2019/09/30

見て不快な慰安婦像(トリエンナーレ事件)は、「表現の自由」をはき違えている

「表現の自由」といっても、公序良俗に反するものは許されてはいない

 

 昭和30年代後半から40年代後半(1960~1975年頃)くらいまで青春時代を送った私のようにな世代では、「表現の自由」をめぐって思い出すのは、裁判沙汰になった以下の2件だ。

 古くは作家伊藤整の翻訳『チャタレイ夫人』。

 作家野坂昭如(あきゆき)の小説『四畳半襖(ふすま)の下張り』。

 今の「わいせつ概念」からすれば、「こんな程度で?」と誰もが思う内容だが、当時は「表現の自由」からは逸脱していると判断されたのである。

 今では、浮世絵の交接個所の描写が、デフォルメされてはいるが、そのまま出版される時代になった。

 このように、わいせつの概念や表現の自由に対する考え方は、その時代の思想や社会的状況の影響を受けるのである。

 

 

「宗教の自由」がオウム真理教の無差別大量殺人を可能にした!

 

 社会主義国や共産主義国では、映画・絵画や新聞・テレビ・ラジオ・雑誌などのメディアに対する厳しい制限――検閲ないしはそれに近い抑圧――がある。

そういう不自由は、日本はない。われわれ日本人は、犯罪を犯さない限り、何でも自由に発言できるし表現も出来る。それが自由主義だ。

韓国も表面的にはそうなっているが、国民への「反日思想」の教宣(プロパガンダ)が存続する限り、真の自由主義とはいえない。かつてのナチスドイツと一脈通じる恐怖がその背後に見え隠れする。慰安婦問題は口にするが、ベトナム戦争のときに韓国軍がベトナムの婦女子に働いた「おびただしい件数の性暴力と私生児誕生」にはホッカムリだ。

 

 「宗教の自由」の名のもとに、サリンを製造して無差別殺人を行い、国家体制を転覆しようとしたのはオウム真理教だった。「〇〇の自由」には、こういう危険性が伴うことを強く認識しないといけない。

 

 

バラバラ死体をテレビニュースは写さないのは「表現の自由」に反するのか

 

 一般人の感覚で、わいせつと判断されるものや犯罪がらみのもの、生理的に不快感を覚えるもの(目をそむけたくなるような不快感を催すもの)、人道的に許されない残虐でむごたらしいもの、被写体となる人の人格を毀損するものなどは、「表現の自由」から除かれても文句はいえない。

  処刑される俊寛の写真や再現VTR

  バラバラ殺人する写真やVTR

  セックス中の場面

  赤ん坊が顔を出した出産中の妊婦の秘所をアップで写したVTR

  強姦された若い女性の局部アップ写真やVTR

  首を吊った人の写真やVTR など

 短い言葉でいうと、公序良俗に反する表現は、公的な展示や露出は出来ないようになっている。その判断の前提となっているのは「節度」だ。

 開催県愛知の大村 〝カトちゃんペッ〟知事は、みそもクソも一緒くたにして、補助金は出さないといった国と裁判で戦うと息まいている。何を考えているのだか。国民の税金を「反日運動」に使って喜ぶ国民や企業がどこにいる。愛知県の税収の大本のトヨタの意見でも聞いてみたらどうなのか。

 

 

なぜ表現を制限しなければならないのか

 

 「表現の自由」と謳いながら、実態は、何でもかんでも自由ということにはなっていないのだ。

 なぜ、そうしているのか。

 わかりやすい例でいうと、心身ともに未発達な幼児などの子供の身体や精神の成長に悪影響を与えるからだ。

 

 たとえば、トリエンナーレで、親と一緒に「慰安婦像」を見た児童は、自身では正しい判断が下せないから、その説明次第ではゆがんだ印象が脳裏に強く刻まれる。韓国の児童らがまさにこれだ。

 慰安婦像は、芸術性を云々する前に、日本を攻撃するために造られた〝政治的な意図のある像〟である。

 この像のことを幼児や子供に説明する(思想教育をする)なら、中立的な立場で説明しなければならない。 

 朝日新聞などは、「表現の自由」を悪用し、事実に反する慰安婦の情報を記事にした。事実でない報道は、読者を裏切る以外に「洗脳」という役割も果たした。

 「表現の自由」には、こういう利用のしかたもあるということを忘れてはならない。 

 

 

多くの日本人が嫌がっている慰安婦像をなぜ日本人が展示するのか

 

 さて、今回のトリエンナーレで問題にされた慰安婦像である。

 アメリカの公園にまで展示されている慰安婦像を喜んでいる日本人は何人いるのか。

 日本は、太平洋戦争に突き進んで敗戦国となり、屈辱を強いられた。

 それは1945年で終わった戦争だ。

 その反省に立って、日本は敵国だったアメリカの庇護を受けて〝奇跡〟ともいわれた経済成長を成し遂げ、平和国家となったのだ。

 それから74年もたつのに、韓国は、事実関係を捏造してまで慰安婦問題をくり返しくり返し持ち出すことで、日本に嫌がらせをしてくる。

 

 日本は、前を見て進んできたし、今もそうしている。

 だが韓国は違う。うしろばかり見ている。

 

 そういうゆがんだ考えを一変させるべき若い人たちが出てこないのは、洗脳されてきたからだ。つまり、教科書で「反日思想」をたたき込まれたからだ。これは個々人の責任ではない。国家の犯罪だ。

 

 飛躍するのに自身ががむしゃらに努力して国家としての地位、民族としての地位の向上を図ろうとするのではなく、特定の他人(日本人)や他国(日本)を(仮想敵国として)おとしめることで、自身の国家や民族の相対的な地位向上を図ろうとしてきた。

 非常にマイナーな暗くて情けない戦略といえる。

 人の悪口をいいふらしまくって、自分の評価を高めようとする人間は、誰からも信用されず、人格を疑われるだけだ。

 このことを韓国人は、強く認識しないといけない。

 

 そこに韓国の悲劇がある。

 韓国が飛躍するには、いつまでも過去にとらわれず、明日を見なければならない。

 こんなわかりきったことをできないと、国際社会からどんどん孤立していくだけだ。

 『反日種族主義』という本が韓国でベストセラーになっている。この本を支持する人とそうでない人は相半ばするといわれているが、国家が隠してきた真実の姿を知るようになるのは、いい傾向だ。

 

 

百年の計は教育にあり 

 

 日本は、明治維新を迎えたとき、先進の西欧のやり方に学んだが、最も力を入れたのは教育だった。

 百年の計は教育にあり、だ!

 一度約束したことは、どんな犠牲を払っても守るのが、人の道、国家としての道ではないのか! 

 韓国もそうすべきではないのか。それにはまず、韓国の若者が「反日思想」「嫌日思想」から脱却して、前向きな未来志向を心がけ、国を再建するしかないのだ。国を変えなきゃ、韓国の未来はない。心ある韓国の若者は立ち上がれ!

(城島明彦)

 

2010/04/13

憂春(ゆうしゅん)

 国乱れて 山河(さんが)あり

 山河荒れて 民(たみ)惑(まど)えど

 政治(まつりごと) さだまらず

 外国(とつくに) つけ入りて

 人心 さらに乱れ

 私心(わたくしごころ)を たくましゅうす

 うるわしの火の国 今まさに滅びの淵(ふち)に立てり

 出(い)でよ 救国(きゅうこく)の士

 (城島明彦)

2008/05/26

苗字の不思議(水編)

 苗字はおもしろい。

 人が生きていくうえで、必要不可欠なもの。それは「水」だ。

 水に関連する苗字がある。

 ●水……「水田」、「水元」、「水原」、「水森」、「水口」、「水島」、「水鳥」。
       「清水」、「出水」、「温水」(ぬくみず)、「赤水」、「迫水」(さこみず)。

 ●湯……「湯川」、「湯本」、「湯田」、「湯島」。

 ●泉……「泉」、「大泉」、「中泉」、「小泉」、「泉田」、「泉川」

 ●池……「池」、「大池」、「中池」、「小池」、「池上」、「池中」、「池下」、「池田」「池山」、「池森」。

 ●沼……「大沼」、「中沼」、「小沼」、「沼田」、「沼井」、「沼渕」。

 ●川……「川上」、「川中」、「川下」(かわした)、「川口」、「川井」、「川田」、「川越」、「川原」、「川島」。
       「上川」、「中川」、「下川」、「星川」、「笹川」、「梅川」、「歳川」(としかわ)、「千川」、「仙川」、
       「菱川」、「山川」、「東川」、「西川」、「南川」、「北川」、「井川」、「江戸川」……。

(城島明彦)

2008/04/18

死刑は廃止すべきではない

 歴代の法務大臣は、皆、嫌がって死刑執行に署名をしなかったが、今の鳩山大臣は昨年8月に就任以来、4月10日までに10人を死刑にした。

 宗教的な理由、人道的見地などから、死刑廃止を叫ぶのはたやすい。

 しかし、何人殺しても生きられるというのは、いかがなものか。

 現在使用を禁止されている言葉に「気違い」があるが、この言葉のどこが差別的なのか、私にはわからない。

 正常ではなくなった、つまり、「気が違った」のだから、「気違い」である。昨今、頻繁に起きている無差別殺人、行きずり殺人などは、まさに「気違いに刃物」。

 こんな適切な表現が、どこにあろうか。

 死刑反対論者に問いたい。

 「あなたの愛する奥さんや子供たち、そして親兄弟たちが、ある日突然、気違いに全員殺されて、天涯孤独の身になったとしてもも、その犯人に同じことをしてやりたい」
 と思わないのか。つまり、
 「殺してやりたい」
 と思わないのか。
 「妻や子の仇を討ちたい」
 と思わないのか。

 「思わない。死刑はよくない」
 と答える人がいたら、その人は偽善者である。

(城島明彦)


  

 

民社党は、もっと大人になれ

 かつて、自民党が派閥抗争に明け暮れていた頃、民主党に期待したこともあったが、今の民主党に期待はできない。
 
 参議院で多数を制したことを〝国民の総意〟と勘違いしての横暴が目立ちすぎ、その昔、「何でも反対」の旧社会党の愚かなイメージがだぶって見える。

 過日の回の参議院議員選挙では、国民の大半は、自民にお灸をすえようとして民主党に投票しただけだ。

 民主党は、肝心なことを忘れている。

 衆議院議員選挙で民主党が単独で過半数を制することは不可能に近いが、もし仮にそれを実現したとしても、次回の参議院の改選選挙で自民党が巻き返し、過半数を制したらどうなるのか。報復されるよ!
 
 そのことが頭から抜け落ちている。民主党議員は、もう少し大人になれ。

(城島明彦)
 

2007/01/07

城島明彦の「怪し不思議の国・日本」

拝啓、安倍晋三総理大臣 殿
 今の日本、治安も言葉も乱れ、道徳心も良心も失せ、心根まで汚くなりすぎていますから、
 「美しい国・日本」
 にしようとする、あなたの心意気に異論はありません。
 「よくぞいってくだすった」
 といいたいところではありますが、どうせいうなら、
 「清く正しく美しい国・日本」
 といってほしかった。
 それではキャッチフレーズとして長ったらしいし、宝塚と同じになってしまい、女々しい感じがする? 
 確かに、そうかもしれませんね。
 「美しい国」という言葉のなかには、
 「清く正しく」も入っているということにしておきましょう。
 フジヤマ、ゲイシャ――かつては、この二つが、青い目の外国人からみた「美しい日本」でありました。
 その後、シンカンセン、スシも加わりました。
 ナラ、キョウト、カマクラという外国人もいるかもしれません。
 これらの中で一番きたないのが、富士山です。
 富士山は日本の縮図です。
 遠くから見るととてもきれいですが、近寄ってみると、ゴミ、ゴミ、ゴミの山になりはてました。
 世界遺産として認められなかったのも当然のことでありましょう。

化粧って何だ!?
 今、話題の団塊世代が少年や少女だった頃の列車のなかでの話でございます。
 乗客がたくさんいるなかで、若い女性やおばさんが、白昼堂々と服の前をはだけて子供に授乳する。
 そういう光景が、よく見られたのであります。
 おおらかでしたなあ、昔の日本は。
 そんな時代には、車中で化粧をする女性は見かけませんでした。
 ところが今は、逆ですな。
 今日、車中で子供に乳を含ませる母親などいませんが、人前で平然と化粧する女性が激増しております。
 世も末ですな。
 「女のたしなみ」
 ということを知らんのですかな。
 「化粧」
 という字を、よく眺めてご覧なさい。
 「化ける」という字が入っているでしょ。
 「化粧とは、化けて美しく見せること」なのです。
 化けるというのは、人に知られてはいけない行為なのです。
 「化けそこねて尻尾が出ていて正体を見破られてしまった」
 というマヌケな話は古来たくさん残っておりますが、化かす相手の前で化けるところをみせる狐や狸がいるなどという話は、ついぞ耳にしたことがありません。
 複数の男性が食事をしている前で、堂々とコンパクトを取りだし、付けマツ毛をつけはじめたり、ファンデーションを塗りだしたり、ルージュを引くなどということを平気でやる妙齢の女性が、昨今はあとをたちませんな。
 男の前で化粧をするという行為は、衣服の胸をはだけて乳房を見せているようなものですよ。
 食事している人の前で化粧するのは、食事中にトイレの話をすることと同類です。
 食べている人の身にもなってごらん。食事がまずくなるということがわからないのかな。
 「美しい国・日本女性」
 をめざしてほしいものです。