しっかりせんかい、朝乃山! こんなことでは横綱は無理!
「腰高」「前半戦の取りこぼし癖」を直して、ゼロから出直せ!
朝乃山は、あまりにも情けない姿をさらしてしまった。
子どものファンもいるということが、頭から飛んでいる。
朝乃山は、自分で自分のイメージを壊してしまった。
朝乃山にモンゴル勢全盛時代にとって代わる次代の横綱の姿を思い描いたのは、私一人ではなかろう。
恵まれた堂々たる体格、怪力、大きな投げ技も得意で、スケールの大きな相撲を取り、個人的には、昨年あたりまでは次期横綱候補の筆頭とみていたが、文春砲に「不要不急の外出禁止の禁を破って、接待を伴う夜の店へ行っていた」と報じられて「12日目に途中休場」という、体(てい)たらくだ。
ファイトを全身にみなぎらせるのが優れた力士ではない。むやみやたらと殺気を漂わせている武士が本物ではないのと同じだ。
心のうち(どんな立ち合いをし、どんな手でやるか)といったことまで表情に現れかねない。
心の内を読まれたら、その分、力を封じられ、全力を出せなくなる。
理想的な力士の姿は、ひょうひょうと仕切り、制限時間いっぱいになると顔面が紅潮しているのが見て取れる程度で、内に闘志をみなぎらせていることがわかる。そういう力士が大物である。朝乃山がそうだった。
だが、その姿を「ファイトが感じれない」と、こき下ろした解説者もいた。勝たないから、そういうことをいわれるのだ。
制限時間になると、手のひらで尻を叩いたり、土俵を駆けて最後の塩を取りに行く力士が結構いるが、そういう所作をするのはせいぜい一流半か二流どまりの力士だ。
淡々と仕切り、表情を変えずに相手を倒して、平然と勝ち名乗りを上げて、まるで何事もなかったかのように静かに土俵を降りる。
その域まで達することができるのが最高の力士で、大相撲史上では双葉山とか大鵬とか、ごく限られた力士しかいない。
朝乃山は、精進して腰高を改め、〝横綱相撲〟といわれる取り口を示せるように、もう一度、自分自身を見直せ!
このままでは、大器の素質が泣く!
それ以前に、横綱を目指したいなら、もっと厳しく自分を律しないと話にならない。
猛省し、奮起せよ!
(城島明彦)
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