「宮本武蔵『五輪書』」現代語訳がアマゾンで「ベストセラー」となり、在庫切れ表示状態に
読書の秋にふさわしい名著『五輪書』
あざとい見出しをつけたのは、今朝、アマゾンを見たら、私が何年か前に現代語訳した『宮本武蔵「五輪書」』の上に、久しぶりの「ベストセラー」(といっても、ジャンル別ランキングでの話だが)というマークがついていて驚いたからだ。
私のだけが売れているのではなく、学術文庫などにもそのマークがついており、時ならぬ〝特需〟が起きたたのである。
テレビか何かで『五輪書』が紹介されたのだろうか。
この本を私が現代語訳したのは5年くらい前だが、その後、突然、〝特需〟が起きる不思議な本だ。
サラリーマンは、一度は目を通しておいた方がいい本である。
宮本武蔵の剣法は、誰もが知っている二刀流。特殊な拳法だが、プロの剣術家として、真剣を使った他流試合を重ねながら己の腕を磨き、名声を勝ち取っていった。
「死ぬ気でやるということ」の意味を教えてくれる
真剣勝負は、いうまでもなく、殺すか殺されるかの究極の勝負である。
勝つためには、手段は択ばないが、飛び道具(鉄砲)は許されない。
技対技、力対力による勝負である。
斬るか、斬られるか。
殺(や)るか殺られるか、
二つに一つだ。
相手が急所をはずしたために、もし生き残ったとしても、以後世間に
「生き恥」
をさらすことになる。
武士の時代には許されることではなく、自死するしか道はなかった。
あるいは、行方を断って、人知れず、修行を重ねて、敗れた相手に再挑戦して倒し、過去の汚辱をそそぐか。
再戦で再び敗れたら、
「恥の上塗り」
で、末代までの恥辱となる。
だから、戦ったら勝たなければならない。
無駄ではない。無駄にしているのだ
二刀流に開眼したのは、一種の飛び道具のような鎖鎌という特殊な武器を操る宍戸という剣豪との戦いにおいてだった。
武士は大小の「二本差し」だが、小の方は遊んでいる、と武蔵は『五輪書』に書いている。
長くなるから、ここでは多くを書かないが、このことは時代を超えて誰にも当てはまる見方である。
家の中、会社の中、机回り……無用の長物と化しているものは数えきれないくらいある。
だが、それは使おうとしないからそうなっているのではないか!?
使い方を工夫すれば、新しい使い途が見つかるのではないか!!
死ぬか生きるかの勝負の中で、そういう発想を武蔵はしたのだ。
原文はわかりにくいので、わかりやすい現代語訳で読むことをお勧めする。
原文を名文という人がいるが、間違っている。むしろ悪文というべきだが、書かれている内容が秀逸なのである。
武蔵は、『五輪書』を洞窟の中にこもって書いたので、次第に健康を害し、最期の方は思考力・文章力の乱れが見受けられる。
にもかかわらず、「読書の秋に読む日本の名著」と呼ぶにふさわしい本だといえる。
(城島明彦)
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