、こんな奴は、いくら強くても、まともな相撲ファンは認めないぞ!

 相撲協会が朝青龍に何のお咎めもしないのであれば、他の力士も、これからどしどしガッツポーズをし、両手をあげたり、バンザイしたらどうか?

(城島明彦)

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2009/09/26

ボクサーの亀田興毅は、スポーツ選手にあらず!


 ボクシングの世界フライ級チャンピオン内藤大助の次回戦(2000年11月29日)の対戦相手が亀田興毅に決まって、24日に記者発表があった。

 その模様がテレビニュースでも流れたが、興毅は、まったく成長が見られず、相変わらず、言葉づかいがなっていなかった。

 興毅はもうじき23歳になるというが、内藤はちょうど一回り上で35歳。
 内藤が23歳のとき、興毅は11歳で小学生という計算になる。
 内藤から見たら、完全なガキである。

 にもかかわらず、興毅は、世界チャンピオンである内藤に対し、年下に使うような乱暴な言葉づかいを散々した。

 スポーツの世界で、後輩が先輩にそんな口を聞く選手がどこにいる?
 街のチンピラでも、先輩には敬語を使う。ましてや、興毅はスポーツマンの端くれだ。
 先輩や年長者に対しては、敬語を使え!

 そういう姿をテレビで見て、「彼のようになりたい」とあこがれる少年がいると思うか?

 興毅が、もし一回り年齢が下の小学生から同じような言い方をされたら、どう思うのか。
 そういうところまで考えが及ばない、そのレベルの人間としか思えない。

 興毅は、ボクシングというスポーツの評価を確実に落とした。

 周囲のものが注意して直すようにしていけば、聞いている第三者が不快になるような口の聞き方などしないのだろうが、父親をはじめ、彼の周囲にいる人間が非常識極まりない連中ばかりなのだろう。

 興毅は、完璧に人間失格、スポーツマン失格だ。

 興毅が35歳になっったとき、万が一にもボクシングを続けていられたと仮定して、そのとき、一回りも下のガキから、年長者を年長者とも思わぬ言葉づかいをさせたら、どう思うか?

 いや、そうことすらわからないオツムの程度だから、世界チャンピオンに対してすら、キチンとした言葉づかいができないのだろう。

 こういう選手は、一刻も早く、ボクシング界から抹殺されることを願うのみだ。

(城島明彦)

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2009/09/16

雅山の右耳に張り手で勝った〝史上最低品格横綱〟朝青龍

 朝青龍の品格のなさは、横綱として史上最低。

 朝青龍は、性根が腐っている。

 もし対戦相手が、連日、朝青龍に張り手をかましたら、朝青龍は怒って相手をにらみつけるだろう。

 常識的にいって、下位力士は、最高位の横綱に対して遠慮して張り手をかまさない。

 それをいいことに朝青龍は、対戦相手に張り手を連発する。

 こんな卑怯な横綱がどこにいる? 

 横綱の張り手は一種のパワーハラスメントなのだ!

 相手構わず張り手を連発した横綱が過去にいたか? いたら教えてほしい。

 大相撲秋場所3日目。朝青龍は、前頭筆頭の雅山相手に、立ち合いざま、左手で顔面に張り手を一発かました。と、その直後、雅山の体が前に落ちた。

 耳を殴られ、一種の脳震盪(のうしんとう)のような感じになったのではないか?

 こういうことをしなければ勝てないのか?


 朝青龍と対戦する力士は、同じ負けるにせよ、今後、張られる前に朝青龍の耳に張り手を食らわせてやったらどうか!

(城島明彦)、

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2009/08/19

横浜開港150周年記念本『横濱幻想奇譚』(ぶんか社文庫)

 横浜開港150周年を記念して書き下ろした『横濱幻想奇譚』(ぶんか社文庫)、好評発売中。

 開港150周年・横濱……この場所には幻想奇譚(ファンタジックミステリー)がよく似合う!(帯のコピーより)

Photo_7

(城島明彦)

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2009/08/05

『横濱幻想奇譚』(ぶんか社文庫)が本日発売になりました

 今年が横浜開港150周年に当たり、私も東京から横浜に移り住んで25年ほどになるので、それを記念して、横浜を舞台にした小説を書きました。

 当初は、怪奇小説にするつもりでしたが、編集者の小川将司さんの要請もあって、恐怖色を排し、ファンタジックでロマンチックなものにしました。タイトルは、彼がつけました。

 「たそがれホテル」は、伊勢佐木町にあった古いホテルの通称という設定ですが、これは架空のホテル。
 サンフランシスコでシーフードレストランを営む日系二世が、生まれ故郷の横浜にやってきて、自身の出生の秘密や父母の秘密を知っていく話に、恋愛が絡み、謎が謎を呼んでいきます。さて、ラストは? 

 「外国人墓地の首」は、雑誌社で働く若い男女が、外国人墓地に埋められた首のない謎の人物を特定する話です。彼らが証明した墓の埋葬者は、意外も意外、日本史上に残る大人物であった。

 「封印」は、知り合いのオートバイレーサーが行方不明になり、彼の恋人の依頼で、夕刊紙の横浜支局に勤める若手記者が、謎のメッセージを解明していく話。

 「横濱ステーションの陸蒸気(おかじょうき)」は、不思議な赤い糸で結ばれた、明治と平成の恋人たちをめぐるロマンチックでミステリアスなラブストーリー。

 定価は、税込み630円。ご一読ください。

Photo_2

※写真をクリックすると、少し大きな画面でご覧いただけます。

(城島明彦)
 

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2009/07/26

「張り手連発」の朝青龍は、横綱の資格なし! 早期引退を望む

 「横綱の品格」
 という言葉とは縁遠い存在。
 それが朝青龍だ。
 誰が何回いっても、わからないようだ。

 大相撲名古屋場所14日目(7月25日)。優勝争いから早々と脱落している朝青龍は、琴欧州と対戦した。
 琴欧州は大関、しかも横綱白鵬と優勝争いをしている。
 (そういう相手に、まさか張り手はしないだろう)
 そう思っていたら、案に相違して、右手で強烈な張り手を放った。
 テレビカメラのマイクはそのときの音を拾っていた。
 バシッではなく、ガシッというような、すごい音がし、琴欧州のでかい顔が大きく横を向いた。
 激しい衝撃があったはずだが、琴欧州は、それをものともせず、いとも簡単に朝青龍を土俵外に葬り去った。
 
 朝青龍は、志が低い。低すぎる。
 張り手をしなかった取り組みのほうが少ないのではないか。

 「張り手」を使わないと勝てないのかもしれない。
 これだけ頻繁に使うと、そう思えてくる。

 「横綱相撲」
 という言葉を朝青龍は知らないようだ。
 連日連夜の「張り手」をしても、横綱として恥ずかしいと思っていないのだろう。
 見ているこちらが恥ずかしくなってくる。

 何のつもりで、相手かまわず、連日の取り組みで、張り手をかますのか?
 まともにやっては勝てないと思っているなら、サッサと引退せよ。
 日本の国技を汚す人間は、相撲界から一刻も早く去れ、といいたい。

 朝青龍は強いのだから、張り手など使うな。
 封印せよ!

 張り手は、れっきとした相撲の技の一つではあるが、毎日毎日、立ち合いで張り手を繰り出す横綱が、どこにいる!
 もはや、「くせ」「習慣」になってしまっている。情けない。

 勝つために何をやってもいいのは、下位の力士だけだ。
 たとえ立ち遅れても、堂々と受けて立ち、相手を一蹴する。
 それが横綱というものだ。

 張り手のどこが悪い、と朝青龍が開き直るなら、こう尋ねたい。
 「連日、立ち合いで変わったり、引き落としを連発したり、けたぐりばかり繰り出す横綱がいたら、どう思うか」と。
 張り手は、それと同レベルの、横綱が連発してはいけない技だ。

 それくらいことを、横綱なら理解しなければならない。

 NHKの相撲解説者やアナウンサーも、そのことをもっと厳しくいうべきだ。

 大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花といった名横綱の誰が、相手かまわず張り手を連発した?
 日本の大相撲史を飾った歴代の横綱のなかで、誰がいる?

(城島明彦)

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2009/07/23

草彅剛は、なぜ簡単に「地デジCM」のキャラクターに復帰できたのか? 裏で何があった?

 芸能界は甘い。甘すぎる。

 逮捕されはしたが不起訴となったものの、草彅剛は「チン出し」というハレンチなことをやらかして、あれだけ世間を騒がせておきながら、再び「同じイメージキャラクター」として復帰できるとは、一般人の感覚では理解しがたい。

 一度、事件を起こし、企業イメージを傷つけて、CMキャラクターから降ろされたら、二度と復帰はありえない。
 それが広告業界の掟であり、常識ではなかったのか。

 草彅が無償で出演するという話になっているが、「タダだから、いいだろう」という理屈にはならない。
 「恩返し」「おわび」
 というのは当事者間だけの問題であって、第三者たる一般人の感覚ではない。
 
 私は、個人的には、タレントとしての草彅剛を嫌いではないが、それとこれとは別。ケジメはケジメとして、きちんとつけないと、「前例」となってしまう。

 そういう悪例を、NHKおよび民放各社は、つくってしまったのである。

 NHK単独なら、おそらく、こういうことはしなかっただろう。

 民放一社だけでも、同様だったろう。

 そこに、「みんなで渡れば怖くない」的な、怖さが潜んでいるといえはしまいか。

 「草彅が許されたのだから、今度の誰それだって、ほとぼりが冷めたら、また出せばいい」
 そういうことになっていく危険性をはらんでいる。

 「たとえ不祥事を犯しても、人柄がよくて、反省しさえすれば許され、いとも簡単に復帰できるのか」
 という問題も浮上する。

 もし彼が群小芸能プロダクションに所属していたなら、復帰などありえない話だったろう。
 彼がNHKはじめテレビ各局に多大な影響力を持つ「ジャニーズ事務所」に所属しているからだと疑わざるをえない。

 企業のCMに起用されていた芸能人で、何か事件や騒ぎを起こして、そのCMを降ろされた者が再び同じ企業の同じ商品のCMキャラクターとして、事件からそう遠くない日に再び採用されたことは、過去に例がないのではないか。

 もし誰かいたなら、その芸能人の名前と起用した企業・商品名を教えていただきたい。

(城島明彦)

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2009/07/10

あれから50年。〝NHK紅白歌合戦7年連続出場歌手〟中原美紗緒「河は呼んでる」の歌詞が消えた謎を追う [その2]

●フランス映画「河は呼んでる」の舞台は、アルプス山麓からプロバンス地方の古都アビニヨンへと流れているデュランス河である。
 原作者のジャン・ジオノと映画監督のフランソワ・ヴィリエが映画化に着手したのは、一九五六年の春だった。
 フランソワ・ヴィリエは、1920年3月生まれで、「河は呼んでる」を完成させたときは38歳。
 9歳上の兄は著名俳優のジャン・ピエール・オーモン(1911年~2001年)で、映画界にはコネがあったが、当初から映画界に身を置いたわけではなかった。大学を出て「エクレール・ジュナル紙」に勤め、ニュース・カメラマンをしていたが、映画界に転進したのである。

●フランソワ・ヴィリエは、カメラマンから出発し、演出家を目指して助監督になり、当時の一流監督だったジャック・ド・バロンセリ、モーリス・クロシュ、レオニイド・モギイらに師事。短編映画監督としてデビューを果たす。
 短編監督作品には「黒い友情」「ブラザヴィールをめぐって」「伊太利に於けるローレーヌの十字勲章」などがあるが、これらは第二次世界大戦中に撮影したもので、ナチスドイツに占領されていたフランスが連合軍の侵攻によって解放されると、ジャン・コクトーの解説で、これらの作品は上映され、話題を呼んだ。
 「河は呼んでる」以前の長編映画監督作品は、兄のピエールを主演に据えた「マルセイユの一夜」(1948年)だけである。

●映画「河は呼んでる」のストーリーは、ジャケットの解説のところにも少し書かれていたが、もう少し詳しく紹介しておこう。
 アルプス山麓のオート・ザブル県にあるユバイという彼女の住む村は、デュランス河のダム工事のために人口湖の底に沈むことになり、村人たちは賠償金をもらう。
 オルタンスの父は土地をたくさん持っていたので、3千万フランという大金をもらうが、それを家のどこかに隠したまま死んでしまい、彼女が遺産相続人となる。
 しかし彼女は未成年なので、後見人が必要だった。公証人立会いのもとで親族会議が開かれ、未成年の彼女を親戚が1か月ずつ預かるという取り決めをつくる。
 ところが、親戚の連中は彼女が手にする遺産がめあてで、醜い争いを繰り広げるが、金の隠し場所を誰も発見できない。
 彼女も知らなかったが、ある日、偶然、屋根裏部屋のおもちゃ箱に隠してあるのを見つける。その瞬間から、彼女は大金持ちになったのである。
 強欲な親戚連中のなかで、オルタンスが唯一、信頼し、心を寄せたのは、おっとりして金銭に無頓着なシモンという名の叔父だった。シモンは羊を飼い、のんびりと大自然のなかの生活をエンジョイしていた。オルタンスは、前々からよくそこを訪ねては、彼と一緒に羊の群れを追っていた。
 オルタンスは、父の残した遺産の一部で新しい服を買ったりテレビを買ったりしたので、親戚の者は彼女がお金を見つけたに違いないと考え、彼女を地下室に監禁する。
 しかし、彼女は白状しない。
 やがて、オルタンスが生まれ育った家や村がダムの底に沈む日がやってきた。その日は、彼女がちょうど成人になる日だった。
 彼女は、巨額の金をおもちゃ箱からテレビの箱のなかにこっそりと移し変えていた。
 そのテレビは、今は、自分を監禁した親戚の家に運ばれている。
 ダムに貯水が開始され、監禁されていた自分の家が水に沈む直前にオルタンスは、脱出し、公証人や親戚の者が居並ぶ前で、テレビからお金を取り出す。
 そしてその金を持ってスクーターに乗り、心を寄せるシモン叔父のもとへと向かったのである。

●映画「河は呼んでる」の評については、フィガロ紙のものは紹介したが、それ以外の新聞の表も紹介しておこう。
 《 「河は呼んでる」は今迄にその類を見ない映画である。ジャン・ジオノは強大な機械工場に圧迫される自然を前にして、まず抵抗を感じてシナリオの筆をとった。語らざる風景はまれに見る厳正な趣きを呈し、フランスでも有数の風光明媚なこの地方をシネスコ画面と美しい色彩とが完璧にとらえている。 》(「パリ・ジュルナル紙」1958年5月8日付)
 《 この映画は、物語そのもののうちに、出演者たちの心理の動きの中に、ドラマの背景となる風景そのものの中に、そのすぐれた価値をもっている。
 監督はモナスク付近の非常に美しい風景をすぐれた色彩でとりあげることができた。パスカル・オードレの演技はまったく素晴らしい。アンネ・フランクを舞台で演じて有名になる以前に、彼女を発見し、この大役を与えたフランソワ・ヴィリエ監督の慧眼(けいがん)の敬意を表すべきである。 》(「ル・モンド紙」1958年5月8日付)

●映画の話は以上で終わり、主題歌に移る。
 「河は呼んでる」という曲名は、現在では「河は呼んでいる」という「い」を入れた題名で音楽の教科書やピアノ教則本などに載っている。
 どう違うかの簡単な見分け方は、「『い』のない方」は映画が封切られた当時の歌詞で、「『い』のある方」は後日作られた歌詞だと考えればよい。
 「い」を入れた歌詞は、音羽たかしとは違う別の作詞家の手になる訳詞で、最初に中原美紗緒が歌った歌詞とはまったく違った内容になっている。音羽たかしについては[その1]で説明した。
 その歌詞を訳した人は、水野汀子という作詞家だ。

●曲名に「い」が入って「河は呼んでいる」となっただけでなく、歌詞がまったく別物に変わったのは、1961年である。NHKの音楽プロデューサー、ディレクター、作詞者自身のいずれかが言い出し、意図的に変えたに違いないが、歌が大ヒットしてわずか3年しか経っていない時期に、なぜ変えなければならなかったのか!? その話をする前に、「い」のない歌詞を、もう一種類、紹介しておこう。

●「い」のない「河は呼んでる」の日本語訳詞は、加山雄三の「君といつまでも」ほかの歌の作詞家としても知られる岩谷時子が訳した詞だ。
 岩谷時子は、元宝塚の出版部勤務から、大物シャンソン歌手越路吹雪(こしじふぶき)のマネージャーに転じ、越路吹雪のためにオリジナル訳詞を創ったのである。越路吹雪は宝塚出身で、宝塚時代に二人は仲良くなった。

●(2)河は呼んでる(岩谷時子訳詞) 右側が原詞
  あの娘は河の 溢れる水よ      Ma petite est comme l'eau Elle est comme l'eau vive
  走れば子等は 追いかけてゆく    Elle court comme un ruisseau Que les enfants poursuivent
  走れ 走れ 流れのように       Courez, courez  Vite si vous le pouvez
  誰にも 掴まらぬよう          Jamais, jamais Vous ne la rattraperez

  そよ風ふけば 子羊つれて       Lorsque chantent les pipeaux Lorsque danse l'eau vive
  あの娘はいつも 森へ出かける     Elle mène mes troupeaux Au pays des olives
  おいで おいで 羊の群よ       Venez, venez, Mes chevreaux, mes agnelets
  オリーヴしげる 水のほとりへ     Dans le laurier, Le thym et le serpole

  いつもあの娘が まどろむときは    Un jour que sous les roseaux Sommeillait mon eau vive
  若者たちが まわりを囲む       Vinrent les gars du hameau  Pour l'emmener captive
  しめろ しめろ ハートの鍵を      Fermez, fermez  Votre cage à double-clé
  溢れる水よ 早くお逃げよ        Entre vos doigts  L'eau vive s'envolera

  若者たちは あの娘が好きで      Comme les petits bateaux  Emportés par l'eau vive
  愛のながれに 小舟を浮かべる    Dans ses yeux les jouvenceaux  Voguent à la dérive
  漕げ 漕げ 恋の港へ          Voguez, voguez, Demain vous accosterez
  だけどあの娘は お嫁には早い    L'eau vive n'est  Pas encore à marier

  ある朝のこと 可愛いあの娘を     Pourtant un matin nouveau À l'aube mon eau vive
  やさしい声で 河が呼んでいた     Viendra battre son trousseau Aux cailloux de la rive
  お行き お行き 河は呼んでる     Pleurez, pleurez Si je demeure esseulé
  お前の河の 溢れる水よ         Le ruisselet Au large s'en est allé

●加山雄三の「お嫁においで」とどこか似かよう印象がある訳詞である。「お嫁においで」も、加山の曲が先にできていて、あとから岩谷時子が詞をつけたから、作業としては訳詞と同じだ。
岩谷時子の詞は、シャンソンの影響が強く、春夏秋冬の自然を歌詞にとりいれるのが巧みである。

●「お嫁においで」(岩谷時子作詞・弾厚作作曲) ※弾厚作は、加山雄三のペンネーム。
  もしもこの船で 君の幸せ見つけたら
  すぐに帰るから 僕のお嫁においで
  月もなく寂しい 暗い夜も
  僕に歌う 君の微笑み
  船が見えたなら 濡れた体で駆けて来い
  サンゴでこさえた 赤い指輪あげよう

  もしもこの海で 君の幸せ見つけたら
  すぐに帰るから 僕のお嫁においで
  波も夢を見てる 星の夜は
  僕に揺れる 君のささやき
  船が見えたなら 濡れた体で駆けて来い
  空へ抱き上げて 燃えるくちづけしよう
 
●「河は呼んでる」の歌詞を一変させるのは、子供向けの番組「NHKみんなのうた」である。
 中原美紗緒が最初に歌って大ヒットした歌詞は、映画の内容に沿ったものなので、映画を知らない人には意味がわからないところがいっぱいある。
 「オルタンスって何?」
 「やがてすべてが 流れの底に埋もれる? 何のこと?」
 ましてや子供となると、なおのこと。意味が理解できなくなる。それで、映画を知らなくてもわかる内容に変えられたと推理できる。
 「子供は、映画のストーリーなんかわからないから、いっそのこと、まったく別の訳詞にしよう」
 「それに、最初の訳詞は歌詞の一部をすり変えていて問題がある」
 ということになり、シャンソンなどを訳詞していた水野汀子に頼んだ。
 曲名も、このとき「河は呼んでる」から「河は呼んでいる」に変わり、歌詞も子供を意識してガラリと変わったのである。

●(3)河は呼んでいる(訳詞 水野汀子)  右側が原詞(1番のみ)

  そよ吹く風に 小鳥の群れは      Ma petite est comme l'eau Elle est comme l'eau vive
  河の流れに ささやきかける       Elle court comme un ruisseau Que les enfants poursuivent
  ごらんよ あの空 しあわせの陽が   Courez, courez  Vite si vous le pouvez
  あなたの上にも ほほえんでいる    Jamais, jamais Vous ne la rattraperez

  野ばらのかげに 小鳥はいこう
  森の泉も 静かに眠る
  ごらんよ あの河 ささやく声が
  わたしの胸にも 呼びかけている

  そよ吹く風に 小鳥の群れは
  河の流れに ささやきかける
  ごらんよ あの空 しあわせの陽が
  あなたの上にも ほほえんでいる

  ごらんよ あの空 しあわせの陽が
  あなたの上にも ほほえんでいる

●「NHKみんなのうた」が始まったのは、「い」抜きの「河は呼んでる」の歌がヒットした3年後。昭和36年(1960年)4月3日。放送時間は月曜から金曜までの毎日で、午後6時30分から35分まで。
 新しい訳詞をつけた「河は呼んでいる」が「NHKみんなのうた」に初めて登場するのは、番組開始から3年目の昭和38年春。4月・5月の木曜日に中原美紗緒が歌ったという記録がある。
 そのことを確認するべく、NHKに尋ねたところ、「『NHKみんなのうた』の歌集の1冊目(第1集)が資料として残っているが、誰が歌ったかは書いてない。昭和39年3月発売となっている。それ以外はわからない」との返事だった。
 中原美紗緒本人に確認するのが一番確実だが、彼女はすでに亡くなっている。
 訳詞が映画の内容を反映しすぎていることや、歌詞の一部が勝手にすりかえられているという問題はあったにせよ、大ヒットした歌である。しかもNHKは、紅白歌合戦でも中原美紗緒にその歌詞で歌わせている。
 そこまでしておいて、同じNHKがまったく別の歌詞に変え、それを同じ歌手に歌わせるという神経が、私にはよくわからない。
 その後も、同番組で「河は呼んでいる」は何度も取り上げられ、歌集にも掲載されてきた。
 こうして、中原美紗緒の当初の歌は、過去のものとして葬り去られるような形で消えていく運命をたどったのである。

(城島明彦)

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2009/07/09

あれから50年。〝NHK紅白歌合戦7年連続出場歌手〟中原美紗緒「河は呼んでる」の歌詞が消えた謎を追う [その1]

 誰にも、はるか昔に聞いた歌をもう一度聞きたくなるときがある。
 私の場合は、中原美紗緒(なかはらみさお)の「河は呼んでる」(「呼んでいる」ではない)がそうだった。
 シンプルで覚えやすいワルツの曲を、中原美紗緒が透き通るような美しい声で歌って大ヒットした歌である。今から半世紀も前の出来事だった。
 この歌のレコードには、異なる3つの訳詞が存在し、興味ひかれる謎めいた話がある。

●中原美紗緒という名前を聞いても、「誰?」という人が多くなった。
 彼女は東京芸大の声楽科出のシャンソン歌手で、昭和30年代(1955年~64年)に活躍し、NHKテレビの連続ドラマ「バス通り裏」の主題歌を歌い、紅白歌合戦に7回連続して出場するなど活躍したが、1997年夏に65才の若さで亡くなった。
 「あんみつ姫」(倉金章介原作の同名マンガのドラマ化)の主役で、映画にも何本か出演した。
 彼女が歌った深夜の映画劇場(マルマン映画劇場)の冒頭に流れる「夜は恋人」という曲もヒットした。
 (蛇足:マルマンは、国産初のガスライターを売り出し、その後、ゴルフ用品や禁煙パイポで知名度を上げた会社。創業者か片山豊。衆議院議員の片山さつきは、舛添要一と離婚後、片山豊の息子で元社長の片山龍太郎と結婚している)

●中原美紗緒は、中原淳一の姪っ子である。
 中原淳一の名は、年配の女性なら大概(たいがい)知っている。若い女性でも、彼の描いた挿絵の画風を見ると、「この絵なら見たことがある」と思う。
 中原淳一は、竹下夢二のような抒情的な女性の絵を描いた画家・挿絵画家であったが、それだけでは満足せず、少女雑誌「それいゆ」「ひまわり」を創刊するという異才の持ち主で、その表紙を自ら描いた。彼が描く少女が見につけたファッションは少女たちから圧倒的な支持を集めた。
 「ひまわり」や「それいゆ」は何度か復刊され、今でも目にすることができる。

●「河は呼んでる」は、彼女が紅白歌合戦に3回目に出たときに歌った曲で、今日でも子供のピアノ教則本やフルートやギターの教則本にも載っていて、かなりポピュラーな曲といってよい。歌の本やギター教則本に載っている歌の題名は「河は呼んでる」と「河は呼んでいる」の2つがある。
 「い」をつけるかつけないかなど、どうでもいいじゃないか、と思ったら大間違いだ。「い」がついているのとついていないのとでは、大違いなのである。

●現在、中原美紗緒が歌ってレコード化し、大ヒットした「河は呼んでる」を収録しているCDは、かつてのSPレコード音源からCD化した全集(絶版)など、そのほとんどが絶版になっている。
 そういう状況下で、私は、この歌が収録されている「Music Life~栄光のポップス・ヒッツ~」(キングレコード)というCD(全部で40曲入っている)を見つけ、買った。
 「河は呼んでいる」だけを聞きたいのであって、ほかの曲は聞きたくもなかったが、You Tubeにアップされていない田代みどりの「パイナップル・プリンセス」が入っていたのと、定価が3200円と手ごろだったから、「まあ、いいか」と思って買った。

●割安なのはよかったが、冒頭のフランス語の歌詞が4箇所も違っている歌詞カードにはまいった。
 viteをvinte と誤記したり、rattraperezのtが1個しかなかったりするのは愛嬌だとしても、どう聞いても中原美紗緒が「ヴェネ、ヴェネ」と歌っているようにしか聞こえない個所が「Jenez,Jenez」となっているのはひどい。(これについては詳しく後述する)

●私は、学生時代にフランス語を教養課程で2年間学んだ程度で、その後はまったくご無沙汰しているので、フランス語の知識は怪しい限りだが、中原美紗緒の「ヴェネ、ヴェネ」(venez,venez)という発音が気になり、原詞にあたってみた。
 原詞を書いたのは、ギイ・ベアールというシンガーソングライターで、彼は作曲もし、自ら主題歌も歌ったのである。この歌はシャンソンらしくなく、フォーク調という点も異色だった。それが幅広い層に好まれた原因かもしれない。

●このシャンソンらしくないフォークっぽい感じの曲が世界的に流行ったのは、昭和33年(1958年)で、この年封切られたフランス映画「河は呼んでる」(「呼んでいる」ではなく、「呼んでる)」の主題歌として歌われた。映画もヒットしたが、主題歌は爆発的にヒットした。
 フランスのフィガロ紙は、この映画を「控え目で、感動的で、明解で、しかも残虐なユーモアを帯びたこのシナリオのもつ詩に感激しないものはあるまい」(5月6日付)と絶賛し、フランス文部省推薦となった。

●「河は呼んでいる」の原詞を見てわかったのは、中原美紗緒が歌っていた歌詞の「1番の出だしのフランス語は、一部が原詞と違っている。2番の歌詞の一部を勝手に1番に持ってきている」ということだった。
 1番の原詞で、Jamais, jamais,(ジャメ、ジャメ)となっている個所を、2番の歌詞であるVenez, venez,(ヴネ、ヴネ)に変えているのだ。今なら、著作権法上、アウトだが、それ以前に、この2つの言葉は意味がまったく異なる。
 Jamaisは、原詞では「後の文章に否定を伴う用法」として使われている。
   Jamais, jamais, Vous ne la rattraperez  とても、とても、あの子はつかまらないよ
 これを、勝手に次のように変えたら意味が通じなくなる。
   Venez, venez,  Vous ne la rattraperez   おいで、おいで、あの子はつかまらないよ
 意訳するといっても、ここまでやるのは問題である。
 原詞を無視して訳したのは、音羽たかしという作詞家。
 この人が悪いのか、音楽プロデューサーが悪いのか、ディレクターが悪いのか?

●音羽たかしとは誰か? 「音羽」が、キングレコードの本社のある文京区音羽にちなんでいることは容易に想像できる。名前の「たかし」は、そこが高台だったということに引っ掛けていることも想像がつく。それともう一つ、「音は高し」(音楽は高らかに、といったような意味)というシャレでもあるのだろう。
 この音羽たかしなる人物は、キングレコードに所属したザ・ピーナツ、ペギー葉山らが歌った海外のポップスの訳詞を多数手がけているが、キングレコードの複数社員の総称であって特定の個人ではない。いわば匿名というか覆面作詞家である。だからといって、無責任な訳をしてよいわけではない。

●中原美紗緒が歌ったシングル盤レコード「河は呼んでる」は、キングレコードから350円で発売された。
 ジャケットは、羊が群れているアルプス山麓の牧草地の岩に主人公の少女「オルタンス」が右向きに腰かけて、足を小川にひたしている写真が使われている。映画のワンシーンだが、レコードジャケットでは、足元の小川の部分がカットされている。
 ジャケットでは、オルタンスの足元(右下)にも中原美紗緒の顔写真が丸窓にはめ込んである。
 そして右上にある山には、男たちが5人集まった(これも映画の)一場面が横長に小さくはめ込まれている。
 このことからわかるように、音羽たかしの訳は、映画の内容を反映したものになっている。

●(1)「河は呼んでいる」(訳詞 音羽たかし) 最初の歌詞
 中原美紗緒が歌って大ヒットし、NHK紅白歌合戦で彼女が歌った歌詞を、ジャケットに記されたレイアウトで以下に再現する。

  Ma petite est comme l'eau
  elle est comme l'eau vive
  elle court comme un ruisseau
  que les enfants poursuivent
  courez, courez, vite si vous le pouvez
  venez, venez, vous ne la rattraperez

  1)デュランス河の 流れのように
   仔鹿のようなその足で
   駆けろよ 駆けろ かわいいオルタンスよ
   小鳥のように いつも自由に

  2)岸辺の葦(あし)に 陽はふりそそぎ
   緑なす野に オリーブ実る
   駆けろよ かけろ 可愛いオルタンスよ
   心ゆくまで 子羊たちと

  3)やがてすべてが 流れの底に
   埋もれる朝が 訪れようと
   ごらんよ ごらん かわいいオルタンスよ
   新しい天地に あふれる水を

●中込純次(フランス文学者)の訳
 原文に忠実な訳を紹介する。
   可愛いあの子は水のようだ    Ma petite est comme l'eau
   あふれ出る水、湧き出す水    Elle est comme l'eau vive
   あの子は走る河のように      Elle court comme un ruisseau
   それを子供が追いかける      Que les enfants poursuivent
   駆けろ。駆けろ            Courez, courez 
   どんなに早く走っても         Vite si vous le pouvez
   とても、とても            Jamais, jamais
   あの子はつかまらないよ      Vous ne la rattraperez

 これは1番の歌詞だ。原詞は全部で5番まであるが、「デュランス川」というフランス語は出てこないし、村がダムの底に沈むことを暗示した「すべてが流れの底に埋もれる」という言葉もない。「オルタンス」という少女の名前も出てこない。
 つまり、音羽たかし訳の歌詞は、映画のストーリーをうまく盛り込んだ内容なのである。おそらく映画の配給会社の要請もあっって、そうなったと推測できる。
 したがって、この映画を観ていない人や、年月が経って映画のことを知らない人たちが増えてくると、歌詞そのものの意味が理解できなくなってくる。

●ジャケットの裏には、歌詞(訳詞)以外にも歌の解説が載っている。今日ではわからないことも書かれているので、以下に引用する。
《 映画「河は呼んでる」(58年度、カンヌ映画祭出品作品)に主役として、登場するパスカル・オドレ(注:原文のまま)の名前は、演劇ファンの皆様にはおなじみ深い事と存じます。昨年秋(57年)、「アンネの日記」主役アンネに抜擢された当時無名のこの少女は、モンパルナス劇場の舞台に立ち大成功を収め、映画より一足先に舞台で有名になってしまいました。
 この映画の主役、オルタンスに扮する彼女のナイーヴな美しさと演技とは、わが国でも話題になる事でしょう。
 アルプスからプロヴァンスへと、ゆたかな流れを運ぶデュランス河と、そこに建設されて行くダム工事、更に湖底に沈む運命を負はされた渓谷の美しい村々が背景となって物語は展開されます。
 少女オルタンスは、デュランス河の化身ともいうべきで、人工的に変型されつつも、なお深い自然のふところを流れつづける河の姿は、そのまま少女が迫害、束縛、破壊にもかかわらず、自由と純潔を守りつづけて行く姿に通ずるものでしょう。
 映画ではギター1本によって、この河の乙女オルタンスのライト・モティーフが奏でられますが、この曲の持つ素朴で、しかも劇的な要素が観る者の心を強く打ちます。映画音楽として取り上げてみても最近出色の作品と申せましょう。作曲のギイ・アベールはモンマルトルの有名なミュージック・ホール「3匹のロバ」で歌っていた良い歌手で、この作曲で一躍有名になりました。
 レコードは無論少女オルタンスとデュランス河の清冽な流れを描写したこの映画の主題歌で、中原美紗緒の唄も清々しいリリシズムを盛り込む事に成功した、最近の傑出盤と申せましょう。 》

●映画の原題は、「L′EAU VIVE」で、主題歌は、これをそのままつけた。
L′EAUは「水」(最初のLは冠詞)、VIVEは英語のビビッド(vivid)に該当するフランス語で「生き生きとした」「活発な」という意味である。
 インターネットで調べてみると、現在、世界中に「L′EAU VIVE」という名前のホテルやレストランが多数存在し、海外ではとてもポピュラーな言葉であることがわかる。
 しかし、そのまま訳しても映画のタイトルにはふさわしくないので、意訳してロマンチックな感じのする「河は呼んでる」になった。
 映画「河は呼んでる」とその主題歌「河は呼んでいる」の河は、フランスのプロヴァンス地方を流れているデュランス河をさしている。
 プロバンス地方は、何年か前に日本でも観光地として注目を浴び、同地方のことを記した本が何冊も出たこともあり、今日では比較的よく知られた地名となっている。

●アルプス山脈を源流とするデュランス河は、〝暴れ河〟で、やたら氾濫を繰り返したので、ダムを作ることになり、そのあたりの村はダムの底に沈むことになる。
 そういう実話をヒントにして1956年に創作された映画が「河は呼んでる」(邦題)である。
映画の主人公は、黒髪が美しい少女オルタンス。彼女を演じたのがユダヤ系フランス人のパスカル・オードレ(ジャケットでは「オドレ」)。
 この映画の主人公は、デュランス河そのものであり、河の化身ともいうべきオルタンスである。
 映画の原作者ジャン・ジオノは、デュランス河の清烈で美しい流れと、身内の人間の醜い争いに触れて人間的に大きく成長していく姿を重ね合わせて描いた。

●パスカル・オードレは、13歳のときに映画「河は呼んでる」の主人公を探していた監督のフランソワ・ヴィリエに見いだされ、銀幕デビューを果たすのだが、「河は呼んでる」は、ダムの工事に合わせて撮影が進んだため、4年もの歳月を要することになる。
 企画がスタートしてから完成するまでに4年もの歳月をかけたこの映画の主役にオードレが抜擢された理由は、原作者ジャン・ジオノのイメージにぴったりだったからである。

●パルカル・オードレは、1936年にパリ郊外のヌイイ・シュル・セーヌで生まれ、幼少時にはスペインでも暮らした。
 彼女は、俳優のオリヴィエ・ユスノに勧められて、ノクタンビュエール劇場所属の「ピエール・ヴァルトの演劇講座」を受講し、演技の基礎を学んだ。そして、端役(はやく)ではあったが、「メイジャー・トムプソンの手帖」「現代娘」の舞台に出た。
 映画出演も、「河は呼んでる」が最初ではなかった。それ以前に、「二人で一対」「(1952年)、「未来のスターたち」(1955年)、「パリのマネキン」(1955年)などにも端役で出ているが、ほとんど無名であった。
 「河は呼んでる」を撮影中、彼女には別の幸運が訪れる。1957年秋、舞台劇「アンネの日記」のアンネ役に抜擢され、パリの「モンパルナス劇場」の舞台に立つのである。アンネ役で彼女は一躍有名になり、「河は呼んでる」の成功は、その時点で約束されたようなものだった。
 
●「河は呼んでいる」は撮影中からフランス映画界・演劇界の注目を集め、彼女は撮影中に、アンドレ・カイアット監督の「眼には眼を」にも出演することになる。彼女は、美しい黒髪、大きな黒い瞳を買われてアラビア人の少女役だった。
 「河は呼んでる」で注目を浴びた後、彼女は、ピエール・シュナル監督の「危険な遊び」(1957年公開)に主役で出演した。しかし、「河は呼んでる」以上の評価をえることはできず、その後もつらい女優人生を歩むことになる。
 彼女の以後の出演作品は、「俺は知らない」(準主役級・1963年)、「カラカス12時5分前」(準主役級、ディズニー映画、1967年)、「自由の幻想」(脇役、1974年)、「ポケットの愛」(脇役、1977年)である。

●ここで話は飛ぶが、パスカル・オードレはやがて結婚し、女の子を生む。その子ジュリー・ドレフュスは成人して、お母さんそっくりの美人になり、フランスでモデルとして活躍する。
 彼女もまた、黒髪美人。しかも、日本語がぺらぺらだったことから、NHKの「フランス語講座」の助手に抜擢されて注目を集め、資生堂のCMや映画「遠き落日」などにも出演したので、知っている人は多いはずだ。しかし、きれいすぎて、今一つファンは増えなかった。
 「遠き落日」は作家渡辺淳一が書いた野口英世の伝記を映画化したもので、彼女は渡米した英世と結婚するアメリカ人看護婦の役を演じた。その後、彼女は、活躍の場をハリウッドに移している。この映画は2回見たが、印象に残っていないところをみると、映画自身の出来も彼女の演技もあまりたいしたものではなかったのだろう。
(以下、[その2]に続く)

(城島明彦)

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2009/07/02

昭和30年代のB級白黒映画も、それはそれで面白い

 B級映画を4本まとめて観た。
 「ノンちゃん雲に乗る」(昭和30年=1955年)、「憲兵と幽霊」(昭和33年)、「女吸血鬼」(昭和34年)、「花嫁吸血魔」(昭和35年)。

 続いて大映の白黒映画「不知火検校」(昭和35年)を見た。これは森一雄監督作品のピカレスク・シネマ(悪漢主役の映画)である。
 悪知恵の働く盲目の按摩が悪いことばかりやって権力者に成り上がっていく話で、それまでは白塗りのノッペリした役ばかりやっていた勝新(勝新太郎)が怪演し、演技開眼した記念すべき作品。座頭市シリーズは、この作品の延長戦上にある。

 5本も古い映画を観ると、比較的新しいものも観たくなり、洋画の「ニーベルングの指輪」(5年くらい前の作品)も見た。
 これは、ワーグナーの歌劇「ニーベルンゲン」の映画化だが、A級まではいかないがAB級の娯楽大作で、話そのものは面白く、2回見た。もともとは壮大な叙事詩的ドイツ神話。それをかなり脚色してある。
 昔は、ニーベルンゲンと訳していたが、いつのまにか「ニーベルング」と呼ぶようになっている。ドイツ語では「Der Ring des Nibelungen」だから、「ニーベルンゲン」ではないのか?

 このところ、50年以上前に封切られた新東宝映画をたて続けにDVDで観ているが、映画に出てくる中華料理屋の看板に「ラーメン30円」などと書かれているのを見つけると、「これは歴史的資料だ」などと、つい大げさなことを考えたりしてしまう。古いB級映画には、そういう楽しみ方もある。

 「ノンちゃん雲に乗る」は、石井桃子原作のベストセラー童話の映画化。
 「文部省選定映画」なので、当時小学生だった人は、学校の貸し切りとなった映画館で観たか、学校の講堂で観たかのいずれかだったろう。
 私は講堂で見たが、映画のなかで、「ノンちゃん」に扮した鰐淵晴子がバイオリンで弾く「ガボット」と、悪ガキがはやしたてる「ノンちゃん、ノがつくノン左衛門(ざえもん)……」という歌は覚えていたが、雲の上から地上に戻るときにバイオリンを弾く「別れの曲」は覚えてはいなかった。

 彼女は1945年生まれなので、当時10歳だった計算になるが、日独混血だけあって体の成長が早く、着替えをするシーンでは下着の胸がすでに小さくふくらんでいることが、今回DVDで見てわかった。当時の日本人では考えられないことだ。

 それから15年後、私は本物の鰐淵晴子と会った。当時、私は東宝で助監督をしていて、彼女が「喜劇三億円大作戦」(石田勝心監督)に出演したからである。この話は別のところに書いたので、以下は省略。

 ノンちゃんのお母さん役は原節子。この人は、のちに小津安二郎作品には欠かせない女優となるが、今でも「日本一の美女」という伝説が残る人。
 今の人の美的感覚からすると、「ちょっと顔がでかすぎる」きらいはあるが、昔は、こういう人を理想の女性と考え、「永遠の処女」としたのである。吉永小百合の一世代上になる。

 おとうさん役は藤田進だ。この人には関東以北の人のような妙な訛(なま)りがあるが、出身地は久留米なので、いっぷう変わった九州訛りなのか。

 「ノンちゃん雲に乗る」は、今みると、雲の上の特撮が極めてお粗末で、しらけさせるが、当時はそんなことを感じなかったから不思議だ。

 「憲兵と幽霊」「女吸血鬼」は、怪談映画の最高傑作といわれる「東海道四谷怪談」を演出した中川信夫が監督した作品だけあって、B級企画ながら、よく撮れている。特に「憲兵と幽霊」は低予算にもかかわらず、面白く仕上げている。
役者では、天知茂が、「憲兵と幽霊」では極悪人の憲兵、「女吸血鬼」では吸血鬼と、あくの強い役を演(や)っている。
 「女吸血鬼」「花嫁吸血魔」のヒロインは池内淳子だが、同じ吸血鬼映画でも、監督の腕次第で、こうもレベルに差が出るかという見本のような作品である。
 こういう映画は、芸術性云々(うんぬん)を期待して観る映画ではないから、いかにB級娯楽に徹し切れているかどうかだ。

(城島明彦)

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2009/06/29

〝ハミ乳〟ならぬ〝ハミ乳輪〟、新発見! 〝日本映画史上初の全裸女優〟前田通子は映画『女真珠王の復讐』で、〝半乳輪〟も見せていた!

 前田通子(まえだみちこ)は、今から50年以上も前の日本のセックスシンボルだった女性だ。

 1956年(昭和31年)に封切られた新東宝映画「女真珠王の復讐」で、うしろ姿ではあったが、日本映画史上初の全裸をスクリーンで披露した主演女優として、知る人ぞ知る存在。

 岩場にしゃがんでいたスッポンポンの彼女がさっと立ち上がる場面がそれだが、日本映画史上記念すべきシーンは、されど、まばたきするくらいの時間に過ぎず、「なんだ、この短さは」と腹立たしく思うくらい極端に短いが、それでも当時は大騒ぎになり、当時青年や少年だった人たちの語り草となって今に至っている。

 この映画の共演陣は、藤田進(黒沢明の「姿三四郎」で主演)以下、のちにビッグネームになる宇津井健、丹波哲郎、天知茂、三ツ矢歌子が共演している。

 「女真珠王の復讐」は、そこそこの予算をかけているので、筋書きは〝それなり〟にしっかりしている。

 社長の椅子を狙っている貿易会社の専務(藤田進)は、自分が海外出張中というアリバイを設定しておいて、戦地で部下だった男(丹波哲郎)に命じて社長を殺させ、金庫の金も盗ませて、その罪を社員(宇津井健)と彼の婚約者(前田通子)にかぶせる。そのために宇津井健は刑務所にぶち込まれる。
専務は、秘書の前田通子を前々から狙っており、海外出張に同伴させて船の甲板で襲うが、彼女は抵抗し、海に転落して、行方不明になる。

 だが、うまい具合に無人島に漂着する。そこには、カツオ漁に出て難破し、漂着した漁師が5人いて、天知茂ともう一人以外の男は、久しぶりでみる日本の女に欲情してしまい、女をわがものにせんとして殺しあいに発展する。(これは、アナタハン事件という実際にあった事件が元ネタ)

 その島の海には真珠があり、彼女はアメリカに渡って「女真珠王」となり、復讐のために名前を変えて日本へ戻ってくる。そして、刑務所を脱獄した婚約者らと協力して復讐をはたし、めでたしめでたしというお話。

 扇情的という意味では、前田通子扮する秘書が、専務の魔手を逃れようとして航行中の船から海に転落し、無人島の浜に打ち上げられたシーンが一番ではないか、と私は思う。
 上半身は裸、下半身はなぜか(今では死語同然の)シミーズ一枚で、それが水に濡れて透けている。浜に横たわった彼女の腰、ヒップから太もも、足へと伸びる曲線がなんとも艶(なまめ)かしいのだ。

 カメラは最初、砂浜側から撮り、次に海側から彼女を撮る。砂に少し埋まる形で乳房の柔らかな丸みが見える。このカットの演出はいい。日本人のエロティシズムをうまく表現している。

 彼女が日本映画史上初の〝半乳〟ならぬ〝半乳輪〟を見せたのは、難破したマグロ漁船の漁師に小屋のなかで襲われるシーンである。
 抵抗し、揉みあっているときに胸に巻いた衣装が少しずり落ち、左右の乳輪が半分ばかり顔を出すのだ。といっても、ほんの一瞬! コマ送りで見ないと確認できないくらい超短い時間だが、乳輪の箇所が丸く黒く見えるので、それとわかる。(白黒映画なので黒く見えるのであって、実際の色は不明)
 
 彼女は演技に夢中で、そういうことに気づかなかったと思われる。監督はラッシュ(粗つなぎ)を見たときに「ありゃ」と思ったろうが、一瞬のことだから、「ま、いいか」とそのまま使ったのだろう。

 どうということの話ではあるが、主演女優の〝半乳輪〟出しは、とにかく日本映画史上初ということになる。

 新東宝は、この映画が大ヒットしたのに味をしめ、次の作品では前田通子を最初から裸同然にするにはどうしたらいいかと知恵を絞った。
 そして思いついたのが、「海女」という設定。これなら、裸になることに無理がない。ということで、翌年は「海女の戦慄」を作って、全編これ、大サービスに努めたのである。

 「女真珠王の復讐」では、貿易会社のOLという設定であるから、むやみやたらと脱ぎまくるわけにはいかなかったが、こちらは、海にもぐるのが仕事の海女だから、思う存分に肌を露出させることができる。

 で、この映画は、場内が暗くなると、いきなり、スクリーンに髪を肩まで伸ばした前田通子の背中を映し出し、彼女がおびえたような表情でこちらを向くと、上半身は裸とわかる。両手で胸を押さえているが、はみだしまくっていて、なんとも扇情的である。
 キャメラが少し引くと、彼女の立っている背後は白い壁で、そこにピストルを構えた男のシルエットが映し出され、彼女は誰かに脅されているのだということがわかる。と、「海女の戦慄」というタイトルが立ち上がってくる。

 映画を全部見終わると、このシーンは映画とは関係のないサービスカットであることがわかる。この割きりのよさは、〝B級映画のお手本〟のようなものである。

 DVDが発売されているので、この映画を再鑑賞した人は何人もいるだろうが、岩場に一糸まとわぬ姿ですっくと立った〝日本初の女優の全裸シーン〟や冒頭のシーンにばかりを注目して、別のシーンをおろそかにしたため、前田通子の「半乳輪」シーンに気づかずにきたに違いない。

 前田通子のことを書いているブログもチェックしたが、誰もこのことには触れていないのは、ほんの一瞬だけ左右の乳輪が半分露出しているのがわかる程度なので、見落としてきた可能性が高いが、私のように、目を皿のようにしてDVDを見るだけでは満足せず、何度もコマ送りして確認するような人は、いなかったということだろう。

 私が〝新発見〟に執念を燃やしたのは、このDVDを今頃になって見たという情けなさに加え、当時はとても厳しい性表現規制が敷かれていて、乳首や乳輪はおろか、乳房であっても画面で露出することはご法度だったから、それを覆すような新事実を見つけて悦に入りたいという気持ちがあったからだった。

 前田通子は、主題歌も歌っている。野村俊夫作詞・服部レイモンド作曲の「海女の慕情」で、なかなか上手だ。ときおり、美空ひばりそっくりの目元になるときがあるが、声はひばりほどうまくないが、歌がへたではない。

 「海女の戦慄」でチーフ所監督を務めたのは、のちに松竹で監督として喜劇を量産する渡辺裕介。小坂一也も挿入歌を歌っている。一流の連中が、この映画作りに参加していたのも見逃せない。

 「海女の戦慄」では、性表現がさらに進み、万里昌子(昌代。のち大映に移籍)が、何かというと、くっきり透け乳首で登場しているのも目を引く。万里昌代は、小柄なので、昔の用語でいう〝トラグラ〟(トランジスタ・グラマー)で、殺されて海中に下向きに浮かぶシーンでは豊満な胸と深い谷間を見せる大サービスもしている。

  故水野晴夫ふうにいうなら、「B級映画って、たまに見ると、ほんとに楽しいですね」というところか。

(城島明彦)

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2009/06/24

締め切りを気にしつつ、50年前の古い映画を見てしまった

 50年前の新東宝映画といっても、とっくにつぶれた粗製乱造の映画会社だから、若い人たちは「何、それ」でしょうなあ。

 くそ忙しいさなかにDVDで見た新東宝映画のタイトルは、もっと時代ばなれしている。

 「海女(あま)の戦慄(せんりつ)」「女真珠王の復讐」「海女の化物屋敷(ばけものやしき)」。

 化物屋敷などという言い方自体、死語に近いですな。

 これら3本は、今ふうにかっこよくいうと「エロチック・サスペンス」でございます。

 主演女優は、団塊世代以上のジジイたちなら大体知っている前田通子(「海女の戦慄」と「女真珠王の復讐)と三原葉子。いずれも、巨乳を売り物にする肉体派でございました。

 私は、長い間、前田通子主演のこの2作を見たいみたいと思いながら、見る機会を逸し続けてきました。

 DVDとして販売されているのですが、買ってがっかりすると腹がたつので、買わずに来ました。

 しかし、TSUTAYAにありました。それもずいぶん前から……。

 7泊8日のジジイ・レンタル価格は、1本たったの210円。

 ウハウハ喜びながら、3本も借りて、締め切り間際に見てしまいました。

 前田通子は、日本映画史上で初めて、吹き替えではなく、主演女優が尻の割れ目をスクリーンでさらけ出したお方であります。(彼女の記事は、前にブログに詳しく書いておりますので、関心がおありの方はそちらをどうぞ)

 尻の割れ目など、いまなら、どうということもない話ですが、50年前はたいへんなことでした。

 と、煽(あお)っておいて、今日のところは、ここまでです。いま書いている原稿があがったら、続きを詳しく書きます。

 それと、中原美紗緒(みさお)の「河は呼んでいる」についても、新説を書く予定。この人のことも、若い人は知らないでしょうなあ。テレビドラマ「あんみつ姫」を演じた美形のシャンソン歌手で、挿絵画家の中原淳一の姪(めい)っ子だった人……。

(城島明彦)

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2009/06/18

「星野ジャパン」の教訓はどうなった!? 日本代表といわず、なぜ「岡田ジャパン」というのか?

 テレビのスポーツニュースを見ていたら、サッカーの日本代表の戦績を報じるシーンで「岡田ジャパン」を連呼している局があり、イライラさせられた。

 日テレである。

 日テレのアナウンサーは、そうするのが当然かのように、「岡田ジャパン」を繰り返していた。

 そういえば、かつて「ゴ~~ル!」を連発して物議をかもしたのも、この局のアナウンサーではなかったか?

 私は野球大好き、相撲大好きだが、サッカーには興味がないので、試合中継は観ない。
 しかし、野球や相撲の結果をスポーツニュースを見ていると、サッカーの試合のダイジェストも目に入ってしまう。

 したがって、サッカーの2010年に開かれるサッカーの「W杯(ワールドカップ)南アフリカ大会」のアジア予選がどうなっているかぐらいはわかる。

 そのとき、イライラするのは、「岡田ジャパン」「岡田ジャパン」と連呼されることである。

 日テレが一番ひどい。局全体でそういうように決めてあるのか、スポーツの結果を報じる番組では必ず「岡田ジャパン」という。

 「おまえら、プロ野球のWBCの教訓を忘れたのか。試合をやっているのは選手であって、監督ではない」
 
 番組を見ていて、そう怒鳴りたくなったが、ふと、NHKや他の民放もそういっているのかもしれないと思って、見てみると、さすがにNHKは岡田ジャパンなどとは一言もいわず、「日本代表」で通していた。

 日テレは、野球のWBCで、なぜ「原ジャパン」をやめて「侍ジャパン」に名称を変えたのかという教訓を忘れてしまったと見える。

 「日本代表」といわないのか。なぜ「日本代表」どうしていえないのか。

 岡田監督が退場させられた試合で、日本代表は勝利しているが、それも岡田采配なのか?

 「日本代表」といえば、選手が主体にした呼称になるが、監督のことも含めたニュアンスは出る。

 テレビ局にとって言葉は「商品」だ。
 言葉を商売にしている企業なのだから、それくらいのことは考えてしかるべきである。

 それを馬鹿の一つ覚えのように、「岡田ジャパン、岡田ジャパン」と連呼するのだから、、あきれてものがいえない。

 その点、原辰徳は偉かった。
 星野仙一なら、「星野ジャパン」といわれて当然と思ったろうが、原辰徳は〝ファンの気持ち〟や世間の考え方をよく理解していた。

 そういえば、WBCでは、日本列島が連日連夜、フィーバーしまくるなかで、ひとりカヤの外だったテレビ局が日テレであった。
 あれで原は男を上げ、星野は男を下げた。あの時点で星野の時代は終わったのだ。誰もがそう思っている。

 ところが日テレは、いまだに「NEWS ZERO」で星野をコメンテーターとして定期的に使い続け、野球以外の事件や政治問題まで星野にコメントをいわせている。

 よほど人材不足とみえる。

 世間の感覚とズレまくっている星野のコメントなど聞きたくもないと思っている視聴者が多いことを、日テレは気づいていないらしい。

 「どうせ聞きかじりか、誰かの受け売りだろ? それを知ったかぶりして」
 視聴者のほとんどは、星野のコメントをそう思っている。

 ニュースはニュースで、専門家にきちんとコメントさせろ、といいたい。
 
 メインキャスターの村尾は、論点も鋭く、好感がもてるが、それを星野がぶち壊している。

 今の星野のイメージは昔の星野のイメージではなく、〝ダーティー〟な印象が強すぎる。そしてそのイメージは日テレのイメージにも波及する。

 ついでにいうなら、タレントの桜井翔がわけ知り顔に政治問題やら経済問題などを解説したり論じたりするのも閉口する。

 ついでのついでにいうなら、フジテレビの「サキヨミ」という報道番組も超レベルが低く、視聴者を愚弄している。

 そういう番組に共通するのは、ニュースを芸能化しているということだ。時事問題や経済問題をわかりやすく報じるということと、芸能人を起用して親しみやすくさせようとすることは次元が違う。

 視聴率を上げることばかり考えていると、テレ朝の「報道ステーション」ように、「大スクープ! 世界初! 金正日の後継者といわれる彼の三男正雲の写真入手!」などといって、そっくりさんの写真を報じるという笑止千万な大失態をやらかしてしまうのがオチである。
 
 あれ以来、視聴者の頭には、「報道ステーション」がどんなことをいっても、「また、ガセか?」という思いが頭の片隅にインプットされることになった。

 報道ステーションの大ポカの背景には、きちんと調査しないでガセネタに飛びつき、「世紀の大スクープ」として流してしまうという企業体質が関係しているのではないのか。

 報道番組での田原総一郎の「拉致事件の被害者死亡発言」、戦後最大のスクープと銘打った「川島芳子の遺骨発見の報道番組」……。

 一度なら目をつむれるが、二度も三度と立て続けに勇み足をくりかえすと、そう思われても仕方がない。

 話をサッカーに戻す。
 日テレの「岡田ジャパン」に驚いて、NHKを見ると、そうはいわず、「日本代表」といっていた。
 テレ朝やTBSのスポーツニュースも「流し見た」が、そのときの他局はみな、「日本代表」といっていた。

 ところが、TBSは今朝の「朝ズバッ!」のなかで、「岡田ジャパン」といい、ごていねいにもフリップにもそう書いてあった。

 それを見て思った。
 「同じ局内でも徹底していないのは、番組担当のディレクター、プロデューサーによるのではないか。知的レベルの低いディレクターやプロデューサーが担当しているスポーツ番組では、相も変わらず、監督名をチーム名としてしまっているのかもしれない」と。

 そういうことをチェックできていない局も、またレベルが低いということになる。

 少しは頭を使って、いい名前を考えてプレゼントしてやったらどうか。

(城島明彦)

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2009/06/17

菊池夏樹『菊池寛 急逝の夜』出版記念会の夜

 6月16日(火)午後6時から、JR市ヶ谷駅そばのアルカディア市ヶ谷(私学会館)で、元文藝春秋の編集者菊池夏樹さんの処女作『菊池寛 急逝の夜』(白水社)の出版記念会が開かれ、私も顔を出した。

 名前から察しがつくと思うが、菊池夏樹さんは、文豪にして文藝春秋の創設者菊池寛の孫である。
 夏樹という名は菊池寛がつけたが、夏樹さんが2歳のときになくなってしまった。

 発起人には作家の伊集院静、逢坂剛、大沢在昌、勝目梓の4氏が名を連ね、文壇の大御所である渡辺淳一、井上ひさし両氏が挨拶した。

 私が物書きになってまだ日が浅い頃、逢坂さんと大沢さんと私は、菊池さんに赤坂見附にある店の座敷ですき焼きをごちそうになったことがあった。

 そのとき逢坂さんから、私と逢坂さんが同じマンションに住んでいたことがあると聞いて驚いた。

 当時住んでいたのは、板橋区の蓮根というところにあった3DKのマンションだった。
 私が7階で逢坂さんは2階。702号と202号で垂直の位置関係であったから、間取りはまったく同じだったのだ。
 
 私が文藝春秋発行の小説誌「オール讀物」の新人賞を受賞したとき、当時勤務していた会社と付き合いがあった博報堂のある営業マンから「気づきませんで、申し訳ありませんでした。うちの逢坂剛にいわれて、知りました。受賞、おめでとうございます」といわれて、びっくりした。

 逢坂剛さんの名前は知っていたが、その人が博報堂に勤めていることは知らなかった。

 その分譲マンションに入居した私が、一階の郵便受けにずらっと並んだ名字のなかで最初に覚えたのは「中」という名字だった。

 「中」という名字が気になったのは、一文字の名字はそこだけで、しかもバランス感覚抜群の左右対称文字で目を引いたということ以外に、別の理由もあった。

 私は中日ドラゴンズの大ファンなのである。そのドラゴンズには、かつて「中利夫(なかとしお)」という名選手がいたのだ。今日に至るも、彼と同性のプロ野球選手は出ていない。

 中利夫は、センターを守っていた。センターは日本語でいえば「中央」、つまり「中」で、彼の打順が回ってきて「センター中」と場内アナウンスされるのを耳にするたび、あまりにできすぎではないかと思ったものだった。

 「オール読物」には、新人賞と推理小説新人賞の二種類がある。逢坂さんがそのマンションの部屋で書いた小説が1980年に「オール讀物」の「推理小説新人賞」を受賞し、作家デビューを果すが、私は、ちょうどそのから、小説を書いたいと思うようになっており、その2年後に「オール読物」の「新人賞」に80枚くらいの短編小説を応募した。

 同じマンションの住人がすでに新人賞を受賞していると知っていたら、別の賞に応募していただろうが、幸か不幸か、私は「オール讀物」の定期購読者でなかったためにそのことを知らなかった。
 今考えると、作家に必要不可欠な情報収集力が著しく欠如していたということになる。

 初めて応募した作品だったが、最終候補の3点まで残った。しかし、私だけが選に漏れ、残る2作が同時受賞した。

 それからしばらくして、「オール讀物」の編集者と名乗る人物から当時の勤め先へ電話がかかってきた。「会いたい」という。それが菊池夏樹さんだった。

 彼はえらく気を使う人で、待ち合わせ場所を銀座のソニービルにした。当時私がソニーに勤めていたからだった。一事が万事、この調子である。

 菊池夏樹さんは1946年6月26日生まれで、私はその2週間後の7月10日生まれ。性格も考え方も違うが、同じ時代の空気を吸って生きてきたという共通点がある。

 菊池夏樹さんは、いろいろアドバイスしてくれ、次に応募するときは直接、自分宛に送ってくれ、といってくれた。「オール読物」の新人賞は今は年1回だが、当時は2回だったので、私は会社勤めでよれよれになりながら、コミカルタッチの小説を書いたが、書きながらどこか違うなと思っていた。
 
 菊池さんに送ると、これはダメですといわれ、別のものに着手した。
 それを書きながら、「これでダメなら、以後、応募することはやめよう」と思っていたので、入選したとの知らせを受けたときはうれしかった。

 彼は1946年6月26日生まれで、私はその2週間後の生まれ。性格も考え方も違うが、同じ時代の空気を吸って生きてきたという共通点がある。
 
 出版記念会が終わりに近づいたとき、突然、私の名が呼ばれた。しぶしぶ壇の方へ出て行くと、彼はマイクに向かってこう紹介した。
「私が文藝春秋時代に担当させていただい作家の98パーセントが直木賞をとり、売れっ子作家になりました。残る2%は、この人です」
 私は、へらへらと笑うしかなかった。笑いながら、私は彼がいつも私に呈してきた苦言を思い浮かべていた。
「あなたほど、私のいうことに耳を貸さなかった人はいない」

 話が終わると、「見つかってしまいましたね」と声をかける人がいた。顔を見ると、ぶんか社の編集者の小川将司さんであった。

 菊池さんは、小川さんの編集担当で、菊池寛が書いた「競馬読本」をテーマにした祖父と孫のコラボレーション読み物を、7月にぶんか社から出すことになっている。

 私は、同社から8月5日に発売される書き下ろし小説を執筆中の身であり、本来なら家で青い顔をしてパソコンに向かっていなければならない立場なので、「やばい」と思った。小川さんは、その担当者なのである。

 小川さんと知り合ったのは、作家の角川いつかさんの紹介だが、話してみると、彼は、菊池夏樹さんが文藝春秋を退職した後、会長に就任した出版社に以前勤務していたことがあり、菊池さんをよく知っているということだった。世間は狭い。

 お開きになり、会場を出ると、二次会に繰り出すらしい〝のんべえ組〟の編集者や作家が集まっていた。

 昨年、小説執筆について手紙でアドバイスをしてくれた大沢在昌さんがそこにいたので、「がんばりま~す」と挨拶して階下へ向かった。

 菊池夏樹さんとは、近々、共著を出す計画が浮上している。うまくいくよう、がんばりま~す。

(城島明彦)

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2009/05/31

新型インフルを「政争の具」にした民主党と〝喜んで利用された〟女性検疫官

 私には、厄介な持病がある。若い時分からのもので、睡眠不足のときや疲労してくると背中の筋肉がこわばって痛くなり、仕事ができなくなる。それで、しばしばベッドに横になって休息する。

 5月28日も、執筆中に痛みがひどくなったので休憩することにし、テレビをつけてベッドにひっくり返った。

 ちょうど参議院の予算委員会での質疑応答をNHKが中継中で、眼鏡をかけた中年女性が質問に立ち、勇ましい口調で厚労省を批判していた。舛添厚生大臣は、答弁側にいた。

 見かけない国会議員だと思っていたら、意外や意外、厚労省の職員だった。正確にいうと、四十代半ばの技官(医系技官。羽田空港検疫官)である。

 この人物を参考人として呼んだのは、民主党の鈴木寛だと知って、「なるほど」と得心した。

 この技官、「日本には新型感染症に対する防御機能がない」「日本の感染症対策はゼロ」というのが持論の「反体制派」で、新型インフルに対する政府のやり方について不満たらたらの〝不平分子〟である。

 それだけなら、どうということはないのだが、この女性技官、新型インフルで世界中がパニックに陥りつつあった3月下旬に、タイミングを見計らったかのように講談社から『厚生労働省崩壊』という反体制本を実名で出版していた。

 「天然痘テロ対策」などがテーマで、新型インフルに言及したものではないが、きわもの的な印象はまぬがれない。

 こういう本には必ず仕掛人がいる。

 もし彼女が正義感から持論を展開しているのなら、選挙も近い時期にこうしたきわどい本を出すべきではない。「便乗商法」と受け取られてしまう。どんなに正論と思える主張を吐いても、痛くもない腹も探られることになる。

 それ以前に、もっと大きな問題がある。

 サラリーマンが本を出す場合は、会社の許可がいる。会社を批判するような暴露本は、無論、許可されない。たとえば、トヨタの社員が、『トヨタ崩壊』という本を書いたら、どうなる!? 株価に影響するどころの騒ぎではないはずだが、そうなる前に会社が許可しない。

 それでも強行に出版した場合は、それ相応の譴責(けんせき)処分が待っている。

その技官は、そういうことを覚悟の上で出版したのか!?

 官庁も同じだろう。しかし、3月に本が出て、はや6月になるが、まだ技官を辞めてはいない。それどころか、正々堂々、今度は、国会で民社党の走狗(そうく)となっての参考人発言である。
 一体全体、何を考えているのか。

 これから先を民社党から約束ないしは保証されてでもいるのではないのか。そう勘ぐられても仕方あるまい。

 その技官が、まだぬくぬくと仕事を続けているところを見ると、厚労省というところは、よほど鷹揚(おおような)な職場なのなのだろう。

 あるいは、厚労省が激震するような〝隠しダマ〟でも持っていて、うっかり処分できないのか。

 自民党政治のひどさは今更あげつらうまでもないが、民主党も昔の社会党と似たりよったりで、「何でも反対路線」が見え隠れし、民社党が政権を取ったら、こういう女性技官のようなタイプを厚労省のトップにすえることになるのかと考えると、ぞっとする。

 「政府のやり方がお粗末」であるとする女性技官の予算委員会での発言内容は、新聞やテレビニュースでも報道されていたから知っている人がたくさんいるだろうが、改めて書くと、こういうことをいった。

「マスクやガウンをつけ、検疫官が飛び回る姿は、パフォーマンス的な共感を呼ぶので、利用されたのではないか、と疑っている」

 厚労大臣の舛添は〝テレビの力・使い方を熟知しきったタレント〟のようなもの。加えて、衆議院議員選挙も近いことから、当然、パフォーマンスという項目も視野にあって当然である。

 こんなわかりきった低次元のことを、テレビ中継されている場面で、一技官が、したり顔でわざわざいう必要などない。

 パフォーマンスというなら、厚労省の一職員が国会の場で参考人発言をすること自体、パフォーマンス以外の何者でもないではないか。

 こういうのを「身勝手」という。テレビ中継されるからといって、「目くそ鼻くそを笑う」たぐいの茶番的なことをやってどうする。

 民主党の〝反自民パフォーマンス〟の一環として完璧に利用されたのは明らか。

 もし彼女が、技官として心底から、今回の新型インフルの防御策に危機感を募らせているのなら、論文とまではいわないまでも、緊急レポートの1本でも書いて、なぜWHOに直接働きかけないのか。

 選挙前に、自民党の厚労政策を公然と批判するような本を出す暇があるなら、医者として、公僕として、世界のため、日本のために身を粉にして尽くせ!

 公務員として、一方で、ぬくぬくと給料をもらいながら、給料をくれているところを公然と批判する本を出したり、テレビで発言するなど、もってのほか。

 文句があるなら、本を出したいなら、評論家になりたいなら、厚労省をやめてフリーになってからやれ。

 成田空港勤務ではなく、羽田空港勤務なので、のんびりと他人事のようなこともいっていられたのだろう、という皮肉な受け止め方もされてしまう。

 自民党も民主党も、そして、この厚労省職員も、みんな同じ穴のムジナだ。

 新型インフルは、これから進化しないと誰が言い切れる?

 メキシコ以外では、結果的に死者が少なかったからといって、安心するのはまだ早い。これだけのスピードで、世界中に飛び火する勢いを見ただけで、普通の神経の人は恐怖を感じているのだ。

 今年の冬から来年春までに、なにが起こるか、誰も予想できない。
 
 厚生労働省崩壊などとご高説を垂れる前に、医者であり技官である公僕としての自身の務めを果たせ!
 
(城島明彦)

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2009/05/29

もうひとつのWBCー―ボクシング「内藤大助と中国人ボクサーの試合」の後味の悪さ

 WBCというと、プロ野球の世界選手権を思い浮かべる人が多くなったが、どっこい、名称としてはボクシングのWBC(世界ボクシング評議会)のほうが大先輩である。

 内藤大助は、そのWBCで、5月28日に判定勝ちはしたものの、中途半端な印象を受けた観客が多かったはずだ。

 相手の中国人ボクサーの背が極端に低すぎたのが原因で、手こずりまくり、パンチにいつものさえがなかったが、相手以前に、減量に失敗していたのではないか。

 内藤自身がそれを一番感じていたのだろう、試合後のインタビューでは、「すみませんでした」を連発した。

 彼の人柄のよさにつられて、「まあ、勝ったからいいじゃないか」と私は思いはしたが、いまひとつすっきりしなかった。

 バッティングで切った両まぶたは30針も縫ったそうで、そのケガもいい印象にはならなかった。

 内藤が苦戦する試合を観ながら、野球のWBC 人気が盛り上がっている3月8日にタイで戦った辰吉丈一郎の試合(TBSが中継)を思い出した。

 辰吉はとうの昔に引退していると思っていたので、彼が試合をすること自体に驚いたが、年齢を知ってもっと驚いた。38歳であった。
 相手のボクサーは19歳。ちょうど半分の年齢である。

 プロ野球選手では、中日の山本昌のように40歳を超えても現役投手をやっている者もいるが、ボクサーでは40前後は無理。

 辰吉の試合では、セコンド陣が見るからに「ヤーさん風」というか「チンピラ風情」で、なんとも不快な感じがした。

 結果はボロ負け以前。試合になっていなかった。一言でいうと、ぶざま。
 
 まだ戦えると思っているのが悲しい。過去の栄光と伝説を汚すことはしない方がいい。

 そういうことは周囲のものがいってやらないとダメだ。

 そのときの試合後のインタビューでの辰吉の受け答えは、薬物中毒患者のように〝レロレロ〟だった。

 辰吉のレロレロ話から私は、あるボクサーを連想した。

 日本最強のボクサーといわれているピストン堀口である。
 
 彼をモデルにした映画(菅原謙二主演、妻役が若尾文子)を子供の頃に観たことがあるが、その中で今でも覚えているのは、くねくねと蛇行して歩いた後で、「自分ではまっすぐに歩いているつもりなんです」といったシーンである。

 ピストン堀口は、線路を歩いていて列車にはねられて死んでいる。

 辰吉の脳は、TBSが放送した彼の話し方や内容から判断すると、完璧にダメージを受けている。

 そういう状態の男に試合をけしかせ、テレビ放映するという感覚もよくわからない。

 辰吉はきちんとした精密検査を受け、リタイアしたほうがよい。

 TBSのゼニ儲け主義に踊らされていると、まちがいなく「廃人」になる。〝廃人20面相〟は、しゃれにならない。

(城島明彦)

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2009/05/20

「やればできる」と珍しく朝青龍を褒める

 朝青龍は、10日目把瑠都、11日目魁皇との対戦では、〝得意の〟張り手を使わなかった。

 左ひじの包帯が痛々しいが、ふたりの巨漢力士を正面から一気に攻めて軽く勝った。
 
 立ち合いに一発、張り手をかまさなくても、堂々の横綱相撲で勝てるじゃないか。

 いつも、こういう相撲をとらなければ。

 気になる点もなくはない。

 把瑠都と魁皇がどちらもケガをしているから張り手を使わなかっただけ、なのかもしれないという疑念だ。
 
 それは、これからわかることだ。

 張り手を使わない朝青龍は、実に立派ないい相撲をとる。

(城島明彦)

 

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2009/05/15

朝青龍の張り差し、何とかならないか

 朝青龍は、肘(ひじ)に痛みをかかえながらも奮闘してはいると思うが、毎度毎度の張り差し、あれは何とかならないのか。

 小結や関脇くらいの力士なら、「またか。しょうがない奴だな」ですむが、横綱となるとそうはいかない。

 くせになってしまっているようで、実に情けない。

 朝青龍の体つきは立派な横綱であり、横綱らしい貫禄も備えているが、毎度毎度の張り差しは、「横綱相撲」という言葉とは相容(あいい)れないものがある。

 相手を押したり突いたりするのが正面からの力であるのに対し、張り手は横からの力だから、特殊な使い方になる。

 そういう特殊な張り手の稽古をしまくっている力士がいるなどという話は、聞いたことがない。

 だが、もし誰かが、特殊な鍛錬方法を駆使して、手のひらの皮を異常にぶ厚く、堅く、鋼鉄のごとくに鍛えまくって最大の武器とし、「得意技・張り手」ということになったらどうなる!?

 張り手が許されるなら、「空手チョップ」も許されてもよさそうなものだが、相撲技にはない。

 それが、相撲の美学というものなのだろう。であれば、張り手は、相撲技としては、美学すれすれ・ぎりぎりの技とであるといえはしまいか。

相撲道を踏みはずしかねないギリギリのきわどい技を、出会いがしらに、いきなり相手にぶっ放すのを得意とする横綱の姿は、美しいものではなく、横綱としての自覚が足りないというほかない。

 朝青龍は、「相撲魂」というものが完全にはわかっていないように思える。今場所も、相撲が終わってから相手力士にガンを飛ばすという、横綱にあるまじき行為があった。

 話は変わるが、東関親方が今場所を最後に引退するそうだ。

 東関親方というより、彼は、やはり、今でも高見山だ。

 高見山は横綱にはなれなかったが、土俵態度は横綱だった。

(城島明彦)

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2009/05/14

〝エロじじい〟鴻池祥肇は国会議員を辞めろ!

 鴻池祥肇(よしただ)。
 こいつの情けないエピソードを聞いて、「絆創膏を顔にはって首相の足を引っぱった赤城議員」のことを思い出した。

 こいつの選挙区には、女の有権者はいないのか。いても、寛容な女ばかりなのか?

 議員宿舎に女を泊めたり、無料パスで人妻と温泉旅行したり、「女好きは先祖からのDNA」などと自慢げに公言するなど、時代錯誤の感覚で、国政を担っているという意識・自覚がまるでない。

 「こういうことをいっぱいやってきたが、今回は運悪くばれてしまった」
 などと当人はいいたいだろうが、「ばれる、ばれない」といった低レベルの問題ではない。
 
 こいつは、前に防災・特区担当国務大臣をやっている。
 わが身の防災を忘れてどうする?

 「都合が悪くなると、病院へ逃避」
 というパターンも変わりばえがしない。
 体が悪いのなら、女も議員もやめて、養生に専念しろ。

 鴻池は、麻生派の副会長。
 ヒイヒイいっている麻生親分をもりたてるどころか、足を引っぱってどうする。
 ノー天気な野郎だ。

 わが身を守れないのだから、麻生も守れないということか。

 (城島明彦)

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2009/05/04

「日曜洋画劇場」で、なぜ邦画?   「象の背中」のミスキャストぶり

 「日曜洋画劇場」と銘打っておきながら、5月3日(日)21時スタートの映画は、邦画の「象の背中」だった。
 
 この番組は、まだレンタルビデオ屋がない時代に、洋画の名作をたくさん放送し、私はそのほとんどを観てきた。
 
 総じて、なかなかいい映画を選んでやっているが、時折、テレ朝が制作費を出した邦画の駄作を放送する。

 5月3日放送の「象の背中」は秋元康原の同名の小説の映画家で、「突然、末期がんを宣告された40代後半の働き盛りのサラリーマンが、余命をどう過ごすか」というシリアスで興味あるテーマだったが、主人公の妻役の今井美樹が最悪で、演技以前の演技。学芸会に毛の生えたようなひどい芝居で、話を、というより映画全体をぶち壊していた。

 主役の建設会社部長に扮した役所広司は、そこそこの熱演のように見せかけていたが、ストーリー展開同様、彼の芝居にはリアリティが感じられなかったのが致命傷。
 
 井川遥の愛人との関係も中途半端。ふたりの子供も、なにやらとってつけたような田舎芝居。

 演出にもカメラワークにも、いいところはなく、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても駄作としかいえない映画。

 そういう情けない作品を何とか支えていたのが、脇を固めた岸部一徳と高橋克実。

 話を戻すが、「日曜洋画劇場」の邦画は、3月29日(「相棒」)と4月5日(「座頭市」)にもやっている。もっと以前にも、「男はつらいよ」シリーズや「鉄道員(ぽっぽや)」「夢」などをやってはいるが、ほとんどが洋画。
 
 邦画も流すのなら、「日曜映画劇場」となぜ名称を変えないのか。

(城島明彦)

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2009/05/01

内館牧子横審委員への朝青龍の挨拶奇襲は、細木数子の差し金?

 5月10日から始まる大相撲夏場所に先立って、一昨日(4月29日)、「横審の総見」(横綱審議委員会の稽古(けいこ)総見」が両国国技館で行なわれたが、無料公開のせいか、客席はいっぱいだった。

 土俵の正面にセッティングされたテーブル席には、横審メンバーのお歴々(現在13人で、鶴田日経新聞社元社長が委員長)がずらりと並んで、稽古を見守っていた。

 そこまではよくある話。ありえない話が起こったのは、稽古が終わった直後。何を思ったか、朝青龍が委員席につかつかと歩み寄り、内館牧子委員に接近した。

 内館さんは、大相撲史上初の女性委員で、しかも朝青龍の言動に対しては、朝でなくても〝ズバッ〟と歯に衣着せず〝男勝りの超激辛コメント〟を連発してきたお方。
内館さんは病みあがり。心臓病の手術をし、病院での〝点滴〟から復帰した彼女は、朝青龍にしてみれば、いつも激辛(げきから)で耳の痛いことばかりいう〝天敵〟。

 その天敵に文句でもいいにいったのかと場内に緊張が走ったが、朝青龍、テーブルに左ひじをついて、内館さんに顔面を接近させた。

 でかい体とでかい顔、でかい態度の朝青龍が迫ってきた意味がわからず、顔面がこわばる内館さん。と、朝青龍、テーブルに左ひじをつき、彼女の方に手を置いて、
「お元気ですか。手術、心配していたんです」
 と話しかけた、

 朝青龍得意の、横綱らしからぬ「張り差し」急襲を受けて、とっさには言葉が浮かばず、どぎまぎし、思わず苦笑する内館さん。そこへニの矢を放つ朝青龍。
 「これからも激辛な批評をお願いします」

 好意的・短絡的に考えれば、「天敵を見舞った朝青龍は、えらい、立派」「気さくな性格じゃないか」ということになるのだろうが、ちょっと待った。

 横審というのは、横綱らに苦言や正面きって文句をいえる「権威ある存在」。力士たちからみると、泣く子も黙る雲の上のコワ~イ人たちの集団のはず。
 それを屁とも思わず、ハグしながら「お元気ですか」とは、どういう了見か、といいたい。

 こんなことは、長い大相撲の歴史のなかでも前代未聞。

 いつも口うるさく叱りつけられている中学生が、病気から復帰した超厳しい文科省の幹部役人のいる部屋へいきなり入っていって、机にひじついて……という状況を考えたら、わかりやすいだろう。

 礼儀も何もあったものではない「内館さんへの奇襲お見舞い」は、朝青龍が一人で考えたことではあるまい。彼の日本の母を名乗る細木数子の差し金ではないのか?

 かけた言葉は丁寧であっても、「友だち感覚の挨拶」であり、朝青龍は、立場の違いというものを知らなさすぎる。横審の権威も何もあったものではない。

 ここはモンゴルではない。日本の伝統の頂点に立つ人間なら、もっと自覚せよ。それが嫌なら、マゲを落として母国へ帰るがいい。

 居丈高(いたけだか)に人々に説教垂れまくっていた細木数子女史も、自分の〝息子〟となると、つい甘ちゃんになってしまって、注意の一つもできなくなるというわけか。

 仰天こいた内館さんは、後になって頭にきているはずだ。
 ほかの委員連中は、いうべきことをもっとビシッといわないとダメだ。

(城島明彦)

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2009/04/29

秋葉原電気街の上空にUFOを見た!

 子供はみんなそうだろうが、私も子供の頃、UFOやお化けの存在を信じていた。

 UFOについては、小学6年の冬、壊れてしまった古い真空管ラジオを自転車の荷台に載せて電気屋へ修理に持っていった帰り道で見た。
 その物体は、はるか上空をオレンジ色の灯りを点滅させながら、ゆっくりとしたスピードで飛んでいた。

 翌日、学校でその話をすると、「自分も見た」というクラスメイトが一人いた。
 UFOの異動時間を考えると、その子の見た方角と時間は私が見たそれと同じと考えられた。
 その子は理科が得意で、大人が読むような電気関係の雑誌を日頃から読んでいたから、間違いないと思った。

 しかし、もっと大人になって、私たちが目撃したのは、ただの飛行機の灯りであったことを知った。

 けれど、大学生になって以後も、UFOやネスコの怪獣はいるかもしれないと思っていた。
 そう思わせたのは、テレビ番組である。特に日テレは、頻繁にそういう番組を流した。番組のディレクターは矢追純一氏であることがほとんどだった。

 特に大橋巨泉が司会をした日の「11(イレブン)PM」で流されることが多かった。ゴールデンタイムでの特番も、彼のディレクションでたくさん作られた。矢追氏は、番組を作っただけでなく、解説者としても自ら登場した。

 彼はUFO界のカリスマだった。私は、そういう番組が好きで、いつも見た。

 しかし、科学が急速に発達し、UFOや未知の怪獣などといわれてきた写真や映像がインチキであることが次々と見破られると、その手の番組は次第に姿を消した。
 そして矢追氏の出番もどんどん少なくなり、現役を引退したこともあって、遂には見かけなくなった。

 一九七〇年代の終わりだったと思うが、私は秋葉原電気街でUFOを見た。
 冬の昼日中のことで、何人もの目撃者が出た。

 それは、銀色の楕円形の物体で、不可思議な動きをしていた。
 その頃、私はエレクトロニクスメーカーに勤めていて、商品の販促のために、1か月間、秋葉原駅前の電気店に応援にいっていた。そのときの話だ。
 
 最初に見つけたのは私で、店員にも声をかけた。
 数人で空を見上げて、ああだこうだといっていると、通行人も足を止め、空を仰いで、「本当だ、UFOだ」などと騒いだ。
 その様子を見て、私は思った。
 「そうか。こうやってUFOの目撃談は生まれ、広がっていくのか」 

 そのUFOの正体を知っているのは、私だけだった。
 私が飛ばしたのだから、知っていて当然である。

 その未確認飛行物体の正体は、販促用の銀色の風船だった。
 アルミホイルのような材質でできている穴のないドーナツ型の風船で、なかにはヘリウムガスが入っていて、宙に浮かぶ。細いヒモがついているので、その先を手に持つようになっている。

 秋葉原電気街の上空を怪しげな動きをしながら、奇妙な動きを繰り返し、やがて消え去ったUFOの正体は、その風船なのである。

 その30分ぐらい前に、私は、銀色の風船を持っていた幼児が誤って手をはなしてしまったために、飛んでいってしまう現場を目撃していた。

 しかし、その行方を追いかけなかったことから、後刻、ふと上空を仰ぎ見たときに、「不可思議な動きをするUFO」を目撃することになるのである。

 空に浮かんでいる未確認飛行物体は、幼児が手ばなした銀色の風船であることにと気づき、実験してみたら、やはり、そうだった。

 数週間前、UFOを紹介しているテレビ東京の深夜番組があり、そこに矢追氏が出ていた。
 そのなかで、明らかに銀色の風船とわかる物体が映し出されたとき、彼は迷うことなく、それをUFOだといった。

 彼は、その昔、UFOのテレビ番組を制作し、視聴者を楽しませてきた。

 彼はUFOの存在を本気で信じているようだが、その手の番組で紹介されたUFOなるものの正体は、すべて、私が見たUFOのたぐいか、マニアが人を驚かせたり売名行為のために作った「合成写真」や「チャチな特撮映像」である。
 
 「矢追氏は、なぜ、いいかげんなことをいうのか」
 そのことが長い間、わからなかったが、いまから十数年前に彼が『カラスの死骸はなぜ見当たらないのか』という本を出したときに、その疑問が解けた。

 彼は無知なだけだったのである。
 私は小学生のとき、カブトムシを採集にいった場所で、死んでいたカラスを見ているのだ。

 その近辺には、普通の動物の腐臭とはまったく異なる「異様なくささ」が漂っていた。
 強烈だったから、そのにおいを今でも覚えているが、そんなにおいは、以後、今に至るまで一度もかいだことがない。

 動物は、死が迫ると、死に場所を求めて異動し、敵の目につかない場所に体を隠す。そうしないと、喰われてしまう。そのカラスも、おそらくそうしたのだろう。

 先日、テレビのニュースで、大量のカラスが死んでいるのが発見され、「鳥インフルエンザ」が疑われるというニュースが報道されたのを知っている人も多いはずである。
 
 それらのカラスが人目につくところで発見されたことは、身を隠す余裕もなく、死んだらしいと推測できる。

 あるいは、天敵に攻撃された形跡がないなら、毒入りの同じエサを食べたのかもしれないし、遺骸が発見された場所のようなところで死ぬような神経・感覚になる病気に感染した可能性もあるかもしれない。
 
 そういう風にして、原因を科学的に分析・究明していけば、たいがいの謎は解ける。
 
 青春時代、矢追氏のUFO番組は、「まことしやかなウソやデタラメ」で結構楽しませてくれたが、今考えると、腹立たしく感じなくもない。

 彼やテレビ局のスタッフが、ただ単に無知なだけだっただけなのに、「UFOの謎と正体」などという、もったいぶった番組で視聴者を騙していたことが腹立たしいのだ。

 単なる娯楽番組、空想趣向の番組としてそうやるのはいいが、そうではなくて、NASAの資料だとか、CIAとかKGBの秘密文書と称するものまで引っぱり出してきて、オキュメンタリータッチの演出技法を用いて、説得力を持たせようとするやり方は、あざとい。

 超能力者を海外から招いて、殺害された被害者を探そうとしたり、その犯人を特定しようとする番組など、まさにその延長線上にある。

 日本史や世界史の過去の事件や出来事を、「謎」などと称して意図的に事実関係を歪めて番組に仕立て上げてしまう手法も問題がある。

 「ただ知らないだけ」なのに、そのことに気づかず、「意外性があり、面白ければ、それでいい」「視聴率さえ稼げたらいい」という考えばかりが先行するあまり、「電報ゲーム」のように、事実誤認に事実誤認を重ね、針小棒大をでっちあげている民放のテレビ番組がいかに多いことか。

 私は怪奇現象は嫌いではなく、『怪奇がたり』とか『恐怖がたり42夜』などと題する怪奇小説を書いているが、すべてフィクション。ウソ、デタラメの話を、まるで実際にあるように書くのが腕の見せどころだ。

 SMAPの稲垣吾郎が司会をする怪奇特番は、何年も続いており、面白い。ただし、面白いというのは、怪奇な出来事を扱う〝ゲテモノ的娯楽番組〟としてであって、そのなかに必ず出てくる「除霊の儀式」は、タチが悪く、不快である。

 祈祷師あるいは霊媒師と称する者が登場し、俳優やタレントに「霊が取り付いている」といって読経をし、霊を呼び出し、対話すると、タレントや俳優が苦しげな動作を示したり、何ごとかを口走るのであるが、そういう状態になるのは、催眠術にかかったからだ。

 祈祷師は、最初はタレントや俳優の体に触れないが、催眠術が効かないと判断すると、体に触れる。そうやって、催眠状態に導いていくのだから、インチキもはなはだしい。

 以前、その手の番組には、織田無道(おだぶどう)という僧が起用されていたが、彼が事件を起こすと、どの局も起用しなくなり、今は別の女性を起用することが多くなっている。だが、霊媒師として、やっていることは同じ。

 今でも記憶に焼きついているのは、〝アッキーナ〟ことタレントの南明奈が、「除霊する」との口実で、女の霊媒師に強烈な催眠をかけられ、鼻水まで垂らして泣きじゃくった異様な光景である。
 
 彼女のその表情をカメラがアップでとらえ、番組としては盛り上がるだろうが、明るく素直な感じの彼女をそこまでさせていいのか、と腹立たしさを覚えたのは私だけではあるまい。

 催眠術をかけて交霊したり、除霊をするというのは、インチキである。
 心霊写真についても同様。
 やるなら、もっときちんとした科学的な分析をし、それでも原因が解明できないということを番組で見せるべきだ。

 ポラロイド写真の機械やフィルムの弱点・欠点の結果として、光が入ったり、像がぼやけたりしていただけだったのを、さも怪奇現象であるかのように、まことしやかに解説する手法は、そろそろやめたらどうか。

 ポラロイド以外のカメラで撮った写真にも、同様のことがいえる。
 人物の手が写っているとか、その場にいないはずの人間が写っているというのは、私も小説のなかでは使っているが、実際にはありえない。

 そういう現象は、たとえば、光の反射具合であるとか、写真の写り具合によるものであるといったように、科学的に徹底解明できるはずだ。
 テレビ局なら、そういうところまで追跡できるはずなのだから、そこまでやって内容をレベルアップすべきではなかろうか。

 前述の矢追氏のカラスの本だが、その本には「あなたの常識がひっくり返る本」という副題がついていた。

 自分の常識不足、無知さかげんを棚に上げて、番組を作ったり本を書いてしまうパワーと商魂は脱帽ものだが、UFO物にしろ、怪奇物にしろ、彼のそういうやり方をまねたような「インチキくさい安手(やすで)のテレビ番組」を垂れ流している制作関係者には、「視聴者をなめるなよ」といいたい。

(城島明彦)

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2009/04/27

信長は本能寺で死んではいなかった。京都と滋賀の県境で自刃、その首が見つかった!?

 といっても、これは、今、私が執筆しているファンタジックホラー小説『横濱幻想奇譚』という本のなかでの話。

 これは、時代小説ではなく、現代を舞台にした小説で、「今夏の発売をお楽しみに」という、ちょっと気の早いPR。

 信長の遺骸は、本能寺では見つかっていないとされ、これを根拠にした「信長生存説」は根強くある。
 
 私の説は、本能寺を逃れ、自分の居城である安土城へと向かったという説。

 信長が本能寺に連れて行った武将は100名程度。対する明智光秀の軍勢は、1万3千。

 たとえ炎上する本能寺から脱出できたとしても、追っ手から逃れきるのは難しいのではなかろうか。
 で、最後は武将らしく、自刃(じじん)することになる。

 だが、その遺骸の行方は?

(城島明彦)

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2009/04/25

NHKはなぜ、くりかえし、〝草彅剛スッポンポン事件〟を長時間、報道したのか。その「7つの理由」とは!?

 「草彅剛が、深夜にもかかわらず、公園でスッポンポンになり、人に見せたいほど立派なシロモノであったかどうかはしらないが、チンポコを露出して大騒ぎしていたため、付近の住民から110番され、駆けつけた警察官に公然わいせつ容疑で現行犯逮捕された」
 という事件を、NHKは当夜9時の報道番組で、延々と流すだけでなく、翌日(釈放された日)の夜も同様のことをした。

 一芸能人の事件としては異例の扱いではないか。民放ならいざ知らず、公共放送のNHKが、なぜ、そこまでやる必要があったのか?
 その理由は、次のようになるのではなかろうか。

 (1)草彅は、NHK・民放各社を代表する「宣伝塔」であり「広報マン」である「地デジ大使」を務めている。つまり、NHKの顔としての重要な役割をになっていた。
 「そういう破廉恥(ハレンチ)な行為をするような男を起用したことの責任をNHKはどう考えているのか」と指弾する世間の声に、NHKは「弁明」する必要があった。

 (2)草彅剛は、「国民的番組」とNHKが自負している大河ドラマに出演したことがあり、「天下のNHKの顔に泥を塗られたという激しい憤(いきどお)り」の感情がある。
 その怒り、腹立たしさを、ブラウン管を通じてぶちまけたいという思いがあった。
 〝地デジの総元締めの親分〟鳩山邦夫総務大臣が、頭にきて思わず「最低の人間」とこきおろし、翌日、「いいすぎた」と訂正する一幕があったが、メンツをつぶされて怒り心頭に発し、草彅に罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせたくなる気持ちは〝地デジ推進リーダー〟のNHKにもあったはずである。

 (3)NHKが一番おそれているのは、問題を起こした草彅を起用していることを理由に「受信料の支払いを拒否されること」である。
 NHKは受信料で食っているが、受信料を拒否するものは後を絶たない状況下で、余計な口実を与えてしまっては、たまったものではない。
 そういう事情も当然意識して、番組でコメントしたはずである。

 (4)三田佳子の息子、中村雅俊の息子など、「見つからなければいいだろう」と軽く考えて大麻や覚せい剤に出す傾向がある芸能人、特にNHKのドラマや番組に出ているタレントや俳優に対する「一罰百戒」の意味をこめた。
「おまえら、NHKの顔に泥を塗るような行為をしたら、こういうことになるぞ」と警告を発したかった。

 (5)草彅剛を含めたジャニーズ事務所のタレントや俳優たちは、NHKの番組に多大な貢献をしており、同事務所にそっぽを向かれるとNHKの芸能番組が成り立たなくなる。そういう事情を背景にして、同事務所の態度はNHKに対しても、でかい。
 長時間の放送で、「彼を叩こうと思えば、いくらでも叩けるのだよ」とにおわせたことで、横暴な同事務所も、当分はNHKに頭が上がらなくなったというわけだ。
 そんなジャニーズ事務所に恩を売り、屈服させる絶好の機会であった。

 (6)草彅が家宅捜査まで受けたのは、泥酔状態が普通ではなく、薬物の摂取が疑われたからだが、自宅からそういうものは見つからなかったとのことで、すぐに釈放された。
 その結果を踏まえて、NHKは「大麻をやったわけではない。スッポンポンになったことは悪いことは悪いが、酒の上のあやまちは誰にでもある。反省し出直せば、また使うよ」と聞えるようなコメントを発し、鷹揚なところを見せた。
 「酔っ払ってのご乱行」
 ということでは、先ごろNHKを退職した松平定知アナウンサーが泥酔してタクシーの運転手とトラブルを起こした事件が過去にあるから、あまり強いことはいえないのである。

 (7)視聴者に対しては、「草薙剛は人気があるタレント。彼だけでなく、SMAPは子供たちにも絶大な人気があり、彼らの言動やイメージが子供に及ぼす影響も大きい」とNHKは考えた。
そういう自覚を、芸能人、特に若い連中に強く持たせるためには、この際、草彅をスケープゴートにして説教しておく方がよいと考えた。

 こんなようなことではなかろうか。

(城島明彦)

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2009/04/24

面白ければ何をやってもいいのか? VISAカードの夏目漱石、福澤諭吉、野口英世のCM

 「VISAでGO」というVISAカードのCMは、夏目漱石、野口英世、福澤諭吉の偉人トリオのそっくりさんが登場し、いかにも軽薄そうに踊っているものである。

 誰もが知っている福澤諭吉が1万円札、野口英世と夏目漱石は千円札の肖像画になっているところから、この3人を使ったと思われるが、この3人は、日本を代表する偉人たちである。

 福澤諭吉は慶應義塾の創設者であり、明治時代の賢人である。同校出身者にとっては尊敬の対象である。

 野口英世も、貧農の子として生まれながら、学問の道を志し、ついには海外で認められ、日本人の評価を高めた医学界の先駆者。

 夏目漱石は、世界的とはいかないが、日本を代表する文豪。「坊ちゃん」のようなユーモア小説は著しているが、性格はきまじめで、気むずかしい人。

 たかがCM、遊びじゃないか、などというなかれ。

 彼らは故人ではあるが、故人にも人権はある。

 血を引いた子孫もいる。

 ゼニ儲けのために、偉人の事実をゆがめ、その人格を疑うかのような〝ミーハーで、おちゃらけた人物設定〟に勝手に仕立て上げるのは、いかがなものか。

 CM企業の良識を問う。

(城島明彦)

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高島屋に関する〝うんちく〟 「一年間、ウンチ垂れ流し事件」

 読売新聞が報じていたが、玉川高島屋が、去年の4月から、トイレや従業員食堂の汚水を直接、多摩川に放流していたというから、ひどい話である。

 環境にやさしいだの、癒しのなんとかだのと、美辞麗句をこれみよがしに並びたてて宣伝広告をしながら、ウンチ垂れ流しってことはないだろう。

 多摩川は、多額の公費を投じて浄化し、魚が戻ってくるようにした川である。

 昨年、玉川高島屋が配管の改修工事を行なった際、工事業者が配管の接続を誤ったためにそうなったということだが、常識的に考えて、その程度の配管を間違えるか。
 
 これは業者の問題になるが、人件費を浮かせるために、素人同然の作業員に工事をやらせた、なんてことはないよね。

 読売新聞によると、世田谷区役所の職員が異臭に気づいて、都の下水道局に調査を依頼し、調査が行なわれた結果、犯人が割り出されたというではないか。

 その間の費用、1年間にわたって付近の住民に与え続けた汚臭被害・精神的苦痛などについての賠償は、当然、玉川高島屋がお払いになるのでございましょうね。

(城島明彦)

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2009/04/16

認知症の南田洋子をさらし者にしていいのか?

 長門裕之にかいがいしく世話される痴呆症の南田洋子。

 テレビのドキュメンタリー番組のなかで繰り返し報道される彼女の様子を見ていて、痛々しい、気の毒だ、残酷だ、むごすぎる、と何度思ったことか。

 何か妙だと思ったら、明日(4月17日)に介護本がでるんだとさ。

 長門裕之の介護ぶりは立派で頭が下がるけれども、南田洋子がもし認知症でなかったら、今の老醜をテレビカメラの前にさらしたかどうか。

 彼女は、正常な判断ができないのだ。

 彼女の頭脳が正常に機能していたら、今の自分自身の姿をテレビで全国放送させたかどうか。

 そのあたりの彼女の気持ちを推測してあげないといけない。

 彼女は、美人女優として売った人だ。

 日本映画の全盛時代に、日活を代表する女優の一人として活躍した女性である。

 南田洋子は、コルゲンコーワのカエルのような顔をした市原悦子のような演技派ではなく、整った容姿だけがセールスポイントであった。そういう女優の変貌はNGである。

 ファッションモデルを例にあげると、わかりやすい。

 売れっ子のモデルが、長い休止期間を経て登場したと思ったら、でぶでぶだったら、これは職業として成り立たないし、ショーとしてもぶちこわしになる。

 でぶでぶで思い出すのは、天地真理だ。

 十代の頃の彼女は、「白雪姫」と呼ばれ、愛くるしい顔をしていた。

 もちろん体も細かったが、その後、表舞台から消え、何年もたったある日、ブクブクに太ってテレビに登場し、多くの視聴者を仰天させた。というより、ひんしゅくを買ったといったほうが適切だろう。

 しかも、でたらめな声で、かつての自身の大ヒット曲をうたったのだから、たまらない。

 「あの昔の姿は、なんだったの?!」
 と、彼女に夢中になったファンは怒りすら覚えたのではなかったか。

 あの大竹まことが「そんな姿で出てくるのは犯罪じゃないか」というようなことをいったのではなかったか。

 かわいさで売った歌手、あるいは美しさで売った女優が、そのイメージを壊すことは問題である。

 人は老いる。老いれば皺も増えるし、髪も薄くなる。シミも浮かべば、皮膚もたるむ。

 老いをうまく生かせる女優もいる。南田洋子も、ある時期まではそうだった。

 フジテレビの「ミュージック・フェア」の司会を夫婦でやっているときも、中年になっていたが、南田洋子は美しい中年になっていた。女優としての美しい老い方であった。

 それからかなり経ってからテレビで見た南田洋子は、長い間のトレードマークだったセンター分けのストレートな髪の、分け目のあたりが、えらく薄くなっていた。
 インタビューされている場面だったように記憶しているが、ヘアピースもつけずに出ている彼女を見て、「自然のままを好む人なのかもしれない」と好感をもったものだった。

 だが、今考えると、彼女はその時分から、「自分の容姿を商品として人に見せる」ということを意識しなくなっていたのかもしれなかった。

 だからといって、「もがもが」「ふがふが」とやっている姿をブラウン管にさらけだしていいということにはならない。

 繰り返すが、一般人ならどうということはなくても、彼女は「美しさを売り物にしてきた美人女優。
 女優は、ファンあってこその職業。
 そのファンを驚愕させたり、落胆させたりしてはならない。、

 長門裕之には、そのあたりの感覚が抜けている。

 長門裕之をそそのかしたマスコミにも大きな問題がある。 

 執筆の合間に、テレビのワイドショーを見ていたら、「二人の姿は、全国の痴呆症の人に勇気を与える」というようことをいうコメンテーターがいた。

 バカをいうでない、と思った。

 老いても、老いたなりに美しくいることで、人々は「さすが、女優」「やっぱり女優は違う」と思うのである。

 長門裕之は考え違いをしていないか。

 彼の優しさ、愛妻家ぶりは、人の心を打つ。だが彼は、イメージを壊してしまった。

 彼女の若い頃の美しい容姿を映画で見知っている人たちの圧倒的多数は、決してあのように老いぼれた彼女の姿を見たいとは思わないはずである。

 美しさと気品を備え、「永遠の処女」といわれた原節子はあ、惜しまれながら映画界を去った後は、一度だけ盗撮された姿が週刊誌に出た以外、決してマスコミに姿をさらすことはなかった。
 盗撮された写真は、家の庭で洗濯物を乾している普通のおばさんの姿だった。

 これから、長門裕之と南田洋子が共演した「太陽の季節」や「豚と軍艦」などの映画をDVDで観る人たちは、画面のなかの南田洋子の若き日の姿に、老いさらばえた認知症の南田洋子の顔をだぶらせることになっってしまった。
 
(城島明彦)

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2009/04/14

テレ朝のドキュメンタリー番組「〝男装の麗人〟川島芳子は生きていた〟」は〝昭和史最大のスクープ〟どころか、インチキ臭さがいっぱいだった

 テレ朝のドキュメンタリー番組「〝男装の麗人〟川島芳子は生きていた」は、「昭和史最大のスクープ」と銘打って4月13日に放映されたが、実際に見た感想を一言でいえば、「話としては面白いが、信憑性の面でイマイチ」「先に〝生きていた〟という結論ありきの、うさんくさい番組」ということになる。

 テレ朝は、「歴史の真実」と謳(うた)った〝男装の麗人〟川島芳子のテレビドラマを昨年末に放送しており、そこでの〝真実〟は「川島芳子は戦後、処刑された」であった。

 そういう大事なことを、わずか4か月でくつがえすのは無節操ではないかと、私は放送前のブログで批判した。

 それだけにとどまらず、今回の番組中で、コンピュータを使った人骨の照合分析に2か月を費やしたと誇らしげにナレーションで語らせていることを考え合わせると、意地悪な言い方をすれば、「テレ朝は2つの真実を巧妙に操って、視聴率を稼ごうと考えた」と解釈できる。

 「川島芳子は、中国人でありながら日中戦争時に日本軍のスパイとして暗躍したカドで、終戦直後に〝漢奸〟(かんかん。売国奴。反逆者)として処刑されたとされてきたが、実は処刑された女は替え玉で、本人は日中国交回復後の1970年代後半まで中国の片田舎(長春)でひっそりと生きていた」
 というのが、テレ朝の新説である。

 番組は、川島芳子として処刑された女性の写真数枚を入手し、多数現存する川島芳子の写真とをコンピュータを使って骨格鑑定してみせて、
 「処刑された女性の骨格は太く農作業をしていたように太く、しかも出産経験があると思われ、まったく違う人物である」
 との結論を導き出した。
 
 このあたりまでは、コンピュータ解析という新兵器の活用が生きていて「すごい」と思わせた。

 川島芳子本人が処刑されなかった理由として番組があげているのは、彼女に同情する金持ちの清朝王族の一人が、何人もの処刑関係者を保有していた金の延べ棒を使って買収しておいて、処刑当日、目かくしされて跪(ひざまず)かせた彼女に一人が拳銃を構え、頭部に弾丸を発射するのだが、実は空砲で、そのことは彼女に事前に知らされており、死んだと見せかける大芝居を打ったというものだった。

 身代わりとなったのは、病気で余命いくばくもない貧しい家の女で、一方彼女のおかげで生き延びた川島芳子は、その後、中国の片田舎に身を隠し、結婚もし、ひっそりと一生を終えた、と番組はした。

 中国人の生き証人が何人か登場する。
 一人は、彼女の孫として長く一緒に暮らしていた40代の絵描きの女性。もう一人は、金の延べ棒を何十本も使って処刑関係者を買収したという人物の親族。
 番組では、彼女のものと思える遺骨が由緒ある天台宗の総本山(国清寺)という寺院の納骨堂に残されていたとする。
 その遺骨には、彼女の中国名の一字である「方」という字と王族一族であることを示す「愛新覚羅」という名字の「覚」、そして「李香蘭」(山口淑子)と思われる「香」(をつらねた「方覚香」と書かれていた。
 
 李香蘭の本名は、山口淑子で現在89歳。
 彼女は、れっきとした日本人で、長く参議院議員を務め、今は政界もリタイアしているが、中国育ちの美人で、歌がうまく、現地人と間違われるくらい中国語が堪能だったことから、「李香蘭」という中国人の芸名を使って、満鉄映画のスターとして売り出され、あっという間に人気者となり、国策映画の片棒をかついだ。

 川島芳子と山口淑子は、音読すると、名前が同じ「よしこ」ということから急速に親しくなった。
 片や清朝の王女でありながら、日本人の養女となり、日本語が堪能。
 片や、日本人教師の娘でありながら、中国で育ち、中国語が堪能な銀幕スター。

 日本人の養父に犯されたのが契機で男装に転じ、関東軍の手先として母国中国に敵対した中国人川島芳子。
 中国人女優と偽って、日本が製作した映画や歌を通じて中国人を騙した山口淑子。

 生い立ちや政治的に利用されてしまったという似たような境遇が二人を親密にさせた。

 山口淑子は、かつて日経新聞の「私の履歴書」で自身の過去に触れているが、常識的にいって、自分に都合の悪い致命的なことは伏せているはずである。
 そこに書かれた詳細を私は覚えていないが、川島芳子との出合いや交流についても記されていた。

 川島芳子の遺骨に、なぜ「李香蘭」の名を思わせる一字が記されていたのか。

 これは、都合よく考えれば、本人の遺言であるとも解釈できるが、日本でいう法名をつけたのは彼女自身ではなく、遺族か僧侶と考えるのが普通。

 番組では、「方(ほう)さん」と呼ばれた川島芳子らしき人物は、李香蘭のすりへったSPレコードを一枚もっていて、おんぼろの小さな蓄音機で繰り返し手聞いていたことが、張鈺(ちょうぎょく)という名の孫娘の話として紹介される。
 故人が李香蘭の歌が大好きだったという話を聞いた坊さんがその字を入れただけかもしれず、その人物が川島芳子だったということには直接結びつくものではない。

 「方さん」は、生前、その孫に「自分が死んだら、これを李香蘭に見せろ。そうすればすべてがわかる」というようなことをよくいっていたと番組は伝える。

 テレ朝のスタッフは、そのレコードをもって山口淑子を訪ね、孫娘と会っている場面を撮影するが、彼女は多くを語らない。しかも、高齢と体調のせいで、ごく短時間の取材・撮影しか許さなかったという。

 山口淑子は、孫娘が持参した年老いた彼女の祖母の絵を見て、川島芳子であるというが、「生きていたんですね」といったようなコメントは、いっさい口にしない。

 おかしいではないか。

 山口淑子は、川島芳子は死んだものとして2004年8月に「私の履歴書」(「李香蘭」に生きて)を連載執筆し、これは後日、本にもなっている。

 そこに書いたことを覆すことは、自分自身の過去を覆すことになるのだから、「生きていた」といわれても、「ああ、そうですか」としかいえないだろう。

 番組では、絵描きとなっている「方さん」の孫が描いた晩年の川島芳子の水彩画が、残存する若い頃の彼女の写真ととてもよく似ているということを重要証拠の一つにしており、山口淑子も、前述したように、その絵が川島芳子の若い頃の面影をとどめていることを認めるが、肝心のレコードについては何の返答もしない。

 川島芳子を「おにいちゃん」と呼んで慕っていた人間として、おかしいではないか?! 
 
 好意的に推理すれば、そのレコードは、李香蘭自身が川島芳子に献呈したものだったのかもしれない。
 だとしても、サインがしてあるわけでなく、当時発売されたどこにでもあるレコードの一枚に過ぎず、山口淑子の口からは何の感興のコメントも出てこない。

 山口淑子の口から「驚愕の新事実が語られるであろう」ことを期待していたテレ朝の関係者は、さぞやがっかりしたにちがいないが、そうなることは予想できたはずだ。
 
 山口淑子(結婚して大鷹淑子)は、政治家である。
 彼女は、戦後長い間、雌伏(しふく)していたが、1969年にフジテレビの昼のワイドショー「3時のあなた」の司会者として復活し、人気を回復した後、日中国交回復を果した田中角栄に口説かれて、1974年に自民党から参議院議員に立候補し、全国区で当選し、92年まで国会議員を務めているのだ。
 
 そういう人物が、真相を知らぬはずはない。川島芳子の暗部や闇の部分も当然知っていると考えるのが普通である。
 もし川島芳子が生きていたとしたら、山口淑子は、当然、そういう情報を入手しているはずである。番組は、中国政府関係者に取材したのか?

 番組の最後の方では、番組スタッフが再度、納骨してあった寺を訪ねると、取材を拒否されたことがわかる。

 「漢奸」とされた人物であれば、どこかから圧力がかかっても当然と思わせたいのだろうが、どうにも腑に落ちない。

 中国では、1960年代後半から70年代前半にかけて、明治の日本の廃仏毀釈どころではない「文革の嵐」が吹き荒れたが、その寺や遺骨が無事だったのは、親日派の周恩来首相の力というようなことも語られるが、そのあたりも、うさんくさい。

 「川島芳子替え玉説」の根拠となる銃殺処刑された別人女性の写真は、顔の部分をぼやけさせて放送された。人権に配慮したのであろうが、「顔面の口から上のあたりが割れて砕けたようになっている」ことがわかるが、人相が川島芳子本人かどうかぐらい特定できないほどではない。

 この女性が横たわる周囲には中国当局者と思える人物のほか、マスコミ関係者らしい人間も複数写っていた。

 川島芳子ほどの著名人であれば、誰もが顔を知っていたと考えるべきで、「この女は違う」という人物は一人もいなかったのか。

 番組では、処刑された女性の髪が長く(といっても、肩口まで)、男装だった短髪の川島芳子ではないともナレーションでいっていた。髪の毛でわかるなら、大げさに骨の鑑定までする必要などないではないか。

 ただし、獄中で髪が伸びたということも考えられるから、髪が長いだけでは別人の根拠とはならないと説明すべきである。
 
 川島芳子は長い顔をし、耳に特徴がある。耳の形を見れば、本人かどうかはわかるはず。これは鑑識の常識であり、何も骨まで調べる必要はない。
 そこに、いかにも話をわざと大きく見せようとする番組制作者の作為を感じてしまうのである。 

 番組で再現された川島芳子の処刑シーンのイメージ映像では、至近距離では以後か拳銃で頭部を撃ち抜かれている。
 拳銃一発で、果たして別人女性のものといわれる写真の頭部のようになるのであろうか。番組スタッフが検証すべきは、そこではなかったのか。身代わりとなった女性の親族を突き止め、いくらもらって口止めされたかを調べる必要もあったが、そういうことはしていないようだ。

 人の口に戸は立てられない。いくらひっそりと暮らしても、噂になったはずである。文革の頃は、政府の上層部がいくらブレーキをかけても、底部の農民層・労働者層はそれを完全に無視して暴走しまくっていた。「奸漢」と呼ばれた人物が、その嵐をくぐりぬけて生きられたとは思えない。

「方さん」が川島芳子であったという証拠として、孫が描いた絵は出てくるが、生前の「方さん」を写した写真が一枚も出てこないのはなぜなのか。うさんくさいと思われてもしようがない。

 「方さん」が川島芳子であったとすれば、当時の政府や警察組織がなぜ知らぬ顔をしたのか。どういう取引があったのか。そこを明らかにしなくては意味がない。

 テレ朝は、何十年か前に「帝銀事件の真犯人が見つかった」というスクープを夜のワイドショー番組で流したが、それはガセネタであっって、そのネタを提供した人物はいわくつきの人間があることがその直後に判明し、歴史をゆがめる話を捏造したことがわかって、番組関係者が処分されたことが思い出される。

 番組の最後に、川島芳子が愛読していた本から採取した指紋と寺にあった「方さん」のものと想われる遺骨などとのDNA鑑定を行なったが、当人であるとの可能性はきわめて低いとの結果が出たということを伝え、「だが、われわれは信じている」というようないいわけがましいナレーションを流した。

 ドラマとして、あるいは単なる推理番組としてこの番組を観るなら、とても面白いといえるが、「昭和史最大のスクープ」と銘打ったほどの確証に満ちた内容でもなく、視聴率稼ぎの「羊頭狗肉」(ようとうくにく)の感はまぬがれない。

 番組は、次週予告として「俳優の長門裕之が、痴呆症の妻の南田洋子を介護する続報」を流すと宣伝した。
 長門裕之の献身的な姿には頭が下がるけれども、美しさを売り物にした女優の老いさらばえ、自分がどういう形で視聴者に見られるかという判断すらできない気の毒な姿を、さらしものにするという面もあり、問題は多い。

(城島明彦)

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2009/04/11

「〝男装の麗人〟川島芳子は処刑されておらず、生きていた(テレ朝)」だって?!  じゃあ、昨年末のドラマやこれまでの彼女に関するドキュメンタリーは一体なんだったのか?

 通説では、 
 「川島芳子は、清朝の親王の娘(王女)として生まれたが、日本人の養女になり、その養父に犯されたのが原因で、男装に転じ、第二次世界大戦では母国中国を裏切って日本軍に協力した。その罪で、戦後(1948年)、中国政府に処刑された」
 ということになっている。

 彼女が登場するドラマやドキュメンタリーは、99.9%、この線で作られてきた。

 ところが、テレ朝は、〝処刑された川島芳子〟の写真と生前の彼女の写真などとをコンピューターなどを使って科学的に解析・鑑定し、〝別人〟だという結論を導き出し、13日(月)夜7時から「報道発 ドキュメンタリー宣言」という番組に仕立てて流すという。

 番組予定表には、
 「世紀の大スクープSP独占公開! 男装の麗人川島芳子は生きていた (1)銃殺女性は替え玉! 清朝王族が歴史的証言 (2)李香蘭へ決死の伝言 (3)科学鑑定が暴く真実 (4)ぼう大な遺品を発見 (5)謎の人生を完全再現」
 とある。
 
 この話、ただ単純に「面白そうだ」というわけにはいかない。

 なぜなら、テレ朝は、昨年末(12月6日)、ドラマスペシャル「男装の麗人~川島芳子の生涯~」と銘打った番組を夜9時から流しており、そこでは彼女は処刑されたことにしているからである。

 そのドラマのインターネットでの番宣(テレ朝の「トレナビ」)は、今でも検索できるが、その冒頭、こんな文章が流される。

 「激動の王女として生まれ、日本軍のスパイとして生き、戦後、祖国の裏切り者として処刑された女――川島芳子。
 その波乱に満ちた生涯を壮大なスケールで描く、真実の物語」


  このドラマは、川島芳子をモデルにした小説が原作ではあるが、それからわずか4か月後には、
 「あのドラマは嘘でした。ドラマなんだから、どう描こうと勝手でしょ」
 といいたいのかもしれないが、そうはいかない。

 ご丁寧にも、
 「真実の物語」
 と謳っている。「真実であることを売りにしたドラマ」なのである。

 そういっておきながら、今度は、
 「川島芳子は生きていた」
 「世紀の大スクープ」
 とは聞いてあきれる。

 ゼニ儲けのためなら何をやってもいいのか、といいたい。

 処刑された女性の遺骸写真が川島芳子ではないと断定するためには、相当の調査・鑑定日数を要するので、ドラマの撮影が終わった後で事実が判明したという弁明は成り立たない。

 「昨年のドラマは、例え原作があるとしても、実在の人物を描きながら、視聴率を上げるために、事実を捏造してドラマチックな展開にしてしまいました」
 と、素直にテレ朝は視聴者に詫びるべきである。

 もし仮に、ドラマ撮影終了後に真実がわかったということであったとしても、視聴者には、そういうことを説明し、きちんと詫びなければならないのではないか。

 川島芳子という人物は、日中戦争という歴史の暗部に深く関わっているから、厳しいことをいうのである。

 テレ朝に限らず、日テレもTBSもフジテレビも、過去に川島芳子を題材にして、いくつもの番組を作ってきた。それらはすべて、「川島芳子は歴史に翻弄され、最後は処刑された悲劇の女性」として話を構築し、ドキュメンタリーの場合は、彼女と接点のあった李香蘭(山口芳子)の証言を必ず入れてきた。

 昨今は〝異説ブーム〟の感があり、歴史を勝手に捏造(ねつぞう)して楽しむ推理趣向の娯楽番組が増えているが、それも程度によりけりである。

 (城島明彦)

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2009/04/06

イチローの「胃かいよう」が凡人に勇気を与えた!

 イチローが「胃から出血していた」「胃かいようになっていた」というニュースを聞いて、
 「あのイチローが?!」
 と驚いた人が多かったのではなかろうか。

 私もそんな一人で、
 「イチローは、これまで幾多の大プレッシャーと戦いながら、数々の大リーグ記録を打ち立ててきたではないか。それが、短期間のWBCで――」
 と半信半疑だった。

 イチローは、WBCでの自身の任務を「助監督に限りなく近い主将」と位置づけていた。
 重責を感じていることは、彼の言動の端々(はしばし)から感じ取れた。
 一方、他の選手は、イチローをチームリーダーとして尊敬し、絶対的な信頼を寄せていた。このことも、彼らの言動からうかがい知れた。

 イチローは、「そういう期待に応え、他の選手のお手本となるような打撃をしてこそ真のリーダーである」と思っていた。
 イチローは、そういう気概で試合に臨んだ。
 
 しかし、WBCの試合が始まると、バットがいうことをきかなかった。
 (そのうち、打てるようになるさ)
 イチローはそう思い、周囲もそう思った。

 だが、打棒は目を覚まさない。好機で何度も打順が回ってくるが、凡打また凡打の連続。むしろブレーキとなっている感さえあった。野村克也などは「イチローをはずせ」とコメントする始末だった。

〝安打製造機〟を自他ともに認める〝バットコントロールの天才〝はあせっただろう。だが、あせればあせるほど、彼のバットは湿った。

 テレビ画面に映し出されるイチローのクールな風貌からは、苦渋の色は感じ取れなかった。
 しかし彼は、人知れず、苦しんでいたのだ。

 並みの選手なら、「それはそれでしかたがない」「こういうときもある」と自ら思いもし、観客もマスコミもそう思っただろう。

 だがイチローは、並みの選手ではない。結果を出さなければならない。

 その重責が重くのしかかり、彼の胃袋を直撃し続けたのだ。

 心身ともに追い詰められた絶体絶命状態でありながら、それでもイチローは、優勝決定戦の最後も最後、延長10回表の2死2,3塁からセンター前に快打を放ったのだ。

 その瞬間を、イチローは、「神が(舞い)降りた」という比喩でコメントした。

 今回のWBCが、普段は野球にまったく関心のない連中をも狂喜乱舞(きょうきらんぶ)させたのは、ペナントレースでは敵としてしのぎを削っている選手たちが一丸となって真剣そのものの表情で相手チームに向かっていく素晴らしい姿だった。

 選手たちの胸の奥でメラメラと燃える闘志や気迫が、テレビを通じて観戦している者に伝わってきた。だからこそ、男も女も、老いも若きも、あれだけの声援を送ったのだろう。

 「イチローですら、胃かいようになる。ましてや、自分のような凡人は」

 そう思えば、仕事で少々失敗しても、元気が出てくるのではないか。

 (城島明彦)

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2009/04/01

〝空前の最弱大関〟千代大海の新しいニックネームは〝ミスター・カド番〟だ

 
 このところ、野球と相撲のことばかり書いている。

 相撲界に入門した多くの力士が描く夢は、「横綱になりたい」ではなく、「大関になりたい」である。

 関脇は1場所負け越しただけで陥落するが、大関は2場所続けて負け越さないと落ちない。昔は、3場所連続で負け越さないと陥落しなかったが、それでは生温(なまぬる)いということで、現在の2場所に変更された。

 千代大海が春場所で残した大関の成績2勝13敗という数字は、15日制がスタートした1949年以来の史上最低記録。

 なかなか勝てないどころか、どうしようもない相撲を取り続ける千代大海を見かねて、部屋の親方は休場することを勧めたが、千代大海は「千秋楽まで相撲を取る」といって出続けた。その結果が、このザマである。

 平幕力士であれば、「大負けこいても、最後までよくがんばった。来場所につながる負けになったかもしれない」と好意的に解釈されることもあるだろうが、大関ともなると、そうはいかない。

 普通なら、大関という名を汚さないようにとの配慮から途中休場するのが常識だが、「逃げるな、出続けろ」と両親にいわれたといって、ぶざまな姿をさらし続け、大関の名を汚(けが)した。

 いい相撲を取って負けたのなら誰も文句はいわないが、格下の力士にいとも簡単に負け続けたのだから、神経を疑う。

 得意手の突っ張りが威力を発揮したときの千代大海は強いが、突っ張りきれずにがっぷり四つに組まれたときの千代大海はまるで別人。弱すぎる。

 5月10日から始まる来場所(夏場所)はカド番だが、これがなんと「13回目のカド番」というからすごい。つまり「1場所勝ち越すと、次の場所は負け越し」ということを13回もやらかしたというのだから、どうしようもない。

 無論、史上最多という不名誉な記録だ。
 来場所は、勝ち越してカド番を脱したとしても、8勝7敗あたりの成績ではどうしようもない。最低でも9勝、いや10勝はあげないと、大関の名がすたる。

 負け越し(または休場)-8勝7敗-負け越し(または休場)-8勝7敗-負け越し(または休場)……

 こういうパターンを繰り返していけば、大関から陥落しないわけで、どこかヘンだ。新しい陥落ルールをつくる必要がある。

(城島明彦)

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2009/03/30

白鵬の優勝インタビューで「(モンゴル語での)父ちゃん、母ちゃん、ありがとう」はNGだ!

 大相撲春場所は、白鵬が10回目の優勝を全勝で飾った。
 24歳0か月での10回目の優勝は、史上三番目の若さということであった。

 朝青龍と違って、土俵態度が立派で、「横綱はかくあるべし」という見本のような横綱になってきた。

 「朝青龍は見習わないといけない」
 といいたいところだが、古傷の左ひじの痛みが激化したせいか、「これまでは、負ければ、わめき散らしたり、傍にあるものを蹴とばしたり、とても危なくて近寄れなかったものだが、今場所は反省の弁を口にするなど、まるで別人」(夕刊フジ)。

 白鵬は、朝青龍ほど日本語がうまくないので、優勝インタビューでも、何をいっているのかよく聞き取れないところがある。
 これが幸いして朝青龍のような〝舌禍(ぜっか)〟が生じない、というのは、考えすぎか。

 しかし、白鵬には問題はあった。
 優勝インタビューが終わろうとしたとき、彼は、自分から「もう少し発言してもいいか」とアナウンサーに求め、モンゴル語で、モンゴルにいる両親に10回優勝できたことを報告し、礼を述べたのだ。

 本来なら、「モンゴルの両親に伝えたいことはあるか」とアナウンサーが質問すべきところだが、そういう問いを発しなかったアナウンサーが未熟であったにしろ、公共の電波を使って、求められもしないのに、自分からモンゴル語で両親にメッセージを伝えるというのは、いかがなものか。

 これが先例となって、(まさかありえないとは思うが)「母ちゃん、俺、やったよ」「○○ちゃん、見てる? 今度デートしよう」などといっても文句をいえなくなる。

(城島明彦)

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2009/03/29

WBCが日本列島を興奮と感動で包み込んだ17の理由!

 (1)この時期、ほかにテレビ中継できる面白いスポーツがなかった。

 (2)どこのテレビ局も、同じタレントばかりを使った「金(制作費)をかけずに、簡単に作れる安易なクイズ番組」などを頻繁に流し、ドラマにしても「中身の薄い話」のものが多くて、視聴者は食傷気味になっていたことから、WBCの野球がとても新鮮に映った。。

 (3)中継するテレビ局(特にテレビ朝、TBS)が、高い放映権の元を少しでも取り返そうと、朝、昼、晩を問わず、ワイドショーなどでも、WBC関係のニュース、話題、関連情報などを、かなりの時間を割いて流した。

 (4)北京五輪でぶざまな負け方をした日本の野球選手が、どう変貌を遂げたか、という関心があった。

 (5)「金メダル以外入らない」と豪語しまくりながら、銅メダルも取れなかった〝口先き男〟星野仙一に対し、大きなことをいわなかった原辰徳が国際試合でどういう戦い方をするのかに興味をそそられた。

 (6)大リーグのように、声援だけでトランペットや太鼓などの鳴り物がゼロという応援ぶりではなかったが、日本のペンントレースのときほど、うるさくなかった。

 (7)大リーガーとなって活躍しているイチロー、松坂らの国際スタープレイヤーが〝里帰りしたこと〟(日本チームに加わったという意味)で、普段は野球に無関心の人々や、彼らの名前だけは知っている野球ファンでもない人々が、ミーハー的関心を抱き、テレビ中継を観た。

 (8)出場国の選手たちの、目の色を変えて真剣勝負をする姿に、「国別対決」「国際対決」の面白さを見、魅せられた。

 (9)死にもの狂いで向かってくる韓国選手の「打倒! 日本」への異常とも思える気迫や勝利へのあくなき執念、スタンドで応援する韓国人の熱気が、日本人の感情を刺激し、揺さぶった。

 (10)「侍ジャパン」というネーミングが実によく、圧倒的多数の日本人が好感をもってこの命名を受け入れた。チームに監督以外の名を冠したのは、「なでしこジャパン」が先行するが、「なでしこ」を知っている外国人は皆無に近いのに対し、「侍」「SAMURAI」は国際語に近いものがある。

 (11)一球団や系列のスポーツ紙が「原巨人」とか「落合ドラゴンズ」などと表現するのは何の問題もないが、「国を代表するセ・パ選抜の混成チームに、監督の名前を冠するのはおかしい」「戦うのは選手たちであって監督ではない」という批判の声に、原辰徳は素直に耳を傾け、「侍ジャパン」としたことが好感を呼んだ。
 
 (12)テレビ中継の解説が、わかりやすく、素人にも理解できた。(私見だが)特にTBSの槙原の解説は簡潔明瞭でよかった。

 (13)絶不調のイチローのバットは、湿ったままで終わるのか、それとも、どこかで火を吹くのかという興味と期待がないまぜになった気持ちが、テレビにかじりつかせた。

 (14)「日本の野球レベルは、大リーグと肩を並べたかもしれない」、いや、「もしかすると、抜いたかもしれない」と思わせるような侍ジャパンの攻撃力、投手力、守備力に魅了された。

 (15)最小失点しか許さない日本の投手、キャッチャー城島の日本的で緻密(ちみつ)な好リードは、テレビや車で世界を制した日本人の優れた技術力に通じるものがあり、不況下であえぐサラリーマン層に勇気と自信を与えた。

 (16)当たっていた村田の肉離れによる戦線離脱が、話題を大きくし、同情心を誘った。

 (17)侍ジャパンの各選手の、グラウンドで見せる「気迫に満ちた戦士たる姿」と、ひとたび球場を離れたときに見せる「明るく、ひょうきんな姿」の、そのギャップの大きさが好印象を与えた。

(城島明彦)

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2009/03/14

YouTubeに感謝! 聴きたかった曲「幸せを摑んじゃおう」が聴けた!

 金田星雄と小宮恵子といっても、今の若い人は誰も知らないだろうが、彼らは歌手であった。1960年代の話だ。
 
 1964年に彼らがデュエットした青春歌謡「幸せを摑(つか)んじゃおう」(キングレコード)は、結構ヒットした曲だが、3、4年前にインターネットで検索しても情報がほとんど引っかからなかった。

 しかし最近は、当時、高校生だった団塊世代を当てこんでか、当時のヒット曲をピックアップしたヒット曲集と銘打った一部のCDのなかに組み込まれるようになり、曲の冒頭部分を視聴できるようになった。

 長い間聴きたいと思っていた曲ではあるが、それ以外の聴きたくもない曲がワンサカ入っているCDは買いたくもない。シングルのCDが復刻されたら、それだけを買いたい。

 そう思っていたら、最近、彼らがデュエットした別の青春歌謡「ふたりで駈けよう」が「You Tube」に登場した。

 「この曲が出てくるなら、『幸せを摑んじゃおう』も近々(ちかぢか)出てくるのではないか」と期待していたところ、そのとおりになった。

 おかげで、ただで、納得いくまで聴くことができた。提供者にお礼をいいたい。

 小宮恵子は、美人歌手といわれていた人で、当時20歳前後。金田星雄は、400勝投手の金田正一の弟。

 小宮恵子は、多少演歌っぽい歌い方をしているが、透き通るような綺麗な声をしていて好感が持てる。金田のほうも爽やか声質で、好感が持てるデュエットである。

 それにして、この歌がヒットしてから、45年もの歳月が流れている。私もジジイになるわけだ。

(城島明彦)

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2009/03/12

〝害人天国ソニー〟は、一度つぶれた方がよい?!

 ソニーの体(てい)たらくは、今に始まったことではないが、ハワード・ストリンガーという〝害人〟にいいように蹂躙(じゅうりん)されている姿は、かつてソニーの禄(ろく)を食(は)んだ者の目には、ただただ「情けない」としか映らない。

 社外取締役も、意気地なしばかりだ。
 
 中鉢という「人はいいが、凡庸な社長」を切って、自分だけ会長のまま生き残る「ストリンガー」という名のジャーナリストあがりのイギリス人には、日本人に対する愛情などないといってよい。

 彼は、恐ろしい「ストレンジャー」である。企業再建という美名に隠れて、日本人をボロボロにするだけだ。

 ●ストリンガーのスペルは「stringer」
 ●ストレンジャーのスペルは「stranger」(意味:よそ者、エイリアン、異邦人)

 〈i〉と〈a〉――たった1字ちがいだが、〈i〉が入っている「よそ者」のエイリアンにはには「愛」はない。
 
 〝昨今ヨレヨレのアメリカの巨大企業の経営者〟は、巨額の年俸を取って会社を存亡の淵に立たせた。首を斬られた社員や労働者は、蓄えもなく、路頭に迷うが、彼らは潤沢な蓄えがあり、会社がつぶれても悠々自適の生活を送れることになっている。

 ストリンガーは、そういうビジネス社会を生きてきたし、今も生きている。

 ソニーの日本人社員や日本人役員は、「ソニーの日本人魂」を売るつもりなのか!

 アメリカを代表する巨大企業のどこが、ヘッドクオーターのトップに日本人を据えているか。据えているのは、経営に失敗して身売りし、それを日本企業が買収した企業だけだ。

 外国人をトップに据えるのが、「国際企業」の証(あかし)か!?
外国人の役員がわんさかいるのが「世界のソニー」の証か!?

 日本男児のソニー社員よ、奮起せよ!
 君らは、「創業の志」を忘れたのか。大和魂を忘れたか。

 創業者は、外国人にソニーグループを総帥してほしいと願っていたのか!? 答えは「否」だ。

 「日本人の英知と技術力を駆使して作った電気製品で世界を征服したい」というのが、ソニーの創業の志ではなかったのか。

 本土空襲で廃墟と化した敗戦国日本で起業し、戦勝国アメリカのニューヨークの五番街に日の丸とソニーの社旗が翻(ひるがえ)るのを見て、涙した創業者の熱き心を君らは忘れたのか!

 旧コロムビア映画(ソニー・ピクチャーズ)やアメリカのソニーの経営を外国人に任せるならわかるが、ヘッドクオーターの最高司令官に外国人を据えていいのか?

 出井伸之、大賀典雄の二人の歴代CEOは、ソニーを売った。日本を売った。日本人の魂を売った。

 ソニー社員よ! 君が日本人なら怒れ! 奮起せよ! 覇権を外人の手から奪い返せ!

 それが、多くのソニーファンが望む〝ソニー維新〟だ。

(城島明彦)

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WBC(一次ラウンド)でアメリカが負けた!

 本家本元のアメリカが、C組の1・2位決定戦で、ベネズエラに3対5で敗れ、日本と同じく2位で2次ラウンドに進出することになり、オランダを5対0で完封したプエルトリコと対戦する。

  日本の次の対戦相手はキューバだが、キューバチームには、巨人のクルーンも真っ青の160キロも出す球を投げる〝とんでもないピッチャー〟がいる。
 こんな怪物は、コントロールを乱してくれない限り、攻略するのは難しいが、どこかにウィークポイントがあるのだろうか。試合が待ち遠しい。

 WBCは、戦前の予想をはるかに上回る人気になっている。
 北京五輪で惨敗し、叩きまくられた代表選手たちの意気込みが違うことや、読売新聞や日テレ以外のテレビ局が競うようにしてWBC関係のニュースを流していることが大きい。

 イチローや松坂が里帰りしている姿も、興味を引く。

 「侍ジャパン」という斬新で新鮮なネーミングが果たした役割も大きい。
 
 最終的にどうなるかはわからないが、今までのところでは、読売グループに対抗してWBCへの選手派遣を断った中日新聞・中日ドラゴンズは、選択を誤った観があり、浮いた存在になっている。

 WBCのテレビ中継を見ても、中日ファンは「元中日選手」の福留や川上に違和感を感じながら声援を送るしかない。
 
 「北京での星野によるドラゴンズ選手つぶし」の悪夢が頭にあったにしろ、監督の落合が拒まなければ、井端と荒木は中日代表として選抜チームに混じっていたはずで、ファンとしての楽しみを落合は間違いなく奪っている。

 ペナントレースが始まって、中日がボロボロ負けるようだと、ファンの怒りは爆発することになろう。逆に、ぶっちぎりで中日が独走し、優勝でもすれば「さすが、落合。やることが違う」ということになる。
 身勝手そのものではあるが、これが、ファン心理というもの。

(城島明彦)

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2009/03/11

WBC「日韓戦」東京ラウンド(1・2位決定戦)の敗因は?

 日韓戦は「0対1の僅差での惜敗」ではあるが、大きな敗因とされるのは3つある。
 
 (1)2日前の韓国戦で打棒爆発したために、打者が当てにいくという感じではなく、大振りした。
 (2)イチローにつなぐ岩村の大ブレーキ。
 (3)(結果論になるが)8回ワンアウト、一塁走者イチローのところで、原監督はバントの指示を出した。

 (1)の大振りについては、ペナントレースのダブルヘッダーの第1線でダブルスコアで大勝したチームが、第2戦では完封負けというケースは多々あり、「打線は水もの」ということは選手もわかっているし、気持ちを引き締めてかかったであろうとは思うが、「油断」のようなものがあったのではないか。

 (2)の岩村については、原の責任。どんな名打者でも好不調の波はあるし、体調のよくないときもある。岩村には大リーガーとしての誇りがあるから、自分だけがヒットを打てないと、更なるプレッシャーを感じ、ますます打てなくなってしまう。
 小笠原同様、先発からはずし、代打で起用という手もあったのではないか。

 (3)の「1点差を追う8回ワンアウトで一塁走者イチローの場面」だが、あのケースでは次の3つのパターンが考えられた。
   (A)ワンアウトなので、ヒッティング狙い(ヒット&ランも含む)。
   (B)イチローにスチールさせる。
   (C)送りバント
 原が選んだ戦法は(C)だったが、送りバントが成功してもツーアウトになり、得点の確率は下がる。原采配は、「野球はツーアウトから」を信じ、次打者がヒットを打つことを期待しての采配だったが、その読みははずれた。
 その戦法が正しいか否かは別にして、問題視されるのは、イチローに盗塁の指示は出さなくても、リードを大きくとらせ、「走るぞ、走るぞ」と見せかけて、韓国の投手を揺さぶるという手はあったのに、なぜそうさせなかったかという点だ。

 原監督は「14点取った後の試合で0点。これが野球で、相手投手にいいところに投げられたら、打ことができない」とコメントした。
 原のいうことはもっともだが、「14点も取れたのに、次は0点というのでは、あまりに情けない」「采配らしい采配が見られなかった」と批判する声も出ている。
 2次ラウンドの緒戦で、原がどういう采配をするか、見ものだ。

(城島明彦)

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2009/03/10

WBC「日韓戦」(1・2位決定戦)敗北の戦犯は、誰か?

 3月9日のWBC東京ラウンド(1・2位決定戦)は、「日韓あわせて1点と、点こそ入らなかったが、いい試合だった、」というのが、大方の感想だろう。

 短期決戦で負ける場合、必ずといっていい敗因がある。
 それは、本来の力を出せずに、「ブレーキになる選手の存在」である。
 今回の「WBC・東京ラウンドでのA級戦犯」では、ノーヒットを続けている〝モヒカン男〟岩村がそれだ。

 「大リーガーではあっても、見ていて打てる気がしない。これだけカラ回りしているのだから、下げたらどうか」
 と思った野球ファンも多かったろうが、それでも使い続けた理由は何なのか、よくわからない。

 「それにしても、韓国は強い」
 「日本は、大リーグに韓国を遥かに上回る数の選手を送っているが、実力では韓国のほうが上かもしれない」

 そう思った観戦者が多かったのではなかろうか。

 日本選手は「勝たなければ」という思いが強いように見受けられたが、イチローにいわせると、韓国の方がプレッシャーは強かったはずだという。

 韓国選手は、2日前に14対2という〝歴史的大敗〟を喫していたのだから、「このままでは、どの面して国に帰ればいいのか」と屈辱的な思いにかられていたに違いない。

 韓国選手は戦争を知らない世代。「母国が、そして韓国人が、その昔、日本と日本人からどう扱われてきたか」という屈辱的な歴史を、父母あるいは祖父母から折りに触れて聞かされてはいるだろうが、直接は知らない。

 だが、彼らがそうした過去を意識する、しないに関わらず、彼らの血のなかには、〝怨念と執念のDNA〟が脈々と生き続けている。

 北京五輪で、9回2アウトでライト飛球をとった瞬間、地面に突っ伏して号泣した韓国選手の姿が、まさにそれだった。

 テレ朝の実況中継のアナウンサーは、昨日の日韓戦で、その選手のことを紹介していたので、私は改めて北京の光景を思い出した。

 若い世代にはわからないだろうが、あの光景は、ただうれしくて地面に突っ伏したというだけではないのだ。

 韓国の監督の顔つきが原の顔つきと違うのも、それだ。彼は、国家や先祖の怨念を背中にしょっている。

 しかし、勝負の世界は、そういう諸々(もろもろ)の事情を超越したところにある。
 どんなに深い怨念をいだいて敵を倒しにかかっても、軽く一蹴されてしまう結果が待っているのが勝負の世界である。

 人間の情としては、「勝たせてやりたい」と願っても、そうはならないのが「真剣勝負」の世界。だからこそ、勝負はおもしろい。そこにあるのは、わずか二文字――「非情」。

 しかるに、北京五輪の監督だった星野仙一には、まるでそういう意識がなかった。
 星野は敗北後、「ゆえなくして自分がバッシングされている」「マスコミがあれこれいうのならいいが、同業者から批判される筋合いはない」などとホームページで反論したり、テレビでぼやいたりしていたが、そういう考え方をすること自体、一般人の感覚と遠く離れている。

 彼には「恥」という感覚がないらしい。その後の言動を見ていると、そのことがよくわかる。
 北京で敗北しても、口では「申し訳ない」といいながら、「リベンジ」だなどといい続け、WBC監督に色気を見せ続けた。監督にふさわしい人材は「自分しかいない」という思い上りがあったからだろう。

 北京五輪での「野球」という種目は、他の球技と違って出場国が極端に少ない。だから、北京以後、なくなったのだ。それなのに「銅メダル」すら取れなかった。陸上や水泳でメダルが取れなったというのとは、根本的に事情が違う。こういう認識も星野にはないのであろう。

 オリンピックはスポーツではあるが、実体はクーベルタンが意図した理想とは遠くかけ離れた「国と国が名誉と威信をかけた戦争」。

 戦いでの指揮官の任務と責任は重い。(戦争を例に挙げるのは正しくはないが、指揮官の重要性、責任という意味でいうなら)太平洋戦争でも、指揮官が誤った判断をしたり、独走して、多大な犠牲者を出した。戦後、敗戦国の指揮官は厳しく罰せられた。

 太平洋戦争では戦勝国が敗戦国の指揮官を裁き、北京五輪では敗戦国の国民が敗戦チームの指揮官を裁いたという違いはあるにしろ、星野が選手をやる気にさせなかったり、故障者を続出させたり、選手起用を何度も誤ったことは、太平洋戦争で部下を無駄死にさせたりしたこととさして変わりはなく、敗戦後は、同じ指揮官として「厳しく指弾され、処罰されて当然」なのだ。

 そういうことが星野はわかっていなかったし、今もわかっていない。
 彼に武士道の魂の一つである「恥」という感覚があったなら、「隠遁」(いんとん)し、表舞台には顔をださなくなったはず。 ところが彼は、頻度こそ減ったにしろ、いまだにマスコミにしゃしゃり出てくる。
 かつて、星野に大声援を送り続けた者としては、「裏切られた思い」がしてならない。というか、彼の本質を見抜けずに応援していたのかもしれない。
 こういうことは、多くの中日ドラゴンズファンの心情だろうと思う。

 さて、原辰徳率いる「侍ジャパン」が、これから先どうなるかは誰にもわからないことだが、「14対2」で韓国に勝った戦いぶりを見て、圧倒的多数の野球ファンは、「原は大きなことは決していわないが、大口を叩きまくる星野よりはずっと力が上だ」と思ったことだけは間違いない。

(城島明彦)

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2009/03/08

韓国戦にコールド勝ちで、原辰徳株は急上昇し、星野仙一株は大暴落!

 原辰徳率いる「侍ジャパン」は、3月7日に宿敵韓国チームを「14対2」のコールドゲームで下すという、信じがたい結果を出した。

 野球ファンの多くは、その試合のテレビ中継(テレ朝)を見ながら、「星野が監督だったら、こうはいかなかっただろう」と思ったに違いない。

 スポーツは結果がすべて。「金メダル以外はいらない」と大言壮語して「銅メダル」も取れなかった星野と違って、原は偉そうなことをいわなかったが、選手をその気にさせた。

 画面に大写しになる選手の顔つき、顔色が、北京五輪のときとはまったく違っていた。
 北京五輪のときの選手は生気がなかったが、韓国戦での選手の顔には気迫が漂っていた。

 原は、世論やファンの声を重視し、「原ジャパン」と呼ばれることを嫌い、「侍ジャパン」という呼称を選んだ。「侍ジャパンとは実にいいネーミングで、反対する声は皆無に近いのではないか。
 
 そういう感覚は選手に微妙に伝わる。それが結果に現れた。

 ところで、中日ファンとして気になるのは、落合の胸中。
 WBCに1人も選手を送り込まなかった中日は、今期、「優勝」しかない。もし2位に甘んじるようであれば、「落合はクビ」。しかし、優勝できる戦力なのか?

(城島明彦)

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2009/02/28

「仰げば尊し」は、生徒と教師が交互に歌うコーラス!

 ●「仰げば尊し」の美しい旋律に文句をつける人はまずいないだろうが、歌詞となると非難の嵐で、いつのまにか〝卒業式ソングから追放〟されてしまった。
 卒業式で歌われなくなった主な理由として、一般にいわれているのは次の二つだ。

 (1)詞の内容が今の時代、今の学校事情(教師と生徒の関係)にそぐわない。
 (2)言葉づかいに難しい表現があり、理解しづらい。

 特に問題視されているのが「仰げば尊し」の二番の歌詞の内容で、卒業式で歌っている学校でも二番をカットしているらしい。二番の歌詞のどこが問題視されているかというと、「身を立て名をあげ」だという。「立身出世せよ」と煽(あお)っているところがというが、それはおかしい。なぜおかしいかを説明する前に――。

 ●「仰げば尊し」は、「誰の視点で書かれたのか」がメチャクチャである。
 どこがメチャクチャなのか。「小説」の書き方で示そう。

 ぼくは、どきどきしながら美千子の手を握った。美千子の頬に朱がさすのを、どきどきしながらぼくは見た。わたしは、家族以外の男性に手を握られたのは初めてで、心臓がどきどきした。ぼくは、そんな美千子を美しいと思った。

 この小説の主人公は「ぼく」で、「ぼくは」という書き方で描写されていたと思ったら、突然、別の女性の登場人物の「わたしは」という書き方に変わり、「あれっ」と思っていると、また「ぼくは」に戻っている。これでは読者はわけがわからなくなってしまう。
 「仰げば尊し」は、まさにこれなのである。

 ●「仰げば尊し」の歌詞は、「起承転結で書かれた四行詩」だ。
  誰の視点で書かれているかを、一番の歌詞でチェックしてみよう。
  ▽一番の歌詞の主人公=視点は誰か? 冒頭のかっこ内が視点の主である。

  (卒業生)     仰げば尊し わが師の恩
  (教師)       教えの庭にも はや幾年
  (教師・卒業生)  思えば いと疾(と)し
  (教師・卒業生)  今こそ別れめ いざさらば
 
 「わが師」といっているのは卒業生なので、次は「学びの庭にも」となるべきだが、歌詞は教師の視点である「教えの庭」としている。
 よって、このフレーズは教師が歌うのが正しい。

 「わが師の恩」の「恩」という言葉が古めかしくてよくないなどと批判する者もいるが、そういう理屈でいけば「恩師」という表現もやめなければならない。「恩師」は、ごく普通に使われる言葉である。
 「教えを請う」という表現があるように、人から何かを学ぶ場合には、謙虚な姿勢が必要であるから、「教えてもらったことをありがたく思う」という意味で「教師に恩を感じる」のは「人間としての自然な心」である。

 「思えば いと疾し」(振り返ってみると、あっという間だったなあ)は、卒業していく者の視点とするほうが自然だが、教師の感慨でもあるので、教師と卒業生が一緒に歌うとよいだろう。

 ※(参考までに)「いと疾し」の疾は「疾風怒濤(しっぷうどとう)」とか「疾風」(はやて)という使い方をし、古語では「早く」というときに「疾(と)く」といい、南北朝時代の武将楠木正成(くすのきまさしげ)と息子の正行(まさつら)の別れをテーマにした小学唱歌「青葉茂れる桜井の」のなかに「疾(と)く疾(と)く帰れ 故郷(ふるさと)へ」という一節がある。

 ●一番から三番までを通して、最後を締めくくる言葉「今こそ別れめ いざさらば」(なごりはつきないが、とうとう別れのときがきた。さようなら、元気で!)は、教師の視点でもあり、卒業生の視点でもある。
 したがって、卒業生と教師が交互に歌ってきて、最後は一緒に歌うのが自然だ。

 ●(問題の二番は飛ばして)三番は、どうか。
「蛍の灯火(ともしび) 積む白雪」は、教師が授業で故事を引用して「どんな場所でも勉強できる」と説き、「卒業してからも、そのことを忘れるなよ」いったと解釈すれば、視点は教師になるが、夏は「蛍をいっぱいとってきて細かい網目の竹かごに入れ、そのあかりで読書し、冬は窓辺の雪明りで教科書に目を通したこともあった」という意味に解釈すれば卒業生の視点になる。
 
 つまり、どちらでもいいのだが、最初を卒業生が歌ったので、次は教師ということで、このフレーズは教師にすればよい。そうすれば、一番と同じ順番になる。

 「忘るる間ぞなき 往く年月」(この学校で体験した数々の出来事やエピソードを、私は何年経っても決して忘れはしないだろう)は卒業生の心境である。
そう考えると、三番は次のようになる。

  (卒業生)     朝夕慣れにし 学びの窓
  (教師)       蛍の灯火 積む白雪
  (卒業生)     忘るる間ぞなき 往く年月
  (教師・卒業生) 今こそ別れめ いざさらば


 ●問題は二番だ。
 「仰げば尊し」は、一番から三番まで通して読んでみると、一人の作詞者が書いたものではなく、別の人間(複数と思われる)が加筆したことがわかる。
 特に二番は、いじくりまわされた形跡が濃厚で、そのせいか、内容が支離滅裂である。

  互いに睦(むつ)みし 日頃の恩
  別るる後(のち)にも やよ忘るな
  身を立て名をあげ やよ励めよ
  今こそ別れめ いざさらば

 ●二番の歌詞を推理する。
 二番は、「別るる後(のち)にも やよ忘るな」「身を立て名をあげ やよ励めよ」というフレーズを重視すれば、「教師が生徒に贈る歌」(教師が卒業生にする最後の説諭)として書かれたと推理できる。
 ところが、複数の人間がいじくり倒した結果、誰の視点かがピンボケになり、出だしからして「互いに睦みし 日頃の恩」などというわけのわからない表現になってしまった。

 ●教師と生徒が仲むつまじい?
 「睦みし」は、ちょっと見には難しい言葉のように映るが、「仲むつまじくやるんだよ」というときの「睦まじく」と同じ意味だ。「睦まじく」は、「夫婦、仲むつまじく」などという使い方をする。
 「睦ごとを交わす」という表現もある。今日ではめったに使わない言い方だが、男女がいちゃつく様子をいう。
 「睦まじい」には「親しい」という意味もあるが、その意味だとしても「日頃の恩」とはつながらず、「互いに睦みし 日頃の恩」はおかしな表現だと気づく。

 「互いに睦(むつ)みし」を卒業生の視点とすると、先生に対して「互いに」という言い方は無礼である。その後の「日頃の恩」という言葉と合わない。生徒同士が「互いに睦みし」ならわかるが、そうすると、生徒間の「恩」とは何かと云う疑問が出てきて、収拾がつかなくなる。
 かといって、先生の言葉としても中途半端である。先生が生徒に「日頃の恩」などと思うわけがない。

 ●中途半端といえば、この詞は「七・五調」ではない。
 最後の「いざさらば」だけは「五字」だが、それ以外は、「七・五調くずれ」の「八.・六調」となっている。
 「八・六」の八は、「わかるる(四字)のちにも(四字)」といったように、「四+四」で構成されている。つまり、「四・四・六調」である。
 こういう制約があると、使える言葉が限られてくる。
 歌謡曲や演歌は、今でも七・五調が基本なので、それを守ろうとするあまり、おかしな表現・無理な言い方が多いことは誰でも知っている。
 つまり、「睦みし」などというおかしな表現は、「四・四・六調」にこだわらざるを得なかったために、選択された不適切な言葉だと考えるべきなのである。
 二番の視点は、次のようになる。

  (卒業生?)   互いに睦みし 日頃の恩
  (教師)      別るる後にも やよ忘るな
  (教師)      身を立て名をあげ やよ励めよ
  (教師・卒業生) 今こそ別れめ いざさらば

 ●「身を立て名をあげ」は、おかしくない。
 なんとも中途半端だという理由で、二番をカットするのはわかるが、「身を立て名をあげ」という詞がよくないというのは間違っている。
 会社員なら「出世を願う」のが当然だし、商売をしている人は「店の知名度が上がることを願う」し、歌手や俳優などは「名をあげようと努力する」のが当たり前。
 そうすることの、どこが悪いのか。そういうことを無理に否定しようとするから、おかしなことが起きるのである。

 ●言葉の解釈
  ▽一番
 ○仰げば尊し わが師の恩⇒ふと空を仰ぎ見て心をよぎるのは、未熟だった私に勉強だけでなく生き方をも教えてくださった先生に対する感謝の念だ。

 ○教えの庭にも はや幾年⇒桜の咲く頃、期待と不安を感じながら校門を通り、校庭を抜け、校舎に入った、あの日から、あっという間に何年も過ぎ去ってしまった。

 ○思えばいと疾し この年月⇒「歳月人を待たず」とか「光陰矢のごとし」とかいうけれど、本当に月日の経つのは早いものだ。

 ○今こそ別れめ いざさらば⇒「会うは別れの初め」と昔の人はいったものだが、その別れのときがとうとうやってきてしまった。なごり惜しいが、別れの挨拶をかわそうじゃないか。

 ▽二番
 ○互いに睦みし 日頃の恩⇒背伸びして先生に議論を吹っかけた日もあったし、肉親には相談できないことを先生に相談に乗ってもらったこともあった。先生に対する思いは人それぞれだが、何らかの形で恩を受けてきた。

 ○別るる後にも やよ忘るな⇒卒業して学校を去っていくけれども、受けた恩は絶対に忘れてはいけない。

 ○身を立て名をあげ やよ励めよ⇒独立自尊の気概を持ち、名声を高めるように、努力精進することを心がけろ。

 ○今こそ別れめ いざさらば⇒慣れ親しんだ校舎や校庭、図書館、音楽室……なごりはつきないが、友よ、また会えるその日まで、さようなら。

 ▽三番
 ○朝夕慣れにし 学びの窓⇒春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)、朝な夕なに教室の窓から眺めた校庭、運動場、そしてその向こうに広がる野や山や家々のある光景は、私の脳裏にくっきりと焼きついている。

 ○蛍の灯火 積む白雪⇒まだ電灯のなかった遥かな昔、貧しい若者が夏は蛍のあかりで勉強し、冬は雪あかりで本を読んだという。先生が語ってくださったそんな故事を、学舎(まなびや)の窓辺に寄ってふと思い浮かべた日もあった。

 ○忘るる間ぞなき 往く年月⇒この学校で体験した数々の出来事やエピソード。それらの想い出を私は何年経っても決して忘れはしないだろう

 ○今こそ別れめ いざさらば⇒いつまでもなごりを惜しんでいたいが、別れなくてはならない。新しい旅立ちが私たちを待っている。笑顔で、お別れしようじゃないか。さようなら、いつまでも元気で!

(城島明彦)

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2009/01/29

女のたしなみ

「女のたしなみ」などというと、男女差別だと考える者もいるかもしれないが、太古より男と女の肉体的な性差が存在する限り、「男は男らしく、女は女らしくあること」が求められるのは当然のことである。

 夜十一時近い頃の電車内でのことだった。
 途中の駅で、30歳にはまだ届いていないと思われるOLらしき女が乗り込んできて、さっと私の斜め前の空席に座った。

 その女、ブーツに乱れ格子模様の入った黒い靴下をはいていた。
 昔なら、こういう靴下をはくのは、バー勤めのおねえちゃんなど水商売関係か、芸能人や娼婦のたぐいだったが、今では素人娘もはくご時勢。

 それはまあいいとして、その女、無神経のようで、タイト系のスカートの幅、めいっぱいまでガバッと開脚し、太腿の奥のほうまで覗ける座り方をしたが、いっこう気にする様子がない。
 これには、さすがの私も驚いた。電車内が「公衆の面前」であることを忘れている。

 その女、顔には化粧っけがなく、口紅すらさしていない。顔の色は、浅黒いとまではいかないが、やや黒く、どちらかといえば、比較的整った部類に属する顔立ちである。

 開脚女は、大き目のバッグからさっと書類を取り出すと、そのまま目を通し始めた。こういうのをキャリアウーマンというのであろうか。

 私がいいたいのは、この女には「公衆の面前」であるという意識がなく、であるから、誰かに、どこかから見つめられ、観察されているかもしれないとはつゆ思わないのである。

 混み合った車内の狭いスペースで、新聞を大きく広げる女。膝に乗せた大きなバッグが隣の人の膝や手に当たっていても気づかぬ女。パンを平然と食べ、ボトルからお茶を飲む女。化粧しまくる女。口に手を当てずに大あくびをしたり、くしゃみをする女。ヘッドホンから音もれしていることに気づかない女……。
 
 細やかな気づかい、気配りをしない女が、会社や家庭の中では気づかいや気配りをしているとは思えない。
 まずは、見も知らぬ多勢の他人と同席する電車の中でマナーを心がけるところから、「女のたしなみ」は始まる。

「美しい女」というのは、顔の美しさだけをさすのではない。ちょっとしたたしなみを心得、それが顔や姿ににじみ出た女をさすのである。
 そういう女が増えていくなら、日本の未来も暗くはないが、気配りや気づいをしない女が減らないようなら日本の前途は暗い。

(城島明彦)

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2008/12/16

子供たちに見せたい映画「柿の木のある家」(1955年東宝作品)を渋谷図書館で観た

 (文章を書くのが仕事なのに、ブログとなると、つい筆が遠のくのはなぜだろうか? というわけで、久しぶりの更新となってしまった)

 「柿の木のある家」という古い日本映画を観た人はどれくらいいるのだろう。
 
 この映画は、『二十四の瞳』を書いた壺井栄の同名小説が原作で、1955年の東宝作品である。
 
 文部省推薦のこの映画を、私は、小学4年の頃、学校の講堂で観た。
 
 以来、もう一度見たいと切望しながら、なかなか見る機会に恵まれなかった。
 そんな映画を先日やっと渋谷図書館で観ることができた。無料だが、そこへ行くのに、バス、電車、タクシーを通ったために3千数百円もかかってしまい、新作のロードショーを観るような出費だったが、それだけかけた価値はあったと思った。

 観客は、ジジババばかり。おそらく、暇をもてあました近在の住民だろう。
 私は、50年間ひそかに思い続けた女性に逢えるようなときめきを覚えながら、映画が始まるのを待っていた。
 場内の明かりが消え、映画が上映された直後に予想だにしなかった出来事が起きた。図書館員が不意に近づいてきて、別の客のために私の席を空けてくれないかと妙なことをいってきたのだ。
 そういうことは、明かりがついている間にやるべきであり、無論、断ったが、言葉をやり取りする間、スクリーンから目を離さざるを得ず、半世紀もの間、観たい、観たいと願い続けてきた映画のタイトルバックの一部を見落としてしまった。
 そういう不快な出来事もあったが、なかなかいい映画で、わざわざ足を運んだかいはあったと思った。ここでいういい映画とは、一連の黒沢映画を評するときの「いい映画」ではなく、「感動した映画」という意味だ。

 「柿の木のある家」は、小豆島と東京が舞台である。
 小豆島の小高い丘に、庭に大きな柿の木のある貧乏な漁師の家があった。
 その木は、信じがたいほど幹が太くて巨大。子供が何人もよじ登っても平気な、でっかい柿の木だった。
 私は田舎育ちで、小学生の低学年の頃、庭にあった柿の木によじ登り、木の股のところに腰かけたこともあるが、映画に出てきたような巨大な柿の木は見たことがない。柿の木の幹がそんなに太く大きく育つものだとは知らなかった。

 漁師の家は、「貧乏人の子だくさん」を絵にかいたような家で、子供がいっぱいいた。その数7人。
 そのちょうど真ん中の小学生の娘が、子供のいない東京の親戚の家へ「養女」としてもらわれていくことで生じるいろいろな出来事を描いた映画で、子供たちが柿の木に登って歌を歌ったりして遊んでいるところへ、郵便配達が一通の手紙を届けるところから話が始まる。
 
 何しろ半世紀も前に観た映画なので、記憶に残っていたのは、女の子が東京の家にもらわれていったということと、柿の木のある家へ行くには坂道があった、ということぐらいで、それ以外のことはまったく覚えていなかった。
 したがって、彼女の養父役が上原謙(加山雄三の父)で、養母となるのが高峰三枝子ということも忘れていた。この二人、JRが国鉄といっていた頃の「フルムーン」キャンペーンのCMコンビである。

 養女役の中村のり子という子が、かわいらしく、いい芝居をしていた。この子は、その後、どうなったのだろうか。

 主人公の少女の姉で、東京の呉服屋に女中として勤める役を桑野みゆきが演じていた。彼女は、可憐で、ういういしく、このとき中学生。大島渚の第2作「青春残酷物語」で胸元まであらわした体当たり演技を見せるのは、この映画から5年後だ。

 少女が養女となった東京の家で起きるさまざまな出来事や事件(転校先の小学校での出来事、転校していく友だちからもらった犬をこっそり飼う話、その犬の出産をめぐって養母との間に生まれる親子の情、養母の妊娠など)を経て、養父母との間に誤解や溝が生じ、少女は小豆島へ返されることになるが、実父母は彼女に養子縁組を解消されたことを告げられないでいる。と、思いなおした夫婦が少女を迎えに小豆島へやってきて、映画はハッピィ・エンドとなる。
 
 まだ日本が貧しかった頃の映画であり、今見るとピンと来ないところもあるが、今日のような殺伐とした時代には、学校で子供たちにこういう映画を見せることも必要だろう。DVDになっていないのは、おかしいのではないか。そう思った。

(城島明彦)

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2008/11/29

恩義が金に負けた! FAで中日を出る中村紀洋の悲しき性(さが)

 中村紀洋が(旧)近鉄を追放され、それがイコール球界からの追放を意味したとき、彼を拾ってくれたのは中日ドラゴンズだった。

 中村自身もそう思い、マスコミにもそう語っていたので、彼はドラゴンズに骨を埋めるものだと思っていた。

 ところが、「来期の3塁のポジションを確約されなかった」のを理由にFA宣言し、2億円を用意した楽天に移る可能性が高くなってきた。

 全試合出場したいのは、どの選手も同じ。後輩が育ち、自分のポジションを脅かすのは勝負の世界の常道。

 そういう連中を退けてしまうような凄い成績を上げるのが、名選手。ポジションは自分で奪うもの。

 中村は自信がない、と思われても仕方がない。

 中村は、中日への恩義を捨て、カネに目がくらんで出て行く。

 中日ファンは、そう思っている。

 中村が球界のどこからも声がかからなくなり、ドラゴンズが彼を拾ったドキュメンタリーを、私はかつてテレビで見、そこで見せた中村と妻や娘たちの姿に胸を熱くした。

 2008年も、「中村がホームランを打つ試合では中日は負けない」といわれるくらい、彼は中日に貢献したが、やはり、金の力には勝てなかったのか。

「金(契約金や年俸)は選手としての自身の評価である」ということを理解してなお、「中村紀洋という男は、人情や義理を大事にすると思っていた」中日ドラゴンズファンの気持ちを裏切ったことだけは確かである。

(城島明彦)

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2008/11/08

でたらめな映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

 西岸良平原作のマンガを映画化した第二弾「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を、公開から一年が過ぎた先日、DVDで観て驚いた。

 昭和34年当時のことを描きながら、時代考証がでたらめで、嘘があまりに多すぎる。

 全編でたらめなら、「それはそれで面白い」と評価できるが、この映画は、町は架空であっても、東京タワーやら当時の東京の町を再現し、市電まで走らせたことを売り物にした映画である。

 しかし、石原裕次郎の映画「嵐を呼ぶ男」の観客は、誰もが彼の歌声に合わせて体をゆすったり、手でリズムを取ったりしていた。

 ストーリーのコアとなる吉岡秀隆扮する作家志望の青年が、芥川賞候補になる話では、プレス関係者が多数押しかけ、町内の人たちもどっと集まって受賞の知らせをまっているというシーンがあったが、これもでたらめ。

 当時の芥川賞・直木賞に、そういう騒ぎはなかった。

 第一作はよくできていて、映画に描かれた昭和33年当時、少年だった私は、映画のシーンにその頃の自分自身の姿をダブらせて、とても感動し、何度も涙をこぼしたものだった。

 しかし、続編は、ひどい。ひどすぎる。急いで作ったことがわかり、映画館で見なくてよかったと思った。

 話そのものは架空であって飛躍があっても構わないが、実際にあった出来事まで嘘・でたらめにすることは許されない。その時代に生きた観客、その時代を知っている観客を小馬鹿にすることになる。
 
 もっとしっかりシナリオ作りをし、嘘・でたらめな演出はやめてもらいたい。

(城島明彦)

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2008/10/18

王は無理してもWBC監督をやれ! 「星野が監督なら出ない」というイチローの声をどう聞く

 ●日本球界の、いや〝世界球界の至宝〟イチローが星野がWBCの監督なら自分は出ないと友人に語ったという話を週刊誌「アエラ」が掲載した。

 イチローは、WBC監督が王なら出るが、星野なら出場拒否の意向らしい。

 イチローがオリックスに入団したのは1991年。イチローは名古屋人。子供の頃からのドラゴンズファンで、中日に入りたかった。それを認めなかった当時の中日監督は、誰あろう、星野仙一その人だ。

 星野は、ブライアントの実力を認めず、一軍でほとんど使うことなく、二軍に落とし、その直後に近鉄に放出している。ブライアントは近鉄に入団するや、どでかいホームランを量産したことは記憶に新しい。

 星野は、金銭にあかして大トレードをやり、人心を一新して中日、阪神を優勝させたが、既存の大物選手を引っぱってきただけ。

 中日の捕手だった矢野を星野は阪神に追放したが、その後、大活躍し、星野が阪神監督になったときに大活躍するという皮肉な結果になっている。

 ●WBC体制会議で、星野を推薦したのは王だったと、野村が漏らした。

  王の体が悪いことは誰もが知っているが、それを押してWBC監督を引き受けてほしいというのが、ファンの声だ。人望があり、謙虚な人柄の王には選手はついていくが、かつて中日監督時代に巨人監督だった王の胸倉を掴んだ星野なら、選手はついていかない。

  酷な言い方になるが、相撲取りなら土俵で死ねたら、野球人ならグラウンドで死ねたら本望ではないのか!? 

 ●誰が、なぜ星野をWBC監督にしたいのか。その裏に何があるのか!? 

 星野は、ナベツネを介して、人のいい王を利用してはいけない。
 イチローの声は、ほかの野球選手の声でもあるということを、王やナベツネは知るべきである。
 TBSやフジテレビが視聴者アンケートで「誰がWBC監督にふさわしいか」で、星野は野球ファンから拒否されていた。そのことを関係者は思い返すべきである。
 
(城島明彦)

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2008/10/17

「WBC監督は〝北京五輪の超A級戦犯〟星野で決まり」だと!? 「体制検討会議」は野球ファンの気持ちを逆なでするのか!

 「国民の意思・意向」を表す「民意」という言葉がある。そのことでいえば、国民あっての政治であるから、「民意を汲まず、民意を反映させない政治」がもし行われたら、それは「独裁」「横暴」「暴挙」のたぐいである。

 同様に、「野球ファンの意思・意向」を「ファン意」と表現するなら、野球ファンあっての野球なのだから、「星野WBC監督はありえない」とするファン意を無視して星野をWBC監督に据えようとする「WBC体制検討会議」は、「独裁」「横暴」「暴挙」といかいいようがない。

 WBC監督をやりたくて仕方がない星野は、世間の風向きを考え、自分は誇示したが、「どうしてもやってほしい」と「三顧の礼」をもって迎えられたという形式をとりたい。

 そこで、WBC監督受諾の条件として、「球界の総意」を求め、それに加藤オーナーが読売のナベツネの意を汲んで、そのようにお膳だてした。「現役監督では難しい」という話に持って行き、消去法で星野が残るように仕組んだ。そういう筋書きである。

 WBC体制検討会議のメンバーの顔ぶれに、「?」と思った野球ファンは多いはず。
 ヤクルト監督の高田がいるのに、横浜の大矢は加わっていない。監督でも元監督でもない元広島の野村謙二郎がなぜいるのか。巨人の原や中日の落合はなぜいない?

 野村は「監督は王がいい」と会議でいったそうだが、王本人が体調不良を理由に「固辞」したため、(それなら俺が)と思っていたが、「現役監督には無理」という全体の雰囲気になってしまい、あきらめざるを得なくなった。

 星野仙一は、北京五輪を前にして「金メダル以外はいらない」などと大言壮語し、人選で独断専行しておきながら、だらしのない負け方をして、銅メダルすら取れず、野球ファンのみならず、国民全般から総スカンを食った。

 にもかかわらず星野は、「失敗してもチャレンジするのが俺の生き方」などと開き直って、WBC監督への色気を見せたが、失敗しても再チャレンジできるのは、時と場合による。北京五輪でもし優勝して金メダルを取っていたら、星野の手柄となり、星野は国民的英雄扱いを受けたであろう。

 だが負けたのだから、その逆の扱いを受けるのは当然。それが勝負の世界。「もう一回」はないのだ。
 ペナントレースでも、たった一年、成績が悪かったというだけで解任された監督が何人いたか。「来年もやらせてください」「リベンジさせてください」と懇願する以前に、「責任を問われてクビ」というのが、勝負の世界の常識。

 どれだけ多くの選手が、北京五輪に出場したことで調子を狂わせたことか! それが星野のせいでなくて、誰のせいだというのか。

 阪神の新井は最大の犠牲者。北京五輪で疲労骨折し、ペナントレースを欠場。その間に、阪神はズルズルと負け、ついには優勝を逸したのだ。したがって、岡田は星野のせいで監督を辞めざるを得なくなったということになる。

 星野は、中日時代、球団首脳からかわいがられ、甘やかされたことで、「もう一回、やらせてください」を何回も認めてもらった。そのおかげで、中日で二回、優勝監督になれたのだ。

 ところが、金づかいのあらさなどに問題があって、オーナーが変わると解任された。と、星野は、大恩ある中日に「俺を切ったな、見てろよ。仕返ししてやる」と怨念の炎をメラメラと燃やして、ライバル球団阪神の監督になった。そのとき星野は、こういった。「球界のために引き受けた」と。よくいうよ、である。

 星野は、なぜ、「私は、北京五輪の無残な敗北の責任を痛感し、野球ファンの期待を裏切ったことを重く受け止め、WBC監督は固辞します」となぜテレビカメラに向かっていえないのか。
 「北京五輪での負けは仕方なかった。自分の責任ではない」とでも思っているから、そういえないのか。

 男なら、けじめをつけろ。

(城島明彦)

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2008/09/22

朝青龍は、モンゴルへ帰れ! 細木数子はどうした!?

 大相撲秋場所8日目、朝青龍は豊ノ島に押されて土俵際に詰まったが、俵に足をかけて踏ん張って残し、押し返して寄り切ったかに見えた.。
 だが、その前に審判の手が上がり、朝青龍の足が土俵を割っていたと告げ、豊ノ島の勝ちとなった。

 この判定を朝青龍は納得できず、横綱にあるまじき言動、「横綱の品格・品位」を汚す発言と振る舞いを見せた。朝青龍が、どう行動し、どう言い放ったかは、以下に紹介する新聞記事に詳しい。

●「毎日新聞」(上鵜瀬浄記者)
「オレの足は出てたか」「どうなんだ」。首をかしげて支度部屋に入ってきた朝青龍。怒りに震えながら、聞いて回る。報道陣に、マネジャーに、果ては9日目に対戦する安馬にまでモンゴル語で。思う答えも帰ってないからか、丸めたテーピングを、思い切り風呂場のドアに投げつけ「ダー」とどなった。
 左四つがっぷりから朝青龍は右上手を切られた。右をこじ入れようした瞬間に、豊ノ島が一気に寄る。こらえる朝青龍の右足が俵から出たように見えた。
 それは三保ケ関審判長(元大関・増位山)の目の前で起きた。「目でも、蛇の目(俵の外の砂)でも確認した。1センチくらいへこんでいた」と三保ケ関審判長。「不満だと言っても負けは負け」と、取り合わなかった。
 まげを結う間も「残っていたと思ったんだよな」「何だよ、この野郎」「あー、くそ」。帰り際も「納得いかねえよ」「たまったもんじゃないよ」とおさまらなかった。

●「日刊スポーツ」(来田岳彦記者)
 鬼の形相で支度部屋に戻った朝青龍は、両手首に巻いていたテープを乱暴に引きはがすと、壁に向けて力任せにたたきつけた。風呂の戸をくぐると「ダーッ!!」と怒りの叫びを上げた。すぐに振り返ると、視界に入った安馬にモンゴル語で「本当に出ていたのか?」とまくし立てた。「微妙だった」と聞かされると、風呂の戸を閉めた。
 判定への怒りは土俵上から続いていた。豊ノ島に寄られたがなんとか残って、逆に寄り切ったつもりだった。だが、土俵際で踏ん張った際、右かかとが土俵の外につき、三保ケ関審判長が右手を挙げていた。蛇の目にも跡が残っており、勝負あり。納得できない朝青龍は、豊ノ島に軍配を上げた行司の木村庄之助に「残ってるよ」と言い放ち、足が出た場所を指し示す審判長をにらみつけた。花道でもあきらめきれず、何度も振り返った。
 風呂から出てきた後は平静を装った。「残ったと思ったんだけどね」。だが、悔しさに耐えきれなくなったように、突然「コノヤロー! ピスタ(ロシアの隠語で「くそっ」)!」と大声を出した。報道陣にも「出ていたのか?」と確認。駐車場への通路でも「納得していない。ビデオも見ないと分からねえけど。今の気持ちは真っ白だ。たまったもんじゃねぇ」とまくしたてた。(日刊スポーツには、テープを投げる朝青龍の写真もあった)


●負けて悔しいのはわかるが、いかなる判定が下ろうと、じっと耐えてこそ横綱。
 100歩譲って、もし仮に誤審であったとしても、勝敗が決まり、土俵を降りたら、文句はいうべきではない。

●「世紀の大誤審」といわれ、ビデオの導入を促した「大鵬・戸田戦」(1969年3月場所2日目)を見ろ、といいたい。

 相撲ファンなら誰でもこの一戦のことは知っている。
 ましてや相撲取りの朝青龍が知らないとはいわせない。
 本人自身が知らなかったとしても、親方や「親がわりの占い師」細木数子から話ぐらいは聞いているはずだ。

 大鵬は45連勝中と破竹の勢いで、「双葉山の69連勝という大記録を抜くのではないか」との期待がかかっていた。
 その日、大鵬は戸田の一気の押しに土俵に詰まったが、回り込んではたいた。
 行事軍配は大鵬に上がったが、物言いがつき、大鵬の足が先に出たと見なされて、大鵬の連勝はストップした。
 だが、「判定はおかしい」との抗議が相撲協会に殺到する騒ぎに発展した。

 翌日の新聞各紙が掲載した写真が、いずれも大鵬の勝ちを証明していたことから、「世紀の大誤審」といわれた。

 そのことを重く受け止めた相撲協会は、次の場所から物言いがあったような微妙な勝負の判定にはビデオを参考にすることを決めたのだ。

●大鵬の態度は立派だった。一番文句をいいたかったのは、大鵬自身だったが、何もいわなかった。大鵬はすごい、と誰もが思った。だが彼も人間だった。体調を崩して、5日目から休場したのである。

 大記録にどこまで迫るかと楽しみにしていたファンはがっかりしたが、一番落ち込んでいたのは大鵬自身だったのだ。彼は黙って耐え忍んでいたが、心身ともに持ちこたえられなくなったのだろう。
 相撲ファンは、大鵬以外の相撲ファンまで大鵬に同情した。このとき大鵬は、名実ともに大横綱になったのかもしれない。

●細木数子よ!
 土俵入りに使う綱を巻いた化粧まわしを朝青龍から贈られた〝日本のお母さん〟よ!
 テレビで出来の悪い人間にさんざん厳しいことをいっておきながら、朝青龍のしつけはどうしたというのか?
 「後見人」を自負するなら、「横綱の品格にふさわしくない言動をするな」と厳しく叱れないのか!?
 「日本の母」というのなら、テレビで出演者や視聴者に向かって垂れていたご高説を、なぜ朝青龍にも向けないのか!?

●モンゴル場所を成功させた朝青龍の功績は認める。よくがんばった。
 最近はマスコミへの応対姿勢もよくなり、「朝青龍は変わった」と思わせたが、実際には、粗野な言動はちっとも変わっていなかったのだ。、

●相撲は日本の神事だ。
 横綱は、神聖な日本の神事の頂点に立つ人間。
 その横綱が、神事を汚すような言動は断じて許されない。
 横綱になぜ「品格」が求められるのか、それくらいのことがわからないようでは、横綱たる資格はない。
 即刻、まげを落として廃業し、とっととモンゴルへ帰れ!

(城島明彦)

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2008/09/19

〝角界のブラックバス〟は、国外追放がふさわしい

 ニッポンは、不良害人天国だ!

 「2倍、2倍」と高見山がいっている時代は、まだブラックバスもまだ珍しく、かわいかった。

 巨大化したブラックバス=どでかい体だけで横綱までの登った曙や武蔵丸が出てきたあたりから、大和文化の象徴だった大相撲はおかしくなった。

 武蔵丸は、まだかわいげがあるが、曙は救いがたい! K-1でのぶざまな姿は、陸に上がったブラックバスだ。

 目を覆いたくなるドンくさい動きで、口をパクパク。出ると負けを繰り返し、「横綱の権威」を完全に汚した。

 朝青龍を筆頭に、〝出稼ぎ害人〟の相撲取りが国技を引っ掻き回している。

 大麻を吸うなど、もってのほか。露鵬、白露山、若ノ鵬は、国外追放されて当たり前。

 にもかかわらず、解雇不承知で、裁判するだと? 日本をなめるなよ!

 親方や兄弟子たちは、こいつら不良害人に、「郷に入っては郷に従え」という諺をおしえなかったのか。

 たどたどしい日本語を使って、黒を白と言いくるめようとする横着(おうちゃく)害人どもには、開いた口がふさがらない。

 悪知恵を吹き込んだのは、どこのどんな日本人なのか?

(城島明彦)

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2008/09/03

WBC監督候補、ファン投票では野村がダントツ人気

 フジテレビのスポーツニュース番組「スポルト」が、9月2日(23:55~0:35)、番組のなかでケータイによる視聴者へのアンケートを実施した。
 
 「次のうちの誰が、WBCの監督にふさわしいか? 王、星野、落合、野村、バレンタイン、その他」

 番組を見逃したプロ野球ファンのために、以下の情報を紹介したい。

 集計結果は、次のようだった。(%の後は「(2007年までに)監督をした年数とその間の優勝回数」で、筆者追加)

   野村…………33%   22年間で優勝5回
   バレンタイン…20%    5年間で優勝1回
   王……………15%    18年間で優勝4回
   星野…………12%   13年間で優勝3回
   落合…………12%    4年間で優勝2回
   その他……… 8%

 集計総数は発表されなかった。

(城島明彦)

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2008/08/30

お騒がせの〝マッチポンプ女〟姫井由美子参院議員は、稀代(きだい)のバカ

 「民主党を離党し、新党『改革クラブ』を結成!」とのニュースが流れ、その脱藩議員のなかに、〝あの姫井由美子〟が混じっていると知って、「こいつ、節操のない女だなあ」「また、何かやらかすのではないか」と思った人は多かったのではないか。

 案の定、たった一日で撤回、復党してしまった。

 こういうのを「泰山(たいざん)鳴動して鼠一匹」(大騒ぎしたが、ちっぽけなネズミしか出てこなかったという意味)といい、姫井のやった行為を「マッチポンプ」(火をつけた本人が自分で消火したという意味)という。 

 姫井の復党理由が、聞いてあきれる。

 「参議院改革をめざすと聞いて新党結成に参加したが、自民党の民主党崩しの受け皿になる可能性があると知った」「支持者への裏切りになることもわかった」云々。

 そうしたことを事前に熟慮した上で、姫井は脱藩行為に走った、と誰もが思っていたぞ! 

 ところが姫井は、そんなことも考えずに勧誘員のいうことだけを聞いて、『じゃあ、私も仲間に入れて』と参加したらしい。

 こういうのを、「軽挙妄動」(けいきょもうどう)という。

 姫井は地元岡山大の大学院まで出ているのに、このピンボケ、パープリンぶり。

 こういうバカを選出したことを、岡山県民は恥じているのではないか。

(城島明彦)

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2008/08/28

星野よ、どう弁明する? 「岩瀬、復活」で、「星野の選手起用法は最低!」を落合が実証したぞ

 昨夜(8月27日)甲子園球場で行われた「阪神・中日戦」(19回戦)で、4-1と中日リードで迎えた9回裏に岩瀬が登板した。

 「ピッチャー、岩瀬」とアナウンスされると、球場は大きくどよめいた。

 北京五輪でボコボコにされた直後のことだけに、球場を埋めた阪神ファンは「これで逆転や」と思ったに違いないし、中日ファンも岩瀬に声援を送りながらも「やばい。落合は試合を投げたのか」と思ったろう。

 だが岩瀬は、3者凡退に打ち取り、セーブを上げて見事復活、男を上げた。

 「使い方を間違わなければ、岩瀬は打たれない」との落合の皮肉たっぷりなコメントを、星野はどう聞いた?

 今日(28日)の「スポニチ」の一面には、「落合、星野斬り」という〝でっかい見出し〟が躍っていた。「落合、岡田斬り」ではなく、「落合、星野斬り」としたところが、野球ファン心情・国民感情を代弁している。

 落合は、星野と違って言葉数も少なく、無愛想だが、「指揮官としての手腕では、星野より実力が数段上」ということを満天下に見せつけた。

 星野はさぞや悔しい思いをしていることだろうが、それが現実。

 「前へ進もうと思っている」「夢を持たなきゃいけない」などという耳ざわりのいい星野の御託(ごたく)は、もう聞き飽きた。それを世間では、「負け犬の遠吠え」という。

 勝負の世界に生きるなら、「落合のように、結果を出してから、いえ」といいたい。

 セ・パ交流試合以後、ヨレヨレになった中日に対し、ファンは「3位から落ちるかも。今年はクライマックス・シリーズに出られないかもしれない」と案じていたが、星野のおかげで、終盤に向けて、中日の選手たちには「打倒!星野」「何としても、3位を死守してクライマックス・シリーズに出場するんだ。そして、勝ち上がって、阪神を倒し、奇跡の優勝を勝ち取りたい」という強烈なモチベーションが生じた。

 皮肉っぽい言い方をすれば、「星野は、死に体になりかかっていた今年の中日を、北京五輪で目覚めさせた」ということになる。

 それだけで終わらず、万が一にでも、クライマックス・シリーズで中日が阪神を倒して優勝ということにでもなったら、星野は阪神ファンから「出て行けコール」を受けることになるだろう。

 ドラ選手よ、だから、どんなことがあっても3位から落ちるなよ!

 タレントとしての星野の人気は誰もが認め、集金力があることも認めるが、北京五輪以前ですら、野球監督としての星野の評価は低かった。それが北京五輪で「底なし」といっていいくらい下落した。

 阪神ファンですら、「新井をぶっ壊した星野」を快くは思っていないはずだ。これから先、まだ大事なクライマックス・シリーズが控えているのだから。

 落合が中日の監督に指名されたとき、星野は「こんな偏屈野郎に何ができる」と内心思っていたに違いないが、実際は逆だった。「監督は長くやればいいというものじゃない」ということを、落合は星野に示して見せた。

 落合の手腕を見て、星野の中日での長い監督在任期間は何だったのか、と中日ファンのみならず、球界全体のファンは思ったものだ。いや、監督を長くやってもいいが、かつての川上哲治のように、憎らしいくらい勝ち続けなくっちゃ!

 北京五輪で喜んでいる球団は、「上原を五輪に起用し復活させてくれた」と思っている巨人だけではないのか。

 来年3月のWBCの日本での試合は巨人主催ということで、ナベツネの発言は監督選出に強い影響力を持つ。彼は「(WBC監督は)星野以外に誰がいる」といったが、あれほど国民を失望させた星野を、またしても監督に起用するということになれば、「そこまでやるのは、星野に何か借りでもあるのか」と疑われかねない。

 「あれだけ調子の悪かった上原の五輪選手起用には、裏金でも絡んでいたのか」「近い将来、星野を巨人の監督にするとの〝密約〟でもあるのか」と、痛くもない腹を探られることになるだろう。

 ナベツネさんよ、「ほかに誰がいる」と開き直ってはいけない。それを見つけるのが、あなた方の仕事ではないのか!?

 王に断られても、落合や岡田がいるじゃないか。ライバル球団の監督だから嫌だというなら、原でもいいじゃないか。話題性狙いなら、大沢親分だっているぞ。

 「星野だけはダメだ」という野球ファンの圧倒的な声を無視して、星野をWBC監督に起用すれば、野球ファンは激怒し、「読売新聞不買」という形で反発するかもしれない。

(城島明彦)

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2008/08/26

星野仙一は、世間の感覚とズレまくっていることに気づかない〝トンチンカン男〟

 「北京五輪で、国民を一番感動させたのは女子ソフトボールで、一番がっかりさせたのは星野ジャパンだった」

 とTBSテレビが昼のワイドショーでアンケート結果を報じていた。

 渦中の星野仙一はといえば、歴史に残る大敗戦のつど、テレビを通じて「申し訳ない」と野球ファンや日本国民に詫びの言葉を発しているが、圧倒的多数の視聴者の目には、「星野は本心から自分が悪いとは思っていない。言葉の上だけ」と映った。

 そのことが、野球ファンだけでなく、国民の怒りを増幅している。

 星野の信じがたい姿勢は、昨日(8月25日)夜の「NEWS ZERO」(日テレ)への出演時の弁明の言葉や表情で、より鮮明・明確になった。

 星野は、もはや救いがたい。世間の感覚と完全に「ズレ」ているが、当人がまったくそのことに気づいていないのだ。

 星野は、これまでにも日テレの同番組にコメンテーターとして幾度か出演している。そして、野球以外の出来事や世相でもコメントを述べている。

 そのとき星野は、「北京五輪では勝ってくる」「金メダル以外はいらない」と強気の発言をしていた。

 この発言自体に問題はない。もし仮に心中では(勝てないかもしれない)と思っていたとしても、人前で「負けてきます」とか「負けるかもしれない」などというべきではないからだ。

 問題は、惨敗後の指揮官としての星野の態度、国民への謝罪の仕方だ。

 北京五輪後の星野の同番組への出演はかなり前から決まっていたようだが、「星野ジャパン」があまりにもひどい負け方をし、国民の怒りが指揮官である星野に殺到するという予期しえなかった事態が生じたことから、メインキャスターの村尾信尚は「星野が出演を辞退しても不思議ではない」と思っていたようで、インタビューの冒頭、そんな内容の質問を星野に投げかけた。

 だが星野は、どこ吹く風。「申し訳ない」と視聴者に向かって何度か詫びの言葉を口にはしたが、心は少しもこもっていない。

 星野は口に出してこそいわなかったが、「俺が、何で、こんなに責められなきゃならないんだ」と思っているとその顔に書いてあった。そんな表情をしていた。

 星野は、最大の敗因として、ストライクゾーンの問題を挙げ、「あれで日本チームはおかしくなった」と弁解した。

 「自分が悪い」「責任は自分にある」といいながら、審判のせいにしたのである。

 「責任転嫁」――それが、いつもの「星野流逃げのワンパターン」だ。

 星野から返ってきた答を聞いて、村尾は、唖然としたような表情で星野を見つめた。「この男、どこか変だ」と思ったからだろう。

 ストライクゾーンの違いで日本は負けたという弁明には、星野シンパと思われる村尾もさすがにあきれ、「他国の球団も条件は同じではないか」と返した。

 星野はさかんにいいつくろったが、弁解すればするほど、星野仙一の化けの皮ははがれ、どんどん男を下げた。

 番組では、世間で噴出している星野采配のミスなどについてもストレートに質問していた。そのひとつが、「調子の悪い岩瀬をなぜ決勝でも投げさせたか」だった。

 岩瀬連投は、野球ファンなら誰でも不思議に思う星野采配だった。

 星野いわく、「一度失敗しても、それを挽回するチャンスを選手に与えるのが自分のやり方だ。ペナントレースでは、ずっとそのやり方を貫いてきた」

 そんなことをいわれたら、誰でも星野に食ってかかるだろう。「ちょっと待てよ、星野。超短期決戦のオリンピックに、百何十試合もあるペナントレースの理論を持ち込むのか」と。

 一度脳波を調べてもらえ。そういいたくなるくらい、星野の考え方は、おかしい。

 村尾が質問したのか、スポーツキャスターのラルフ鈴木が質問したのかは忘れたが、彼らもそう思ったのだろう、「ペナントレースとは違うのでは」と反論していた。

 星野は、予選前の合同練習についても弁解していた。

 星野仙一よ、高倉健になれ! 見苦しく、聞き苦しい弁解はするな。「敗軍の将、兵を語らず」だ。

 その点、星野に指名されて主将を務めたヤクルトの宮本は立派だ。いいたいことはいっぱいあるだろうが、「申し訳ない」と言葉少なに詫び、弁解などしなかったぞ。

 WBCについては、星野は明確な返答をしなかったが、「今までも自分はチャレンジ精神でやってきた。これからもやる」などと監督をすることに色気を見せた。

 インタビューの間、星野は、勝っていれば、こんな扱いは受けなかったろう、というようなニュアンスの言葉を何度も吐いた。往生際の悪い男である。

 星野仙一よ、北京で韓国に負け、アメリカに負けた後の記者会見で、「日本国民の期待を裏切ってしまい、申し訳ない。その責任をとって、この際、自分は球界から退きます」といった言葉をどうして吐けなかったのだ。

 星野がもしそう語っていたら、「待て。何も今すぐ、引退することはない。しばらく球界を離れ、自分を見つめなおすということでいい」と、世間がいってくれただろう。

 不倫で騒がれた巨人の二岡ですら、(形の上だけであったかもしれないが)丸坊主にして世間に詫びたぞ。

 しかし星野仙一よ、あんたがもしも疲労困憊した顔で日テレの報道番組「ZERO」に出、苦渋に満ちた表情を浮かべながらインタビューに応じ、弁明を一切しなかったら、印象も変わったろうが、あんたは、敗軍の将にはふさわしくない晴れやかな顔をし、しゃれた新しいメガネをかけて、日テレの番組にさっそうと出てきた。あんたは、タレントであって、指揮官ではない。

 WBCの監督は星野以外の人間がやるのを野球ファンは望んでいる。必勝を願うなら、野村という線だってあるぞ。星野は、そういう空気も察知できないらしい。

 星野はいった。「私は叩かれても叩かれても、チャレンジしてきた。これからもやる」「夢を持たなきゃいけない」

 「プロ野球で悲願の金メダル」という国民の夢を裏切ったのは誰なのか。そこのところが、まるでわかっていない。

 星野が阪神を優勝させた功績を高く評価している熱烈な阪神ファンのタレント飯干景子ですら、「星野さんには謙虚さがない」といっていたぞ。(彼女の亡父は『仁義なき戦い』を書いた作家飯干晃一)

 卓球選手の福原愛は、こういった。「メダリストのように、人として、アスリートとして、成長したい」

 泣かせるじゃないか。彼女を責める者は誰もいやしない。それどころか、誰も彼もが、「愛ちゃん、がんばれ」と声援を送るだろう。

 〝エセ文化人〟星野仙一よ、「人望の厚い王貞治も元気になったことだし、WBCは星野以外の監督で」と、野球ファンは思っているぞ。

 ついでに記しておくと、団体競技のチームに「星野ジャパン」「反町ジャパン」「柳本ジャパン」などと個人の冠をつけるべきではない。「戦うのは選手であって、監督ではない」という理由以外に、「原巨人」「落合ドラゴンズ」という場合は、私企業同士の争いだから許されるが、オリンピックは国家的プロジェクトによる戦いだから許されないのである。そのことをはっきりさせておきたい。

 星野は、ダグラス・マッカーサーが太平洋戦争中に、日本軍に攻められてコレヒドール島からオーストラリアへ脱出する際にいった〝I shall return!〟(私は必ず戻ってくる!)の心境だろうが、野球ファンや日本国民は、同じマッカーサーが朝鮮戦争で核兵器を使うことを主張してトルーマン大統領に解任されたときにいった次の言葉がふさわしいと思っているぞ。

 「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」

 北京五輪を通じて日本国民が知ったのは、これまで彼の虚像を実像と錯覚し、高く評価していたということである。

 「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」風にいうと、「星野の 正体見たり 弁解男」というところか。

 いや、その程度ではない。私の目には、星野の姿は枯れ尾花などというかわいいものではなく、「ヒットラー」と二重写しに見えてきた。そういうと、いいすぎか?

(城島明彦)

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2008/08/25

星野仙一は往生際が悪い!

 銅メダルすら取れなかった「星野ジャパン」の監督星野仙一は、北京五輪から戻っての記者会見で、球史に残る迷言(金メダルを取っていれば名言)を吐いた。

 「強いものが勝つのではない。勝ったものが強いのだ」

 この発言は、星野という男の本質を端的にあらわしている。 

 深く考えずに聞くと、実にいいことをいっている。とても耳ざわりのいい名言だ。

 しかし、彼の立場や責任といったことを考慮に入れると、実に無責任で巧妙な言い逃れの文言であることに気づく。

 女子ソフトボールが優勝し、金メダルを取っているだけに、星野の言い訳はよけい聞き苦しい。

 「バカなことをいうんじゃないぞ、星野。強いものが勝つ――これが勝負事の鉄則じゃないか」

 「大リーガーが一人も出場していないアメリカチームに二度も負け、韓国チームにも二度負けて、何をいうか」

 と思った人は多いに違いないが、こうした巧妙な表現を用いて人を煙にまくのが「星野流の処世術」なのだ。

 星野は、こういう詭弁を弄して、政財界の「ジジ殺し」をし、女性ファンも増やしてきたのである。

 強いから勝つ。強くなったから勝った――野村が再建のお膳立てした万年最下位の阪神の監督を星野が引き継いで優勝に導いたときは、誰もがそう思ったのではなかったか。

 そして、強くした星野の監督としての手腕を皆が高く評価したのではなかったか。

 長いペナントレースでは、たとえ常勝のトップチームであっても、出れば負けの最下位チームに大敗することもあるが、その試合では最下位チームの投手力や打力・走力がトップチームに優っていたからだ。

 2008年のセリーグのペナントレースでは、阪神がぶっちぎりの強さを発揮しているが、それは「阪神が強いから」。野村―星野―岡田と監督をつないだ阪神が、打力や投手力で他チームに優っているから。

 ただそれだけの話。

 私は中日ファンなので、阪神独走は悔しくてたまらないが、その無類の強さは認める。岡田の監督としての力量も高く評価する。

 星野は、オリンピックに臨んで、日本の12球団のなかから、大リーガーになってもすぐに活躍できるような「超一流の勝てる選手」を選んだのではなかったのか?

 「強いものが勝つのではない。勝ったものが強いのだ」と、星野が選手たちにもいっていたとしたら、誰もついていかない。

 「強いものが勝つ」のは、プロ野球のペナントレースでも同じ。そんなことは誰でも知っている。

 監督・コーチに気心の知れた田淵、山本浩二らを選んだのも星野の責任。

 星野は野球ファンを初めとする多くの人々が、星野に「どういう責任のとり方をしてもらいたいと思っているか」を知れ!

 星野は、WBC(野球のワールドカップ)の監督をしてリベンジを果たしたいと思っているようだが、野球ファンはそれを許さないぞ。
 
 野球ファンの声を言葉にすると、こうなる。

 「星野仙一よ、(当分の間)球界から退け! マスコミにも顔を出すな! それが誰もが納得する星野の責任のとり方だ」 

(城島明彦)

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2008/08/23

選手のプライドと自信をなくさせた星野仙一よ、蟄居(ちっきょ)せよ

 ダルビッシュ、川上、和田、岩瀬……日本球界を代表する一線級の投手は、星野の起用ミスで、相手チームにボコボコにされ、全員が自信を喪失したに違いない。

 打者も同様だろう。

 代表選手を「日の丸」のために送り出した日本の各球団の監督の心中や推して知るべし。

 声に出して直接星野本人に文句をいうかどうかはわからないが、彼らの共通の思いは「星野、いい加減にしろ。ただじゃおかんぞ」だろう。
 
 サッカー人気に押され、年々下降傾向にあるプロ野球の人気を回復する起爆剤としての期待も裏切った。

 ホンダの創業者、本田宗一郎は、モータースポーツの最高峰F1レースで世界制覇をめざし続けたが、自身の目の前でチームのドライバーがトップを逃し、その夢を逸したとき、うなだれている総監督に「勝負は時の運」といって慰めた。

 北京五輪の野球も時の運かもしれないが、それには「選手が死に物狂いでやった」という前提が必要。

 しかし、テレビ観戦している限りでは、「死に物狂いで向かっていった」という姿勢が「星野ジャパン」からは感じられなかった。

 星野仙一よ、あんたの責任は対アメリカ戦後にテレビカメラに向かって「申し訳ない」といった程度ではすまないぞ。

 これから先の何年間は、マスコミの前から姿を消し、蟄居すべきである。

 対韓国戦で、最後の球をキャッチした韓国のライトを守っていた選手は、敵ながら胸を打った。

 胸の前で外野フライを捕球した後、うずくまり、グラウンドに突っ伏した。

 その姿は、韓国の日本に対する思いのすべてを象徴していた。

 日本の植民地だったことへの屈辱感、それを野球で晴らしたいという強い思いが韓国地チームにはあった。

 韓国人の血が流れているといわれている星野は、あの光景を何と見た。

 星野ジャパンに、あの思いに匹敵するものがあったか?

 韓国野球は日本野球から学び、「日本に追いつき、追い越せ」をスローガンにやってきた。

 そういうチームに負けてどうする。

 立場上、大差で勝って突き放し、「これからも頑張るんだよ」と告げてやるような豪快な勝ち方をすべきだった。

 それが勝負の世界というものではないのか。

 星野は、お茶の間受けする男だ。女性は「男の色気がある」といい、若いサラリーマンは「理想の上司」と彼を評価し、そういうイメージを買って保険会社はCMキャラクターに起用した。

 しかしそれは、彼の上っ面(つら)だけを見て、過大評価した結果に過ぎない。

 彼は自分を育ててスター選手にし、監督もやらせてくれた中日球団と中日ファンを裏切り、金のために阪神に魂を売った男だ。

 中日の監督を解雇されたのは、星野の金遣いをめぐって当時のオーナーが怒ったからで、普通なら、しばらく静かにしているべきところを、星野は、あろうことか、その足で同じセリーグのライバル球団阪神の監督になった。

 「自分をクビにした中日ドラゴンズに仕返ししてやる」との思いが星野を阪神監督にさせた。そう考えるのが自然。

 恩を仇で返そうとした男。それが星野仙一。私には、そう映る。

 私は子供の頃からの熱狂的な中日ドラゴンズファンだから、そういう星野は絶対に許さないし、認めない。

 これは、全中日ファンの声といってよいだろう。

 星野は、いっていることはもっともで、しかも説得力があるから、厄介である。

 テレビ解説者をしている男だから、テレビ映りは十分わかっているはず。

 それを承知で、星野は北京五輪中継の映像では、表情に生彩を欠いた。

 星野は重病をかかえての采配だったのか。もしそうであれば、監督を引き受けるべきではなかった。

 ちょうどいい機会だ。

 星野仙一よ、帰国したら、直ちに蟄居し、以後はいっさいマスコミには出るな。

 それが星野仙一という男に最も似合う「けじめのつけ方」だ。

(城島明彦)

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2008/08/22

星野仙一よ、韓国に大敗した責任を取って、球界から引退せよ

 北京五輪では、野球もソフトボールも、「悲願の金メダル」をめざした。

 ソフトのほうは悲願を達成したが、野球のほうは星野采配のミスの連続で準決勝で韓国に大敗し、「悲願の金メダル」どころか、銀メダルも取れなくなった。

 監督になるはずだった長嶋茂雄が病気で倒れ、その代役で星野仙一が監督に就任したという経緯はあるが、「星野ジャパン」という以上、星野の責任は重い。

 ぶざまな姿を世界にさらした星野は、即刻、球界から引退すべきだ。

 「監督が野球をやるのではない。選手がやるのだから、選手のために星野という冠は落としてくれ」
 といえば、「星野ジャパン」とはならなかっただろう。その点でも責任がある。

 長嶋茂雄が監督のときには「長嶋さんの喜ぶ顔を見たいから、絶対に勝つ」という声が選手の間に満ちあふれたが、「星野監督の喜ぶ顔がみたいから」云々と思った選手は、果たして何人いるのか? 一人もいないのではないか。

 星野野球の本質は、旧態依然たる「根性野球」の典型。

 星野は、アニマル浜口の「気合だ! 気合だ!」に近い体質の持ち主だが、NHKが野球解説者に起用するくらい、普段からいうことは立派で筋が通っているから、かえってタチが悪い。

 アニマル浜口は、まだ単純な分、かわいげがある。
 
 星野は〝イメージ先行の男〟。

 イメージはいいが、野球選手・監督としての実態は、二流に近い〝一流半の男〟だ。

 明治大学野球部時代、監督の島岡御大にかわいがられ、指導力・統率力を買われて主将に指名されたが、都立西高から東大文Ⅱ(経済学部)に現役合格した橘谷健(きったにけん)と二度投げ合って、二度とも負けている。

 星野は巨人に入団したかったが、巨人からはお呼びがかからず、中日に入団。以後、「打倒! 巨人」の執念を燃やし続け、巨人戦には強かった。星野の本質は、これだ。

 星野は、「怨念と根性と気迫」だけで巨人に向かっていったのだ。そういう戦い方もあるにはあるが、恐ろしい。

 星野は中日時代、「いい投手」ではあったが、記録に残る大記録を打ち立てたわけではなかった。

 中日の監督に二度なって、二度優勝してはいるが、監督期間が長かったわりには優勝回数が少ない。

 優勝回数で監督を評価すれば、落合の方が星野より力量・手腕ともにずっと上。しかも落合は、選手時代、三冠王を三度も取っている超ビッグ選手。

 しかし落合は愛想が悪く、球団泣かせだ。親会社の中日新聞社系の中日スポーツ・東京中日スポーツの記者にもリップサービスをしない。

 星野は、中日の監督を解雇された翌年、ライバル球団の阪神の監督になった。
 
 阪神は、野村監督による再建途上だったが、いかんせん、〝悪妻サッチー〟がマスコミに出まくり、ひんしゅくを買い、その責任を取る形で野村が辞めた。その後釜に星野は座ったのだった。

 辞めてすぐにライバル球団へ移籍という星野の考え方は、自分をそでにした巨人を倒すことに執念を燃やした過去の延長線上にある。

 自分の意思に反し、監督を解任した「中日への復讐・怨念」で、星野は阪神の監督を引き受け、中日の優勝を阻止し、阪神を優勝に導いた。そう映る〝怨念の男〟星野仙一。

 星野が中日に入団したときから私はずっと彼を応援してきたが、彼が中日監督を辞めて即阪神の監督になった時点で、星野が嫌いになった。やり方がえげつなさ過ぎた。

 星野は生え抜きのスター選手・監督であり、中日球団の顔という「特別の存在」だった。巨人でいれば、〝ミスター・ジャイアンツ〟長嶋茂雄的存在。ミスター・ドラゴンズが、星野だったのだ。

 そういう人間は、ライバル球団の監督を引き受けるべきではない。辞めて一年後とか二年後であれば、「彼にも生活があるからなあ」などとも考えるが、辞めたその足で阪神監督とは、「人」として許しがたい。

 長嶋茂雄が、「球界のため」などという口実で、ヤクルトや阪神の監督を引き受けるか?

 星野には「義理人情に厚い」という「イメージ」があるが、本当の姿は、そうではないことが阪神の監督を引き受けた時点で明白になった。

 星野は、「球界のため、阪神の監督を引き受けた」といった。彼をスター選手として遇し、二度も監督にした中日球団とファンの気持ちを裏切っておいて、「何をカッコつけたことをぬかすか」と思ったファンは多かった。

 真偽のほどはわからないが、当時、「星野は商売人。阪神グッズを扱う権利を星野の関係する会社がもらうということを条件に阪神監督を引き受けた」という噂が流れた。

 それが真実なら、星野は「金のために、魂を売った」ということになる。

 北京五輪で野球は最後。しかも「悲願の金メダル」という位置づけがあったのに、ぶざまな戦績をさらした。

 星野は、それまで低迷した巨人の上原を北京五輪で立ち直らせ、巨人に恩を売った。

 「球界活性化のために、次は巨人監督にでもなるか?」
 と口さがない人は皮肉る。

 最低の星野采配だったが、中日ファンのなかには、「星野は、北京五輪で岩瀬・川上つぶしをやった」と見る者もいる。
 
 いずれにしろ、星野の時代は終わった。

(城島明彦)

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野球とソフト――北京五輪の「男女差別」

 北京五輪で、野球は「星野ジャパン」と呼ぶのに、女子ソフトボールには「監督名のついたジャパン」という呼び方をしないのはなぜか!?

 これは男女差別ではないのか!

 そう思ったら、女子バレーボールには「柳本ジャパン」という呼び名がついていた。

 野球もソフトボールも団体競技。そしてどちらも、監督の指示・采配で勝敗が変わるスポーツ。

 そういう共通点があるのに、女子ソフトボールに監督の斉藤春香の名をつけて「斉藤ジャパン」と呼ばないのはなぜか。

 納得のいく説明ができる人は、果たして何人いるのだろうか。

 星野は有名人、柳本も有名人。しかし、ソフトの斉藤は知名度が低い。

 そのことと関係があるのか。 

 日本の五輪関係者およびマスコミ関係者に聞きたい。「○○ジャパン」と呼べる条件とは何か。
 
(城島明彦)

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2008/08/18

女子マラソンの指導者は責任を取れ

 北京五輪で日本期待の女子マラソンの成績は、目をおおうばかりだった。

 野口みずき、不出場。

 土佐礼子、途中棄権。

 中村友梨香13位。

 「中村は、まあ、がんばった」という評価になるかもしれないが、あとの二人は、ひどすぎた。

 日本陸連は、選(よ)りに選(よ)って、まともに走れない選手を選んで派遣したということになる。

 野口も土佐も、足を痛めてしまっての、このざま。

 監督・コーチにいわれるまま彼女らは練習したであろうから、責任はそういう練習をさせた関係者ということになる。

 野口の場合は、受験生にたとえていうと、こんな感じになるのではないか。

 「数年間、みっちり受験勉強をし、99%合格まちがいなし、と先生は太鼓判を押し、本人もそのつもりでいた。しかし、先生のアドバイスで、入学試験前夜に徹夜で猛勉強をした。夜が明けたので試験会場へ行こうとしたら、下痢になり、試験を受けられなかった」

 こういう指導をした関係者は、国民に詫びなければならない。

(城島明彦)

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2008/08/15

せこい柔道に日本は負けた

 柔道は、日本のお家芸。相撲と並んで、日本の国技だ。

 柔道には、日本人の美意識があったが、柔道着もカラフルになり、技は足取りなど、せこい技が連発されている。

 鈴木桂治など裾(すそ)をつかまれてひっくり返され、それで一本負けの一回戦で敗退。
 
 なんと、せこい技か!

 「こんなの、日本の柔道じゃない」

 と、昔の美しい柔道を知っている人は思っているはずだ。

 「一本背負い」にしても、立ち姿のまま、人間が宙を舞って畳にたたきつけられる美しさがあったが、今のj柔道で、そのようなきれいな技を見ることは、めったになくなってしまった。

 柔(やわら)ちゃんも、さかんに動き回って相手選手に向かっていっているという「パフォーマンス」を審判員に見せつけることをしなかったから、「戦意がない」とみなされ、注意されて失点し、それでまけてしまった。

 せこい判定になってしまったものだ。

 日本の伝統は、国際化(世界化)されることで、独自色を失ってしまったが、せこいやり方を認めるのがルールなら、日本人は、むしろ得意だ。

 相撲の「小股すくい」「けたぐり」「とったり」など、日本人が得意とする相手の挙を突く技はいっぱいあるし、決まり手にはならないが「猫だまし」という奇手もある。

 試合開始早々、組むと見せかけて、相手の顔前で両手をパチンとたたき、相手がびっくりした一瞬をついて技を仕掛けるのだ。何度もやるというわけにはいかないが、一度やってみる手はある。

 正々堂々、がっしり組んで戦う柔道の時代は、もう終わった。

(城島明彦)

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2008/08/14

野口みずきをつぶした超A級戦犯は、コーチ! おまえだ

 北京五輪の花、女子マラソンの優勝候補、野口みずきをレースに出られなくしたのは、彼女のコーチや監督だ。

 どれだけ多くの日本人が、彼女の走りに期待したことか。

 野口の不出場は、その夢を破ってしまった。

 野口に一位になってほしいと誰もが願っていたが、二位でもよかったし、入賞圏外に終わってもよかったのだ。

 出場さえしてくれたら、それで日本国民は満足だったはず。

 野口の走る姿を見たかっただけだ。

 それを不可能にしてしまった罪は重い。

 多くのテレビ局が、北京五輪が開催される前の野口の練習風景の映像を流した。

 それを見て私は思ったものだった。

 (こんなにも過酷な練習に耐えられる野口は、鉄人なのか)

 しかし、彼女も普通の肉体を持った人間だった。

 野口に無茶な練習を強いたコーチや監督、そしてそれを黙認した陸連幹部。

 こいつらが彼女をつぶしたことは間違いない。

 どういう責任のとり方をするのか、見ものだ。

(城島明彦) 

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2008/07/30

少年時代の魚釣り

 どういう経緯でそうしたかということまでは覚えていませんが、普段は付き合いのない中学生にくっついて魚取りにいったことがありました。

 中学生は、手づくりの「箱メガネ」(底にガラスをはめた木箱)に顔をくっつけて水中を覗きながら、これも手づくりのヤス(銛)で次々と魚を仕留めていました。

 私もやりたいと思いましたが、手先が器用ではなく、そういう道具を作れませんでした。

 その中学生はかなりのワルでした。

 別の日には、バッテリーを肩から下げ、長靴を履いて、火箸のようなものを二本、幅の狭い川に入れて電流を流しました。

 しばらくすると、大きなフナやうなぎがプカプカと何匹も水面に浮かんできました。

 それをタモですくって腰につけたビクに入れたのです。かなり後になって、そういうやり方は禁止されていることを知りました。

 私はといえば、竹藪で見つけてきた篠竹の竿に駅前のよろず屋で買ってきた糸とウキと針をつけて、川に垂らしていました。

 エサはミミズかクモ。クモは、細い葉っぱを三角状に織り込んだ巣のなかにひそんでいるのを使いました。

 しかし、そう簡単には釣れませんでした。

 近所の同級生は二人しかおらず、いつも一人で釣っていたので腕が上達しません。

 フナより動きの俊敏なハヤを狙っていました。

 繁殖期になり、横腹のストライプが色濃くなった大きなハヤを見ると、胸が騒ぎました。

 泳いでいる姿は見えていているのに、いっこうにかからず、イモリがかかってきて、針をはずすときは気持ち悪い思いを幾度もしました。

 そのくせ、橋の上でヘビと遭遇したときなど、尻尾をつかんで頭上でぐるぐると何度もぶん回し、地面に叩きつけて殺すという、もっと不気味なことをしたこともありました。

 一度だけ、沼の主のような大きな鯉を釣り落としたことがあります。

 沼といっても、畳の材料として使われるイグサが生えている小っぽけな池のような沼でしたが、そこで釣り糸を垂れていたら、ぐいぐいと引くので竿を上げたら大きな緋鯉がぶら下がっていました。

 「おっ、やった」と胸が躍った次の瞬間には、早々と逃げられていました。

 逃した魚のショックは大きく、長い間心臓がドキドキしていました。

(城島明彦)

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2008/07/19

深キョンのキリンのCMに一言「口の奥や裏まで見せていいの?」

 「口のなかを人に見られるのは、恥ずかしい」というのが「普通人の常識的感覚」。

 ましてや妙齢の女性ともなれば、見知らぬ他人の前では、決して大口を開けて笑ってはいけないし、笑うときには口元を手で覆うのが行儀作法。

 ところが、キリンのチューハイ「氷結」のテレビCMは、とんでもないことをやらかしている。

 タレントの深田恭子が、ビールのジョッキ片手に、松田聖子のヒット曲「青い珊瑚礁」を歌い踊るカットで、カメラは、彼女の歌っている顔の大写しからズームバックして全景を映し出すという演出手法をとっているが、最初の大写しのところで彼女の口の裏側まで丸見えになっている。

 太陽光線が強く、頬の肉が透けて見えるのも尋常ではないが、大口を開けた口のなかの様子があからさまになっていては、彼女がかわいそう。
 
 彼女の上側の歯並びはきれいで、その周辺の肉や粘膜も美しいが、普通、そこまで見せるか!?
 
 CMディレクターやキリンの宣伝マンは、何を考えているのか。

(城島明彦)

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2008/07/10

KDDIは、言葉に関わる商品を売っているという自覚がない

  KDDIの「ら抜きCM」は、ひどすぎる。 
 
 携帯電話(AU)のCMで使っている「つながれる」という奇妙な言い方は、日本語にはない。

 「言葉に関わる商品を売っている会社」であるという自覚がない。

 家族みんなと「つながれる」とか、「もっとつながれる」などとCMではいっている。

 間違った日本語を使うCMを、平気で垂れ流させているKDDIの社長や宣伝担当役員の知的センスを疑う。

 「少しは、ソフトバンクの『しゃべる犬CM』の正しい日本語を見習え!」といいたい。

 「つながれる」を「つなぐことができる」という「可能形」として使っているらしきことはわかるが、完全な誤用。聞く者を不快にさせる。

 不快なCMは、企業イメージを下げこそすれ、上げることはない。
 
 「電話と電話がつながる」という表現はあるが、「電話と電話がつながれる」という表現は日本語にはない。

 KDDIのCMは、「つなぐ」という言葉と「つながる」という言葉を混同し、しかも間違った言い回しにして使っている二重の点で救いがたい。「

 「つながる」は、「一つになる」または「拘束される」といった意味であり、「つながれる」は、「(人が)獄につながれる」とか「(家畜が)縄につながれる」といった使い方をする。

 つながれるは、「自由を奪う」意味であり、プラスイメージの言葉ではない。そういう認識がKDDIにはないのだろうか。

 正しくない日本語を、影響力の大きいテレビで、しかも頻繁に流すのが問題。

 間違いを承知で、話題性を狙って意図的にやっているとしたら、つまり「確信犯」なら、あまりにもお粗末。KDDIは三流以下の会社というべきだろう。

 「家族みんなとつながれる」という日本語も、細かいことをいうと、ニュアンスはわかるが、使い方としては微妙。

 別の家の家族みんなとつながるという意味なら、これでよいが、自分の家の家族みんなとつながるというのはおかしい。電話をかけている本人を除いたほかの家族のメンバー全員とつながるのである。

 問題は、こういうことを理解した上でCMを作ったかどうかだ。

 「かたいことをいうな、たかがCMじゃないか」

 という人もいるだろうが、CMだから、かたいことをいわなければならないのだ。

 「食べれる」という「ら抜き言葉」もテレビのCMで一挙に広まった。

 テレビCMは、小さい子供がまねをする。CMは金さえ出せば、いくらでも放送できる。誤記・誤用のたぐいであっても、極論すれば、金の力で日本語を変えてしまうこともできる。

 そういう自覚がKDDIにあるのかどうか。

 日本語を乱している最大の元凶は民放。特にCMとバラエティ番組。

 「何気に」というわけのわからない言葉も、いつのまにか広まったが、これもテレビに出てくるお笑い芸人たちが広げた。NHKの若い女性アナウンサーが使っているのを聞いたときには、さすがに驚いた。

 注意して使わせないようにすべきプロデューサーやディレクター自身が、おかしな日本語を使っているのだから、テレビの日本語が乱れるわけだ。

 「おいしい」というべきところを「うまい」という若い女性タレントが多くいる一方で、両親にでも注意されたのか、きちんと「おいしい」というタレントも増えてきた。

 「おいしゅうございます」といえ、とまではいわないが、せめて女性は「うまい」といわず、「おいしい」といってもらいたいものだ。

 テレビ番組に関わっている人は、人々に与える影響が大きいということをもっと自覚してほしい。

 「日本語は時代とともに変わるもの」

 と言語学者はわかったようなことをいうが、たとえ話でいうと、

 「インフルエンザが自然な状態で流行するのと、誰かが病原菌をまき散らした結果、流行するのとは違う」

 ということを、彼らは認識していない。

 (PR) 正しい日本語で書いた本 城島明彦著『怪奇がたり』(扶桑社文庫)、新発売!

(城島明彦)

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2008/07/07

名前が「太蔵」だけに、「たいそう」な鼻息だったが……

 杉村太蔵議員が衆議院の北海道一区の公認候補から正式にはずされた。
 
 この男、自分が間違って当選したという認識がない。
 
 いつのまにか、自分が偉くなったように錯覚してしまった。

 親代わりだった武部勤(元幹事長)に、「馬鹿は死ななきゃ治らない」とまでこきおろされても、気づかなかったパープリン。

 「馬鹿につける薬はない」より、もっと馬鹿のお墨付きを頂戴したおめでたい男、太蔵。

 「地位が人をつくる」というが、太蔵の場合、分不相応に妙に自信を持ちすぎてしまい、それが「おごり」につながった。

 〝議員〟太蔵が何をやったのか、まったく伝わってこない。そういう議員は、要らない。

 しかし、なかには、また面白がって彼に投票する馬鹿も出てくるはず。

 そういう無責任な輩が日本をダメにしてきたのだよ。

(城島明彦)

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2008/07/04

「落書き」したけりゃ、京都へ行け

 「観光記念の署名落書き」だが、今回問題になっている海外の世界文化遺産のような場合は、「ちょっとした出来心」「旅の恥は掻き捨て」ではすまない。

  日本人の恥であり、日本という国や日本民族に対する国際的な信用・評価を落とすことに直接つながる。
 
 テレビ報道では、落書きした者の名前をモザイクで隠したが、なぜそのようなことをする必要があるのか。

 一罰百戒の意味もこめて、きちんと名前を映すべきである。

 そうすれば抑止力が働き、誰もやらなくなる。

 森本右近太夫という男、江戸時代初期の宝永年間にカンボジアに渡航し、アンコールワットの壁に「両親の菩提を弔うために渡航した」といった内容のことを「署名入り」で落書きした。

 この男、アンコールワットを『平家物語』に出てくる祇園精舎と勘違いしての海外渡航で、知識のなさを後世まで伝えることになった。

 新幹線の車体への落書きといい、先だっての北京五輪の聖火騒動の際の長野善光寺での落書きといい、日本国内には「汚らしいスプレー落書き」が満ちあふれている。

 そういうことをするのは日本に限ったことではないが、落書きは、書いた本人だけが満足するだけ。それ以外の人は不快感を覚え、町の景観をそこねる。そういう点は、世界共通。

 スプレーによる落書きは、イラストと文字の二種類に大別されるが、これまで、立ち止まって鑑賞したいと思うほどの芸術作品にお目にかかったことはない。

 イラストや絵では、横浜のJR桜木町駅駅近くの道路わきの壁面には、絵を描くことを認められた場所があるが、そこにもこれといったものはなかった。

 どうせ描くなら、スペインの「アルタミラの壁画」のような、後世の歴史の教科書に載るような落書きをしろ、といいたい。

 文字も同様。南北朝時代の「二条河原の落首」ような世相を風刺するようなクオリティの高い文章を書け。

 商店街のシャッターや道路わきの壁などにスプレーで落書きされた文字の形が、見た目に「美しい書体」なら、感心もし、見惚れもしようが、それらは、まるで示し合わせたように、同じ「丸っこい書体」で書かれている。

 個性がない。文字を書きたいなら、『落書日本史』(紀田順一郎著・三一書房)でも読んで、もっと風刺精神に富んだ気のきいた「文章」を書け。

 どうしても落書きしたけりゃ、京都へ行け。八幡市にある〝落書き寺〟こと単伝寺(たんでんじ)へ行け。

 そこの大黒堂の白壁は落書き、し放題。といっても、スプレーはNG。壁は大晦日に塗り替えられるから、書きたかったら、また行けばよい。 

 (PR) 城島明彦著『怪奇がたり』(扶桑社文庫)、近日発売

(城島明彦)

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2008/06/30

日本映画史上で最初に全裸になった女優(2) 前田通子と石原慎太郎

 前田通子は日本橋三越に勤めていてスカウトされ、新東宝の女優になります。

 当時は女子社員をOLとはいわず、BGといっていました。

 ところが、「ビジネスガール」は「商売女=娼婦」を意味するということになり、「オフィスレディ」に呼称が変わったのです。

 彼女は、「海女の戦慄」などを監督した志村敏夫と愛人関係に陥ります。

 そして彼女は、弁士(べんし)上がりのワンマン社長大蔵貢(おおくらみつぐ)と衝突し、映画界から締め出されるのです。

 この大蔵貢という男、高倉みゆきという看板女優(「明治天皇と日露戦争」などで、皇后に扮した品のある女優)を愛人にしていましたが、そのことが露見すると「女優を愛人にしたのなら問題だが、愛人を女優にして何が悪い」と迷言を吐いて開き直ったことで有名です。

 「もはや戦後ではない」
 と「経済白書」が記したのは、前田通子が全裸で主演した「女真珠王の復讐」が公開された一九五六年(昭和三十一)のことであり、石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞、彼の弟の石原裕次郎が映画デビューを果たした記念すべき年でした。

 『太陽の季節』は、屹立(きつりつ)した男根で障子紙を突き破るという場面が話題をさらい、二十六万部を売ってベストセラー第一位となりました。「慎太郎刈り」にアロハシャツ、サングラスという「太陽族」のスタイルが若者たちの間に流行しました。

 その同じ年に日本映画初のオールヌードがスクリーンに登場したというのは、単なる偶然ではないように思います。

 「海女の戦慄」や「女真珠王の復讐」がDVDになっていることを知って、買ってどんな映画なのか確かめてみたいという好奇心と、見てがっかりしたくないという思いが、今、著者のなかで格闘しています。

 (PR)城島明彦著『怪奇がたり』(扶桑社文庫)、近日発売

(城島明彦)

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日本映画史上で最初に全裸になったグラマー女優(1)

 父に連れられて映画館へ行ったのは、二度しかありません。

 二回目が片岡千恵蔵主演の東映の「大菩薩峠」で、見た座席の位置まで覚えていますが、最初に見た映画の方は、タイトルすら覚えていません。

 けれど、予告編が〝あらかん〟こと嵐寛寿郎(あらしかんじゅろう)演じる大塩平八郎の映画「風雲天満動乱(ふううんてんまどうらん)」だったことは覚えています。

 田舎から四日市という地方都市に出てきて三年目の、一九五七年(昭和三十二)夏の出来事でした。

 入場時に手渡されたパンフレット(A4の半分サイズの大きさで、それが二つ折りにされていました)には、近日上映作品の刺激的な写真も印刷されていました。

 長い髪のグラマー女優が大きな水玉模様のパンティー一枚を身につけただけの格好で岩場に座って、豊かな胸をクロスさせた両手で隠しているだけの大胆なカットでした。

 乳房を両腕でかかえ込むようにして〝寄せて上げて〟隠しているので、豊満さがよけい強調されており、当時、子供ながらも妙に興奮したことを覚えています。

 このとき、著者は小学五年生。風呂屋へ行っても、もう女風呂へは入浴できない年令になっていました。

 映画のタイトルは「海女の戦慄(せんりつ)」で、彼女の名は前田通子(みちこ)。

 前田通子は、ある意味で「日本映画史上に残る女優」なのですが、そのことを知っている人はほとんどいないでしょう。

 もし知っている人がいたとしても、DVDが発売されて以降の近年のことでしょう。前田通子という女優は、知る人ぞ知る存在だったのです。

 実は彼女、日本映画で初めてオールヌードを披露した女優なのです。

 一糸まとわぬ全裸で岩場にすっくと立った姿は、うしろ向きではありましたが、尻の割れ目まで露出していました。

 「海女の戦慄(せんりつ)」の前年に封切られた「女真珠王の復讐」という映画のなかでの出来事です。

 今回、「海女の戦慄」の映画ポスターを調べてみたら、「肉体派№1 前田通子主演」「炎の肉体! 焼けた砂の上の欲情! 悶える乳房に秘めた海底の宝石!」というコピーが書かれていました。

  ――以上は、今、執筆中の原稿より抜粋。

(城島明彦)

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2008/06/29

「CMソングの神様」がいた

 今の若い人は三木鶏郎(みき とりろう)という人のことを知らないでしょうが、彼は「CMソングの神様」でした。

 団塊世代は、少年時代や青年時代に一人の例外もなく、彼の作ったCMソングの洗礼を受けています。

 彼が生涯に作ったCMソングは、数千曲はあると思われます。

 次のCMソングは、全部、三木鶏郎が作ったものです。団塊世代の読者は、そのほとんどを知っているのではないでしょうか。

 「ワ、ワ、ワ、ワが三つ。ミツワ石鹸」

 「明るいナショナル、明るいナショナル、ラジオ、テレビ、なんでもナショナル」
 
 「ジンジン仁丹、ジンタカタッタッター」
 
 「くしゃみ三回、ルル三錠」

 「カーン、カーン、カネボウ」

 「丸金自転車、ホイのホイのホイ」
 
 「グリコ、グリコ、グリコアーモンドチョコレート」
 
 昨今のCMは、有名俳優やタレントを使ったり、映像的に凝ったものが多く、CMソングも売れている歌手の曲を用いる傾向が強くなっています。

 それはそれなりに視聴者を楽しませますが、CMはがんがん流されても、どこの企業のCMであったのか、印象に残らないものが増えています。作り手が、「CM本来の役割を忘れている」から、そうなるのです。

 三木鶏郎のつくるCMソングは、そうしたCMとは対極にありました。

 彼のつくるCMは、企業名や商品名最重視で、詞がきわめてシンプルかつムダがなく、曲はとても明るくて温かみがあり、子供、大人を問わず、誰にも親しみやすく明るいメロディーでした。しかも、どの曲もしゃれていました。

 CMソングに対する彼の考え方が一番よく現れた最高傑作は、「キリンレモン」のCMソングです。

 歌詞は「キリン」「キリンレモン」という言葉だけのくりかえしで、最後に「うちじゅうでみんなキリンレモン」で締めくくっています。

 日本の三大CMクリエイター(作詞作曲家)をあげるなら、ダントツの一位が三木鶏郎で、二位が浜口庫之助、三位が小林亜星ということになるのではないでしょうか。
 
 三木鶏郎は、〝やめ検〟(元検事)の弁護士を父に持つ裕福な家庭で育ち、東大法学部を卒業した秀才でした。

 彼は音大にこそ行っていませんが、子供の頃から音楽に関心を持ち、個人的に先生について学んでいます。
 
 戦後、ジャズの楽団を組んで、自らも演奏していたことから、彼は好んでスィングジャズを取り入れました。

 歌謡曲も作りました。団塊世代が子供の頃、聞いたことがある宮城マリ子の「毒消しゃいらんかね」や中村メイコの「田舎のバス」(田舎のバスは おんぼろ車 ガタゴト道を ガタゴト走る……という歌詞)がそうでした。
 
 彼は、「冗談音楽」を日本で手がけたにとどまらず、テレビアニメの主題歌も作っています。

  ビルの街に ガォー
  夜のハイウェイに ガォー
  タタタタタンと 弾(たま)が来る
  パパパパパンと 破裂する
  ヒューンと飛んでく 鉄人28号

 「鉄人28号」の主題歌ほかにも、「遊星王子」「ジャングル大帝の歌」も三木鶏郎が作ったのです。

(城島明彦)

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2008/06/20

朝日は偉い「鳩山は死神」だと

 朝日新聞のコラム「素粒子」は、次々と死刑を行わせた鳩山邦夫法相を「死神」と書いた。

 やりすぎというより、良識を問われるレベルの低いギャグとしかいえない。

 「素粒子」は、複数の編集委員が匿名で書いている。
 
 匿名だからといって、いいたい放題、書きたい放題、悪ふざけが許されるというものではない。

 権力者をいたぶって、「庶民の味方でございます」というポーズなのか?

 鳩山が目に涙を浮かべて抗議したので、朝日は「こりゃ、まずい」と思ったのか、苦しい弁明のコメントを発表したが、「そんなことをするくらいなら最初から書くな」といいたい。

 誰だって、死刑執行の書類に判を押したくはないさ。

 だから、歴代の法相がなるべく判を押さないようにしてきたのだ。

 鳩山は、多発化する凶悪犯罪の抑止力になることを期待して、死刑を行う指示を出したのだ。

 国を憂える気持ちが彼の根底にある。


 抑止力に関しては、死刑反対派の国会議員亀井静香(元警察官僚)は、

 「抑止力などない。死刑をどんどんやっても、凶悪犯罪は減っていないじゃないか」

 といっているが、私はそうは思わない。

 何の罪もない人を勝手な理由で何人も惨殺しておいて、刑務所にぶち込まれても、反省の色すら見せない〝冷血な人でなし〟もいる。

 そういう人間までも「死刑にしないで生かし続ける」理由は何なのか。理解に苦しむ。

 死刑に値する人間とそうでない人間がいるわけで、それを一緒くたにして「死刑賛成」「死刑賛成」というつもりはない。

 文豪菊池寛は、『恩讐の彼方に』という名作を残している。

 私は、小学校時代に国語の教科書で、読んだ。小学生向けに「青の洞門」という題名になっていた。

 親を殺されて、その仇を討とうと探していて、ついに犯人を発見するが、そのとき犯人は、悔い改め、僧となって交通の難所となっていた場所にトンネルを掘っていた。

 自分を仇と狙う相手に「殺してくれ」というが、犯人の姿に打たれた相手は、首を振り、一緒になって洞窟を掘り続け、トンネルを開通させるのである。

 殺した人間と、殺された遺族との間に、こういう美しい結末がなくはないが、そういう心境(相手を許すという気持ち)に達するすることができる人間は、例外中の例外といってよい。

 秋葉原で殺された遺族の声が、テレビニュースを通じて流されているが、彼らの心情に共通しているのは、

 「犯人を許せない」

 の一言である。

 先に死刑の判決が出た「光市母子殺人事件」の遺族(夫)は、終始一貫して、「犯人は死刑になるべきだ」とエキセントリックなまでに叫び続けてきた。

 だが、先日の判決が近づいたあたりから、妙にトーンダウンし、「迷っている」といったニュアンスのことを口にし始めた。

 なぜそうなったのか。いろいろ推理できるが、ここではあえて書かない。

 
 抑止力ということについていえば、秋葉原の通り魔事件のあと、ケータイサイトに犯人を模倣した「殺人予告」の書き込みをする「愉快犯」が続出している。

 警察は、悪質な連中を逮捕する挙に出たが、これは明らかに抑止力として働くだろう。

 ケータイサイトに「匿名」で書いても、正確なアドレスやそれを誰が書いたのかということが特定されてしまうとわかれば、「軽い気持ちのおふざけ」や「世のなかを驚かしてやれ」的な愉快犯は激減するはずである。

 しかも逮捕されるとなれば、効果は抑止効果は目に見えて大きくなるだろう。

 明治以前、処刑現場を公開したのは、抑止力を期待してのことだった。

 「絶対に、誰にもばれない。警察にも捕まらない」

 と思うからこそ、凶悪犯罪が起きる。
 
 「簡単に捕まる」

 と思ったら、犯罪に走ったりはしない。

 「もし捕まっても、死刑になることは絶対ない。刑に服し、模範囚でいたら、恩赦でシャバに出られるかもしれない」

 ということになれば、凶悪犯罪に走ることを躊躇しなくなる。

 「世田谷の一家殺人事件」のように、いっぱい証拠があるのに、犯人が逮捕されないという、日本の警察の捜査力の低下が、凶悪犯罪を増加させているのだ。

 そこのところをきちんとすることを、まずやるべき、というのが私の主張である。

 端的にいえば、警察官の大量増員であり、イギリスのように監視カメラをあちこちに取りつけるということ、警察官の給料をあげて、優秀な人材を確保するようにするといったことなどだ。

 「振り込め詐欺」にしても、銀行の監視カメラで撮影した映像の解像度がひどすぎる。

 もっといいカメラを取り付けろ、といいたい。

 どこで誰が引きだしたかが映像ではっきりわかるようなシステムにしてあれば、犯人は簡単に逮捕できる。

 しかし、銀行は、そういうところには金をかけない。そこにも問題がある。

(城島明彦)

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ゲンコツ条例だって!? 愛のムチ条例だって!?

 〝そのまんま東〟(東国原英夫宮崎県知事)は、話題づくりがうまいね。

 ある県議会議員の発言を受けて、子供への体罰問題に、また一石を投じようとしている。

 「ゲンコツ条例」とか「愛のムチ条例」を作って、悪さをした子供たちに学校の先生が拳固(げんこ)の一つもくれてやることを認めようというアイデアだ。

 その県議会議員は、秋葉原で起きた「ナイフによる無差別連続殺傷事件」を念頭において、

 「自分らが子供の頃は、筆箱にナイフが入っていた。しかし、誰もそれを凶器としては使わなかった」

 といった。

 私も、ナイフを使った殺傷事件が起きるたびに、そう思ってきた。

 「自転車のチェーンもって、しばきにいった」

 なんていうことは、「不良」と呼ばれていた連中のなかでも、番長クラスのやつらがやった程度。

 彼らにしても、ナイフを使って、相手をどうこうしたということはまずなかった。

 「愛のムチ」「愛のゲンコツ」(教師による体罰)について、教育評論家は賛否両論のようだが、少々の体罰は必要だ。

 昔、教師にひっぱたかれたり、バケツを持たされて長時間廊下に立たされたりした経験のあるおじさんたちは、

 「『そうされても仕方がない』と子供自身が思うレベルの体罰は必要」

 と思っているのではないか。

 「体罰を行う教師に愛情がこもっているかどうか」

 などと、もっともらしい理屈をこねる評論家にろくな奴はいない。

 愛情があるかないかを、どこで判断できるのか。

 愛情の程度を、誰がどう判定するのか。

 「こんなガキ、どうでもいい」

 と思ったら、人は無視するはず。

 「そういうことをすると、ほかの子供たちが迷惑する」

 「そういう行為はやってはならない」

 ということが頭でわからないガキなら、「軽い体罰」で教えるしかないではないか。

 尊敬に値する教師かどうかなどという議論をしたら、「そんな教師はいない」という話になって、その時点で「ジ・エンド」になってしまう。

 今の教師のレベルが下がっているわけではない。昔の教師にも、ひどい奴はいっぱいいた。

 むしろ、昔のほうがいい加減な教師が多かったかもしれない。エロ教師も、飲んだくれ教師もいっぱいいた。

 教師に対する世間の見方が、昔はなまぬるかったというだけの話。

 その根底には、教師を「(ある程度の)聖職者」と見る考え方があった。

 だからこそ、「わが師の恩」などという歌詞の歌を卒業式で歌っても、違和感をあまり感じなかったのだ。

(城島明彦)

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苗字はおもしろい(木偏)

 日本語は楽しい。苗字はおもしろい。

 「春木」は、「椿」(つばき)を分解した苗字。椿は春を告げる木だ。

 「夏木」は、「榎」(えのき)を分解した苗字。

 「秋木」は、「楸」(ひさぎ)を分解した字だが、こういう苗字はない。

 「冬木」は、「柊木」(ヒイラギ)を分解した苗字。

 
 「南木」(なぎ)という苗字がある。組み合わせると、「楠」(くすのき)になる。楠木正成の系統かもしれない。

 「真木」を組み合わせると 、「槙」(まき)という木の名前になる。

 
 柿→「市木」、柏→「白木」、椙(すぎ)→「昌木」(まさき)、槐(えんじゅ)→鬼木、榊(さかき)→「神木」(かみき)、柘(つげ)→石木……。

(城島明彦)

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2008/06/18

世直しに効く、電車の中吊り広告・駅貼りポスター

 タイトルは「世直し」となっているが、「マナーの徹底」というべきかもしれない。

 最近、電車のなかでケータイ電話をかける人は、めったに見かけなくなった。

 かける人は、他の乗客の冷やかな視線にさらされ、居心地が悪くなるようになった。

 車内での電話に抑止力を発揮したのが、車内放送であり、駅構内や地下通路などに貼られた「注意書き」。

 人は弱い生き物。繰り返し繰り返し、注意されると、やめてしまう。やめざるを得なくなる。

 ケータイの次は、「車内での化粧」というわけで、東京メトロ文化財団は、

 「家でやろう」
 
 というキャッチコピーの高校を駅構内などに貼った。

 それでもまだ、車内で化粧しているトシマOLやガキンチョ娘が結構いる。

 彼女らは、

 「なぜ車内で化粧してはいけないのか」

 「車内での化粧は、なぜ他人を不快にするのか」

 ということがわかっていない、おバカさん。
 
 ケータイも、最初はそうだった。

 繰り返し、繰り返し、放送されているうちに、次第にやめるようになった。

 そこで、

 「車内で化粧するのは控えましょう」

 というアナウンスを流したらどうか、といいたい。百里の道も一歩から。

 「車内が込んでいるときは、足を伸ばしたり、足を組んだりするのはやめましょう」

 というアナウンスは、あちこちの電車ですでに流れているが、このようなことはいわれなくてもするのが常識。

 しかし、そういう常識をわきまえない人間が激増した昨今は、車内アナウンスなどで注意し続けるのが効果大。

 足の間にスポーツバッグや荷物を挟み込んで、足を広げて二人分の席を独占する奴など、まだまだ注意すべきことはいっぱいある。

 というわけで、私は横浜市交通局のモニターに応募した。

(城島明彦) 

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2008/06/17

苗字はおもしろい(天・空・神・仏編)

 人は、神仏をあがめる。

 そして人は天空を仰ぎ見る。天空には、太陽(日)がある。月や星が輝く。

 日本の天皇は、天から降りてきた(天孫降臨)という伝説がある。仰ぎ見る対象ということだ。

 雨・風・嵐・雪も、人の力の及ばない天空から降ってくる。

 それらは人の畏敬の対象となる。
 
 そういうものも苗字になっている。

 神は、「かみ」「がみ」「かん」「しん」「じん」「こう」「ごう」と多様な読みかたがある。

 「神」という苗字のつく人の祖先は、自らを「神」と称jしたのではなく、神に使える仕事をしていたと考えるのが妥当。

 ●神……「神」(かみ)、「神戸」(かんべ、しんと、ごうど、こうべ、かみど、しんと)、「神山」(こうやま、かみやま、じんやま)、「山神」(やまがみ)、「神野」(じんの)、「神永」(かみなが)、「神長」、「上神」(うえがみ)、「中神」(なかがみ)、「下神」(しもかみ)、「神川」(かみかわ)、「神河」、「神村」、「神森」、「神守」(かみもり)、「川神」(かわかみ)……
  
 「天」という字のつく苗字の人の祖先は、天に近いところ(高いところ)に住んでいた。つまり、山に住んでいたか、神に仕える仕事をしていたか、天体観測に関わる仕事(呪術師、占い師など)をしていたか、渡来人ではないか。
 
 「天」は、「「てん」「あま」「あめ」と読む。

 ●天……「天堂」(てんどう)、「天童」、「天道」、「天池」(あまち)、「天知」(あまち)、「天宮」(あめみや)、「天川」(てんかわ)、「天田」(あまだ)、「天野」(あまの)、「天満」(てんま)、「天間」、「天馬」……。

 「仏」という字がつく人は、お寺関係の仕事をしていた人。仏師、仏壇職人も含む。
 
 ●仏……「大仏」(おさらぎ)、「小仏」(こぼとけ)、「木仏」(きぶつ)、「仏師」(ぶっし)……。

 ●空……「空」(そら、くう)を苗字にした苗字は、ありそうで、ない。「大空」「青空」は芸名に見られる程度。「朝空」、「夕空」もない。苗字に使われないのは、「からっぽ」「何もない」という意味が嫌がられたからか?

 苗字は、奥が深い!

(城島明彦)

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2008/06/15

民間宇宙旅行者の日本人第一号とギョーザを食べた

 民間の宇宙旅行の日本人第一号(予定)は、このあいだまでライブドアの社長をしていた〝ひらまっちゃん〝こと平松庚三さんだ。

 去年の『ボクがライブドアの社長になった理由(わけ)』に続いて、ひらまっちゃん本の第2弾をつくる手伝いをすることになり、その打ち合わせを終えた後、彼に餃子の美味しい店へ案内してもらった。

 ひらまっちゃんは、ホリエモンの後を継いで、一躍「時の人」となったが、それから二年かけてライブドアを整理・再建したので、社長を退き、今は自身が出資したネット企業「小僧com」の代表取締役会長をしている。

〝再建請負人〟として外資系企業など数社を渡り歩いてきたひらまっちゃんだが、雇われ助っ人は卒業して、やっと念願の自前の会社の経営者におさまり、満足そうだった。

 ひらまっちゃんが連れて行ってくれたのは、「小僧com」のある飯田橋西口近くにある「おけ以(い)」という店。

 中高年サラリーマンや年かさのいったOLでいっぱいだったが、うまい具合に、カウンターに二人分だけ空席があった。

 「餃子の店」というだけあって、焼き加減も味も文句なし。とてもおいしかった。

 餃子をパクつき、ビールを飲みながら、ひらまっちゃんがいった。

 「くたばるときに、(それまでのことを振り返って)『まっ、いっか』と呟いて死ねたら最高」(「いいか」ではなく、「いっか」)

 私は、うん、うんと何度もうなずいた。

 なんだか、小学生の夏休みの絵日記のような文章になってしまった……が、「まっ、いっか」。

 (城島明彦) 

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