新型コロナ対策の「外出禁止」要請が聞き流されるわけは、「緊迫感」「切迫感」のなさ
〝隠れ陽性〟の暗躍を阻止するには、「国民皆検査制度」の立ち上げが急務
メディアで、いくら「日本も危ない」「コロナ爆発の可能性が迫っている」と声を大にしていっても、その一方では、専門医たちやニュースキャスターらが、世界各国の罹患者数の推移を示す棒グラフや折れ線グラフを見せながら、
「日本は、持ちこたえている」などと説明してきたのだから、「大丈夫なんじゃないか」と思ってしまう。
その舌の根も乾かないうちに、「大爆発の危険性が迫っている」 といっても説得力に欠ける。
要するに、正体が見えない点や治療法が確定していない点などが不気味であることは誰もが認識しているが、外務省の「海外安全ホームページ」にある「各国地域における新型コロナ感染状況」を示すデータの1つ「1万人あたりの感染者数」(3月25日現在のデータ)では、ルクセンブルグが18.02%で1位で、「えっ、それ、どこの国」という感じがし、一番ひどいとされているイタリアやスペインはどうかというと、
イタリアは11.46人で3位 (人口は約6400万人)
スペインは8.44人で5位 (人口は約4000万人)
という数字が出ている。罹患者の数だけで比較してはいけないのだ。
で、日本はというと、ランク圏外の
日本 0.09人 (人口は約1億2000万人)
でしかない。
カウントできない〝隠れ陽性〟の数値がそのデータには含まれていないということがあるにしても、単純計算すると、100万人で9人、1000万人で90人、一億人で900人。
この数字を「多い」「多すぎる」と切実に実感する人は、どれくらいいるのか。ほとんどの人は、
「なんだ、その程度か。どうってことないじゃないか」
と思う気持ちが頭をよぎるだろう。
東京都の罹患者が北海道を抜いて200人に近づいていると発表され、小池都知事が、
「土日の不要不急な外出は控えてください」
と呼びかけても、
「マスクさえしていれば大丈夫だ」
と思ってしまう。
しかも、死亡するのは高齢者の病気持ちがほとんどとくれば、イギリスのチャールズ皇太子やお笑いタレントの志村けんが陽性になったと聞いても、若い連中や体の丈夫な壮年者らは、ますます、
「俺は問題ない。人込みや濃厚接触にさえ気をつけていれば大丈夫だ」
と妙な自信を深めるのも無理はない。
「東京都の人口は3700万人。そのうちのたった200人ではないか。移される奴は運が悪いだけ」
などと考えたとしても、誰も責められない。
罹患者の数が増えたと威嚇しても、馬耳東風に近い受け取り方をする国民が大多数ということだ。
要するに、明日はわが身に危険が及ぶという「緊迫感」「切迫感」が乏しすぎるということだ。
ツベルクリン反応検査のような「国民皆検査」でも実施しない限り、〝隠れ陽性〟を見つけ出して隔離することは不可能だ。
新薬開発よりも「国民皆検査制度」の立ち上げが急務であり、日本の製薬会社の利害関係を超えた「横断的プロジェクトチーム」による「新しい簡易型の国民皆検査キット」の開発も必要だ。
もはや戦時体制なのだから、半年後とか来年ならといってチンタラチンタラやるのではなく、「1カ月で完成させよ」といった強圧的国家的指令が欠かせない。
無理が通れば道理引っ込む。
これで行くしかない。
(城島明彦)
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