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2019/06/28

高島忠夫の新東宝映画「坊ぼん罷り通る」の思い出

作詞作曲「結婚しましょう」 

「結婚しましょう」

 昭和323年頃、小学校へ出かける時間になると、ラジオから「結婚しましょう」という歌が流れてきた。連続ドラマらしかった。

  ♪ 結婚しましょう あなたと誰か

 子ども心にもその歌詞が恥ずかしい感じがして、すぐに覚えてしまった。

甘ったるい感じでその歌を歌っていたのが高島忠夫で、その名をすぐに覚えた。そのとき私は小学4、5年だった。

後日知ったのだが、この歌は高島忠夫の作詞作曲で、別の映画の主題歌として歌われたということだ。

 市内の真ん中に住んでいた私の家族は、5年生の冬に郊外に引っ越したが、越境通学していた関係で、帰路、新東宝の映画を上映している映画館の前を通ることがあった。

 そのとき看板で見たのが、高島忠夫主演の「坊ぼん罷り通る」で、「罷り通る」という漢字の読み方を覚えた。

 以来、なぜか、その映画を見たいという思いに駆られたが、見る機会はなく、時が流れた。

 DVD を売っていると知って買ったのは、今から7、8年前か。正確なことは忘れた。映画が上映されたときは12歳ぐらいだったから、半世紀以上が過ぎていた。 

 映画の内容は、大阪から上京した坊ちゃん社員の奮闘記で、恋あり、ドタバタ調の笑いありという〝完璧なB級映画〟だったが、買って損したとは思わなかった。

「こういう内容だったのか」

 DVDを見ながら、当時の街の風景や風俗を思い浮かべることができ、満足したものだ。

 監督は、昭和30年代の歌謡曲「湯の町エレジー」「山小屋の灯」で大ヒットを飛ばした近江敏郎だった。なぜ歌手が映画監督かといえば、近江敏郎の兄が新東宝映画のワンマン社長をしていた大蔵貢だったからだが、近江はなかなか起用で、ツボを押さえた演出をしていたので驚いたものだ。 

 高島忠夫の恋人役が大空真弓で、脇を古川ロッパや坊屋三郎、由利徹らが固め、大蔵貢の愛人だった高倉みゆきも出演していた。 

 高島忠夫・寿美花代夫婦が、当時まだ小さかった二人の子ども(正宏・正伸)を連れて、目黒のとんかつ屋「とんき」の一階で、板壁にもたれるようにして順番待ちをしているのを目撃したのは、私がソニーに勤務していた30代の頃だったと思う。

 その様子から、暖かい家族の感じが伝わってきた。 

 目黒のとんきは、大人数が座れるカウンターの向こうで、職人が揚げており、それが人気で、外国人の客も多かった。

 その頃の私は、「とんき」のカラッと揚げたとんかつが大好きで、仕事が終わると、週のうち3、4日は通っていたと思う。今では、ほとんどのとんかつ屋が、当時のとんきのように、カラッとして揚げ方をしているが、当時のとんかつ屋で、そういう揚げ方をしている店はなかった。

 その後、ソニーを退社したこともあり、通わなくなった。

 数年前に、娘を連れて食べにいったら、若い頃にいた職人が数人まだ残っていた。相手も私の顔に見覚えがあったようで、驚いたような表情をしていたが、声をかけてくるでもなく、見ていると作業も昔と違ってぞんざいになり、とんかつそのものもまずく、失望した。

 

 高島忠夫という名を聞くと、連想ゲームのように、とんきの1階に並んでいた一家のほのぼのとしたイメージを思い出す。

 高島忠夫はパーキンス病を患っていたそうだが、私の亡父も同じ病気にかかり、次第に歩くことが困難になった。当初は、歩行が難儀になった理由を理解できず、歩行しようとする意志の力がないと叱責する気持ちがあったが、そうではなかったのだ。

 

 青春時代の私は、3年間、東宝で映画の助監督をしていたが、その時期に俳優としての高島忠夫と出会う機会はなかったものの、小学生のときに映画の看板やスチール写真で見た〝坊ぼん〟高島忠夫のはじけるような笑顔は、当時も今も私の胸に強く焼き付いている。

 高島忠夫死去の報道に接して、以上のようなことを思った次第である。

 ご冥福をお祈りします。

(城島明彦)

2019/06/27

12歳以下の少年野球の「日本代表チーム監督」に元ヤクルト監督の真中が就任

監督が元木大介から真中満に変わったお披露目記者発表に行ってきた

 野球は、サッカー人気に押されて、かすんでいたが、「イッチロー!」や「オータニさん!」らが大リーグで大活躍したので、少年たちの目が向けられるようになった。

 で、本日は、「カル・リプケンワールド・シリーズ」に出場する日本代表チームの監督に、元ヤクルト監督の真中満が就任したということで、お披露目の記者会見があり、「お前も出ろ」といわれたので、品川駅前の発表会場へ行ってきた。 

 NHKのカメラも入っていて、記者が質問していたから、夜のニュースで放送するのかな。

 朝日の記者も来ていたが、この新聞社の記者は誰ということなく態度がでかいのが特徴。定年退職後に、誰からも相手にされなくなって、初めて己の評価を実感する輩がいかに多いことか。 

「腹が減っては戦はできぬ」で、ワールド・シリーズに出場する選手たちの栄養管理をしっかりし、モリモリ食べられるような料理の献立も並んでいたので、試食させてもらったが、なかなかのもの。これは、記者発表後の懇親会場での話。

 日本のスポーツが世界に通用するようになったのは、幼児の頃からビシバシ英才教育をして来たからだ。

 野球界のリーダーに期待するところ大。

(城島明彦)

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