マグニチュード7・4! 関東大震災かと思った昨晩(3月17日)の激震は、平安京の人口の半数近くが死んだ「元暦(げんりゃく)の大地震」と同じだった!
阪神・淡路大震災の7・2を超えるマグニチュード7・4の「元暦(げんりゃく)の大地震」は1185年7月9日に起きたが、その少し前に源平の最終戦争(壇ノ浦の戦い)があり、昨晩の震災は今日のロシアのウクライナ侵攻で勃発した戦争を想起させる!
アルバイトかも知れないヤブ医者の手による「3度目のコロナワクチン接種」を受けて以来、体調が悪く、ベッドで過ごす日が多くなった。皆さんも、ご注意あれ!
そんなわけで、ベッドにひっくり返って、アマゾンのPrime Videoで古い映画を観ていたら、11時40分頃、いきなりぐらぐらっと来た。
横浜市内の端の方に住んでいるが、東日本大震災のときと同じくらいの激しい揺れが長く続いたので、「とうとう関東大震災がやってきたのか」と思ったほどだった。
テレビ画面に切り替えると、震源地は東北地方で震度は6強とわかったが、東日本大震災から11年後にまた福島や宮城が被災したと知って、暗鬱な気持ちになった。
驚いたのは、マグニチュード7・4という数字である。私が現代語訳した鴨長明の『方丈記』には、1185年に平安京を襲った「元暦の大地震」(元暦2年7月9日)のことが詳しく書かれているが、その地震のマグニチュードは、今日7・4と推定されているのだ。
その同じMの大地震が、拙訳本の『方丈記』が発売される時期に起きたということも驚きだった。私は普通の人より霊感が強く、単なる偶然の一致を超えているように思えてならない。
7・4という数字は、東日本大震災の9・0よりは小さいが、阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の7・2より大きく、4万2千人もの死者を出した。平安京の当時の人口は約10万人だったから、半分近い人が命を奪われたことになる。
鴨長明は『方丈記』に、「その様、世の常ならず」として、次のように書いている。拙訳『超訳版 方丈記』より引用しよう。
「山は崩れて川を埋め、海は激しく水嵩を増して逆巻き、陸地を浸した。大地は裂けて水を噴き出し、岩は割れて谷へと転がり落ちた。浜辺近くの海を行く船は木(こ)っ端(ぱ)のように波(なみ)間(ま)に漂い、道を行く馬という馬は足の踏み場を失って、いなないた。都の神社仏閣は、あるものは崩れ、あるものは倒れ、無傷だったものはなかった。」
元暦と令和には、大地震以外に「戦争」という共通点もある。
ロシアは2月24日にウクライナに侵攻して戦争を始めた。
一方、元暦の時代には、大地震から3カ月半ばかり前に壇ノ浦で源氏と平家の最終戦「壇ノ浦の合戦」が行われている。平家を倒した源氏の棟梁頼朝は鎌倉幕府を開き、明治維新まで続く封建時代の幕が開くのだ。NHKが大河ドラマで、「視聴率が稼げない」とわかっている「鎌倉時代物」を取り上げたのは単なる偶然なのか。それとも、何か見えない力が働いているのだろうか。
(城島明彦)
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