2017/08/17

ほらぁ! (続)ほんとうにあった納涼ホラーだよ!

夏になると思い出す不思議体験だっちゅうの!

 オイラは霊感が強い少年だったから、いま考えると、霊異としか思えないような体験をいくつも経験している。
 前回は4つの話をしたが、今日はさらに2つだ。


第5話 カブト虫採集

 中1の夏休み。里山がどこにもまだあった頃の話だ。
 カブト虫をいっぱい取りたくて、それまで行ったことのない山奥まで足を伸ばした。
 林の真ん中にスイカ畑が広がっていて、その端の方に井戸があった。
 
 むしろとよしずで上を覆ってあった。
 それをのけて中を覗き込むと、かなり深いところに水面が見えた。
 石を投げると、ぽちゃん、ぽちゃんと音が返ってきた。
 それがおもしろくて、石をいっぱい拾い集めて次々と投げていると、背後から
 「坊主、そんなことしちゃダメだ」
 という声がした。
 
 麦わら帽をかぶったおじいさんが、険しい表情をして立っていた。
 「そんなことをしたら、井戸が埋まってしまうじゃないか」
 厳しい声だったので、
 「もうしません」
 と謝るしかなかった。
 「悪いと気づいたのなら、もういっぺんだけ、やらせてあげよう」
 そういわれても、やりづらいが、いわれるままに、大きな石を拾って井戸に投げ落とした。
 ぽちゃん、ぽちゃんと前より大きい音が返ってきた。
 「聞いたか、今の音を」
 「はい」
 「1個の石を投げたのに、2度、音がしなかったかい」
 「しました」
 「おかしいと思わなかったか」
 そういわれて、初めて何か変だと思った。
 石は1つなのに、水面に当たる音は2つだったのだ。

 「ここで、何日か前にカブト虫を取りに来た子どもが1人、この井戸にはまって死んだ。そのときは、ドボンという大きな音が1回しただけだった」
 おじいさんのいう意味がわからないかったから黙っていると、
 「もう1人、はまって死ぬという意味なんだよ。わかるかな」
 そういって、ニヤッと笑ったので、ぼくは怖くなって、そのおじいさんを突き飛ばして、そこから逃げた。

 ――夏休みが終わって、学校で友だち何人かにその話をしたが、誰も信じてくれなかった。それから何日かたって、その井戸から子どもと思われる死体が2体、引き上げられたというニュースがテレビで流れた。
 1体は白骨化していたが、もう1体は死後数日たっており、家族から捜査願いが出ていたことから発見されたというような内容だった、

 オイラは、この奇妙な話を成人してから何度も話したが、誰も信じてはくれなかった。


第6話 家族旅行で行った旅館

 中2の夏休みに家族で温泉旅行したときの話だ。
 家族は、両親とオイラと3つ下の妹の4人。
 旅館に着いて小休止後、夕食前にみんなで名所までドライブすることになっていた。
 ところが、出発時刻が近づいたとき、急に腹が痛くなり、ぼくだけ留守番することになった。

 浴衣に着替え、窓際に布団を敷いて横になっていると、いつの間にか眠ってしまった。
 足を引っ張られる夢を見て、目を覚ますと、家族が戻っていた。

 「おにいちゃん、その足、どうしたの」
 と妹がいうので、見ると、両足のくるぶしの少し上のところに、手でつかんだような跡がついていた。

 その晩、オイラはまた夢を見た。
 今度は首を絞められる夢だった。
 「どうしたの」
 という母の声で目を覚ますと、体中にびっしり寝汗をかいていた。

 話し声で目を覚ました妹が、驚いたような顔をして、
 「おにいちゃん、その首、どうしたの」
 といったので、鏡を見ると、首に手の跡がついていた。

 そのとき、はっと気づいた。
 オイラは、眠っている間に体を回転させ、壁の方に頭を向けて眠っていたのだ。
 そう話すと、母が恐怖でひきつったような顔をしてフロントに電話をし、部屋を替えてもらうことになった。

 もう一泊する予定だったが、翌朝、別の旅館に移った。
 そこでは何も起こらなかった。

(城島明彦)

2017/08/14

ほらあっ、納涼ホラーだよ!


ほんとうにあった4話だっちゅうの!

 オイラは、子どもの頃から「霊感が強い」といわれてきた。
 そういうオイラが体験した、ほんとうにあった怖~い話を、今宵はおとどけして残暑お見舞いとするざんしょ。

第1話 他人の空似か!?
 
 最近の話である。
 深夜の公園でのこと。
 その女とすれ違った後、「もしや」と思って振り返ったのは、オイラだけじゃなかった。
 すぐ後ろを歩いていた若いカップルの男の方が、
 「違うだろ?」
 と聞こえるような声でいったが、その女は振り返らなかった。
 すると、カップルの女の方が大きな声で、
 「違うだろ、このハゲ―ッ!」
といったら、その女はギクッとしたように足を止めて、こっちを振り向いた。
入院中といわれていたが、やっぱり、あの女だったじゃないか!?


第2話 細道

 オイラが小学3年生の夏休み中に出来事だ。
 1人しか通れない狭い道で、前方から浴衣姿の女の子がやってきたので、オイラが体を斜めにしたら、姿が消えていた。
 ふと後ろを振り返ると、いつの間にか通り過ぎていた。
 驚いてその姿を目で追っていると、突然、かき消えた。


第3話 神社
 
 小学5年生の秋の日のことだった。
 その神社の境内には、でっかい椎(しい)の木があった。
 昔々、その木の幹が丑の刻参りに使われていたという噂があったので、いつも人気(ひとけ)がなかった。
 
 夢中になって椎の実を拾い、落ち葉をかき集めて、ランドセルに隠してあったマッチで火をつけたが、風が強くてうまくいかなかった。

 そこでオイラは、社殿に入り込んで、たき火をした。
 そうしたら、火事になってしまったので、こわくなって逃げた。
 次の日、学校で、山火事の一歩手前で消火されたという話を耳にした。
 誰にも気づかれなかったと知って、ほっとし、様子を見るために、その日の帰りに人目を忍んで神社へ行くと、社殿が半分黒焦げになっていた。

 良心がとがめ、無我夢中で、「ごめんなさい、ごめんなさい」と両手を合わせていたら、誰かがオイラの背中をたたいた。
 ギクッとして振り返ると、誰もいなかった。
 白っぽい着物のようなものが、太い椎の木陰に消えていったような気がした。
 急に怖くなって、一目散に逃げた。


第4話 包丁

 27歳の夏の夜にアパートの一室で起きた話だ。
 布団に寝ていたが、老婆が出てきて、オイラの首を絞める怖い夢を見たが、金縛りにあって何もできなかった。
 目を覚ますと、闇の中をその老婆がすう~っと遠ざかっていく。

 その同じ夢が3日続いたので、知り合いに話したら、
 「布団の下に包丁を入れて寝ろ。そのババアが出てきたら、念仏を唱えながら、包丁を手に持って『首を締めたら殺すぞ』といえ。そうしたら消えるはずだ」
 といわれた。
 その通りにしたのに、老婆は4日目の夜も現れた。
 オイラは、いわれたとおりにしたが、老婆は消えずにオイラの首を絞め続けた。このままでは死ぬと思って、とっさに右手に握った包丁を老婆の胸に突き立てた。
 そこから先の記憶はなく、目覚めると朝だった。

 手に包丁はなく、夢だったのだろうと思いながら、布団を畳み、包丁に目をやると、血濡れていた。
 オイラの体のどこにも傷はなく、畳のどこにも血痕はなく、包丁だけがなぜか血にまみれていた。

(城島明彦)

2017/08/01

あゝなつかしや! 青木繁の久留米、女良(めら/房総半島の館山)と絵画「海の幸」


Eテレ「日曜美術館」(30日放送)で見た

 30日(日)夜8時、「おんな城主 直虎」は面白くないから観ない。
 Eテレを映すと、いきなり石橋凌(俳優・歌手)のでかい顔が映ったので、ギョッとしてチャンネルを変えた。
 しかし、どの局もくだらなさそうな番組ばかりで観る気にもならず、切ろうと思いながら何気なく(虫の知らせというのでしょうな)、再度Eテレを映すと、久留米がどうのこうのといっているではないか。

 「まさか」と思ってそのままつけていると、
 「やっぱり、そうだった!」
 久留米出身の明治の天才画家青木繁のことをやっていた。
 なぜ石橋凌なのかとおもったら、久留米出身らしい。

 私は20代の後半から40代の後半ぐらいまで、青木繁の足跡を追っかけていて、久留米へ行ったことがある。
 駅の近くに「城島一番」という中華料理屋があった。
 縁起がいいと思って、写真に撮って来たので、家のどこかに残っているはずだ。

 久留米から上京して東京美術学校(現東京芸大)で学んでいた青木繁は、フランス留学で印象派の絵を学んで帰国した黒田清輝教授が中心となって展開していた画壇「白馬会」主催のコンクールで、応募作「海の幸」が第1回の「白馬賞」を受賞。一躍注目され、将来を期待された。

 「海の幸」は、夏休みに男の友人や恋人と一緒にスケッチ旅行に出かけた房総半島で画想を得、東京に戻ってから一気に描いた作品だった。

 女良の海のそばの家を借りて、青春の日々を謳歌した青木だったが、天狗になり、極端な貧乏だったこともあって、絵の具代にも事欠き、次第に鬱屈していった。

 やがて恋人の福田たねが妊娠、彼女の実家である栃木県の呉服屋に居候しながら、日本神話をテーマにした「わだつみのいろこの宮」を満を持して描き、応募したが、意気込みとは裏腹に「三等末席」。入選作では最下位だった。

 青木の心はすさみ、家庭の事情も重なり、橋のたもとで、息子を胸に抱いたたねと別れて、郷里の久留米へ帰るのである。
 その橋のそばには、記念碑が建れらている。

 たねは、やがて、サラリーマンをしていた別の男と再婚し、日光に住む。
 たねは、何人もの子どもに恵まれ、幸せになるが、青木は零落し、それでも夢を忘れられず、放浪しながら絵を描いてわずかな金を得ていたが、やがて結核にかかってあっけなく死んでしまう。

 私は40代のときに、青木が夏休みを過ごした房総の女良の家(小谷家)を訪ね、往時をしのんだ。
 そこから少し足を伸ばして、青木がたわむれに戸板に絵を描いたお寺へ行き、別の日には久留米の家へも行ったし、栃木の福田家も訪ね、「わだつみのいろこの宮」を書いた近所の豪邸(黒木家)も訪ね、いろいろ教えてもらったこともある。
 その家までは福田家から数分の距離だが、たねの弟は毎日、弁当を届けに行っていた。
 その弟が90数歳のときに電話で、そういう話を私に教えてくれたこともあった。

 テレビで知ったことだが、久留米の青木の生家が復元されていた。私がいったときは、市が保存しないので、「月星化成」の社宅として使われており、私は上がらせてもらって室内を見た。
 青木の父は久留米藩の下級武士で、あるとき怒って青木に日本刀を振り上げたことがあり、その刀傷が残っているといわれていた家だ。
 その家を借りていた人と何年か年賀状のやりとりをしたこともある。

 日曜日のEテレでは、青木繁が書いた遺書に「死んだらケシケシ山に骨を埋めてほしい」といったと説明し、石橋凌が山頂の慰霊碑の前でアカペラで歌を歌うのだが、私は30年前にタクシーで山頂近くまで行き、そこからその慰霊碑のところまでいき、帰りは歩いて帰ってきた。

 その慰霊碑の建立では、同じ久留米出身の画家で文化勲章受章を受賞した坂本繁二郎(子供のころからの友人)が世話役になり、たね(福田たね→野尻たね)や青木繁との間にできた息子(福田蘭堂)も出席したようにと記憶している。

 福田蘭堂は、尺八の名手で、NHKの連続ラジオドラマ「笛吹童子」の音楽も担当。
 大ヒットした主題歌も蘭堂が作曲した。

 その蘭堂の息子、つまり青木繁の孫が「ハナ肇とクレージーキャッツ」にいた石橋エータローだ。
 といっても、若い人には皆目わからないだろうが、高齢者は知っている。
 ついでに、もひとつおまけだ、「私だけが知っている」(ドラマを見せて犯人を当てる1960年前後の番組)。思いっきり古いのう、わしも。

 たねは晩年、再婚して生んだ娘さんの家(芥川家)に同居していたそうである。その家を私は訪ねたことがあり、写真をいっぱい見せてもらったり、たくさんの話を聞いたこともある。

 ――なつかしいのう。あれから、はや30年。時の経つのは早いものですなあ。

(城島明彦)

2017/07/30

北の国では宇宙にロケット、オイラの近所じゃ雨中に盆踊りだっちゅうの


猛暑お見舞い! 特別「納涼狂室」 

 昨日は、雨。
 雨の降る中、いってめえりやした。
 焼き鳥買いに、デカ傘さして。

 やけのヤンぱち、とっぱち唐草やんつきラーメン、どうなった?

 ♪雨、雨、降れ降れ、もっと降れ ってか
 ええかげんにCカップ! Tシャツがぐしょぐしょだ。

 盆踊りのやぐらにゃ、雨、雨、雨が降りしぶく。
 ♪あんときゃあ、土砂降り、雨ん中~ だっちゅうの
 
 降るアメリカに袖は濡らさじ。
 さじを曲げたはユリゲラー。
 さじを投げたは小学生。
 佐治一族はサントリー。

 雨雨雨の公園に、音楽だけが鳴り響く。
 ♪ハァ~っ あの日 ローマで眺めた月が ってか
 ええ加減に皿千枚!
 
 足元はぬかるみ放題、頭の中はパンパラパン! だっちゅ~の。

 汚れっちまった悲しみに 今日も涙がちょちょぎれて
 脈絡もなく、昔聞いた歌の妙ちくりんな一節が浮かんで消える。
 こんなオイラは、パンプキンじゃなかった、パ~プリンだっちゅ~の。、

 ♪毒消しゃいらんかね わたしゃ雪国 薬売り ってか

 雪じゃねえっつ~の。雨でやんす。
 ♪雨がザーザー降ってきて あっというまにタコ入道 だっちゅ~の!

 ♪長崎は~ 今日も雨だった ってか

 違うだろ、このハゲ~ッ! 
 土砂降りだっちゅうの。
 足元の土砂がぐっちゃぐちゃで、土砂が流れてる ってえの!

 かんべんしておくんなまし状態だっちゅ~の!
 親子連れがも雨まみれ、ガキの股間はクソまみれ。

 かかさんの名は、おツルと申します ってか
 違うだろ、このハゲ~ッ!

 ♪あ、あ~あああ、長崎の、長崎の女(ひと) ってか
 
 受験生諸君、英語は長崎だ! 
 違うだろ、このハゲ~ッ! 
 ジャック・ジョーンズ&ベティ・スミス
 英語は名が先だっちゅ~の!

 
 それでも、近所の公園の屋台は大繁盛。
 歌は流れる「東京音頭」!
 ♪ドドンパ、ドドンパ、ドドンパが私の胸に~ ってか
 違うだろ、このハゲ~ッ! 
 東京は東京でも「東京ドドンパ娘」だろうがっ!
 

並んで焼き鳥10本、買(こ)うてきましたがな

 オイラのオツムはポンポコリン
 そういうあんたはスッポンポン
 二人合わせりゃポンポコポン

 ボン・ジュール、Know?
 薪能(たきぎのう)は、ええのう
 お盆はジュースじゃ、ボン・ジュース! 
 ボン、ボン、セ・ボン、盆来~る?

 ♪京都盆と蝶に降る雪も~ ってか
 違うだろ! このハゲ~ッ! 先斗町(ぽんとちょう)だろうが!

 あんた、どこの坊(ぼん)?
 ♪あかりをつけましょ ぼんぼりに ってか
 だっておいらは、雪洞(ぼんぼり)屋のボンでおます。
 大好物はウィスキーボンボン だっちゅ~の。

 大阪では、おぼっちゃまのことを「ぼんち」というってか。

 そういえば、冬のさなかに足袋(たび)もはかんで、素足で粋がる大阪の「ぼんち」がいたそうやおまへんか。

 ぼんちたびなし(良い子のみんなは、さかさまから読んだらアカンで)
 ♪坊さん カンザシ買うを 見た よさこいよさこい ってか。

 そんことは、もう予讃(よさん)本線 だっちゅ~の!

 ♪ドはドスケベのド~ レはレズのレ~ ミはみっともないのミ~ ってか
 ペギー葉山も、南国土佐を後にして、ツタの絡ままるチャペルで、あの世へ行ってしもたな。

 ♪ボン、ボン、ボ~ンと時計が三つ~ だっちゅ~の!
 名古屋の「大須ういろのCM」だぎゃあ。
 今年も盆踊りの季節がやってキタサンブラック、北島三郎、来た~ッ!

 ♪北の酒場通りには 長い髪の女が似合う~ ってか
 違うだろ、細川たかしだろうが、このハゲ~ッ!
 
 ♪着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます ってか
 違うだろ、都はるみだろ、このハゲ~ッ!
 おかげで、風邪ひいてもたやないか! へックショーン・コネリー!

 オイラの頭は、くるくるパ~!
 あんたの頭も、クルリンチョ! 
 二人合わせりゃ、くるくるパ~のクルリンチョっと待っ天下(てんか)

 天海和尚(てんかいおしょう)に由比正雪(ゆいしょうせつ)、
 天海祐希(あまみゆうき)に浅香唯(あさかゆい)、知っとるけ?

 おっとどっこい、すっとこどっこい、こんなことを書いている場合じゃなかった。
 11月に出る西郷隆盛の本の原稿を、とっとと書かなきゃ!
 最高ですか、西郷ですか、これが最後だ。

 ワケがわからなくなったところで、本日はバリ・ハイじゃなかった、バハハ~イ!

(城島明彦)

2017/07/24

白鵬の致命的問題点は、立ち合い時の「フェイク」にあり!


「白鵬・日馬富士戦」が教える「白鵬の致命的問題点」

 〝張り差し横綱〟白鵬は、名古屋場所の優勝のかかった千秋楽結びの一番の対戦相手日馬富士に対しては、なぜか、〝伝家の宝刀〟張り差しに行かず、片手をちょいと顔の前に突き出しただけだった。
 この手口は、他の競技でいうと「フェイント」である。

 私がこの言葉を初めて知ったのは、中学生の体育の授業でバスケットをしたときだった。
 Wikipediaの「フェイント」の冒頭を引用しよう。

 フェイント (feint) は、球技・格闘技などで相手を惑わせるためにする動作である。
 フェイク (fake) とほぼ同義であり、『特定動作をするふりをする』と一般的には解釈されている。

 そう、アメリカの記録的低支持率大統領がよく口にする、今はやりの「フェイクニュース」の、あの「フェイク」と同義語なのである。

 つまり、「正々堂々」と対極にある動作が「フェイク」という名のギミック(策略)である。
 「フェイント」は絶対にやってはならないというわけではないが、そればかりやるのは問題ということなのだ。


横綱に求められるのは、正々堂々とした相撲

 正々堂々というのは、力士なら(口に出して、はっきりいうかいわないかの違いこそあれ)誰もが嫌がる「張り差し」を連日のように用いない、誰もが感心するような立派な取り口をすることをいう。

 「張り差し」は、以前は、
 「番付の下位の者が上位の者には行わない」
 という暗黙に近い了解があったが、モンゴル勢がそれを無視して頻用したために、それが日本人力士にも伝染し、いつのまにか上位に対しても時折、「張り差し」をするという〝下剋上〟が行われるようになった。

 それでも、どの力士にも、
 「横綱相手に張り差しはできない」
 という思いがある。

 「張り差し」というのは、上位の者がその地位を利用して下位の者に行う〝一種のパワハラ〟なのだ。
 このことは過去のデータを調べれば明々白々である。

 白鵬は、そういう相撲界慣例を逆手に取っているから、私は「卑怯だ」といい続けてきたのだ。
 横綱が、連日にわたって、用いる手ではないこと。

 まして、顔の前に「手を突き出す」という奇手を、千秋楽で同じ横綱相手に平然と繰り出すという神経が、「横綱にふさわしくない不純」であり、「精神が腐っている」というのである。
 白鵬がこの奇手を使ったのは、初めてではない。それ以前に何度もある。

 平幕力士ですら、立ち合いざま、「相手の顔の前にひょいと片手を突き出す」ような奇妙な技をしばしば用いる力士は、そうはいない。
 小兵力士や何度対戦しても勝てない力士が、苦肉の策として行うのなら、「どうしても勝ちたいのだな。しょうがない奴だ」ということですまされるが、天下の大横綱が同じ手を使ったら問題なのである。

 ただし、千秋楽の日馬富士戦は、立ち合いを除けば、それこそ見事な横綱相撲だった。
 そういう素晴らしい相撲が取れるのに、姑息な立ち合いをしたり、相手の嫌がる「張り差し」を連日のように駆使するところに問題があるということを私は主張し続けているのだ。


横綱相撲にふさわしい取り口をせよ

 かつての大横綱大鵬は、つねに堂々たる立ち合いを心がけ、相手に先に突っかけられても、堂々と受けて立ち、堂々たる横綱相撲で相手を下した。
 そういう相撲を「横綱相撲」というのである。

 歴代の横綱を振り返ると、張り差しで失神した大乃国(今ではスイーツ大好き親方で、憎めない人柄)とか「猫だまし」というおかしな手を使った三重ノ海(のち日本相撲協会理事長)という情けない姿をさらした横綱もいるにはいるが、白鵬のように何度もフェイントをかける横綱は皆無である。

 横綱はただ勝てばいいというものではない。
 白鵬には、その点の理解と実践が欠けている。そこが致命的だ。

 かつて私は、物書きになる前に勤めていたソニーのことを新聞に連載し、本にもしたときに、
 「日本を代表する企業にふさわしい評価を得なければならない」
 と書いたことがある。

 トヨタ、ホンダ、パナソニック、日立などは、相撲でいえば、横綱のようなもの。トップの発言も、企業実績も、それにふさわしいものを求められる。
 そういう評価を得ている企業は、どんな手口を使っても構わないから売り上げを伸ばすというやり方は許されないのである。

 私が白鵬に厳しいことを、しつこくいい続けているのは、それと同じなのだ。

 白鵬が「張り差し」に執着し、フェイントをかましたりする相撲を見ていると、
 「真の横綱は、どうあるべきか」
 という自覚が欠けているとしか思えないのである。


年齢的衰えを「姑息(こそく)な取り口」でカバーする悪知恵横綱

 千秋楽の取り組みの話に戻すが、日馬富士とのがっぷり四つの大相撲を制して花道を引き揚げる白鵬は、珍しく荒く激しい息づかいをしていた。
 そこに、白鵬の卑劣に近い「張り差し連発手口」を読み解くカギがある。

 解説者も口にしていることだが、「年齢的な体力の衰え」である。
 しかし、それを指摘するところまでは素晴らしいが、そこから先がバカだ。

、横綱それも「ぶっちぎりの史上最多優勝のタイトルホルダー」だからこそ、 そういう姑息な取り口はすべきではない、というべきところを、
 「張り差しを行ったり、立ち合いで体をかわしたりするのは、年齢的な衰えをカバーするための工夫だ」
 などとノー天気なことをいっている。


親方も相撲協会もバカ

 白鵬は、対戦相手の側頭部への強烈な張り差しで、動揺を誘うと同時に、脳へ衝撃(ダメージ)を与えることで、「気力」(条件反射力や戦闘意欲)「知力」(思考力)「体力」をダウンさせ、自分に優位になるようにしている。
 白鵬が、日本大相撲史唯一の〝張り差し横綱〟となったのは、「体力の衰え+悪知恵」に起因している。

 アマチュア相撲では禁じ手とされ、プロの力士でも例外なく嫌がっている「張り手」「張り差し」を白鵬が連発しまくる以上、他の力士は対抗策を練らなければならない。

 だが、白鵬を想定した「張り差し」にどう対抗するかを、普段の稽古でやっている相撲部屋は皆無だ。研究し、稽古しまくっていたら、毎度毎度、負けるはずはなかろう。 親方連中は、そろいもそろって大馬鹿者じゃないのか。


白鵬と対戦してきた力士も大馬鹿だ

 何度も何度も「張り差し」という同じ手で顔面を張り倒され、中には脳震とうを起して土俵に崩れ落ちる醜態までさらしてきた力士は一人や二人ではない。
 そこまでいかなくても、張られた衝撃で、自分ではわからないうちに出足が鈍くなって、ぶざまな相撲を取った力士は、それこそ土俵の砂の如く、掃いて捨てるほどいる。
 それでも恥とも悔しいとも思わず、何ら実りある対策を打ち出せていない。

 名古屋場所で、唯一見るべき取り組みをしたのが、白鵬の張り差しを「柳に風」の要領で、殴られた力に逆らわずに動いて勝った御嶽海だけだった。

 日本古来の伝統である国技を。これだけ〝張り差し〟やら〝フェイント〟やらと好き放題にされても、悔しがらない日本人力士を「馬鹿」といわずして何という。
 「満員御礼になれば、それでよし」と思っている大相撲協会も同様だ。

 白鵬が、これまで大相撲に果たした功績は大したものだが、そういう地位にふさわしい相撲ができないとなると、困った問題だ。
 大相撲名古屋場所千秋楽で見せた日馬富士とがっぷり組んでからの立派で堂々とした相撲が取れるにもかかわらず、「ただ勝つため」「ただ記録を伸ばしたいだけ」のために、姑息な妙な立ち合いしかできないのなら、さっさと引退すればいい。

(城島明彦)

2017/07/22

今日は、左手で張り手、右腕で顎にエルボーだった! これが横綱相撲か!?


「またプロレス技もどきか」と思った相撲ファンは多いのではないか

 いわずと知れた白鵬の14日目の豪栄道相手の取り口だ。
 昨日は、「右手を使った張り差し」と「左手を使った〝チョーク〟(首絞め)」だったが、今日は大関豪栄道相手に、「左手を使った張り手」と、その直後に「右腕を使った〝エルボー〟(肘鉄)」を顎にぶち込んだ。

 そのとたん、ちょっとやそっとではパワーが落ちない豪栄道の体から力が抜けたのが見て取れた。
 戦闘意欲を削がれたのは、前日の対戦相手高安も同様だった。

 こんな汚い手を連日にわたって使いまくる横綱は過去にいないし、現役の関取衆の中にもいない。
 「荒っぽい」という表現を超えている。
 日本大相撲協会よ、NHKよ、何度も何度も同じことをいわせないでくれ!

 「目には目を」ではないが、「張り手には張り手を」やってみたらどうか。
 両者が立ち合いざま、互いに相手の顔面を張り飛ばす!
 こんな面白い光景が連日、何度もくりかえしたら、観客は大喜びだ。

 だが、横綱より下位の力士は、相手が横綱ということで遠慮してしまい、やれないという現実がある。
 本日の白鵬の対戦相手だった豪栄道も、荒っぽい相撲を取る力士で、張り手をよく使うが、白鵬相手には遠慮して使わない。
 悪知恵の働く白鵬は、そのあたりのことを百も承知で、荒っぽい手口を繰り返しているのだ。

 「若い頃の白鵬と違って、今は、力の衰えを技でカバーしている」
 などとノー天気なことをいうNHKの解説者がいたが、馬鹿じゃないのか。
 白鵬の相撲は、プロレス技に近い。
 それを巧妙にやり続けているから恐ろしいのだ。
 NHKは、それぐらいのことには気づけ!
 日本相撲協会もバカの集まりか?

 NHKは、〝白鵬の手口〟をきちんと分析したらどうか。
〝張り差し横綱〟白鵬が「張り差し」をした瞬間を超スローモーション再生をして、取組相手のどこをどのように手が張っているか、そしてその瞬間、ストップモーションをかけて、相手力士がどのような反応ないしは表情をしているかを、じっくり視聴者に見せたらどうだ。

(城島明彦)

2017/07/21

どこまで汚いのか、白鵬! 喉輪(のどわ)と見せて禁じ手(頸動脈圧迫)で高安を下すとは!?


白鵬は猛毒を持つ〝巨大ヒアリ〟だ.! 日本の美風を食い荒らす!

 大相撲名古屋場所13日目の取り組みで、白鵬は堂々とぶつからずに、ひょうと体をかわした後、「喉輪」と見せかけて、高安の頸動脈を強く締めた。

 これは、明らかな「禁じ手」で、顎に手をあてがう本来の「喉輪」とは別物で、プロレス技の「チョーク」である。
 しかも、衆目監視の中で、それと気づかないように巧妙にやるところが、白鵬の汚いところ。

 喉輪をされても勢いは止まらないが、頸動脈を強く圧迫されたために、その直後の高安の動きは、明に見えて鈍くなった。
 取り組みをじっくり見れば、そのことがよくわかる。

 こういう汚い手を繰り返して史上最多勝を達成しても、日本古来の武道である大相撲の真のファンは決して喜ばない。

 なぜ正々堂々とした取り口で高安を下さないのか。

 勝ち名乗りを受けた後、懸賞金でガッツポーズをしたり、この日は懸賞金を両手で顔の前に掲げ、礼をした。 
 日本相撲協会に聞きたい。
 「一見、素晴らしいように見えるが、大鵬も千代の富士も、北の湖も貴乃花も、そのようなおかしな所作をしたことは一度もない。いつから、そういう見慣れない所作が許されるようになったのか!?」

(城島明彦)

2017/07/20

御嶽海よくやった! 新発見だ! このやり方なら〝張り差し横綱〟白鵬に勝てる!


白鵬の盲点、発覚! 張り手をされた反対側に回り込めば勝てる!

 〝張り差し大好きの品性下劣大横綱〟白鵬は、力士なら誰もが嫌がる「張り差し」を、この日も意図的にやったが、昨日(大相撲名古屋場所11日目)の御嶽海はそれを研究し尽くしていた。

 力士、親方、私も含めた相撲ファンの全員がそれまで思っていたのは、
 「張り差しをした方の手は、脇があくから、そこを責めろ」
 ということだった。

 それが常識だと思っていたが、実はそうではなかった。
 そのことを気付かせたのが、白鵬戦で見せた御嶽海の取り口だった。
 さすが東洋大出身の元大学横綱。頭を使った。

 白鵬は、例によって、立ち合いざま、右手で御嶽海の顔面を強打した。
 その瞬間、日頃の稽古の成果もあって、御嶽海の体が反応したということもあろうが、
 「白鵬の意識が張り手をしようとする右手に集まっている」
 という判断がとっさに働いていたのはなかろうか。

 つまり、張ろうとする瞬間、白鵬の意識はそこに集まっており、張らない側への意識は希薄になっていることに御嶽海は無意識のうちに気づいたのだ。
 もっとわかりやすくいうと、殴られた勢いで押された方へ飛ばされるように素早く動いて、逆時計回りに回りながら出し投げを打って寄り立てた。
 相手を呼び込むような体制に持ち込んだのである。

 そうすれば、張った相手は、その方角へ体がよろける。その弱点を突けば、相手はあわてる。
 こういうことをした力士は、これまでいなかった。
 今まで気づかない取り口だったのだ。

 さっそく他の対戦相手も、今日からやってみるとよい。


各相撲部屋は、稽古に「張り差し」を取り入れろ!

 稽古で、「張り差し」の取り組みを繰り返しやっている相撲部屋などない。
 〝悪辣横綱〟白鵬は、そこに目を付けているのだ。
 
 連日のように白鵬が〝張り差し〟をする以上、それをどうかいくぐるかを、稽古でやるしかないのではないか。
 今まで、そういうことをやらずに来たことが白鵬に張り差しを使い放題にさせた原因ではないのか。
 
 何が最多勝だ。
 〝最多張り差し横綱〟だということもいってから、そういえ。

 〇参考までに、かくいう私の身元は、確かであります。下記が近年の著書で、現在、西郷隆盛の著書を執筆中でございます。

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(表紙写真をクリックすると、でっかくなります。出版社は、最後の1冊はプレジデント社で、残る5冊は致知出版社)

(城島明彦)

2017/07/08

ピークを過ぎたのか? ウィンブルドンの錦織を見て思ったこと「敗因は、9つあり!」


攻守に精彩を欠き、格下に完敗

 テニスのウィンブルドンの中継を見ながら、錦織に勝ってほしいと思いと思っていたが、格下のスペイン選手ロベルト・バウティスタ・アグート相手にいいところなく、3-1で完敗。

 テニスウェアがどっちも白で見分けがつかないのに、打ち方までそっくり。
 錦織が勝ったのかと間違えることが、しばしば。

 このところ、いいところまで行くのに、そこに壁が立ちはだかり、「優勝」まで行けない試合が増えてきた。

 年齢的な衰えなのか。
 相手選手に研究されつくしてしまったのか。
 一種のスランプなのか。
 あるいは、盛りを過ぎたのかもしれない。

 それらのマイナス要素を克服して、さらに上を目指すには、意図して攻め方、守り方を変える必要があるようにに思える。


昨日の敗因は、9つ

 ①これまで負けていない相手なのに、研究され尽くした。
 ②ファーストサーブが、まったくといっていいほど入らなかった。
 ③ダブルフォールトが多すぎた。
 ④落ち着いてやれば、入っている狙いすましたドロップショットがネットに引っかかることが多く、精神的なゆとりを欠いていた。
 ⑤ラリーが長くなると負けることが多かった。
 ⑥(いつもそうだが、この日は特に多かった)左右に振られ過ぎた。
 ⑦体のキレがいつもより悪く、バランスを崩してレシーブする場面がしばしば見られた。
 ⑧相手をいらだたせる打ち方(つまり、この日の弱点)をゲーム中に見つけることを怠り、逆に自分の弱点を相手につかまれ、そこを責められた。
 ⑨ここぞというところで、力が出なかった(アドバンテージまで行きながら、逆転負けすることが多かった)。

 弱点を克服し、さらに大きくなって、次はガンバレ!

(城島明彦)

2017/06/25

献辞 安倍晋三殿 「公私は事にあり、また情にあり」


佐藤一斎の『言志晩録』を肝に銘ずべし

 今、西郷隆盛の本を執筆中でありますが、その西郷翁が大きな影響を受けた江戸時代の儒者佐藤一斎の『言志晩録』(げんしばんろく)の一つを、慎んで近年まれにみる名宰相安倍晋三殿に献ずる次第であります。

  公私は事(こと)にあり、また情(じょう)にあり。
  事公(おおやけ)にして情私(わたくし)なる者之(これ)あり。
  事私にして情公なる者も之あり。
  政(まつりごと)を為(な)す者、宜(よろ)しく人情・事理(じり)・軽重の処(ところ)を権衡(けんこう)して、以て其(そ)の中(ちゅう)を民に用うべし。

 こういう意味であります。

  公私は、物事にも人情にもある。
  物事は、公的なことで私情が絡むこともある。
  物事は、私的なことで公として処理しなければならないこともある。
  政治を行う者は、人情、物事の道理、重要度などを検討し、中正・中庸な判断を国民に示さないといけない。

Photo_3  Photo_4 ※クリックすると写真は大きくなります。

(城島明彦)

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