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2020/05/04

ボーッと長生きするなかれ  ~心身はどう鍛錬すればよいのか~

「酒は飲んでも、飲まれるな」という教え(拙著『武士の家訓』で削除した原稿)

 

 4月発売の拙著は300ページを大きく超えたので、定価が高くならないように50ページ超を削除した。

 そのうちの一部を公開したい。

 拙著を購入済みの方は、下記をプリントアウトするなどして、本に挟んでいただけると、ありがたい。

 

 令和の日本は、少子高齢化社会。一言でいうと、そういうことになるが、事はさほど簡単ではない。戦後の「産めよ増やせよ」のスローガンに呼応して、のちに〝団塊世代〟と呼ばれるベビーブームが到来し、彼らが働き手の主力となって日本は爆発的な高成長を遂げたが、出産率が次第に低下するのと軌を一にして経済的活力が停滞。その間、団塊世代は年老いて一線を退いたのである。高齢化社会→高齢社会→超高齢化社会と進んできた日本は、〝超高齢社会〟に突入、「人生100年」になって、巷には高齢者があふれかえっている。

 

第一節 酒でしくじらないために

 今昔を問わず、「酒」についての戒めは多い。武士の家訓に限っても、「今川壁書」の制止条項にある「酒宴、遊興、勝負にはまって仕事を忘れるな」とか、「林摩詰(りんまこう)訓諭」の「過酒は慎め」(過酒は申すまじく候事)が一般的な戒めが見られるが、実際にはその程度ではすまなかったようで、「伊勢貞丈(さだたけ)家訓」の酒は気ちがひ水なり」や「水戸光圀壁書」「欲と色と酒とをかたきと知るべし」のような警告調家訓も目につく。

 

適度の酒は「百薬の長」、過飲は「万病の元」

 酒を勧める方にも問題があるとして、「大酔(たいすい)。舞酒。強勧勧人酒(強く人に酒を勧める)は禁止」と家訓「楽戒(らくかい)」に記したのは、楽翁(らくおう)松平定信である。それでも効き目がないときは、「島津家久訓」の「覚」十五条)にあるような「飲酒禁止」(酒停止たるべき事)となる。

「酒は百薬の長とは言へど、よろずの病は酒よりこそ起れ」

 と警告を発したのは吉田兼好。『徒然草』(第百七十五段)である。

 書かれた文章から推して、吉田兼好は下戸かそれに近いようで、かなり痛烈に批判している。「酒は万病の元」といった文章のおおよその内容は以下のようである。

「嫌がっている者に無理やり酒を飲ませて喜こぶ理由が理解できない。飲まされた方は、忽ち狂人のようになったり、元気な者でも前後不覚になって急病人のように倒れる。お祝いの場でそうなっては浅ましい限りだ。ここまでしておいて、酒を飲ませた人は知らん顔だ。慈悲心がないだけでなく、礼儀に反しているのではないか」

 

「酒の十徳」と「飲酒の十徳」

 室町時代につくられた狂言餅酒」には、「酒の十徳」なる言葉が出てくる。いわく、

  一、独居の友(独りぼっちを慰めてくれる友だち)

  二、万人和合((ばんにん)わごう)(見ず知らずの人でも仲良くなれる)

  三、位なくして貴人と交わる(身分の垣根を越えて飲み交わせる)

  四、推参(すいさん)に便(べん)あり (訪問時の手みやげに最適)

  五、旅行に慈悲あり(旅に潤いを与える)

  六、延命の効あり(寿命が延びる効果がある)

  七、百薬の長(薬の王様)

  八、憂いを払う(憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれる)

  九、労を助く(労をねぎらってくれる)

  十、寒気(かんき)の衣(ころも)となる(寒いときは体が温かくなる)

 これら十訓のなかで最もよく知られているのは「百薬の長」だろう。この言葉の起源をたどると、紀元一世紀に成立した中国の歴史書『漢書』食貨志(しょくかし)に行きつく。

 そこには、こう記されている。

「夫(そ)れ、鹽(しお)は食肴(しょくこう)の将(しょう)、酒は百薬の長、嘉會(かかい)の好(よしみ)、鐵(てつ)は田農(でん のう)の本(もと)(塩は食物にとって重要なもの。酒はさまざまな薬の王様で、めでたい集まりに最適だ。鉄は農業の基本である)

 江戸時代の随筆集『百家説林(ひゃっ かせつりん)には、「飲酒の十徳」として酒の効能が述べてある。

  一、礼を正し(〈神前にお神酒(みき)を供えるときのように〉礼儀正しくさせ)

  二、労をいとい(労をねぎらい)

  三、憂を忘れ(憂鬱なことを忘れさせ)

  四、鬱をひらき(ストレスを発散し)

  五、気をめぐらし(気力を充実させ)

  六、病を避け(病気を予防し)

  七、毒を消し(解毒し)

  八、人と親しみ(楽しい時間を提供し)

  九、結び(縁結びの役割をし)

  十、人寿(じんじゅ)を延(の)(寿命を延ばす)

 

 わざわざ書くまでもないことだが、以上のことは「適量を飲んだ場合」に限られ、「暴飲過飲」した場合には必ずしもあてはまるというわけではない。そこで、貝原益軒の『養生訓』の出番となるが、その前に「酒の徳」を歌にして楽しんだ戦国武将の話をしたい。細川忠興の父、細川ガラシャの義父の幽斎(ゆうさい/藤孝(ふじたか)である。細川幽斎は、機を見るに敏な戦国武将で、信長、秀吉、家康と主君を変えて生き残ったが、その一方では風流を愛し、仏教の功徳と絡めた「飲酒を讃える数え歌」をつくった。家訓というには砕けすぎているものの、「飲んべえ向けの酒訓」と名づけてもいいかもしれない。

  (いっさい)の其(そ)の味(あじわ)ひをわけぬれば酒は不死の薬とぞいふ(あらゆる飲食物を分類すると、酒は不死の薬というではないか)

  (ふた)くさを忘れて人に近づくは酒にましたる媒(なかだち)はなし(憎い相手と近づきになるのに、酒ほど都合のよいものはない)

  宝の慈悲からおこる酒なれば猶も貴く思ひ飲むべし(仏法僧の慈悲から生まれたとされる酒ならでは、貴いと思いながら飲まねばならぬ)

  (し)らずして上戸を笑ふ下戸はただ酒酔ふよりもおかしけれ(酒の味を知りもしないのに飲んべえを見て笑う下戸は、ただ酒にありついて酔っぱらうよりも不思議な存在だ)

  (ごかい)とて酒を嫌ふもいはれあり 酔狂するによりてなり(五つの戒めといって、仏教の在家信者には殺生、偸盗、邪淫、妄語〈嘘をつくこと〉、そして飲酒を避ける義務があるが、そのわけは信者が酔狂になっては困るからである)

  (ろっこん)の罪をも科(とが)も忘るるは 酒に増したる極楽はなし(六根〈眼・耳・花・舌・身・意〉の罪や科でさえ忘れさせるもので、酒以上の極楽はない)

  (しち)などを置きて飲むこそ無用なれ 人のくれたる酒ぞ嫌(いと)いそ(質草をそばに置いて能というのは無粋の極みだ。人が暮れた酒を毛嫌いしないことだ)

  (はち)そう)の慈悲より起こる酒なれば 酒に増したる徳(とく)力(りき)はなし(八相〈釈尊の生涯を特徴づける八つのありがたい特徴〉の慈悲で生まれた酒なのだから、酒以上に徳力のあるものはない) 

  (く)れずして上戸を笑う下戸はただ酒を惜しむが卑怯なりけり(酒を振る舞おうとする素振りさえ見せず、飲んべえを笑っている下戸の、ただ酒をけちる根性は許しがたい)

  (じゅうぜん)の王位も我ももろともに思ふも酒の威徳なりけり(十種類の善を積んでいる聖王も凡人の私も一緒に思索できる幸せは、ひとえに酒の威徳なのである)

  までも長らふ我身いつもただ酒のみてこそ楽をする人(百歳まで長生きするこの私は、いつもただ酒を飲んで楽をする人間である)

  (せんしゅう)や万歳(ばんざい)などなどと祝へども酒なきときは淋しかりけり(千秋万歳と口々にいって長寿を祝っても、その場に酒がないと寂しいものである)

 

酒宴の心得「六波羅殿御家訓」(北条重時家訓)

 北条重時については前に触れたが、遺っている家訓は二種類ある。家訓関係の本で取り上げられるのは「極楽寺殿御消息」(九十九箇条)の方で、もう一つの「六波羅殿御家訓」(四十三箇条)はまず紹介されない。その理由は、内容的に劣るのと、文字不明となっている虫食い箇所が五十数か所もあるからである。しかし、宴席での心得などでは傾聴に値することも書かれているので、ここで取り上げたい。

 一、人前に出るときは、じっくり鏡を見て衣服などもおしゃれに装い、胸元などがおかしくないか何度もチェックせよ。そして、いったん座席に着いたなら、身づくろいしたり気取ったりしないこと。そのようなことをすると、厳格な人から軽い奴だと笑われ、蔑(さげす)まれてしまう。いったん人前に出たら、堂々としていればいいのだ。(三十二条)

 一、酒席では、下座の末席の方にも目配りして、声をかけること。同じ酒を飲むのでも、情けをかけて飲ませたら、相手はうれしく思うものだ。特に不遇をかこっている者には、情けを掛けておくことだ。声を掛けられたうれしさは格別で、その人の依頼は大切に扱うだろう。(本条のみ、『極楽寺御消息』八十一条を使用) ※類似内容で、『六波羅殿御家訓』(八条)より『極楽寺御消息』の方が分かりやすいという理由による。

 一、人前では、まかりまちがっても、こうるさいことをいったり、下品な言葉づかいをするな。(三十五条)

 一、宴席が無礼講のようになったとしても、人の前に置かれた酒、肴、菓子などには絶対に手を出すな。(三十八条)

 一、酒に酔っぱらって真っ赤な顔になってしまったら、帰るときは人通りの多い大きな道は避けよ。どうしてもそこを通らなければならないときは、車などを呼んで帰ること。家に近い場所のときは、いうまでもない。(四十一条)

 一、酒がたっぷりあるときは、一人で飲むな。付き合いのある仲間に声をかけて、ふるまえ。そうすれば、親しみを感じてくれるだろう。(十二条)

 一、人のいるところで唾を吐きたくなったら、後ろを向き、懐紙を取り出して吐け。唾を遠くへ吐くのは、人前を憚らない悪い行為である。(三十一条)

  

(城島明彦)

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