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2017/07/24

白鵬の致命的問題点は、立ち合い時の「フェイク」にあり!


「白鵬・日馬富士戦」が教える「白鵬の致命的問題点」

 〝張り差し横綱〟白鵬は、名古屋場所の優勝のかかった千秋楽結びの一番の対戦相手日馬富士に対しては、なぜか、〝伝家の宝刀〟張り差しに行かず、片手をちょいと顔の前に突き出しただけだった。
 この手口は、他の競技でいうと「フェイント」である。

 私がこの言葉を初めて知ったのは、中学生の体育の授業でバスケットをしたときだった。
 Wikipediaの「フェイント」の冒頭を引用しよう。

 フェイント (feint) は、球技・格闘技などで相手を惑わせるためにする動作である。
 フェイク (fake) とほぼ同義であり、『特定動作をするふりをする』と一般的には解釈されている。

 そう、アメリカの記録的低支持率大統領がよく口にする、今はやりの「フェイクニュース」の、あの「フェイク」と同義語なのである。

 つまり、「正々堂々」と対極にある動作が「フェイク」という名のギミック(策略)である。
 「フェイント」は絶対にやってはならないというわけではないが、そればかりやるのは問題ということなのだ。


横綱に求められるのは、正々堂々とした相撲

 正々堂々というのは、力士なら(口に出して、はっきりいうかいわないかの違いこそあれ)誰もが嫌がる「張り差し」を連日のように用いない、誰もが感心するような立派な取り口をすることをいう。

 「張り差し」は、以前は、
 「番付の下位の者が上位の者には行わない」
 という暗黙に近い了解があったが、モンゴル勢がそれを無視して頻用したために、それが日本人力士にも伝染し、いつのまにか上位に対しても時折、「張り差し」をするという〝下剋上〟が行われるようになった。

 それでも、どの力士にも、
 「横綱相手に張り差しはできない」
 という思いがある。

 「張り差し」というのは、上位の者がその地位を利用して下位の者に行う〝一種のパワハラ〟なのだ。
 このことは過去のデータを調べれば明々白々である。

 白鵬は、そういう相撲界慣例を逆手に取っているから、私は「卑怯だ」といい続けてきたのだ。
 横綱が、連日にわたって、用いる手ではないこと。

 まして、顔の前に「手を突き出す」という奇手を、千秋楽で同じ横綱相手に平然と繰り出すという神経が、「横綱にふさわしくない不純」であり、「精神が腐っている」というのである。
 白鵬がこの奇手を使ったのは、初めてではない。それ以前に何度もある。

 平幕力士ですら、立ち合いざま、「相手の顔の前にひょいと片手を突き出す」ような奇妙な技をしばしば用いる力士は、そうはいない。
 小兵力士や何度対戦しても勝てない力士が、苦肉の策として行うのなら、「どうしても勝ちたいのだな。しょうがない奴だ」ということですまされるが、天下の大横綱が同じ手を使ったら問題なのである。

 ただし、千秋楽の日馬富士戦は、立ち合いを除けば、それこそ見事な横綱相撲だった。
 そういう素晴らしい相撲が取れるのに、姑息な立ち合いをしたり、相手の嫌がる「張り差し」を連日のように駆使するところに問題があるということを私は主張し続けているのだ。


横綱相撲にふさわしい取り口をせよ

 かつての大横綱大鵬は、つねに堂々たる立ち合いを心がけ、相手に先に突っかけられても、堂々と受けて立ち、堂々たる横綱相撲で相手を下した。
 そういう相撲を「横綱相撲」というのである。

 歴代の横綱を振り返ると、張り差しで失神した大乃国(今ではスイーツ大好き親方で、憎めない人柄)とか「猫だまし」というおかしな手を使った三重ノ海(のち日本相撲協会理事長)という情けない姿をさらした横綱もいるにはいるが、白鵬のように何度もフェイントをかける横綱は皆無である。

 横綱はただ勝てばいいというものではない。
 白鵬には、その点の理解と実践が欠けている。そこが致命的だ。

 かつて私は、物書きになる前に勤めていたソニーのことを新聞に連載し、本にもしたときに、
 「日本を代表する企業にふさわしい評価を得なければならない」
 と書いたことがある。

 トヨタ、ホンダ、パナソニック、日立などは、相撲でいえば、横綱のようなもの。トップの発言も、企業実績も、それにふさわしいものを求められる。
 そういう評価を得ている企業は、どんな手口を使っても構わないから売り上げを伸ばすというやり方は許されないのである。

 私が白鵬に厳しいことを、しつこくいい続けているのは、それと同じなのだ。

 白鵬が「張り差し」に執着し、フェイントをかましたりする相撲を見ていると、
 「真の横綱は、どうあるべきか」
 という自覚が欠けているとしか思えないのである。


年齢的衰えを「姑息(こそく)な取り口」でカバーする悪知恵横綱

 千秋楽の取り組みの話に戻すが、日馬富士とのがっぷり四つの大相撲を制して花道を引き揚げる白鵬は、珍しく荒く激しい息づかいをしていた。
 そこに、白鵬の卑劣に近い「張り差し連発手口」を読み解くカギがある。

 解説者も口にしていることだが、「年齢的な体力の衰え」である。
 しかし、それを指摘するところまでは素晴らしいが、そこから先がバカだ。

、横綱それも「ぶっちぎりの史上最多優勝のタイトルホルダー」だからこそ、 そういう姑息な取り口はすべきではない、というべきところを、
 「張り差しを行ったり、立ち合いで体をかわしたりするのは、年齢的な衰えをカバーするための工夫だ」
 などとノー天気なことをいっている。


親方も相撲協会もバカ

 白鵬は、対戦相手の側頭部への強烈な張り差しで、動揺を誘うと同時に、脳へ衝撃(ダメージ)を与えることで、「気力」(条件反射力や戦闘意欲)「知力」(思考力)「体力」をダウンさせ、自分に優位になるようにしている。
 白鵬が、日本大相撲史唯一の〝張り差し横綱〟となったのは、「体力の衰え+悪知恵」に起因している。

 アマチュア相撲では禁じ手とされ、プロの力士でも例外なく嫌がっている「張り手」「張り差し」を白鵬が連発しまくる以上、他の力士は対抗策を練らなければならない。

 だが、白鵬を想定した「張り差し」にどう対抗するかを、普段の稽古でやっている相撲部屋は皆無だ。研究し、稽古しまくっていたら、毎度毎度、負けるはずはなかろう。 親方連中は、そろいもそろって大馬鹿者じゃないのか。


白鵬と対戦してきた力士も大馬鹿だ

 何度も何度も「張り差し」という同じ手で顔面を張り倒され、中には脳震とうを起して土俵に崩れ落ちる醜態までさらしてきた力士は一人や二人ではない。
 そこまでいかなくても、張られた衝撃で、自分ではわからないうちに出足が鈍くなって、ぶざまな相撲を取った力士は、それこそ土俵の砂の如く、掃いて捨てるほどいる。
 それでも恥とも悔しいとも思わず、何ら実りある対策を打ち出せていない。

 名古屋場所で、唯一見るべき取り組みをしたのが、白鵬の張り差しを「柳に風」の要領で、殴られた力に逆らわずに動いて勝った御嶽海だけだった。

 日本古来の伝統である国技を。これだけ〝張り差し〟やら〝フェイント〟やらと好き放題にされても、悔しがらない日本人力士を「馬鹿」といわずして何という。
 「満員御礼になれば、それでよし」と思っている大相撲協会も同様だ。

 白鵬が、これまで大相撲に果たした功績は大したものだが、そういう地位にふさわしい相撲ができないとなると、困った問題だ。
 大相撲名古屋場所千秋楽で見せた日馬富士とがっぷり組んでからの立派で堂々とした相撲が取れるにもかかわらず、「ただ勝つため」「ただ記録を伸ばしたいだけ」のために、姑息な妙な立ち合いしかできないのなら、さっさと引退すればいい。

(城島明彦)

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