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2017/11/30

次は〝大相撲をなめきった天狗横綱〟白鵬、おまえがやめる番だ!


メディアよ、優勝インタビューで思わず口走った白鵬の「膿」の中身をどんどんあばき出せ!

 日馬富士の引退会見は、ひどすぎた。
 いわずもがなのことをまくしたて、天に唾する形になった。
 
 先輩として、よその部屋の後輩(弟弟子)に対して礼儀・礼節を指導するだと!?
 バカいうでない。弟子の教育は、部屋の親方の仕事だ!
 そういう「越権意識」が今回の暴力事件を招いたのだ
 白鵬の「万歳三唱」も、そういう意識が先走って行われたと考えると、納得がいくのではないないか。
 ただ単に口がすべったといった問題ではなく、根が深いのだ。
 多くの人がそういうことに気づいていなかっただけの話である。


弟子の教育は部屋の親方の仕事

 「理由のいかんを問わず、暴力を振るったことに弁解の余地はない。横綱の品格を汚してすみません」
 と詫びるだけで十分だった。
 それなのに、
 「貴ノ岩には、礼節・礼儀をわきまえて頑張ってほしい」だと!?
 余計なお世話で、暴力事件を起こした当人が説教がましく口にすべき言葉ではない。
 こういうのを〝イタチの最後っ屁〟というのだ。

 先述したように、弟子の教育は部屋の親方がやること。
 同じモンゴル人だから、モンゴル人横綱という理由で、よその部屋の力士に先輩風を吹かせて、指導する義務や権利などどこにもない。
 思い上がりも、はなはだしい。

 そういう自意識過剰連中に、権威を踏みにじられ、小馬鹿にされてきた日本相撲協会って何なのか!?

 暴力と八百長(星のやりとり)は、大相撲界の悪しき伝統だったが、その「膿」はまだ完全に絞り切れてはいなかったのだ。

 「週刊文春」や「週刊新潮」などの日本のメディアは、〝モンゴル人互助会〟の闇に迫ろうとしているが、とことん調べ尽くして白日の下にさらしてほしい。


シラフでリモコンで殴ることが〝モンゴル流〟の礼節・礼儀なのか!?

 「酒癖が悪いといわれたことはない」
 というのもおかしい。いや、これは致命的な発言だ。
 シラフでカラオケのリモコンを使って何度も殴打し続けた、と記者会見で語ったことは、判断力が普通に働く状態で行った「傷害罪」だと自分で白状したわけで、この言葉の持つ意味は大きく重い。

 日馬富士は賢そうに見えて、本当は〝バカ〟じゃないのか。
 そういう弟子に育てた〝記者会見逆ギレ親方〟(伊勢ケ浜親方)の責任は重大だ。

(城島明彦)

2017/11/29

日馬富士の貴ノ岩への暴行はパワハラ! 白鵬の得意技「張り差し」もパワハラ!


〝勘違い横綱〟白鵬は、〝相撲界に君臨する帝王〟か? 

 大相撲秋場所が昨日で終わり、今日は白鵬が警察の事情聴取を受け、相撲協会は八角親方が十両以上の関取を集めて、「二度と暴力沙汰を起さないようにする」といった内容の「講和」を行ったという報道がなされたが、まずは、替え歌と行きますか。

 日馬富士の暴行事件の最大の特徴は、力士の最高位に君臨する横綱が、下位力士の貴ノ岩の態度が生意気だという理由で、鉄拳制裁を加えたということ。
しかも、貴ノ岩は、殴られている間、ほとんど無抵抗状態だったとされている。
 つまり、「究極のパワハラ」だったのである。
 
 これは土俵外の出来事だったが、土俵上では連日のように横綱白鵬が、下位力士に対して「張り差し」というパワハラを見舞い続けていた。


アマチュア相撲で「危険として禁じられている技」を白鵬はなぜ連発するのか!?

 相撲協会は、白鵬が連日のように「張り差し」をしてきたことに対しては、一言も触れていないが、アマチュア相撲では、「張り差し」は「危険だ」という理由で禁止されている技である。
 中学や高校だけでなく、大学相撲でも禁じ手になっている。

 大相撲の力士が対戦相手に立ち合いざま見舞う「張り手」のパワーはすさまじいものがあり、過去、何人もの力士が脳震とうを起して、ぶざまにその場に崩れ落ちている。ふらふらしながら土俵を降りた力士も一人二人ではない。

 相撲協会は、白鵬の得意技「張り差し」によって、どれくらいの横G(横にかかる重力)が相手力士にかかるのか、きちんと調べる必要がある。

 大相撲の「張り差し」に問題があるのは、上位力士が下位力士に行うことが圧倒的に多い技だからだ。
 日馬富士も、白鵬ほどではないが、しばしば「張り差し」を行ってきた。

 それに対し、下位力士の中でも横綱や大関相手に「張り差し」を行う者もいるにはいるが、その比率は白鵬に比べたら微々たるものである。
 その理由は、横綱の顔をひっぱたくことに対する遠慮があるからだ。
 つまり、「張り差し」は、立派なパワハラの一種なのだ。日馬富士が貴ノ岩に加えた暴力的パワハラと、根っこは同じなのだ。


両耳を同時に張るのは禁止で、片耳ならOKというのも妙だ

 アマチュア相撲に限らず、大相撲でも「両耳を同時に左右の手で張ることは禁止」れているのに、「片耳の上を張ることを許している」のは納得がいかない。
 テレビのワイドショーも、
 「白鵬の張り差しが相手力士に与える衝撃度(横G)」
 を実験して公開したらどうなのか!?
 そういう実験をやろうともしない民放各社にも罪がある。

 「頭髪を掴む」と反則負けになるのは、時折あるから比較的よく知られているが、これは以前は「故意に掴む」という文言になっていたが、2014年以降は「故意に」が削除された。
 したがって、「張り差し」を「禁じ手」にすることも可能なのだが、相撲協会がそれをやらないだけだ。つまり、相撲協会は、どれぐらいの横Gが相手の顔面にかかり、その衝撃で耳や脳にどのような問題が起きるかということを調べようとしないのである。

 相撲はプロレスとは違うのだ。アマチュア相撲で「危険」とみなされて「禁じ手」になっているものが、なぜ大相撲にだけ許されるのか!?


白鵬は〝空前絶後の勘違い横綱〟だ

 白鵬が「自分は、最多優勝横綱で、現役最強だ」と自負し、誇りに思うのは構わないが、「相撲界に君臨する帝王」であると錯覚している節が見られるところに問題がある。

 そうでなければ、優勝インタビューでの〝迷言〟「日馬富士や貴ノ岩を土俵に上げてあげたいと思っている」という趣旨の発言は出てこない。
 そういうことをいうから、「横綱の品格」に欠けるといわれるのだ。
 白鵬の目に余る行き過ぎた態度は、昨日今日に始まったわけではなく、これまでの優勝インタビューでもしばしば垣間見られた。
 それがなぜ改まらなかったかといえば、相撲協会や横審が苦言を呈したり、親方が二度とするなと厳重に注意したりしてこなかったからである。注意しても言動に現れなければ、何もしていないのと同じだ。
 その結果、白鵬はどんどん増長してしまったのだ。


横綱の品格とは何ぞや!?

 横綱の品格とは何か。
 「心技体がいずれも充実し、全力士の鑑(見本・手本)となるような相撲を取る最高位の地位を張る力士が横綱で、土俵上では姑息な取り口をせず、堂々たる取り口で対戦相手を圧倒する強さを見せながらも、その態度はどこまでも謙虚で、土俵外でも常に人としての品位を保ち、誰からも尊敬される存在であり続けること。それが横綱の品格だ」
 もっと別の、さまざまな言い方もあるだろうが、私はそう思っているのだ。。

 このようなことと日馬富士の行った暴力行為を重ね合わせると、日馬富士のどこが横綱の品格を汚したのか、白鵬の11日目の勝負に対する抗議あるいは千秋楽の言動のどこが横綱の品位にそぐわないのかが、おのずと理解できるはずだ。

 横審や相撲協会は、今度の事件を教訓として、「横綱の品格」とは何かということを具体例を列記するなどして、誰にもわかるように改めて定義する時期に来ているのではないか。


前代未聞の「横綱が音頭を取って、万歳三唱」

 「優勝した横綱が音頭を取って、万歳三唱」
 などという、ありえない横暴が国技で公然と行われたこと自体、大相撲がおかしくなっている証拠ではないのか!?

 白鵬自身の性格に問題があっただけでなく、親方や相撲協会に監督責任に落ち度、ないしは力士教育に問題があったとしか思えない。
 そうでなければ、白鵬が、
 「優勝インタビューでは、好きなことができる」
 「自分は偉いんだ」
 と思い込んだりはしないだろうし、「万歳三唱」を観客に促すなどという言動はとらないだろう。


朝青龍にならったのか!?

 伝統的なインタビュースタイルを破って、観客に語りかけた最初の力士は、朝青龍である。
 朝青竜は、優勝を重ねるうちに優勝インタービューに慣れて、つまり「場慣れ」し、好き勝手な言動が許されると思い込み、いいたい放題になっていった。
 そうした不遜な態度が、土俵外での暴力につながり、引退という結末を招いた。

 白鵬は、そういう悪い先輩を見習ってしまい、優勝回数を重ねるごとに、「自分は偉い。何を語っても構わない」という思い上りの気持ちを生んだのである。
 繰り返し声を大にしていうが、そういう育て方をした親方の罪も重い。
 親方が「余計なことはいうな、するな」と釘を刺していたら、横綱の品格を汚すようなことはいわなかったのではないか。


キジも鳴かずば撃たれまい

 白鵬の「膿を出し切って」云々に発言も、
 「何様のつもりか」
 と思えるような、ひどいものである。

 いわずもがなのことをいった感も強い。
 白鵬のいう「膿」とは、
 「相撲協会には腐敗、ただれた部分があり、モンゴル力士間には八百長相撲が存在し、白鵬がそれを認識していた」
 といった類いの〝モンゴル力士会〟にまつわる闇を意味するなのか!?
 もしそうなら、大変なことになる。

 そういうことがもしあったとしても、一横綱が口にすべきことではない。
 思い上がりの「越権行為」である。

 11日目の嘉風との一番では、勝負がついた後、白鵬は手を挙げて長い時間、抗議し続けたが、そのような挙動は、行司、審判をないがしろにし、横綱の品格を自ら汚すものであり、「正しいのは自分」という思い込みがないとできない。
 そのときも相撲協会の八角親方は注意はしたが、厳罰ではなかった。
 そういう大甘な対応姿勢だから、白鵬がますます増長し、千秋楽の万歳三唱やら「膿」発言をやらかしたのである。


NHKにも大罪がある

 白鵬に優勝インタビューを行ったNHKアナウンサーの罪、プロデューサーやディレクターの罪も厳しく問われなければならない。

 NHKは、民放と違って、場内が盛り上がり、視聴者が喜びそうなら何をやってもいいというわけではない。白鵬が危ないことをいいかけたら中断させるぐらいの臨機応変さはあってしかるべきだったが、NHKはそうせず、白鵬を自由気ままにさせてしまった。
 それなのに、優勝インタビューがどんどんエスカレートしてきていた。


貴乃花親方はなぜ相撲協会に報告せず、警察に届け出たのか

 今回の騒動では、貴乃花親方の動きに対しても批判が噴出している。
 彼はなぜ相撲協会に報告せず、警察に被害届を出したのか!?

 その疑問に対する答えは、
 「協会が事件をもみ消す」
 「日馬富士と貴ノ岩を陰で手打ちさせ、なかったことにする可能性が高い」
 と読んだからではないのか。

 なぜそう思ったのかといえば、過去に何度も煮え湯を飲まされた経験があって、疑心暗鬼になったからではないのか。
 それが、貴乃花部屋に関することなのか、部屋とは直接関係ないことだったのかはわからないが、もしそうであれば〝日本相撲協会の闇〟という話に発展する。

 ただ、貴乃花親方の正義感が強く、融通の利かない頑固な性格がそうさせているのか、〝貴乃花の考える正義〟と「世間一般の考える正義」とが必ずしも合致しておらず、自身が巡業部長を務める相撲協会への冷淡な接し方に相撲ファンやメディアは面食らい、非難も少なくない。

(城島明彦)

2017/11/25

白鵬の得意技「張り差し」についてどう思うか、全力士に緊急アンケート調査を実施せよ!


日馬富士の暴力沙汰は、「たまたま」「初めて」のケースなのか!? 「氷山の一角」なのか? 徹底的調査が必要!

 常識的に考えると、これまで表面化しなかっただけで、程度の差こそあれ、日頃からそれに近い行為を行ってきたのではないかと推測できる。

 昔は地方巡業時に観衆の面前で、上位の者が下位の者に対し、竹刀や棒で尻や背中を叩くのは当たり前だったが、時代が変わった。
 しかし、張り差し、張り手でいじめることは、今も行われている。

 白鵬は、今場所も、張り差しをしない日はないと思えるくらい、連日にわたって行っている。白鵬に張られることを嫌がっている。
 しかし、他の力士が白鵬に対して「張り差し」をすることは、極まて稀である。
なぜなのか!?
 どの力士も、横綱の顔をひっぱたくのは「非礼」「無礼」という思いがあって、遠慮しているのだ。
 相撲取りの「手」は、一般人の手とは違う。
 同じ張り手でも、力士の張り手は「凶器の様相」を呈する

 日馬富士の暴行事件で、日馬富士が貴ノ岩に対し、何十発も張り手を連発したというのは、これは、「一般人が素手で殴った」ということとは本質的に異なっている。力士にとって「平手打ち」は相撲の手では「張り手」であって、一般人の平手打ちとは比べものにならない威力があり、〝一種の凶器〟に近いところがある。
 したがって、「素手で殴ったか、物で殴ったかでは刑の重さが違う」と法律の文言通りの解釈をコメントする弁護士がいるが、特殊ケースであることを加味しないといけない。
 ボクサーが、リング外で拳(こぶし)を使って、相手を殴ったのと同じとみなさないといけないのだ。


「張り差し」は、上位の力士がおのれの地位を笠に着て下位の力士に行う「パワーハラ」だ
 
 白鵬は、そういうことを百も承知の上で、どの場所でも、連日のように「張り差し」を行ってきた。
 「またか」
 と、辟易している相撲ファンは私だけではない。
 
 NHKのアナウンサーや解説の舞の海も、最近になってやっと白鵬の連日の「張り差し」に違和感を呈するコメントをするようになったのは好ましい。
 それでも、「張り差し」をやめようとしないところに、白鵬の底意地の悪さがうかがえる。

 
 舞の海のような小兵の力士が、大きな相手に対して「張り差し」をしたり、立ち合いで変化したりしても、誰も異議は唱えない。
 ところが、体格も人一倍立派で、しかも強く、〝大横綱〟といわれるような力士が、どの力士も嫌がる「張り差し」を得意技とし、明けても暮れてもそればっかりやるというのは、狂気の沙汰、横綱の品位を踏みにじる行為であるとしか思えない。

 堂々たる体格をし、やる気になれば、張り手など用いなくても、白鵬は素早くまわしを取れるし、押したり投げたりできるにもかかわらず、鍛えようのない顔面それも脳に大きな衝撃を与える側頭部を殴打して相手に衝撃を与えることで相手のパワーを削ぎ、勢いを減じさせるという取り口ほど安易で姑息な取り口はなく、横綱にふさわしくないのである。

 舞の海やアナウンサーは、「横綱にふさわしい真の相撲道とは何か」「日本人の行儀作法」をもっと声を大にしていってほしい!


白鵬は、「横綱の品位・品格」のどこをどう汚しているのか
 
 白鵬は、宝富士にあわやという場面が二度あったが、最後ははたき込んで勝った。
その後、土俵上で笑った。

 これは、横綱の品位を汚すものである。・あってはならないことである。
 懸賞金の分厚い束を受け取ると、その右手で「やった!」といわんばかりに上から下へ手を振った。これは横綱の品位を汚すだけでなく、国技としての大相撲を汚す行為である。

 日本の武道は、礼に始まり礼に終わる。そこには戦う相手に対する敬意がある。
 戦いが終わってもガッツポーズや土俵上で笑みを浮かべたりしないことは、基本中の基本だ。
 白鵬には、そのことがわかっていないし、わかろうとしない。

 モンゴル人だからといってしまえばそれまでだが、古今東西を問わず、どの国にも「郷に入っては郷に従え」という戒めがある。
 しかも、相撲は神事としてスタートした日本の伝統ある国技である。
 それを無視した挙動は、「自分が強いのをいいことに、心中では日本や日本人力士を小馬鹿にしている」と受け取る人も少なくないということが、白鵬にはわかっていない。
 彼の言動は、「大和魂」とは似て非なる異風の「ゴーイング・マイ・ウェイ」である。


ケガで休場する力士がなぜ多くなったか――主な4つの理由

 大相撲秋場所の関取(十両以上)の休場者数は、14日目現在で10人。

 ①体格の向上で大型力士が増え、肥満化が進み、膝、足がその体重に耐え切れなくたったから。
 ②昔は公然と行われていた八百長が禁じられ、無気力相撲と思われないために、力士が本気で相撲を取るようになったため、相撲が荒っぽくなったから。
 ③勝った力士が、勝負がついてからもダメ押しをし、負けた力士が土俵下に転落して負傷する。
 ④無闇やたらと「筋トレ」をするようになったが、それが力士の理想的な体の鍛え方ではないということに気づいていないから。

 筋トレに頼りすぎるのも、力士本来の体にマイナスに働いているということもあるのではないか、と私は見ている。また、食生活の洋風化も、力士には必ずしもプラスに働いていないのかもしれない。

 猛稽古してちゃんこを山のように食べたら寝ることで、体を太らせ、大きくするという伝統的な習慣は、内臓を弱らせたり、糖尿病を誘発したりするので、力士の寿命は一般人と比べてかなり短い。


相撲協会が場所後、全力士を対象にやるべきアンケート調査

 元力士の旭鷲山は、貴ノ岩から電話があったとし、「日馬富士に殴られて、耳が聞こえなくなった。今もおかしい」といっていると発表している。
 その中で、「ケガのことは黙っていたが、親方に知られないようにしていた」といっている。

 これなのだ。相撲に限らず、野球でもサッカーでも、先輩や監督から殴られたりケガをさせられたりしても、誰にも話さないのが、ごく当たり前なのである。
 大相撲では、部屋での稽古中にパワハラを受けても、ただ黙って耐えるしかないのだ。
 本場所の土俵上で、手という凶器を使った「張り差し」を、どんなに稽古しても鍛えることの出来ない頭部の中のさらなる弱点である「側頭部」にくらって、耳の鼓膜が破れたり耳が聞こえなくなったりしても、〝一種の職業病〟という認識をして力士は黙っているから、「張り差し」の被害が表面化しないだけの話である。


アンケートで〝相撲界の闇〟をあぶり出せ

 日馬富士の暴力事件を受けて、相撲協会は、秋場所が終わったら、すみやかに「角界浄化」と隠れて表面に出ない「パワハラという名の暴力沙汰」、さらには「張り差し」「張り手」に対する「力士の本音」と被害に関するアンケート調査を実施してほしい。
 どの部屋の誰がいったということがわからないようにするために、アンケートは「無記名」で行うのが当然であり、自由なコメントを書く欄も設けないといけない。

 アンケートの項目には、次のようなことも入れるべきである。

 〇これまで、稽古場で、いじめと思うことはあったか?
 〇白鵬が連発している「張り差し」「張り手」をどう思うか?
 〇過去に「張り差し」「張り手」を受けて脳震とうを起したり、鼓膜が破れたり耳が聞こえなくなったことはあるか? ある場合は、何回か? いつどのような状況でそうなったか?
 〇土俵上で、懸賞金を手にしてガッツポーズをしてもよいと考えるか?
 〇相撲を神事という認識があるか?
 など。

 国技なのだから、NHKには、国民へのアンケートを定期的に行ってもらいたい。

(城島明彦)

2017/11/24

貴乃花親方の黙秘は〝相撲協会のパンドラの箱〟か!?


貴乃花はなぜ強気になれるのか? 相撲協会の致命的な弱みを握っているからか!?

 日馬富士の暴力事件以外に種々の悪事隠蔽が潜んでいるをの詰まった

 貴乃花親方は、日本相撲協会の理事の事情聴取で、説明を拒否した。
 相撲協会という組織に属する人間としては、組織に盾ついたわけで、罷免されても文句はいえない。
 そういうことがわかっていて反逆、全面対決色を明らかにしたのは、なぜなのか。

 これまでさんざん煮え湯を飲まされてきたからなのか。
 来年2月の理事長選挙をにらんでの揺さぶりなのか。
 一方、相撲協会は、貴乃花にどんな致命的な弱みを握られているのか。
 八百長事件、朝青龍の暴力事件のようにこれまで表沙汰になった不祥事以外の、それを暴露されると相撲界に激震が走り、壊滅的なダメージを受ける類いの醜聞を、協会が幾つも揉み消したり隠蔽してきたのではないか。 

 貴乃花親方を怒らせると、それらが白日の下にさらされることを相撲協会は恐れているという憶測も、完全には否定できないのである。


稀勢の里にはもはや「引退の道」しか残されていない

 日馬富士事件で、途中休場の稀勢の里は得をした。
 引退問題が霞んだ。
 本来なら、今場所の途中休場を決めた時点で「引退宣言」だった。

 大体、完全に治るまで何場所も全休すればよかったものを、誰の差し金かは知らぬが、稽古もろくにできない中途半端な体で本場所に出場するという考え方が、甘すぎる。
 休場の前日の相撲など、土俵際まで追い詰めながら、両足がもつれて逆転を食らい、負けている。
 「ぶざま」の一言だ。
 要するに、体が意志を裏切っているのだ。そうなるのは稽古不足以外の何物でもない。
 来場所になったら、最盛期のような完璧な体に戻れるという保証はない。

(城島明彦)

2017/11/22

〝暴力沙汰のヤクザ横綱〟日馬富士、〝敗けて文句をいい続ける不遜横綱〟白鵬――国技を舐め切った異様な両横綱が跋扈する相撲界って何だ!?


勝負がついてから土俵下で挙手、土俵に上がらず

 これまで私は、白鵬が横綱にふさわしくない「張り差し」を連発し続けることを批判し、また、検証を受け取るときの挙動などについても、さんざん異議を唱えてきた。
 多くの人は、「その通り」と同感したに違いないが、中には「それは違う。あんたの思い過ごしだ」と反論する相撲ファンもいるだろう。

 そういう人も、今日の一番「白鵬対嘉風」で見せた白鵬の挙動を認めることはないはずだ。
 白鵬は、立ち合いざま、いつものように左手で張り手をかました。その結果、両脇が甘くなり、嘉風にもろ差しを許した。
 そのとたん、白鵬がふっと力を抜いたが、立ち合いは成立しており、そのまま嘉風に寄り切られ、勢い余って土俵下に――。
 そこまでは、よくある光景だった。

 その後の白鵬の態度が不遜きわまりなかった。
 今のは待ったをしたんだ、といわんとして、検査役に向かって右手を挙げた。
 普通なら、再び土俵に上がり、礼をして引き上げるのだが、白鵬は、長い時間、土俵に上がろうとしなかった。
 見かねた検査役に促されて土俵に上がったものの、礼をせず、そのまま立ち尽くしていた。
 白鵬が土俵に上がったのを見て、行司は嘉風に勝ち名乗りをあげた。
 嘉風が懸賞金をもらって土俵を降りた後も、しばらく土俵上に立ちしていたが、さすがの白鵬も、もうくつがえらないと諦め、土俵を降りた。

 かつて、こんなことをした横綱は無論、力士は存在せず、悪い意味で日本の相撲史を塗り替えた大事件である。

 NHKの実況アナウンサーも、
 「これはいけません」
 などといったが、そんなレベルではない。
 横綱の品格など、どこ吹く風、勝負にこだわるだけの浅ましい異常な一関取の姿がそこにあったのだ。

 大鵬が誤審で連勝記録をストップされたときは、文句ひとついわなかった。
 そういう大横綱を尊敬しているなどと、白鵬は軽くいっているが、不快の極みだ。
 何が〝大横綱〟だ。
 横綱としての格が違う!
  
 日本の国技を侮蔑し、神聖な土俵を汚し続けることを屁とも思わない横綱など、さっさとやめてもらいたい。

(城島明彦)

2017/11/20

「八角理事長は退任、貴乃花・伊勢ケ浜両親方は役職を解く。日馬富士は永久追放」処分が妥当!


相撲界は「藪の中」の〝伏魔殿〟か!? これだけ世間を騒がせた以上、謝罪で一件落着とはいかぬ

 魔物が住むところを伏魔殿という。
 相撲界は魔物だらけだ。

 対戦相手をがっしり受け止めようとせず、連日のように「張り差し」やら「フェイント」やらの妖術を繰り出して、対戦相手を幻惑し続ける〝まやかし横綱〟白鵬に、注意することさえしない相撲協会
 
 横綱は、手段を選ばず勝てばいいという地位ではない!
 世間の指弾を浴びる立ち合いや相撲をするな!

 この二言を相撲協会や横審は、なぜ白鵬に直接いえないのか。

 世間の「日本人横綱待望論」という後押しもあって、横綱昇進条件の「二場所連続優勝」を無視して稀勢の里を横綱にした横審。

 大ケガの後、完治しない状態で強行出場した挙句、途中休場し、墓穴を掘った稀勢の里。
 復帰した場所だからと大目に見るにしろ、9日目を終わって4勝5敗という成績はひどすぎるが、途中休場は許されない。必死に戦って勝ち越すしかない。
 今場所、負け越したら「即引退」か、もう一場所チャンスを与え、来場所の勝ち星が10勝以下なら「即引退」。選択肢は、その2つしかない。

 そういう危うい状況下にあった相撲界に振ってわいたのが、日馬富士の暴力事件。

 ビール瓶で殴った、いや平手だけだ、カラオケのリモコンで殴った云々――虚実入り混じった様々な情報が、メディアを通じて独り歩きし、日々、報じられる内容が猫の目のように変わっている。
 殴った側は少しでも被害を軽くみせようとし、殴られた側は少しでも被害を重くみせることで優位に立とうとする。

 部屋の親方と親方、相撲協会との確執に加え、来年2月の理事長選挙をめぐる打算がらみの暗闘。
 そういう対立があるからこそ、うやむやにならなかったのだ。


関係者は全員、処分の対象だ!

 ここまできたら、日馬富士は永久追放! 
 貴ノ岩は被害者だが、世間を騒がせたかどで、出場停止2場所か引退。
 八角理事長は、全責任を負って辞任。次期理事長選挙への立候補は認めない。
 貴乃花親方は、協会に報告しなかったかどで、巡業部長を罷免し、自宅謹慎1カ年。。
 伊勢ケ浜親方も、監督不行き届きで約束を罷免し、自宅謹慎1カ年。

 これぐらいのことをやらないと、世間は納得しないのではないか。

(城島明彦)

2017/11/16

ホンマでっか!? 日馬富士が貴ノ岩をビール瓶で殴った現場に日産会長もいた?


ダジャレが日本を滅ぼす

〇苗字違い
 電話をかけると、相手が出たので、名乗った。
 「わしだ」
 「たかだ(鷹田)さんですか?」
 「いや、鷲田(わしだ)だ」

〇大相撲の話題 1
 日馬富士が貴ノ岩の頭を殴ったとき、
 「ゴーン」
 という音声が響いたという証言あり。
 確認のために取材すると、カルロス・ゴーン会長は、
 「そんなことは、私にとっては、たいした損失ではない。むしろ、風邪をひいたことの方がこたえる」(大した損失ではない=軽い損失=カルロス)
 といって立ち去った.
 Gone with The wind. (風と共に去りぬ)

〇大相撲の話題 2
 稀勢の里は、太っているので、浴衣を着るのに骨が折れる。
 見かねた親方が弟子のひとりに命じた。
 「きせてやれ」

〇2018年NHK大河ドラマの話題
 上野の西郷さんの銅像は、南に背中を向けている。
 なぜか!?
 西郷さんの号である南洲が「南臭」に通じるという理由で避けた。

〇次の項目のうち、正しくないものをを1つ選べ。
 微笑み返し、お歳暮返し、倍返し、うんこ返し

〇次の項目のうち、正しいものを選べ。
 脱糞小僧、大便小僧、小便小僧、ショーペンハウエル小僧

〇名画「モナ・リザ」の作者は誰か。次の中から選べ。
 レオナルド・ダ・ウンチ、デカプリオ・ガ・ピンチ、レオナルド・ダ・ヴィンチ

〇名彫刻「ダビデ像」の作者は誰か、次の中から選べ。
 ミケランジェロ、コレナンジャロ、ミケネコジャロ

 どうもいかん、頭が栗きんとん状態(?)になっている。
 書いているオイラも疲れてきたので、今日はこれまで。

(城島明彦)

2017/11/15

日馬富士の暴力はリンチに相当。よって、「引退」ではなく「永久追放」がふさわしい!


ビール瓶で殴り、ビンタ20~30発は相撲界の暗部を象徴するパワハラ

 横綱の品格もクソもあったものではない。大相撲という日本の国技の尊厳をも毀損したのである。
 朝青龍の場合は素人相手だったのに対し、日馬富士は同業相手という違いはあるが、朝青龍が「自主的な引退」という道を取ったからといって、日馬富士も同じようにするわけにはいくまい。

 日馬富士が話しているときに貴ノ岩がスマホを始めたのを見て激怒、ビール瓶で殴ったうえ、馬乗りになってビンタ20~30発をかましたという。
 その間、貴ノ岩はされるままになっていたのか!?
 もしそうなら、たとえ酔ったうえでの行為であったとしても、力士にとっては雲の上の存在である最高位の横綱が、自身の地位を笠にきて、無抵抗の下位力士相手に乱暴の限りを尽くしたということになり、その行為は、どうひいき目に見てもパワハラ以外の何物でもない。

 「引退」などという生ぬるい処分ではなく、「追放」が最もふさわしい。


〝張り差し大好き横綱〟は危険信号だ

 白鵬、日馬富士らが本場所の取組の際、下位力士に対して「張り差し」を頻繁に行ってきたことを、私は繰り返し、批判し続けてきたが、日馬富士の今回のビンタは、その延長戦上にあるとみている。
 白鵬は、土俵外で、日馬富士のようなことはしていないが、土俵上で明らかなパワハラをやっている。だから、何度優勝しようが、横綱の品格を備えているとはいえない、と私は思っている。
 
 双葉山、大鵬、貴乃花が、来る日も来る日も張り差しを連発したという話は、聞いたこともない。
 たとえ遅れて立とうが、不得手な組み手になろうが、勝つ。
 対戦相手のいかなる戦法も、堂々と受けて立つ。
 それが真の横綱相撲ではないのか。

 かつては、下位力士が横綱相手に張り差しや張り手を行うことは、皆無に近かった。
 それをいいことに、張り差しを連発してきたのが白鵬であり、日馬富士だ。
 横綱が毎度毎度、張り差しばかりやっている図は、見ていて不快になる。

 先場所、北村横審委員長は、「私は、個人的には横綱が下位の者に張り差しをするのは好きではない」と語ったが、そういうことをいった横審委員長はそれ以前にはいなかった。
 その意味でも、私は北村氏を尊敬し支持する。


〝隠れパワハラ№1〟は、汚いことを平気でやる白鵬

 白鵬が、たとえ優勝回数が歴代1位であれ、張り差しばかりやっているうちは、真の横綱とみなすべきではない。
 白鵬は、意図的に汚い手を使うからたちが悪い。今場所、二日目の玉鷲戦では、
「白鵬が汗を拭いておらず、突きに出た手がすべって負けた。汗ぐらい拭いておいてほしい」
 と玉鷲が苦言を呈している。
 
 観客の目は節穴ではない。見る人は見ているのだ。

 力や技を磨くだけでなく、心も磨け! 


〇「生き方」や「心」を学んでほしい 城島明彦の本

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(城島明彦)

2017/11/13

名作? いや世紀の駄作だ! 地上波初との触れ込みの映画「シン・ゴジラ」を観た率直な感想


アニメ風ではなく漫画風――セリフ早すぎ、字幕読めず、映像は斬新だが疲れまくる

 2016年7月末に公開された超大作映画「シン・ゴジラ」は、「エヴァンゲリオン」の庵野秀明が総監督・脚本、「進撃の巨人」の樋口真嗣が監督・徳木監督を務めるということで封切前から話題を集め、公開後は大人気で、興行収入82億円突破は同年公開の方が中トップとなり、日本アカデミー賞を7部門(作品賞・監督賞ほか)で最優秀賞を受賞し、WOWOWでは既にオンエアされたそうだが、「地上波」としては昨晩、テレ朝が初めて放送した。

 だが、見終わってしばらくすると、強い印象も何の感動も残らないのは、なぜなのか

 従来のゴジラ映画のイメージを覆した点や、映画技法としては非常に斬新な印象を受けるが、観客不在の読めない字幕・聞こえないセリフ――こんなせわしない映画は、見たことがない。 アイデアは斬新だが、名作とはいえず、世紀の大駄作ではないのか!?
 というのが、一夜明けた私の感想だ。


子どもたちには、字幕が読めず、セリフもわからない

 ゴジラ映画は大好きで、過去の作品はほぼ観ている。繰り返し観た作品も多い。
 そんなゴジラ映画の29作目「シン・ゴジラ」は、過去のゴジラ映画のイメージを一新したという評判が高かったが、これまで映画館へ足を運んでまで見たいとは思わず、またDVDを探し求めようという気にまではならなかった。

 当初、「シンというのはどういう意味の英語なのか」と疑問に思ったが、英語ではなく、「新」「真」「神」という複合的な意味を込めた日本語だと知ったものの、いまひとつピンとこなかった。
 さらに、狂言師の意見とかで、前足が上向きになっているのにも違和感を覚え、これまで観なかったのだ。
 4足歩行をしているうち、進化の過程で前足が退化しても、裏表が逆になることはないのではないか。
 
 そういった違和感はあったものの「地上波初」というテレ朝の惹句に誘われて、昨晩は2時間を優に超える長大作を観ることになった。

 ところが、いざ観てみると、セリフが恐ろしく早く、聞き取りにくかった。観客にセリフをわからせないで、どうする! ゴジラ映画が大好き少年たちも、これでは意味を理解できないだろう。

 セリフの量が多すぎて、セリフを早くしゃべらせないと、尺(映画の長さ)が伸びまくってしまうからそうしたのか、それとも監督の哲学なのか。斬新さをはき違えている、と私には映ったが、他の人はどう思ったのだろう。


読みきれない長すぎるスーパー(字幕)の連続

 おびただしい数の脇役の登場人物が次々と登場し、そのつど字幕が出るが、その肩書の字幕が不必要に長すぎ、読み終わらないうちに字幕が消えてしまう。
 場所を表示するスーパーについても同様。
 たとえば、本来なら「東京湾」というスーパーですます場面でも、この映画は、
 「東京都江東区東京湾お台場」
 と、「全部読ませない」ことを意図したとしか思えないような長々しいテロップを不必要に繰り返す。 
 外国人が話すときの日本語のテロップも全部読めないうちにカットが変わる。
 ゴジラ映画が大好きな子どもたちは、ついいていけないだろう。

 「誰のために出している字幕なのか」
 と不快に思わざるを得ない。
 「演出家の自己中(独りよがり)そのもの」ではないか。

 アニメでも、ここまではやらないのではないか。
 漫画なら、文字が長くても、ゆっくり読めるが、この映画では読めない。


ゴジラは怪獣神?

 God=神を「シン」と読ませる「和製英語っぽいタイトル」は、果たしてどうなのか。
 アメリカ人に対しては、「神」は「しん」ではなく、「カミカゼ」の「かみ」の方が馴染み深い。だが、映画の中で、英語の〈godjilla〉は「God」(神)云々と石原さとみが説明する場面があり、「ゴジラ」が第1作以後、アメリカで大受けしてきたのは、この命名によるとところも大きい。

 Godjilla=God+Fuji+AmGorilla(神・富士・水陸両生怪獣)
 という後講釈はどうか!

 新発見の水陸両生巨大怪獣「ゴジラ」の発案者だった東宝のプロデューサー田中友幸は、「ゴリラ」と「クジラ」の合成語として「ゴジラ」と命名しただけだったが、英語表記〈godjilla〉にgodが含まれていることは手放しで絶賛できる。
 日本語では、ゴリラとクジラは似たような発音になるが、英語ではゴリラGojillaとクジラWhaleに共通点はない。
 恐竜はDinosaur(ダイナソーズ)、怪獣はMonster(モンスター)で、これも合成語の中に入れるとなるとややこしくなる。

 そこで、水陸両用怪獣のDNAを分析したら、ゴリラのものが含まれていたとこじつけ、ちと苦しいが、

 水陸両生Amphibian(アンフィビアン)+ゴリラGorilla= AmGorilla(アンゴリラ)
 
 とする。
 よって、「ゴリラ」+「クジラ」+「God」にさらに日本の象徴Fuji(Mt.Fuji/富士山)の意味もあると、後講釈したいと、私は思うのだ。

 私が〝ゴジラの生みの親〟田中友幸氏と会って直接話したのは、たった一回しかない。
 私が東宝助監督をしていた頃か、東宝をやめてソニーに移ってからかは記憶にないが、私が書いたSFの映画企画に田中氏が関心を示しているというので、会いに行ったのだ。そのとき、どういう会話を交わしたかはまったく覚えていないのが残念である。

〇城島明彦の著書(2012~2017年のもの)

 Photo 最新刊
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(城島明彦)

2017/11/12

シイちゃん訪ねて幾千里。ああ、疲れたの巻


「秋たけなわ」って、どんな縄じゃろか

 「竹で編んだ縄に決まっとろうが」
 どこからか、女の声がした。
 聞いたことがある声だった。
 
 姿を現したのは、おお、お懐かしや、かの夏目雅子が演じた鬼龍院花子ではないか。
 気がつくと、わしは、うれし恥ずかし、花子と絡んでおったのじゃ。

 夢はええのう、何でも思いどおりじゃ。
 ときには鬼面山ブス子に迫られる夢もあるが、大概は美女じゃな。
 Cカップだろうが、Dカップだろうが、カップ麺だろうが、思いのままじゃ。
 た、たまらん! イッヒ・タマラニッヒ!

 ところがじゃ、わしが花子の足の付け根に顔を埋めたとたん、花子が怒鳴っての。
 「舐めたら、舐めたらいかんぜよ!」
 わしは思わず詫びを入れておった。
 「す、吸いません」
 目が覚めると、丸まった掛布団をしっかりと抱きしめているではないか。
 何のこっちゃ。
 
 「わしもまだまだ枯れてはおらん」
 などと、ぶつくさいいながら枕元の目覚まし時計を見ると、午前2時ではないか。
 眠ってから3時間しかたっていないのに、どういうこっちゃ。
 気づけば膀胱が満タンの気配、ちびらないようにトイレで用をすせてから二度寝じゃ。
 
 するてぇと、また夢を見てしまった。今度は、こんな歌が聞こえてきた。
 ♪みんなは しいの実
   元気な しいの実
   お風に揺れて 歌おうよ
   お庭でころころ 遊ぼうよ
  みんな仲よく 遊ぼうよ

 わしが「シイちゃん」を訪ねて山野を徘徊することになったのは、その日からでな。
 シイちゃんとは、ドングリの親戚の「椎の実」のことや。


CGはシージーでも「椎爺」じゃ

 わしは小学校3年生の夏まで、田舎に住んどったんや。
 その村にある親戚のお屋敷の裏にシイの巨木があっての、わしが幼少期のある秋の日、母親がシイの実をもらってきて、一度だけだが食べたのじゃ。
 生で食べたか、炒って食べたかは覚えてはおらんが、初めて食べたので、えらくうまいように思えた。

 次にシイの実を食べたのは、それから35、6年すぎてからじゃった。逗子の山で道に迷って、山中のお寺で道を尋ねたとき、住職の奥さんがお茶と炒ったシイの実をご馳走してくれた。
 今の人は見向きもしない素朴すぎる味じゃが、わしは感激したんじゃな。
 「今度は、わが手でシイちゃんを拾って、自分で炒って食べてみたい」
 と思ったのじゃが、そのまま歳月が過ぎていきよった。

 その思いが、ふっと蘇って、わしを促したんじゃな。
 なぜ、今年の秋なのか!?
 もう先が長くないのかもしれんのう。

 で、わしはやな、そのシイちゃんを探しに、お万歩計を腰につけ、足の向くまま気の向くままに、これまで一度も足を踏み入れたことのない里山へと出かけたのじゃ。
 というのは、ちと大げさすぎるかの?
 うんにゃあ、よじ登るときに思わず掴んだ木の枝がポッキリと折れて、ものの見事に足をすってんころりん、ステンカ・ラージンじゃったが、お万歩計は2万歩超えじゃたけえ、決して大げさではねえだ、お代官様。

 ん? いつの時代の話をしとるんや!


どぶ臭い一級河川沿いに歩いた歩いた

 「高瀬川」といえば、森鴎外の代表作の一つ。
 「広瀬川」といえば、さとう宗幸の「青葉城恋歌」
 「若瀬川」といえば、頭が禿げ気味だった元関取。
 「長良川」といえば、五木ひろしのヒット曲「長良川艶歌」。
 「神奈川」といえば、東京都の隣の県。
 「音無川」といえば、わしが30年ほど前に野ぐそをした飛鳥山公園を流れる川。

 「あほクサッ、いつまでやっとるんじゃ」
 という罵声が聞こえてきそうなので、お遊びの「川ずくし」はこれでおしまい。

 わしが歩いたのは、「鶴見川」という一級河川沿いじゃ。
 しかし、この川はいかんのう、ドブ臭うてたまらん。タマラ・プレスじゃ。
 なのに、ジジババが散歩したり、若いのがジョギングしちょる。

 それでもわしは、お腰にお万歩計をつけて、「鶴見川」に沿って、てくてく、のろのろと歩きまくったのじゃ。
 これがホントのテクノロ爺(じい)ってか。
 秋はええのう、飽きがこん。山の中ではキツネがコン。テレビつければ大村崑。

 しかしなあ、お万歩計はあっても地図も磁石も不携帯。スマホなんぞ、持つ気もねえ。
 
 ところがどっこい、上流に行くにつれて、川が二手に分かれたり、暗渠になっておったりしてのう、わしは、何度も何度も道に迷うて、疲れ果ててしもうた。
 おまけに、里山に分け入っても、ドングリはワンサカ落ちているが、シイちゃんにはさっぱりめぐりあわなんだ。
 ♪すっかり 困ったき わ~いわい
 と、わけのわからん懐メロの歌詞の一節を口ずさみつつ、今来た道を逆戻りスロバニア。

 歩きながら、わしも考えた。
 「水は低きに流れる。知恵の低きはバカ。馬鹿が逆立ちするとカバ。カバの皮で作ったカバン」
 というわけで、わしは、土地が低い方へ低い方へと歩いていったのじゃが、あきまヘンドリックスや、道は一直線に下がっているわけではなく、上り下りしておったのじゃ。

 そんなわけで、将棋は棒銀、ワインはボージョレ・ヌーボーの秋じゃというのに、くたくたに疲れ果てて、わしの足は棒状で、見つけたちっこい公園で、とうとう小休止する始末。
 ああ、情けなや、年寄りの冷や水とはこのことか。
 15分も休んで、ふくらはぎをマッサージして、疲れをトリコモナス。
 通りかかった爺さんに
 「ちょっとお尋ねしますが、鶴見川はどこですか」
 と尋ねてみれば、こはいかに、つい目と鼻の先じゃった。
 そこから、再び川に沿って、てくてく、とぼとぼと帰ったのだが、帰り道がえらく遠く感じられて、ああ、しんどローム。
 だけど、男は我慢、我慢、我慢や、痩せ我慢

 ところが、それから数日後、土木事務所に「シイちゃん」の木が植えてある場所を尋ねると、近所の公園にあったのじゃな。
 さっそく行って、苦もなく、仰山拾ってきて、炒って食べまくった。
 
 ――てなわけで、「あほくさ!」「骨折り損のくたびれ儲け」というのが、「シイちゃん訪ねて幾千里」の最初のお万歩の結末というわけじゃな。


◆さあ、ここからは宣伝や宣伝や

 来年のNHK大河ドラマの主人公西郷さんについて、わしが書いた本なんや。税込み1620円で、1冊丸ごと、「西郷さんがなぜ誰からも愛されるか」をトコトン探った内容になっとるでな。11月6日に新発売や。 
 絶対、損はさせへんよ! ぜひ買ってちょうでゃあなも!(と、ここだけなぜか名古屋弁)
 Photo ※写真をクリックすると、ドングリまなこを超えた「西郷さんの巨眼」が迫って来るから、その眼を見ながら祈ってごらん。御利益があるよ!

(城島明彦)

2017/11/11

今日(1の4並び)は何の日?


老化防止の頭の体操

 11月11日は、靴下の日なんだとさ。
 靴下が2足、並んでいるように見えるからだって。
 涙ぐましいこじつけじゃのう。
 
 〓という記号があるが、これは「ゲタ」(下駄)と呼ばれているから、
 〓〓と下駄が2つ並んでいるから、「ゲタ・ツー→ゲッツー」で野球のダブルプレーの日とし、その年のシーズン中にダブルプレーを最も多くやった選手を表彰する方が納得。

 わしがそういうと、エロジジイがこう返した。
 「1111はな、『いいつ、いい』と読めるから『あの日』じゃよ」

 何のことはない、11月11日は「こじつけの日」ってことか。


 1月5日 イチコロの日
 2月4日 風疹の日
 3月8日 産婆(助産婦)の日
 4月4日 ジジ(爺)の日
 5月9・10日 極道の日
 6月29日 ムカつく日
 8月8日 ババ(婆)の日
 9月4日 クソの日

 頭の運動にはなるが、我ながらアホくさくなってきたので、もうおしまいじゃ。

(城島明彦)

2017/11/09

豊田真由子元議員、アテランス新作CM出演で新境地か!?


共演はベストセラー作家百田尚樹

 CMの内容は次のとおり。

 ほの暗い室内に、うつむいた女が一人。
 カメラが女の顔にズームアップすると、室内がパッと明るくなり、
 女が顔を上げ、手にしたムチを振るいながら絶叫!
 「この、ハゲ―ッ! 百たたきだッ!」

 うしろ向きに座った上半身裸のハゲ頭の男が、カツラをかぶりながら振り向き、
 「ハゲじゃないよ」
 と、可愛く笑う。
 
 「アテランス」のロゴにかぶせて
 ♪アテランス
 のサウンド。

(城島明彦)

大河ドラマが始まる前にぜひ読んでほしい一冊『考証・西郷隆盛の正体』


吉田松陰、坂本龍馬も心酔した日本陽明学

 拙著『検証・西郷隆盛の正体』が書店の店頭に並んだ。
 ありていにいえば、来年放送のNHK大河ドラマ「西郷どん」に照準を合わせたものだ。
だが、それだけではない。
 西郷さんは、日本陽明学の思想を実践に移すことで明治維新を成し遂げ、最大の功労者といわれるようになったが、私は今年5月に〝日本陽明学の始祖〟中江藤樹の代表作『翁問答』を現代語訳(到知出版社)しているので、西郷さんのことを書く機会に恵まれたことは、とてもうれしいのである。
 
 陽明学は中国が発祥の地だが、本家の中国では学問の域を超えることはなかった。
 一方、日本では、革命思想として政治に大きな影響を与え、明治維新の思想的バックボーンとなった。したがって、単なる「陽明学」ではなく、「日本陽明学」という言い方をするのである。

 中国で生まれた陽明学を日本流にアレンジした始祖が〝近江聖人〟といわれている中江藤樹で、その精髄に心酔し、自身の行動規範として明治維新という革命を達成した巨人が西郷隆盛であり、志なかばで散っていった吉田松陰や坂本龍馬らである。
 大塩平八郎や乃木希典も、日本陽明学の信奉者である。
 その後、日本陽明学を悪用して太平洋戦争に突き進んだ軍人も現れるが、日本陽明学本来の思想は、他国を侵略・支配するような思想ではない。


知行合一と至誠(真心)

 日本陽明学の思想を一言でいうと、
 「知行合一」(ちこうごういつ、または、ちぎょうごういつ)
 である。
 「口でいっていることと、実際に行っていることが一致する」
 別の言葉でいうと、「言行一致」だが、いったことをただ実行すればいいというのではない。「至誠」(真心・誠意)に裏付けられた実践でなければならいのだ
 そうするためには、「私心」(自分のためにする気持ち)は捨てなければならない。
つまり、「無私」が知行合一の原点である。
 したがって、日本陽明学を修得すると、自分自身を高潔な人格にまで高めようと努力するようになる。


書名の由来

 『考証・西郷隆盛の正体』
 という書名は版元の㈱カンゼンがつけた。
 同社はスポーツ関係の本を多く出しており、今後は歴史ものにも力を入れていきたいということで、本書が登場した。

 当初、私が考えていた書名は、
 『なぜ西郷さんは誰からも愛されるのか』
 だったので、違和感もあったし、抵抗感も覚えた。
 そのわけは、
 「正体」
 という言葉に対してである。

 「正体」という言葉は、昭和に少年期を送った私のような年齢の者には、時代劇映画などを通じて、
 「貴様の正体を暴いてやる」
 「とうとう正体を現したな」
 といった使い方が普通だと思っているところがあるのだ。
 人間に化けた妖怪が正義の刃を受けて、ついに妖怪の姿を現したといったイメージがあるのだ。
 
 しかし、辞書(『広辞苑』)を引くと、最初に出ているのは、
 「そのものの本当の姿」
 という意味である。
 別の言葉にすると、
 「真実の姿」「正しい姿」
 ということになる。

 しかし、その次に書かれているのは、
 「変化する前のもとの姿」
 「本体」
 である。

 子ども時代に見た映画でいうと、
 「美女に化ける前の妖怪の姿」
 が「正体」ということになる。つまり、
 「本来の姿」
 「本当の姿」
 を「正体」というのだが、化けるという恐ろし気な変化のイメージが、子どもたちには強烈すぎるので、「正体」を悪い意味だと誤解してしまったのである。

 『広辞苑』の「正体」には、「ご神体」という意味も記されているが、『考証・西郷隆盛の正体』の「正体」がその意味でないことはいうまでもない。
 あまたある西郷本の中で、ぜひ本書を! 失望させません。

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(城島明彦の現代語訳シリーズもよろしく)

(城島明彦)

2017/11/01

江藤淳『南洲残影』の致命的な誤りの謎


西郷さんの主義信条「敬天愛人」とは

 『漱石とその時代』などの著書で知られる大作家(評論家)の江藤淳が自死してから6年になる。
 
 江藤は、来年のNHK大河ドラマの主人公「西郷どん」についての著書もある。
 『南洲残影』で、晩年の作である。
 
 そのエピローグに、次のような素晴らしい西郷評が書かれている。
 「陽明学でもない。『敬天愛人』ですらない、国粋主義でも、排外主義でもない、それらをすべて超えながら、日本人の心情を深く揺り動かして止まない『西郷南洲』という思想。マルクス主義もアナーキズムもそのあらゆる変種も、近代化論もポストモダニズムも、日本人はかつて『西郷南洲』以上に強力な思想を一度も持ったことがなかった。」

 西郷さんの主義信条である「敬天愛人」の敬天は、「天を敬う」という意味だが、もっとわかりやすくえば、「お天道様に恥じるようなことをするな」ということだ。
 
 「人が見ていないから」といって悪いことをしてはいけない。お天道様が空から見ているということだ。難しい言葉でいうと、
 「慎独」(しんどく) である。
 「まわりに誰もいなくても、自分自身の行いを慎み深くする」
 という古くからいわれている教えだ。
 「愛人」の方は、書いて字のごとく、
 「人を愛する」「平等に人を愛する」 ということだ。


「旧幕臣を一兵も叛軍に走らせなかった」とするのは間違い

 拙著『考証・西郷隆盛の正体』は、この11月初旬に発売になるが、その本を今年の五月半ば過ぎから執筆するに際し、明治以降のさまざまな文献に目を通していて、江藤淳の『南洲残影』も参考文献にしようと思って文春文庫を購入したが、冒頭でいきなり史実と違うことが書かれていたので、そこから先を読む気にならなかった。

 そうさせたのは、冒頭の7~9行目に書かれた次の一文がひっかかったからだ。
 「海舟は結局一度もしなかった。彼は西郷との談判によって江戸無血開城に成功し、その西郷が蹶起(けっき)した西南戦争のときには、旧幕臣を統率して一兵も叛軍に走らせなかった。」(下線は城島)

 「あとがき」を読むと、江藤は、30代半ば頃、『海舟余波――わが読史余滴』を文藝春秋発行の純文学誌「文学界」に連載したことがあり、その関係で同誌の新任の編集長の依頼で『南洲残影』の同誌への連載を引き受けたことがわかる。
 平成6年10月号から平成10年1月号まで21回にわたる連載で、平成10年3月に文藝春秋が単行本化している。江藤淳が逝去するのは平成11年7月なので、その1年と4カ月前、つまり、単行本化は晩年のことになる。

 前置きはこれぐらいにして、本論に入ろう。
 私が「おかしい」と感じたのは、勝海舟が「西南戦争のときには、旧幕臣を統率して一兵も叛軍に走らせなかった。」という表現である。

 誰にも誤りはあるが、江藤淳ほどの人になると容易に看過できないところがある。
 文庫本の奥付を見ると、2001年の発行で、私が買ったものは2012年の3刷りとなっているので、その間にもし編集者が気づいていたとしても、江藤淳ほどの大物になると、勝手になおすわけにはいかないから厄介なのだ。

「(勝海舟が)西南戦争のときには、旧幕臣を統率して一兵も叛軍に走らせなかった」
 というのは、歴史的事実に照らし合わせて、100%間違いである。
 幕臣とは狭義に解釈すると「旗本御家人」を指し、広義に解釈すれば「諸藩士」も指すことになるが、「一兵も」と強調している文意から、江藤淳は「藩士」まで含めていっていると考えるべきである。
 つまり、「旧幕府の諸藩の兵士たちは誰一人として反乱軍に加わらなかった」という意味に解釈できるが、それにしても理解に苦しむ表現だ。

 西南戦争では、旧幕臣だった庄内藩士が西郷軍に走り、戦死しているのだ。
 伴兼之、榊原政治の両名は、西南戦争で死んだ者たちを集めた鹿児島の西郷墓地に墓がある。

 伴は明治10年3月20日、榊原は5月10日に死んだことがわかっている。
 享年は伴が20歳、榊原が18歳で、両名は西郷さんが創った私学校の生徒だった。
 特に伴の方は、兄弟が西郷軍と政府軍に分かれて参戦し、ともに戦死したことから、「戦争の悲劇」を語る上でもよく知られた存在である。
 「一兵も」と江藤は強調しているから、数の多寡は問題ではない。一人でもいたら、勝海舟の統率力が完璧だったという表現は成り立たなくなるのである。

 正確を期すには、
 「西郷と特殊な関係にあった庄内藩士二名という例外はあるものの」
 といったような文言を付け加えないといけない。

 先に引用した「一兵も叛軍に走らせなかった」とする江藤淳の問題個所の後には、次のようなことが書いてある。
 「西郷、桐野、村田、池上、別府、辺見ら三十九名の遺体は旧浄光寺に、七十六名が旧不断光寺、十九名が草牟田、七名が新照寺、十八名が城山に仮葬された。それが今日の南洲墓地に改装されたのは、明治十六年(一八八三)に出獄した河野主一郎、野村忍介らの尽力によるものである。ここに眠る士は二千二十三柱、墓碑は七百四十基を数える。」

 ここまで詳しく書いていながら、西郷軍に走った庄内藩士2人に言及しないのは、なぜなのか。


戊辰戦争や西郷を語る上で、庄内藩士との逸話は極めて重要

 私がいいたいのは、次の2点は無視できないということだ。
 第1点。庄内藩は旧幕府軍で、戊辰戦争は庄内藩士が江戸の薩摩藩邸を焼き討ちした事件がきっかけで勃発し、戦争では会津藩が降伏してもまだ降伏せず、最後の最後まで徹底抗戦し続けた「幕府軍にとことん忠誠を尽くした藩」だったということだ。
 第2点。戊辰戦争で重要な役割を果たした庄内藩に属していた2名が、西郷さんの人となりに触れて心酔し、西郷さんが設立した鹿児島の私学校でさまざまなことくを学び、西南戦争が起こると、「国へ帰るように」と強く説得されたにもかかわらず、反乱軍に加わり、戦死を遂げているということだ。

 西郷さんが征韓論争に敗れて明治6(1873)年に下野して以降、あちこちで不平士族の反乱がおきると、大久保利通は、自らの出身藩である旧薩摩藩の動きに目を光らせ、
 「庄内藩の動きからも目を離すな」
 と部下に命じているのだ。

 なぜ山形の庄内藩が西郷さんを信奉するようになったのかといえば、戊辰戦争で敗北した庄内藩は、厳しい処分を予想したが、官軍のリーダーだった西郷さんが下した処分が、思いもよらない寛大なものだったからである。
 「昨日の敵は今日の友」
 こういう考え方も、「敬天愛人」の思想に含まれている。
 キリスト教に近いといわれるゆえんだ。

 西郷さんの大きな心を知って感激した庄内藩は、藩主以下、鹿児島まで足を運んで直接、西郷さんに教えを請うたのだ。
 
 藩士らは、そのときの講義録を国へ帰ってから小冊子にまとめ、手分けして全国へ配布したのである。
 それが今日まで残っている『南洲翁遺訓』である。

 こういう深いつながりがある西郷さんと旧庄内藩士をないがしろにして、
 「一兵も叛軍に走らせなかった」
 と冒頭に書くことは許されない、そういう「史観」で綴られた本は読む必要はない。
 私は、そう私は思ったのである。

 南洲墓地の隣にある南洲神社が調査し、1982(昭和57)年に発表した「西南の役戦没者名簿」に記された数は、西郷墓地に埋葬されている人数の3倍(6765名)に達していた。伴と榊原の名も、当然ながらその中に入っている。

 それだけ多くの若者たちを死なせたにもかかわらず、西郷さんは遺族たちに恨まれなかった。
 そこに、西郷さんの魅力を解くカギがある。
 書店には西郷さんの本が早くもあふれかえっているが、拙著『考証・西郷隆盛』は、「なぜ西郷さんが誰からも愛されるのか」というテーマで書いた本だ。ぜひ、読んでほしい。

 Photo  ※本書には、上記のような江藤淳のことは書いていない。

(城島明彦)

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