NHK朝ドラ「エール」のモデル古関裕而先生に捧ぐーー「かぐやひめものがたり」(城島明彦)
またの名は『異聞「竹取物語」』
あと一年で私は死にます。大病を患っているわけでも、医師から余命を告げられたわけでもありませんが、私にはわかるのです。死ぬ日も時刻もわかっています。私には予知能力が備わっているのです。二十七歳という若さで異界へ旅立つのは悲しく辛いですが、それが私の運命だとしたら、心静かに受けいれるしかありません。
だから、こうやって少しずつ遺書を書いているのです。
私の体内を流れる血は、普通の人のものとは違っています。満月になると異様に血が騒ぐのです。普段はない衝動も生まれます。無性にベートーベンの曲を聴きたくなるのです。
「ムーンライト・ソナタ」。聴く曲はいつも同じです。
今宵がその満月です。朝から騒いでいた血は、夜になって激しさを増しています。体が火照り、心臓の鼓動も激しくなっています。
私は、部屋の明かりを消してテラスに出ました。空には大きな黄金色の月が輝き、嵐山一帯を明るく照らしています。嵐山といえば渡月橋、そして竹林の小道が有名ですが、私が生まれたのもその近くでした。
私は人前で、名前を呼ばれるのが大嫌いです。物心がついたときから、そうでした。
保育園や幼稚園に通っていたときの名札は、平仮名でした。
「たけとりかぐや」
漢字で書くと、
「竹取香具夜」
これが私の本名です。
竹取という苗字は仕方ないにしても、香具夜という名は何とかならないものかと、物心がついてからは悩み苦しんだものです。命名者は父です。父の名も変わっていました。翁(おきな)という名でした。竹取翁と聞いて驚かない方が不思議な名前でした。
父は、私が生まれる日に東京へ出張していました。神田の古本屋街を歩いていて、釘が磁石に引き寄せられるようにある書店に入り、表紙に墨のようなもので、「かぐやひめのものがたり」と書かれた虫食いだらけの汚らしい和綴じの古書と出合って、衝動買いしたといいます。衝動買いといっても、値段は五百円ポッキリでしたが、父は、
「この本には、億の価値がある」
と、繰り返し、母にいっていたそうです。
「そういう本と出合った日に娘が生まれたのは、単なる偶然ではない。『かぐやひめ』という名をつけよ、とのご先祖様の命令に違いない。だから、帰りの新幹線の中で、富士山を眺めながら、こういう名にしようと決めたんだ」
そういって父は、
「竹取赫映姫」
と書いた紙を母に見せ、
「たけとりかぐやひめ。いい響きじゃないか。由緒あるわが家にぴったりの名前だ」
さかんに自画自賛しましたが、母は首を激しく振り、大きな声で反対したそうです。
「誰にも読めない名前はダメです。それに、姫って何です。いまどき、そんな名前の女の子がどこにいるっていうんです。わが子に恥をかかせたいのですか」
「『竹取物語』にも、その古書にもそういう字が使われているんだ。問題なかろう」
「あなたがどうしてもとおっしゃるのなら私も折れますが、姫だけははずしてください。それから『かぐや』には誰もが読める字を当ててください」
「わかった」
「それから」
「まだあるのか」
「『かぐやひめ』と読む漢字は、赫映姫以外にも、別の書き方をした本もあります」
といって母は、父が赫映姫と書いた横に、赫耶姫、赫夜姫、赫奕姫、赫哉姫、赫野姫と書き足し、こう付け加えたそうです。
「迦具夜比売(かぐやひめ)、賀具夜媛(がぐや ひめ)と綴った名もあります。迦具夜比売は、右大臣藤原実資(ふじわらのさねすけ)の娘で、第十二代天皇の景行(けいこう)天皇のお妃になった女性です。景行天皇が日本武尊のお父様であることはご存知ですわね。『かぐや』は、持統(じとう)天皇の和歌などに出てくる天(あま) の香具山(かぐやま)の『香具』という字を当ててはどうでしょう」
工学部出の父より女子大の文学部で学んだ母の方が知識は豊富でした。
「持統天皇?」
「女帝です。春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山、という歌で有名な」
「ああ、あの歌ね。女帝の歌に出てくる『かぐわしい香りが満ちあふれた山』から取った名というわけか。悪くない。『かぐや』の『や』は『夜』で異存はないな」
そういうやりとりを経て私の名は決まったのですが、それからしばらくたって母は、そんな名前にしたことを後悔したそうです。病院で、
「たけとりかぐやさん」
と呼ばれたときにそう思ったというのです。ごく普通に聞けば、
「竹取家具屋さん」
と聞こえるのです。
これまでに何度そうからかわれたかわかりません。「家具屋姫」とあだ名をつけられた時期もあり、そのことを母に告げると、「あら、そう。そんなの無視すればいいじゃない」と軽く受け流し、そばにいた父も、
「わが家の祖先の竹取の翁は、そもそも竹職人。竹藪から切って来た竹を使ってカゴやザルを編んで、ばあさんと一緒に商っていたのだから、竹取家具屋さんでいいのじゃないか」
と、まじめくさった顔でいったので、私はそういうものかと思いました。
そんな父も五年前に他界し、母もその半年後に後を追うように亡くなりましたが、その古書は今も仏壇の引き出しに納まっています。父はその本のことを気にかけていたようで、図書館に寄贈しようと動いていましたが、「得体のしれない異本」「文学的価値のない偽書」「古書に見せかけた怪しげな本」といった理由で、どこも引き受けてはくれなかったという話でした。
私には兄弟はおらず、今住んでいる嵐山の家は母の妹の一人息子の信司君が、竹取家の墓を守ることを条件に相続することになっています。信司君は、京都の大学を出て東京の新聞社に就職し、静岡支局に勤務していますが、ゆくゆくは東京本社に転勤し、東京にずっと住むことになるはずですから、おそらく、この家は売却されるでしょう。
信司君と私は同い年で、子どもの頃から仲がよかったので、安心して後を委ねられますが、気がかりなのは『かぐやひめのものがたり』の処分問題です。これまでに何度か話し合ったり、母の法事のときに原本をコピーしたものを持ち帰ってはいますが、まだ結論には至っていません。その古書が二束三文の値打ちしかない代物だとしても、父が家宝のように大切にしていたものである以上、中途半端な扱いは私にはできません。一番いいのは、信司君の家で末代まで保管してもらうことです。信司君の家系で、『かぐやひめのものがたり』に興味を持って、研究する人が出てくるような気がするのです。そのことは、信司君にも伝えてあります。
私の思いが通じたのか、信司君から連絡がありました。京都支局の記者が交通事故で急死し、その代役を命じられたので、家が見つかるまで居候させてほしいという依頼でした。いとこ同士とはいえ、若い男女が同じ屋根の下で暮らすことへのためらいはありましたが、信司君に看取られてあの世へ旅立つのも悪くないと思い、いつまでいてもらっても構わないと返事しました。
すると信司君は、こういいました。
「これから送る引っ越し荷物の中に、仕事の合間に集めた『かぐやひめのものがたり』に関する資料を入れた菓子折りがあるから、勝手に開けて読んでも構わない」
その数日後に届いた資料には、私がすでに知っている情報と重複するものも結構ありましたが、改めて知識を整理する意味もあって、全部の資料にざっと目を通してから信司君がまとめたレポートに移りました。
そこには、次のようなことが書いてありました。
一、「竹取物語」は平安時代初期に成立したと思われる。
一、紫式部が『源氏物語』の中に「物語の初め」と書いたように、日本初の小説だが、さらに世界初のSF小説とする説もある。
一、『万葉集』(巻十六)に「竹取翁歌(たけとり おきなうた)」というのがあり、『古事記』(垂仁記)には「大筒垂根王之女(おおつつたれねのみこのむすめ)、伽具夜比賣命(かぐやひめのみこと)」という名が出てくる。賣(め)=売。
一、著者については、源順(みなもとのしたごう)とされる説が流布した時期もあったが、今では完全に否定され、不明とするのが正しい。
一、誰が作者かという謎を解くカギは、言い寄って来た五人の貴公子にかぐや姫が「探し求めてきたらプロポーズを受けいれる」といって告げた宝物にある。
〔一人目〕 石造皇子(いしつくりのみこ)……天竺(てんじく/インド)にある仏の御石(みいし)の鉢。天皇家の血を引く多治比嶋(たじひのしま)がモデル。六八七(天武天皇一三)年制定の「八色の姓」で最高位「真人(まひと)」姓を与えられたので、丹比真人嶋(たじひのまひとしま)ともいう。
〔二人目〕 車持皇子(くらもちのみこ)……東海の蓬莱山(ほうらいさん)にある木の枝(根は銀、茎は金、実は白金)。藤原不比等がモデル。不比等の母の旧姓が車持氏。
〔三人目〕 右大臣阿部御主人(あべのみうし)……唐土(もろこし/中国)にある火鼠の裘(ひねずみかわごろも/皮衣)。「壬申の乱」(六七二年の皇位継承戦争)で大海人皇子(のちの天武天皇)についた飛鳥時代の功臣が同姓同名。
〔四人目〕 大納言大伴御行(おおとものみゆき)……龍の首についている五色(白・黄・赤・青・黒)の玉。壬申の乱で大海人皇子を助けた功臣が同姓同名で、天武・持統・文武の三天皇に仕えた。
〔五人目〕 中納言石上麻呂(いそのかみまろ)……燕が持っている子安貝(こやすがい)。壬申の乱では大友皇子に味方し、大海人皇子と戦って敗れたが、戦後、天武天皇の家臣となった。
模造品を作ってごまかそうとしたり、実際に探しに行ったものの九死に一生を得た者もいて、誰一人として本物を手に入れることはできず、かぐや姫との結婚に漕ぎつけることはできなかった。
かぐや姫が貴公子たちに求めた五つの宝物は、実は、インドや中国の古い仏典や史書などに書かれたものだった。そんな難しいことを知っている人といえば、学者とか僧などごく少数の超インテリということになる。そう考えると「空海説」も否定できない。
「へえ、空海か。ありうるかも」
私は思わず呟(つぶや)いていました。そして私は、こう思ったのです。
――空海は、万能の天才。いってみれば、平安時代のレオナルド・ダ・ヴィンチ。唐代の中国へも留学していたから経典や史書などにも詳しいし、絵も上手だし、文章力も抜群で「いろは歌」だって空海が作ったという説があるくらいだもの。帰国後は、神通力を発揮して全国各地をめぐって、温泉やため池や井戸を掘るなど神通力を発揮した。それに。かぐや姫のような小説の一つや二つ書いていたって、何の不思議もないわ。
信司君は、レポートの中で、空海が讃岐の出身であることにも触れていました。
一、空海は讃岐の出身だが、『竹取物語』には翁の本名は讃岐造麻呂(さぬきのみやつこまろ)とあり、讃岐の出身とわかり、両者の間に共通点が見られる。
私が特に興味を持ったのは、五人の貴公子には実在のモデルがあるというくだりでした。
紫式部は、もしかすると『竹取物語』から『源氏物語』の着想を得たのかもしれない、と思いました。読み終えたレポートをファイルに戻しながら、信司君は無関心のように見えて、本当は気にかけてくれていることを知って驚きました。信司君には、そういうところが子どものころからありました。
信司君は、わが家に着くと、挨拶もそこそこに勝手知った様子で仏間に入り、父と母の位牌に両手を合わせ、語りかけました。
「おじさん。おばさん。今日からしばらくお世話になります」
その後、一緒に食事をしているときに信司君が不思議なことを言い出しました。
「今まで黙っていたけど、中学二年の夏休みに、あの仏壇で不思議な現象に出合ったことがある。仏壇の中の小引き出しから急に光が漏れ出たんだ」
私は箸を止めて信司君を見つめました。
「何だろうと思って引き出しを開けると、『かぐやひめのものがたり』が金色の光を放っていた。ぼくが思わず手を伸ばすと、光は消えてしまった。それから一時間ばかり本を見つめていたけど、何も起こらなかったので、幻覚だったのかもしれないと思った。それで、今まで誰にもいわなかったんだ」
私は驚きました。実は私も、その年の夏に信司君と同じ体験をしていたのです。
「私もだよ、信司君。でも、そのとき一回きりだった」
「そうか、幻影ではなかったんだ。それ以来、ぼくは、あの本は何か不思議なパワーを秘めているのかもしれない」
それから私と信司君は、食事そっちのけで『かぐやひめのものがたり』の話に夢中になり、いろいろなことを話し合いました。
「世の中に普及している『竹取物語』とは、最初の部分がずいぶん違っているわよね」
「そうなんだ。初めて読んだとき、学校で習った『竹取物語』と違い過ぎるので、何だ、この本はと腹が立ったよ」
「そうなのよね。同じなのは、最初の『今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろずの事につかひけり。名をば讃岐造麻呂(さぬきのみやつこまろ)となんいひける』だけ」
「冬の夜、いきなり、流星群が空に流れ、巨大な火の玉が飛来して大地に落ち、あたり一帯を焼け焦がしたなんていう話が出てくるんだもの、誰だって偽書だと思うよ」
「偽書にしても、たちが悪いと何人もの人に笑われたって、お父さんは嘆いてた」
父は、知人の大学の先生に頼んで『かぐやひめのものがたり』を現代語訳してもらい、私が小学校に入ると、来る日も来る日も私に語ってきかせましたので、小学三年になる頃には完璧に諳んじていました。
――翁は、火の玉が落ちた場所が気になって、真夜中にもかかわらず様子を見に行きます。不安は的中し、翁の所有している竹藪があったあたりに村のため池よりも大きくて深く窪みができ、その中心にこれまでみたこともない巨大な燃える岩石があったのです。竹藪はその岩石にすべて押しつぶさるようにして燃えていました。
呆然と立ち尽くす翁の手を媼(おうな)が泣きながら握りしめていると、空から大粒の雨が降って来ました。その雨は、あっという間に豪雨となり、燃える岩石の火を消し去りました。
翁は、夜が明けるのを待ちかねて、再び竹藪のあった場所へ足を運びました。豪雨は夜半に上がっていましたが、陥没した場所には水がたまって泥の池のように見えました。
燃える岩は、夕べ見たときより小さくなっていました。翁は、用心しながら陥没した底へ下りて行き、黒焦げになっている竹の茎の破片を涙を流しながら拾っては、腰につけた細かい目の竹かごに入れていました。腰かごがいっぱいになると家へ戻り、その茎を清水で洗い清めると、媼と連れ立って家の裏庭の竹林へ向かいました。そこには先祖の墓地が並んでいます。妻の名は記されていません。媼と書いてあるだけなのです。
翁と媼は、一番小さな墓標の前で長い間両手を合わせていました。そこには、翁と媼の間に生まれてすぐに死んでしまった女の子の亡骸が埋葬されていました。翁が二十五歳、媼は二十一歳のときの出来事でした。以後、二人は子宝に恵まれませんでした。墓参がすむと、その子の墓にわきに黒焦げの竹の根茎を埋め、祈り続けたのです。
翁と媼は、明くる日もその明くる日も、同じことを繰り返しました。
そんな二人を見て、村人たちは囁き合いました。
「とうとう気が触れたか」
「炭から芽が出るわけがない」
ところが、奇跡が起こったのです。春になって筍(たけのこ)が一つ、また一つと顔を出しました。しかも、筍は黄金色に輝いていたのです。翁は、かごやざるをその竹で編んで行商し、みるみるうちに大金持ちになりました。何日も降り続いた春雨が止んで青空が顔を出すと、翁は大きなかごを背負い、鍬を携えて竹林へ向かいました。雨後の筍という言葉があるように、どの筍も大きく成長してすっかり一人前の竹の姿になっています。翁は、満足げに竹林を眺めていましたは、その中にひときわまぶしく輝く太い竹を見つけました。
「ありがたい。ちょうどわしと同じ背丈じゃ。よくぞ育ってくれた」
翁は、そっと目をつむると、いとおし気にその竹を抱きかかえました。そのとき翁は、心臓の鼓動のような音を聞いた気がして、はっと目を開け、あたりを見回しましたが、あたりに人影はありません。そのときでした。パシッというような大きな音がして、その若竹が真っ二つに割れ、根元のところに金の衣を身にまとった背丈三寸ほどの小さな女児が座っていました。
「わしは夢を見ているのか」
翁は二度、三度と頬をつねりましたが、夢ではありませんでした。
鈴を転がすような美しい声で、その子はいったのです。
「わたしは、あなたの死んだ子どもの生まれかわりです。大切にしてください」
翁をじっと見つめる女の子の瞳は、吸い込まれるような青い色をしていました。
翁が両手をさしのべるより早く、女の子はふわりと体を宙に浮かせるようにして翁の背負っているかごの中に飛び込みました。すると、たちまち、そのかごが金色に輝きました。
媼の喜びようったら、ありませんでした。曲がりかかっていた腰がシャンとなり、
「この子はきっと天女に違いないわ。死んだあの子が天に昇って、天女になって帰って来てくれたのね。何てかぐわしい匂いがするのかしら」
「それだよ、ばあさん。この子の名前は、かぐや姫にしようじゃないか」
「かぐや姫。いい名前ではありませんか。これでいいかい」
と本人に確認すると、大きくうなずいて、
「いい名前を付けてくださって、ありがとうございます。お父上、お母上」
と、かぐや姫が微笑みましたので、翁と媼は満面に笑みを浮かべました。
世間に流布している『竹取物語』や『かぐや姫』と大きく異なっているのは、このあたりまでで、そこから先は大同小異の展開となり、ラストでまた異なりますが、その話は後で述べます。
信司君と一緒に暮らすようになってからというもの、毎日があっという間に過ぎていき、とうとう別れの日がやってきました。
「今日でお別れね。いろいろありがとう。これからは、あの世から信司君をバックアップするから、頑張ってね」
ベッドの中から私が声をかけると、信司君は、読んでいた本から顔を上げて、
「馬鹿なことをいうんじゃない。いくら君がかぐや姫の血を引いているといっても、自分の死ぬ時期を予言できるはずがない。病は気からっていうだろ。元気をださないと」
そして、とうとう私が死ぬ日がやってきました。その日、私は、二人いました。一人は、ベッドにいる私。もう一人は、私の体から魂が抜け出すのを、空中から見ている私です。幽体離脱(ゆうたいりだつ)といわれている不思議な状態に私は置かれていたのです。空中にいる私の目には、ベッドわきの椅子に座って、私の手を握りながら私の顔をじっと見つめている信司君の様子がはっきり見えています。病室に出入りする看護師や医師の姿も、俯瞰する形で見えていますが、少しずつ視界がぼんやりし始めてきました。本当の死が近づいているのです。
「さよなら、信司君。最後に一緒に暮らせて楽しかった。ありがとう」
看護師が出ていくと、信司君はその後を追って病室から出て行き、数分後に戻って来たときには手にバケツを下げていました。
「私にはもう嘔吐をする元気もないのに、何に使うつもりなんだろう」
私は普通の声でしゃべっているつもりですが、信司君には聞こえていないようです。
信司君は、今朝来たときに持参した紙袋の中から何かを引っ張り出しました。汚らしい襤褸(ぼろ)きれと消し炭です。それをバケツに入れ、ライターで火をつけました。すぐに着火し、炎と煙が立ち昇りました。
「危ないわ、やめて!」
大きな声で制止しましたが、信司君の耳に聞こえるはずもありません。
信司君は、おかしな行動をしています。紙袋の中から襤褸きれをつかみだしては、火にくべているのです。炎は勢いを増し、煙が部屋に充満しました。すると、どうでしょう。仮死状態に陥っていてピクリとも動かなかったベッドの私が、激しく咳き込んだのです。
「これは一体!?」
私がそう思うのと天井のスプリンクラーから水が噴出するのとは、ほぼ同時でした。派手な散水と前後して、けたたましいベルの音が院内に鳴り響いたので、何人もの看護師や医師が険しい表情で飛び込んできました。彼らはすぐには部屋の様子が呑み込めませんでしたが、バケツの中の火とベッドの私が水びたしになっているのを見て、すべてを理解し、てきぱきとした動きで私を担架に乗せると、部屋の外へ運び出しました。
空中に浮かんでいる私の目に見えていたのは、そこまでです。
別室に移されて数分後、着替えがすんで、新しいベッドの中の私は、目を覚まし、
「今、何日の何時何分ですか」
と看護師に尋ねたそうですが、私の記憶にはありません。幽体離脱がまだ完全に元にもどってはいなかったからかもしれません。
「君が死ぬ時間はもう過ぎたよ」
信司君の返事を看護師はきょとんとした表情で聞いていましたが、私には信司君の言葉の意味がよくわかりました。それから一時間後には、私は家に戻っていました。
「まだ起きちゃダメだ。今日はぼくが料理するから」
何を作ってくれるのだろうと心待ちにしていると、オムライスでした。
「信司君、あのとき何を燃やしたの?」
「見えていたのかい」
「ええ。幽体離脱して、あの世へ行きかけていたのよ」
「そうはさせじと思って、かぐや姫が月に帰るときに身にまとったといわれている天の羽衣を竹炭で燃やしたのさ」
「どうしてそんなことを」
「昔、おじさんから教えてもらった秘儀だよ。そのおかげで香具ちゃんは生き返ったのだから、おじさんに感謝しないといけない」
「天の羽衣はどこで手に入れたの」
「おじさんが昔、富士宮(ふじのみや)の旧家の蔵にあったものを探し当てて譲ってもらったといってた」
「でも、天の羽衣って架空のものでしょ」
「天の羽衣を竹の炭で燃やすと、あの世へ行きかけている人をこの世へ呼び戻せるという伝説があると」
「それも父が?」
「そう。信じるか信じないかは、本人次第。おじさんやぼくは信じたわけさ」
「竹の炭はどこで手に入れたの? そのあたるにある竹ではないのでしょ」
「そのとおり。あれは化野(あだしの)で見つけた」
「化野!?」
「化野念仏寺そばの竹林だ。『かぐやひめのものがたり』の冒頭に出てくるじゃないか。落下してきた隕石で焼け焦げた竹の根茎には、不思議なパワーが宿っていた。その竹炭を探せないかと考えたんだ」
「千数百年も前の場所を特定するのは大変だったんじゃない」
「最初は竹林の小道ではないかと考えたけど、平安時代からの墓地である化野の方が可能性が高いと思い直したんだ。現代人の距離感では嵐山から少し離れていると思うけど、昔の人の感覚ではそうでもない」
「父が手に入れた天の羽衣は、この家のどこにしまってあったの」
「仏壇の奥の隠し扉の中」
「そんなものをどうやって見つけ出せたの」
「おじさんからヒントをもらっていたから」
「お父さんは、天の羽衣のことは私には詳しく話さなかったのに、信司君にはいろんなことを話していたのね」
天の羽衣といえば、三保の松原で、そこからは晴れた日には美しい富士山を眺望できます。富士山は『竹取物語』のラストにも重要な役割を担って登場します。
かぐや姫の噂を耳にした帝は、実際にかぐや姫を見て、光輝く美貌に魅せられ、
「姫を宮中へつれてゆくぞ」
と口走るのですが、かぐや姫は冷静そのもの。こう返事をします。
「私がこの国で生まれたのでありましたなら宮仕えもいたしましょうが、そうではないのです」
そして九月の満月の夜がやってきます。かぐや姫は、羽衣を身にまとい、月から迎えに来た空飛ぶ車に乗り込むと、百人もの天人に守られながら天空高く舞い上がり、雲の彼方へ去っていったのです。かぐや姫は、車に乗る前に、月からの使者が持参した不死の薬を入れた小さな壺に手紙を添えて、帝の勅使(ちょくし/使いの者)に手渡していました。
それを受け取り、手紙を読んだ帝が尋ねます。
「天に一番近い場所はどこか」
「駿河(するが)の国にある山でございます」
「誰か、その山の頂に登って、姫が書いたこの手紙を燃やせ」
世の中に流布している『竹取物語』は、物語の最後を次の言葉で締めくくっています。
「それから、この山を不死(ふし)の山と呼ぶようになり、その薬を焚(た)いた煙は今でも雲の中に立ち昇るということであります」
天の羽衣の話から脱線してしまったようです。
話が一段落したとき、信司君が照れくさそうな表情でぼそっといいました。
「来年ぼくはアメリカ支局へ赴任するかもしれない。そうなったら香具ちゃん、ついてきてくれる?」
「それ、どういう意味?」
「結婚しないかって聞いてる」
「無茶なこといわないで。私と信司君は血がつながったいとこ同士じゃない」
「いとこ同士じゃなかったら、どうする?」
「仮定の話を聞いてどうするの」
「仮定じゃないよ。おじさんが亡くなる前にぼくにいったんだ。君はお母さんの本当の子ではないんだよ。子どもができなかったから、遠い親戚からもらったんだよって」
驚いて私は言葉が出ませんでした。子どもの頃からずっと仲良しで、今も一つ屋根の下で暮らしていることに何の抵抗も不自然さも感じません。血がつながっていないのなら、もうすでに夫婦同然だわ、と私は強く思いました。
「今すぐとはいわない。よく考えて返事してくれないかな」
私は間髪を入れずに断言しました。
「よく考えなくても私の答は決まってるわ。イエスよ。信司君と結婚してアメリカへ行く」
「ありがとう。おじさんやおばさんに報告しよう。『かぐやひめのものがたり』にも」
その夜、私は信司君と結ばれました。私は信司君の腕の中で、不思議な夢を見ました。天の羽衣を着た私は、迎えに来た空飛ぶ遮光器土偶(しゃこうきどぐう)に乗って、天空高く舞い上がっていく夢です。それは、わが家の『かぐやひめのものがたり』に書かれているエンディングシーンでした。本と違っているのは、操縦席に信司君が座っていたことです。
こうして私の遺書は予期せぬ形で遺書ではなくなり、幸せへの記録となってしまったことを最後に記して終わりとします。
(城島明彦)
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