〝殺人企業〟東電の元経営陣は無罪ではない! 「万が一」をなめてかかった経営判断の誤りだ!
「経営陣の危機管理が大甘」だったから事故は起きた
福島第1原発事故で、東京地裁は「東電旧経営者3人は無罪」という判決を下したが、巷にはブーイングの声が満ちあふれている。
何事も、突然起こったように見えて、必ず〝前兆〟〝予兆〟がある。東北大震災も同様だったが、察知できなかっただけだ。
「富士山が大噴火する」
と警鐘を鳴らした研究者がいたが、それを真に受けて疎開した関東圏の人はいなかった。
「第三次世界大戦が勃発するといって、庭に水爆にも耐えられる防空壕(シェルター)を作り、2、3年分の食糧を備蓄した」
という人が過去に実際にいたが、そういうニュースが流れると、
「ばかなやつだ」
と、ほとんどの人が嘲笑した。
だが、原発事故の怖さは、チェルノブイリ事故で誰でも知っている。
しかし、あれはソ連(当時)の危機管理に問題があっただけで、管理体制を盤石にすれば原発事故など起きないと、日本では考えてきた。軽く見たのである。
「原発を15メートルを超える大津波が襲って破壊する可能性なきにしもあらず」
という国の報告書が出されたが、東電の経営者は、
「そんなことはありえない」
と軽く考えたから手を打たなかったのだ。
一言でいうと、
「用心深くなかった」
のだ。
「被ばく」する危険性と隣り合わせの「原発」という施設や設備で「電気」を製造している会社と、コロッケや鉛筆を製造している一般企業とを同一視することはできないのだから、危機管理に対する考え方が均一であっていいわけがない。
「そこまでやるか、と思えるくらいの過剰防衛体制を構築したか否か」という視点で、経営者の判断をチェックしないといけないのだ。
近年の地球は、昔とは違っている。東北大震災のときも、地球の温暖化、天候異変、海流の蛇行異変、生態系の激変など、さまざまな面で、昔とは地球環境が様変わりしていた。
そういう時代になっていると認識すれば、
「過去の定規・尺度に当てはめる危機管理では危ない」
ということは容易にわかる。
だが、東電のトップ連中は、
「15メートル級の大津波など、来るわけがない。そんなものに大金を投じるバカがどこにいる」
と考えたから、何も手を打たなかったのだ。それは明らかに「経営判断のミス」である。
東電と京アニ事件の共通点
京アニ事件にしても、
「見たこともない狂人がいきなり現れて社屋にガソリンをぶちまけて火を放つ」
というような事態は、常識では想定できない。
だが、自由に誰でも出入りできないような厳重なセキュリティが施されていたら、あそこまではいかなかっただろう。
そう考えると、危機管理に誤りがあった。
「どこまで危機管理を行うか。(万が一を超える)〝億が一〟とか〝兆が一〟といった確率で起こるかもしれない出来事や事件に備えて、大金を投じるか否か」
は経営陣の判断になる。
つまり、東電事故は同社の経営陣に責任があったことは明白で、国にも監督責任があったといえる。
さらにいうと、京アニの社長にも危機管理を軽く見たという点で経営責任があるということになる。
(城島明彦)
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