学者は「学問の自由」をはき違えるな! 日本転覆を煽る思想・殺人教唆的思想も「学問の自由」か? ユダヤ人を迫害したナチの思想は「政治の自由」か、無差別殺人を教唆したオウム真理教は「宗教の自由」か?
「学問の自由」にもおのずと制限がある! 思想・人格・言動など「学術会議メンバー」にふさわしくない学者がいないとはいわさぬぞ! 思い上がるな!
私の場合、身近なところに学者がいた関係で、小学生の頃から「学術会議」という言葉を聞き知っていたが、学者が集まって発表したり議論する場だと思っていた。
北朝鮮や中国と比べたら、今の日本は幸せだ。
戦後の日本は、 〝自由の大盤振る舞い〟〝自由の大安売り〟だ。
言論の自由、思想の自由、学問の自由、宗教の自由など、「自由」が掃いて捨てるほど生まれた
だが、その一方で、「公序良俗」という制限も設けられている。それ以前に「法律」という縛りがある。
「学問の自由」を逆手にとって、大学の研究室で、新型コロナウイルスのような生物兵器を開発してもいいということにはならない。
また、「学問の自由」の名のもと、「自由に発言できる」という大義名分をふりかざして、現政権を打倒する種をまこうとする意図がないとは言い切れない。
どこの世界に自分を頭から否定したり猛批判する者を起用するバカがいるか。
人選から外されたバカ学者どもよ、そういうことをわかっていながら、「学問の自由」などというのはやめてもらいたい。
さんざん文句をいっている連中は、自分のどこが毛嫌いされたのか。一種の〝危険思想〟とみなされる点は皆無なのか、じっくり反省したらどうか。
自分の研究室に、自分を批判しまくる助教や院生らを採用しているのか。
当然、自分のメガネにかなったものを選別しているだろう。
それと同じだということに気づかないといけない。
「似非(えせ)学問の自由」を「真の学問の自由」と、はき違えて偉そうなことをいってはいないか。胸に手を当てて反省することだ。
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