小林旭がいった「キチガイ」は正しい表現! なぜ放送禁止用語なのか!?
「気が違った→気違い→キチガイ」のどこが悪い?
俳優の小林旭が、フジテレビで5日放送の「バイキング」で米国の銃乱射事件に関する発言中、「馬鹿かキチガイ」と発言したとして、局やネットで大騒ぎしているが、馬鹿じゃないのか。
どこが差別用語だ。言葉狩りじゃないか。
1980年代に暴力団が「差別用語」に目をつけて、エセ部落解放同盟を名乗り、出版社などに押しかけて、カネをせしめて以来、本当の差別用語とそうではない差別用語がごっちゃにされるようになった。
目や耳の不自由な人などを差別する用語と「キチガイ」とは、別物だ。
ミソもクソも一緒にするんじゃない!
どこで見分けるかといえば、
「このキチガイ!」
は、健常者にもいえる言葉なので、差別用語とはいえない。
だが、身体的な障害を指す昔の呼称は、健常者にはまずいわない。だから差別用語になる。
これが簡単な見分け方である。
「気が狂った」「気が違った」という表現のどこがおかしい!?
「狂気の沙汰」「狂人」も、差別用語なのか。
「手許が狂った」
といってはいけないのか。
バカも休み休みいえ!
「気が晴れた」
「気が滅入る」
がよくて、
「気が狂った」
をダメだというなら、それこそ差別だ。
この「気」は、「陰」と「陽」のことで、古代中国の時代から陰陽五行説で使われてきた由緒ある言葉だ。
陽がまさった状態を「陽気」といい、陰がまさった状態を「陰気」というのである。
気持ちが塞ぐことを昔は、「気鬱(きうつ)」といった。
大気、元気、勇気、呼気・吸気、気象、気力……気を使った言葉は、それこそ山のようにある。
陰陽の気のバランスがうまくとれているのが正常な状態であり、「正気」である。
そのバランスが崩れたり狂ったりすると、
「気が違った」
「気が狂った」
といい。気が違った人間を、
「気違い」「狂気」
というのだ。
それをカタカナで、
「キチガイ」
と書いても意味は同じだ。
誰も文句を言う筋合いの言葉ではない。
その程度のことで大騒ぎする者こそ「キチガイ」だ。
(城島明彦)