NHKがいまだに流し続けている「花は咲く」は、もうやめてもらいたい! 「復興支援歌」というが、嫌な思い出が蘇るだけではないのか?
NHKの大罪! 「花は咲く」のメロディーがテレビから流れると、そのつど、大津波にのまれたあの日の出来事や福島原発の惨状が脳裏に蘇って、胸が苦しくなる人は少なくない
「応援歌」というと、「マーチ」を連想し、〝元気が出る歌〟と誰もが思うだろう。
「花は咲く」は、東日本大震災の被災者への支援歌=応援歌としてつくられたが、応援歌とは呼べない静かな曲で、美しい曲ではあるが、繰り返し聞かされると、暗い気持ちにさせられる。
そうなるのは自分だけなのか。
そんな曲を、NHKはどうして流し続けてきたのか。
福島の被災者で、故郷に戻りたくても戻れない人々のなかには、帰れば、思いだしたくない出来事を毎日毎日思いださなければならなくなる。
そのことへの恐怖心から、土地の浄化が済んで帰れるようになっても二の足を踏み、新天地に住み続けている人もたくさんいるはずだ。
「花は咲く」は、そういう人の気持ちを逆なでする効果もあることをNHKは無視してはいないか。
近年、「被災者に寄り添う」とか「弱者に寄り添う」という表現がしばしば用いられるようになったが、口先だけになってはいないか。「花は咲く」の曲をNHKが流すのを耳にするたび、そう思ってしまう。
福島・宮城などの被災地は、東日本大震災以後も、何度も大きな地震に見舞われてきたが、そのつど、被災者たちの脳裏には、恐ろしかったあの日の出来事が蘇ったのではないだろうか。
「花は咲く」には、トラウマを呼び覚ます悪魔の曲の一面も持っているということを、どうしてNHKは考えようとしないのか。
被災から日が経てば経つほど、もっと明るく元気が出るような別の曲をつくって、応援するという気持ちに、どうしてなれないのか。
「人間の脳には、嫌な出来事は思いださないようにするしくみがある」ということは、よく知られたことだ。
思いだしたくない出来事は人によって異なるが、それぞれの身辺にいた人がたくさん死んだ戦争とか疫病は、よほど変わった人間以外は、誰にも共通する「嫌な思い出」である。
歳月の流れにも、記憶を薄れさせる効果があり、嫌な思い出は次第に自然と浄化されていく。
思いだしたくない出来事や事件は、その2つの効果で、だんだん希薄になっていく。
だから人は、深い傷を負っても、立ち直ることができるのだ。
嫌な思い出を忘れ去ることで、人はまた新しい道へ挑戦し続ける勇気が湧いてくるのだ。
そう考えると、震災直後から今に至るまで、繰り返し繰り返し流し続けてきた「花は咲く」は、震災に遭った嫌な思い出を忘れようとする気持ちにブレーキを掛ける働きもあり、悪夢の記憶を強制的に蘇らせているという見方もできるのである。
日本は太平洋戦争で負けて、数えきれないくらいの人が戦死し、「戦争はもう懲りごり」と誰もが思ったはずなのに、戦後5年、10年と経つと、軍艦マーチをはじめとする「軍歌」がラジオで流れるようになったり、小学校や中学校の運動会でも使われるようにもなった。
地方都市で育った団塊世代以上の人はよく覚えている戦後復興期の光景だろうが、人通りの多い駅前や公園あたりで、戦争で体が不自由になった白装束姿の傷痍軍人がアコーデオンをひきながら恵みを乞うていた。
地方都市だけでなく、東京でも1973(昭和48)年頃まで、渋谷のハチ公前広場にそういう姿が見られた。
そうした光景を戦争を知らずに育った若者たちは、奇異な目で見ていた。
私は、「復興支援歌」の名のもとに、東日本大震災から11年間も「花は咲く」を流し続けるNHKの神経を疑い、渋谷駅前でアコーデオンで軍歌をひいて投げ銭を稼いでいた白装束の傷痍軍人の姿がNHKに重なるのである。
1965(昭和40)年に坂本九が歌ってヒットした「涙くんさよなら」の歌詞のようには、いかないのか。
1年に1回、3月11日を偲ぶその日に流すだけでいいのではないのか。
♪ 涙くんさよなら また会う日まで
(城島明彦)
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