「スポーツ観戦」でわかる「自分では気づかない〝差別意識〟の簡単なチェック方法
ラグビーW杯の「報道トーン」「ファンの声」で知った「誰にもある〝無意識の差別感情〟」とは!?
ラグビー応援で知った「誰にもある差別感情」について述べる前に、「ラグビーの今昔」について軽く触れたい。
テレビのラグビー中継は、にわかファンを意識してか、ずいぶんわかりやすくなった。前回のW杯で日本が南アを破る大金星をあげたり、五郎丸の〝お尻つんつんポーズ〟が人気化し、それまで関心のなかったたのがきっかけだ。
私が、同じゼミの仲間で合気道部の副主将をしていた友人に誘われて初めてラグビーの試合を観戦したのは、W大の政経学部4年に在籍していた1960年代の終わり頃で、秩父宮ラグビー場での早明戦だった。
(余談だが、2年生まで住んでいた下宿にW大剣道部の副主将も転居してきたが、その後、私が別の下宿に移ったので、その時点から同部の詳しい話を聞く機会は失せた)
しかし当時は、ラグビーに詳しくはなかったし、どういう反則をしたのかはよくわからず、野球に比べると面白くもないスポーツだと思ったものだった。
その程度の記憶しかないが、それから10数年後には私に目をかけてくださった先輩の新聞記者の誘いでスポーツ紙に社会人のラグビーを連載し、その後、社会人ラグビーチームの主将と湯河原の老舗旅館の子持ちバツイチ若女将との純愛小説を書くなどし、ラグビーの試合場面も入れた。
その小説では、神戸製鋼の平尾誠二とトヨタの朽木英次(両者ともW杯日本代表)をミックスした人物を主人公にし、チームの主将だった主人公が試合で大けがをし、湯治のために湯河原へ行くという設定で、その旅館は時代の波に抗しきれずに、廃業が近づいているといった展開で、今ならラグビーファンあたりには関心を持たれるテーマだが、当時はそうではなく、その本は売れなかった。あまりに時期尚早だったのだろう。
そのとき、直接、選手や監督に取材し、練習をまじかで見学したり、試合を観戦し、「こんなに男っぽいスポーツなのか」と心を揺さぶられたものだったが、ラグビーはケガがつきものの危険なスポーツでもあるので、私が少年時代に通っていた中学では無論のこと、高校にもラグビー部はなかったから、学校の体育の授業にも取り入れられていなかったのである。
その頃のラグビーはマイナーなスポーツで、テレビ中継はNHKでやる程度で、今回のようなわかりやすい解説ではなかったから、ファンの数も少なく、反則名が何を意味するのかわからない人は、まず観に行かなかった。
誰にもある「差別化意識」とは何か
「ラグビーW杯2019」での日本チームの実力をどう評価しているかで、個々人の戦績の受け取り方は大きく異なる。
▼「勝って当たり前」の実力と高評価していれば、負けたら怒りがこみ上げる。
▼「負けて当たり前」の実力と低評価していたら、負けても「よく頑張った。感動した」となる。
乱暴な言い方をすれば、「狭義の差別」と取れなくもないそういう評価を人は下しているのだ。
わかりやすいプロ野球を例にしていうと、「巨人」は常勝して当たり前の〝エリートチーム〟であると選手たちは自覚し、ファンにもそう思われている。
選手たちは、自分たちをエリートとみなした時点で、すでに他チームを見下しているので、そういう態度が露骨に出ては世間から批判を受けるので、そうならないように、「巨人軍の選手は紳士たれ」という訓戒が掲げられる。
そういうチームを応援するファンは、対戦相手チームを見下げている。つまり、差別している。
巨人はエリート集団という〝(他チームに対する)差別的自負〟があるので、2位や3位では納得しないし、ときには罵倒することにもなる。
今回のW杯では、「念願のベスト8」入りを達成したことで満足すれば、よく頑張ったという高評価になるが、「そんなことで満足しては困る。せめてベスト4まで勝ち残れ」と思えば低評価になる。
ノーサイドを文字通りに受け取ると、大きな勘違いをする
「勝て、日本」「がんばれ、日本」などと応援するのは、日本という同じ国に住む日本人という同胞意識からで、このとき「敵も頑張れ」などと心底から願う者などいない。もしいるとしたら、偽善者だ。戦争しているのと同じなのだから。
もしそう思うとしたら、日本が圧勝していて応援に余裕があるときとか、敵があまりにもぶざまで試合をぶち壊しているときとか、やる気のない試合をするので、奮起を促したいからだろう。
本当のところは、口には出さないが、心の奥底では「敵が反則して、レッドカードで次々退場してくれないか」と願っている場合も決して少なくはないのである。
ラグビーの「ノーサイド」(試合が終われば、敵も味方もない)という言葉は美しく、理想的なスポーツマンシップではあるが、裏を返せば、そういう規則を定めておかないと、憎しみが生まれるからであるし、さらに深読みすれば、「人間の心理の奥底には、そういう醜い感情が巣くっている」という見方もできるのだ。
スポーツの秋、読書の秋、実りの秋、食欲の秋だが、スポーツ観戦しながら、「自身の心の奥底に抑制されている差別意識」について、考えてみてはどうか。
(城島明彦)
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