小芝風花が扮する花魁「花の井」と蔦重の関係は想像の産物! 橋本愛が扮する蔦重の妻の名は不明だが、NHK大河ドラマでは「おてい」とした理由は?
法名は、蔦重が「幽玄院義山日盛信士」で、妻は「鍊心院妙貞日義信女」
NHK大河ドラマでは、小芝風花が扮する松葉屋の花魁「花の井」と蔦重が幼なじみという設定にしたが、蔦重が吉原で生まれ育ったから、そういうこともあったかもしれないという想像の産物。
ドラマでは、主要な登場人物が何らかの形で絡まないと話が面白くならないから、強引にでも絡ませるところがある。
蔦重の幼少期・少年期、青年期の私生活面でのことは、ほとんど不明。
7歳のときに両親が離婚したために、生母とも別れて親戚のうちに養子に入ったということがわかっているぐらいなので、どんな風に想像しようが勝手である。
NHK大河ドラマでは、蔦重の妻の名を「おてい」としたが、この名は、蔦重家の菩提寺「正法寺」(しょうぼうじ)の墓碑(平成8年に復元)にある法名「鍊心院妙貞日義信女」の「妙貞」にヒントを得ている。
貞は 「てい」とも「さだ」とも読めるが、「さだ」にすると〝呪いのビデオ〟で井戸から出てくる「貞子」を連想しかねないし、時代は違い、字も違うが、稀代の悪女とされた「阿部定」の「さだ」をも連想しかねず、困ってしまう。
そこで、貞女にもつながる「てい」にしたのではないか。というのが筆者の見方。
彼女が没したのは文化8(1811)年。
蔦重は寛政9(1797)年に48歳の若さで脚気が原因で病没しているので、夫を見送ってから14年長生きした計算になる。
▼上段の右から5つ目が蔦重の法名「幽玄院義山日盛信士」
没年「寛政九年五月六日」という没年が刻まれている。
左隣の「〇〇院妙松日秀信女」は蔦重の実母定らしいと推定されているが、確定ではない。
▼下段の最初の法名が蔦重の妻「鍊心院妙貞日義信女」
没年「文化八年十月十八日」という没年が刻まれている。
かつての正法寺の境内と蔦重家の墓
蔦重の墓は、現在、高層ビルとなった浅草1丁目の「正法寺」の外墓地に復元されているが、関東大震災や東京大空襲などで倒壊炎上する以前は、本堂の南側あった墓地域にあったと言い伝えられている。
下図は、同寺の佐野詮修住職提供の資料に城島が太字を加筆したものだ。太字線で囲った枠内がかつての墓地域だったという。
(城島明彦)
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