「心」をなくした人が増えている今の時代こそ、石田梅岩を読むべし!
「心とは何か!?」「心はどうあるべきか!?」を説く『都鄙(とひ)問答』
「心を知らない者は、いつも苦しみを抱え、それを言葉にして口に出してしまう。そうなっても恥を知るということがないから、学ぼうとする志が生まれてこないのだ」
と石田梅岩(いしだ ばいがん)は『都鄙問答』でいっている。
石田梅岩は、「心」を追究した江戸時代中期の市井の学者で、一つの宗教にこだわることなく、儒教・仏教・神道のよいところは取り入れて、人の道を説いた。
梅岩が生きた時代には、西日本一帯が旱魃、虫害、水害などの相次ぐ天変地異に見舞われて大飢饉が発生し、おびただしい数の人が命を落とした。
その数、約265万人。
いわゆる「享保の大飢饉」(1732年/享保17年)だが、当時の江戸の人口は100万人で、日本全国の総人口は約3100万人といわれているので、目を疑うほどの死者の数である。
そういう時代だったからこそ、「心」を大事にしなければならなかった。
今日、東日本大震災や熊本大震災以外にも天変地異が相次いでおり、人は心の拠りどころを何に求めるかが極めて重要になっている。
不祥事を犯すのは、心を病んでいる企業
一方、電通のネット広告不正、東芝の経理不正、マクドナルドの食肉偽装など、名だたる企業が不正や不祥事を繰り返し、人々の怒りを買った。
その手の不祥事は江戸時代にもあったので、梅岩は、
「今の世の中のありさまを眺めると、道を外れた良くないことが多い」
といって、「商人道」の基本として「正義」や「正直」を説いた。
例えば賄賂については、後漢の楊震(ようしん)が賄賂を断るときにいった「天知る、地知る、我知る、人知る」の四知を引用して、次のように述べている。
「天罰を知らない者が、この天下泰平の世にいてはならない。だが、商人は士とは違うので、そのような義に反することも行ってしまうのだ。ほんの少しでも道を志す気持ちがあるのなら、決してやってはならないことなのである」
古い話になるが、私がソニーに勤務していた時代に、電通は、新しく宣伝部長に就任した人物に「お祝い」と称して現金100万円を包んで渡そうとした事件があった。
そのカネは一種の賄賂であるから、新部長は受け取らなかったといっていた。
企業が不正や不祥事を犯すのは、「心が病んでいる」からだ。
「企業の心」とは、創業理念であり、社風であり、経営陣や従業員の行動規範などである。
それらが正常とはいえない無理な形で実践され続け、やがて表面化して世間の知るところとなるのだ。
石田梅岩は、不正や不祥事を犯す人間は「天罰を知らない者」「恥を知らない者」といって厳しく戒め、上に立つ者には「潔癖さが必要だ」と説いている。
※石田梅岩『都鄙問答』は、松下幸之助、稲盛和夫両氏に大きな影響を与えた名著で、本書が平成初の現代語訳。現代語訳は、昭和を入れても2冊目。
(城島明彦)
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