« 韓国よ、目覚めよ! 「征韓論」の時代と同じことをやっていたら、国の未来はない! | トップページ | あゝ懐かしの「俳優座養成所の1954年度入試(二次)問題」 »

2017/01/28

今から63年前(1954年)の俳優座養成所の入試問題


授業料12,000円、施設費・テキスト代等約5,000円、入所金1,000円

 ――この数字は、昭和30年(1955年)頃の俳優座の俳優養成所の学費だ。
 めったに開けない本箱の中にあった古書『女優への道』(河出新書)に、そう書いてあった。
 著者は、遠藤慎吾(故人)。ウィーン大学に留学して演劇史を学んだ経歴を持つ演劇評論家で、俳優座の創設にも関わった人物である。
 200ページちょうどの薄い本で、定価は100円。時代ですなあ。

 昭和31年2月10日第2刷発行と奥付にある、この本をいつ入手したかの記憶はまったくないが、東宝で映画の助監督をしていた20代の頃に、新劇女優を主人公にした映画のシナリオを書こうとして果たせなかったことがあるので、その資料として手に入れたものと思われる。
 そういう記憶はあるが、書店の棚にあったものなのか、古書店で買ったのかの記憶はない。
 昭和40年代半ばの話だ。


デッサンもあった俳優座養成所の授業科目
 
 『女優への道』に興味深いことが書いてあるので、以下に紹介する。本では學、國といった旧字が使われているが、ここでは現代の文字に変えて引用する。

《俳優座の俳優養成所は、修行年限三年で、入所資格は十五歳から二十二歳まで、新制中学卒業及び同程度以上の学力のあるものとなっていて、教授科目は次のようになっています。
  一年=文化史、音楽の歴史及び鑑賞、美術の歴史及び鑑賞、心理学、生理学、言語美術、音声学、音声生理学、演劇概論、演劇史、戯曲研究、演技実習(物言う術、身振表情術)、声楽、舞踊、体操、外国語学(英、仏)
二年=文化史、日本文学、外国文学、演劇史、戯曲研究、演出論、演技論、演技実習、楽典、デッサン、声楽、舞踊、体操、外国語学(英、仏)
三年=演劇史、演出史、演技史、戯曲研究、劇場論、舞台美術論、演技実習、声楽、舞踊、体操 》


昭和29年度入試――520人応募して45人合格

 私が、この本を面白いと思ったのは、昭和29年度の入学試験問題が巻末に載っていたからだ。

《俳優座の俳優養成所は、既に三回の卒業生を出していますが、教育効果はそう上がっているとはいえず、卒業生の中からは、まだ目ぼしいこれという俳優は出ていません。だが、それにも拘らず、この養成所は、規律もあり体裁も整っていて、しかも権威ある新劇団体(俳優座)と直接のつながりを持っている唯一の俳優学校として一番人気があります。
毎年三月下旬に入学試験があるのですが、それには多数の志望者が殺到します。昭和二十九年の応募者は五百二十名、採用生徒数は四十五名ですから、十人以上に一人という狭き門です。
試験は第一次と第二次の二回にわたって行われ、第一次であらよりした人たちに更に第二次試験を行って入学者をきめるという綿密さです。 》 ※あらより:粗選り

《出席がかなり厳重ですから、アルバイトで学費をかせぐのは非常に困難なようです。現在、在学中の生徒の中、半数位は、アルバイトで学費の一部を補っているそうですが、全部をアルバイトでかせぎ出そうとする生徒は必ず脱落していくそうです。だから、ある程度の親の援助がないと、とても三年間の勉強を続けるのは無理だということになります。 》


「一般常識問題」は当時、「メンタルテスト」と呼ばれていた

 第一次は、「メンタルテスト」と呼ぶ男女共通の「筆記」、男女別の「朗読」、男女共通の「パントマイム」、そして「作文」である。
 メンタルテストとは、今の言葉でいうと「記述式の一般常識問題」で、次の20問が出題された。

◎メンタルテスト

 ①日本の国立公園の名を三つあげよ
 ②富士山の高さ
 ③小説『にごりえ』の作者
 ④松川事件のあった年
 ⑤伊藤斗福
 ⑥M・S・A
 ⑦サー・ジョント・ハント
 ⑧『チロルの秋』の作者
 ⑨トスカニーニ
 ⑩音の速さ
 ⑪フロイド
 ⑫シェイクスピアの悲劇二つあげよ
 ⑬T・S・エリオット
 ⑭歌劇『お蝶夫人』の作曲者
 ⑮岸田劉生
 ⑯NHK 第一放送の周波数
 ⑰アブストラクト・アート
 ⑱ヴィユ・コロンビエ
 ⑲リベート
 ⑳三一致の法則

◎『朗読 女』 問題

ごらん!……ほら、あのお天道様のいらっしゃる限りもなく広い、広いお空は、わたし達のいるこの竹林にまで、ずうっとつづいて来てるのよ。あたし達はみんなお天道様のものなのよ。あたし達のまわりにあるものみんなお天道様が創って下さったものよ。この数えきれない竹の木も、地面からにょきにょき生えて来る筍も……ほら、あっちの方で、ちゅくちゅく鳴いている鳥は、あれはなあに?……向うの方でも、ちゅんちゅん鳴いているのはなあに? あっちの上の方で、ちちちろって鳴いてるのは?

◎『朗読 男』 問題

私は美学をやりたかったのだが、親爺がどうしても許してくれないで、とうとう医者にされてしまいました。大した方向転換です。癪にさわったもんで一週間ほどってもの、食事をとらないで頑張ってやりましたよ。尤もそれは家だけで、外ではやっていましたけど。(笑う)あ、そうそう、此の間はどうも失礼しました。あの時云ってらした症状ね、今日、血液検査表が出来ました。やっぱり仰ってた通りでしたよ。然し、完全にあなたの勝と云うわけじゃありませんよ。その三番目の表をごらんなさい。それじゃない、その下、それそれ、肬(ゆう)静脈血の窒素含有物の定量です。まだまだ議論の余地はありそうですね。


◎『パントマイム 男女共通』 問題

甲が楽しそうに唄を口ずさみながら入って来る。帽子と上衣を取って出て行こうとして、ふと、忘れものに気付く。上機嫌は去り、例えば芝居の切符をどこに置いたかしらと考え出す。方々さがしてみても見つからないので、癇癪を起す。突然切符をポケットにしまっておいた事に気付く。それをポケットから引き出す。上機嫌が又もどってくる。そして嬉しそうに出ていく。


愛川欽也もこの試験を受けていた

 この試験を受けて合格し、晴れて3期生となったのは、安井昌二、渥美国泰、愛川欽也、穂積隆信、渡辺美佐子、楠侑子らである。
 彼らを含めて「まだ目ぼしいこれといった俳優はまだ出ていない」と書かれた1期生は岩崎加根子、阿部寿美子、林洋子らの俳優座研究生だった連中で、初めて公募して入所した2期生は菅原謙二、高橋昌也、土屋嘉男、滝田裕介、佐藤英夫、島崎雪子、宮崎恭子、小林トシ子らである。

 この試験の翌年に入所する4期生には、仲代達矢、宇津井健、中谷一郎、佐藤允、佐藤慶らがおり、彼らは映画などに多数出演し、俳優座養成所の知名度は次第に上がっていくのである。

 ――ちょっと疲れてきたので、3期生の彼らが受けた二次試験がどんなだったかは、次回に記す。

(城島明彦)

« 韓国よ、目覚めよ! 「征韓論」の時代と同じことをやっていたら、国の未来はない! | トップページ | あゝ懐かしの「俳優座養成所の1954年度入試(二次)問題」 »