気がつけば、後期高齢者
「ジジイ」の深化論、じゃなかった、「ジジイのイジイジ論」ですな
60歳になったとき、「世間から見たら、もう老人なんだ」と思った。
70歳になったとき、「急坂を登るのがだんだんきつくなった」と感じた。
75歳になって運転免許の更新会場に行き、集まったジジババを見て、「こいつらと同類か」と嘆いた。
そしてまた1年。ジジイになればなるほど、歳月が早く流れます。
髪の毛は黒くても、てっぺんが次第次第に〝スケソーダラ現象化〟しつつあるのを知って、愕然。
「これが老化ということか」と実感しつつも、
「ろうか、よろしくおねがいします」
と、ダジャレをつぶやくオイラは、痴呆症一歩手前か。
♪ 踊る痴呆に、観る痴呆、同じ痴呆なら、踊らにゃソンソン
「痴呆といってはいけません。認知です」
という苦言の幻聴がする今日この頃であります。
「ん? 妊娠? 男に妊娠はなかろう」
と、ボケかましつつ、「認知」という言葉をいまだに認知できないオイラだっちゅうの。
「妊娠したので、認知してってか。ん? その認知じゃない?」
しゃ~けんど、オイラはまだ仕事してる現役として世間的に認知してもらってます。
「去年も今年も本を書いてますもんね。来年の大河ドラマ『どうする家康』便乗本をしっかり書きましたけんね」
とはいえ、書いているときに何度も思ったのは、若い頃のように馬力もパワーもガタ落ちだっちゅうこと。
スクワットに腕立て伏せ、竹踏みをしてるのに、てんで無理がきかなくなりやした。
それでも、気分が乗って、筆が走ってくると、
「よっしゃあ、今日は徹夜してやるぞ」
と気張ったところ、その日から昼夜逆転で、体調不良に。
で、その後しばらくは、まともに寝られなくなり、仕事の効率はガタ落ちで、
「これが、老化なのか」
と思い知る始末。
要するに、「無理がきかない」。
さよう、これが老化なんですな。
秋深し 隣はイモを ふかしてる だけどオイラは 屁をこきまくり
谷崎潤一郎もびっくりの、これがほんとの『プ~テン老人日記』だっちゅうの。
そんな情けない日々でございます。
(城島明彦)
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