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2021/06/28

一言でいうと、小室某は「身のほど知らず」、眞子殿は「庶民感情を逆なでするバカ姫」

常識欠如、国民感情との隔たりが、皇室イメージをどんどん悪化させている

 

 人には「分相応」という言葉がある。

 分相応とは、「己を知る」「身の丈を知る」という意味で、必ずしも悪い言葉ではない。 

 「人は生まれながら平等」というが、それは「母親の体内からスッポンポンで生まれてくる姿はみな同じ」という意味であって、そこから先は、寝る場所、着るもの、食べるもの、遊具、教育など、あらゆる面に貧富の差が生じ、その差は成長するにつれて大きくなっていく。

 同じ人であっても、能力の違い、得手不得手の違いなど、数えきれない分野で、さまざまな差異があることを知り、次第に自分に最もふさわしい生き方を模索、実現しようとするようになる。

 それは、ある種の「悟り」といってよいかもしれない。身のほどを知れば、目指すべき道も見えてくるし、その範囲内で最大のものを得ようと努力することに生きがいを見出すことも可能になる。

 それが「分相応の生き方」というものだ。

 「分相応」ということを知れば、自然と「己を律する」ようになる。

 己の実力を知らないと、失敗したり不幸な目に遭ったりすることが多い。

 

 さて、小室某の母子の言動を見ていると、人に必要な「身のほど」をわきまえていないことに気づく。彼らの究極は「身のほど知らず」の一言に尽きる。

 皇室とは何か。天皇とは何か。皇太子とは、内親王とは……。

 天皇家は、同じ人間でも、普通の国民とは決定的に違うのだ。

 そのことは、日本の歴史を学べば、おのずと理解できることで、だからこれまで小室某のような人物が現れなかったのだ。

 ところが、日本史を学ばなくてもよいように教育制度が変わって久しく、天皇家のことを知らない日本人が増えてきた。

 だが、常識というものがある。

 自分が内親王の夫にふさわしい人間か否かは、天皇家の歴史を知らなくてもわかりそうなものだが、それが通用しないのが、小室某である。

 そういう人間が現れたこと自体、〝普通の日本人〟にとって驚きである。

 この親子に決定的に欠如しているのは、「身のほど知らず」という感覚だ。

 いま、日本の天皇制は危機に直面している。そんな中で浮上した「女の宮家」創設問題にも大きくかかわってくるから、国民は〝小室某の暴挙〟や〝バカ姫〟の言動に異を唱えているのだ。 

 ここから先は、眞子姫の父君の秋篠宮がどういう毅然たる動きを見せるかにかかっている。

(城島明彦)

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