マラソン開催地変更が暗示する、東京五輪ではなく、東京〝誤〟輪!
真夏大会にさせたのは、ロス五輪(1984年)以来の歪んだ「商業主義」(コマーシャリズム)
巨大台風一過、日本列島にはとんでもない被害が残った。気の毒という言葉ですむような状況ではない。
福島などは大震災の傷が癒えないのに、また風水害をこうむった。
その騒ぎの渦中、IOCが猛暑を懸念して来年のマラソン開催地を東京から札幌に変更すると発表。9月末に高温多湿下のカタールのドーハで開催されたマラソンで、4割もの棄権者があったことを重く見、同様のことが東京五輪でも予想されると読んだIOCの判断だった。
猛暑下の東京でマラソンをやれば、カタールの二の舞どころか、死者が何人も出る可能性すらある。そうなって批判の矛先が向けられるのはIOCだ。そういうことは避けたいという結論になった。
が、それを知って、憤懣やるかたないのが、事前に何の相談も受けなかった〝緑のおばさん〟小池都知事。蚊帳の外に置かれたことに立腹し、
「涼しいところがいいというなら、北方領土で開催したらどうか」
と、八つ当たりだった。
すでに多額の金を投入して温度を下げるという触れ込みの道路工事を終えているが、実際に走った選手にいわせると、「かえって暑く感じる」と、さんざん。となれば、都民からクレームが発生するのは必定だ。
前回の東京五輪は秋だったのに、なぜ今回は真夏なのか
真夏の日本列島が異常な猛暑多湿に包まれるのは、今に始まったことではなく、真夏に開催することがぶち上げた時点で、異常な猛暑対策を懸念する声はあった。
1964(昭和39)年の東京五輪では、猛暑は避け、晴天が続く日を調べに調べて10月10日からの開催と決めた。
私はそのとき、高校3年生だったから、いい季節を選んだと感心したものだった。
当時の天候がどうだったかをよく知っている年代は、いまや、高齢者しかいないが、今度もなぜ涼しい秋に開催しないのかと不審に思っている人は多いはずだ。
もっとも、10月が必ずしも安心というわけではなく、蒙古襲来の例をあげるまでもなく、大きな台風がやってくることは誰もが知っている。
しかし、その時期さえ外すことができたら、異常なまでの高温多湿は回避できる。
では、なぜ高温多湿の夏でなければならないのか。
それは、1984年のロス五輪から始まった「商業主義」による。
開催すると大赤字を抱える五輪の対策として打ち出されたのは、テレビ中継で金を稼ぐということだった。「スポーツの秋」といわれるように、秋にはあらゆるメジャーなスポーツがテレビ中継されるので、五輪の開催時期がそれらとバッティングすれば、テレビの視聴率は下がるし、五輪が盛り上がらない。その結果、大赤字となる。
そこで、他のメジャースポーツと重ならない猛暑下の真夏開催ということになったのだ。
そして、テレビ中継をはじめとする商業主義が当然のようになり、利権の甘い汁を吸おうという企業や連中が群がったのだ。
東京五輪は、招聘時にわいろを使った疑惑で竹田前会長の辞任に発展したように、「露骨な利権がらみ」で、そこここで〝脱輪〟している。
ロス五輪以降も、金がかかりすぎて、開催したいと手を挙げる国が激減状態にある。開催国は、開催時のフィーバーの反動で、その後、大不況に陥った例は数えきれない。
こういう負のスパイラルを変えない限り、東京五輪が東京〝誤〟輪となる可能性は高いのである。
スポーツマンは爽やかという印象が浸透しているが、とんでもない。レスリング、テコンドなどで表面化したセクハラ、パワハラをはじめ、金権体質に染まった薄汚い連中がワンサカいる。表面に現れたのは、氷山の一角に過ぎず、W杯人気で盛り上がっているラグビーも例外ではない。
そういう者か否かを見分ける簡単な方法は、相手が権力者・実力者だとへいこらするが、そうでない者には一変して威張りくさるかどうかである。
そういう歪な性格の者が多い企業ほど、いつしか事業が傾き、倒産したり身売りをすることになる。私が最近会った編集者にもそういう者がいたが、このブログを読んだ人の周囲にもそういう〝人間失格者〟が何人もいるはずだ。 その話は、別の機会に述べたい。
(城島明彦)
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