妄想・暴走・時空超絶の〝怪作〟家康やがな! デラおもろいでアカンわ! あんたも、大河ドラマ、いっぺん観たってちょう!
「どうする家康」の鬼採点! おどろき、ももの木、さんしょうの木、100点満点でどうなる?
▼おどろ記 第4話「清州でどうする」(1月29日)
この前、見逃した「どうする家康」の第3回を土曜日の再放送で観て、明くる日曜の夜には第4回を観ました。で、感想はというと、全体にかなりテンポが速いという印象でしたな。それだけじゃあ、おもしろくないというんで、採点してみました。
〇新説度 200点
家康には今川義元の姪(築山殿〈つきやまどの〉)という正室がおりましたが、NHK大河は「信長は、妹お市と家康を夫婦にさせようとしたが、成立せず」という〝びっくらぽん〟の新説を打ち出しましたぞ。当時は、同盟を結ぶと相手の息子や娘と結婚させて親戚になるのが普通でしたから、という理屈ですかな。
そういう想像自体はあってもよいでしょうが、『信長公記』などの記録には残っておらず、いかんせん、嘘っぽすぎますわな。その分、新鮮味というか、新説度は抜群!
家康と信長は、実際には、同盟を結んだ翌年(1563〈永禄6〉年)に、信長の長女(徳姫〈五徳〉)と家康の嫡男(竹千代)を婚約させました。幼すぎたので、実際に結婚するのは同盟から5年後の1567(永禄10)年。それでも新郎新婦はどちらも9歳と幼かったから、子どもが生まれるのは18歳になってから。ところが、徳姫が産んだのは女の子2人。
それを見て、姑のお大の方は「なぜ男児を産まぬのじゃ」と嫌味を言い続け、あげくの果てには、側室をあてがうのですな。こうして嫁姑問題は激しくなっていったというわけですな。
〇北川景子のブスメイク 80点
信長の妹で、〝絶世の美女〟といわれたお市の方を演じるは、その役にぴったりの北川景子だが、「えッこれが北川景子!?」という、普段よくみているお顔とあまりに違う〝ブスっちい顔だち〟で登場したので、あっと驚いた。これがすっぴん顔なのかい?
▽お市の方 家康は6歳から8歳(数え年)まで織田家に人質に取られていたが、お市が生まれたのは1547〈天文16〉年。家康が織田家に人質にとられた年なんですな。よって、家康6~8歳、お市1~3歳というのが歴史的事実。信長は1534(天文3)年生まれなので、お市は13歳年下の妹ということになりますな。
〇タイトルバック一新 85点
マンネリ打破の意気込みを買う! タイトルバックのチャレンジングな演出姿勢が伝わり、好感度。
〇「どうする家康」の不思議ロゴ 35点
まるまっちいロゴマークは「ダンゴムシ」に見えてコミカルすぎて違和感がある。意外性はあるが、デザイン的にはイマイチ。〝だんごむし家康〟は子どもには受けるかもしれませんなあ……。
10カウント「だるまさんがころんだ」に変えて、これからは「いえやすはだんごむし」ってぇのは、どうでっしゃろ? あかんか。
〇回想利用に新機軸 90点
NHK大河は幼少期から時系列で描くのが通例で、そのためにチンタラチンタラとなる悪弊を生んだが、それを廃して、幼少期などは「回想」という形で処理する手法を取ったのは、大進歩といえる。
〇今川義元のバカ遺児嫡男氏真(うじざね)が瀬名姫を手込め 15点
家康は、16歳のときに、義元の姪の瀬名姫(築山殿)を嫁にしたしたが、彼女は家康より推定8~10歳年長で、それから3年後の桶狭間の戦いの頃は25~27歳。
一方、「霞か、雲か、はた露か」の有村架純は29歳だが、役柄が家康の嫁の瀬名だけに、そんなに違和感はありませなんだ。
氏真は死んだ親(義元)も認めていた「暗愚」ではあったが、女に不自由はしておらず、♪カゴメ、カゴメ、籠のなかの鳥の人質の家康の嫁を手ごめにするなどということは、ありえないし、資料にもないし、NHKも描いてはならんのとちゃうのん。テレビは子どもかて観てるんやでぇ。
〇年齢詐称の大胆演出 -50点(大赤点!)
超低予算番組「孤独のグルメ」で一世を風靡した松重豊の「石川数正(かずまさ)」役、これはいけませんぞ。桶狭間の合戦当時の数正の年齢は27歳ですからな。
松重の実年齢は60歳で、どうみても青年には見えませんわな。
いつも平気でこういうことをやるのが、NHKの悪いくせだっちゅうの。視聴者を馬鹿にしてんのか? NHK党の意見は、どうや。
それはさておき、北川景子・松重豊共演の映画「ヒキタさん! ご懐妊ですよ」は面白かった。おススメですぞ。
〇ジャニーズとの癒着度 50点
岡田准一が信長役だが、折しも、キムタクが信長に扮した製作費22億円という超々々大作映画「レジェンド&バタフライ」がNHK大河放送の2日前の金曜日(1月27日)に公開された。大河の家康が松本潤、信長が岡田准一で、映画の信長がキムタクとなれば、いずれも(元)ジャニーズ。脚本が大河と同じ古沢良太という点も含めて、話題づくりを狙った〝あざとさ感〟も読み取れるわな。
岡田准一は、2014年のNHK大河「軍師官兵衛」で主演黒田官兵衛を演じた。(個人的な感想をいえば)そのイメージがいまだに強く、信長を演じても当時の姿とダブる。そういう人物を起用すれば、NHKとジャニーズの癒着を疑われかねない。
〇信長から〝白うさぎ〟呼ばわりされた 50点
秀吉は「猿」、家康は「狸」に対して、信長は「虎」か「狼」と呼ばれることが多いのですが、NHKは「織田家の人質時代の信長は14歳~16歳の悪ガキだったから、家康をイジメまくったに違いない」と解釈したようですな。しかし、いくら何でも8つも年下の幼児をぶん投げたり、とことんイジメたとは考えづらいですわな。
〇今川に義理をつくすか、悲願の独立かの描き方 65点
家康は義理堅い人。今川義元は人質家康に教育を施し、武芸の稽古も積ませたが、家康の初陣でも大高城への兵糧入れでも温情は見せず、下手をすれば命を落としかねなかった。家康の心中には「恩讐」の両面が拮抗してたのだ。家康は、義元が死ぬと家臣の待つ岡崎城へ帰るが、氏真には「桶狭間の復讐戦をせよ」と何度も迫っている。
そこが家康の義理堅いところだが、氏真のもとには依然として「妻子が人質として囚われている」という理由もあった。
信長が家康に同盟を呼びかけたのは、桶狭間の戦いから2年後である。
〇清州同盟締結で見せた信長の横暴な態度 50点
信長が父信秀の法要で位牌に香をつかんで投げつけたのは、19歳のとき。
その行ないを諫めようとして、教育係を務めた家老が自決した事件が起こるんです。でもって、さすがの〝野生児〟信長も猛省して、しばらくは行ないを慎んでいたのですが、やがてまた以前のような型破りな言動が戻ったといいます。
同盟締結についてですが、これは、家康が、桶狭間の戦いの前哨戦となった「大高城への兵糧入れ」で信長軍を圧倒したのを見て、敵に回すのは損だと考えたからでしてな。
信長の方から頭を下げて持ちかけた話なんですから、大河ドラマで描かれたような乱暴きわまりない接し方はしなかったと考えるのが常識です。つまり、対等の関係の同盟であり、そのとき29歳だった信長は21歳の家康に対して、年齢こそ8歳もへだたっていましたが、「徳川殿」「家康殿」と丁寧に接したはずです。
しかし、その対等の関係は、同盟を結んで年月が経つにつれて、家康が愚直でおとなしい忍従タイプであるのを見て、信長は次第に上位に立つようになっていったんですな。
そうはいっても、何ごとにも真剣に取り組む家康を尊敬する気持もあり、言葉遣いなどにも気をつかっていたようで何ですぞ。
〇家康の母(お大)の描き方が異常っぽい 65点
NHK大河では、家康の生母お大(於大の方)が「しゃしゃり出て」きて、家康にあれこれいわせましたが、そういう性格付けはどこから出てきたのかてぇと、家康の嫁になった信長の娘徳姫との嫁姑問題からでしょうかなあ。徳姫が父信長に手紙で嫁いびりの実情を訴え、信長は娘の言い分を聞き入れて、お大と徳姫の夫を殺すように家康に申し入れたことがありましてな。政治にあれこれ口を差し挟んだり、嫁をいびり倒す意地の悪い性格という描き方は、この事件に拠(よ)っているのでしょうな。
▼初夢速報! 戦国の三英傑が揃い踏みの「どうする家康」の番宣に、きれいどころの有村架純に北川景子に松嶋菜々子が、Tバックの後ろ姿で出血大サービスってか!
戦国の三英傑だけに、これがほんとの「三ええ尻(けつ)」やでぇ。
そんなケツ(けっ)たいな大サービスがあるわけないやろってか。
――史実とドラマとの違いは、拙著『家康の決断』を読んでもらったら、たちどころにわかるでなも。よろしゅう頼んますわ。
おいでやす、家康へ。やすうしときまっせ!
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