〝人生は一発大逆転〟の豪栄道VS〝意気地なし〟稀勢の里、〝こんなもの〟琴奨菊
「運も実力のうち」――「運」を逃し、「重圧」に負けて、男を下げた「稀勢の里」
稀勢の里は、「白鵬休場」という「幸運」も手伝って、
「今場所優勝すれば横綱昇進」
といわれていたが、
「そうはいかないようだ」
との見方が急速に広がったのは、秋場所が始まる2日前に行われた「横審(横綱審議委員会)の稽古総見」で、日馬富士に8戦全敗したからだった。
稽古総見で無敵の強さを発揮しても本場所になると、そのとおりにはいかないのが常。
稀勢の里は、始まる前から赤信号になっていただけでなく、テレビの画面に映し出された顔は精気を欠いていた。
そのくせ、報道陣のインタビューを受けると、別人かと思えるほど妙に明るく振る舞っており、その時点ですでに多くの人は「おかしい」「何か変だ」と思わせていた。
その時点で、すでに心技体のバランスを欠き、横綱を狙える状態ではなかったのだ。
それでも、「日本人横綱」を待望する心情から、「本場所になれば、また先場所のような力を出してくれるだろう」と願う人も多かった。
しかし、その期待は秋場所が始まるとすぐに破られた。
先場所、先々場所の稀勢の里とは別人だった。
重圧に負けたのだ。重圧に負けて、「心技体」のバランスを崩したのである。
チャンスを「逃す」か「逃さないか」が人生を決める
一方、豪栄道は、もともと地力があり、横関に昇進したときは、「そのまま一気に横綱まで駆け上がるのではないか」と思われたが、ケガに泣き、弱い大関に成り下がっていた。
しかし、秋場所前から体調が絶好調で、「心技体」が過去最高。
胸に秘めたものがあり、それにこれまでの成績に対する「情けなさ」「悔しさ」があり、それに、同じ大関でもあるライバルの琴奨菊はすでに初優勝し、稀勢の里は横綱が近いと騒がれていることからくる「屈辱感」という強いバネが加わり、って、全勝優勝につながった。
大きいか小さいかは別にして、「運」は誰にも訪れているが、それに気づかないか、気づいても生かせなかったかのいずれかだ。
琴奨菊は、初優勝した後、「体幹を鍛えることでそれで自分は変わった」と強調していたが、「がぶり寄り」だけで横綱になれるほど甘い世界ではない。
稀勢の里は、恵まれた体格を利し、横綱レースでライバルに大きく水をあけながら、ここぞというときに〝ノミの心臓〟が顔を出して、しばしばチャンスを逃してきた。
特に今場所は、優勝すれば文句なしの横綱昇進、あるいは星一つの差で準優勝しても横綱昇進当確という千載一遇のチャンスだった。
しかし、それを活かせなかった。
秋場所の体(てい)たらくで、来場所全勝優勝しても、即横綱昇進とはいかなくなった。
一度のチャンスをものにした豪栄道、できなかった稀勢の里
「運も実力のうち」
と昔からいわれてきた。
秋場所の豪栄道は、横綱日馬富士戦で、土俵際まで追い詰められて、苦しまぎれに放った首投げで勝った勝負も「運」のうちだ。
その幸運を来場所も生かせるかどうか。
豪栄道の真価が問われるのは、来場所だ。
「初優勝で浮かれ、祝勝気分で気持ちがダレ切ってしまって、翌場所は惨敗」
という力士が多い。
琴奨菊も、そのたぐいだった。
来場所、どういう成績を残すかで、豪栄道という男の評価が決まる。
(城島明彦)
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