「五輪、無観客開催」を考えよう。「運動会を無観客でやって、楽しいか?」
五輪開催の最大目的は何? 「東日本大震災から福島が回復した様子を世界に発信したい」「コロナに打ち勝った証として開催したい」からだって?
強行開催しても、日本がみじめになるだけじゃないか。
そこまでやって得られる日本のメリットって何なのか?
国民が納得できるような理由を、きちんと説明せよ!
規模はまったく違うが、学校の運動会を考えると、無観客開催の無意味さがよく理解できるだろう。
ワイワイガヤガヤ、園児や生徒らの家族が弁当を持って見物し、コーラやビールを飲んだり、我が子の活躍をビデオに撮ったり、昼食を一緒に食べるから楽しいのだ。
規模は違うが、東京五輪だって、テレビ中継で観戦するにしろ、大勢の観客が見て日章旗を振る光景が楽しいのではないのか。
まるで葬儀会場のように静まり返った会場で、コロナ汚染を気づかいながら競技観戦してどこが面白いのか? どこが楽しいのか?
1969年の「東京五輪」は、「1945年の終戦から14年後、日本が廃墟から立ち直ち、高度経済成長を遂げた奇跡の東京の姿、日本の雄姿を世界に誇示したい」だった。五輪開催に向けて新幹線を走らせ、東名高速道路をつくり、日本は大きく羽ばたいた。
その当時と今では、まったく状況が違う。
戦災からの復旧を目指していた当時の国家事業と比べたら、福島はまだ復興途上もいいところ。
五輪に使う金があるなら、福島の海洋汚染の不安をなくすことに金を使え!
日本を外国の変異種コロナ汚染列島にする危惧が払拭できない中で、五輪を強行するメリットはどこにあるのか。
IOCとアメリカの放送局の商業主義に加担した連中の懐を豊かにするだけじゃないのか。
JOCも五輪相も都知事も、メンツなんか捨てろ!
むしろ、中止を決定する勇気こそ、万雷の国民の拍手喝采の対象となる。
ホンネとタテマエを使い分けるのは、やめろといいたい。
小学校のときに国語の教科書で「クーベルタン男爵が五輪を開く話」を読んで感激した思い出を汚さないでくれ!
日本をコロナ変異種の人体実験場にするな!
福島復興、福島復興という掛け声だけは立派だが、現実はどうだ。
表面的には復旧を遂げたかのように見えるが、いまだに人が足を踏み入れられない場所だって福島には残っているし、福島を離れたまま、いまだに戻っていない人も多いのだ。
東京五輪が近づいたからかどうか知らないが、福島第一原発の排水(放出放射性物質を含む100万トンもの処理水)を海へ放出することも決まった。
海へ放水したら、福島産の魚・野菜への風評が復活する可能性があると思っている国民は決して少なくない。それが人間心理というものだ。
本当に大丈夫なのか。汚染疑惑が完全に払しょくできたわけではない。
そこで、国会議員に提案したい。
「率先垂範せよ」と
国会議員は、来る日も来る日も、福島産の魚介類を食せよ!
自民党議員ら処理水放出に賛成した国会議員は全員、福島産の魚介類を毎日、福島から直行便で送ってもらい、食べ続けろ!
当然、金は払う。
それが誠意というものだ!
国会の食堂でも、福島産を連日提供せよ。
全員、「福島から自宅・議員宿舎に魚介類を毎日直送してもらって食べ続け、放射性物質が体内に蓄積しないということを定期的に数字を発表しろ! そうして初めて説得力が生まれる!
さらにいうなら、国会議員は放水箇所近くの海藻を食べ、海水を毎日飲んだらどうだ。
(城島明彦)
« 「五輪をやる」と言い続ける限り、いくら「緊急事態宣言」といっても、外出も人流も止まらないぞ! | トップページ | 小室某は「日本史」を選択せず、「皇室とは何か」を学んでいないのではないか »