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2021/02/08

NHK大河「麒麟が来る」の最終回(視聴率18・4%!)で、光秀の死を描かず、生きているという噂があるとしたのは、なぜ?

「この大河ドラマはフィクションですよ。そこんとこ、よろしく」といいたかったのか?

 

▼コロナ巣ごもり特需で視聴率アップ

 NHKは口が裂けても「コロナ様様(さまさま)」とはいえないが、「麒麟が来る」は、〝巣ごもり特需〟で最終回視聴率18・4%(関東地区)という、近年まれに見る高視聴率を叩き出した。

 コロナで中断され、年をまたぐという異例の展開となったので、ほとんど観なかったが、いよいよ最終回を迎え、「本能寺の変」を描くというので、どういうエンディングの仕方をするのかに強い関心があって、観た。

 以下、その感想をランダムに羅列する。

 

▼なぜ光秀の資料が乏しいのか

 明智光秀は謎の多い武将だ。史料が乏しく、「これが真実だ」と断定できる決め手に欠ける。史実は謎であるから、極論すれば、どう描こうと勝手だ。しかし、光秀の絡んでくる主君信長をはじめ、秀吉、家康らの資料はしっかりしているので、そちらを重視せざるを得ない。

 なぜ資料が乏しいかといえば、〝主君に反旗を翻した賊徒〟として、秀吉に「主君の仇討」をされたからだ。しかも、殺され方がよくなかった。「落ち武者狩り」の農民に竹槍で刺されて死ぬという、武士にとってきわめて屈辱的な情けない死にざまをさらしてしまった。天下を取っても、〝三日天下〟と揶揄される始末で、まっとうな評価を受けられなかった。

 

▼敗軍の将、兵を語らず

 たとえ生きていても、いつの時代も「敗軍の将、兵を語らず」が美徳とされているから、何かいえば「物言えば、唇寒し」で、「言い訳がましい」と取られる。そういう場合、光秀本人は死んでしまったのだから、そば近くにいた家来の誰かが、光秀の名誉のために事実を書き残せばよかったが、それもない。一言でいえば、「勝てば官軍」。歴史は勝者の論理で語られるから、敗者は悪者にされる。

 

▼NHKの描き方は、どうだったか?

 光秀が本能寺に宿泊していた信長を奇襲して自刃させ、信長の命で炎上すると、それを見て光秀はあっさり引き上げるという、意表を突く演出だった。もっと驚いたのは、信長を描いたドラマでは〝定番〟ともいうべき、「光秀が落ち武者狩りをしている農民に竹やりで脇腹を刺されて死ぬ」場面が、省いてあったことだ。

 

▼なぜ、そうしたのか? 

 いろいろな考え方があるだろうが、私は次の4点を想像した。

  ①これまでのドラマと一線を画すために、普通の演出と違ったことをやろうとした。

  ②主人公の「悪人色」が濃厚になるのを避けたかった。

  ③このドラマはフィクションだということを告知したかっら。

  ④「麒麟が来る」というタイトルに合う形にしたかった。

 

▼国民が嫌ってきた歴史上の三人

 これまで国民に嫌われてきた武士といえば、江戸時代に「安政の大獄」で吉田松陰らを殺した大老の井伊直弼、江戸城の松の廊下で「刃傷事件」を起こした浅野内匠頭を切腹させたことで赤穂浪士に仇討ちされた吉良上野介の名が上がるが、明智光秀も、乱世とはいえ、「家臣が主君に弓を引いた」ことから、その類と見られてきた。

 これら3人の人物に共通するのは、地元では「良い人」「立派な殿様」と評価されてきた武将だという点だ。しかし、それは「身内にだけは優しい」とも受け取れ、国民的評価は厳しくなるのだ。

 

▼狂言回しを三人も使わないと話が回らなかった

 信長、秀吉、家康と違って、光秀は歴史上では脇役に過ぎなかったために、NHKは、狂言回しを3人も設定しなければならなかった。

  ①医師・薬剤師の望月東庵(堺正章) +弟子(門脇麦)

  ②旅芸人の伊呂波太夫(尾野真千子)

  ③忍びの菊丸(岡村隆史)

 これだけ見ても、「麒麟が来る」はフィクション色濃厚ということがわかる。

 演じる役者も、信長役の染谷将太は丸顔で、どちらかといえば家康の狸顔のかたちだ。

 要するに、「麒麟は来る」は、実話とフィクションのゴッタ煮風「冒険活劇映画」の趣がある。

 

▼濃姫(帰蝶)の描き方

 NHK大河は、川口春奈が演じた斎藤道三の娘濃姫(帰蝶)に極めて重要な役割を担わせ、さまざまな発言をさせていた。彼女は、歴史的には極めて影が薄く、史料は皆無に近いが、ドラマだから自由奔放に描けたが、彼女が存在感を示せば示すほど、歴史に大きな影響を及ぼした人物という見方をしてしまう視聴者は少なくないだろう。個人的には、川口春奈には好感が持てた。

 

▼「信長の最期と光秀の最期」の定番 

 光秀が謀反を起こし、本能寺に攻撃をかけてきたと知った信長は、最初は弓を手にして矢を二、三本は放ったが、弦が切れたため、弓による攻撃をあきらめ、槍を持って戦った。接近戦では、多勢に無勢。肘に敵の槍で肘に傷を負ったために、室内に退き、そば近くにいた女たちに逃げるようにと指示した後、腹を切った。『信長記』にそう書いてある。

 実際には、光秀は、信長の首を見つけようとして焼け跡を執拗に探させたといわれている。しかし、信長と断定できる首級は灰燼の中から発見できなかった。

 光秀は、二条城にいた信長の嫡男信忠も討った。

 ここまでは、光秀が思い描いたとおりに事が運んでいるが、大きな計算違いが一つ生じた。中国地方で毛利軍と戦っているはずの秀吉が、主君の仇討をするために毛利軍の参謀である安国寺恵瓊を呼んで談判し、巧妙に和睦へと持ち込んだかと思うと、信じられない猛スピードで引き返したのである。

 

▼信長の性格

 犬と猫のどちらかといえば、信長は猫だ。気まぐれで、感情の起伏が激しい。機嫌がいいときはおとなしいが、何かのきっかけで豹変する。

 信長の性格をごく簡単にいうと、「わがまま」で「短気」で「気まぐれ」。少年の頃は「大うつけ」といわれたほどの〝わが道を行く乱暴者〟として知られており、父親の葬儀に汚い格好で現れただけでなく、香をつかんで位牌に投げつけるという常識はずれの乱暴狼藉を働いた。

 そんな若殿に手を焼いた教育係の平手政秀は、信長の目を覚まさせるために、自らの死をもって諫めた。いわゆる「死諫」(しかん)というやつだ。※拙著『武士の家訓』に、平手の遺言を現代語訳して載せてあるので、関心のある向きはどうぞ。

 この出来事があって、信長はそれまでの言動を改めたといわれたが、人間、そう簡単に変われるものではない。何かの拍子に「どうしようもない性癖」が顔を出す。でもって、自分に逆らうものは、とことんやっつけないと気が済まない恐ろしい性格だった。

 

▼秀吉はなぜ信長に「サル、サル」と可愛がられたのか

 秀吉は信長のそういう性格を知り尽くしていただけでなく、「ひょうきん」で「機転」がきいて、何事にも「調子よく対応」できる「要領の良い生き方」を身につけていたので、信長を激怒させるようなことは少なかった。

 それに対し、光秀は、信長の性格をわかってはいたが、「几帳面」で「生真面目」な性格だったことから、秀吉のようにうまく受け流せず、次第に怨念が蓄積していったのではなかろうか。

 

▼来週日曜からは渋沢栄一が主人公の「蒼天を衝け」

 渋沢栄一は、『論語』の生き方を実践した人格的に優れた偉人で、青年期までの生き方が波乱万丈。今日存続する誰もが知っている会社や銀行を500以上もつくり、「日本資本主義の父」といわれている。 

 私は、彼の生き方に強化し、昨年8月に新書『福沢諭吉と渋沢栄一』(青春出版社刊)を上梓した。両者は日本をリードした巨人だが、渋沢が「『論語』はわがバイブル」と信奉していたのに対し、福沢は「『論語』が大っ嫌い」と公言していた。そんな正反対の2人だったが、次第に接近し、一緒に事業をする間柄になる。 

 私が感動したのは、彼らは、頭もよく、仕事も抜群にできたにもかかわらず、生涯、学び続けたことだ。

 書店には渋沢栄一関連の書物が並んでいるが、福沢諭吉と渋沢栄一を対比して、その生涯を比較詳述した本は、拙著を除いて1冊もない。

 いくつになっても成長したかったら、本書をぜひ読んでほしい!

 Photo_20210208181801  Photo_20210208181802 Photo_20210208181901 ※『葉隠」現代語訳は1月26日に新発売

(城島明彦) 

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