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2021/10/14

岸田新首相は、昔「田中曽根(たなかそね)内閣」、今「安麻岸田(ああきしだ)内閣」(or〝AAK内閣〟)で終わるか、所得倍増を実現して〝第2の池田勇人〟になれるか?

「成長と分配」「新資本主義」の実現には「大金持ちから高税をふんだくる」のが一番だ!

 

 安倍・麻生の両元首相は、かつての田中角栄のように、「首相を退いてからはキングメーカーとして君臨したい」という私欲が前面にしゃしゃり出てしまって、真の〝憂国の士〟とはいえない。選挙で恩を売ったかもしれないが、「岸田に好きにやらせるくらいの太っ腹を見せろ」といいたい。

 岸田新首相の「所得倍増論」は、池田勇人首相が昭和35(1960)年にぶち上げた経済政策の令和版だが、同じ「所得倍増論」でも当時と今とでは時代の様相がまったく異なっている。しかし、実現を勘ぐる向きも決して少なくはないが、オイラは悪くないキャッチフレーズだと思う。ただし、どういう風に所得倍増するのかという具体案が出てこないと正しい評価はできないが――。

 思い出すのは、ラジオから流れてきた「10年で所得を倍にする」という池田首相のダミ声だ。所得倍増論の演説の細かい内容は覚えていないが、「所得倍増」という言葉は、当時中学生だったオイラでも新鮮な驚きとインパクトを受け、今でも耳の奥にクッキリと残っている。 

 当時の日本は、労働者がシャカリキになって働きまくり、企業は野望を抱き、市場を拡大するために海外へ雄飛しつつあった。その原動力となったものは何かといえば、太平洋戦争に負けて、東京をはじめとする全国の主要都市が米軍の空襲で焼け野原になってしまった日本を、必死になって再興しようとする国民一人ひとりの強い思いだった。

 当時の日本全国で、大金持ちはほんの一握りで、ほとんどの国民は貧しかったが、希望と夢があった。それは漠然としたものであったが、

 「明日は今日より素晴らしくなる。俺たちが働いて働いて素晴らしくするんだ

 そういうことを口に出していうわけではなかったが、みんな、心のどこかでそう思っていた。

 今、そういう気概をもったの日本人が何人いるというのか。

 そんな国民に大きな夢を与えたのが、池田内閣の「所得倍増計画」だったのだ。

 聞いた当初は、誰もが「まさか」と思ったが、それがだんだん現実のものになり、日本は高度経済成長を遂げ、GNP(当時使われた「国民総生産」)で世界第2位のドイツを抜いた。その勢いと馬力は先日までの中国をしのぐものがった。

 オイラが早稲田大学政経学部のゼミで小松雅雄先生から学んだ経済政策は、そういう時代にふさわしい「高度経済成長論」だった。

 だが、そういう時代は、ある日をきっかけに崩れさった。1973年のオイルショックだ。原油資源のない国・日本にとって〝油断〟(石油を断たれること)は致命傷だった。大東亜戦争で大陸を侵略したのも、資源を手に入れるためだった。

しかし、戦後は原油が安価なのに目をつけ、大量に輸入して、石油から化学製品に加工し、それを活かした繊維や電気製品などを海外に輸出するなどして外貨を荒稼ぎした。

 

 日本が取り返しのつかない状況に陥ったのは「バブル」以後であることは誰もが知っているが、問題はそこから先だ。日本政府は、バブル崩壊後のデフレスパイラル下で失策愚策に次ぐ失策愚策を続け、〝失われた10年〟いや〝失われた20年〟と風刺される歴史上最低の時代を送る羽目になった。

 アベノミクスは、〝失われた20年〟をもたらしたデフレ脱却には成功したものの、経済成長させるところまではいかなかった。経済政策・金融政策などに限界があったということだ。最近、そのことが指摘され始め、メディアが表示するGDP(国内総生産)のグラフでは、世界1位のアメリカ、2位の中国が右肩上がりの成長カーブを描いているのに、日本は蚊帳(かや)の外で、ここ20年横ばいで、両国との〝格差〟は大きく広がってしまった。

 その間に、かつての日本の高成長を支えてきた東芝やシャープなどの経営がおかしくなり、また世界をリードしてきた半導体などの先端技術のトップの座もいつしか他国に奪われていた。〝日の昇る国〟ニッポンから〝日の沈む国〟ニッポンへと凋落してしまったのである。

 車や家電分野などで日本製品に市場を奪われたアメリカは、日本にはできない軍需製品の民用化に目をつけ、パソコン、インターネットに代表される21世紀型ハイテク市場での覇権を握り、再び繁栄の道を確保した。

 日本の新興のIT産業は、アメリカの亜流技術・便乗商法に過ぎず、そういう方面に目端の利く若い連中が起業して億万長者になったものの、日本企業全体を大躍進させる起爆剤とはならず、アメリカの亜流の「所得二極分化」が広がってしまった。

 

 日本政府がやってきたことは、貧富の差を広げる結果を招いた。たとえば企業でいえば「同じ仕事をしながら、社員と派遣社員の差別化」などであり、そういう状況を目の当たりにしてきた国民が「所得倍増」といわれて、夢と希望を感じるだろうか。

 「成長と分配」を目指すという岸田新首相の発想は、いってみれば〝アベノミクスの尻ぬぐい〟である。「成長なくして分配なし」とも強調するが、企業が成長しなければ分配する原資は稼げない。

 どうやって分配するのかといえば、昇給やボーナスを「下に厚く、上に薄く」しないと「貧富の差」は埋まらない。課長のベースアップは1%、係長は3%、平社員は5%といったようにするのことだが、そういう改革ができるかどうかは疑わしい。

「新資本主義」と聞いて、オイラは「マルクスの資本論」を想起したが、「新資本主義」というのは「社会主義に近づける」という発想なのか?

 戦後、GHQは、日本を変えるために農地改革を行った。地主の土地を二束三文で小作人に強制的に売らせるようにしたが、岸田内閣はそれをほうふつさせるような大胆な政策、たとえば「大金持ちや資本家の資産に対するこれまでの優遇策を冷遇策に180度転換」できるかどうかといえば、無理だろう。

 大金持ちは多額の税を徴収されても屁とも思わないのだから、「贅沢税」のようなものも創設導入すればいい。「俺は、ポルシェ、フェラーリ、ランボルギーニを持っている」なんて威張っている奴らには高税を吹っかけたらいいのだ。それでも乗りたい奴は買うのだから。

 宝石だってそうだ。テレビなどに出て、何億円もする宝石や時計やらをちらつかせている者には、高税を吹っ掛ければいいのだ。それくらいやらないと、国民の喝采を浴びないし、中間層のやる気も活性化しないだろう。

 だから岸田内閣は、金融所得などに対しては、後回しにせず、誰もが信じられないと思うような「〝壁〟を設けない急カーブの累進課税方式」を早急に導入すべきである。

(城島明彦)

 

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