コロナ接種の4回目、5回目が進まないのは「イヤな思いをしたトラウマが原因」だ
遺伝子工学でコロナの変異を止められないのか?
「北海道で新種のコロナ罹患者(陽性)が過去最多を更新した」というニュースが流れ、国や都の諮問機関が「第8次の流行が今度のは怖い」などといって、接種率を増やそうと躍起になっているが、なぜ接種率が伸び悩んでいるかがをよく理解していないようだ。
私は、4回目の接種の案内を受けてから、4か月以上が経つが、接種したいと思わない。そういう気持ちにされられたのだ。
尾身会長以下、そういうことがわかっていないのではないのか。
私の場合、1回目、2回目は、個人病院で接種を受け、接し方にも満足だったが、3回目のときはその医院では受け付けられないシステムに変わったそうで、離れたところにある別の大きな総合病院へ行くことになった。
その結果、「医学生なのか、インターン中なのか、いずれにしろアルバイトっぽい」と思える若い医師に、流れ作業的な乱暴な注射の仕方をされ、不快な思いをした。肩のかなり上のズブリと注射され、その間、不快そうな顔をし、まったく無言だった。
他に人がいなかったら、そいつを蹴倒してやっただろう、それくらいイヤな思いをした。
しかも、1回目や2回目では副反応は大したことはなかったが、3回目に初めて副反応がひどくなった。そんな体験をしたら、4回目、5回目は、もっとひどい副反応が出るのではないか。誰もがそう思うに違いない
そういう経験をした人がかなりいるのではないか。
4回、5回と進んで接種を受けに行く人は、そのような不快な目に遭わなかったラッキーな人だ。
医は仁術。医師は、ただ治療するだけの職業ではない。コロナ禍で身を粉にして働いている医師・看護婦の姿には頭が下がったが、そういう人たちの〝聖なる医療行為〟に水を差している〝悪質な医師〟の存在が見落とされていることを忘れてはならない。
疲れていても患者にイヤな顔を見せるな。それができないなら、医者をやめろ。
そういうやつらは、医師の心得を説いた江戸時代の医師緒方洪庵(おがたこうあん)の「扶氏(ふし)医戒の略」12箇条を無視しているか、ちゃんと理解できていないに違いない。洪庵は、大坂の適塾」で教え、福沢諭吉はそこの出身だ。適塾は、今の阪大医学部の前身だ。福沢が北里柴三郎を支援したのは、そういう履歴と関係が深く、緒方の教えは福沢を通じて慶應病院の医師らにも受け継がれているはずだ。
カネで私大の医学部に入学した連中なのか、そういう基本的なことさえわきまえていない若造の医師が目に付く。
厚労省や市区町村の広報も、そういうチェックをしていないのではないか。
尾身会長も、4回目、5回目の注射を受けた人が少ない理由が、そういうところにあるなどとは、考えたこともないのではないか。
私が4回目の接種に行かなかったのは、来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の便乗本『家康の決断』を執筆中だったこともある。
そういう時期に接種を受けて、3回目のようなひどい状態になったら、発売日の11月22日までに執筆を終えられなくなると思ったからだ。
普通なら、執筆期間中の万が一のコロナ罹患を防ぐために、進んで4回目の接種に行くはずが、現実はその逆、安全のために接種を拒んだのだ。つまり、ひどかった3回目の副反応が完全にトラウマになっていたのだ。
遺伝子工学で遺伝子を操作をしてウイルスの変異・暴走を食い止められないのだろうか。
予防薬の開発より、そっちを早くやった方がいいのではないか。
(城島明彦)
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