ほらぁ! (続・ぞく・ゾク)ほんとうにあった納涼ホラーだよ!
第8話 小学生の頃、米屋の爺さんから聞いた話
今ほど暑くなかった昭和中頃の真夏の宵のこと――。
その頃は、夕方になると縁台で涼んでいる爺さんが町内のあちこちで見られた。
近所の駄菓子屋でアイスキャンデーを買って、かじりながら歩いていると、うちわでばたばた仰ぎながら縁台で涼んでいる米屋の爺さんに呼び止められた。
「暑いのか」
と聞くので、
「暑い」
と答えると、爺さんが、
「じゃあ、涼しくなる話をしてやるから、ここへ座って食べな」
いわれるままに縁台に腰を下ろした。
そのときのオイラは小学3年生だった。
「大正12年9月1日といってもわからないだろうが、関東大震災というのは知っているか」
と爺さんがいうので、
「聞いたことがある」
オイラがそういうと、
「その頃、わしの家族は小田原に住んでいたんだ」
といって爺さんは身を乗り出してきた。
「東京一体が壊滅状態になったとんでもない大震災で、東京には親戚が住んでいたので、親爺はずいぶん心配していた。その頃、中学を出たばかりだったわしが家でぶらぶらしていたもんだから、2週間ぐらい経った頃に、東京へ見舞いに行けといわれた。わしは、見舞いのお金を腰巻に入れ、米を持てるだけ持って、徒歩で東京へ向かったのさ。金を奪われないように護身用の小刀を隠し持ってな」
そこから先の爺さんの話を要約すると――
東京に着いてみると、親戚の家はペちゃんこで、爺さんが行くと喜んでくれた。
爺さんは、がれきを片づけたり、近所の人がバラック小屋を建てたりするのを手伝っているうちに、付近の土建屋の兄さんと親しくなり、
「金になる仕事をやらねないか。下水管にもぐって、泥をかき出す簡単な仕事だ」
と誘われた。
面白半分についていくと、地下に埋設した下水管の中に詰まった泥をスコップですくって、地上に運び出す仕事だった。
地上から下がって来る「もっこ」に汚泥を入れ、いっぱいになると声をかけた。
すると、上に待機している兄さんが引っ張り上げるということの繰り返しだ。
2日目の昼過ぎに前方を遮っている汚泥が突然崩れ、大量の水が流れてきた。
急すぎて押し流され、夢中になって何かにしがみついたつもりだったが、水を飲んでしまい、途中で意識を失った。
目を覚ますと、むしろの上に寝かされ、体に誰かの着物がかけてあった。
「気がついたか。よかったな」
土建屋の兄さんが覗き込んでいた。
その晩、爺さんは奇妙な夢を見たのだという。
誰かがしくしくと泣いている声で、真夜中にふと目を覚ますと、枕元に若い女の人が座っていた。
親戚の家族は、みんな眠っていた。
驚いて女を見つめると、すっと立ち上がり、手招いた。
爺さんは、招かれるままに起き上がり、そのあとをついていった。
翌朝、目を覚ますと墓石が散乱する墓地だった。
心配した土建屋の兄さんが見つけてくれたとき、爺さんは墓石を抱くようにして眠っていたそうだ。
そこへ、墓地を管理しているお寺の和尚がやってきて、妙なことをいった。
「土管の中から出てきた骨は、この墓に埋めた高遠(たかとう)お志保のものに違いない」
空家になっていた家に勝手に住みついた年齢不詳の、どこから流れてきたかわからない氏素性の知れない女で、池や沼地の鯉(こい)や鮒(ふな)を手づかみして生で貪り食うのがしばしば目撃されたことから、〝修羅〟と呼ばれてその地域の住民から不気味がられていたが、人に危害を加えるわけではないので、誰もが見て見ぬふりをし、かかわらないようにしていた。
ところが、そのうちに、お志保は、
「夜中に墓を掘り返しては、土葬された遺体の骨をバリバリと音をたてて食っている」
と噂されるようになった。
それで、檀家から何とかしてくれと頼まれた和尚が、待ち伏せをし、数珠をたぐりながら読経を唱えると、体から蛍のような青白い光を発しながら走り去ったという。
翌朝、和尚がお志保の家にいってみると、どこにも姿がなく、座敷の仏壇の前の座布団に、お志保が産み落としたとおぼしき胎児を守るように巨大な蛇がとぐろを巻いていた。
和尚は檀家と相談し、お志保の家に火を放った。
爺さんが、後日、親戚のおじさんから爺さんが聞いた話によると、
――お志保は、下水管の中に隠れ住んでいて死んだのではないか。その骸骨を堀り出してくれた爺さんに憑依(ひょうい)しようとしたのだということだった。
(城島明彦)
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