〝みどりのタヌキ〟がいった「合意なき決断」は名言か迷言か、「流行語大賞」狙いか
♪ サッポロ一番 味噌つ~けた――「東京脱輪音頭」ってか
「苦渋の決断」というのはよく耳にするが、蚊帳(かや)の外に置かれて事前の相談もなく、寝耳に水の「マラソンと競歩は東京から札幌に変更する」と宣告された〝みどりのタヌキ〟小池百合子都知事、IOCへの恨み節を「合意なき決断」という言葉で総括した。
「合意なき決断」という言い方は耳新しく、なかなかいいことをいうじゃないか、と最初は思ったが、よく考えてみると、言語明瞭・意味不明。これが小池百合子流である。
1960年代の安保騒動のときに安倍晋三首相のおじいさんの岸信介首相がいった「声なき声」という名言を思い出したが、こちらは言語も意味も名誉腕ある。「安保反対」を叫んで国会に突入した学生ら左派の闘士だけが目立っているが、何も発言しないけれど「安保賛成」と思っている国民はいっぱいるという意味だった。
小池百合子はなぜ「健康ファースト」といわぬのか
先の選挙での「都民ファースト」連呼も、〝アメリカのへんな奇術師〟トランプがしばしば口にした「アメリカ・ファースト」の受け売りだったが、「〇〇ファースト」なんて珍しくも新しくもない。
日本人にとっての「〇〇 ファースト」の元祖は「レディー・ファースト」であって、アメリカ映画が珍しかった古い時代には斬新だったが、今じゃ死語に等しい。
小池百合子は、東京五輪ではさかんに「選手ファースト」といっていたが、「健康ファースト」とは一言もいわなかった。
選手の健康を考えたら、気温37度とか40度といった異常高温が予測される東京でのマラソンや競歩は回避するのが筋。
東京開催に固執して、IOCを説得して東京開催で決着させたとしても、レースで万が一にも死者が出た場合は、誰が責任をとるのかということが、小池の頭からは飛んでいる。
「ほかのスポーツは東京でやるのに」といったことも、札幌反対の理由として挙げる者もいたが、10種競技は検討する必要があるかもしれないが、そのほかの競技は、マラソンや競歩のように2時間以上も炎天下を走り続けるわけではないから、同じ土俵の上に乗せて論議すべきではない。
小池百合子の「危機管理」はどうなっているのか?
地球温暖化が異常ともいうべきスピードで進展している昨今、かつての日本列島では起きなかった風水害などが繰り返し発生するようになっている。
そういう過酷な環境になっているなかで、想像を絶する熱波のドーハで開かれた先のマラソンで女子選手の4割が棄権したことが判明した時点で、東京でそうなったらどうするかとか、死者が出たらどうするかとか、そのときの責任はだれが負うのかといったことを真剣に考えなかったのだろうか。
道路の温度を下げる工夫をしたとか、選手にミストを噴射するといったことは、小手先の改善策に過ぎない。
「人命ファースト」と本気で考えるなら、「合意なき決断」などというべきではなかった。
小池百合子の頭には、再選を意識したさもしい了見の「メンツ・ファースト」しかなかったのか。
1814年のウィーン会議の「会議は踊る、されど進まず」というのもあったが、IOCやJOCと開催都市東京の間で行われた「札幌に変更」を最終確認する会議は、波乱もなく、すんなり進んだようで、〝みどりのタヌキ〟の「合意なき決断」という腹鼓だけが、むなしく東京の秋の空に響き渡っただけだった。
幕末で考えると、吉田松陰は、討幕を図ろうとして捕縛され、明日の命の保証がなくなったときに、討幕に走った動機を、こうなることはわかっていたが、それでもやった理由を「やむにやまれぬ大和魂」という言葉で表現したが、小池百合子も、タヌキの最後っ屁のような当てこすりをいわず、「やむにやまれぬ決断」とでもいえば、拍手喝さいとなったかもしれない。
(城島明彦)
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