五輪中止の違約金と人の命とどっちが大事なのか。「安心と安全」を主張するなら、いますぐ〝五輪選挙〟で民意を問え!
五輪のために「安全と安心」という前に、国民のために「安全と安心」なことをやれ!
五輪中止を求める国民の声は、調査によって数字に差があるが、6~8割だ。
「これだけ反対の声があるのに強行するのは、独裁政権だ」
という批判に自公連立内閣はどう応える。
強行することのメリットとデメリットを、きちんと説明してご覧よ。
「五輪強行」に自信があるなら、コロナなどほったらかして、〝五輪解散〟をやって民意を問えばよい。
政権を失うのは必定だ!
兵庫、岡山、島根などが聖火リレーの見物を中止したのに続いて、昨日(5月27日)、千葉県も中止を発表した。
そうした理由は、いうまでなかろう。「安心と安全のため」「コロナの感染から県民を守るため」だ。聖火リレー強行より、よほど説得力があり、県民の支持が得られる。
「安心と安全のために、公道に人が群れ集まるイベントを中止する」
という説明は、「何人に感染する恐れがある」といった話とは別次元の問題だが、心配のため種は取り除くのが当たり前
知事らの判断は民意を反映したもの、誰もが腑に落ちる正論と、政府はなぜ考えないのか。
五輪強行派の国会議員は、都道府県から選出されているのだ。次の選挙でこんな奴らを当選させてはならない。
政府は五輪開催に安心と安全に自信があるなら、「三密は禁止、酒を伴う飲食は禁止」などといわずに、手を打たぬか! 「安全と安心」が聞いてあきれる。
聖火リレーは見物中止、大会は「無観客」ないしは「少数に制限」という〝しみったれ五輪〟のどこが楽しいのか、菅首相よ、いってみんしゃい!
利権がらみのIOCの連中は「テレビで観戦する人が多いのだから、観客数は関係ない」などと強弁しているが、それなら、どこでやっても同じじゃないか。
どうしようもない連中だ。
日本政府のレベルも低すぎる。菅内閣や組織委員会の連中らは「価値判断」を誤っている。
たとえ「コロナ蔓延下での五輪に成功した」としても、どこの国が、どこの国民が日本を称賛するというのか。
IOC会長のバッハじゃないが、「日本人は忍耐強い国民」ってか?
①世界初の原爆投下国。
②大震災で原発事故が発生、被爆した世界初の国。
③死と背中合わせの新型コロナ蔓延下での世界初の五輪大会主催国。
日本人に何度耐えろというのか?
JOC、菅内閣の連中たちは、自分らが日本国民であることを忘れている。
彼らは日本国民である以前に〝IOCの走狗〟となり果てている。
招致汚職疑惑で辞めたJOC元会長(旧皇族)の息子などは、親父を擁護したいのか、「1700億円の違約金を払わないといけないことを国民は気づいていない」などと馬鹿なことをいっている。
こういうのを「人命軽視の危険思想」という。
「1700億円ぽっきりの違約金ですむのなら、万々歳」となぜいえぬ。「一億国民の安全と安心をそのカネで買ったと思うなら、安い買い物じゃないか」と、なぜ思えないのか。
危機管理という点でも、東京五輪はでたらめ。話にならぬ。
「この期に及んで五輪中止は国際信義に反する」などという者もいるが、そういう連中は「何のために、誰のために開催するのか」という基本論から逸脱していることに気づいておらず、「国民軽視」といわれても仕方あるまい。
誰もが納得するのは、「危険なことは少しでも避けるべき」とする、ごく当たり前の考え方だ。
自分だけが死ぬのではない。不当久亭多数の人に感染させ、それらの人を死の恐怖にさらすという危険性なのだから、避けなければならないのだ。
危機管理という点では、
「コロナに打ち勝った証として東京五輪を開催する」
という希望的観測を述べ続けた安倍前首相も失格だ。
最悪の事態を想定していなかった。
コロナをなめてかかっていた、軽くみていたから、そういう発言につながったのだ。
安倍元首相は、立派な功績を残したが、「五輪開催では先の読めない政治家だった」という拭い難い汚点も残したのである。
「不要不急の外出禁止」に限らず、豪雨などの予報にしても、「人命の安全と安心」が第一と考えてのことである。
「豪雨に備えて避難してください」と住民に告げる一方で、「これから公民館で盆踊り大会をやります」といったら、どう思われるか。政府の五輪強行はそれと同じで、矛盾だらけだ。
国は「安心と安全を守れば、問題はない」といって、人が群れ集まる五輪大会を強行しようとし続けてきた。
どういう神経をしているのか。
入院できずに自宅で死んでいく人を横目に見ながら、五輪にヒト・モノ・カネを注入するバカがどこにいる!
要するに、「安心と安全の五輪」に無駄なカネや時間を注ぐ余裕があるのなら、その前にやるべきことがあるのではないか。そういうことがわからない国会議員など、いらない。そういうことだ。
世界のどの国も、国家予算のあるなしにかかわらず、コロナの予防薬に高い金を払ってでも、自国民の「安心と安全」を図ろうと必死だが、わかったようでわからないのが「安心と安全」という言葉だ。
コロナが広がりを見せた当初、政府は「三密を避けてください」と、口を酸っぱくして国民に告げまくった。
ところがどっこい、「世界中の運動選手を限られた空間に競わせる集めて行うイベント」だ。いってみれば、五輪は〝密を促進するスポーツの祭典〟! 「三密」の象徴なのだ。
「五輪を安心安全にできる」と胸を張っていうなら、その前に日本中の劇場や飲食店での三密に対しても安全・安心にできるはず。その方法を教えてくれ
人流増加ってか? 繁華街の人出が増えるのは、政府への不信のバロメーターだよ。政府のでたらめな二枚舌に嫌気がさした国民が増えているから、繁華街への外出を控えない国民が多くなっているだけだ。
物事には順序とか順番がある。安心と安全についても、同様だ。
安心と安全は、まず国民の健康に向けられるべきで、世界の選手を集めて五輪大会を開くのは、そのあとだ。こういう当たり前のことを、いわせるようなことをするな!
国にとって、五輪なんていうイベントはどうでもいい。まず人命が一人でも失われないようにするのが政府の務めだ。
こんなことをいわなければならないほど、政府は矛盾しまくることばかりやってきた。
菅首相以下、丸川珠代、橋本聖子ら五輪関係者の頭脳優秀者がそんなことは百も承知しているのに、強行しようと詭弁を並べ立てているから、罪は深い。五輪というお祭りより日本人の命が大事と考えるのか、1人や2人死のうが五輪が大事と考えるのか、言葉でごまかさず、行動で示せ。
時代も状況も異なるが、彼らのやりようは日本という国と国民を太平洋戦争に駆り立てた東条英機内閣と何ら変わるところはない。
反対の声に耳を貸さず、彼らは国を滅ぼした。
近年、五輪開催を躊躇する国が増えているのは、金権まみれを嫌悪するだけではない。〝祭りの後の大不況〟を恐れるからだ。歴史がそのことを教えている。日本も、おそらく、東京五輪後には不況が襲うだろう。
そういうことがわかっていて、「福島復興だ」何だのと屁理屈をつけ、〝五輪ブローカー〟に裏金をつかませて開催権を獲得し、「おもてなし」などと、はしゃぎまくったその化けの皮がはがれてきたのだ。
同じ復興アピールでも、1969年の東京五輪は、敗戦からの復興を世界にアピールするために開いた。
2021年の五輪は東日本大震災からの復興をアピールするためという大義名分を掲げているが、1969年の日本経済は「奇跡の高成長」を遂げていた最中の出来事だった。それに対し、今回は〝世界中がコロナまみれで虫の息状態〟に陥っているなかで開こうとしている。そんな状況化で、人命を犠牲にしてまで強行するメリットがどこにあるのか、国民の前に箇条書きにして示せ。
どうひいき目に見ても、政府やJOCの連中の脳神経は異常。そういう連中こそ〝売国奴〟と呼ぶにふさわしいのではないか。
最初のコロナと比べて、インド型の感染力は2倍という。
日本中のコロナがインド型に置き換わるのは時間の問題だ。
そういうことを先読みする判断力に欠けているから「後手、後手」と非難されてきたのだ。
なし崩し的に開催を強行しようとする菅内閣の支持率が、さらにジリ貧をたどるのは目に見えている。
菅首相にいいことを教えよう。
内容は秘して緊急記者会見を開き、 「東京五輪大会を断念する。人の命を優先したい」と発表してご覧!
支持率急上昇間違いなしだ! やったんさい! 歴史に残る名首相となるだろう。だが、やれんだろうね。やれるわけがない。
人の命はカネ(違約金)では買えない。
違約金など問題じゃない!
(城島明彦)