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2018/01/08

「西郷どん」(第1回)の各場面の虚実を○×で徹底採点!


近年の大河ドラマ中、一番の出来だったが、欠点もあった

 〇タイトルバックに流れるのは、従来のCG画像ではなく、実景(実際の鹿児島風景)を使った点。

 〇ドラマのオープニングに西郷隆盛の死から21年後に、上野公園で銅像の除幕式が行われる場面を持ってきた点。

 ×幕が切って落とされ、姿を現した夫の銅像を見て、西郷未亡人の「糸」(いと)が「うちの人はこんなではなかった」という意味の感想を鹿児島弁でいって、隣に座っていた西郷隆盛の弟従道(つぐみち)にたしなめられたのは事実とされているが、ドラマでは、それに続いて糸が銅像の前まで歩み寄って、再びその言葉を繰り返すという演出は、糸という女性の性格(控えめで、芯が強く、耐えしのぶタイプで、無駄口は叩かない)を考えると極めて不自然。

 ×西郷従道のテロップに「じゅうどう」とルビを振っていたが、一般に広く知られているのは「つぐみち」であり、違和感を感じる人が多いはずだ。「じゅうどう」と読む人:「つぐみち」と読む人=1:9ぐらいではなかろうか。
先々、ほかの登場人物から「つぐみち」と呼ばれる場面があると、違和感を覚える視聴者が出るのではないか。そう考えると、「つぐみち」とルビを振るべきだったのではないか。
誰に向けてドラマをつくっているのか!? NHKはそのことが頭から抜けている。

 〇従来の大河に比べ、テンポがあり、場面転換もスピィーディなのがよかった。

 〇全体に明るく、活気が感じられ、好感が持てた。

 ×西郷と後に西郷の後妻となる糸は16歳違うが、話を面白くするために、糸と幼少期に印象的な出会い方をしていたという信じがたい設定にしていた。
 少年西郷と少女糸が出会っていて、心に残る会話まで交わさせたというのは、従来のどうしようもないNHK大河の〝ご都合主義路線〟を踏襲しており、落胆させた。
 従来のNHK大河ドラマで頻繁に使った手口――主人公を強引に事件に関連づけようとして、「盗み聞きする」という品のない脚本・演出というご都合主義は、「西郷どん」では、絶対にやめてもらいたい。

×鹿児島独自の教育システム「郷中」を番組では「ごうちゅう」とルビを振っておきながら、番組後の現在の場所の紹介する場面では「ごちゅう」と異なる読み方のルビをふっていた点。同じNHKでおかしいではないか。

 ×少年西郷が喧嘩をして腕を斬られる場面が出てくるが、これは史実。しかし、ドラマでは晴天で、しかも正面から斬られている。言い伝えられているのは、雨中であり、背後から刀の鞘で襲われ、その鞘が割れて、むき出しになったために斬られたのであり、史実を無視している。武士道では、背後から斬るのは卑怯者のすることで、やってはならない作法なのに、それをしたといわれているが、NHKはどういう理由で正面から斬りかからせたのか。
 どこを斬られたかというと、「右尺骨(みぎしゃっこつ)部」に達する重傷である。
尺骨神経が切断されると、どうなるか。
 「前腕部では手首の屈曲、手指の屈曲、さらに手部では母指(親指)の付け根の筋肉(母指球筋)以外の手の中の筋肉のほとんどを支配している」(「公益特殊法人日本整形外科学会」HP)

 〇「斬られた腕は不自由になる」と医者に診断されて、母親は道祖神にすがりついて息子の回復を祈願する場面があった。そういう記録はないが、母親の心情を考えると、神仏にすがって当然であるから、その場面はOKどころか、実にうまい演出ということになる。
、「史実と史実の間を埋める想像部分は、リアリティを感じる想像であるべき」
 と私は常々主張しているが、それはこういうことを指す。

 〇ドラマでは、少年西郷が薩摩藩主の島津斉彬(なりあきら)と何度も出会っただけでなく、会話まで交わしたが、その後、ナレーションで、「こういう史実はなく、西郷が出会った相手は斉彬の影武者だったかもしれないし、天狗だったかもしれない」といった意味のことを語らせる手法は秀逸で、そのように巧みに「逃げ」を打ったのは大河ドラマ史上初で、うまい演出といえる。〝親友コンビ〟作家林真理子・脚本家中園ミホの面目躍如といったところか。
 「天狗」というのは、藩主の別荘で兵器をつくったり、いろいろなことをこっそりやっていたが、幕府に感づかれないように、幽霊が出るとか天狗が出るといったうわさを流していたのは事実。西郷に限らず、少年たちは好奇心が旺盛だったから、そこへ行った可能性はあるが、そのとき島津斉彬と出会っているという可能性は極めて低いが、皆無とはいえない。

(城島注)西郷と島津斉彬が初めて出会ったのは、いつだったか。
 のちに、島津斉彬が藩主に就任すると、家臣に意見書を出すようにと命じる。郡奉行所に勤務して農民と接触する仕事をしていた西郷青年は、農民が苦しんでいる状況を何度も書いて提出、それを読んだ斉彬は西郷の非凡さを見抜き、参勤交代で江戸へ向かう行列要員の1人に西郷を抜擢する。
 そして斉彬は、参勤交代の旅の途中で小休止した際に、「西郷隆盛という者はその男か」と家臣に尋ね、教えられて西郷を見たのである。つまり、「それ以前には会っていない」と考えるのが普通なのだ。
 もし、それ以前に何度も会っていたとすれば、しかも、ドラマで描いたような特別な出会い方をしていたのなら、西郷が少年から青年へと変貌していたにしろ、面影があるはずなので、「どこかで会ったことがある」と思い、「ここへ呼べ」といったはずだと私は考えるのだが、どうだろう。このとき西郷隆盛は28歳(数え年)である。

 〇最後のところで、西郷の仲間である少年たちが出てくるが、それぞれの名前をテロップで入れていた。

 〇従来の大河ドラマのストーリー、演出技法などに対して寄せられた視聴者のクレームなどを素直に聞き入れて工夫改善したと思える場面が随所に見られたのは、好感が持てた。

 疲れてきたので、このへんでやめるが、詳しいことを知りたい人は下記の拙著を――。
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(そのほかの拙著もどうぞ)
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(「中江藤樹は、西郷隆盛が傾倒した「陽明学」(日本陽明学)の開祖です)

(城島明彦)

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