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2022/11/24

〝ドーハの奇跡〟を祝して! ワールドカップ版「新・ドレミの歌」

 ♪ド~はド~ハのド ♪ド~は堂安のド

 

▼元歌「ドレミの歌」(ペギー葉山作詞)

 ♪ドはドーナツのド ♪レはレモンのレ ♪ミはみんなのみ 

 ♪ファはファイトのファ ♪ソは青い空 ♪ラはラッパのラ

 ♪シは幸せよ ♪さぁ歌いましょう ♪ ランランラン

 

💛ワールドカップ・ドイツ打倒版「ドレミの歌」

【1番】

 ♪ドはドーハのド ♪レは歴史的のレ ♪見たかドイツのミ 

 ♪ファはファンファーレのファ ♪ソは底力 ♪ラは楽勝のラ 

 ♪シは死んだふり前半  ♪さぁ歌いましょう ♪ ランランラン

2番】

 ♪ドは堂安のド ♪レは冷静浅野のレ ♪ミは見事のミ 

 ♪ファはファン泣かすのファ ♪ソは総力だ ♪ラはラッキーのラ

 ♪シは勝利だよ ♪さぁ歌いましょう ♪ ランランラン

 

 ギャグる門には福来る、ってか。みなさんも、ひとつ、どうです? 

(城島明彦)

元大関朝乃山が、幕下力士相手にまた負けた。精神面に致命的弱点があるのか?

精神面に不安定すぎる。どっしりしているのは体格だけか? 

 

 対戦相手をまったく相手にしない相撲を取って当たり前なのに、負けた。

 「油断した」という言い訳は通用しない。

 心と体に隙があったから負けたのだ。

 先場所も1敗して優勝できず、十両昇進が成らなかった。

 今場所はすでに勝ち越しているので、来場所の十両昇進=関取復帰は確定しているが、陥落以降は全部勝って当たり前

 そう思っていた相撲ファンは多かったから、落胆しているのではないか。

 今の大関には不甲斐ない連中が多いから、朝乃山には大きな期待が寄せられている。

 そういう声に応えられるように、褌(ふんどし)を引き締め、いや、まわしを固くきつく締めて、来場所こそ、ぶっちぎりの強さを発揮して15戦全勝で十両優勝してもらいたいものだ。

 格下相手に負けた理由は、朝乃山自身が痛感しているだろうから、来年の初場所以降は、二度と同じ過ちをしないようにするだけだ。

 来年のNHK大河ドラマの主人公は徳川家康だが、家康は同じ過ちを二度繰り返すことはなく、戦う相手に自分が苦しめられた戦い方をして、ついに天下を取ったのである。

 「朝乃山は、格下相手に不覚を取った痛恨の体験を相撲に活かした」

 と誰もが感じるようになったとき、朝乃山は大関に復帰し、横綱を目指せる大器に成長したといえるだろう。

(城島明彦)

2022/11/22

拙著『家康の決断』。来年の大河ドラマ「どうする家康」の便乗本、本日発売! 

決断には大中小があり、「今日はどの服を着ようか」と迷う「選択」も決断の一種だ

 

 出版物に「商機」という言葉を当てはめると、 NHK大河ドラマ「どうする家康」が放送される来年は「家康もの」の本がそれにあたる。

 現在、出版社はどこもかしこも不況にあえいでいるので、「家康もので稼ごう」と考え、その結果、似たような本が続々と発売され、過当競争が起き、共倒れになることが多い。 

 私も声をかけてもらったので「家康もの」を執筆し、本日発売と相成った次第。

 題して『家康の決断』。

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 気取っていうと、「NHK大河ドラマ関連本」、早い話が「NHK大河便乗本」。

 本書のミソは、年代別(10代、20代、……60代・70代)に章立てした点だ。現時点で、こういう書き方をした家康本は出ていないから、以後、その手の本が出たら「拙著をまねた」ということになる。早い者勝ちである。

 吉田松陰(松陰の妹を主役にした「花燃ゆ」2015年)、西郷隆盛(林真理子原作の「西郷〈せご〉どん」2018年)、渋沢栄一に続いて、この家康本で、私のNHK大河ドラマ便乗本は4冊目になる。

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 吉田松陰のことを書いた拙著は『吉田松陰「留魂録」』(「留魂録」は松陰が処刑される前夜に書き残した遺書)で、この本はかなり売れ、今も読まれている。松陰を演じた伊勢谷友介が、劇中、妙な演技をするので「どういう解釈をしているのか、おかしな奴だ」と思っていたら、その後、大麻で逮捕され、ミソをつけた。

 西郷隆盛本は、「面白い。売れたでしょう」とよくいわれ、テレビ番組にも出演したが、あまり売れなかった。

 

 渋沢栄一のことを書いた拙著は新書で、日本の近代化を阻害しているのは『論語』といって徹底的に『論語』を排斥した福沢諭吉に対し、渋沢栄一は『論語』を崇拝し、バイブルとして愛用していた。その両者の違いを対比して論じ、そのような見方をした本は過去現在を通じて1冊もなく、目のつけどころはよかったが、二兎を追ったせいか、あまり売れなかった。拙著発売後、岩崎弥太郎と渋沢栄一を比較した本が出たが、そちらの方は売れたようだ。拙著でも岩崎弥太郎と福沢・渋沢の対比を論じていたが、一部に過ぎなかった。
 なかには『福沢諭吉と渋沢栄一』を面白いと思ってくれた人もいて、中学受験予備校の模擬テストに使ってくれた。その問題は、後日、紹介する。 

 ついでに、時代ものの拙著を紹介。

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 本日のところは、ここまで。拙著発売の告知でした。

(城島明彦)

2022/11/18

閣僚は統一教会とべったり、海域は北朝鮮や中国に威嚇されっぱなし、物価は高騰しっぱなし……こんな日本に誰がした

 いつの間にか、暮らしにくい国になった日本

 かつては世界を震撼させるほど働きまくった日本人が、いまじゃ、一見、のんびり優雅に働いている。
 そんな日本に、北朝鮮はやりたい放題だ。ICBMは撃ち放題。拉致した日本人を返そうともしない。

 そのつど日本政府が発するコメントは、バカの一つ覚えとしかおもえない「遺憾」「厳重抗議」だとさ。

 排他的経済水域内に北朝鮮のICBMが撃ち込まれ、中国の無人航空機が領空を飛び、ロシアの軍艦が津軽海峡を通過しても、ぼんやり見ているだけ。

 経済力にしたって、どんどん低下している。

 かつての日本の国力は、どこへいったのか。

 政治家も官僚も経済学者も経営者も、私欲を捨てて、国のためになることを、もっと目に見える形でやらんかい!

 (城島明彦)

 

 

 

 

2022/11/17

窓を開けて寝たら風邪をひいた

気がつけば、冬の一歩手前。古い映画を見て過ごす日々。

 

 年を取ると、ボ~ッとするのは頭だけじゃありません。

 体もですわ。

 若いつもりで、風呂上がりにパンツ一枚、ランニングシャツ一枚で寝込んでしまい、寒くて目を覚ますと、明け方だった。

 男なのにオカンや。寒気がし、くしゃみ連発ですがな。

 その後、発熱、胃やら腸やらが痛くなり、下痢したので、もしかしたらコロナと思った。

 しかし、オイラはしぶとい。ただの風邪だった。

 安い風邪薬と正露丸で、熱も腹痛を撃退だ。というと、聞こえはいいが、シンドイ思いをした。

 若い頃なら1日寝ればケロッと治る病気も、年を取ると抵抗力や回復力が低下するせいか、3日もかかった。

 

 ベッドに寝ていたが、退屈なので、you tubeにアップされている古い名作映画を片っ端から見た。

 東映映画あり、松竹映画あり、東宝映画あり、大映映画あり、新東宝映画あり。

 〝100万ドルのエクボ〟といわれていた20代の頃の音羽信子は、きれいでしたな。

 淡島千景のデビュー作「てんやわんや」は、おかしな映画ですなあ。

 結婚を噂されたながら破局した葉山良二と芦川いづみのラブロマンス映画も捨てがたい。

 今風の美人顔だった若き日の北原三枝、美少女時代の吉永小百合が主演する映画は、数えきれませんぞ。
 大映の看板女優山本富士子と菅原謙二の恋愛映画、同じく大映の叶順子主演の恋愛映画も、なかなかなもんでしてな。

 結婚前の田宮二郎と藤由紀子の産業スパイ映画も、面白いですぞ。

   片岡千恵蔵の近藤勇は、「パッツ」という例の息継ぎが懐かしいですな。

 いやいや、懐かしの銀幕スターたちは、時の経つのを忘れさせてくれますなあ。 

 テレビ番組がくだらなさすぎるおかげで、古い映画鑑賞に明け暮れる日々ですわ。

 

 だが、どう考えても、著作権を無視した代物で、画質があまり良くないものが多いが、ただで観られるのだから文句はいえない。

 東宝映画の助監督をしていた若い頃は、カメラアングルとか、カットつなぎとか、専門的なことが気になったが、今はスジを楽しむだけ。

 you tubeに飽きると、アマゾンのプライムビデオの1950年代から1960年代の日活映画を観て過ごした。

 古い映画を好んで観るのは、当時の銀座や横浜の街や店や風景がどうだったかがわかるからだ。

 

 オイラ、酒が飲めんのでなあ。

 人が苦労してつくったものを、コーラやコーヒーを飲み、センベイをかじりながら、

 「映画なんて、自分でつくるもんじゃない」

 などと、時には毒づいたりもする。

 家で、好きな時間に好きなだけ、映画を見られるなんて、いい時代になりましたなあ

 だるまさんがころんだ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10

 オイラもあんたもパー 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10

 (城島明彦)

 

2022/11/14

〝栃若時代〟の映画『土俵の鬼 若ノ花物語』(1956年12月公開)を観た

子どもの頃、観たくても見られなかった映画『若ノ花物語』をアマゾンのプライムビデオで観た

 

 劇中、若ノ花の実際の取り組みが出てきた。

 横綱の吉葉山、鏡里、大関の朝潮、松登、大内山をはじめ、安念山、成山、鶴ヶ峰、宮錦といった懐かしい力士との対戦が見られ、面白かった。

 その取り組みのなかには、かの有名な大技「呼び戻し」もあって、「おお、これこれ」と思ったものだ。

 映画を見て、もう一つ思い出したのは、若ノ花自転車で花籠部屋と自宅を往復していたこと。こういうことも、当時の相撲大好き少年はよく知っていた。

 すっかり忘れていたのは、若の花と栃錦が水入り2回の大相撲になったが、最初の水入りの際、栃若が相手の健闘を讃えるかのように互いに微笑んでいたことと、次の取り組みの後で、再開したということ。

 日活映画では、若い頃の若ノ花は青山恭二、花籠親方は坂東好太郎だが、若ノ花という四股名(しこな)は親方が大ノ海を名乗る前の四股名だったということも劇中で語られる。

 

 映画では、奥さん役が北原三枝、いわずと知れた〝昭和の大スター〟石原裕次郎の奥さんだ。

 当時の相撲少年は、皆、若ノ花の長男勝男くんが、ちゃんこ鍋をひっくり返して大やけどを負い、死んでしまったが、それでも出場し、土俵に上がる前まで首に数珠をかけていたといったエピソードなどは、漫画雑誌の記事を通じて、よく知っていた。

 昭和30年代の少年たちが夢中になったのは、相撲、野球、プロレスで、当時、「怒涛の男 力道山物語」(1955年東映)、「鉄腕投手 稲尾物語」(1959年東宝)などの〝スポ根(こん)〟映画は結構つくられ、いっぱいあった漫画誌は競って人気力士や選手の物語を別冊付録につけたものだった。

 力道山の映画は少年の頃、夏休みに商店街の空き地で無料上映されたときに観た。そして、それから半世紀以上も経った2年ほど前にプライムビデオで改めて観たが、いくつかのシーンを間違いなく記憶していたことがわかって、郷愁にひたった。

 力道山は、セリフ回しもうまかったが、日頃から無口な若ノ花はうまくなく、その点を考慮したのか、せりふはすくなかった。

 私は、小学生時代、相撲が強かったこともあって、化粧まわしをつけた力士のブロマイドを集めていて、ある日、学校へもって行って友だちに見せびらかしていたところ、先生に取り上げられ、返してもらえずなかった。小学1年生から4年生までコツコツと集めたので、100枚は越えていたのではないか。

 その先生のことは好きだったが、プロマイドを返してくれなかったそのことだけはいまだに不満に思っている。
 他人から見れば、どうということのない出来事も、当人にとっては、生涯、忘れられない重大な出来事なのだ。

 思い出とは、そういうものなのではないだろうか。

 (城島明彦)

2022/11/13

白装束に顔を隠す長い髪――大相撲九州場所初日、観客席に一瞬、あの〝貞子〟が映った!?

あれは誰だったのか? 本日から始まった大相撲11月場所(九州場所)

 

 若元春と翠富士の勝負が始まる寸前、実況するNHKテレビの映像に、観客席にいた「長い髪が顔を覆った、うつむき加減の白装束の若い女」の姿を映し出した。

 若元春(東前頭4枚目)は、来場所の大関がかかった若隆景(東関脇)の実兄。その若隆景は高安(東前頭筆頭)に負けた

 両者の勝負は、翠富士が勝ったが、その女が気になって、その後も、勝負そっちのけで、観客席を注視していたが、その女の姿を見つけることはできなかった。 

 あれは、何だったのか?

 (城島明彦)



2022/11/12

コロナ接種の4回目、5回目が進まないのは「イヤな思いをしたトラウマが原因」だ

遺伝子工学でコロナの変異を止められないのか? 

 

 「北海道で新種のコロナ罹患者(陽性)が過去最多を更新した」というニュースが流れ、国や都の諮問機関が「第8次の流行が今度のは怖い」などといって、接種率を増やそうと躍起になっているが、なぜ接種率が伸び悩んでいるかがをよく理解していないようだ。

 私は、4回目の接種の案内を受けてから、4か月以上が経つが、接種したいと思わないそういう気持ちにされられたのだ。

 尾身会長以下、そういうことがわかっていないのではないのか。

 

 私の場合、1回目、2回目は、個人病院で接種を受け、接し方にも満足だったが、3回目のときはその医院では受け付けられないシステムに変わったそうで、離れたところにある別の大きな総合病院へ行くことになった。

 その結果、「医学生なのか、インターン中なのか、いずれにしろアルバイトっぽい」と思える若い医師に、流れ作業的な乱暴な注射の仕方をされ、不快な思いをした。肩のかなり上のズブリと注射され、その間、不快そうな顔をし、まったく無言だった。

 他に人がいなかったら、そいつを蹴倒してやっただろう、それくらいイヤな思いをした。

 しかも、1回目や2回目では副反応は大したことはなかったが、3回目に初めて副反応がひどくなったそんな体験をしたら、4回目、5回目は、もっとひどい副反応が出るのではないか。誰もがそう思うに違いない

 そういう経験をした人がかなりいるのではないか。

 4回、5回と進んで接種を受けに行く人は、そのような不快な目に遭わなかったラッキーな人だ。

 

 医は仁術。医師は、ただ治療するだけの職業ではないコロナ禍で身を粉にして働いている医師・看護婦の姿には頭が下がったが、そういう人たちの〝聖なる医療行為〟に水を差している〝悪質な医師〟の存在が見落とされていることを忘れてはならない

 疲れていても患者にイヤな顔を見せるな。それができないなら、医者をやめろ。

そういうやつらは、医師の心得を説いた江戸時代の医師緒方洪庵(おがたこうあん)「扶氏(ふし)医戒の略」12箇条を無視しているか、ちゃんと理解できていないに違いない。洪庵は、大坂の適塾」で教え、福沢諭吉はそこの出身だ。適塾は、今の阪大医学部の前身だ。福沢が北里柴三郎を支援したのは、そういう履歴と関係が深く、緒方の教えは福沢を通じて慶應病院の医師らにも受け継がれているはずだ。

 カネで私大の医学部に入学した連中なのか、そういう基本的なことさえわきまえていない若造の医師が目に付く。

 厚労省や市区町村の広報も、そういうチェックをしていないのではないか。

 尾身会長も、4回目、5回目の注射を受けた人が少ない理由が、そういうところにあるなどとは、考えたこともないのではないか。

 

 私が4回目の接種に行かなかったのは、来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の便乗本『家康の決断』を執筆中だったこともある。

 そういう時期に接種を受けて、3回目のようなひどい状態になったら、発売日の11月22日までに執筆を終えられなくなると思ったからだ。

 普通なら、執筆期間中の万が一のコロナ罹患を防ぐために、進んで4回目の接種に行くはずが、現実はその逆、安全のために接種を拒んだのだ。つまり、ひどかった3回目の副反応が完全にトラウマになっていたのだ。

 

 遺伝子工学で遺伝子を操作をしてウイルスの変異・暴走を食い止められないのだろうか。

 予防薬の開発より、そっちを早くやった方がいいのではないか。

 (城島明彦)

2022/11/10

小春日和とコスモス

少し肌寒く感じられるような秋風が好き! 

 なんて言い方は、乙女チックで、後期高齢者のオイラには不似合いだが、

 そんなことをいいたくなるような、今の気候、天候は、しのぎやすくて、いいですなぁ。

 何といっても、湿気がないのがいいですな。どうも、失敬なんちゃって。

 いいですといえば、イーデス・ハンソンはどうしたんやろ。

 この時期、目に触れるのは、赤、白、ピンクの花をつけたコスモスですな。

 コスモスといえば、トリコモナスじゃなかった、cosmos宇宙ですか。壮大ですなぁ。

 宇宙といえば、昔なら国定忠治(くにさだちゅうじ)、まぢかなところでは皆既月食でしたな。

 日本語じゃあ、秋桜ですか。美しい字づらですな。

 芝桜ってのもありますなぁ。お客さん、柴漬けはどうどす?

 

 柴漬けといやぁ、京都大原の柴漬けが浮かびますが、コスモスでオイラの頭に真っ先に思い浮かぶのは、

 F1グランプリを取材にいったときの鈴鹿のコスモスなんよ。

 アイルトン・セナが生きていた頃の話だっちゅうの。古いでっしゃろ。

 白子駅から鈴鹿サーキットへ向かう道の脇の空き地にいっぱい咲いていたのが、印象的だったんよ。

 あの頃のホンダ・エンジンはぶっちぎりの速さだった。

 中嶋悟さん、お元気ですか。ホンダ・エンジンで、1・2・3・4(ワン・ツー・スリー・フォー)。神わざでしたな。

 

 晩秋から初秋にかけて、ぽかぽかと温かい日を小さな春のようだという意味で「小春日和(こはるびより)といいますが、

 中学生くらいまでは、小春日和は春のことで、

  「小さな春って、どんな春だろう」と思っていた。

 ♪ ちいさい秋 ちいさい秋 見つけた

 っていう唱歌はあるが、

 「でっかい春、大きな春って何だろう?」

 「じゃあ、売春は、なぜ春を売るなのか?」

 売春はいけませんぞ、売春は。売春にアンパンチッ! バイバイ、しゅ~ん。

 

 「青い春が青春」というのは、なんとなくわかったが、「白い秋が白秋」というのは、よくわからなかった。

 北原白秋とハクション大魔王の関係について述べよ。

 いやいや、思春期の少年にとっては、世の中、わからないことが多すぎた。

 くしゃみ(苦沙弥)センセイ、おせえて! 

 「少年老い易く、学成りがたし」と聞いて、膝が少しだけガクッとなった? んなわけないか。

 小春と大春の謎が解けたのは、トイレに入ったときだった。

 大をするとき、なぜか小も出る。そうか、大は小を兼ねる。これだったんだ。

 くしゃみ3回、ルル3錠! ル~ルルルル~ 夜明けのスキャットさわやかコカ・コーラ。

 ん? 意味がわかんねえってか? いってるオイラもわからないのだから、ほかの人にわかるわきゃナイジェリア。

 でもって、小春日和だ、鼻歌でもどうどす?

 ♪ 京都 大春 三千院 

 (城島明彦)

 

2022/11/09

骨折り損の くたびれ儲け

王子まで1時間以上かけてシイの実を拾いに行ったが、収穫ゼロ

 

 現地へ行くまでは、オイラは、気分ウキウキ。

 昭和30年代にヒットした「お~い、中村君」のダジャレ版を口ずさんでいた。

 ♪王子 中村君 ちょいと待ちたまえ 

 (以下、本歌のおまけ) いかに新婚ほやほやだとて 伝書鳩でもあるまいものを たまにゃ付き合え いいじゃないか 中村君

 

 何年か前に飛鳥山公園へ行ったとき、どっさりシイの実が落ちている場所を発見。それでオイラ、病みつきに。

 同公園には、SLが置いてある場所の近くに大きなシイの木が一本あるが、そこは子ども連れが多くてダメ。

 誘導円木(ゆうどうえんぼく、僕、知ってる?)やブランコがそばにあり、子どもがいっぱい集まる場所だから、落ち着いて拾えない。

 その点、秘密の場所を見つけ、喜んでいたが、1昨年に行ってみると、茫然自失(ぼうぜんじしつ)僕、痔疾(じしつ)

 不思議なことに、シイの実は1個も落ちていなかったのだ。

 今年も、また同じだった。

 「そんな馬鹿な」

 と、ひとりごとをいいながら、枯れ枝を手にして落ち葉を掻きのけてみると、あゝ、何たることか。

 雨に濡れて変色した2年か3年くらい前のものしか見つからないじゃありませんか。

 

 昨年は、シイの実が落ちる時期に仕事が重なって行けなかった。

 「今年は、いっぱい落ちるのではないか」

  と、夏ごろから期待に胸を弾ませていたのだが、まったく落ちていなかった。

 ダジャレ好きだったソニーの創業者井深大(いぶか まさる)が麻雀をしながら放った一発、

 「額が落ちて、がく然とした」

 オイラの気持ちは、まさにそれ。

 誰かが一個残らず拾ったのか? まさか、そんなもの好き者はおるまい。

 

 飛鳥山は、江戸時代からの桜の名所なので、春はにぎわうが、ふだんも、やってくる人は結構いる。

 年は取りたくないもの。小便したくなり、「音無川(おとなしがわ。石神井川)へ向かって」と思ったが、人目が気になり、物陰で立ちションした。

 外で小便をする楽しさは、男の特権だろうね。

 実は、ン十年前に、飛鳥山でアジサイの陰に隠れてBIGウンチをテンコ盛りにしたことがある。

 外ですると、爽快そのもの、うんと出るから不思議だね。

 ひと際よく育っているアジサイが、それだよ。いや、うん悪く枯れてしまったか。

 警官が見ていたら、立小便はアウトだが、座りウンチの場合はどうなるのか。

 もし、あのとき警官に見つかって尋問され、オイラが「出物腫物(でものはれもの)ところ嫌わず」と口答えしていたら、どうなっていたか。

 そんなことを想った静かな静かな秋の1日でありました。

 「ああ嫌だ、ジジイはこれだからイヤだ」

 というレディの声が、どこからか聞こえてきそうな皆既月食の夜のことでございました。

 (城島明彦) 

 

2022/11/07

ほんとうにあった怖くて不思議な話

いつも通る坂道を下ったところに統一教会がある

 

 建物の脇を谷川が流れ、橋が架かっている。川の底まではかなり深いが、水量は少ない。そんな堀川だ。

 教会の建物の前は道路に面した駐車スペースになっており、普段は夜間でも12台の車が駐車しているが、この日はゼロ。

 今日の夜、友人と会った帰りに、その前を通ると、入り口の扉に何やら張り紙がしてあった。

 一度は、通り過ぎたが、時節柄、気になって近づいてみると、

 「取材には答えない」「信者にあれこれいわないでほしい」

 といった内容のことが書いてあった。

 

 「へえ、そうなんだ。ここらへも取材に来るんだ」

 と思った。

 

 この話は、これで終わりで、以下は、数年前の夏の話。

 ベランダの方から妙な声がしたので、覗いてみると、インコが人の声をまねているのだった。

 よく聞くと、

 「芦田愛菜だよ、芦田愛菜だよ

 と繰り返しいうので、こちらも同じように、

 「芦田愛菜だよ、芦田愛菜だよ

 と甲高い声で真似してやると、

 「へたくそ、へたくそ」

 といったので、思わず笑ってしまった。

 手を伸ばすと飛び乗って、腕を伝って肩に乗った後、飛んで行った。

 

 それからしばらくたって、統一教会の前を通ると、聞き覚えのある

 「芦田愛菜だよ、芦田愛菜だよ

 という声が聞こえたので、足を止めた。

 あたりを見回しても姿が見えないので不思議に思っていると、また、

 「芦田愛菜だよ、芦田愛菜だよ

 という声がした。

 駐車場に止まっていた車の窓が開いていて、後部シートの鳥かごで物まねしているのだった。

 「あのときのインコに違いない」

 と思ったとたん、いたずら心が湧いてきたので、物まねを返してやった。

芦田愛菜だよ、芦田愛菜だよ

 すると、インコは、

 「へたくそ、へたくそ

 というので、私は新しい言葉を教えてやった。

 「淳子だよ、桜田淳子だよ

 と、56回繰り返すと、そのインコはすぐに覚え、

 「淳子だよ、桜田淳子だよ

 と、上手に物まねした。

 私はパチパチと拍手をしながら、悪乗りして歌を歌った。

  「♪ようこそ ここへ クッククック わたしの青い鳥

 インコは、目をパチクリさせながら興味深く聞いていたので、さらに繰り返そうした。

 ところが、その直後に協会のドアが開いたので、あわててその場を離れた。

 少し歩いて、うしろを振り返ると、老年の女性が車に乗り込むところだった。

 それから何年か経ったが、あのインコと会うことはなかった。

 

 今度会ったら、教える言葉は決めてある。

 「岸田さんも、大変だね。統一教会、統一教会

 (城島明彦)

「達磨さんが転んだ」略して〝だるころ〟第3弾! 応用遊びで国語力アップ!

 だるまさんがころんだ

 と指折り数えると10になる。

 かくれんぼするときの数え言葉でよく知られているのは、

 関西では「坊さんが屁をこいた」や「天神さんの紅葉(もみじ」だよ。

 バラの花が咲いたね

 きれいな満月だな

 でもいいわけだ。

 

 要するに、全部で10文字のストーリーをつくればいいだけの話。

 シンデレラ死んでれら

 ママがパパをしか(叱)った

 だるまさんがクソたれた

 パンツのゴムがゆるい

 おっさんがまた(股)かいた

 

 おうてんもん(応天門)が焼けた  ※歴史上の事件

 けんとうしははいしだ(遣唐使は廃止だ) ※歴史上の事件

 ジイさんがクソたれた

 うんちブリブリでたよ

 キンタマかゆくないか

 

 だんだん下品になってきたので、もうやめるね。

 よい子のみんなは、こんな下品なことをいっちゃあだめだよ。

 (城島明彦)

2022/11/06

だるまさんは、なぜ10で転ぶのか

だるまさんは、実在したお坊さん「達磨大師」(だるまだいし)だよ。

 

 達磨大師は、インドから中国へ仏教を伝えた人、つまりインド人だね。

 時代的には、6世紀前半の出来事。

 修業した場所は、崇山(こうざん)の少林寺(しょうりんじ)だよ。

  ♪京都 大原三千院  ⇒寄付については、♪京都 大原さん全員

  ♪中国 崇山少林寺

 日本に仏教が伝わったのは「ご参拝説」と「午後に説」の2説があるぞ。

  538年=仏教伝来、ごさんぱい 

  552年=仏は午後に百済から

 聖徳太子のコックさん(593年、聖徳太子、摂政となる。そんな殺生〈せっしょう〉な!)の時代と近いよね。

 

 さて、達磨大師で有名なエピソードといえば、「面壁(めんぺき)9年」だね。

 ♪ 母は来ました 今日も来た で始まるナツメロは「岸壁の母

 それに対し、達磨大使の場合は、「面壁の父」ってところかな。

 そんなことはどうでもいいけど、赤ん坊のときに、ずっと上向きに寝かされたせいで、後頭部がまっすぐになったのは?

 そう、「絶壁の頭」

 それは冗談で、ジャルダンはフランス語で庭。

 おっと、脱線しちまったよ、達磨大師の話じゃった。

 達磨大使はね、来る日も来る日も洞窟にこもって、洞窟の壁に向かって座禅を組んで、瞑想にふけったのじゃ。

 1年、2年、3年、4年、5年、6年、7年、8年、9年

 そうじゃ、9年が過ぎようとしたまさにその日に、ハッと閃いたのじゃ。

 そう、悟りを開いただよ。

 達磨大師は、かッと目を見開いて、喜びの雄たけびをあげた!

 「やった~っ」

 そして勢いよく立ち上ろうとしたのだが、あまりにも長い間、不動の姿勢を続けていたので、手足が動かなくなっていた

 でもって、転んだのじゃな。

 何ということか、転んだのは、座禅を組んでからちょうど10年目という大きな節目じゃった。 

 達磨大師は、足がしびれているので転んだが、起きることを諦めなかった。

 しかし、起き上がってもすぐに、また転んだ、

 達磨大師の健康を気づかって、毎日毎日、ようすを見に来ていた村人たちは、声をそろえていった。

 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10!

 だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ! 

 そんな達磨大師の「なにくそ精神」を刺激しようと、村人たちの大合唱が始まった。

 「だるまさんが転んだ!」

 達磨大師は、数をかぞえながら起き上がろうとした。

 1・2・3・4・5・6・7・8・9

 しかし、10まで数えたところで、また転んだ

 「だるまさんが転んだ!」

 何度やっても、同じことの繰り返し。

 村人たちの声は悲鳴に変わったが、どんぐりまなこの達磨大師の目は、

 「人間、あきらめてはいかん

 そう語っていた。

 1・2・3・4・5・6・7・8・9

 「だるまさんが転んだ! また10で転んだ

 そういうことを繰り返しているうちに、とうとう達磨大師は起き上がった。

 「だるまさんが、7回転んで8回目に起き上がったぞ!

 これが「七転八起」(ななころびやおき)だっちゅうの。

 (城島明彦)

2022/11/05

おせーて、岸田総理! わかったようで、わからない「新資本主義」って何ですの?

おせーて、岸田総理! 日本が圧倒的に世界をリードしている産業って、何と何と何?

 

 その話をする前に、チコちゃんが出てくるNHKの再放送を今朝、ぼ~っと見てたら、

 子どもの頃、「かくれんぼ」したときに10までの数え方を、

 「だるまさんがころんだ

 が全国的だが、大阪では、

 「坊さんが屁をこいた

 といっていた。

 それだけとちゃうでぇ!

 「天神さんの紅葉」(てんじんさんのもみじ)も1~10までの数え方でっせ。

 もっと、ちゃんと調べんかい!

 

 車? トヨタやホンダは頑張っているが、ドイツのメルセデスに勝っているとはいえんわな。

 ITにしたって、アメリカだけでなく、インドに負けてるしね。

   ソフトバンクにしたって、楽天にしたって、所詮、アメリカの真似だものね。  

 年を取ると、だんだんプッツンしがちになる。

 安倍元総理も、ときどきプッツンしてたよね。

 けど、岸田総理は、気が長いちゅうか、穏やかな性格なのか、プッツンしないから、エライ!

 と、ほめ殺しておいて、「新資本主義」についての質問だす。

 

 電気製品で日本がアメリカに圧勝してた頃は、日本製のラジカセをハンマーでぶっ壊した奴らがいたよね。

 何十年も前の話だわな。

 そこまで超大国アメリカに恐怖を与えている日本商品って、今、何と何と何がありますの?

 

 国家の統制の度合いによって、国々は、

 資本主義>社会主義>共産主義

 と学校では習ったけど、今の中国やロシアは「社会主義の資本主義化」とちゃうの?

 一言でいうたら、「新社会主義」や。

 てぇことは、「新資本主義」は「資本主義の社会主義化」を目指すんではないの?

 

 太平洋戦争で日本が負けて、GHQがやったことは何だったかといえば、

 大きいところでは、財閥解体、農地解放、軍隊つぶし、戦犯の処罰(投獄、死刑、追放)。

 それから「チャンバラ映画の禁止」ちゅうのもあったわな。

 農地解放やら財閥解体なんていうのは、社会主義化路線に近いわな。

 それも一種の昭和の「新資本主義」だったんだ。

 

 てぇことは、令和の今、新資本主義を標榜するなら、

 企業の資本金額によって「社内留保の上限」を法的に定め、

 それを超える貯金は禁止し、給料に回す。そういう改革をやったらどうか。

 

 税金にしたって、累進課税は累進課税制度として残し、別途、新たに富裕層から「富裕税」を巻き上げる法律をつくれ。

 大金持ちは、その程度の税など取られても、痛くもかゆくもない。

 この際、大富豪は国の再建のために協力するんや。

 そうしたら、いっぺんに税収を確保できるわな。

 

 まだまだいっぱいあるが、もう一つだけいっておくと、

 「生産年齢が少ない少ない」といっているが、グチってばかりいないで、人手を探さんかい。

 生産年齢の後継かを一挙に図らんかい!

 巷をウロウロしてるジジババで、体が動ける者は有り余っているじゃないか。

 そういうジジババ層で、少々給料が安くても働く意欲がある者を、もっと有効利用したらどうなのか。

 コンビニにしたって、ファーストフードの店にしたって、よぼよぼしたジジババは見かけない。

 皿洗いでも、拭き掃除でも、便所掃除でも、若い者が嫌がる仕事で構わないから、ジジババをどんどん活用しなよ。

 「うちはやってます」という会社もあるだろうが、広く世間に認知されなければ、やっていないと同じだ。

 そういう店員がいるようにしたら、どうなのか。

 ジジババに倒れられたら困るなんていっていたら、日本の抜本的改革は進まへんでぇ。

 危険と背中合わせのぎりぎりのところまで、突き詰めた改革をやったらどうです?

 

 岸田総理! 格差社会が進めば進むほど、圧倒的多数を占める平均的国民層は「やる気」をなくしますわな。

 あっと驚くような大改革をやらないと、いくら「所得倍増」なんていったって、絵にかいた餅

 日本列島全体に活気がみなぎるようにしないと、世界のBクラスやCクラスに転落するだけだ。

 

 まず、この分野では、現在の世界10位を何年後には世界3位にまで躍進させるといった具体的な目標を立てろ! 

 そして、各該当企業に「目標の数値と、実現するための計画を立案・提出」させるんや。

 いうたら、ロシアや中国や北朝鮮の政府命令のようなやり方を導入するちゅうこと。

 こういうのが、「政府主導の資本主義の社会主義化」や。

 車の輸出量は、これこれ。

 半導体は、これこれ。

 電子部品は、これこれ。

 ブドウの輸出量は、これこれ。

 カップラーメンの輸出量は、これこれ。

 世界の大学ランキングでは、これこれ。

 といったように、これまで放置していた細かいところや隅々まで、洗い直してごらんよ

 やるべきことが山のように出てくるはずだ。 

 (城島明彦)

 

 

 

 

 

 

 

2022/11/04

気がつけば、後期高齢者

 「ジジイ」の深化論、じゃなかった、「ジジイのイジイジ論」ですな

 

 60歳になったとき、「世間から見たら、もう老人なんだ」と思った。

 70歳になったとき、「急坂を登るのがだんだんきつくなった」と感じた。

 75歳になって運転免許の更新会場に行き、集まったジジババを見て、「こいつらと同類か」と嘆いた。

 そしてまた1年。ジジイになればなるほど、歳月が早く流れます。

 髪の毛は黒くても、てっぺんが次第次第に〝スケソーダラ現象化〟しつつあるのを知って、愕然。

 「これが老化ということか」と実感しつつも、

 「ろうか、よろしくおねがいします」

 と、ダジャレをつぶやくオイラは、痴呆症一歩手前か。

 ♪ 踊る痴呆に、観る痴呆、同じ痴呆なら、踊らにゃソンソン

 「痴呆といってはいけません。認知です」

 という苦言の幻聴がする今日この頃であります。

 「ん? 妊娠? 男に妊娠はなかろう」

 と、ボケかましつつ、「認知」という言葉をいまだに認知できないオイラだっちゅうの。

 「妊娠したので、認知してってか。ん? その認知じゃない?

 しゃ~けんど、オイラはまだ仕事してる現役として世間的に認知してもらってます

 「去年も今年も本を書いてますもんね。来年の大河ドラマ『どうする家康』便乗本をしっかり書きましたけんね」

 とはいえ、書いているときに何度も思ったのは、若い頃のように馬力もパワーもガタ落ちだっちゅうこと。

 スクワットに腕立て伏せ、竹踏みをしてるのに、てんで無理がきかなくなりやした

 それでも、気分が乗って、筆が走ってくると、

 「よっしゃあ、今日は徹夜してやるぞ」

 と気張ったところ、その日から昼夜逆転で、体調不良に。

 で、その後しばらくは、まともに寝られなくなり、仕事の効率はガタ落ちで、

 「これが、老化なのか」

 と思い知る始末。

 要するに、「無理がきかない」。

 さよう、これが老化なんですな。

 秋深し 隣はイモを ふかしてる だけどオイラは 屁をこきまくり

 谷崎潤一郎もびっくりの、これがほんとの『プ~テン老人日記』だっちゅうの。

 そんな情けない日々でございます。

 (城島明彦)

2022/11/02

人にもよるが、オイラの場合、年を取ると何をするのも面倒になった

 11月に入ると、さすがに肌寒くなった。

 それにしても、今年の夏は、ひどい暑さだった。

 高齢になると、夏の厚さが、だんだんきつくなった。

 

 若い頃は、今ほど暑くはなかったから、夏が好きだった。

 しかし、今はいけませんや。

 金魚鉢から飛び出した金魚だ。

 走ったわけでもないのに、口をパクパク、パクパクだ。

 マスクをしているから、よけい息が苦しい。

 ああ、あの世がだんだん近づいてきているのであるな。

 

 若い頃は痩せていたから、冬が苦手だった。

 寝不足で朝、起きると、寒くて、目はあけても体の機能はまだ寝ている。

 だから、寒くて寒くて、しようがなかった。

 寝不足の寝起きには胃が食べ物を欲しがらず、朝食抜きで中学・高校と通った。

 今考えると、育ち盛りに、ひどいことをしていたもんだ。

 

 中2の夏休みが近い頃、めまいがしたり、体がだるくなった。

 それが朝昼兼用の食事。

 午前中で授業が終わると、商店街のうどん屋へ入り、しっぽくを食べた。

 マクドナルドも吉野家もない時代だから、そういう無茶をしていた。

 そのせいか、前の年には9センチ伸びた身長が4センチしか伸びなかった。

 小学6年生の時は学校代表の健康優良児、中1のときもクラスの健康優良児だった。

 街を歩いているときや、家で勉強しているときに、しばしば貧血を起こした。

 アホな食生活をしたせいで、この始末だった。

 土曜日には映画を見ていた。

 映画を見ながら、自分なら、ここはこう撮ると思いながら観ていた。

 でもって、大学を卒業して東宝にはいり、映画の助監督をした。

 いいかげんなものだった。

 

 高校時代は、2時間目が終わった頃になると、体の機能も目を覚ました。

 でもって、腹が減ってきて、早弁だ。

 10分間の休憩時間に、大急ぎで弁当を食べ、昼休みにはパンを食べていた。

 不健康を絵にかいたようなことをしていたから、青白かった。

 

 毎年、夏が来ると、決まって、そのようなことを思い出す。

(城島明彦)

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