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2019/11/13

〝悪知恵〟白鵬には「張り差し」か「かち上げ」しかないのか!?

「円熟味を増した」といわれる横綱になぜなれぬ!

 

 

 「またか」

 「これしかないのか」

 と、苦々しく思った相撲ファンは決して少なくはないだろう。

 大相撲九州場所(十一月場所)の2日目の大栄翔との取り組みでは、顎を狙ったら「かち上げ」を見舞おうとして失敗して負け、3日目は朝乃山の左顔面を狙った強烈な「張り差し」を敢行して、朝乃山の片目が見えなくなるようにして勝った横綱白鵬のことである。

 

 白鵬の「かち上げ」は、危険なケースが多い。なぜなら、大栄翔に見舞おうとしたそれは、右腕を曲げて右腕を相手の胸板にぶつける通常のそれではなく、相手の顎に肘を命中させようとする「プロレス技」の「ひじ打ち」に限りなく近かった。だが、その目論見は外れ、あごに決まらず、白鵬の右手は空を舞い、「しまった」と思っているうちに寄り切られたというわけだ。

 

 張り差しを頻繁に使う力士は限られている。平幕の松鳳山は、馬鹿の一つ覚えのように、連日やるが、来る日も来る日も張り差しばかり見せられると、「いいかげんにしろや」といいたくなってくる。

 豪栄道もよく張り手を使うが、観ている方はあまりいい気持ちはしない。取り組むたびに張られる力士は、口に出すことはなくても、もっと不快だろう。

 玉鷲も以前は張り差しをよくやったが、今はほとんど見かけない。それでも勝っているのだから、それでいいのだ。

 

 白鵬のように、立派な体をしている力士は、姑息とも思えるような張り差しなどという手を使う必要などなく、体力を活かして堂々と渡り合えば、立派な相撲内容で勝てる。

 

 にもかかわらず白鵬は、安易で見苦しい「張り差し」と「かち上げ」を多用し、「かち上げ」では実に巧妙にやるから、たちが悪い。

 だが、見る人は見ているのだ。

 来る日も来る日も、相手力士の顔面を張り飛ばしたり、ひじをあごに激突させなければ、相撲が取れないとでもいうのか。

 そういう腐った根性は、最高位の横綱として情けないというより、あってはならない

 

白鵬の3日目は、立ち合いざま、朝乃山の左顔面を張り飛ばして全力を出させないようにして勝った。張り手が尋常なパワーではなかったことは、朝乃山が花道を引き揚げるとき、左眼だけをパチパチとまばたきさせていたことからも推測できる。

取り組みでは、一瞬、朝乃山の左目が見えなくなった可能性が高い。

つまり、白鵬という横綱は、そういうことを平気で、計算ずくでやる横綱なのだ。

 

「大横綱」とか「横綱相撲」と呼ぶ力士には、ふさわしくない取り口なのである。

 白鵬ファンのなかには、こういって反論する人もいるだろう。

 「『張り差し』も『かち上げ』も相撲の四十八手として公式に認められた技だ。それを使ってどこが悪い」

ならば、問いたい。

 「大栄翔や朝乃山は、なぜその手を白鵬に見舞わなかったのか」と。

 横綱の顔面を張ることへの遠慮もある。しかし白鵬は、それを逆手に取って、自分より下位の力士に張り差しを飽きることなく繰り返してきたのだ。

 それは、一種の「パワハラ」である。

 

 張り差しも、十五日間のうち一度や二度なら許されるかもしれないが、白鵬の場合は頻度があまりにも多すぎるので、横審の前委員長から「張り差しや張り手を繰り返すのは見たくない」と異例の注意発言まで飛び出したほどだ。

 つまり、見苦しく、横綱としての品格に欠け、感動しないというわけだ。

 にもかかわらず、いまだに改めようとしない。

 そこにも、横綱の品位品格を問われる問題がひそんでいる。

 

 

 たとえ立ち遅れたとしても、堂々と受けて立ち、立ち合いの劣勢を力で取り返して、力強く寄り切ったり投げで勝ったることで、

 「さすが横綱」

 と感心されるような相撲を取るのが「横綱相撲」なのである。

 

「連日のように、対戦力士の顔面を張ったり、あごをひじでかちあげたりするような荒っぽい手を使うのは、横綱にはふさわしくない」

と心ある相撲ファンは思っているはずだ。

 

 白鵬は、「勝てばいいのだろう、優勝回数が多ければ多いほど大横綱だ」と思っている節が感じられる。

 だが、そうであってはいけないのだ。

 横綱は強いだけではダメなのである。

 心技体のどれかが欠けても、真の横綱とは呼べない。

 双葉山や大鵬の勝ち星や優勝回数は、白鵬より少ないが、誰もが相撲史上屈指の「名横綱」であり、「大横綱」であると認め、賞賛している。

 その理由は、いうまでもなく取り口にある。

 双葉山や大鵬は、心ある相撲ファンが眉をひそめる立ち合いや取り口をしなかったからだ。

 

 白鵬は、勝ち星や優勝回数では、大相撲史上ナンバー1だが、それにふさわしい立ち合いや取り口をしているとは認めがたい。

 白鵬は、力士としては晩年の域に入っている。

 横綱として円熟味を増したといわれるような「押しも押されもせぬ堂々たる横綱相撲」を取ってもらいたい。

 それには、まず、「張り差し」と〝ひじ打ち〟まがいの「かち上げ」を封印することだ。

 

 全国の相撲ファンよ、今後の白鵬の立ち合いと取り口に注目だ!

 (城島明彦)

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