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2021/07/07

相撲協会と各力士に公開質問状! 他の力士は白鵬に張られっぱなしで、なぜ報復しないのか?

まさか〝暗黙の取り決めによる出来レース〟? つまり「八百長」ではあるまいな?

 

 大相撲ファンよ! 白鵬だけが連日、張り差しを繰り返すが、白鵬への張り返しは、なぜないのか!? 考えてみようじゃないか!

 白鵬は、初日、2日目に続いて、3日目の立ち合いでも、相手力士の顔が反対側に大きく動くほどの強烈な張り手をかました。

 場内に「バチン」という大きな音が響くほど、激しい張り手だった。

 横綱相撲とは縁遠い取口で、見ていてイヤになった。

 白鵬と対戦した力士で、一度も張り手、張り差しを食らわなかった力士はいるのだろうか。張り差しで白鵬が勝ったときは、いつも後味の悪い思いがするのは、私だけではあるまい。

 

 横綱は、どんな手を使っても勝てばいいという訳ではない。

 横綱とは、白鵬のように6場所連続休場しても地位が下がらない「特別な地位」にいるのだから、観客が「さすが横綱」と感心するような、もっと堂々とした相撲を求められ、それを願っている人がほとんどではないか

 たとえば立ち遅れても待ったなどどせず堂々と受けて立ち、そこから盤石の強みを見せて、観客をうならせるのが、横綱ではないのか。名横綱と讃えられている双葉山、大鵬、千代の富士、貴乃花らは、いずれも、そういう堂々とした相撲を取ってきた。

 だが、白鵬は、あまりにもセコすぎる。優勝回数や勝ち星で、これらの名横綱を超えているが、少しでも大相撲のことを知っている人は、決して彼らを超えているとは思わないだろう。

 優勝したからといって自分でマイクを握って観客に「万歳」を求めるという異常な行為に走ったり、受け取った賞金を掴んで土俵上でガッツポーズをしたり、プロレス技の「エルボードロップ」(ひじ打ち)まがいの「危険がいっぱいのかちあげ」を相手力士の顎の骨に炸裂させたり、前記のような「張り差し」「張り手」を連発しまくって相手をふらつかせたり全力を発揮できなくしたり、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても「横綱の品位・品格」にふさわしい力士とは思えない。

 

 前置きはこれくらいで、本題に入ろう。

 歴代横綱のなかで、白鵬ほど連日にわたって張り差しを行ってきた力士はいない。歴代大関にもいない。それどころか、こんな力士は空前絶後なのだ。

 力士は、誰でもといっていいと思うが、地位にかかわらず、顔を張られると思わず頭に血が上って張り返す。すると相手は、さらに張り返す……というような醜い展開になった取り組みを、大相撲ファンなら幾度も目にしているはずだ。顔を張られるのは、誰でも嫌なのだ。顔だけは、いくら稽古しても鍛えられないということもある。

 

 力士も人である。顔を張られるのは嫌でムカッとするが、相手が横綱となると遠慮する。下位力士になればなるほど、そうだ。そういう不文律のようなものが力士の意識に定着しているのではないか。

白鵬は、それをよいことに、張り差しばかり繰り返して相手の脳にダメージを与えることを意図的にやってきたと推測できるから、心ある大相撲ファンは〝白鵬流相撲術〟=〝邪道
 〟を断じて認めな
いのである。

 

 平気で何度も横綱の顔面を張りに行く下位力士もいるが、そういう者は〝鈍感な奴〟とみられ、白鵬の怒りを買って稽古場や地方巡業などで、とことん痛めつけられる稽古に名を借りた一種のイジメだ。

 それをよいことに白鵬は、下位力士を張り放題――という図式が成り立ってきたのではないのか。

「他の力士が、あれだけ張り飛ばされ続けてきたのに、逆襲の張り差しに出ない」ことの理由は、「特別な地位である横綱に対する下位力士の遠慮がなせるもの」と、これまで思ってきた。

 

 それが、ここにきて、ある疑念がふと私の頭をかすめたのである。

 「なぜ横綱に遠慮しなければならないのか。それでは真剣勝負といえないのではないか」

 そういう、いたって素朴な疑問である。

 そして、こうも思う。

 「白鵬が連日のように駆使して勝利を収めている手なら、白鵬と対決したときに、逆に白鵬の顔面に見舞ってやればよさそうなものではないか」

 だが、白鵬戦で、「双方が張り差しに行って、張り手が交錯した」とか、「張り差しにいった双方の手と手がぶつかった」というガチンコ勝負は見たことがない。

 なぜか? 

 私は、はたと気づいたのだ。「これは(煙幕を張った)出来レースではないのか」と。

 昔の各界では「星の貸し借り」が日常茶飯事のように行われていた千秋楽になると、77敗の力士は星を買って勝ち越し、後日、その借りを返して帳尻を合わせる。それが「八百長相撲」である。体力が落ちてきた横綱の場合、星を買ってそこそこの成績を残し、引退を先延ばしにするということが平然と行われていた時代があったのである。

 幕内力士の板井が週刊誌にこれでもかこれでもかとしゃべりまくった「八百長事件」が特に有名だが、昨今はそういうことはないと思われてきたし、私もそう信じてきたが、名古屋場所に進退のかかる白鵬が、初日から3日間続けて張り差しに行ったのを見て、まさかと思う一方で、「待てよ」という疑問符がふと頭に浮かんだのである。そういう疑惑を呼ぶようなことが、何十年にもわたって続いてきた黒歴史が角界には
ある。

 「白鵬からどんなに張り手・張り差しを食らっても、絶対にお返しはしない」

 というような「暗黙の取り決め」が交わされているのではないのか。早い話が、巧妙に仕組まれた一種の「八百長」である。いや、取り決めまでいかないとしても、すべての力士にそういう意識が刷り込まれていたとしたら同じことだ

 ――そうとでも考えなければ、毎場所、毎場所、不自然にも白鵬に張り飛ばされまくって、よく平気でいられるなと思うのが、自然の思考ではないのか。

 白鵬に張りまくられてきた対戦力士たちは、「半沢直樹」ではないが、

 「張られたら張り返す」

 「2倍返し、3倍返しだ」

 と、なぜならないのか。

 不思議である。

 私の胸を去来した、このきわめて単純で素朴な疑問に相撲協会、親方衆、力士OBらは、何と答える?

 本ブログを目にした大相撲ファンは、どう考える?

 週刊誌も、こういうテーマは嫌いではなかろう。とことん調べまくってほしいものだ。

【追記】(7月7日23:43) 4日目、白鵬は、立ち合いざま右手で隆の勝の顔面に張り手を見舞った。4日連続の張り手だ。張られたことで、隆の勝の顔が反対側に大きく動いた。それでも白鵬に食らいついていく。そのとき、よろけたような動きに見えた。これが「張り差しの効果」である。隆の勝は白鵬を追い詰めたが、あと一歩のところで負けた。顔面を張り飛ばされていなければ、勝負の行方は変わっていたのではなか、と思わせる一戦だった。私にはそう見えた。連日、横綱が相手力士の顔面を張りまくる相撲など見たくない、と思っている人は決して少なくない。

【下記は拙著および拙訳本】

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(城島明彦)

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