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2023/01/04

「団塊の世代」なんて生ぬるい! 今じゃ「断崖の世代」だ、あとがない!

そこのジイちゃん、バアちゃん、新年おめでとうやあらへんがな。

 めでたいのは、あんたらのオツムの方やでぇ!

 よう聞きや。

 昔は「犬を歩けば、棒にあたる」いうたけど、今はちゃうでぇ。

 「犬も歩けば、ボーッとしたジジババにあたる」いうんやで。

 そこんとこ、ようわきまえて道を歩かんと、えらいめにあうで。

 

 今のご時世は、街に出て石投げたら、ジジババにあたるわな。

 けど、ジジババいうても、一緒くたにしたらあかんでぇ。

 まちまちや。

 あっちにもこっちにも、ぎょうさんいよるのが、団塊の世代や。

 

 団塊世代の連中は、戦後の1947年から49年にかけて、どどっ~と大量に生まれよったから、赤ん坊のときは、あっちで「這い這い」、こっちで「這い這い」しとりました。

 それが小学校にあがるようになると、次々と建て増した校舎のあっちで「ハイハイ」、こっちで「ハイハイ」と元気に挙手するようになったわな。

 競争社会やから、ボーッとしとったら、取り残されたんや。

 

 そういや、昔はハエのことを「ハイ」というてへんかった?

 夏休みになると、あっちでもこっちでも、「ハイハイ」というわけや。

 

 それが中高生にもなる時分には、

 ♪かわいいベイビー、ハイハイ

 と、歌うようになってましたな。

 コニー・フランシスの歌やがな。

 日本では中尾ミエが歌ってましたで。

 昭和も30年代後半の話ですな。

 

 もっと進んだ悪ガキあたりは、エルビス・プレスリーの「GIブルース」あたりを口づさみながら、大人っぽく変装してストリップ小屋にもぐり込んで、あきれるくらい厚化粧の踊り子が、

 「ハイハイハイハイ」

 と掛け声かけながら、たくしあげたスカートの中に顔を突っ込んで、クンクン匂い嗅いでハイになってるアホな奴もおったんや。

 〇〇君、君のことや!

 

 なかには煙草スパスパ、シンナー吸ってハイ、ハイになる奴もいましたなぁ。

 「スーダラ節」で人気爆発の植木等なんかは、はい?

 「ハイ、それまでよ~」なんて歌うてたくらいや。

 

 そういう青春前期を過ごした団塊の世代も、今じゃあ、続々と後期高齢者入り。

 あっちでヨロヨロ、こっちでフラフラ。

 それが今じゃあ、カラオケで、プレスリーの「ロカ・フラ・ベイビー」を歌って、オダを上げる始末や。

 ロカフラベイビーちゅうても、廊下をフラフラ歩く赤ん坊の歌とちゃうぞぉ。

Rock A Hula Baby」というレッキとした名前がついたんやでぇ。

 

 あの頃のどの家の父ちゃんも月給は少なかったけど、毎年毎年、昇給してたもんな。

 母ちゃんは母ちゃんで、父ちゃんにチン上げを要求うるもんで、父ちゃんは残業残業また残業で疲れた体にムチ打って、夜のお勤めに励んでましたわな。

 ああ、しんど。シンドバットや。

 

 おあとがよろしいようで、今日のところは、これにてオシマイ!

 おっと、忘れるとこやった。

 宣伝や、宣伝や。

 大河ドラマの「どうする家康」の便乗本、買(こ)うてんか。

 過当競争で、たいへんなんや。

 大河ドラマ観るんやったら、1冊、頼むわ。退屈させ変でぇ。

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 ほな、さいなら。

 (城島明彦)

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