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2020/10/25

「生きる努力」と「死ぬ努力」、どちらが大変か!?

「死んで花実が咲くものか」「死ぬ気になって頑張れ」などというが、「死んで楽になりたい」という思いが頭をよぎる…

 

 生きていても楽しくない日が続いている。

 

 若い頃から、神経が妙にデリケートで、気圧変化や天候に左右されがちで、ひんぱんに「うつ状態」に陥る。

 そこへもってきて、「老人性うつ」という厄介なものも加わっているに違いない。

 食事をしても、テレビを観ても、映画を観ても、「生きている歓び」などと呼べるような楽しい感情がまったくなくなっている。

 

 青春時代には、「何のために生きているのか」「生とは何か」などと、答えの出ない、実に〝青くさいこと〟を繰り返し考えたものだが、今、頭をかすめるのは「もういいか」という思いだけ。


 若い時代は、精神年齢が未熟でも、体にはエネルギーがあふれていた。

 しかし、年老いた今は、体力が落ち、カラ元気も出やしない。 

 早くあの世へ行って、親孝行でもするか。

(城島明彦)

2020/10/23

学者は「学問の自由」をはき違えるな! 日本転覆を煽る思想・殺人教唆的思想も「学問の自由」か? ユダヤ人を迫害したナチの思想は「政治の自由」か、無差別殺人を教唆したオウム真理教は「宗教の自由」か? 

「学問の自由」にもおのずと制限がある! 思想・人格・言動など「学術会議メンバー」にふさわしくない学者がいないとはいわさぬぞ! 思い上がるな! 

 

 私の場合、身近なところに学者がいた関係で、小学生の頃から「学術会議」という言葉を聞き知っていたが、学者が集まって発表したり議論する場だと思っていた。

 

 北朝鮮や中国と比べたら、今の日本は幸せだ。

 戦後の日本は、 〝自由の大盤振る舞い〟〝自由の大安売り〟だ。

 言論の自由思想の自由学問の自由宗教の自由など、「自由」が掃いて捨てるほど生まれた

 

 だが、その一方で、「公序良俗」という制限も設けられている。それ以前に「法律」という縛りがある。

 

「学問の自由」を逆手にとって、大学の研究室で、新型コロナウイルスのような生物兵器を開発してもいいということにはならない。

 

 また、「学問の自由」の名のもと、「自由に発言できる」という大義名分をふりかざして、現政権を打倒する種をまこうとする意図がないとは言い切れない。

 どこの世界に自分を頭から否定したり猛批判する者を起用するバカがいるか。

 

 人選から外されたバカ学者どもよ、そういうことをわかっていながら、「学問の自由」などというのはやめてもらいたい。

 さんざん文句をいっている連中は、自分のどこが毛嫌いされたのか。一種の〝危険思想〟とみなされる点は皆無なのか、じっくり反省したらどうか。

 自分の研究室に、自分を批判しまくる助教や院生らを採用しているのか。

 当然、自分のメガネにかなったものを選別しているだろう。

 それと同じだということに気づかないといけない。

 

似非(えせ)学問の自由」を「真の学問の自由」と、はき違えて偉そうなことをいってはいないか。胸に手を当てて反省することだ。

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(城島明彦)

 

2020/10/20

〝血ィ吸うたろか映画〟の旧作3本と〝ガス人間〟1本を観たでがす

「かい~の」で有名な間寛平のギャグ〝血ィ吸うたろか〟の元祖は、東宝の日本版ドラキュラ映画「血を吸うシリーズ」

 

 というわけで、長い間、見る機会がなかった東宝の旧作映画「ガス人間第一号」を先日、アマゾンの「プレミアビデオ」で見たのでがす。

 

 ガス人間といっても、くっさい屁をこいて人を殺すわけじゃありませんことよ。

 体がガス状になって姿が見えなくなるようになった人間のお話ですのよ。

 「へぇ、そう」なんていっちゃいや。誰や、プッと屁みたいに笑うのは。

 ゴジラを作った監督多猪四郎・特技監督円谷英二黄金コンビの手にかかると、単なる特撮ものの域を越え、舞踏家の家元に扮した八千草薫が能面をつけて本格的に舞い続けるシーンなど、本格映画のおもむきでありますぞ。

 この映画は1960(昭和35)年公開なので、オイラが中2のときだっちゃ。

 お勉強が忙しいのと、お小遣いが足りないのとで見落として今日に至ったちゅうわけでがす。

 そやから、計算してみると、今から60年も前の作品ちゅうことになるんでがす。

 その年に生れた子が今は60歳や。時のたつのは早いもんでがすなあ。

 

 60代以上の人ならよく知っているでしょうが、美人ジャズシンガーとして一世を風靡した阿川泰子。そのお方が女優として出演した〝血ィ吸うたろか系映画〟もプライムビデオで観ましたんや。1974年公開を吸う薔薇」ですわ。

 彼女、短い時間ではありますが、〝知性派クラス〟の乳輪と乳頭を露出してはります。

 

 オイラはその前年に東宝の助監督を辞めてソニーの宣伝部に入ったので、砧の東宝撮影所内で彼女とすれ違うこともなかったんでがす。

 残念無念だ、ビーチク、パーチク。

 

 彼女は、乳頭露出という役柄を割り振られたことも嫌だったんでしょうなァ。その後、女優をやめてジャズシンガーへと転身を図り、売れっ子になったのでやんすから、転職という選択肢は大正解だったんでがす。

 しかし、いつごろからか、テレビでは彼女の姿を観なくなりましたなあ。

 

 でもって、ここからは間寛平もビックリ〝和製・血ィ吸うたろかシリーズ〟「血を吸う眼」「血を吸う薔薇」「血を吸う人形」という和製ドラキュラ映画の話なんよ。

 製作年代順にいうと、

「血を吸う人形」 1970(昭和45)年

「血を吸う眼」  1971(昭和46)年

「血を吸う薔薇」 1974(昭和49)年

 吸血鬼に扮したのは女優岸田今日子の従弟岸田森(しん)はんや。

 森さん、役柄としては、はまってましたが、ドラキュラの呪いか、43歳で死なはりました

 

 この「血を吸うシリーズ」3部作の監督は〝ヤマカンさん〟こと山本迪夫(みちお)。

 プロデューサーは、最初の一本が「ガス人間第一号」や一連のゴジラ映画などをつくった大御所田中友幸田中文雄(同性ですが血のつながりはありません)の共同制作で、2本目と3本目は田中文雄が制作者として独り立ちした。

 東宝社員だった田中文雄は、その後、映画づくりを離れ、SF推理系の作家になるが、早稲田卒で私より5年先輩。奥さんは私が東宝に入社したときの同期だった人で、てきぱきした言動を見込まれて秘書室に配属になったできるOLだった。

 

 「血を吸う人形」の主演は、若くて美人だった頃の松尾嘉代小林夕起子(日活で主演を張った俳優水島道太郎の娘)も共演したが、ぱっとしません。しかし、脇を固めていたのは、中村敦夫、中尾彬ということもあってか、DVDになってからは3本のなかで一番多く見られているが、個人的にはシリーズ最後の「血を吸う薔薇」が演出的にも話としても面白いと思ったでがす。

 

 失敗したのは2作目のを吸う眼」でしょうな。

 出番の多い藤田みどりが女優としての魅力に欠け、それが致命的ですな。藤田みどりは、劇団欅(けやき)に所属していた演劇畑の女優で、この映画に出た翌年に岡田真澄と結婚しますが、どう見ても飛び切りの美人とは縁遠い女優で、私生活でも岡田とものち離婚するんでがす。

 当時、金井克子や由美かおるとならんで人気があった西野バレエ団の江見早苗も出ていますが、女優として見るとパッとせず、のちに別れた元夫に惨殺されるという〝血ィ吸うたろか映画〟のはるか上をいく猟奇的事件で、あっけなくあの世へ行ってしまったんでがす。

 この映画では、脇を固めた高橋長英もイマイチぱっとせず、要するに、出演陣が魅力に欠けており、それがB級観を強く印象付けさせたのでしょうな。よほど製作費をけちったのかと、そんなことまで疑われかねないキャスティングでがした。

 でもって、それから3年後に満を持して登場したを吸う薔薇」では、黒沢年男を起用し、田中邦衛を添えたこともあり、しかも同じ監督でありながら、演出的にも前2作より出来が上と思えましたんでがす。

 

 ところで、オイラは中学生の頃からドラキュラ映画に魅せられ、1989(昭和64)には『ようこそ吸血姫』という小説も書いたんでげす。この「吸血姫」は「きゅうけつひめ」と読むのではなく、「きゅうけつき」と読むのがミソじゃぞ。「姫」の音読は「き」じゃからして。これが自慢じゃったのだが……。

 しかし、そういうオイラの思惑は外れ、本は売れんかったけん、吸血姫シリーズを狙っていたオイラの皮算用はパアになってしもた。

 この小説は、映画化も意識して、章立てを「シーン1 吸血姫さまのお目覚め」などと、凝ってみたのだったが……。

 ついでに、出だしを紹介しておこう。

 

  太古の昔からーー

  不可思議な事件や思いもよらぬ大異変がおきる前には、地震、雷、嵐などの天変地異がおきるもの、と相場が決まっている。

  それが証拠にーー

  地震の前にはナマズが動き、動物たちの様子がおかしくなる。

  台風が襲来する前には、夕焼け空が毒々しい色に染まる。

  人間には感じられない放射能に反応して、ムラサキツユクサは花の色を変える。

  その日も、そうであった。

  なにかの前ぶれであるかのように、雷鳴がとどろいた。

  神の島の上空はるか、雲ひとつない青空を引き裂いて、突然、雷鳴が鳴り響いた。晴天の霹靂(へきれき)というやつである。

  神の島ーー周囲二キロにも満たない小さな島である。歴とした日本の領土だが、あまりに小さすぎて地図には載っていないし、今は誰も住んでいない。

  今はといったことからわかるように、昔は人が生活していたのである。

  それがいつのことなのかは、わからない。知っているのは、桐生剛造(きりゅう ごうぞう)という、この島の所有者だけだ。

  神の島は、明治維新までは江戸幕府直轄領だったらしいが、倒幕に功績のあったある廻船問屋に政府が払い下げた。その商人が、桐生剛造の祖先だという話である。

 人が住んでいたのは江戸時代以前ということだが、いつごろから住んでいたのか、人口はどれくらいだったのかなど、詳しいことは一切わかっていない。

     ☆      ☆      ☆

  神の島で雷鳴がとどろいた、ちょうどその時刻。

  インドの沖合はるか、太平洋の深海で、海底火山が噴火した。

  その噴火は、岩、泥、砂、海藻、魚介類と一緒に、沈没していた難破船も吹き飛ばした。

  難破船の種類は、帆船である。

  噴火によって帆船はこっぱみじんになったが、船倉にたったひとつ、ポツンと置かれていた「荷物」だけは、なぜか無傷だった。

  この不思議な船荷は、長方形に近い六角形のふたがついた木の箱で、大人の人間ひとりがあおむけに寝られるだけの広さをもっていた。

  棺(ひつぎ)ーー西洋の棺桶(かんおけ)だった。

  この棺は、がんじょうな太い鎖で幾重にもしばられていただけでなく、ごていねいにも、いくつもの重い鉄のおもりがぶら下げてあった。

  こうしたことから推測できるのはーー帆船は、この棺をどこか遠くの海まで運び、そこで海底近く沈めるつもりだったのだろう。ところが、航海途中で嵐にあい、皮肉にも船そのものが沈没してしまったーーおそらく、そういうことであろう。

  それから何世紀かをへて、海底火山が噴火、船はふっとび、鉄のおもりをつないであった銀の鎖もちぎれた。

  しかし、棺と棺をしばる鎖だけは少しも損傷を受けることなく、海上に浮かび出ると、そのまま激しい潮の流れに乗った。

 (以下、こういう調子で物語が続く)

 

 今から31年前に書いた話の出だし部分である。オイラも年を取るわけだ。

(城島明彦)

 

 

 

 



 

(城島明彦)

 

 

2020/10/17

長寿社会の大問題「子や孫より長生きして、何がめでたい」

早く生まれた順に死くことこそ「幸せ」

 

 事故や事件で子や孫を失った高齢者の心情を、そういう目に遭ったことのない他人が100%理解することはできない。 

 親が子より長生きすることを「逆縁」といっているが、今日では祖父母が孫より長生きする例も増えている。

 私の場合は、祖父母も父母も「順縁」であの世へ旅立ってきたから、「逆縁」となった人たちの真の気持ちを想像することしかできない。

 

 そのことを改めて考えさせるきっかけとなったのは、来年出版予定の『葉隠』(はがくれ)を現代語訳する仕事をしていて、

 「子や孫に先立たれて長生きしている婆さんのどこがめでたい

 と語ったと書かれたくだりを読んだときだった。

 

 『葉隠』といえば「武士道とは死ぬことと見つけたり」があまりにも有名だが、この本は「聞書(ききがき)で、書かれたのは江戸中期

 当時は、戦争もなくなって世の中が平和になり、主君が死んでも後を追って腹をかっさばいて殉死する、いわゆる「追腹」(おいばら)も禁止され、武士たちが日常生活で〝緊迫感〟を感じなくなった時代で、「今日死ぬか、明日死ぬか」といった(彼らにとって)〝古き良き時代〟への憧れが、本には込められている。

 飢饉や疫病の流行などで、人がばたばたと死んでいくような悲惨な状況がくりかえし起きてはいても、もはや戦争で死ぬということはなくなっていたから、戦国時代と比べたら、健康でさえいたら長生きできるようになっていたのだ。

 その意味では、戦後の日本とよく似ているといえなくもない。

 

 いつの時代も、「早く生まれた順に死んでいけるのが一番幸せ」なのではないか。

 鬱状態のなかで、そういうことを、くりかえし考 えた。

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(城島明彦)

2020/10/14

最近、よく思うこと「生きていても楽しくない」

〝高齢鬱〟(こうれいうつ)というやつか

 

 昔は、今頃が運動会の季節だった。

 秋晴れの空の下、日差しは強く、運動会が終わると、紫外線にさらされていた顔やら首やら腕やらが真っ赤に日焼けしていた。

 しかし、吹いている風は間違いなく秋の風で、さわやかな感じがした。

 

 ところが、今はどうだ。

 10月の初旬を過ぎたというのに、気温は20数度に達し、それが「異常」と思う人はほとんどいなくなってきた。そのこと自体が異常だが、誰もそうは思わない。

 

 巷にはマスクがあふれ、そういう光景が「当たり前」のようになってきた。

 

 ここ何日か、「生きていても仕方がない」という思いが強くなっている。

 異常な気圧変化とも関係があるのだろう、あきらかに「」の症状だ。

 しかし、鬱とは関係のないイメージが頭をかすめる。

 宇津井健、宇都宮雅代

 気がつけば70代も半ばだが、今年は2冊の本を上梓し、さらに来年1月発売予定の原稿はすでに上がっている。

 高齢者ということを考えたら、この年で現役として仕事ができることに感謝しなければならないし、同年代の人たちから見たら「仕事があるだけでも、うらやましい」「何をぜいたくいっている」と思えるかもしれないが、人生も人生観も人それぞれ

 

 ぼんやり長生きするのも人生なら、若くして自ら命を絶つのも、また人生

 私のように70代も半ばに達すると、生きていようが死んでいようが、どうでもいいような気になって来る

 

アメリカで大統領選を競っている二人は70代。そういう連中が世の中を引っぱっている、まだまだ俺も」

 という気にさせられそうになるが、裏を返せば、彼ら以下の年齢の者がだらしないだけの話。彼ら以下の政治的能力しかないということだ。

 

 しかし彼らは高齢者といっても、特殊な存在。

 トランプなど、コロナにかかっても、「自分は不死身だ」と言いたげだ。

 そういえば、近年、「老害」という言葉が希薄になった。

 

 がんばるジジイやババアが増えたってことか。

 昔のジジババはおとなしくしていたが、今の時代のジジババは、本人は気づいているかどうかは知らぬが、どこかで無理をしている

 

 テレビ番組の女性司会者など、見た目も考慮されて抜擢されたのだろうが、長いこと続けてきて、だんだん婆さんになり、加えて4Kだの8Kだのと呼ばれる〝画像超鮮明時代〟になって、〝老残〟という印象しか受けなくなってきた。

 「ああ、イヤだ。ああはなりたくない

 とテレビを見ながらつぶやく視聴者も、同じくジイさんバアさんだ。

 

 とにもかくにも、生きていても、おもしろいと感じない日々をどうやりすごせばよいのか

  そんなことばかり考えているので、注意散漫になっている。

 サンタマリアと書くべきところをたった一字だが、書きまちがえて大恥をかいてしまった。

 

 サンタマリアキンタマリア 

 

 神よ、愚かな私を許したまえ。

 十字を切って、逃げるは恥だが、理性など役に立たず、その場をそそくさと後にした私だった。

(城島明彦)

 

2020/10/11

「モスラ」の大好物が「モスラバーガー」って知ってた?

♪モスラやモスラ イン・東京ドーム! の対決はどうなるの?

 

 ひさしぶりだね、よい子のみんな、元気かァ~い?

 おっちゃんは、というより、ジジイは超元気。

 毎日、「チンチンルンバ」を歌っているよ。

 

 ♪ちんちん うぱうぱ ちんちんちん わっはっは

 

 笑って笑って、コロナなんか吹っ飛ばすんだ!

 

 ――今日は「モスラ」の話だよ。

  ♪モスラや モスラ 

 そう、あのモスラ。

 NHK朝ドラ「エール」の古関裕而(こせきゆうじ)センセイ作曲の「モスラの歌」のお話だよ。

 

 モスラはイモムシの仲間だね。

 同じイモムシの幼虫でも、羽化(うか)すると、チョウではなくて、ガになるんだ。

 うかうかしていられないね。

 

 今日のお話は、「モスラ特別版」だよ。

 

 ――巨大なイモムシ怪獣モスラは逃げていた。

     ♪イモムシ ゴロゴロ 

   空じゃ雷 ゴ~ロゴロ

   モスラも ゴ~ロゴロ

   おなかがへって ゴ~ロゴロ

 

 モスラはクジラをねらった。

 クジラは必至で逃げたが、とうとう捕まって、

 「ホゲイ、ホゲイ」

 と悲鳴をあげた。

 これが「捕鯨(ほげい)」の始まりだったんだよ

 捕鯨のごげんは、こんなところにあったんだね

 ところがモスラの前に強敵があらわれた。

 ゴジラだね。

 

 モスラは、ゴジラに追われて太平洋を逃げたんだ。

 そして――モスラは、ついに日本上陸だ!

 

 そこまでは、モスラだけに、もうスラスラといった。

 モスラが逃げ込もうとした先は、東京ドームだったんだ。

 

 ♪モスラや モスラ イン・ドーム

 

 東京湾には、インファント島ムー帝国巡視艇(じゅんしてい)が出現した。

 モスラを守って戦う巡視艇「〝闘巡艦〟(とうじゅんかん)ラー」だ。

 「ラー」は、古代エジプトの太陽神にあやかった名前なんだ。

 

 驚く観客をしりめに(まゆを作りはじめるモスラ。

 

 と、どこからか、酔っぱらったゴジラが現れた。

 ゴジラは、指先で軽くドームのドアを叩いた。

 「トントントン、トントントン」

 

 しかし、応答(おうとう)がない。

  ♪おっとさんが呼んでも おっかさんが呼んでも いきっこなしよ  

 ゴジラは、頭にきて、ほえた。

 「留守と? ウィッ!  ラー ドア」

 ドアを叩きこわし、球場内に入り込んだ!

 

 そこへ、すけっと(助っ人)がビスケットを食べながら現れた。

 「かさく」だった。

 漢字で書くと、「嘉作」だよ。

 嘉作のご先祖さんは知ってるよね。

  ♪与作は木を切る トントントン トントントン

  ♪嘉作も木を切る トントントン トントントン

 そう、与作(よさく)だよ、そのお父さんは田吾作(たごさく)で、野球でエラーしたら失策(しっさく)だ。

 

 嘉作(かさく)は、人々から、こう呼ばれていた。

 「かさくやん

 嘉作やんは、以前、モスラの母親をかくまったことがあるんだ。

 ガに羽化するまでの変身を手伝ったんだ。

 

 ところで、モスラの大好物(だいこうぶつ)を知ってるかい?

 バーガーだよ、特にモスラバーガーには目がないんだ。

 

〝闘巡艦〟(とうじゅんかん)ラーは、

 「東京ドームの皆さん、われわれがついています。がんばってください」

 とエールを送った。

 

 東京ドームの観客は元気づき、

 「♪エールが来た エールが来た どこに来た」

 と歌って、みんなそろって、モスラをに声援(せいえん)をおくったぞ!

 「モスラ~や! モスラ!

 その声に腹を立てたゴジラが、殺人光線を吐く準備をする。

 

 「モスラ、あぶない! 早く羽化してッ!」

 こどもたちの祈りの声は、たちまち大合唱となって、ドームにひびきわたった!

 インドネシア語のようだが、こんな日本語のようにも聞こえた。

 

 〽モスラや モスラ [モスラ ヤ モスラ Mothra, ya, Mothra]

  なたが 嘉作やん? [ドゥンガン カサクヤン Dengan kesaktian hidupmu]

  イン・ドーム!  [インドゥムゥ Hidupmu]

  留守と? ウィッ!  ラー ドア [ルスト ウィラードア Restuilah doa]

  半端 半端 ムーやん [ハンバ ハンバムヤンHamba-Hambamu Yang]

  乱打 バン! ウ? 裸打 [ランダ バンウンラダン Rendah Bangunlah dan]

  闘巡艦「ラー」 [トゥンジュカンラー Tunjukkanlah]

  嘉作や~ん ムー! [カサクヤーンム Kesaktianmu]

 

 ここで、脱線だァ!

 昔、「青春の城下町」で大ヒットを飛ばした梶光夫という歌手が歌って少しヒットした「かわいいあの娘(こ)」というインドネシアの歌があった。

 歌詞のほとんどは日本語だったが、一部インドネシア語の歌詞だったんだ。

  ♪野山に咲く にゃんぷーにゃん

 と聞こえたが、実際はそうではなかった。

  ♪ノナ マニス シアパ ヤンプーニャ(Nona manis siapa yang punya)

 「モスラの歌」の歌詞も、これと同じインドネシア語なのだ。

 インファント島の住民は、インドネシア語を話していたんだね。

 

 はたしてモスラは、酔っぱらったゴジラの襲撃をかわして、巨大ガに大変身できるのか。

 みんなのエールがあれば、うまくいくよ。

 では、みなさん、ごいっしょに! 

 「モスラや、モスラ!

(城島明彦)

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