NHK大河ドラマ「青天を衝け」第一話、随所に見られる「演出の独創的試み」を高評価!
話が大袈裟に走る場面も散見したが、従来の大河と違って解説もわかりやすい
このドラマの主人公渋沢栄一のことは、私も本に書いた(昨年夏発売の新書『福沢諭吉と渋沢栄一』〈青春出版社〉)くらいなので、畏敬の対象であり、新しく始まったNHK大河を強い関心をもって見たが、オープニングで、いきなり、〝ソフトバンクの犬のお父さん〟北大路欣也が扮する金ぴかの衣装の 〝大御所〟徳川家康が出てきたので、まずビックリ。
家康は江戸幕府の初代将軍で、慶喜は最後の将軍。そういうヒネリもきかせようとしたらしい、と気づいた。まさに虚を突き、奇をてらう演出だが、観客(視聴者)をいい意味でドキッとさせることは大事。「おっ、やるな」という感じで、個人的には、こういうやり方は嫌いではない。
続いて、一介の農民に過ぎなかったこのドラマの主人公渋沢栄一青年が、従兄弟の喜作と連れ立って、馬で遠出する一橋家の殿様(一橋慶喜)に初めて会うシーンが直訴したとして(実際より大袈裟に)描かれていたのにも、ビックリ。
渋沢栄一はたくさん本を書いており、それらによると、それまで尊王攘夷思想にかぶれ、討幕運動に夢中になっていたが挫折し、一橋家の家臣の平岡円四郎と知り合って意気投合したことから、一転して同家の家臣に取り立てられ、めきめき頭角を現すのだ。
そして渋沢は「殿に会わせてほしい」と頼む。すると、「じかにお目通りすることなどできぬ。殿が馬で遠出なさるときに、追いかけろ。そうしたら会わせてやる」と、けしかけられ、必至で馬を追いかけ、殿が馬を止めたときに、円四郎が遠くから、「あれが渋沢栄一と渋沢喜作という新入りでございます」と慶喜に紹介したというのが実話だ。
その後、渋沢は慶喜に気に入られ、慶喜がナポレオン三世から「パリ万博」に招待されると、代理人としてまだ少年だった慶喜の弟を派遣し、その「お守り役」兼「会計係」兼「雑用係」に渋沢を抜擢。渋沢はパリを拠点に、イギリスなど先進諸国へも足を延ばし、ここで見聞したことが帰国後の近代企業創設ラッシュにつながるのである。
「青天を衝け」では渋沢少年のやんちゃだった話をこまごまとかなり長めに描いたので、「女性の脚本家だから、こういうところにこだわるのか。もっとあっさり描いた方がいいのではないか」と思ったが、そこ以外はテンポもよく、わかりやすかった。
今後どういう描き方をするかはわからないが、初回を見て感じたのは、これまでのNHK大河ドラマが陥っていた妙なこだわりとか、勝手な思い込みを意識して捨て去ろうとしているように感じられ、好感が持てた。そんなふうに思った大河は、今回が初めてだ。
蛇足になるが、拙著では、渋沢の少年時代・青春時代から死ぬまでを、福沢諭吉との対比で描いたもので、そういう視点で渋沢を描いた本は過去に一冊もない。
渋沢栄一は「『論語』はわがバイブル」と公言し、企業人は『論語』に記された人としての生き方をしなければならない」とする生き方を生涯貫いたのに対し、福沢諭吉は「おれは『論語』が大嫌いだ。『論語』は日本の近代化・西欧化を阻害する」といって『学問のすゝめ』を書いた。
〝経済界の超偉人〟渋沢栄一、〝教育・マスコミ界の超偉人〟福沢諭吉は、
「人は多種多様で、自分がこうと思ったら、信念をもって突き進んでかまわない。そのためには学ぶことをやめてはならない」
という人間成長の鉄則を、時代を超えて今の私たちに教えてくれる。
ここからは、自分の本の宣伝だ。NHK大河の便乗商法で、渋沢栄一の本が続々登場しているが、似たり寄ったりの描き方をしているものが多い。そういうやり方を渋沢栄一も福沢諭吉も毛嫌いした。
渋沢と福沢重視したのは「独創性」だった。
渋沢や福沢を本にしたり論文にしたりするなら、少なくとも、書き手もまた独創性を発揮しなければならない。そう思いながら、私は『福沢諭吉と渋沢栄一』を書いた。
独創力のほかに、福沢と渋沢に共通するものは何か。
権力者から受けた「屈辱感」を成長・飛躍のバネにしたこと。
時代を読む先見性があったこと。
素晴らしい複数の恩師に巡り会えたこと。
努力しまくったこと。
信じたら遮二無二に突進するが、間違いに気づいたらさっと考えを変えたこと。
学びは年齢ではない。学び続ける限り人は大きくなれると考え、生涯学び続けたこと。
教えられることは、まだほかにもいろいろある。
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