« 長寿社会の大問題「子や孫より長生きして、何がめでたい」 | トップページ | 学者は「学問の自由」をはき違えるな! 日本転覆を煽る思想・殺人教唆的思想も「学問の自由」か? ユダヤ人を迫害したナチの思想は「政治の自由」か、無差別殺人を教唆したオウム真理教は「宗教の自由」か?  »

2020/10/20

〝血ィ吸うたろか映画〟の旧作3本と〝ガス人間〟1本を観たでがす

「かい~の」で有名な間寛平のギャグ〝血ィ吸うたろか〟の元祖は、東宝の日本版ドラキュラ映画「血を吸うシリーズ」

 

 というわけで、長い間、見る機会がなかった東宝の旧作映画「ガス人間第一号」を先日、アマゾンの「プレミアビデオ」で見たのでがす。

 

 ガス人間といっても、くっさい屁をこいて人を殺すわけじゃありませんことよ。

 体がガス状になって姿が見えなくなるようになった人間のお話ですのよ。

 「へぇ、そう」なんていっちゃいや。誰や、プッと屁みたいに笑うのは。

 ゴジラを作った監督多猪四郎・特技監督円谷英二黄金コンビの手にかかると、単なる特撮ものの域を越え、舞踏家の家元に扮した八千草薫が能面をつけて本格的に舞い続けるシーンなど、本格映画のおもむきでありますぞ。

 この映画は1960(昭和35)年公開なので、オイラが中2のときだっちゃ。

 お勉強が忙しいのと、お小遣いが足りないのとで見落として今日に至ったちゅうわけでがす。

 そやから、計算してみると、今から60年も前の作品ちゅうことになるんでがす。

 その年に生れた子が今は60歳や。時のたつのは早いもんでがすなあ。

 

 60代以上の人ならよく知っているでしょうが、美人ジャズシンガーとして一世を風靡した阿川泰子。そのお方が女優として出演した〝血ィ吸うたろか系映画〟もプライムビデオで観ましたんや。1974年公開を吸う薔薇」ですわ。

 彼女、短い時間ではありますが、〝知性派クラス〟の乳輪と乳頭を露出してはります。

 

 オイラはその前年に東宝の助監督を辞めてソニーの宣伝部に入ったので、砧の東宝撮影所内で彼女とすれ違うこともなかったんでがす。

 残念無念だ、ビーチク、パーチク。

 

 彼女は、乳頭露出という役柄を割り振られたことも嫌だったんでしょうなァ。その後、女優をやめてジャズシンガーへと転身を図り、売れっ子になったのでやんすから、転職という選択肢は大正解だったんでがす。

 しかし、いつごろからか、テレビでは彼女の姿を観なくなりましたなあ。

 

 でもって、ここからは間寛平もビックリ〝和製・血ィ吸うたろかシリーズ〟「血を吸う眼」「血を吸う薔薇」「血を吸う人形」という和製ドラキュラ映画の話なんよ。

 製作年代順にいうと、

「血を吸う人形」 1970(昭和45)年

「血を吸う眼」  1971(昭和46)年

「血を吸う薔薇」 1974(昭和49)年

 吸血鬼に扮したのは女優岸田今日子の従弟岸田森(しん)はんや。

 森さん、役柄としては、はまってましたが、ドラキュラの呪いか、43歳で死なはりました

 

 この「血を吸うシリーズ」3部作の監督は〝ヤマカンさん〟こと山本迪夫(みちお)。

 プロデューサーは、最初の一本が「ガス人間第一号」や一連のゴジラ映画などをつくった大御所田中友幸田中文雄(同性ですが血のつながりはありません)の共同制作で、2本目と3本目は田中文雄が制作者として独り立ちした。

 東宝社員だった田中文雄は、その後、映画づくりを離れ、SF推理系の作家になるが、早稲田卒で私より5年先輩。奥さんは私が東宝に入社したときの同期だった人で、てきぱきした言動を見込まれて秘書室に配属になったできるOLだった。

 

 「血を吸う人形」の主演は、若くて美人だった頃の松尾嘉代小林夕起子(日活で主演を張った俳優水島道太郎の娘)も共演したが、ぱっとしません。しかし、脇を固めていたのは、中村敦夫、中尾彬ということもあってか、DVDになってからは3本のなかで一番多く見られているが、個人的にはシリーズ最後の「血を吸う薔薇」が演出的にも話としても面白いと思ったでがす。

 

 失敗したのは2作目のを吸う眼」でしょうな。

 出番の多い藤田みどりが女優としての魅力に欠け、それが致命的ですな。藤田みどりは、劇団欅(けやき)に所属していた演劇畑の女優で、この映画に出た翌年に岡田真澄と結婚しますが、どう見ても飛び切りの美人とは縁遠い女優で、私生活でも岡田とものち離婚するんでがす。

 当時、金井克子や由美かおるとならんで人気があった西野バレエ団の江見早苗も出ていますが、女優として見るとパッとせず、のちに別れた元夫に惨殺されるという〝血ィ吸うたろか映画〟のはるか上をいく猟奇的事件で、あっけなくあの世へ行ってしまったんでがす。

 この映画では、脇を固めた高橋長英もイマイチぱっとせず、要するに、出演陣が魅力に欠けており、それがB級観を強く印象付けさせたのでしょうな。よほど製作費をけちったのかと、そんなことまで疑われかねないキャスティングでがした。

 でもって、それから3年後に満を持して登場したを吸う薔薇」では、黒沢年男を起用し、田中邦衛を添えたこともあり、しかも同じ監督でありながら、演出的にも前2作より出来が上と思えましたんでがす。

 

 ところで、オイラは中学生の頃からドラキュラ映画に魅せられ、1989(昭和64)には『ようこそ吸血姫』という小説も書いたんでげす。この「吸血姫」は「きゅうけつひめ」と読むのではなく、「きゅうけつき」と読むのがミソじゃぞ。「姫」の音読は「き」じゃからして。これが自慢じゃったのだが……。

 しかし、そういうオイラの思惑は外れ、本は売れんかったけん、吸血姫シリーズを狙っていたオイラの皮算用はパアになってしもた。

 この小説は、映画化も意識して、章立てを「シーン1 吸血姫さまのお目覚め」などと、凝ってみたのだったが……。

 ついでに、出だしを紹介しておこう。

 

  太古の昔からーー

  不可思議な事件や思いもよらぬ大異変がおきる前には、地震、雷、嵐などの天変地異がおきるもの、と相場が決まっている。

  それが証拠にーー

  地震の前にはナマズが動き、動物たちの様子がおかしくなる。

  台風が襲来する前には、夕焼け空が毒々しい色に染まる。

  人間には感じられない放射能に反応して、ムラサキツユクサは花の色を変える。

  その日も、そうであった。

  なにかの前ぶれであるかのように、雷鳴がとどろいた。

  神の島の上空はるか、雲ひとつない青空を引き裂いて、突然、雷鳴が鳴り響いた。晴天の霹靂(へきれき)というやつである。

  神の島ーー周囲二キロにも満たない小さな島である。歴とした日本の領土だが、あまりに小さすぎて地図には載っていないし、今は誰も住んでいない。

  今はといったことからわかるように、昔は人が生活していたのである。

  それがいつのことなのかは、わからない。知っているのは、桐生剛造(きりゅう ごうぞう)という、この島の所有者だけだ。

  神の島は、明治維新までは江戸幕府直轄領だったらしいが、倒幕に功績のあったある廻船問屋に政府が払い下げた。その商人が、桐生剛造の祖先だという話である。

 人が住んでいたのは江戸時代以前ということだが、いつごろから住んでいたのか、人口はどれくらいだったのかなど、詳しいことは一切わかっていない。

     ☆      ☆      ☆

  神の島で雷鳴がとどろいた、ちょうどその時刻。

  インドの沖合はるか、太平洋の深海で、海底火山が噴火した。

  その噴火は、岩、泥、砂、海藻、魚介類と一緒に、沈没していた難破船も吹き飛ばした。

  難破船の種類は、帆船である。

  噴火によって帆船はこっぱみじんになったが、船倉にたったひとつ、ポツンと置かれていた「荷物」だけは、なぜか無傷だった。

  この不思議な船荷は、長方形に近い六角形のふたがついた木の箱で、大人の人間ひとりがあおむけに寝られるだけの広さをもっていた。

  棺(ひつぎ)ーー西洋の棺桶(かんおけ)だった。

  この棺は、がんじょうな太い鎖で幾重にもしばられていただけでなく、ごていねいにも、いくつもの重い鉄のおもりがぶら下げてあった。

  こうしたことから推測できるのはーー帆船は、この棺をどこか遠くの海まで運び、そこで海底近く沈めるつもりだったのだろう。ところが、航海途中で嵐にあい、皮肉にも船そのものが沈没してしまったーーおそらく、そういうことであろう。

  それから何世紀かをへて、海底火山が噴火、船はふっとび、鉄のおもりをつないであった銀の鎖もちぎれた。

  しかし、棺と棺をしばる鎖だけは少しも損傷を受けることなく、海上に浮かび出ると、そのまま激しい潮の流れに乗った。

 (以下、こういう調子で物語が続く)

 

 今から31年前に書いた話の出だし部分である。オイラも年を取るわけだ。

(城島明彦)

 

 

 

 



 

(城島明彦)

 

 

« 長寿社会の大問題「子や孫より長生きして、何がめでたい」 | トップページ | 学者は「学問の自由」をはき違えるな! 日本転覆を煽る思想・殺人教唆的思想も「学問の自由」か? ユダヤ人を迫害したナチの思想は「政治の自由」か、無差別殺人を教唆したオウム真理教は「宗教の自由」か?  »