ケガを押して出場する稀勢の里、ガンバレ!
気力が大事! それでこそ横綱
神に祈りが通じることを「感通」という。
勝敗は時の運。
稀勢の里、死力を尽くして、ガンバレ!
(城島明彦)
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気力が大事! それでこそ横綱
神に祈りが通じることを「感通」という。
勝敗は時の運。
稀勢の里、死力を尽くして、ガンバレ!
(城島明彦)
土俵下転落は、勢いあまってなのか、日馬富士が力を抜かなかったからではないのか
稀勢の里は、初土俵以来、一日しか休場しなかった強靭な肉体の持ち主だ。
その稀勢の里が、昨日のように苦痛に顔を歪めて動けなくなった姿を見たことは一度もない。
稀勢の里も、他の力士同様、これまで何度となく土俵下に転落しているが、ケガを負ったことはない。
それなのに、なぜ昨日に限って、大ケガをしたか。
そのあたりをきちんと検証しないといけない。
日馬富士はベテラン横綱だ。勝負がついたら、力を緩め、稀勢の里の体が土俵下に転落しないように抱き止めないといけないのに、それを怠ったからだと私は見ている。
勢いは不可抗力で、勝負がついてからも力を緩められなかったということもあるかもしれないが、それ以上に、体に染みついたモンゴル相撲が無意識のうちに顔を出したのではないのか。
同じモンゴル出身の白鵬は、勝負がついてから相手の胸板を突く「ダメ押し」を何度となくやらかして注意をされている。
日本人横綱ではありえない行為である。
意識してそうやっていたら最悪だが、体に染みついているモンゴル相撲が思わず顔を出すのではないか。
いつもと表情が違い、負けるべくして負けた稀勢の里
稀勢の里にも問題があった。平常心を欠いていた。
そのことは、仕切りを重ねているときの表情がこれまでと違っていたことから容易に見て取れた。
「横綱昇進場所優勝」ということが気になり始めたのか、対戦成績で大きく負け越している横綱相手ということを意識したからか。
日馬富士は、過去にも同部屋の照ノ富士を優勝させるために白鵬に勝っている。
しかも、日馬富士は前日の取組で、目にもとまらぬ速攻で勝っている。
稀勢の里は、この2点を頭に叩き込んで作戦を立てなければいけなかったが、無念無想で戦うということが大事だった。
まとめてみると、
①モンゴル勢VS日本人横綱という意識
②一敗で稀勢の里を追う同部屋の照ノ富士援護
③横綱の意地
以上は、日馬富士のモチベーション。
一方、稀勢の里は、
①優勝の二文字がちらつき始め、無心になりきれなかった
②前日に一変した日馬富士の速攻相撲への注意を怠った
以上の5点で、稀勢の里は無念の一敗を喫してしまったのだ。
しかも、大ケガを負った。ケガの状態次第では、今後の〝横綱寿命〟への重大な影響もありえる。
(城島明彦)
勝ってナンボの世界。結果論というなかれ! 兵法無視の戦法・戦術では勝てない!
「僅差の投手戦では、エラーした方が負け」
という鉄則通りの結果になった。その敗因をランダムに並べてみる。
〇実力は互角に近いと錯覚し、堂々と渡り合おうとした戦略に最大の敗因がある。
〇上手の手から水が漏れた(名手2人の2つのエラーで負けた!)のは、アウェーの研究(グランドの状態・観客の動き・時差による選手の体調変化など)をが不十分だったからだ。
〇小久保は、選手としては一流でも監督としては二流。投手交代を誤って勝てる試合を落とした前回監督時の教訓が生きていない。
〇運も実力のうち! 監督には「運の強い人物」を当てないとダメ。その点、監督小久保は前回も継投に失敗し、運に見放されて負けている。
〇ベテランの巧打者である内川をレギュラーに起用せず、ピンチヒッターにした。千賀を長く投げさせ過ぎた。
〇米軍を圧倒的強者とみて、奇策・奇襲戦法に徹すべきだった。
〇まともに勝負して勝てる相手ではないという認識が欠けていた。
〇大リーグ経験者が皆無に近く、しかもアウェーで、超一流選手をそろえてきた本気の米軍をどう倒すか? それには「セオリー無視」の「奇策奇策また奇策」が必要。
〇一発勝負の試合では、相手の頭をイライラさせたり混乱させたりするなど、動揺を誘い、集中力を欠かせるイヤらしい戦術が必須。
〇次から次へと投手を変え、〝超小刻みな継投リレー〟で米軍の打ち気をはぐらかしたり、打者が塁に出たら「必ず」走ると思わせる「揺さぶり戦術で、「何をやるかわからない日本」と思わせられなかった。
(城島明彦)
「いつも土俵際で逆転」というわけにはいかなくなるぞ!
場所前の新横綱〝披露〟が重なり、中日あたりから〝疲労〟が出てきたようで、土俵際まで押し込まれて逆転する相撲が続いている。
本日(大相撲春場所11日目)も、土俵際での逆転で嘉風を下して11連勝となったが、〝破竹の〟という形容詞はつけられない。
昨日(21日)は、稀勢の里にはやってほしくない「張り差し」で玉鷲に勝った。
立ち合いざま、右手で玉鷲の顔面を張った瞬間、玉鷲の顔が大きく振れ動いた。
NHKのアナウンサーも、「張り差しを選択しました」と表現。感心しない口ぶりだった。
NHKアナも「張り差しをすると脇が開く」というなど、進歩した。
アンコ型の大型力士である稀勢の里には、がっぷり組んでからの一方的な押しや土俵中央での豪快な投げがふさわしい。
相手の顔に張り手をかます時間があるなら、早くまわしを取れ! 押せ! 突け!
勝てばいいってもんじゃない!
「モンゴル勢とは違う!」
と誰もが感心するような堂々たる横綱相撲を見せてくれ!
【追記(3月23日)】
12日目、稀勢の里は、立ち合いから一気の押しで荒鷲を一蹴、全勝を守った。
これぞ真の横綱相撲。これからも、こういう相撲を取ってほしい。
(城島明彦)
ギリシャ人の少女クレオパトラ・ロータ
「いつか観たい」と思いながら、気づくと何十年も過ぎていたという映画がいくつもある。
そういう古い作品がDVDになっていればいつで見られるが、DVD化されずに今日に至っているものも多い。
1963年に制作され、翌年日本で公開されたギリシャ映画「春のめざめ」(監督ニコス・コンドゥロス)も、そんな作品だ。白黒映画である。
若い人の中には、「春のめざめ」と聞いて、2007年に日本で公開されDVDにも収められているロシア製アニメ「春のめざめ」を想起する人もいるかもしれないが、それとは別物。
19世紀末にドイツの劇作家フランク・ヴェーデキントが書いた戯曲「春のめざめ」も有名だが、これとも無関係である。
私が長い間、観たいと思ってきた映画「春のめざめ」は、ギリシャの伝説にヒントを得た完全なオリジナル脚本による白黒映画で、原題「Mikres Afrodites」(アフロディ諸島)、英題「ヤング・アフロディテ」。日本公開時の映画の題名が「春のめざめ」だった。
アフロディテは別称「ヴィーナス」。海ボッチチェリの名画「ヴィーナスの誕生」にあがかれたように、海の泡から生まれた美と愛の女神である。
アニメ、戯曲、映画の「春のめざめ」に共通しているのは、少年の性のめざめをテーマにしている点だ。
映画の原点となった伝説は、エーゲ海のレスボス島の首都ミティリという町で、森の中でヤギに育てられた捨て子の少年ドリニアスと、〝ニンフたちの洞窟〟と呼ばれている海のそばの洞窟で羊に育てられた捨て子の少女クロエーが、出会って繰り広げられる〝性に目覚める頃〟の話だ。
この伝説はラベル作曲のバレエ曲「ダフニスとクロエ」となり、画家シャガールはその小説にさし絵を描き、オペラ座の天井画にもしているので、ヨーロッパではよく知られているが、それを映画にしたのはこれが初で、しかもギリシャで映画化されたことで話題を呼んだ。
この映画が封切られたとき、私は高校生で、映画ポスターに描かれた半裸の少女の姿(今風な言葉でいう〝半乳〟)にハートを射抜かれた。
そのポスターからの妄想で「見てはいけない成人向け映画だ」と勝手に思い込んだ。
しかも、その少女を演じた女優のクレオパトラ・ロータという芸名が、魅惑的だった。
豊満な肉体を誇ったといわれている古代エジプトの女王クレオパトラと、子供から大人への移行期に当たる思春期の少女を連想させるナボコフの小説「ロリータ」がミックスされているのだ。
半世紀以上たって、You tubeで観た感想
それから半世紀以上が過ぎたが、日本ではDVDになっていない。だが、どこかの国でDVD化しているかもしれないと思った。
もしそうならyou tubeにアップされている可能性もある。そう考えて「Young Aphrodites」(ヤング アフロディテ)でチェックしてみると、あった! ギリシャ語の映画そのままのものと、スペイン語の字幕入りのもので、後者は、オリジナルの映画の上映時間87分に比べると、かなり端折っているが、後者は5分ほど足りないだけでほぼ全編に近い。
画像に難はあるものの、ただで観ることができるのだから文句はいえない。胸を躍らせながら観た。
セリフの少ない映画ではあったが、ギリシャ語で交わされる会話は、チンプンカンプンで、勝手に想像するしかなかったが、ストーリーはちゃんと把握できた。
興味をひく映画なので、著作権の方面が複雑なのか、いまだにDVDになっていないのは残念だ。日本公開時の配給元だった松竹映配が今も権利を持っているのなら、DVDにすれば元は取れるのではないか。
(城島明彦)
イタリアのグラマー女優に度肝を抜かれた頃
このところ、またしても体調を崩して寝込んでしい、仕事をするどころではないので、ベッドの中からDVDに録画された古い映画を何本か観た。
観た順番に記すと、「ブーべの恋人」「禁じられた恋の島」「にがい米」「島の女」で、「島の女」以外は白黒映画である。「禁じられた恋の島」を近所の店の店頭で見つけたのが、とっかりとなった。
「ブーべの恋人」「にがい米」「島の女」の3本は近所のTSUTAYAにはなく、本部からの取り寄せだが、何せ古い映画で、しかも白黒。薬を飲んでいるせいか、気がつくと、眠っていることもあり、また見たところまで戻って再生することの繰り返しだった。
本部から取り寄せた古い映画はもう一本あるが、これはまだ観ていないので、今日は記さない。
つくられた順に並べ変えると、
〇イタリア映画「にがい米」(1949年製作・52年日本公開)
〇イタリア映画「禁じられた恋の島」(1962年製作・63年8月日本公開)
〇イタリア・フランス合作映画「ブーべの恋人」(1963年製作・64年9月日本公開)
以上は、芸術性の高い映画で、見終わったときに、なにがしかの感動がある。
一方、以下の映画は娯楽作品。
〇イタリア映画「島の女」(1957年製作・57年日本公開)
原題は「イルカに乗った少年」(BOY ON A DOLPHIN)で、これのみカラー映画。
日本では、1973年に城みちるが歌う「イルカに乗った少年」という曲がヒットしたが、この映画に登場するギリシャ神話「イルカに乗った少年」の像がネタ元である。
イタリアの往年のグラマー女優が競艶
前記4本の洋画に共通するのは、当時「セクシー」なししは「グラマー」と騒がれた女優が出ている点だ。
「禁じられた恋の島」のキー・ミアスマンはセクシーだが、「にがい米」のシルヴァーナ・マンガーノ、「ブーべの恋人」のクラウディア・カルディナ―レ、「島の女」のソフィア・ローレンは、いずれも「グラマー」とされた女優である。
ソフィアローレンは、今観ても紛れもない巨乳だが、シルヴァーナ・マンガーノ、クラウディア・カルディナ―レは、今改めて映画を観ると、巨乳っぽく見えるが、今日の尺度でいう巨乳ではなく、セクシーな感じだ。
しかし、当時の日本人女性にはいなかったスタイルだったのだ。
▼イタリア映画「禁じられた恋の島」(1962年製作・63年8月日本公開)
ナポリ湾に浮かぶ小島を舞台にしたイタリアの女流作家エルサ・モランテの小説『アントゥーロの島』の映画化。生まれたときに母が死に、父を慕っている思春期を迎えた少年の性のめざめと父親への愛と反発がテーマである。
プイッと出稼ぎに島を出て、いつ戻るともわからない父親が、17歳の若い後妻を連れ帰ったことで起きる少年の心身の変化を描く佳作(サン・セバスチャン映画祭の最優秀映画賞受賞作品)。
日本で公開当時、テーマ音楽が大ヒットした。
17歳の義母を演じるキー・ミアスマンは、巨匠ルイス・ブニュエルが監督した米墨合作「ザ・ヤングマン」(日本未公開)で1960年にデビュー。どこか神秘的で、かげのある顔立ちが魅せるが、女優としては大成しなかった。
この映画が日本で公開されてから5年後の1969年に大ヒットした森山良子の「禁じられた恋」は、織井茂子の「黒百合の歌」がヒントとする説があるが、私はそうは思わない。
「黒百合の歌」はアイヌの娘が主人公とした恋歌だが、同じくアイヌの熊祭りをテーマにした、伊藤久男の歌う「イヨマンテの夜」の太鼓を打ち鳴らす前奏と曲の感じが似ているが、「禁じられても会いにいきたい」と歌う「禁じられた恋」の詞(作詞 山上路夫)の内容を考えると、映画「禁じられた恋の島」がヒントなのではないかと私は推察するのである。
「禁じられた恋の島」の映画ポスター
▼伊仏合作映画「ブーべの恋人」(1963年製作・64年9月日本公開)
映画よりも映画のテーマ曲が大ヒットしたので、単なる恋愛映画と思っている人も多いが、よくできた映画で観て損はない。
フランス女優ブリジット・バルドーのBBに対するイタリア女優CCことクラウディア・カルディナ―レと「ウェストサイド物語」で大人気となったジョージ・チャキリスの競演。第二次世界大戦末期から戦後にかけてのイタリアのレジスタンスの闘争を、一組の若い男女の恋愛に託して描いた佳作である。
唇がセクシーで声がハスキーなクラウディア・カルディナ―レは、性的な魅力について語られることが多かったが、ムッソリーニの全体主義政権に反抗するレジスタンスに身を投じて殺された兄を持つ芯の強い田舎の女性を熱演している。
映画公開時は巨乳という見方がなされていたが、今観ると、それほどでもない。しかし、当時の日本人女性の貧弱だった体型に比べて、男どもにはそう映ったのかもしれない。
▼イタリア映画「にがい米」(1949年製作・52年日本公開)
当時のイタリアを代表するグラマー女優シルヴァーナ・マンガーノの肢体が凄い。絵にかいたような〝ボン・キュッ・ボン〟で腋毛も生やしている。
シミーズ(今の言葉でいうと、スリップ)だけの姿でも出て来る場面もあるが、巨乳ではなく、〝鳩胸〟のせいでそう見えるのかと思わせるが、それにしても、スクリーンで魅せた彼女の当時の肢体は一見の価値がある。
日本人としては、「にがい米」の「米」という字にまず驚くが、北イタリアで米を作っていたと知って、さらに驚く。日本の田んぼと違って、イタリアの田んぼは馬鹿でかく、田植えで植える苗の背丈も高く、しかも500年前から田植えをしていたと知ると、もっと驚く。
そんな田植え要員として出稼ぎに来た多数の男女の中に、強盗を働いた男とその恋人が混じっていることで騒ぎが生じ、そこへ至るまでの男女の恋の駆け引きが巧みに描かれる。そういう映画である。
シルヴァーナ・マンガーノは、中高年になると、1967年のイタリア映画の5人の巨匠の手になるオムニバス映画「華やかな魔女たち」の出演以後、性格俳優色を強め、パゾリーニ監督の難解な映画「アポロンの地獄」(1967年)「テオレマ」(1968年)「デカメロン」(1971年)に立て続けに主演したり、ルキノ・ヴィスコンティの監督作品「ベニスに死す」(1971年)「家族の肖像」(1974年)に出るころには、かなり癖の強い顔と演技になっていた。
その頃の私はといえば、1970年に東宝の助監督になり、青臭い映画青年だったので、娯楽映画とはほど遠いパゾリーニの演出技法やヴィスコンティのアクの強い美意識に妙な感化を受けたものだった。
▼アメリカ映画「島の女」(1957年製作・57年日本公開)
この映画は、イタリアを代表するグラマー女優ソフィア・ローレンのハリウッド初主演作というところがポイントで、芸術性云々のカケラもないB級娯楽作品。
原題は「イルカに乗った少年」(BOY ON A DOLPHIN)で、これのみカラー映画。
日本では、1973年に城みちるが歌う「イルカに乗った少年」という曲がヒットしたが、この映画に登場するギリシャ神話「イルカに乗った少年」の像がネタ元である。
映画が始まってすぐに、海綿を取る海女に扮したソフィア・ローレンが海中から船に戻り、体にへばりついたワンピース姿で船べりに立つ。
そのはちきれんばかりの肢体は、巨乳の輪郭がくっきりしているだけでなく、巨大なボリュームのふくらみの頂きのポッチまで見て取れるので、映画を観た男どもは例外なく度肝を抜かれた。
その姿がポスターにも使われ、映画を観ていない男どももノックアウトされ、「ソフィア・ローレン」という名前を覚えてしまったが、彼女は単なるグラマー女優では終わらず、1960年製作・61年公開のイタリア映画「ふたりの女」でアカデミー賞主演女優賞を受賞、「巨乳=オツムがバカ」というイメージを覆し、1970年9月公開の伊仏ソ合作映画「ひまわり」(巨匠ヴィットリオ・デシーカ監督作品)では、戦争で引き裂かれた夫婦の悲劇を熱演し、押しも押されもせぬ演技派としての地位を確立した。
画面いっぱいに映し出される一面のひまわり畑を背景にして流れるヘンリオ・マンシーニのテーマ曲「ひまわり」は、息の長い大ヒットとなったので、若い人も聞いたことがあるのではないか。
(城島明彦)
季節の変わり目に体調不良になる原因
3月11日に急に体調がおかしくなって寝込んだ。
それから2日経過するが、どうもおかしい。
最初は「風邪でも引いたのかな」と思っていたが、普通の風邪の症状とは異なるので、風邪ではないとわかった。
では、何なのか。
思い当たる原因は一つしかない。
私の体は、厄介なことに、毎年、季節の変わり目になると必ず体調が狂うのだ。
今年も、それがやって来たらしい。
気圧変化に弱く、高所に登ると、ほかの人は何ともないのに耳がおかしくなることが多い。
季節の変わり目に必ず体調がおかしくなるのは、原因は気圧の変化らしい。
これまでずっとそう思ってきたが、今回、初めて、
「果たしてそうなのか。それは自分の単なる思い込みではないのか」
という疑問が頭をよぎった。
そこで、私の住んでいるところの気圧の変化を気象庁のHPで調べてみた。
単位はhPa(ヘクトパスカル)、カッコ内は対前日比。
7日 997.9
8日1000.3(+2.4)
9日1000.9(+0.04)
10日1004.8(+3.9)
11日1014.0(+13.2)
12日1017.7(+2.3)
私の体の具合が悪くなった11日は、気圧が対前日比で13・2 hPa(ヘクトパスカル)変化し、その前後の日と比べて大きく変化していることがわかった。
今年の春は3月11日にやって来たのだ。冬から春への季節の変わり目がやって来て、気圧の変化が起き、それに体が反応したである。
「やっぱりそうか」と思いつつ、昔、深夜放送でよく耳にしたCMのキャッチフレーズが、またぞろ頭をよぎるのだ。
「弱いあなたってイヤ!」
「玉龍ドリンクは、今はない」と思っていたが、常盤薬品の滋養強壮薬「玉龍ローヤルD」(1本1080円)がその後継なのか。
(城島明彦)
あゝ、愛国の、今日も明るいダジャレ学園「頭狂講座」
狂頭「♪教頭、大原三千院ってか。おやっ、まだ宵か? いや、もう朝か? 浅香光代はどうなった? 皆さん、おはようゴザはもう敷いたかな。おやっ、軍歌ですな」
♪ 見よ東海の ソーラーシステム
結構値が張り 輝いて
天地の狂気 ハラホロヒレ
希望は劣る 大八洲(おおやしま) ※軍歌「愛国行進曲」の替え歌
狂頭「いいですなあ、軍歌は。気持ちもキンタ〇も引き締まる」
校長「狂頭、言葉を選んで。女子生徒もおるんですぞ」
狂頭「合点承知のスケコマシときたもんだ」
校長「懲りないヤツガシラだ。いや、ヤツメウナギというべきか。狂頭の辞書には反省という文字がナイロビか。ナイロビの空港って、どこやった? ジョモ・ケニヤッタ国際空港やった。ジョモありがとう。いかん、狂頭のペースにはまって北川景子」
狂頭「♪軍歌軍歌カメよ カメさんよ~っと。『愛国行進曲』の歌詞が相当違っておるが、まあ、よかろう、ろうはろうでもロウソク責めは止めて、お願い、NHK大河は井伊直虎ってか。そういや、イーデス・ハンソンはどうしましたかな、校長」
校長「もうイーデス、いい加減にシーラカンス!」
狂頭「では、校長のご要望にお応えして、職員室の放送部長、次なるBGMをお願ぇしますだ」
放送部長「承知シマホッケ定食、一丁!」
♪ 朝だ 夜明けだ 潮(うしお)の息吹き
うんと吸い込む 煙草にむせて
がまんできずに オエッと戻す
海のオカマの 艦隊勤務
月月火水木金金 ※軍歌「月月火水木金金」の替え歌
狂頭「歌詞がかなり違うが、まあ、イイダコ。♪潮来(いたこ)の伊太郎 ちょっと見なれば~てなもんや三度笠」
校長「いい加減にセメダイン!」
狂頭「さてと、全校生徒諸君、ラジオ体操代わりに、元気よく歌を歌って、ボ~ッとしている心身を目覚め佐世保造船! では、さん、はい、産廃業者!」
♪ あんたがた どこさ
がたがたさ
がたがたどこさ
手羽先さ
狂頭「生徒諸君! では、出題だ。『ピンからキリまで』という場合の、ピンとキリについて記しなさい。さあ、始め!」
▼A君の回答
ピン芸人から桐谷美玲まで。
すっぴんからキリンビールまで。
▼B嬢の回答
ピンといわれても、ぴんとこない。
キリといえば、きりがない。
◎狂頭の模範回答
ピン……①ピンサロ、②ぴんからトリオ、②ピンクパンティ
キリ……①夜霧よ今夜も有難う(唄:石原裕次郎)、②霧にむせぶ夜(唄:黒木憲)、③哀愁の街に霧が降る(唄:山田真二) おまけ:霧隠才蔵(真田十勇士の一人)
(城島明彦)
「幸之助翁は石田梅岩『都鄙問答』をひそかに座右の書として愛読していた」が正しい
ネット上に「松下幸之助が石田梅岩に傾倒した”という噂はウソだった!」というという見出しのブログがあったので、クリックすると、そのタイトルではなく、『研究報告「”松下幸之助が石田梅岩に傾倒した”」という噂は果たして本当だろうか?』というトーンダウンしたタイトルになっていた。
そのブログを書いたのは、昔(1989年~1999年)、松下電器(現パナソニック)の経営コンサルタントをしていたという人で、松下経営塾でも学んだということだ。
1989年といえば、松下幸之助翁が亡くなった年であり、直接薫陶は受けていない。
そのブログが書かれた日付は2015年6月15日となっており、私が現代語訳した『石田梅岩「都鄙問答」』が発売される1年3か月ほど前になる。
この人は、ネットに「あの松下幸之助も人生の師として尊敬していた」「事業に困ったら梅岩を読みなはれと松下幸之助がいった」「松下幸之助も石田梅岩に傾倒していた」などと書かれているのを見て、自分はそういうことは聞いたことがないといって、「PHP研究所総合理念研究本部」および「松下資料館」に依頼して過去のデータを調べてもらったが、どこにもそんなことは書かれていないというのだ。
だが、その「松下資料館」は、2011年2月5日に「石田梅岩に学ぶ商人道の原点」と題した講演会を開催し、その告知文を前年11月に館長名でネットに公開したが、その中に次のような文章がある。
《弊資料館は、設立当初より、日本的経営を歴史的な観点から研究するとともに、ますます進展する今日のグローバル経済の中で、これからの経営のあるべき姿を考えてまいりましたが、今回、その活動の一環として、標記の「石田梅岩に学ぶ商人道の原点」と題した講演会を、平成23年2月5日(土曜日)に開催致します。》
《石田梅岩は、1685年、亀岡に生まれ、京都の商家で奉公の後、1729年、45歳の時、同地で塾を開き、開講しました。そしてその教えは当時台頭しつつあった多くの町人、庶民に支持され、又、手島堵庵、柴田鳩翁等、優れた多くの弟子達によって、「石門心学」として、日本全国に広がっていきました。
三方よしの精神で真の商人道を実践し、日本各地で成功した近江商人も、大きな影響を受けたことは、言うまでもありません。
人間の本質、心を追求し、商人の正しい営利活動を積極的に認め、商いにおける倫理感の大切さを説いた石田梅岩の教えは、松下幸之助の経営道・商人道にも受け継がれていると考えられます。
今日の混迷する社会で、石田梅岩が遺してくれた素晴らしい教えの中から、経営、ビジネス、そして人生を生きるヒントを見出して頂けるものと確信致します。》(下線は、城島)
松下資料館のこの引用からだけでも、「松下幸之助と石田梅岩の関係を否定するのは誤り」だとわかる。
ソフトバンクの孫正義氏の片腕といわれてきたSBIホールディングスのCEO北尾吉孝氏の『仕事の迷いにはすべて「論語」が答えてくれる』(朝日新聞出版 2012年)にも、
《松下幸之助は江戸時代の思想家、石田梅岩の「都鄙問答」を読み、彼のところに助けを求めてくる人たちには「梅岩を読みなはれ」と勧めていたと言います》
と書かれている。
なぜそのことを素直に認めようとしないのか。不思議だ。
否定している経営コンサルタントは1960年代後半の生まれで、そういう話を耳にしたことがないだけなのではないか。
こういう短絡的な発想をしたブログは、経営コンサルタントとしての資質を問われるから、削除した方がいい。
パーティなどで、マンツーマンでいったこととか、広報などがいない場所で記者から質問されて答えたこととか、記録として残されていないものはいっぱいあるのだ。
何もかも杓子定規ではかろうとすると、間違いを起こす。PHP研究所は、いってみれば身内であり、〝一種の大本営発表〟的な部分もある。そういったことも考慮する必要があるということだ。
梅岩の影響を受けたといっても、幸之助翁への評価は上がりこそすれ、下がることはない
松下幸之助翁が、石田梅岩の影響を受け、「石門心学」と呼ばれる思想を世の中に広めるために、誰でも自由に聴講でき、質問できる私塾をつくったのにならって、PHP研究所をつくったという話は、昔から有名な話である。
梅岩との関係性を否定している経営コンサルは、松下幸之助翁が雑誌のインタビューで石田梅岩について聞かれたとき、「バイガン? 誰」といったという記事を引っ張り出してきて、その証左としているが、その頃の人は、ほとんど誰も真に受けてはいなかったのだから、幸之助翁を心底から尊敬するなら、そんな妙な記事を引っ張り出してはいけない。
そんな古い記事を引用するのは、贔屓の引き倒しだ。
幸之助翁の人格をかえって貶めることになるという点に気づかないといけない。
普通の神経なら、「バイガン、誰?」などとはいわない。
幸之助翁は、丁稚からの叩き上げであり、当初の商圏は大阪・神戸・京都である。
京都で私塾を開いていた梅岩も、丁稚から番頭にまで出世し、儒者となって教導した。
明治・大正・昭和の戦前には、二宮尊徳、中江藤樹、石田梅岩らのことは、尋常小学校でも教えている。
名前も知らないというのは、どういうことか。
そう思われてしまう。
「あの本を読んだね」
といわれて、すなおに「読んだ」という人もいれば、
「いや、読んだことはない」
と思わずいってしまう人もいるのだ。
そういうことも考えないといけない。
では、石田梅岩との関係を否定すればするほど、なぜ幸之助翁の人格を貶めることになるのか!?
松下電器は、かつて何といわれていたか。
〝まねした電器〟だ。
私は、〝モルモット〟といわれていたソニーに11年弱だが在籍していたから、松下電器時代の〝二番手戦略〟もよく知っている。
ソニーは、売れるか売れないかわからない商品を市場にぶつけた。
たいへんなリスクを冒していたのだ。
しかしそういうスピリットを消費者は評価し、クリエイティビティを重視する時代になるにつれて、ソニーは高い評価を得るようになった。
松下電器は、ソニー製品に対する消費者の反応を見て、ソニーにはないプラスアルファを加えて市場に投入し、シェアを拡大するという戦略だった。
しかし、勝てば官軍、そういう商法は商法であっていいのだ。
一方、ソニーは、創業者の井深大さんが、口が酸っぱくなるくらい、
「他社のまねはするな。他社にまねされるものを創れ」
と繰り返していた。
松下とソニーは対照的なライバル企業だったが、幸之助翁が、自らの口で堂々と「まねした電器」などといったという話は聞いたことがない。
2000年にパナソニックの社長に就任した中村氏の代になって初めて、「まねした電器からの脱却し、創造する企業に生まれ変わる」と公言したのだ。これが世にいう「中村改革」である。
誰かを尊敬するなら、その人の足を引っ張らないようにしないといけない。
「幸之助翁は石田梅岩『都鄙問答』をひそかに座右の書として愛読していた」
. ひそかに座右の書としていたのだから、公然と口にはしたくなかった。
そのことを話す人もいたし、話さない人もいた。
そう考ると、辻つまが合い、〝幸之助翁と石田梅岩をめぐる謎〟は一気に解け、幸之助翁も傷つかない。
(城島明彦)
「頭狂だよ、おっかさん」 (歌:しばくぞ千代子 詞:情事魔あきひ~こら)
ただいまっ! おかえりっ!
只今マイクの テスト中
Oh! Cruelty 残酷ざんす
髪の毛チリチリ くるくるパー
脳みそスカスカ スカボロフェアー
Oh! Cruelty 残酷ざます
ひとはもともと パーソンズ
おばかで損する パーカッション
Oh! Cruelty 残酷ざんしょ
とうとう狂った クルリンパー
パンパラパンの ラリパッパー
Oh! Cruelty 残酷でがす
(城島明彦)
「ボケ防止」の言葉あそびは、いかが?
年寄りが難しいことばかり考えていると、ろくなことはない。
頭が疲れて熱くなり、逆効果だ。
ばかばかしいと思って、鼻でせせら笑えるようなら、まだまだ元気だ。
〇向かいの空き地に囲いができたね。 ⇒へえ。
これは落語の初歩の初歩で、「塀」と「おどろく意味の「へえ」をかけている。
これにならって、いろいろ考えると、脳が活性化されますぞ。
まずは、簡単な「へえ」つながりで参りますかな。
〇アメリカ人が囲い越しに呼び掛けた。 ⇒Hey! (へい)
〇親方が使用人にいった。「やったな、くせえぞ」 ⇒ へい(屁)?
〇兄が弟の息子を呼んだ。 ⇒おい!(甥)
〇隣の家に窓がついたね。 ⇒そう? ※窓の音読み。
〇隣が屋根を赤く塗ったぞ。 ⇒や~ね ※ダジャレのレベル
ここで、趣向を変えて、「ボケ防止クイズ」でございます。
お年寄りにはお年寄りの話題が必要ですな。
〇プリンとお茶が大好きだった名優がいた。 ⇒チャップリン
〇地味で変わり者のギタリストがいた。 ⇒ジミ・ヘンドリックス
〇バルタン星人から来た歌手がいたそうな。 ⇒シルビー・バルタン
若い人は、「それ、誰?」と目を白黒するかもしれないが、年寄りはよく知っている有名人でございます。
それはさておき、だんだんレベルが落ちて参りましたので、今日はこれでお開きでございます。
♪ぽんぽこ山の タヌキさん
お酒を飲んで ねんねして
ウンコしてシッコして またあした!
(城島明彦)
「流れる」という言葉が気になった
文章と格闘していると、いろんな雑念が頭をかすめる。
「流れる日々」なのか、「流される日々」なのか、「流す日々」なのか。
流れる
気づくと歳月が経っていたというときは、「流れる日々」だ。
その流れが眼に見える場合と耳に聞こえる場合がある。
「水が流れる」「星が流れる」「質草が流れる」
というときの「流れる」は、目に見える流れで、
「歌声が流れる」「音楽が流れる」
というときの「流れる」は目では見えず、耳に聞こえる流れだ。
「香りが流れる」「匂いが流れる」というときの「流れる」は、目に見えず、耳にも聞こえないが、鼻の嗅覚でわかる流れだ。
う~ん、困った、困ったれぶー、だんだん頭が混乱してきた。
流される
その流れに抗おうとしても、それがかなわず、押し流されるように感じるのが「流される日々」である。
「水に流す」と「水に流される」とでは大違いだが、「日々に流される」とはいっても「日々に流す」とはいわないのは、なぜなのか。
ますます混乱、崑崙(こんろん)山脈だ。
流す
「水を流す」は目に見えるが、「その話は水に流す」は目に見えないから、ややこしい。
〇ながすみらい――「流す未来」ではなく、長洲未来。日本人でアメリカから出場している女子フィギュアの選手。
流れ
「川の流れ」は目で確かめられるが、「暗渠の流れ」や「話の流れ」は目には見えず、耳で確かめるものもあるが、ふざけたものもある。
〇はぎわらながれ――「萩や藁が流れていく風景」ではなく、交通事故死した奇人俳優の萩原流行。
どっと疲れたところで、お開きでございます。
(城島明彦)
記者の質問で抜けていた2点
石原慎太郎元都知事の単独記者会見は、午後3時からNHKなどが中継したが、TBSは自局の記者が質問しているときにCMを流していた。
バカじゃなかろか。
石原慎太郎は、
「都知事として裁可した責任は認めるが、副知事や専門部門に任せており、自分だけの責任じゃない。報告も受けていないから私は知らない」
と逃げたが、都知事は企業でいえばCEO。
企業では通らぬ論理だ。
そして、これまで小池都知事にボコボコにされてきたうっぷんを晴らすかのように、
「学識者が問題ないといっているのに、小池都知事は移転をストップさせ、維持費等に巨額の税金が使われている。それこそ大問題」
と逆襲した。
石原慎太郎は、都知事在任中は、週のうち2日か3日しか登庁しておらず、残る時間は作家活動などに充てていたことは誰でも知っているが、知事は公僕。
24時間フルに都のための仕事に専念すべきだった。
そういう勤務態度と「任せっぱなし」が引き起こした問題ではないのか、という点も質問すべきだったが、記者連中は誰も聞かなかった。
石原慎太郎は、「権威が問題ないといっている」と繰り返したが、
「小池都政下での調査では、地下水等から問題となる化学物質が測定された。それでも問題ないと言い切れるのか」
という質問をぶつけた記者は一人もあらず、そのため、石原元都知事は、
「学者が豊洲は問題ないといっているのに、なぜ早くオープンしないのか」
と何度も発言したのだ。
記者も、しっかりしてほしかった。
(城島明彦)
視聴率戦争の敵とこっそり付き合うなんて!? 「アホちゃいますねん、パ~ですねん!」
まずは、軽~いジャブ的「なぞかけ」から。
〇「櫻井翔と小川アナの交際発覚」とかけて、
東北弁のオヤジが伝える「北朝鮮の新しい核実験ニュース」と解く
そのこころは?
スッパイ(失敗/スパイ)しました!
報道番組は、慣れ合いっぽい観のあるテレビ各局の報道番組ではあるが、
〝自局の情報〟は一種の〝機密情報〟であるから、当然「マル秘」。
社外の人間に事前(放送前)に話せば、情報漏洩になる。
密会以外にも、メール、電話などでいくらでも情報交換はできる。
一部の者しか知らない「極秘情報」が、互いに筒抜けになっていたとしたら、その番組のスポンサー、視聴者など、激怒したり不快感を覚える人間や企業が多く出ることになる。
そんなことを知らない櫻井翔と小川彩佳ではあるまい。
自覚がたらない以前の問題だ。
アホちゃうか?
いえ、
「アホちゃいますねん、パ~ですねん!」
互いに仕事のことは話していませんと弁明したとしても、誰が信じます?
というわけで、
「アホちゃいますねん、パ~ですねん!」
これから二人は、どのツラ下げて、ニュース報道を続けるのか。
いやいや、どちらも厚顔無恥なので、関係ありませんってか?
そうか、やっぱり、
「アホちゃいますねん、パ~ですねん!」
テレビ局も、視聴者をなめたら、あかんよ。
(城島明彦)