「流れる日々」か、「流される日々」か、「流す日々」なのか!?
「流れる」という言葉が気になった
文章と格闘していると、いろんな雑念が頭をかすめる。
「流れる日々」なのか、「流される日々」なのか、「流す日々」なのか。
流れる
気づくと歳月が経っていたというときは、「流れる日々」だ。
その流れが眼に見える場合と耳に聞こえる場合がある。
「水が流れる」「星が流れる」「質草が流れる」
というときの「流れる」は、目に見える流れで、
「歌声が流れる」「音楽が流れる」
というときの「流れる」は目では見えず、耳に聞こえる流れだ。
「香りが流れる」「匂いが流れる」というときの「流れる」は、目に見えず、耳にも聞こえないが、鼻の嗅覚でわかる流れだ。
う~ん、困った、困ったれぶー、だんだん頭が混乱してきた。
流される
その流れに抗おうとしても、それがかなわず、押し流されるように感じるのが「流される日々」である。
「水に流す」と「水に流される」とでは大違いだが、「日々に流される」とはいっても「日々に流す」とはいわないのは、なぜなのか。
ますます混乱、崑崙(こんろん)山脈だ。
流す
「水を流す」は目に見えるが、「その話は水に流す」は目に見えないから、ややこしい。
〇ながすみらい――「流す未来」ではなく、長洲未来。日本人でアメリカから出場している女子フィギュアの選手。
流れ
「川の流れ」は目で確かめられるが、「暗渠の流れ」や「話の流れ」は目には見えず、耳で確かめるものもあるが、ふざけたものもある。
〇はぎわらながれ――「萩や藁が流れていく風景」ではなく、交通事故死した奇人俳優の萩原流行。
どっと疲れたところで、お開きでございます。
(城島明彦)
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