90歳に手が届く恩地日出夫監督は「ジジババ映画」を一本撮るそうだ
世間のジ~ジもバ~バも、負けずにしっかりせんかい!
先週の土曜日(12月14日)、成城学園まで出かけて行った。
成城学園前駅のすぐそばにある古いビルの2階にある中華料理店「桂月」で開かれた「東宝助監督OB会」に出席したのだ。
私は、物書き専業になる前はソニーに勤務していたが、その前は東宝で映画の助監督をしていた。
といっても、わずか3年間だが、それでも「OB」とみなしてもらって、毎年、「忘年会のお知らせ」の往復はがきが届く。
以前は、「東宝監督会」という集まりが別にあったが、東宝が自社では映画を作らなくなって、専属監督になる者が出なくなり、すでに監督になっていた人も高齢となって死去したりして人数が減ってしまったので、「東宝助監督OB会」という集まりに一本化したのだ。監督になる前は助監督だったというわけだ。
しかし、その「東宝助監督OB会」も年々、高齢化が進み、全員70代を超えてしまい、鬼籍に入る人も増えている。
そんなわけで、今年の参加者は9名しかいなかった。
最高齢は谷清次さんで、自分は90歳だといい、
「73歳のときからオペラを習い始めたので、声がよく通るようになったし、耳もいいから人の話し声もよく聞こえる」
と胸を張っていた。
次いで恩地日出夫さんは1933年1月23日生まれ。ということは、もうすぐ87歳だが、
「この歳になると若い者を使って撮る気にもなれず、草笛光子と山崎努を使ったジジババ映画を撮る準備を進めている。君らもエキストラで出ないか」
と気炎をあげたのだから恐れ入る。
草笛光子は、恩地さんと同い年で1933(昭和8)年生まれ。
山崎努は1936(昭和11)年生まれ。
若い人は知らないというかもしれないが、明治生まれの俳優で、ヨボヨボした爺さん役が板についていた左卜全(ひだりぼくぜん)が死んだのは77歳である。
彼と比べると、山崎努や草笛光子は見た目が断然若い!
恩地さんは30歳で監督になったそうで、その頃私はまだ中学生だったが、「恩地日出夫」という名前は当時から知っていた。。
吉松安弘さんも恩地さんと近い年齢だが、耳が聞こえなくなったといっていたのに、今年の夏頃、電話をもらったが、
「学童疎開の原稿を書いた」
というので驚いた。原稿(400字詰め)枚数を聞くと、
「400枚」
どうして今、「学童疎開」なのかと聞くと、
「人からの伝聞でいいかげんなことを書いた本が多いが、自分は体験者だ。体験者にしかわからないことを書き残すのだ」
う~ん! 「人生100年時代」を地で行く話ではないか。
意気軒高とは、こういうことをいうのかと、恐れ入った次第だ。
巷には団塊世代の高齢者があふれかえっているが、そのほとんどは「やる気が空回り」して、〝半ばゾンビ化〟したかのように、私には見える。
若い者や壮年期の人間が元気なのは当たり前。
高齢者がヨタヨタしていたら、日本はダメになる。
孫たちから「ジージ」「バーバ」といわれて、ヘラヘラしてんじゃねえぞ!
こういう話に刺激を受けて、奮闘努力してもらいたいものだ。
しっかりシンドバッド!
と、これは私自身への叱咤(しった)でもある。
(城島明彦)
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