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2016/11/12

石田梅岩『都鄙(とひ)問答』→松下幸之助→稲盛和夫→孫正義をつなぐ線


「商人道」という「心」は、形を変えて脈々と受け継がれている

 今、ビジネスマンに最も人気がある経営者は誰かといえば、京セラの稲盛和夫(敬称略、以下同様)とソフトバンクの孫正義だろう。  
 経営者としての孫正義が、誰の影響を大きく受けたかといえば、稲盛和夫だ。
 孫正義は、若手の経営者だった時代に、稲盛が主宰する「盛和塾」に通って、経営のあれこれを直接教えてもらった。

 稲盛和夫が、京都で京セラを起業したとき、誰の影響を大きく受けたかといえば、パナソニックの創業者である松下幸之助だ。

 碍子をつくっていた若かりし日の稲盛和夫は、松下電器産業へ売り込み、松下幸之助の思想の影響を受けたのだ。

 その松下幸之助が大きな影響を受けた人物といえば、江戸時代の心学者石田梅岩である。
 江戸時代の商人は、
 「農民や工人(職人)は額に汗して働いて、コメや家具などを生産するが、商人は人がつくった物を右から左へと流すだけだ」
 として軽蔑され、士農工商という身分制度の一番下に置かれていた。

 「そうではない。商人が品物を流通させなければ、国民は生活していけない。商業は立派な仕事なのだ。商品を仕入れて売って得る利益は、まっとうなもの。武士が主君に仕えることでもらう俸禄と同じだ」
 と、商人の正当性を初めて堂々と主張し、誰でも無料で聴講できる私塾を開いてその考えの普及に当たり、私塾で交わされた質疑応答はメモに書きとめ、それを後に一冊の本にまとめたのが『都鄙問答』である。

 石田梅岩の思想は、儒教の流れを汲んでいるが、中国の「心学」(陸王学ともいわれ、陸象山が始め、王陽明が完成させた儒教)と区別するために石「石門(せきもん)心学」と呼ばれている。

 松下幸之助は、丁稚から始めた苦労人だったから、時代は違っても、同じ丁稚から始めた石田梅岩に自身の姿を重ね、梅岩の思想に心酔し、こう考えたのだ。
 「商売で成功するには、人に感動を与え、納得させ、心を動かす思想がいる」
 そして設立したのが「PHP研究所」だ。

 よって、以下の図式が成り立つのである。

 石田梅岩→松下幸之助→稲盛和夫→孫正義


時代の経営者を幾人も育てたとき、孫正義は不動の評価を得る

 石田梅岩、松下幸之助、稲盛和夫、孫正義に共通するものは何かといえば、
 「名家名門にあらず」
 「叩き上げ」

 ということである。
 
 そしてもう一つの共通点は、
 「人の心を動かす思想・信念がある」
 ということだ。

 孫正義の影響を受けた若い世代が多数、経営者となって、失われた日本の活気を再び盛り返すとき、孫正義は不動の評価を確立することになるが、それはいつになるのか。


〝平成初〟〝日本史上2冊目〟となる現代語訳『都鄙問答』を読んでおいて損はない

 石田梅岩の『都鄙問答』は「日本のCSR(企業の社会的責任)の原点」とされている書だ。
 「経営者はもとより、ビジネスマンなら一度は目を通しておくべき本だ」
 と考えて、私は現代語訳した。
 自慢めいた言い方をすれば、致知出版社から先日刊行された拙訳本は、
 「平成初の現代語訳本」
 であり、
 「日本史上、2冊目となる現代語訳本」
 になる。
 
 江戸時代の本なので、今日の感覚からすると理解しがたいところも多々あるが、松下幸之助が「座右の書」とし、稲盛和夫が経営者としてスタートを切った30そこそこの頃に大きな影響を受けた本なので、
 「日本を代表する名経営者を心酔させたのは、どの箇所なのか」
 ということを知っておいて損はない。
 少なくとも、稲盛和夫論、松下幸之助論を語ろうとするなら、読んでいなくては話にならない。必読の書である。

 また、電通の女子新入社員が過労自殺した事件が波紋を広げているが、そこにあるのは「心」の問題だ。
 『都鄙問答』には「心のあり方」をめぐる問答が多く記されている。
 『都鄙問答』が書かれた当時の日本は、西日本一帯で「享保の飢饉」といわれる大飢饉が発生し、265万人もの餓死者が出た。
 当時の日本の総人口は約3100万人、江戸の人口は100万人だったから、とんでもない被害である。
 人々の「心」はボロボロになった。

 今日の日本では、東北を襲った大震災、熊本を襲った大震災など天変地異が相次いでおり、当時と重なるところも多い。時代がどんなに変わっても、人の「心」は変わらない。
 そういう視点から『都鄙問答』を読み解くという方法もある。


『都鄙問答』を現代語訳した経緯

 『都鄙問答』は岩波文庫になっているが、いかんせん、古典に強いと豪語する人でもすらすらとは読めない内容だ。
 「そういうことなら自分が」
 と勢い込んで、
 「岩波文庫を底本とした『都鄙問答』の現代語訳の企画書」
 を書いたのは昨年のことだったが、出版社で却下され、落胆した。

 それなら、PHP研究所に打診しようかと考えたが、以前、同出版社の編集者から別の企画を軽くあしらわれた嫌な思い出があって、踏み切れなかった。

 それでも諦めきれずにいたところ、年が明けて2月、運よく、岩波文庫『都鄙問答』が「リクエスト復刊」されたので、加筆した企画書を再提出し、出版社に承知してもらったという経緯がある。

 現代語訳に取り組み始めたのは4月からで、6月には全文を通読し、訳文を書き始めたら猛夏に突入、何度も体調を崩し、本が店頭に並んだのは9月末だった。
 7月に70歳になった私は体力も落ち、
 「これが最後の本かもしれない」
 と何度も思うほど体調が悪い中で取り組み、ゲラの校正が終わったとたん、何日も寝込んでしまっただけに、今はほっとしている。

 そういう経緯があるので、岩波書店には恩があるが、『都鄙問答』の拙訳本が刊行されると岩波文庫も売れた。 その意味では、『恩は返した』といっていいのではないか、と私は思っている。

 致知出版社刊行の私の名著現代語訳では、石田梅岩『都鄙問答』は、『宮本武蔵『五輪書』(2012年)、吉田松陰『留魂録』(2014年)、貝原益軒『養生訓』(2015年)に続く4冊目となり、現在、5冊目の中江藤樹に取りかかっている。

 石田梅岩『都鄙問答』現代語訳をまだ読んでいない人は、ぜひ! 

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(城島明彦)

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