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2020/09/16

映画「アカシアの雨がやむとき」を観て

主演の高橋英樹19歳、浅丘ルリ子22歳。いい時代でしたなァ

 

 便利な時代になりましたな。

 家にいながら映画を鑑賞できるなんて。

 しかも、今から60年近くも前に公開された作品だ。

 

 前々からずっと観たかった映画を家で観たのであります。

 「アカシアの雨がやむとき」「南国土佐を後にして」2本立てだ。

 どちらも、映画が娯楽の王者だった昭和の半ばに公開された日活映画である。

 

 「アカシアの雨がやむとき」は、主演が高橋英樹と浅丘ルリ子のラブロマンス映画で、姫田真左久のカメラがすばらしく、画面の美しさに引き込まれてしまった。

 この映画は、同名の歌謡曲の映画化と思いきや、雑誌「明星」連載の小説の映画化で、題名だけヒット曲からチャッカリと借用している。

 監督は吉村廉

 平尾昌晃のヒット曲「星は何でも知っている」や三田明のヒット曲「美しい十代」の同名映画の監督も務め、大映東京での監督作品を含めると約70本も撮っている職人肌の映画監督だけに、見せ方を知っている

 

 美人歌手の誉れ高かった西田佐知子が歌って大ヒットした同名のレコードが発売されたのは、1960(昭和35)年4月。オイラが中学2年生になった直後で、電車通学の行き帰りに通った駅前や商店街によく流れていたし、ラジオの歌謡番組でも繰り返し放送されたので、自然と歌詞を覚えた。

 

 少し鼻にかかったような澄んだ気だるい声で、演歌歌手と違ってビブラートを用いない西田佐知子特有の歌い方が魅力的で、

  〽アカシアの雨に打たれて このまま死んでしまいたい

 という歌詞が何とも衝撃的だった。

 

 日活のHPをチェックすると、映画紹介のところに、

冬の湖畔に生まれた若い新進画家と薄幸のモデルとの純愛を哀愁のヒットメロディにのせて描くロマン巨編

 と書いてあった。

 今の時代の感覚からすると、物語としては陳腐だろうが、一種のすれ違いモノで、昔はこれで十分だったのだ。

 

 どうでもいい話だが、オイラの文章修業の原点は、映画のチラシや新聞広告に書かれたこの手の惹句だった。のちに大学を出て東宝の映画助監督になったときに、会社に提出する企画書を書くときには、ずいぶん役立った。

 

 歌のヒットに目をつけ、日活が映画化し、一般公開したのはレコードが出てから3年後の1963(昭和38)年4月。オイラは高校2年生になっていたというわけだ。

 

 ここで話は変わる。関東地区で知らない人はいない立ち食いソバの「富士そば」チエーンの創業者から以前聞いた話では、上京して住んでいたアパートの近くに西田佐知子が住んでいて、「アカシアの雨がやむとき」の練習をしている歌声がいつも聞こえていたそうだ。

 

 映画の話に戻る。

「アカシアの雨がやむとき」の高橋英樹は19歳顔面積は今の半分以下顔体積は今の3分の1以下のきりっとした細面で、絵から抜け出たような二枚目であります。

 一方、ヒロインの浅丘ルリ子は当時22歳80代で現役の今と違って、メイクは超薄め。それでいて美しく、清楚な感じもする。西洋人形のようなパッチリとした大きな目が特徴で、「若いって素晴らしい」を実感する美貌でありました。

 

 映画のなかで、唯一、「見たくない」と思って音声を消したのは、ナイトクラブで当時のロカビリー歌手清原タケシが歌う場面。歌も下手なら顔つきもトッポく、どうしてこんな歌手を出演させたのか理解に苦しむ。

こいつが出てくて、それまでのいい雰囲気をぶちこわした。

 

 共演の往年の日活映画の常連葉山良二も、なかなかよかった。

 ヒロイン浅丘ルリ子に絡む役柄で「アカシアの雨がやむとき」に出演した西田は、「コーヒールンバ」「エリカの咲散るとき」「東京ブルース」などヒットを連発後、関口宏の奥さんになり、歌手を引退したが、当時は細面で誰が見ても美人でしたなあ。

 

 ――てなわけで、半世紀以上も観たいと思い続けてきた映画を観ることができ、余は満足じゃといったところ。料金は2本で600円でございました。

 ここでは触れなかった「南国土佐を後にして」の主演は小林旭、共演が浅丘ルリ子だが、この映画については別の機会に。

 今、オイラは『葉隠』の現代語訳と格闘中だが、このところの気圧変化のせいで、気持ちがムシャクシャするので、もう一回「アカシアの雨がやむとき」を見ることにするか――。

(城島明彦)

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