« 「団塊の世代」なんて生ぬるい! 今じゃ「断崖の世代」だ、あとがない! | トップページ | ふざけてんの? 「どうする家康」はパロディ? ギャグ大河? どうするNHK! »

2023/01/08

NHK大河「どうする家康」第1回放送で、気づいた点いくつか

いろいろ工夫していることは伝わったが、さあ、これからどうする

〇信長「桶狭間の戦い」の前哨戦「大高城への兵糧入れ」の家康から始めたのは賛成

 これまでの大河では、幼少期から始めることに固執してきた感がある。幼少期などは、どこかで回想シーンとして入れればいいのに、そうすることなく、毎度毎度、似たような展開にい、〝一種のマンネリ化〟を招いていた。

 その点、「どうする家康」では、19歳のときの「大高城の兵糧入れ」から始めたのは評価できる。

 大高城への兵糧入れのシーンで、初陣(2年前の17歳)のカットを回想シーンとして入れる手もあった。

 

〇桶狭間の戦いと大高城への兵糧入れの場所の位置関係・時間比較をもう少しわかりやすくした方がよかった

 桶狭間の戦いで信長が義元に討たれたのと家康が大高城の兵糧入れに成功したのは、ほぼ同時刻で、両者は少し離れた場所にいたでに入っており、兵糧を入れたとおおたか

 

〇今川義元の顔は。「武将顔」ではなく、「公家顔」のはず

 桶狭間で信長に討たれる義元の顔は、顔は白塗りで、お歯黒をした公卿顔(〝おじゃる顔〟)なのに、普通の武将の顔と同じになっていたのは史実に反している。

 野村萬斎が普通の武将のメイクで義元役を激しく演じたが、そのまま信長役になれた。

 信長役は岡田准一だが、おっとりしており、イメージとしては違う。

 

〇NHKのジャニーズとの癒着が岡田准一を信長に起用したのか?

 野村萬斎のが短い時間だったが、演じた顔・姿・声、動作は信長そのもののように私には映った。

 岡田を白塗り、お歯黒メイクにすれば、義元のイメージとピッタリになったのではないか。

 家康の松本潤、信長の岡田准一。どちらもジャニーズ。

 そこにミスキャストの生じる癒着構造があるのではないか、とゲスのかんぐりをいれたくももなるのだが……。

 

〇イッセー尾形のいつもながらのオーバーな芝居にダメ出し

 老家老(鳥居忠吉)役のイッセー尾形は、NHK大河でいつも大袈裟な演技をし、浮いている。今回も「歯が抜けていて何をいっているのかわからない」という設定だが、オーバーすぎていて浮いてしまっている。

 演出家に抑える力がないのか、尾形が勝手にそのような演技にこだわるのか。シラケるのは私だけなのか。

 歯抜けになるとスース―いう音が混じるだけで、棋士の加藤一二三も歯抜けだが、何をいっているかはわからなくはない。

 

〇有村架純演じる瀬名姫は姉さん女房(8~10歳年上)

 家康が瀬名姫と結婚したのは16歳。そのとき瀬名は2426歳。

 一方、松本潤は現在39歳。有村架純は29歳。

 どちらも若づくりはしても、その年齢差には見えないところが苦しかった。

 (個人的には、演技力があり、笑顔が似合う有村架純は嫌いではない)

 

〇家康と築山殿がラブラブの関係であったようにNHKは描いたが、後に家康は、信長の命で築山殿を斬殺させることになる。そのシーンをどのように描くのか気になった。

 一般には、家康は、嫁に行き遅れた年上の娘を義元から無理やり押しつけられた、と解釈されてきた。

 ドラマとして面白くするのは、それでは都合が悪いとNHKは考えたのだろうか。

 

〇元康(家康に改名前の名前)と瀬名姫の夫婦関係

 今川の人質時代の家康は、元信、元康だ。

 (幼名)竹千代→(元服)元信→(結婚した頃、改名)元康

 元信・元康の「元」は今川義元の「元」。

 瀬名姫は、義元の姪で結婚後は築山殿(つきやまどの)と呼ばれことになる。

 義元が2人を政略結婚させたので、家康が彼女を好きだったかどうかはわからない。

 夜の結婚生活は、年齢差を考えると、築山殿がリードし、それがトラウマとなって、後に家康は後家や美醜を問わないようになったのではないか。私を含めて、そう考える人は決して少なくない。

 ただし、結婚前の2人の関係に触れた史料はなく、義元が人質家康をどのように扱ったかという細かい史料もないから、結婚前から好き合っていたいたとするNHKの解釈は間違いではない。

 

〇大高城への兵糧入れに成功した後、家康が弱気になって姿をくらまし、大高城のすぐ裏の海岸を1人さまよっていると、そこへ馬に乗った武将の槍で襲われ、その武将が本多平八郎忠勝だったというシーンは不要ではないのか? 

 家康が義元の死を知ったのは、桶狭間の戦いの翌日。それも夕刻。

 大高城を守っていた家康のところへ、放っていた密偵が戻ってきて、義元が桶狭間で殺されたと報告するが、家康は信じない。

 続いて敵方の織田勢ではあったが伯父からも手紙で「義元が信長に殺されたから逃げろ」と急を知らせてきたが、家康は密偵を放って調べさせ、それでようやく事態を知り、「さあ、どうする家康」となり、岡崎城へ向かうのが史実。

 今川勢は、あっちの砦、こっちの砦から逃げ、岡崎城からも逃げているとの報告を聞くと、家康は、有名なセリフを吐く。

 「捨て城ならば、拾わん」

 堂々と岡崎城に入城したのである。

 このあたりのことを描いてほしかった。そうすれば、家康の用心深さが伝わると思うのだが。

 ドラマなんだから、固いこといわずに、ま、いっか。(ん?次回?)

 ▼(手前みそコーナー)

 トコトン史実にこだわりたい人に、おすすめ! 事実は事実、ドラマはドラマという人にもおすすめの1冊!  

  Photo_20230108234601 Pop_20230108234701

(城島明彦)

« 「団塊の世代」なんて生ぬるい! 今じゃ「断崖の世代」だ、あとがない! | トップページ | ふざけてんの? 「どうする家康」はパロディ? ギャグ大河? どうするNHK! »