東宝助監督OB会の忘年会に出席した
高齢化の波は、いずこも同じ
4年ぶりに「東宝助監督OB会」に出席した。
会長は御年84歳(1933年1月生まれ)の恩地日出夫監督で、幹事は2つ下(1935年12月生まれ)の小谷承靖監督ほか。
恩地さんは、27歳のときに監督に昇進したそうで、私が中学生の頃だ。当時から映画に関心をもっていた私は、恩地日出夫という名前をその頃から知っていた。
小谷さんは、1970年(昭和45年)に加山雄三主演の若大将シリーズで監督に昇進。私は、その年に大学を卒業して東宝に入社、助監督になり、1972年に撮影された小谷承靖監督作品「夕日くん・サラリーマン仁義」(人気漫画家サトウ・サンペイが「週刊朝日」に連載した漫画が原作)に助監督としてついた。
そのとき、夕日くんのマドンナ役を演じたのは、園まりだった。
私は、この作品が公開された翌年、堀川弘通監督の「王将」の助監督を最後に東宝を辞めてソニーへ転職した。
藤井四段の活躍で将棋が人気化しているが、実在した〝天才棋士〟坂田三吉を描いた「王将」は村田英雄の同名の曲(船村徹作曲・西条八十作詞/♪吹けば飛ぶよな将棋の駒に 賭けた命を笑わば笑え……)が大ヒットしているので、若者の中にも知っているはいるはずだ。
東宝作品「王将」では、坂田三吉を勝新太郎、女房の小春を中村玉緒という実際の夫婦が演じ、話題を呼んだ。
チーフ助監督を務めた河崎義祐さんは、その後、監督に昇進し、松田聖子主演の「プルメリアの伝説 天国のキッス」(相手役は中井貴一)を撮るなどしたが、本日のOB会は欠席だった。
OB会は年々高齢化しており、今年、渡辺邦彦、伴野義光両監督が死去したが、昨年は私と同世代の山下賢章監督が急逝している。
山下監督の死去は、一緒に映画をつくろうという約束をした直後だったので、1周忌が過ぎた今も、いいようのない喪失感にしばしば襲われる。
渡辺邦彦監督の父は〝早撮り〟で有名だった渡辺邦夫監督。私は、邦彦作品の「恋人って呼ばせて」(吉沢京子主演)、「白鳥の歌なんか聞こえない」(岡田祐介主演)の2本に助監督としてついた。
私は、成城学園にあった東宝独身寮の1階に3年間住んでいたが、2階には黒澤明の信奉者の助監督井上英之さんが住んでいて、毎朝、黒澤明監督作品のテーマ音楽を大音量で流し、たたき起こされた。 彼は、黒澤明の「影武者」に助監督でついたが、その後、突然、片足が動かなくなり、手術したが完治せず、助監督の激しい仕事は難しくなったので、制作部門に移ったが、「ゴジラ」の本を書くなどした。
そういったことが私の青春の思い出の何ページかを占めている。
私は、今年は5月に拙訳『中江藤樹「翁問答」』、11月に『考証・西郷隆盛の正体』の2冊を上梓。西郷本の方は、BS日テレの「片岡愛之助の解明!歴史検証」からゲストとしてお呼びがかかり、2日前(12月7日)の夜、収録を終えた。
放送日は、来年1月11日(木)午後9時から1時間。
不思議な話で、放送日は111で1並び、番組回数は99回で午後9時から出9並びである。
(城島明彦)
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