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店のドアに小さな張り紙告知のみ。「16日陽性判明、18日再開」って早すぎないか!
「オリジン弁当」で知られる「キッチンオリジン」の青葉台店(横浜市内)で、総菜を買おうと思って店に入ろうとしたら、通りに面したガラスのところに店員が簾(すだれ)をかけていた。
本日(18日)午後5時半ごろだったと思う。
私より前に入ろうとした人が、入り口のドアを見ているので、何だろうと思い、見てみると「張り紙」がしてあった。
目を近づけてみると、A4サイズの小さな紙に小さな文字で、「16日に店員が陽性だったことが判明したので、営業を停止し、18日に営業を再開する」といった意味のことが書いてあった。
「えっ⁉ たった2日休むだけで大丈夫なのか」
と不安に感じながら帰ってきて、ネットを検索してみたが、同社の広報発表はなく、
「まさか、張り紙一枚で地域的に謝罪し、全国的にはとぼけるつもりじゃないだろうな」
と疑心暗鬼にかられた。
陽性検査は、他の店員の検査だけでなく、何月何日に来店した客の検査もしなければならず、それには広報発表が欠かせない。
きちんと告知しないから、「どこで移ったかわからない人」が出るのだ。
一刻も早く、公表せよ! それが企業の良心、企業の危機管理というものだ。
(城島明彦)
話が大袈裟に走る場面も散見したが、従来の大河と違って解説もわかりやすい
このドラマの主人公渋沢栄一のことは、私も本に書いた(昨年夏発売の新書『福沢諭吉と渋沢栄一』〈青春出版社〉)くらいなので、畏敬の対象であり、新しく始まったNHK大河を強い関心をもって見たが、オープニングで、いきなり、〝ソフトバンクの犬のお父さん〟北大路欣也が扮する金ぴかの衣装の 〝大御所〟徳川家康が出てきたので、まずビックリ。
家康は江戸幕府の初代将軍で、慶喜は最後の将軍。そういうヒネリもきかせようとしたらしい、と気づいた。まさに虚を突き、奇をてらう演出だが、観客(視聴者)をいい意味でドキッとさせることは大事。「おっ、やるな」という感じで、個人的には、こういうやり方は嫌いではない。
続いて、一介の農民に過ぎなかったこのドラマの主人公渋沢栄一青年が、従兄弟の喜作と連れ立って、馬で遠出する一橋家の殿様(一橋慶喜)に初めて会うシーンが直訴したとして(実際より大袈裟に)描かれていたのにも、ビックリ。
渋沢栄一はたくさん本を書いており、それらによると、それまで尊王攘夷思想にかぶれ、討幕運動に夢中になっていたが挫折し、一橋家の家臣の平岡円四郎と知り合って意気投合したことから、一転して同家の家臣に取り立てられ、めきめき頭角を現すのだ。
そして渋沢は「殿に会わせてほしい」と頼む。すると、「じかにお目通りすることなどできぬ。殿が馬で遠出なさるときに、追いかけろ。そうしたら会わせてやる」と、けしかけられ、必至で馬を追いかけ、殿が馬を止めたときに、円四郎が遠くから、「あれが渋沢栄一と渋沢喜作という新入りでございます」と慶喜に紹介したというのが実話だ。
その後、渋沢は慶喜に気に入られ、慶喜がナポレオン三世から「パリ万博」に招待されると、代理人としてまだ少年だった慶喜の弟を派遣し、その「お守り役」兼「会計係」兼「雑用係」に渋沢を抜擢。渋沢はパリを拠点に、イギリスなど先進諸国へも足を延ばし、ここで見聞したことが帰国後の近代企業創設ラッシュにつながるのである。
「青天を衝け」では渋沢少年のやんちゃだった話をこまごまとかなり長めに描いたので、「女性の脚本家だから、こういうところにこだわるのか。もっとあっさり描いた方がいいのではないか」と思ったが、そこ以外はテンポもよく、わかりやすかった。
今後どういう描き方をするかはわからないが、初回を見て感じたのは、これまでのNHK大河ドラマが陥っていた妙なこだわりとか、勝手な思い込みを意識して捨て去ろうとしているように感じられ、好感が持てた。そんなふうに思った大河は、今回が初めてだ。
蛇足になるが、拙著では、渋沢の少年時代・青春時代から死ぬまでを、福沢諭吉との対比で描いたもので、そういう視点で渋沢を描いた本は過去に一冊もない。
渋沢栄一は「『論語』はわがバイブル」と公言し、企業人は『論語』に記された人としての生き方をしなければならない」とする生き方を生涯貫いたのに対し、福沢諭吉は「おれは『論語』が大嫌いだ。『論語』は日本の近代化・西欧化を阻害する」といって『学問のすゝめ』を書いた。
〝経済界の超偉人〟渋沢栄一、〝教育・マスコミ界の超偉人〟福沢諭吉は、
「人は多種多様で、自分がこうと思ったら、信念をもって突き進んでかまわない。そのためには学ぶことをやめてはならない」
という人間成長の鉄則を、時代を超えて今の私たちに教えてくれる。
ここからは、自分の本の宣伝だ。NHK大河の便乗商法で、渋沢栄一の本が続々登場しているが、似たり寄ったりの描き方をしているものが多い。そういうやり方を渋沢栄一も福沢諭吉も毛嫌いした。
渋沢と福沢重視したのは「独創性」だった。
渋沢や福沢を本にしたり論文にしたりするなら、少なくとも、書き手もまた独創性を発揮しなければならない。そう思いながら、私は『福沢諭吉と渋沢栄一』を書いた。
独創力のほかに、福沢と渋沢に共通するものは何か。
権力者から受けた「屈辱感」を成長・飛躍のバネにしたこと。
時代を読む先見性があったこと。
素晴らしい複数の恩師に巡り会えたこと。
努力しまくったこと。
信じたら遮二無二に突進するが、間違いに気づいたらさっと考えを変えたこと。
学びは年齢ではない。学び続ける限り人は大きくなれると考え、生涯学び続けたこと。
教えられることは、まだほかにもいろいろある。
「この大河ドラマはフィクションですよ。そこんとこ、よろしく」といいたかったのか?
▼コロナ巣ごもり特需で視聴率アップ
NHKは口が裂けても「コロナ様様(さまさま)」とはいえないが、「麒麟が来る」は、〝巣ごもり特需〟で最終回視聴率18・4%(関東地区)という、近年まれに見る高視聴率を叩き出した。
コロナで中断され、年をまたぐという異例の展開となったので、ほとんど観なかったが、いよいよ最終回を迎え、「本能寺の変」を描くというので、どういうエンディングの仕方をするのかに強い関心があって、観た。
以下、その感想をランダムに羅列する。
▼なぜ光秀の資料が乏しいのか
明智光秀は謎の多い武将だ。史料が乏しく、「これが真実だ」と断定できる決め手に欠ける。史実は謎であるから、極論すれば、どう描こうと勝手だ。しかし、光秀の絡んでくる主君信長をはじめ、秀吉、家康らの資料はしっかりしているので、そちらを重視せざるを得ない。
なぜ資料が乏しいかといえば、〝主君に反旗を翻した賊徒〟として、秀吉に「主君の仇討」をされたからだ。しかも、殺され方がよくなかった。「落ち武者狩り」の農民に竹槍で刺されて死ぬという、武士にとってきわめて屈辱的な情けない死にざまをさらしてしまった。天下を取っても、〝三日天下〟と揶揄される始末で、まっとうな評価を受けられなかった。
▼敗軍の将、兵を語らず
たとえ生きていても、いつの時代も「敗軍の将、兵を語らず」が美徳とされているから、何かいえば「物言えば、唇寒し」で、「言い訳がましい」と取られる。そういう場合、光秀本人は死んでしまったのだから、そば近くにいた家来の誰かが、光秀の名誉のために事実を書き残せばよかったが、それもない。一言でいえば、「勝てば官軍」。歴史は勝者の論理で語られるから、敗者は悪者にされる。
▼NHKの描き方は、どうだったか?
光秀が本能寺に宿泊していた信長を奇襲して自刃させ、信長の命で炎上すると、それを見て光秀はあっさり引き上げるという、意表を突く演出だった。もっと驚いたのは、信長を描いたドラマでは〝定番〟ともいうべき、「光秀が落ち武者狩りをしている農民に竹やりで脇腹を刺されて死ぬ」場面が、省いてあったことだ。
▼なぜ、そうしたのか?
いろいろな考え方があるだろうが、私は次の4点を想像した。
①これまでのドラマと一線を画すために、普通の演出と違ったことをやろうとした。
②主人公の「悪人色」が濃厚になるのを避けたかった。
③このドラマはフィクションだということを告知したかっら。
④「麒麟が来る」というタイトルに合う形にしたかった。
▼国民が嫌ってきた歴史上の三人
これまで国民に嫌われてきた武士といえば、江戸時代に「安政の大獄」で吉田松陰らを殺した大老の井伊直弼、江戸城の松の廊下で「刃傷事件」を起こした浅野内匠頭を切腹させたことで赤穂浪士に仇討ちされた吉良上野介の名が上がるが、明智光秀も、乱世とはいえ、「家臣が主君に弓を引いた」ことから、その類と見られてきた。
これら3人の人物に共通するのは、地元では「良い人」「立派な殿様」と評価されてきた武将だという点だ。しかし、それは「身内にだけは優しい」とも受け取れ、国民的評価は厳しくなるのだ。
▼狂言回しを三人も使わないと話が回らなかった
信長、秀吉、家康と違って、光秀は歴史上では脇役に過ぎなかったために、NHKは、狂言回しを3人も設定しなければならなかった。
①医師・薬剤師の望月東庵(堺正章) +弟子(門脇麦)
②旅芸人の伊呂波太夫(尾野真千子)
③忍びの菊丸(岡村隆史)
これだけ見ても、「麒麟が来る」はフィクション色濃厚ということがわかる。
演じる役者も、信長役の染谷将太は丸顔で、どちらかといえば家康の狸顔のかたちだ。
要するに、「麒麟は来る」は、実話とフィクションのゴッタ煮風「冒険活劇映画」の趣がある。
▼濃姫(帰蝶)の描き方
NHK大河は、川口春奈が演じた斎藤道三の娘濃姫(帰蝶)に極めて重要な役割を担わせ、さまざまな発言をさせていた。彼女は、歴史的には極めて影が薄く、史料は皆無に近いが、ドラマだから自由奔放に描けたが、彼女が存在感を示せば示すほど、歴史に大きな影響を及ぼした人物という見方をしてしまう視聴者は少なくないだろう。個人的には、川口春奈には好感が持てた。
▼「信長の最期と光秀の最期」の定番
光秀が謀反を起こし、本能寺に攻撃をかけてきたと知った信長は、最初は弓を手にして矢を二、三本は放ったが、弦が切れたため、弓による攻撃をあきらめ、槍を持って戦った。接近戦では、多勢に無勢。肘に敵の槍で肘に傷を負ったために、室内に退き、そば近くにいた女たちに逃げるようにと指示した後、腹を切った。『信長記』にそう書いてある。
実際には、光秀は、信長の首を見つけようとして焼け跡を執拗に探させたといわれている。しかし、信長と断定できる首級は灰燼の中から発見できなかった。
光秀は、二条城にいた信長の嫡男信忠も討った。
ここまでは、光秀が思い描いたとおりに事が運んでいるが、大きな計算違いが一つ生じた。中国地方で毛利軍と戦っているはずの秀吉が、主君の仇討をするために毛利軍の参謀である安国寺恵瓊を呼んで談判し、巧妙に和睦へと持ち込んだかと思うと、信じられない猛スピードで引き返したのである。
▼信長の性格
犬と猫のどちらかといえば、信長は猫だ。気まぐれで、感情の起伏が激しい。機嫌がいいときはおとなしいが、何かのきっかけで豹変する。
信長の性格をごく簡単にいうと、「わがまま」で「短気」で「気まぐれ」。少年の頃は「大うつけ」といわれたほどの〝わが道を行く乱暴者〟として知られており、父親の葬儀に汚い格好で現れただけでなく、香をつかんで位牌に投げつけるという常識はずれの乱暴狼藉を働いた。
そんな若殿に手を焼いた教育係の平手政秀は、信長の目を覚まさせるために、自らの死をもって諫めた。いわゆる「死諫」(しかん)というやつだ。※拙著『武士の家訓』に、平手の遺言を現代語訳して載せてあるので、関心のある向きはどうぞ。
この出来事があって、信長はそれまでの言動を改めたといわれたが、人間、そう簡単に変われるものではない。何かの拍子に「どうしようもない性癖」が顔を出す。でもって、自分に逆らうものは、とことんやっつけないと気が済まない恐ろしい性格だった。
▼秀吉はなぜ信長に「サル、サル」と可愛がられたのか
秀吉は信長のそういう性格を知り尽くしていただけでなく、「ひょうきん」で「機転」がきいて、何事にも「調子よく対応」できる「要領の良い生き方」を身につけていたので、信長を激怒させるようなことは少なかった。
それに対し、光秀は、信長の性格をわかってはいたが、「几帳面」で「生真面目」な性格だったことから、秀吉のようにうまく受け流せず、次第に怨念が蓄積していったのではなかろうか。
▼来週日曜からは渋沢栄一が主人公の「蒼天を衝け」
渋沢栄一は、『論語』の生き方を実践した人格的に優れた偉人で、青年期までの生き方が波乱万丈。今日存続する誰もが知っている会社や銀行を500以上もつくり、「日本資本主義の父」といわれている。
私は、彼の生き方に強化し、昨年8月に新書『福沢諭吉と渋沢栄一』(青春出版社刊)を上梓した。両者は日本をリードした巨人だが、渋沢が「『論語』はわがバイブル」と信奉していたのに対し、福沢は「『論語』が大っ嫌い」と公言していた。そんな正反対の2人だったが、次第に接近し、一緒に事業をする間柄になる。
私が感動したのは、彼らは、頭もよく、仕事も抜群にできたにもかかわらず、生涯、学び続けたことだ。
書店には渋沢栄一関連の書物が並んでいるが、福沢諭吉と渋沢栄一を対比して、その生涯を比較詳述した本は、拙著を除いて1冊もない。
いくつになっても成長したかったら、本書をぜひ読んでほしい!
(城島明彦)
日本は「予防薬開発」で勝てないなら、「忍耐力」で世界一になるしかない
改めていう必要もないが、人類は今、コロナ禍に見舞われ、民族や国を問わず、「生と死が隣り合わせ」という非情な現実を突きつけられている。
若い者は体力があるから症状が出ず、自分が罹患していると知らずに菌をまき散らし、昨日まで元気だった者がいきなり陽性患者となって入院し、体力のない老人などは、あっという間にあの世へ送られる。こんな状況は恐怖以外の何物でもない。当初、志村けんや岡江久美子の急死は「不幸な特例」のように受け取る向きもあったが、武漢での発生から一年が過ぎた今、そんな風に「他人事(ひとごと)」と受け取る日本人は激減したものの、「陽性者ゼロになる日」は、いつのことやら予測が立たない。
近代医学が進歩した昨今、人類がこんな恐ろしい目に遭遇した経験は初めてだ。
大量死といえば、普通、「戦争」が頭に浮かぶ。日本も、大東亜戦争(太平洋戦争)では「赤紙」(召集令状)一つで戦地へ送り込まれ、有無を言わさず、死と向き合う日々を強要された。南方の戦地で、ジャングルを行軍中にマラリアに罹患して死亡し、そのまま放置された兵隊も大勢いた。
私は戦後生まれだが、母の長姉の夫だった人は、台湾へ向かう輸送船に機関長として乗り込み、輸送途中で米機の爆撃を受けて沈没、生死不明となり、遺骨すら遺族に戻ってこなかった。私の母の長兄は、広島の軍施設にいるときに米軍の原爆投下を受け、数メートル吹っ飛ばされたといっていたが、死ぬことはなかった。しかし、その影響は後日あらわれ、がんで死去した。別れた妻の父は、陸軍中野学校出だったが、やはり被爆、原爆手帳をもらっていた。だが、のちにがんで死去した。
戦後の日本は平和で、誰も戦争で死ぬと考える人は誰もいなくなった。そういう日本人に「死の恐怖」を突きつけたのが、今回のコロナだ。
日本人には他民族にはまねのできない忍耐力が備わっている。そのことを証明して見せたのが、戦争中の日本人だった。苦しい生活に耐えに耐えた。その忍耐力は終戦後、「高度成長」を実現する勤労意欲rとしてプラスの方向に爆発した。
今の日本の平和と繁栄は、耐えに耐えながら戦争で死んでいった人たち、耐えに耐えて働きまくって戦後の日本を急成長させた人たちのおかげだ。
戦後75年の今、コロナが蔓延し、「三度目の耐える時代」に突入している。
形こそ違え、逆境にある今、日本人の忍耐力の強さを世界に示さなければならない。
不幸にして日本は、コロナ予防薬・治療薬の開発では米英独に後れを取り、技術立国として世界にその名をとどろかせなかった。
ならば、「忍耐力で世界一」となり、「コロナ罹患ゼロ達成世界一」を実現するしかない。
東京五輪開催か否かの問題も、そういう視点からも考える必要がある。
外出を控えなければならないときは、家でじっとして本でも読んで、
「これからの人生、いかに生きるべきか」
について考えてはいかがか。それには、かの三島由紀夫が「私の一冊」と断言した『葉隠』が一番だ。
『葉隠』は「武士道は死ぬことと見つけたり」で有名で、「生と死」を考えるには格好の素材である。
一方、『葉隠』は「肥前論語」とか「鍋島論語」とも称されるように、「人生いかに生きるべきか」という教訓書でもある。
内容の一部を紹介。
▼くどい話は裏を疑え どうということのない話を念入りに詳しく語る人には、多分、その裏に何かいいたいことがあるはずだ。それを誤魔化して隠すために、何となく、くどくどしく語るのだ。それは、聞いていると、胸に疑念がわいてくる。(聞書第二 九十九)
▼今の世は夢の如し 「夢の世」とはうまいことをいったものだ。悪夢などを見ると、早く夢から覚めよと思ったり、夢であってほしいなどと願ったりすることがある。今の現実は、まさにそれと少しも違っていない。(聞書第二 百五)
▼判断に悩んだら創始者を思え (鍋島)勝茂公は、あるとき、こういわれた。「大事なことを判断しなければならない局面に遭遇し、どうしてよいかわからなくなったら、しばらく目をつむり、こんなとき日峯様(直茂公)ならどうされるだろうかと考えてみると、物事の道理が見えてくるはずだ」と。(聞書第四 一)
『葉隠』のすべての項目を読む必要はない。人生にかかわる教訓だけを読めばよい。そういう項目を厳選した。しかし、残りが気になる人のために、巻末に全巻(1300を超える項目あり)の小見出し・内容を入れた。そういうことをしたのは、本書が初。底本には気軽に原典にあたれるよう、岩波文庫(上・中・下)を使用した。
読めば必ず大きな何かを得ることができるはずだ。
(城島明彦)
仕事は、健康を回復してから頑張ればいい。無理をして働くと、病気が長引き、元も子もなくなるぞ。
「となりのトトロ」の歌が頭の奥で聞こえてきたでありんす。
♪ となりのトトロ
アニメ映画「となりのトトロ」は、大人が見ても、何度見ても、いい映画ですな。
主題歌が口をついて出てまいります。
♪ となりのトトロ トトロ トトロ トトロ
しかし、コロナ騒ぎになってからというもの、違う歌詞が頭をかすめるのでございます。
おいらは横浜市に居住しておりますもので、神奈川県民。でもって、東京都は「となり」てぇことになるんでしてな。
このご時世ですから、つい、
♪ となりのコロナ コロナ コロナ コロナ
♪ となりの都っトロイ トロイ トロイ トロイ
と歌いたくもなってくるってもの。
その東京都も、緊急事態宣言の効果が表れて、本日3日の発表では、コロナ新感染者(陽性者)数は676人。
「1000人を下回るのは6日連続」
と報じると、「おお、かなり減ってきたな」と思うが、ものはいいよう。
「東京676人感染。6日連続3ケタ」
と表現すれば、「まだまだ収まる気配はないな」と思えてもくる。
日本語は難しいが、面白い。
要するに、当初の「3密」を減らせば感染は減らせるって理屈が、改めて証明されたってぇわけですな。
じゃあ、「Go Toキャンペーン」は、なんだったの。
考えるまでもなく、
「3密を加速させ、陽性者を激増させる引き金政策」
だったってぇことがわかる。
政府も東京都も、人為的にコロナ感染を増やさせ、それから今度は減らす方策を打ったということですな。
わかりやすい言葉でいえば、「マッチ・ポンプ」なんでやんす。
自分でマッチを擦って火をつけ、ぼうぼう燃えてきたら、今度はポンプで消火に当たる。
政府がやってきたのは、これですがな。
サラリーマンが病気になると、だいたい、こういうことをいいますな。
「無理するな。健康第一! 安静にして病気を直すことに専念しろ。仕事は、健康を回復してから頑張ればいい。無理をして働くと、病気が長引き、元も子もなくなるぞ」
コロナかて、同じですがな。
なのに、Go Toキャンペーンの口実として政府が公言したのは、
「経済も医療も」
という二兎を追う強欲な政策でありんした。
その結果、陽性者は激増する一方で、経済回復は中途半端になり、このままいくとヤバくなるってんで、あわてて「緊急事態宣言」を打ったってぇ図式だ。
飲食店やら旅館やらは、中途半端な支援策のとばっちりで、天国と地獄を行ったり来たり。
♪ わて ほんまに よういわんわ
ってなことになりにけりでござりますがな。
辛抱や! 辛抱や! 干上がる寸前まで辛抱しなけりゃ、コロナ激減とはいかんぞ。
国会議員が、こっそりキャバクラ通いしていたとか、抜け道がゴロゴロ。
コロナ禍が収まらんわけだわな。
そういう観点に立てば、〝東京五輪は世紀の恐怖イベント〟になりかねません。
もうむちゃくちゃでござりまするがな。
さて、映画「となりのトトロ」では、挿入歌の一つに「さんぽ」というのもあって、これまたいい歌でやんす。
戦前派の爺さんたちは、「さんぽ」と聞くと、
「三歩下がって 師の影を踏まず」。
を思い浮かべ、団塊世代あたりは、「365歩のマーチ」の
♪ 一歩下がって 二歩進む
人生はワンツーパンチ
なんてぇ歌詞をつい連想しかねない今日この頃でございます。
緊急事態宣言は2度目じゃによって、二歩下がったってぇことになる。であるからして、コロナの場合は、三歩進まないと、前へはいけませんのですぞ。
「となりのトトロ」の「さんぽ」の出だしの歌詞。
♪ 歩こう 歩こう わたしは元気
歩くの大好き どんどん行こう
(城島明彦)
人間、年を取ると、ろくなことはありませんぞ
♪ やーれん、そーらん、そーらん、そーらそうじゃ
日がな一日、机の前に座ってデスクトップパソコン相手に文章を書いているか、ベッドに入ってテレビで古い映画を見ているか。あとは眠っているだけ。
そんな生活を長く続けてきたら、昨年、急激にガタガタになった。
♪ ガタが来た ガタが来た どこにきた
腰に来た 歯目に来た マラに来た ってか
道を歩くスピードは10代や20代の頃と少しも変わらないが、激変したのは坂道を登るとき。
下りはかなりのスピードで駆け下りても何とも感じないのに、問題は、重い買い物袋をぶら下げての帰りの坂道。
♪ 大きな袋を 肩にかけ
ダイコク様が 来かかると
ゼイゼイあえいだ 爺ウサギ
――ってな状態でございます。
かなりの急道ではあるが、普通の歩調では息が上がってしまうようになり、ちんたらちんたらとしか登れなくなってしまった。
まるで、のろまな亀のようでありんす。
こんなハズじゃなかった!
その理由は、極度の運動不足と老化ですな。
「ろうか、長~い目でみてください」
なんていっている場合ではない。
そう思って、腕立て伏せやらスクワットやらは、それなりにやっているが、効果はない。
ほとんど歩かないというのが響いているらしい。
今日は急用があって、バス・電車を使って二子玉川までいってまいりやした。
短時間ではありましたが、少し歩いたんでやんす。ほしたら、帰りの坂道がいつもほど苦しくはなかっただよ。
ここ数日、スクワットと腕立て伏せの回数を増やしたことも効いたのか?
人間は、やはり、体を動かしていないとダメだということを改めて思い知らされましたな。
――それにしても、厄介な時代ですなあ、コロナ防止対策の「マスク」のせいで息苦しく感じる。
嘆いても始まらないが、困った時代になりましたなァ。
皆様もどうか、お気をつけなすって!
(城島明彦)