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2021/01/15

「蘭奢待」(らんじゃたい)――名香を放つ朽ち木に「東大寺」という「隠し字」を当てた昔の人の知恵に脱帽

正倉院に眠る香木はどうやって日本に伝わったのか?

 

 男の子は、いつの時代でも、女の子に比べて「冒険心」に富んでいて、「謎」めいたことに興味を持ちがちだ。

 インディ・ジョーンズの映画が大ヒットしたのも、そういう謎めいた話を巧みに取り入れたからだ。

 西欧では、聖書に記載された事柄に関するものが、その対象になることが多い。

 ゴルゴダの丘でキリストが処刑されるときに来ていた衣服にまるわる「聖衣」とか、「聖櫃」とか「聖杯」などだ。

 「財宝のありかを示す古い地図」なんていうのもそれで、日本にも、「武田信玄の隠し財宝」とか、幕末の「徳川の埋蔵金」とか、新しいところでは「山下奉文の埋蔵金」などというものもあり、なかには、それを真に受けて本格的に発掘を行い、気づくとスッテンテンになっっていたという者もいるが、普通の人はそこまではいかず、〝絵物語〟〝単なるうわさ〟と考えるだけだ。

 

無知が生む謎ではあるが

  ネス湖のネッシーにしても、誰かが見たという噂が流れ、それっぽい写真を撮ったという者が現れ、さらにそれに便乗して「自分も見た」「こんな話を聞いた」などと言い出すものが増えることで、次第に話に尾ひれがつき、それにメディアが乗っかって、謎を作り上げていくというパターンが圧倒的に多い。

 

「ネッシーやヒマラヤの雪男のような巨大生物は、いったい、何を食べて生き延びてきたのか」

 と考えたら、小学生でも、そういう生物が存在できないことがわかりそうなものだし、雌雄同体でない限り、一体では反映できないと気付くはずだが、自称科学者のような連中が、「世の中には理屈では解決できないものがある」などという前提で、妙な理屈をつけて「存在説」を唱えるもののだから、それに便乗して写真などを捏造するという「罪つくり」なことをする。

 小説や映画なら問題ないが、それを事実とするために嘘八百が蔓延することは面白くはあるが、世の中を騒がせる点では好ましくない。

 

 謎は、ただ事実を知らないために生じているケースや証拠がないために想像力が独り歩きしているケースがほとんどで、調べようと思っても解明いづらい点が多く、そこに目を付けて存在説を唱えたり、こじつけたりする。

 UFOなど、その典型だ。

 昔は、空遠く舞い上がった風船とか、気象観測用のラジオゾンデが太陽光を浴びてキラキラ輝いているのをUFOと見誤った場合も多い。

 一種の異説が独り歩きしていくわけだが、「ノストラダムスの大予言」とか「惑星一直線」とか「マヤのカレンダーが終わる日が地球の終わり」などが、まさにそれだった。 

 そこには宗教の普及と似たような現象がみられる点も興味深いが、そういうテーマに共通している基本的キーワードは、現在の科学では立証しがたい、あるいは実証しづらい「謎」「ミステリー」である。

 

正倉院御物「蘭奢待」の謎

 前置きが長くなったが、今回のテーマは前に書いた国宝の香木「蘭奢待」(らんじゃたい)の続きだ。蘭奢待は、香木で原産地はベトナムとされている。

「蘭奢待」という名称の各文字の中に収蔵された東大寺という文字が入っている言葉を後付けで選んだ点など、謎めいているが、こちらは正真正銘の正倉院御物で、国宝。

 UFOあたりとは次元が違うが、いつどのようにしてシルクロードを経て日本に伝わってきたのか、あるいはベトナム産の香木が海流に乗って日本のどこかの海岸に流れ着き、それが皇室に寄進されたものなのかなど、謎は多く、興味深い。

 

 以下の話は、昨年1227日付の当ブログ〈NHK大河ドラマ「麒麟が来る」の第37回「信長公と蘭奢待」の不思議発見!〉の続きのようなものなので、そちらを先に目を通してもらうと話が通じやすい。

 

 NHK大河ドラマは、明智光秀にあまり関心がないこともあり、最初のうちは観ていたが、そのうち興味を失い、ほとんどみなくなっていて、その回も途中から見たので、蘭奢待をめぐる話を同ドラマがどう解釈したのかがよくわからないが、見た人のブログなどをチェックすると、毛利輝元にも「蘭奢待」が渡ったという話だったようだ。

「そういうことなら観たかった」と思ったが、どうしても見たいとまでは思わないから、もはや知りようがない。

 

 毛利家にも「蘭奢待」が渡っていたことは、昨年春に上梓した拙著『武士の家訓』を執筆する際の参考文献として一昨年に目を通した古文書「毛利家文書」のなかに「十種之香」という記録があり、その先頭に「蘭奢待」と書かれていたので知ってはいたが、それ以上調べる時間がなく、詳細についてまではわからなかった。

「毛利家文書」(四)には、「十種之香」として次の香の名が記されていた。

  一、蘭奢待

  一、紅塵(こうじん)

  一、三吉野(みよしの)

  一、逍遥

  一、法華経

  一、八橋(やつはし)

  一、花橘(はなたちばな)

  一、中川

  一、京に似た読み方不明の一文字

 ※京という字の「小」の部分が「木」になっている文字で、「きょう」と読ませたのか、浅学にして不明。似たような時に植物の「枲」(し/からむし)がある。

  一、太子

 

 この文書は「天正5(1577)年8月に書かれた」と推測されており、つまり、信長が正親町天皇の勅許を得て切り取った年(天正2(1574

年3月28日)から3年後である。

 正倉院御物は天皇家のものなので、天皇の勅許なしに勝手に宝蔵庫を開扉したり宝物を観たりすることはできない。

 で、信長は、天皇への感謝の気持ちとして切り取った蘭奢待を二分して天皇にも贈ったので、信長か天皇のどちらかが、さらに毛利輝元(「三本の矢」で知られる毛利元就の孫)に分け与えたことになる。現存する宮中の女官が送った手紙や『棚守房顕覚書』(たなもりふさあき おぼえがき)という資料など記述から、天皇が輝元に下賜したと推測されている。

  

「蘭奢待を切り取った」と書いた天皇の手紙は5000万円

 「蘭奢待の切り取り」に関して、正親町天皇が内大臣の九条稙通(たねみち)に送った縦 34.7cm、横 99.9cmの手紙「紙本墨書正親町天皇宸翰御消息」(しほんぼくしょ おおぎまちてんのうしんかん ごしょうそく)が現存しており、平成27年京都博物館が5000万円で買い取り、今は同館にある。

 Photo_20210115140101 右のほうに「蘭奢待」と書かれた太い文字が見える

 唐突に「蘭奢待」を切り取ったと書いた天皇の手紙が5000万円なのだから、信長が切り取った一寸八尺の「蘭奢待」の一部(破片)がもし市場に流れ出たとすれば、いくらになるのか!? 考えるだけでも楽しくなってくる。

 

 信長は、天正2年3月28日に「蘭奢待」を手に入れると、さっそく4月3日に相国寺に堺の商人らを集めて茶会を開き、覚えのめでたかった商人にして茶人の千宗易(千利休)と津田宗及に破片を分け与えたり、側近で京都所司代の要職をこなしている村井貞勝にも気前よく分与した。

 村井貞勝は、同じく信長の家臣の関長安(一宮城主)を通じて、天正2年5月頃、真清田(ますみだ)神社(由緒ある尾張一宮)に奉納した。しかし、この神社は太平洋戦争で焼失、現在の社殿はその後に再建された建物である。

 

天皇は小分けして何人かに下賜していた

 一方、信長から半分もらった正親町天皇が、毛利輝元に「蘭奢待」を下賜したのは、信長が切り取った翌年の天正3年5月。

 輝元は、その3か月後の同年8月に、それを厳島神社に奉納したこともわかっている。

 ここで、前記の「十種之香」が記された天正5(1577)年という年を思い返すことになる。毛利家に下賜された「蘭奢待」は、その2年前に厳島神社に奉納し、手元に残っていないはずではないのか?

 いや、全部を奉納しなかった可能性がある。つまり、次々と「小分けしたらしい」ということだ。

 毛利家にも家宝として蘭奢待の破片を残し、厳島神社にも奉納したと考えるとわかりやすいのではなかろうか。

 

 天皇から破片を下賜された者は、ほかにもいた。中納言の勧修寺晴右(かじゅうじ はれすけ)で、晴右は娘が後宮に入って後陽成天皇ほかを産んでおり、天皇家とは特別の間柄だったからだが、天正5年1月1日に死去、同月14日に仏舎利とともに京都の泉涌寺に収められた。

 

事実と空想のはざま

 ここから先は、空想の世界になる。「蘭奢待」の破片がどんどん世間に散っていった事実を逆手にとれば、「実は盗品だ」とか「もっと他にあった」などと適当なことをいって、欲しがる者に高値で売った詐欺商法だってあったのではないかと思えてくる。「財宝探しの謎」の面白さは、こういう楽しさではないのかと私は思っている。

 ここで、秀吉に話が飛ぶ。

 明智光秀を倒して天下を取った豊臣秀吉は、信長を神のごとく信奉してきたので、真似をしたことも多かった。

 本能寺の変から2年後の天正1210月に大坂城に千宗易ら茶人やキリシタン大名高山右近などを招いて「茶会」を開いた。記録にはないが、そのときに「蘭奢待」を使ったと考えたとしても、「そういうことはありえない」と断言することはできないのである。

 私がNHK大河ドラマに望むのはそういうやり方だが、過去の大河ドラマでは、どう考えてもありそうもない話をでっちあげていることがしばしばだった。

 NHK大河ドラマは「西遊記」ではないのだから、資料を調べまくって事実関係をきちんと押さえたうえで、資料にないところを「さすがNHKといわれるような想像力で埋めて面白おかしくする」というドラマづくりを心がけないとと、視聴率はどんどん下がっていくだけではないのか。つまり、NHK大河ドラマを手がける連中には「ゼロベースに立った意識改革」が求められている、ということだ。

 

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(城島明彦)

 

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